『きみがゆえにわたし』 『咲く、白。』
踊る『熊谷拓明』カンパニー
あうるすぽっと(東京都)
2021/12/10 (金) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
2作品交互上演のうち『きみがゆえにわたし』観劇。
「咲く、白。」について、作・演出・振付の熊谷拓明氏とゲストで振付家・ダンサー・俳優の北尾亘氏がダンス披露を交えた、モノローグ、ダイアローグといった観せ方。これを公演にするのは無理がある。どちらかと言えばアフタートークで済ませる内容だ。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
招待公演。
舞台美術は、基本的に『咲く、白。』と同様。違いがあるとすれば、ソファーがひっ繰り返っていないことと、冷蔵庫が初めから舞台上にあることぐらい。2人がソファーやその他の場所で語らうが、普段通りの会話だろう。広い空間に2人だけで所在なさげだ。
熊谷氏が北尾氏に公演を観た感想を求めるが、口ごもる北尾氏。 次第に話題は互いの”踊り”や ”生きる”に及び、互いの価値観の根底にある歪みが浮き彫りになるらしいが…。さっぱり解からない。そして2人でダンスの競演やカラオケ・デュエットでの緩い笑い。あー勿体ない時間が過ぎる。
『きみがゆえにわたし』 『咲く、白。』
踊る『熊谷拓明』カンパニー
あうるすぽっと(東京都)
2021/12/10 (金) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
2作品交互上演のうち『咲く、白。』を観劇。
物語とコンテンポラリーダンスの融合作品。
物語は自分の存在確認と心地良い居場所を求めて集まった男女7人が紡ぐ話。それをダンスを交えて観せるのだが、自分にはダンス・パフォーマンスの意味するところは読み取れない。ただ極めて身体表現(体力面も含め)の質が高いことは窺い知ることができる。
(上演時間1時間25分)
ネタバレBOX
招待公演。
舞台美術は、白銀網のような幕が舞台の前後に吊るされ、場面に応じて上下に動く。板には緑の絨毯が何枚も敷き詰められ、その中央に3人掛けソファ(上演前は引っ繰り返っている)、上手に応接椅子2脚、下手にテーブル、後方に洗濯機、ごみ箱、スタンド等、雑然と色々な物が置かれている。さらに洗濯物が吊るされている。この場所はどこで、集まっている人々の関係性は、といった疑問が生じるが、物語の展開とともに明らかになる。この雑多な物は各人が持ち込んだもので、何故その物なのかは不明。
梗概…2014年3月末日。車両が頭上を行き交う高架下で、1人のホームレスが酒に酔ったサラリーマン3人に暴行を受け、殺害された。数日後、消しきれぬ彼の血痕の上に何枚もの緑の絨毯を敷き、思い思いの家具を持ち寄り暮す人々が現れた。人々は入れ代わり2021年12月。緑の絨毯の上で暮す男女7人は互いの価値観に足を踏み入れる事を嫌い、穏やかに過ごす時間を求め肩を寄せ合った。
ある日、7人の前に冷蔵庫を引きずる一人の男が現れる。妻との時間に息苦しさを感じここへ来た男と7人の暮らしは、やがて男が知らされる妻の"ある真実"により新しい未来へ加速する。男は、自分を否定すると、妻をも否定しているような錯覚に陥る。それだけ妻を愛していたのだが…。
ホームレスとは、単に帰る家が無いだけではなく、心に帰る家が無い人をいう。その意味では、高架下にいる7人は心の拠り所、安心できる場所がここしかない真のホームレスといえる。また、血痕が隠れるように敷いた緑の絨毯は平和の象徴のように言っているが、こちらも隠すだけという表面的な取り繕い。7人は互いに干渉し合わないから、その場限りの”関係”でしかない。自分のことは話し(知られ)たくないが、相手のことは詮索しがち。人間はなんてエゴな生きものだろうか。”白”という色は、純粋無垢といった好イメージを持つが、逆に何にも強調・主張しない無責任な色でもあるという。それが不干渉とでも言うのだろう。観せ方は極めて心象的で抽象度の高いもの。それだけに観客を選ぶかもしれない。ラスト、薄暗い中、ランタンの明かりに照らされて朗読される詩が心に響く。
音響は優しくピアノが奏でられ、時々 波の音、そして水が流れるといった静寂な空間イメージ。かと思えば高架下ということもあり耳障りな騒音、空想と現実の世界観を音響効果で表しているようだ。
物語の展開とダンスの関係性(表現したかったこと)は理解できないが、公演全体としては楽しめた。
次回公演も楽しみにしております。
夏への扉 2021
enji
現代座会館(東京都)
2021/12/10 (金) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
面白い! お薦め。
手の指の間から大切な思い出がポロポロと零れ落ちるが、その愛しい思いをそっと救い上げ、固く握りしめ楽しかった時を想像・回想する。ラストの明るく力強い台詞…「楽しい夏休みだった。私はこの思い出を一生忘れない!」は心に響く。寒風吹きすさぶ中、劇場へ向かったが、帰路は心が ほっこりするような心持になれる、そぅ心が温まる秀作なのだ。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台となるのがビートルズが来日した1966年、昭和の雰囲気が漂う喫茶店「セブン・ドアーズ」。店内セットで気になるのが、いくつもあるドア・・上手から「ヒルトン」「地下鉄」「病院」「国鉄」とあり、それぞれに所要時間が書かれている。カウンター、腰高スツール、テーブル等を設え、内装(レンガ壁)、壁に多くの写真を飾り 実に丁寧に作り込んでいる。何となく行ったことがあるような雰囲気の喫茶店、懐かしさを覚える。上部 後方には暗幕があり、それを開閉することで物語の時代・時季を表す。
この作品は2002年に初演、2006年に再演、さらに番外公演も実施しているという。何度も上演し(観)たくなるのが頷ける。公演でも2002年当時を思わせる携帯電話を使用するなど細かい配慮。主人公・桑野明日香は、母が亡くなり喪失感に苛まれている。その様子を心配する恋人の隆。或る冬の日、胡散臭い男が、癒しの香を売りに来る。彼女は「明日への活力がわく香」を所望し、それを嗅いだところ、’66年夏にタイムリープ・・「夏への扉」を開けたのだ。実はタイムパラドックスを避けるため、彼女が生まれる前、すなわち存在しない年代を描く(理屈ではなく)。両親や好きな叔父がまだ生きている。ビートルズが宿泊しているホテルの近くにあるこの喫茶店は賑やか。活気のある日々を満喫し、いつしか元の世界へ戻りたくないと…。
舞台美術の見事さはもちろん、時代の季節感を出すため、後方の暗幕を開閉する。冬の現在は暗幕で仄暗くどんよりとしている。一方、暗幕を開けた’66年は明るくカラッと晴れた青空を思わせる。衣装も時代や時季にあわせ着替える。外から店内に入ってきた父の顔は汗がいっぱい。明日香の後を追ってタイムリープした隆のワイシャツも汗で濡れている。2002年という未来だから分かる これからのこと、逆に1966年当時でしか知り得なかった事情が明かされ、自分が本当に愛され望まれて生まれた。今、亡くなった人々との楽しかった夏の日々は思い出しかない。しかし人は(楽しい)思い出だけでも生きていける。
音楽はもちろん、レコードで聴くビートルズや日本のグループサウンズの懐かしの曲が流れる。物語で登場する平本恵は、いつの時代でもいる熱烈なファンを表すが、ビートルズは特別な話題性をもっていたようだ。そう言えば、明日香が嗅いだ香は客席(2列目で観劇)にまで漂ってきた。その匂いこそが熱気臭のようなものか。
物語(脚本)の面白さ…人が持つ懐古、回顧、郷愁といった思いは、いつの時代になっても色褪せない輝きを放つ。それは自分のものでしかないのだから。ラストの明るく力強い台詞が心に響くのは、今となっては誰とも共有できないが、それでも過去に存在したことは事実。それを胸に刻み(思い出し)歩んでいくのだろう。
次回公演も楽しみにしております。
闇鍋音楽会vol.2 『The leg line』
仮想定規
中野スタジオあくとれ(東京都)
2021/12/09 (木) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
感情のツボを擽るように刺激し、クスッと笑わす絶妙な面白さ。未見の劇団だったが、よい出会いが出来てラッキー。公演はショー的に魅せるといった印象が強く、その中にドラマを展開させる、という凝らし方。そこには観客を楽しませる、といったサービスが観て取れる。実際、途中で換気休憩を入れるが、その間も役者の1人が観客参加型のゲームを行い、正解者?にプレゼントを進呈。もちろん換気の必要もあるが、場面転換や着替えに要する時間でもあり、効率よく舞台運営をしている。上手い!
(上演時間1時間30分 途中休憩約10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、ぶら下がり健康器具の枠(キャスター付)のようなものが、客席側に3台、その後ろに2台置かれる。また客席と舞台の間に一㍍四方の板、その横にマイクが固定されている。これは劇中で2回タップダンスを踊るための仕掛けで、これがまた観(魅)せる。なお、タップダンスのテクニックは素晴らしいと思うが、少年・少女による演技は少し長いような(音楽の一曲と同様、ダンスにも仕舞があるのだろうか)。公演全体の流れが、一瞬止まり物語の世界観へ戻すには 力 が要ったのが少し残念。
梗概…突然の悪天候、そんな中で公演を行うために準備する楽屋が舞台。果たしてこんな荒天候の中、観客が来るのか。そもそも出演者も色々な事情で全員が集まっていない。もう直ぐ幕が上がるが…。ちなみに器具枠は鏡であり、衣装掛けを表す。さらに落雷で停電し、蓄電源とペンライト等で段取りを話し合う中、僧侶・電気工事人・デリバリー配達人など、公演に関係のない人々が次々に現れる。出演者は往年の歌手:サラ、地下アイドル:ジル、歌手niceの姉:米田、いつの間にかデリバリー配達人:bridgeがラッパーになっている。そして劇場支配人:和也という異色な取り合わせ。個性豊かな人々が何とか公演を実現しようと、その姿に電気工事人や住職がそれぞれの専門ー電源確保という専門技術、木魚等による音響ーという協力をし、何とか公演を行う。当日の観客がリアル観客としてライヴ公演を聴いた、ということ。出来れば、上演開始迄の切羽詰まった緊張感をもっと漂わせれば、緩急ある展開になり観客の集中力・・ハラハラドキドキ感が増したと思う。
器具枠に銀ラメ、リバーシブルで色鮮やかな5色の幕を掛け、可動し華やかな舞台を演出する。専門の楽器を利用することなく、歌はアカペラ「青い星」、音響は木魚や玩具、ダンボール箱への打突で味わいと特徴ある効果音で奏でる?という荒業。それが何とも可笑しみがあり印象深い。窮地にあっても演じる者の矜持といったものを表す。劇場支配人の小学生時代の思い出話は、例え観客1人(それが子供)であっても、役者は真剣に演ずる。また劇場は災害等が起きた時の避難場所でもあり、その意味では寺と同様だは蘊蓄話。
まさしく停電という闇設定の中での疑似公演ー闇鍋音楽会vol.2はleg lineを超えて踏み出す一歩になったように思う。次回公演も楽しみにしております。
時代絵巻AsH 特別公演 其ノ四『草乱~そうらん~』
時代絵巻 AsH
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2021/12/08 (水) ~ 2021/12/12 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観応え十分。
日本史的にも重要な意味合いを持つ「島原の乱」を時代絵巻AsHらしい、というか大胆で独創的な解釈によって紡ぐ壮大な物語。何を書いても すぐネタバレしてしまいそう。ただ、”戦うことは勝つことではなく、大切なものを守るため”という思いが強く伝わる内容だ。
緩急ある展開、抒情的な観せ方など、その丁寧な作劇は期待通り。そして過去公演以上に感情の揺さぶりが大きく、嗚咽する観客の多いこと。
もちろん創作劇だから史実と違うだろうが、一揆が起きた背景(概要)、用語集、人物相関図を掲載したパンフレット(他劇団であれば販売するような豪華版)が配付されるので、上演前に一読すれば一層理解が深まる。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分含む)
ネタバレBOX
舞台美術は、時代絵巻AsHらしく正面に両開き襖、廊下や縁側・沓脱石がある典型的な日本家屋作り。下手に一段高くした別スペースを設え、外観は土塀や板塀など当時の雰囲気を漂わす。
物語の概要は、歴史の教科書のようであるが、登場人物の設定が大胆。冒頭は大阪城落城のおり、真田幸村が嫡男・大助に豊臣秀頼の子を託し落ち延ばす場面から始まる。この子が後の天草四郎として島原の乱の指導者になるという設定である。中心的な人物はこの四郎と幼馴染の子供たち、特に大助の息子・源次郎。公演は語り物を装うようだ。
厳しい年貢の取り立てに反発した蜂起であったが、島原藩、唐津藩(大名)は、幕府から統治能力を疑われることから、キリシタン弾圧と絡め農民一揆を宗教的な反乱へすり替えようとする思惑。クルスへの唾棄、踏絵といった試金石場面が痛ましい。同時に戦国浪人の不平不満を取り込んだ、別次元の思惑も絡ませるという大胆な発想。幕閣・農民という両観点を通して、不安定な世情という社会状況をそれとなく窺わせる。
元々はキリシタン大名の領地であった事情、両藩において先代が石高を水増して幕府に届け出ており、本来の年貢では納め切れない事情。物語は、その背景や悪政を点描し、一方 その地で暮らす農民の純朴な人柄を対比させることで、勧善懲悪といった分り易い構図を描く。歴史的にも色々な解釈がされている内容=島原の乱を演劇として面白く観せるところが見事!もっと言えば、幕藩体制が完全ではない3代将軍・家光やその側近を、あえて軽佻浮薄に描くことで武家社会の無責任を糾弾している。が、同じ幕臣でも老中・松平信綱を謹厳実直に描き、幕府内での人物像を固定化させない上手さ。立ち位置の異なる個々人の心情描写をきめ細やかに描く。
物語の雰囲気作りは、いつもながら見事。上演前は笛・太鼓といった和楽器。物語の場面に応じて、お囃子、ピアノ旋律といった和洋の音響の使い分けで緩急ある効果を演出。照明は明暗の諧調はもちろん、葉影やクルスに模った余韻。公演全体の調和が実に上手く、そして美しいといった印象だ。
次回公演も楽しみにしております。
発明家と探検家
Oi-SCALE
駅前劇場(東京都)
2021/12/03 (金) ~ 2021/12/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
自分好みで面白い! お薦め。
3つの物語。2つの例題と1つの問い。あなたの答えが真実であります様に…掘っても掘っても底深い人の心に迫ろうとする。
脚本は、オムニバスと言うか小説の連作集のような構成で、先々の展開を予測するのは難しく、というよりは予測不可能で、ミステリアスなところが魅力的。この物語を支えているのが圧倒的な演技力と存在感を出している村田充さんと林灰二さんの2人。
ちなみに自分が観た回は満席で、増席していたほどの人気ぶり。
(上演時間2時間弱 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは少し高くした板(実験的で独特な世界観の表出)。その板を電飾したポール数本が囲み 同じように裸電球を吊るし舞台枠を表す。しかし基本は素舞台。その外側に半周するようにパイプ椅子が役者分 置かれている。上演前は空席だが、徐々に役者が現れ着席していく。上演前の薄暗い舞台、点灯した裸電球、中央のパイプ椅子の上にあるメトロノームの刻む音をスタンドマイクがひろう。同時に音響としての波音を流し耽美と静寂さを漂わす。この舞台雰囲気に飲み込まれる中、林さんが登場し前説、その巧みな話術に引き込まれたまま物語は始まる。先の2人以外、基本的に役者は黒衣装。そして物語に応じて小道具等を運び込み、衣装も変えて登場する。薄暗い中での場面転換は、役者の動きを観せることによって物語の分断をしない妙。
物語は、評判の占い師カワクボケイジ(村田充サン)のもとへやってくる客のそれぞれの相談事、占ってほしいことを通して展開していくスタイル。客ごとに内容が異なるが、3つの物語に共通した観せ方は同じ。人生の岐路に立ち大きな選択を迫られた登場人物が、何を信じるべきか悩み もがきながら下す決断を描いている。3つの物語から浮き彫りになる “真実をそれと裏付けるもの” を挑発的な内容を通して実感してほしいと…。
物語の具体的な構成は・・・
第1話は、或る医師が妻の実家の援助で医院を開業しないかと持ち掛けられているが、それを受け入れると身持ちの良くない自分が縛られるような気がし、この話を受諾すべきか。
第2話は、1冊で売れっ子作家になったが、2冊目が書けず編集者から、彼が尊敬する作家のある部分を模倣してはどうかとアドバイスを受け、困惑している。その尊敬していた作家は、複数の作家が作り上げた虚像であり、自分が目指す(書きたい題材)は何なのか。
第3話は、オリンピックに出場出来そうだった有名なフィギュアスケート選手、妊娠しているが 同時に子宮癌にも罹患している。第1話の医師は癌手術の必要性を説明するが、彼女はどうしても子供を産みたいと。そこで医師は或る老人ホームに入居している先輩の元女医を紹介しアドバイスを求めるよう勧める。
これら3つの話は、客から占い師に相談話をし将来を占ってもらうという共通の展開。占い師は、結論めいたことは言わず逆にどうしたいのか本音を聞き出そうとする。
そして最後の話、精彩のない男が自身の身の上話を始め…。今まで占い師が出会った客とは違い、今度は占い師自身が身の上話をし、その結果招く悲劇。しかし精彩がなかった男が行動を起こし、罪を犯し肉体的な拘束、逆に精神的な自由を手に入れるという皮肉。こうしたらという命題めいたものが提示されるが…。3つの話と命題は、それぞれの内容が深く、考えさせるもの。自分に向き合い本当の自分とは、という自分探求ーそれが自分自身にとって一番つらく怖いことではないかーを描いている。ラスト、比喩的に用いられた”鏡に映る自分”は本当の自分ではない、という台詞が心に響く。
この占い師、実は悪友 眞一郎(林灰二サン)がおり、その助けを借りて、よく当たるという評判を得ている。見料が5分10万円、誰かの紹介がなければ予約できない。この予約という一定の時間稼ぎがポイント。そして悪友と知りあった所が…。
内容は思索的で少し小難しいと思われたが、2人の台詞のやり取りにクスッと笑える、ちょっとポップさも感じる仕上がり。しかし「真実」に目を凝らし、様々な「真実」を逆(嘘・虚)から捉えた剥き出しの人間の底を描いた作品、観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
スペキュレイティブ・フィクション!
NICE STALKER
ザ・スズナリ(東京都)
2021/12/01 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
2021年冬…高校部活(SF研)を通して心の成長を描いた青春騒動記(喜)劇。恋愛の噓と本当、その虚実の駆け引きに怪異を絡め、SFの雰囲気らしく纏めた佳作。
「本当にあんたは、面白いね」は、ヒロインが主人公に向かって言った言葉。この公演も台詞同様に面白かった!
(上演時間2時間5分 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、斜めに設えた板上にドアや窓を思わせる枠組みを吊るしたシンプルな造作(SF研 部室の設定)。上演前や薄暗い照明時には、枠にある電飾(点灯)が美しくもあり、少し妖しげ。下手奥にスクリーンがあり、劇中でSFに係る専門用語が発せられると、スクリーンに解説が映し出される。その解説文も難しいが、何となく言いたいことは解る。
物語は、SF研に所属している高校1年生の善雄善雄さんが先輩(2年生)の太田ナツキさんに恋心を抱き、何とか付き合ってもらおうと奮闘するが…。部活がSF研ということから専門用語が多く飛び出すが、(恋愛)心理や行為に絡めた用い方で、説明にあった「『科学』では定義することができない『不可怪』を再定義する思弁、熱弁、詭弁の数々。」は、告白時に用いた手法や行動そのもの。心は科学で説明しきれず、青春期の熱に浮かされた恋愛物語、それを怪異という視覚に捉えられない事で表現しようとしている。
主人公の善雄善雄さんの テライ と ケレン に満ちた表現の可笑しさ、ヒロインである太田ナツキさんの嘘か本当か曖昧で、思わせぶりな姿に翻弄される。2人の心情を中心に同級生や先輩、さらにはSF研顧問や保健室の教師を登場させ過去・現在・未来という時の流れを形成する。あくまでSF領域を逸脱させない巧みさ。登場人物一人ひとりを丁寧に描き、それぞれが抱えた どうしようもない 思いを救い上げる。しかし深刻に描くのではなく、あくまで軽妙さは失わない。
「これからが、今までを決める。」という決め台詞。善雄善雄さんが書いていた日記が未来ではベストセラー、記載内容が現実になるのであれば、噓の記載は正さなければならない。漫画の「未来日記」(サバイバルは別にして)のイメージを持たせる場面ーそれが居る筈のない妹・藤本海咲さんの不思議な存在と行動。青春期にある傷つきや悲しみ、もしくは喜びといった物語は容易に作れるかもしれないが、そこには既視感が付きまとう。それを出発点(前提)にし、すでに描き尽くされた物語にせず、その先の(現在のSFが将来、科学的に解明するような)新たな作品作りを目指しているようだ。
次回公演も楽しみにしております。
クラッシュ・ワルツ
演劇集団池田塾
オメガ東京(東京都)
2021/12/01 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
第19回劇作家協会新人戯曲賞受賞作品 (刈馬カオス氏<刈馬演劇設計社>)。
物語は3年前の交通事故をめぐって関係者、一見関係ないと思われる夫婦も加わって、それぞれが抱える秘密と悲しみ、やる瀬無さを感情の赴くままに激突させた会話劇。脚本の面白さはもちろんだが、物語を支えているのは5人の役者達の迫力と緊張感ある演技であろう。
(上演時間1時間15分)
ネタバレBOX
舞台はイガラシ家の和室(座敷)。上手に押入襖、下手が出入りする襖、中央に大きな座卓、壁側にミニ書棚、TVや座布団等が置かれ、物語を紡ぐには過不足なく作り上げている。
冒頭、この家の主婦・イガラシ タエ(飯田 問サン)が強引にクドウ リツコ(のりほサン)を家(和室)に連れ込む。何が何だか解らない彼女に向かって、今日は(交差点に)花を供えないでほしいと頼むところから物語が始まる。彼女は3年前に交通事故を起こし5歳の男の子(ケンタロウ-登場しない)を事故死させ、以降 毎日白い花を供えている。タエはこの女性を被害者・男の子の母親と勘違いした。この家(窓)から事故現場である交差点が見通せるという設定である。冒頭こそ、ドタバタとコミカル風に描いているが、そこに少年の母親・タケイ チハル(梶原生吹サン)そして離婚した元亭主(父親)・ミタ リョウスケ(田辺学サン)が登場し、直接の加害者・被害者が相対する構図へ。同時にこの家のイガラシ マサオ(もろいくやサン)が、この家を売却するにあたって事故に関わる悪評で、業者から買値を値切られている。それぞれが自分の事情や思惑を押し通そうとするが、もっともと思われる議論が綱引きのように…。1つの事故を巡り、交わるはずのなかった人間関係が生まれる。ぐるぐると回る濃密な会話劇は、それこそ奇妙なワルツそのもの。
人物描写…タエは、事故のあった交差点は人や車の往来が激しいわりに信号機もなく、危ないと思っていた。その危険を知らせる活動をしなかった(不作為の)後悔、自責の念。夫マリオは、何とか高値で売却するため、悪評の元である花を供えるのを止めてほしい。一見自己中心的と思える言動であるが、それはタエ(妻)のためという秘密を抱えている。リツコ(加害者)は花を供えることで贖罪しているかのようだが、チハル(母親)が一度も花を供えないことへの抗議のような気持。一方 チハルはリツコの行動を監視しており、事故以来、彼女の様子が激変したことに危惧を抱いている。リョウスケ(父親)は、リツコを絶対許さない、イガラシ家の売却減は彼女に補てんさせると主張。それぞれの正論らしき主張、しかし それが容易に収まらないという感情の衝突が見所。時に座卓を叩き激高する姿、また座敷に頭をこすり付ける謝罪姿といった、感情と行為の振幅が激しい演出は観応えがあった。それを役者陣は、キャラを立ち上げ、立場を鮮明にした見事なまでの表現、その演技に引き込まれた。
舞台技術として、隣家の子供が弾いているピアノ練習曲ー花のワルツーが、たどたどしいが、騒音とも 少しずつ上達しているとも思える。人の心の持ちようによって受け止め方が違う。そして音が聞こえないと心配という人の心の変化が登場人物の心情と重なるようで巧い。ラストは夫婦で踊るたどたどしいワルツがホッと心を和ませ余韻を残す。
次回公演も楽しみにしております。
さいはての街の塵の王
尾米タケル之一座
ウッディシアター中目黒(東京都)
2021/12/01 (水) ~ 2021/12/05 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い!
チラシの陰気な絵柄、説明から一見 骨太作品と思えるが、演出には軽妙さもありバランスが良い。
塵も積もれば山となる…意味合いは少し違う喩えだが「塵の王」とはそういう事かと納得。さいはての街とは、時代や場所に関係なく渦巻く人間の「想い」を普遍化するような表現にしている。ただ物語を紡ぐにあたって、場所はある程度 特定した処に設定し、現実(人間界)と異界の中で、自分とは何者なのかを探るようだ。その重い「想い」の裏に隠された感情が「辛い」「消えたい」「会いたい」等といった声になる。その感情を顕わにするのも、させるのも人間である。人は人から逃れられないのかもしれない。
(上演時間2時間30分 途中休憩含15分)
ネタバレBOX
舞台美術は中央奥に長方形を刳り貫いた厨房らしきもの。全体的に白くゴツゴツした感じは密閉された空間。大きさ等が異なる箱馬がいくつかあり、情況や場景によって移動変化させる。キャストの衣装は、塵の王(坂口翔平サン)は黒、それ以外は全員白(サリィ役:香衣サンのボンテージ風ファッションも含め)という対比で分り易い。
物語…以前は有名なフレンチ料理店だったが、それも昔のことで今では閑古鳥が鳴く。オーナーのジン(小谷真一サン)は、利き腕がマヒしているようで思う存分腕を振るえない。そんな時、塵の王が現れジンに憑りつく。塵の王が食するのが人の色々な「想い」である。声にならない吹き溜まりのような想いを食らい続け、ある存在になり魂が彷徨する。言葉と料理(嗅覚・味覚)、そこに共通しているものは理屈ではなく感性である。その言うに言えない本音の言葉を求めて辿り着いたのが…。
ここからの場面転換(展開)が急のようで、多少 戸惑いを覚える。この場面の設定が白衣装に結び付き、人の心や感情に色がないという虚無感、浮遊感のようなものを漂わす。声にできない不平不満が充満した空間で、自分の存在をアピールすること、本心の吐露を促す人の温もりをしっかり描き出す。同時にSMっぽい行為で観客を笑わせ、歌で場を盛り上げるサービスで観(魅)せる。
ここは精神病院か?…色々な悩みを抱えた人が入院しており、その症状が本当に精神を病んでいるのか。入院時の乱暴な扱い、それが精神疾患を疑うような台詞になっている。自分の意思に沿わない環境下、しかし、それに慣れ順応してしまう人間の弱さ。さらに「想い」という気持、それを醸成した記憶まで忘却してしまう怖さ。そんな不気味さは自分の身近なところにもあるかもしれないと思わせる。塵の王は人の不幸を集めた魂の結晶。が、人は人のために為す善意があれば救われる。何故 自分(ジン)は料理人を目指したのか、それがラストシーンで…。
演技は軽妙であるが、しっかり観(魅)せる 力 がある。先にも記したが、鞭を使ったり、歌を披露するなどバラエティに富んだ観せ方は観客サービス。もちろん精神を病んでいるという設定であるから奇行や奇声、その他不気味な行動は上手く演じていた。この物語を支えているのは、このキャストの演技力といってよい。舞台技術ー音響と照明は物語の展開を程よく支え、効果的な役割を果たしていたことに好感。
次回公演も楽しみにしております。
飛ぶ太陽
劇団桟敷童子
すみだパークシアター倉(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/12/08 (水)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
終戦直後を背景にした史実、そこに居たであろう人物像を通して描いた骨太作品。
タイトル「飛ぶ太陽」は、その出来事を象徴した言葉で、重みが感じられる。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台美術は、桟敷童子らしくしっかり作り込んでいる。上手下手に白銀の網目のようなオブジェが天井から板まで流れるように設え、舞台中央に工事現場で見られるような足場の木組み、その上部奥に紅葉が色鮮やかに生(映)える。下手に大きな垂れ幕、そこに昭和20年11月12日午後五時十九分と書かれている。その後、物語の状況を演出するため、上手下手に少し高さと大きさが違う平台が2台づつ置かれている。
初日のカーテンコールで、今回のセットは開始12分で崩壊すると。今まで観た公演は概ねラストに魅せてくれたが、本公演はその爆発崩落から物語が動き出す。
物語は、終戦直後の福岡県田川郡添田町の日田彦山線彦山駅近くの二又トンネルにおいて、アメリカ軍が大日本帝国陸軍の隠していた火薬を焼却処理しようとしたところ大爆発を起こし、山全体と多数の民家が吹き飛ばされて死者147人(うち児童29人含む)、負傷者149人、そして多くの家屋が被災した事故というか事件を、復員兵を中心として そこで暮らしている人々の実態と証言を積み重ねて描いている。
事件の特殊性として敗戦国日本がアメリカ軍(GHQ)が原因で起きた事件に物言えず泣き寝入りをせざるを得ない状況、その苦悩に満ちた心情を多方面から点描する。当日パンフで、「この物語は事実を元にした創作で、登場人物は架空の人々です」とあるが、現実には同じような境遇の人々が多く居たことは想像に難くない。中心となるのは、復員兵・松尾与市(吉田知生サン)と母で農作物行商人・トワ(鈴木めぐみサン)親子で、生きて復員してきたことを恥じる息子、一方 帰還を喜び祝賀を開く母の情が肌理やかに描かれる。与市は駐在所巡査部長の奈佐達蔵(原口健太郎サン)から養鶏の世話を頼まれ、その恩義(タバコ1箱支給)に報いるために二又トンネルの作業に応募する。また国民学校教員で現在休職中の澤西文子は担任児童がトンネル近くの山へ…冒頭に事故日時が垂れ幕で知らされているため、その瞬間までの緊張感が徐々に高まってくる。戦時中トンネルに運び込んだのが、事情を知らされていない行商人、それが戦犯への疑い。戦後という背景にも関わらず戦時中の不条理が次々に襲い掛かる。
総じてキャストの演技は重厚。その中にあって澤西姉妹、典子(板垣桃子サン)・文子(宮地真緒サン)の演技は、精神を蝕む心痛な思い、その心情溢れる姿は観ている者の感情を揺さぶる。生前の与市が母・トワに向かって吐き捨てる言葉「あんたなんか大っ嫌いだ!」、一方ラスト、死んだ与市が、爆風で両腕を失ったトワに「あんたの子に生まれて光栄」と呟く姿に涙する。
この史実は知らなかったが、戦時 戦後という時の分断はなく、時間の流れと地続きはいつの時代も人々の暮らしに付き纏う、ということを思い知らされる。そして知らぬ間(戦争)に利用されるという恐怖。当時は大事故にも関わらず、政府はアメリカ軍絡み(復興支援への影響等)ということで対応(補償)しない。マスコミも同調圧力なのか、大手新聞社は記事掲載をしない。今を生きている自分が、この事故を知らない。戦後77年近くなると人の痛みも記憶も風化するのであろうか。
ただ、物語終盤は政府補償を勝ち取るまでの裁判記録(経過)を朗読するようで、事実の顛末を語るに止まったのが少し残念。今まで観てきた桟敷童子公演に比べるとラストの盛り上がりが…レベルの高い願望である。
次回公演も楽しみにしております。
夜半、涔々と。
actors team Re-birth
ステージカフェ下北沢亭(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
今では「書簡」を用いることが少ないであろう。それを敢えて往復「書簡」朗読劇にした拘りはあまり感じられず、書簡にしては整いすぎた話だ。
他劇団を引き合いに出すのは如何かと思うが、その時は明治から昭和期にかけての作家の書簡を朗読した。昔の書簡は現代の通信手段(メール等)と違い、配達という日数を経て相手方に届くから、リアルタイムでの意思疎通は考えられない。作家の書簡は必ずしも相手の内容に沿った返信ではなく、横道に逸れたり新しい話題を書き記す。そこに時間の経過という往復書簡の面白味が出て、作家同士の機微に触れるやり取りの味わい深さが滲み出ていた。
本「夜半、涔々と。」は、男女の十数年の書簡のやり取りだが、あまりにも相手への直接的な返事や回答で「書簡」としての余白のようなものが感じられない。語りこそ書簡風だが、会話劇のように思われた。話の内容は面白く、役者の朗読力、場面転換の間合いも上手いが、書簡としての構成が整然とし過ぎていた。変な表現になるが”脚本力”があり過ぎたというべきかも知れない。それとも、やり取りした書簡(LINEか? )を纏めた回想劇だろうか。
朗読とは直接関係ないが、「チラシ」に観客(個人)の名前を書き、コメントとサインを記する温かな心遣い。まるで書簡イメージだ。
(上演時間1時間30分) 【真鶴編】
ネタバレBOX
舞台は朗読劇であるから2脚の腰高スツール。その間にユリの花を生けた水盤。実は書簡のやり取りをする女性の名はユリ(漢字表記かは不明)で、シャレた演出である。
物語は、中学3年生の秋頃から受験時期迄の半年余りが第一場。男子生徒(カズ・ニケルソン サン)が学校で苛められており、それを2年生の時に転校してきた女子生徒(笹木奈美サン)が見ており、手紙を出す。郵便ではなく直接 男子生徒の自宅ポストに投函する。2人とも友達と呼べる生徒はおらず、自然と親しくなっていく。チラシには劇中語解説が書かれているが、ロケーションは北海道函館市である。極寒、雪虫、弥生坂そしてクリスマス風景が見えてくるようだ。2人の生い立ちも説明され、女子生徒は神奈川県のヤクザ一家の娘で、一時的に函館の学校へ転校。男子生徒は両親が彼を残し失踪、祖母に育てられている。女子生徒と親しくなったことで、苛めはされなくなる。
第二場は、二十歳の時に偶然 東京で再会し付き合いだす。ヤクザの娘という世間の冷たい目に晒されながらも必死に生きてきた女性。一方、男性はバイトをしながらバンド活動をしている。2人の慎ましやかな生活が浮かんでくる。第一、第ニ場も2人は直接会って食事をしたり、そのうち半同棲までしている。その感想めいたことを書簡形式にする不自然さ。
第三場、男は音楽業界で売れっ子になり、日本各地でライヴ活動をする。彼女との書簡のやり取りが、彼の音楽活動の源。自分の内省を音楽にしており自分のことだけという狭い世界観に彼女は批判的。もっと広い世界へ羽ばたくように諭す彼女との精神的交感に、結婚を決意する。しかし業界の反社会的風潮の前に彼女は…。
物語は2人の心情はもちろん、風景や季節感も感じられる。何か所かの読み間違えや噛みはあったが、気にするほどではない。時に東日本大震災時の状況も絡め、現実感をも漂わす工夫もよい。それが場面ごとにスーと流れるように紡がれ、言葉(台詞)と一瞬の間合いで時の経過を表現している、が少し無理がある。
次回公演を楽しみにしております。
嫉妬深子の嫉妬深い日々
U-33project
王子小劇場(東京都)
2021/11/26 (金) ~ 2021/11/30 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
3か月連続公演の締括り。少し教訓臭を感じるが、タイトルから薄々感じられること。
嫉妬深子…もちろん本名ではなく普通の女の子。どうしても他人と比較して嫉妬してしまう自分を内省する。彼女と同様にある渾名を付けられた女の子、こちらは他人を観察し客観視する。この2人の女性の視点を交差するように描いた物語。登場人物は全て女性で姦しく華やかであるが、意識しない棘があるところを上手く表現している。伝えたいことは解るが、その表し方が台詞中心になったのが勿体ない。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、段違いで中央は階段。上段の上手側に色鮮やかな殴り描き絵柄の屏風状、下手側は障子のような規則正しい升目の屏風状がある。板には色違いの箱馬が3つ。全体的にシンプルな造作であるが、そこに心内を表現したと思わせる工夫がある。
冒頭は明子<渾名:メイコ>(鹿角東子サン)が同窓会に参加し、皆と再会するところから始まる。彼女は根暗で存在感がないことから、少しでも明るくという意、そして無色透明という意、両方の意味合いを込めた渾名。本人が知らない性格を見抜かれ、同窓会で真実を知らされる衝撃。一方、25歳A型 嫉妬深子(平安咲貴サン)は何かと嫉妬し地団駄踏むクセがあり、その様子から付けられた渾名。2人は渾名のイメージが先行し、本名で呼ばれることがない。
さて同窓会は、リオ、ノリコ、エリ、チサト、ユカといった面々が集まり近況など歓談が始まる。本名(名前)で呼び合う同級生、そんな中で明子(メイコ)は、自分の立ち位置に違和感を覚えている。一方 深子は、同窓会前夜 興奮して寝付かれず寝坊、慌てて乗ったバスが千葉・館山に到着という敢えての滑稽さ。
再び同窓会へ向かう中で回想や内省をする姿がメイン。あるサプリメント(フリスク?)を口にすると将来の自分・吉野部(細田こはるサン)が現れる怪現象(ファンタジー?)。何故、嫉妬するのか、その理由や原因を探るため、自分が好意を寄せた人、苦手な人、何事にも完璧な人を登場させ心の動きや あり様を描く。物語を紡ぐという観せ方ではなく、深子を囲んでサークルを成す、上段から色紙吹雪といった抽象的表現で心の中や情況を描くといった印象が強い。
キャストの愛嬌や険(ケン)ある豊かな表情は、少し重たい内容を和ませ上手く牽引していく。衣装は、深子は殆どが体操着(皆からはそういうイメージ)、他の女性はカジュアル衣装という違いで際立たせる。名前さえ覚えてもらえない女性…自分は何者なのか、将来どうしたいのか、友達との関わり合い方は、と言った悩みがしっかり伝わる。これをもう少し物語に落とし(台詞や張り紙「なりたい自分になる」ではなく)観せて欲しかった。
ラスト、深子と明子が本名(名前)で呼び合うシーンによって、自分の存在が確認できる幸せな結末。
次回公演も楽しみにしております。
マツバラQ
グワィニャオン
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2021/11/24 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い! お薦め。
演劇は、その虚構性の中に時々の社会事情などを鏡のように映し出す、同時に娯楽(性)という愉しみも提供する。この公演は、後者に重きを置きつつも、第二の人生というか遣り甲斐、生き甲斐という”人生100年時代”の喧伝を彷彿させる。可笑しみと苦みが同居し心にしっかり刻み込む公演。しかし、けっして重たくせず、何方かと言えば軽妙な感じで展開していくところがグワィニャオンらしい。
休憩時間含め2時間10分(休憩時間7分)は、飽きさせることなく笑い笑いで演じ切る。もちろん休憩時間7分にも意味があり、役者泣かせの観客笑わせの大サービス。観客が自撮りしたくなる気持も頷ける。それは観てのお楽しみ。
ネタバレBOX
舞台美術は、上手にソファ(場面に応じて移動させる)、下手は階段上に出版社事務所で机や書棚が並ぶ。毎公演ごとにしっかりした作り込み。
この出版社は書籍の売上減少に伴い、倒産寸前のところで買収させ、細々と社内報やフリーペーパー等を制作している。かつて歴史小説で勢いのあった時とは雲泥の差。出版業界の栄枯盛衰の中にいる古参の中年社員(おじさん5人衆)は、ダラダラとした体たらく。一方、女性社員の星野茜子(菜ノ香マカ サン)、淀川晴美(平塚純子サン)、森下あすみ(丸山有香サン)の3人のOLは、新選組の謎多き四番隊長・松原忠司の本を作ろうと意気軒高で奮闘する。しかし、かつて新選組小説でベストセラーを生み出した上司(おじさん5人衆)は乗り気ではない。彼女たちは何故 松原に惹かれたのか…上司たちの新選組愛はもう失せてしまったのか…果たして本は無事完成されるのか….。
2020年11月の「刹那的な暮らしと丸腰の新選組」のカップリング公演のようだ。前作でもOLが新選組の魅力に取りつかれ、現在と過去(幕末)を往還して展開していくが、本作は出版までの過程を業界裏話的に展開していく。さすがに同じような展開ではなく、捻りを利かせた構成は さすがである。また劇中で「血風リトルトーキョー」(愛染終と東京ニューセレクト)を歌い、違う面でも楽しませる。
謎の松原忠司を本にするにあたり、どのような人物であったのか。先人(子母澤寛ー新選組物語:三部作)の焼き直しではなく、独自性を出すため自ら取材・調査する姿。幕末という時代間隔を埋める逞しい想像力。出版に係る大事な要素を次々に繰り出し、制作の苦労や面白さを経験させるおじさん達。想像力喚起のためのシミュレーションシーンに殺陣等のアクションを盛り込み、劇団らしい観(魅)せ方をする。幕末・京都での新選組の活躍、しかし地味な松原忠司(主宰・作・演出 西村太佑サン)をどう魅力立てるか、といった創意工夫が見どころ。それが八千代(関田豊枝サン)との心中事件で、叙情性を売り物にする。官能小説家に執筆依頼、その描写に笑いが広がる。本当に楽しませることを知り尽くした劇団の公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
月の記憶
下北澤姉妹社
シアター711(東京都)
2021/11/24 (水) ~ 2021/11/28 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「追憶」と「再生」をしっとりと謳い上げた佳作。
コロナ禍という事情があるが、今ではその状況でさえ日常のこと。事件や刺激的な出来事が起こるわけでもなく、淡々とした生活が語られるだけだが、それでも観入らせる 力 のある公演。
夏、人工湖の近くで食堂を営んでいた母が新型コロナウィルス感染によって亡くなる。食堂を手伝っていた長女とその娘は濃厚接触者となり、隔離期間が終わって ようやく葬儀を行う。そこに2人の妹や近所の人が集まり…。
いつかコロナ禍を捉えた公演があると思っていたが、こんなに早く身近な日常の中に描かれようとは。コロナ感染死を通してみる不寛容で疑心に満ちた世間(社会)、そんな中で暮らす市井の人(個人)の悲しみ、嘆きが深く語られる。コロナ禍によって既にあった問題、すなわち労働問題や経済格差(貧困)などが明らかになった。公演に関係するのが非正規雇用の人たちが職を失ったり派遣切りにあったこと。社会的弱者に対する政治(社会)の歪が露呈したのだ。また物語では、テレワークなど在宅勤務形態など労働環境の変化によって夫婦関係にも影響が出たという。何となく「下北澤姉妹社」という団体名から女性に係る問題を浮き彫りにしたようだ。
現在の悲観(状況)を見据え、過去の悲しい思い出、それら全部をひっくるめての灯篭流し。その演出は、灯篭と心の揺れを重ねるような印象付けで見事。ラストのパフォーマンスは日常の暮らしが戻るような希望も…。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台美術はシンプルで、上手に木製ブラインド、食堂という設定からテーブルと椅子がいくつかある。上演前は休業中ということで、片隅に寄せられテーブルの上に椅子。冒頭、暗がりの中、役者が流木のようなものを両手に持ち、色々に揺らしながらのパフォーマンス。上演前にピアノと水が流れるような音響ー静寂さを感じさせる。人工湖の湖水の流れを連想させるが、同時に葬儀に集まった人々の追憶、その揺れる心をも表現しているようだ。
物語は先に記したように母・時子が亡くなり、焼骨を終えたところから始まる。食堂は母と長女・田中雅美(明樹由佳サン)とその娘・由美(桑田佳澄サンが手伝っていた。葬儀のために二女・久美(松岡洋子サン)、三女・真理(本田真弓サン)が帰ってきて、それぞれの近況や街の様子を回想する。それぞれ抱えた悩みや問題事を打ち明け、そこにコロナ禍の影を落とす。食堂が感染源という悪評が流れ、無言電話が掛り遺族を不安・不快にさせ、今後の営業に差し障りが…。由美はパチンコ店でバイトをしていたが、自治体から休業要請で収入が減少。久美は、夫が自宅待機・勤務で気まずい雰囲気になり家庭内暴力を振るわれ出す。真理はホテルの契約社員であったが、旅行業界の不況で契約解除される。という身近で見聞きする事柄を点描する。何より葬儀が特殊で、遺体の消毒等に手間と費用が嵩む事実と遺族の戸惑いがリアル。
同時に久しぶりに帰ってきた久美が、街の変貌ぶりに驚く。シャッター商店街、コンビニの弁当が早々と売り切れる、ちょっとマスクを外しただけで他の客から苦情を言われるという閉塞感をまじまじと話す。また葬儀に来た近所の人の亡くなった人々の思い出話も尽きない。他愛のない昔話であるが、亡くなった人と今を生きている自分たちの時間繋がりを感じさせるには十分な語り。静かな時間の流れの中に激情が渦巻くような雰囲気が会場内を支配する。それが観(魅)せる 力 かもしれない。ラストシーン、自治会の灯篭流し中止という決定を無視し、「時子」「良一」「光一」と書かれた灯篭が闇の中で揺れ流れる光景は実に印象的で余韻を残す。
3姉妹の流木内でのパフォーマンス・・・表現したかったのは嘆き・悲しみ・怒り・そして祈りであろうか。いずれにしても心象風景は少し唐突といった感じがする。由美は父親を知らないが、何となく貸ボート屋の工藤正(内谷正文サン)の弟であることに勘付くが、そこは触れない妙。
卑小だが、お盆という時季に久美のレザー(ロング)衣装に違和感。真理が毎年帰って来ていたのは、高校時代の恋人のためであり、その弟である佐野順一(小林大輔サン)から兄のことは忘れてほしいと。が、ホテルの同僚(契約)社員と関係し妊娠していることの違和感。
次回公演を楽しみにしております。
女心と関ケ原
SPPTテエイパーズハウス
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2021/11/18 (木) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
一見、書けない歴史時代(女好き)小説家、霧島蒼龍の創作活動とそれを手伝う編集社のドタバタコメディのようであるが、そこに登場人物の心情を絡ませ味わい深く描いた佳作。歴史時代小説家シリーズ第二弾ということもあり、前作の創作光景を映像で見せる工夫。それもサイレントで弁士に語らせるという手法が面白い。
(上演時間2時間 途中休憩なし)
ネタバレBOX
中央に階段状の舞台、正面は映像用の白幕(スクリーン代り)、下手に座敷を思わせる平台に文机。この場所は歴史小説を書くための想像力を喚起するため、劇場を借りているという設定。獏芸社は、やむを得ず物語の構想をシュミレーションしながら創作するという前回に倣った苦肉の策をとる。そして例によって書けない(遅筆)ことから、獏芸社の面々が何とか協力し執筆させようとあの手この手と試みるが、霧島(帆之亟サン)は何だかんだと理由を付けて書かない。
今回は関ケ原の合戦における島津義久と義弘兄弟の奮闘をイメージしているが、それだけでは物足りず女性(奥方)を登場させようと。女性を登場させることによって現代に繋がりを持たせる。恋愛の多様性、セクハラ等の問題提示。この場に来ている編集者にBL(ボーイズ・ラヴ)の関係になっている者、編集長は若い女性・入来林桜(小林加奈サン)だが、霧島と何らかの関係があることが仄めかされる。演技は皆さん達者だ。
物語の展開が、現在と過去(関ケ原の合戦)と行ったり来たりし、それが更にシュミレーションの世界であることから、場面毎に脳内整理が必要。そして関ケ原における島津軍団の武勇が小説の一端として描かれることから、歴史(合戦)情景を思い描けなければ、いつの場面か混乱し足踏みしている感覚に陥る。物語としては面白いのだが…。歴史観の混同がないようにと「忠臣蔵」、それも俵星玄蕃という講談の創作ネタを挿入してくる凝りよう。他にも「江戸っ子」の定義云々など脇道ネタの幾つか。
役者は現代と過去の往還に合わせた言葉遣いに変え、外見も着物姿であったり現代の洋服であったりと楽しませる。サービスとして劇中劇(ショー)として歌(昭和歌謡等)やブロードウェイ・ミュージカル「ムーランルージュ」を観(魅)せる。テンコ盛りの内容はそれぞれの場面においては面白可笑しいが、全体を通して見ると、創作活動支援(試演)の域を超えている、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
優しい嘘
劇団BLUESTAXI
ザ・ポケット(東京都)
2021/11/16 (火) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
我が家の近くにもこんな人情味溢れるスナックがあればなぁ、と思わせる癒しの空間。観る人を笑わせながらも、優しくしっかり包み込む公演。
スナックがある街もシャッター商店街と言われ、コロナ禍という台詞こそないが苦境・閉塞感漂う状況下。それでもスナックに居る女性や常連客は地域に根ざして強かに生きている。
物語は、一見賑やかなスナックの光景を見せつつ、実は3姉妹の確執や出入りする人々の悩み事や問題を丁寧に描き、そこに隠された哀しみで観ている人の感情を揺さぶる。その優しく癒された心情を(ザ・)ポケットにしまい家路につくことが出来る秀作。お薦め。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台美術は、本当のスナック店内のようで、しっかり作り込んでいる。上手にボトル棚、カウンター・腰高スツール、下手に少し幅広のソファが置かれ、中央奥が店の出入口。窓にカーテンを吊るし、調度品や小物が品よく並ぶ。一瞬にして物語の世界に引き込まれる。この丁寧な拘りが良い。店名は「消しゴム」、実は亡き母が経営していた店で、その時の店名は「ぼったくり」。汚名というか悔悟の気持から、何とか黒歴史を消したい思いが今の店名。母が亡くなる直前に残した言葉は、長女の鮎川香織(笠井渚サン)だけが聞いており、妹達ー詩織(鈴木絵里加サン)・早織(矢吹凛サン)は臨終に間に合わなかった。母の言葉は姉・香織から聞いたが、それがタイトル「優しい嘘」である。母は奔放な人生を歩んだようで、その生き様を反面教師に育った香織の愛憎は深い。
物語は、近所のコンビニ店長とバイトの男が飲み歌い(カラオケ)の大騒ぎ。それをホステス2人が見事に捌く場面から始まる。また常連客の1人でスナックママ(香織)の一人娘の高校教師(担任)が、ママの妹・早織に恋心を抱いている。また昔ながらの文具店主は一回り年上のママに恋心。10年ほど前に店の売上金を持って失踪した詩織が、胡散臭そうな男・長谷部達郎(三枝俊博サン)を連れて帰ってくる。早織は職場の先輩と不倫をしており…。色々な出来事が起きるが、場面ごとにクスッと笑わせるのが達郎の絶妙なツッコミ。役者陣のバランスが実に良く心地よく観られる。
それぞれの悩みや問題を一気に吐き出し、混迷する姿を面白可笑しく描くが、裏を返せば相談する相手や場所がない哀しさも見えてくる。物語に真の悪人は登場しない、逆にお人よしの善人ばかり。人の感情の起伏(愁嘆場)は見えるが、話としての どん底はなく安心して見ていられる人情劇。やはり心に響くのは、女性として生きるのか、母性として生きるのか…二者択一という追い詰めた「性(サガ)」が物悲しい。そう言えば、店内に「時雨桟橋(市川由紀乃の歌)」のポスターが貼られているが、その歌詞は繊細な女心を歌い上げたもの。
終盤での香織の心情吐露シーンは観応え十分。荒ぶる気持を抑えつつ、それでも言わずにいられない胸の内を情感たっぷりに演じる。そしてラスト、3姉妹でキャンディーズの「春一番」を歌うことによって、取りあえず何かを吹っ切ろうとしている姿がいじらしい。本公演はカラオケシーンが何度となく出てくるが、その都度 観客を物語(話)だけではなく、スナックという仮想世界へ誘い戻す。そこに演劇としての「優しい嘘」という虚構性に酔いしれる。
次回公演も楽しみにしております。
ME AND MY LITTLE ASSHOLE
藤原たまえプロデュース
シアター711(東京都)
2021/11/17 (水) ~ 2021/11/21 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
普通の人ばかりが登場するが、心の内を見せられると不思議と親近感を持ってしまう。その日常風景は、大いに笑えた!
或る小さな建築事務所という設定が妙。少人数ゆえに逃げようがない人間関係は緊密だが、そこは重くせず軽妙に描く。あるだろう、いや絶対ある 人間の「建前」と「本音」を実に巧みな演出で表現し観客の共感を誘う。
少しネタバレするが、劇中で「神は細部に宿る」という台詞があるが、この公演も舞台美術が建築事務所であり、自身の心の中であり また人間関係の隙間(距離感覚)を表してお洒落だ。またキャストの演技もなかなか細かい仕草があり上手い。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台美術は個人建築事務所内、所長も含め所員は4人。机、パソコンは木の枠だけで中身(液晶画面)はない。もちろんマウスや電話も木製で、所々に観葉植物を置くという拘り。舞台美術の枠だけで中身がないのは、外観から建前と本音を示している。下手の壁に掛けられている時計にも長短針がなく、時間に関係なく感情が揺れ動くと。公演は一見軽妙だが、音響や照明といった舞台技術を駆使せず、人の感情を真摯に捉え 前(全)面に出した力作と言える。
上手の壁には社訓に準えた「鳥・蟻・魚・蝙蝠」を形どった掛物があるが、大所高所からの俯瞰した目、細部を観察する虫の目、時には逆さになり素人目になることも大切だという。毎朝の朝礼は会社組織ではよく見られる光景だが、その朝から建前と本音が強烈に炸裂する。会社、仕事とは関係ない個人的な事柄を引きずり、それを押し隠し仕事人間を演じる狡猾さ。しかしその人間性に何故か滑稽で愛らしくもあり親しみを覚えてしまう。
1役2人で、演じる上で前者の建前と後者の本音をそれぞれのキャストが対になって演じるが、建前はあくまで無難で表面的な台詞だが、内心の本音は罵声・小馬鹿にした毒舌を容赦なく浴びせる。スカッとし溜飲が下がる思いだが、それだけ自分の気持に寄り添っていたということ。
木枠だけのセットだから、相手の顔は見えているはずだが、実物のパソコンが眼前にあるという前提で、少し顔をずらし会話する細かい演技がリアル。
一人ひとりの個人的な事情(背景)もしっかり見せ、物語の土台を築いている。所長は家庭の事情や所員の仕事振りに苛立ちと不満を持っている。お局的女性所員は夫との関係に欲求不満を抱え悶々としている。お調子者の男性所員は女のことで頭が一杯、そして新人所員・純子は真面目だが 自分に自信が持てず悩んでいる。皆が表面的には仕事をしているが、無難にやり過ごす日々に経営を担う所長が怒りを爆発させ…。
実は所長の穏便な なあなあ という態度こそが、皆の本音を引き出せずにいたよう。ここに建前と本音の使い分けの難しさが表れている。
唯一、棟梁だけが1役1人で出番が少ないと思っていたが、まさか あんな応援姿を見せるとは、そして新人の純子に「あんたこの仕事に向いていない」という辛辣言葉の真意が ・・・そこかとツッコミを入れたくなるほど笑えた。
次回公演も楽しみにしております。
たましずめ
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
少し捻りのある叙情的な珠玉作。じんわりと心に響いてくる上質な味わいはSPIRAL MOONらしい。
上演は「まちかど」「西向く桜井」「落花生と柿の種」の3短編作品である。作品を叙情的と思わせるのは、脚本、演出はもちろんだが舞台美術がその雰囲気を醸し出す。場内に入るまでの階段に木の葉、場内には公園もしくは山奥の社といった場所をしっかりと描き出す。
(上演時間1時間10分)
ネタバレBOX
舞台美術は、第1話と第3話は関連しているため基本的に同じ。上手に木立、その下に占い師のテーブル(3話目の時には無い)、下手は大木の枝葉が茂っている。その下にベンチが1つ。地面の所々に草が生えておりリアルな造作。第2話は中央に社と供物、そして錆びて文字が読めないバス停標識。空調の関係であろうか 木の葉が揺れており自然を感じさせ、薄暮を思わせる照明にした時、壁に揺れ動く陰影がなんとも情緒的だ。
①「まちかど」…職場もしくは学生時代の先輩であろうか、好いている男・良男(星達也サン)へ何とかアプローチしたい早苗(道祖尾悠希サン)は占い師(秋葉舞滝子サン)と組んで、自分の意思表示を試みる。それをベンチから見守る女(=魂だけ:石井悦子サン)。その女は良男の亡き恋人か妻のような存在だが、自分に捉われないで新たな一歩を踏み出してもらいたい様子。占い師にはその気持が解るという超常の類。
②「西向く桜井」…母・沙織(矢治美由紀サン)が息子・祥太(渡部康大サン)と共に山奥にいる怪しげなカウンセラー・桜井(牧野達哉サン)に心療相談にくる。祥太は色々な事件に関わり、記憶の隠蔽や外界との関係を遮断している。心の闇の解放治療にやってきたが、それから桜井と祥太の虚々実々の攻防が始まる。桜井はカゲロウ(多咲明美サン)の狐妖しの力を借りて…。沙織と桜井は何らかの関係があるような雰囲気が気になる。
③「落花生と柿の種」…精霊流しの時季。浴衣を着た早苗と良男は出店でビールと つまみを買ってベンチで語らう。良男は、2人の酒肴を落花生と柿の種に準えて、適度に混ざっていたほうが飽きがこなくて楽しめる。何気に早苗の気持を受け入れる、第1話のエピローグ(魂だけの女は登場しない)。
それぞれの話に小難しい理屈があるわけでもなく、まして無理にまとめる必要などない。観たままを素直に心に刻めれば良し、そんな味わい深い公演。楽しめたぁ。
ちなみに、捻りがあると思ったのは、超常現象の類や深層心理の探り方に妖しを登場させ、幻想的、見えない心の在り様を何とか視覚化させようと努めているところ。
次回公演も楽しみにしております。
NEXT STAGE
ACファクトリー
シアターサンモール(東京都)
2021/11/10 (水) ~ 2021/11/14 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い! 笑えた。
劇中劇「劇団公文式第10849回本公演『時をかけるワイルドキャッツのギャラクシー大冒険』」は、笑劇であり、その舞台裏を演じる-この「NEXT STAGE」公演は更に衝撃的な結末。極上のショーを観ているようだ。同時にシェイクスピアの古典喜劇を彷彿させる場面も盛り込み深味を出す。それは、従来の演劇スタイルだけではなく、新たな演劇の在り方を摸索している、と思わせる手の込んだ描き(観せ)方だ。
(上演時間1時間55分)
ネタバレBOX
場内の通路を挟んで、前方の客席も舞台として使用する。その中央に舞台監督使用の平台、上手に劇中劇用の音響担当、下手が照明担当のブースが設えてある。後方だけを客席にしており、それも市松(模様)座席にしている。コロナ禍とはいえ、劇場定員の半分にも満たない観客での上演という贅沢な観劇空間。舞台は基本的に素舞台だが、先の劇中劇のセットとして宇宙を表現?する廃墟的な光景や中央に大階段を設える。
物語は「時をかけるワイルドキャッツのギャラクシー大冒険」の舞台監督が高熱のため稽古に立ち会えないことになり、急遽知り合いの男に代役を頼む。しかし頼まれた木下直也は演劇の舞台監督の経験はない。個性豊かなキャスト、スタッフに協力してもらいながら、何とか前に進めようと奮闘するが、問題が次々発生する。そんな時に座長の松本錠二が現れ、脚本や演出の変更を指示する。混乱し右往左往するスタッフ・キャストのドタバタ振りが滑稽で面白可笑しく展開する。この騒動を通してスタッフの協力、キャストのヤル気といった人間模様に変化が生まれる。同時に木下の中途半端な生き方の指摘、更には演劇の新スタイルとして観客参加型を模索していることも…。
公演の魅力は、脚本の面白さはもちろん、演出のビジュアル面も含めた観(魅)せる力。稽古舞台ということもあり何も無い空間に、劇中劇の面白場面を次々に展開させ、後景に宇宙やワイルドキャッツを連想させる映像が映し出される。場当たりという現実場面ではキャスト同士の諍いや体調不良といった急場。展開がアップテンポで観ていて実に心地良い。これら全体が劇中劇であるという結末は、途中から何となく気づくが、それでも最後まで興味を惹きつける。現実、劇場のコロナ感染防止対策として防護服の男が消毒噴射して回る姿がリアル、また、その男は出番こそ少ないがアクションシーンは大迫力。もちろん全登場人物のキャラが立っており、皆 適役と思える。役者の演技力・好演がこの公演を支えていると言っても過言ではない。
制作の女・田之上啓子が、主役ワイルドキャッツに抜擢されて、ミラーボールの光に照らされながら大階段を上る。その時の台詞、人(もしくは物事)は多面性を持ち、矛盾を抱えていることを表す撞着語法(オクシモロン)を用いていたようだ。架空・空想といったファンタジー場面を現実の人々が作り出す、しかし それさえも劇中劇という虚構へ追いやる。色々な世界が混在する何でもあり、それこそが喜劇の醍醐味。シェイクスピアは、機械と違って理屈や論理どおりにいかないのが人間、その矛盾するところが面白いと…。まさに作劇(劇中劇)を通して、それを地で行く。
次回公演も楽しみにしております。
おせん -煎餅の神様-
さんらん
アトリエ第Q藝術(東京都)
2021/11/03 (水) ~ 2021/11/09 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
未見の劇団…面白い!
陽気な群舞、渡世人風に仁義を切る、人妻と元プロレスラーの格闘といったバラエティな笑い観せ方、何より驚かされたのが、タイトルにもなっている煎餅の神様・おせん が、ある飲み物を一気飲みする、それも2回。「♬芸のためなら女房も泣かす」(浪花恋しぐれ)という歌があるが、ここでは「劇のためなら喉も鳴らす」といったプチ サービス。もちろん表層的な面白さだけではない。物語の根底は、東京・葛飾区堀切という下町の人情、それを情感豊かに描いている。そこには家族や地域との絆、さらに人の再生と(煎餅)技術の継承、そして新たな工夫が…。
おせん は、推定700歳という設定であり、時空を超え現在と過去を往還し、自身が存在する理由を説く。
もちろん商売を扱っているから、コロナ禍の状況を揶揄・諷刺し、演劇へ昇華させている。ただ物語は、2022年という1年後の設定であることから、新たな展開を模索しているようにも思える。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
客席はL字型、舞台セットは、中央にテーブル・丸椅子、その横に煎餅を焼く火鉢、業務用冷蔵庫、2畳ほどの座敷、座蒲団といった簡素なもの。しかし物語を紡ぐには十分な作り。
冒頭、若い女性が店内を掃除する場面から始まるが、この女性が主人公・おせん(高橋みのりサン)で、推定700歳の神様にはとても見えない愛らしさ。団子頭、柄のある赤い袖無羽織(ちゃんちゃんこ)、白いもんぺ姿は、確かに現代では見慣れないファッション。彼女は煎餅店が無くなると居場所がなくなり消えてしまうらしい。
物語は地元で愛された手焼き煎餅の高野屋が舞台。主人・高野華吉が亡くなるが、この店の跡取りであった長男・柾(中村有サン)は5年前に失踪。無責任で覇気の無さを見事に体現。それが葬儀後、突然帰ってきて煎餅作りをするが、父親みたいに美味い煎餅が作れるはずもない。そんな時に おせんを引き取りに来た埼玉県草加市の立花製菓店と神様の居場所を巡っての綱引きが始まる。
何となく、同名の漫画「おせん」を連想する。こちらは料亭という設定で、普段は天然の姉さんだが鋭い感覚で料理をする女将「おせん」こと半田仙が繰り広げるグルメ人情ドラマ漫画。下町の風情にいなせな職人気質の大工や極道の親分など多彩な人物が登場する。本公演も多彩な人々が義理と人情をたっぷり観せてくれる。
なぜ草加(有名ではある)が突然出てきたのか不思議だったが、現在のような煎餅は、草加宿で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、「団子を平らにして焼い」て売り始めたのが起源らしい。勉強になった!
物語では、1567年加賀、1594年京都伏見(映写説明)といった戦国時代に貧き人々と話をする場面があり、煎餅に歴史があることを表す。そして、おせんが戦国時代に会ったのが、立花製菓社長・輝虎であり五郎太(2役:久手堅優生サン)。因縁めいたものを感じた おせん は草加に行く決心をする。高野煎餅店は立花製菓店の協力を得て、再び商売が出来るようになる。地域が違うから商売敵になるか分からないが、手焼き煎餅の技術を継承させる、そこにコロナ禍における業界の団結を見るようだ。以前は店内で食べ飲んでという商売も出来たが、今のご時世と柾の腕前では叶わない。そこに今事情の悲哀を見ることが出来る。
役者は個性豊かな登場人物を生き活きと演じている。突拍子もない人物ではなく、そこに居そうな、地に足をつけた人々ばかり。おせん・高橋さんは瓶コーラの一気飲みを2回もした。途中で咽たりゲップがでないかハラハラしたが、見事に飲み切った。愛くるしい神様を好演。下町らしく煎餅生地を卸す薮島 父の喜十郎(若林正サン)・娘の伊都子(上野恵佳サン)の人情味、柾の妹の赤羽楓(小島奈緒実サン)の格闘(空手?)も迫力があり力演。その夫・一(渡辺恒サン)はギスギスする雰囲気を和らげる緩衝的役割を誠実に演じる。弟で人気俳優の高野桂(小林大斗サン)は実直な青年を好演。立花製菓製造部長・太刀洗舞子(竹中友紀子サン)は仁義を切る、土下座といった男勝りの活躍。出番は少ないが、立花製菓社員の柴田竜童(前野強サン)は楓と戦うが負けてしまう。ボソッと「あんた強いな!」は親しみある声掛け。全体的に繊細な人物描写が素晴らしい。あぁ遠くで電車が走る音が聞こえる。ほんと下町風景だな~。
次回公演も楽しみにしております。