糸瓜咲け 公演情報 URAZARU「糸瓜咲け」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    正岡子規の24歳から亡くなる35歳までを、彼を支えた家族や交友関係を通して描いた力作。子規(ノボさん)の生への執着や言葉との格闘という内面の掘り下げ、友達への羨望という人間臭さを観せることによって、”人間 正岡子規”が立ち上がってくる。劇中ではノボさんと呼ぶことで、少し距離ある人物を身近、親しみに感じさせるあたりが上手い。
    (上演時間2時間5分)

    ネタバレBOX

    舞台セットは子規庵のイメージであろうか。和室・畳に縁側、奥の襖戸を開けると格子を通して玄関が見える。その部屋に文机。下手側には庭があり糸瓜、紅葉した葉、新緑の葉や花々が咲いている。そこには四季が見える。この狭い空間が正岡子規の行動範囲であるが、彼が思い描いている世界観は遥かに広い。目に見える実際の空間に対して、彼の心的空間の広がりの対比を演出しているようだ。

    物語は子規24歳から35歳までの人生を順々と描いており、奇を衒わず実生活を通して彼の生き様を魅せる重厚な作品だ。冒頭は、子規の妹・律がストーリーテラーのように、伊予弁で場所や年代、登場人物を紹介するように始まる。これによって一瞬のうちに時代設定や家族・交友関係が分かる。そして客観的な観点として、闇鍋を通して人柄なり親交振りを表す。一方、子規自身は学者にも軍人にもなれず、小説家として生きて行こうと決意。その小説「月の都」の批評を夏目漱石、さらには子規本人が幸田露伴から聞いたことを述べる。批評は、子規の書きたい思い、その芯というか真がなく、単に文章を飾っているだけという辛辣なもの。以降、詩人として生きて行こうとする心情過程が実に丁寧に描かれる。その間に好きな野球のエピソードや従軍記者になれた喜びなどが語られ、その人柄なりを活写するような演出は上手い。

    一方、彼の人生は、結核や脊椎カリエスという病魔との闘いでもあった。それを家族の関係、支えとして描いている。妹・律の買い物、カリエスへの処置等を通して、いかに家族の献身的な支えがなければ、彼の偉業は達せられなかったことか。献身的介護をしても、病人の側からすれば不服もあった。身勝手なようだが、彼も耐え難い痛みと、一切の自由が効かぬ体に苛立っている。病になる前は、野球を愛するなど快活だった子規だからこそ悔しい思い。それは「病牀六尺」という台詞に表れている。しかし彼も介護は律しか出来ないことを知っている。他に代わることのできない事を偉業というのであれば、律の介護はまさにそれである。律と同じように誰かの支えとなっている、それは現代にも通じる、いや介護が声高に叫ばれている現代だからこそ大切な事と思える。しっかり現代性に合わせるところは巧みだ。

    交友関係では、夏目漱石がイギリスへ、秋山真之がアメリカへと旅立つが、自分は外国どころかこの庵から出ることが出来ない。その もどかしさが切々と伝わる。しかし子規は言う、この庭には草花...自然があり森羅万象。ここに舞台セットの四季の意味があるようだ。その胸の内にある世界観を俳句や短歌として残したい。もっと生きたい、その切実な思いが鬼気迫るように描かれる。知らなかった”人間 正岡子規”を感じられた素晴らしい公演であった。
    もちろん、役者陣の演技力があっての芝居であることは言うまでもない。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2019/10/05 00:11

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