タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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SHOWほど素敵なショーバイはない!

SHOWほど素敵なショーバイはない!

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
演劇愛に溢れた公演。それは(小)演劇界にいる人たちだけに向けているのではない。劇中「市民の市民による市民のための演劇」の台詞は、どこかで聞いた名言のもじりであるが、公演の根底を表しており、演劇に携わる人々はもちろん 観客をも含むもの。

物語は素人集団の芝居で興行を行おうとする者と それを阻もうとする者の駆け引き。集まった人たちの思惑や理由、そして稽古を通して生まれる生き甲斐や連帯感などは、演劇界にいる人たちだけではなく、悶々と暮らす人々への人生讃歌(参加)を謳っているようだ。それがお仕着せではなく、コメディとして面白可笑しく観せるところが上手い。勇気付けられるような好公演だ!
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)5.22追記

ネタバレBOX

舞台美術は場景によって違うが、全体的にシンプルな作りにすることで容易に場面転換させ、アップテンポを保つ工夫が巧い。冒頭は、イベント会社の事務スペースで、衝立にポスターが貼られただけ。
梗概…説明にある通り、弱小イベント会社が、スーパー・ミュージカル・ビッグ・ステージと銘打った企画。そこに集まったのは市民劇団の素人ばかり。メインのスターは交通事故で降板。このままではチケットが売れず会社は倒産してしまう。出来れば興行はやりたくないが、今さら中止は言い出せない。集まった素人たちの芝居への思いは急上昇。トラブルを起こしてでも公演中止したいダークサイドと憧れの舞台への夢を見るドリーマーたちの戦い。the show must go on!もう、どちらもやめるわけにはいかない。スラップスティック・ショウ・コメディの幕は上がったが…。

公演の魅力は、登場人物の愛すべきキャラクターと、演劇にかける情熱が作り上げた劇中劇「ロミオとハムレットと忠臣蔵」という西洋のシェイクスピア劇と日本の時代劇を無理やりくっ付けた芝居であろう。そこに潜ませた「思い」が後々明らかになる。
登場人物の性格や抱えた事情や現状をさり気無く説明するが、きっちりとした人物像は立ち上げない。例えば、当初パワハラの自称演出家は、単に演劇が好きなオタクであり、女性舞台監督と結婚しているが生活能力なし。高齢者の元旅劇団員は、退職後の余暇活動のよう。夫婦で参加しているが、最近 家庭内がしっくりいかない。夫は稽古中も仕事の電話で忙しく、妻は芝居に生き甲斐を見出している。フリーター=雇用問題、高齢者問題、夫婦問題を面白可笑しく設定することで、観客にどこか共感できる部分を見せるため、キャラクターをしっかり作り上げない。幅広い年齢層に向けたメッセージのようだ。

劇中劇は、ダークサイドの妨害や素人集団ゆえの知識・技量不足といった足枷をつけ、それでも公演をやり遂げようとする姿が、原作の「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「忠臣蔵」の核(成し遂げようと尽くす)に繋がる上手さ。前半に稽古の過程を描くことで、上演中の面白さが浮き彫りになってくる。劇中劇のラストは仇討ち本懐を遂げたシーンだが、劇中 ダークサイドによって脚立から落ちてケガをした人を介助して引きあげるのは忠臣蔵場面そのもの。素人集団が苦難を乗り越えて公演をやり遂げようとする、その過程こそが、「ロミオとハムレットと忠臣蔵」に込められた思いであろう。悪事がバレた時の強い台詞「舞台を壊したんじゃない、皆の心を壊したんだ」は、生き様への敬意のよう。

また「イベント会社(人)の妨害」を「コロナ禍の困難」に置き換えれば、まさに今状況を乗り越えては、本公演そのものに重なる。カーテンコールで、作・演出の小倉昌之さんが、来年も上演出来るようにしたいとの挨拶があり「劇団娯楽天国」の心意気を示す。だからこそ「演劇愛」を強く感じたし、観客にその思いが伝わったと思う。
次回公演も楽しみにしております。
歌劇『天守物語』

歌劇『天守物語』

呼華歌劇団KOHANA

新宿村LIVE(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初見の劇団、未見の演目、そして原作の泉鏡花「天守物語」も未読という初々ものの公演。この劇団は女性だけで構成されており、歌劇としてエンターテインメント色が濃く、魅(観)せるといった印象が強い。何となく宝塚歌劇団(大階段はないが、舞台美術が華やかで、雰囲気が似ている)ような。
物語は泉鏡花の執筆中…自分が描きたい恋愛観をどう表現するか、その脳内思考を華麗に彩りながら展開していく。妖(あやかし)と人の恋愛…立ちはだかる悲しい定めを乗り越えて、恋が実るのか悲恋に終わるのか、それは作者(泉鏡花)の思い次第である。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)【Aチーム】 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央が白鷺城天守閣という設定で、階段状になっている。天井(上)部に龍(又は獅子)頭のようなオブジェが吊るされ、異界であることを表す。階段上の左右に朱色欄干と大藤棚があり概ね対称をなす。上手に花道があり陣幕のようなもので仕切られている。紗幕で舞台の前後を仕切り、場景に変化を見せる巧さ。衣装も着物姿、武士紋付き袴姿、変わり衣装として不老不死の御婆(不老なのに婆?)、風神・雷神姿、擬人化した鷹姿などの凝らし工夫が、情景に上手く溶け込んでいた。

泉鏡花が執筆中という劇中劇仕立て。自分はどういう恋愛ものを描きたいのか分からず苦悩している。何度も推敲をくり返し、取り合えず書き進めるが…。
妖の視点で観ると、生(命)と人間との恋愛の両立は出来ないという不条理が存在する。人間の命を喰らい妖力を維持しており、結果として天守閣の結界を維持している。この天守閣の主は世にも美しく残忍な富姫(鳳あづまサン)、その妹分で猪苗代城に居る亀姫(ゲスト出演:花柳亜寿菜サン)を中心に御伽や妖たちが妖艶に登場する。

物語は、白鷺城天守閣には豊臣秀吉が遺した財宝があり、領主はそれを望んでいる。しかし 天守閣に誰も近寄ることが出来ない。ただ何故か鷹匠の図書之助(剣 颯天サン)だけが天守に近づき 富姫に出会ってしまう。そしてお決まりの禁断の恋に落ちてしまう。
他方、結界を結ぶ(守る)ために必要な妖が、人間界へ降りた時に見初めた若武者と恋に落ちてしまう。この二つの出会い、悲しい定めの恋物語によって妖と人間(武士)の戦いが始まる。このシーンを支えるのが、舞台技術である。効果的な伝承わらべ歌「通りゃんせ」が物悲しく聞こえる。照明は色彩鮮やかな、上・下や目つぶし効果など多彩な照射が臨場感を生む。

公演の魅力は、異界と人間界という住処が違う恋愛話をベースに、欲と権力に驕れる人間を描くことによって、人の世の醜さが浮き彫りになる。同時に妖という人間にとって得体のしれない魔物に純な思いを見出すことが出来る。視点の置き方で見方が変わるという典型的な物語である。

何より妖(童女も含む)たちが皆美しく、立ち居振る舞いも流麗だ。そして武士との戦いでは殺陣も見事に演じる。見た目だけでも楽しめるが、描(書)く恋愛話、それが本当に自分が書きたい内容なのか自問自答する作者の思いが随所に挿まれ「力」ある物語になっている。勿論、鳳さん、花柳さんの歌は上手で公演の”華”であろう。中盤の撮影タイム、ラストの舞踊・群舞などのレヴューというかショーを観せるというサービス精神も嬉しい。
次回公演も楽しみにしております。
ベイビ- ドン クライ 

ベイビ- ドン クライ 

東京ハイビーム

「劇」小劇場(東京都)

2022/05/10 (火) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!
表層的には笑わせ続けるノンストップコメディであるが、内容的には奥深い物語だ。
偶然であるが、前日に観劇した公演に出てくる絵本(「タイトル」はネタバレBOX)に通じる。この公演は「サダオシリーズ」の新作5、6の連続上演で、「喪失と再生」の話になっている。そして説明にある「預かったモノがある、それを伝えるために来た・・そして訪れる絶体絶命の危機!」が肝。ただ、さらにこの後の展開の方が気になる。当然シリーズものだから続きを描くと思うが、早く観たい!
(上演時間1時間45分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、中央壁に大きな絵画、テーブルと椅子、上手にソファとクッションを置くだけのシンプルなもの。しかしクッション等の小道具を上手く笑いに取り込む。
冒頭は「サダオシリーズ3、4」のダイジェストを観せ、本編へ上手く引き継ぐ丁寧な展開。サダオ(曽世海司サン)はゲイの恋人ジャイアンが亡くなり、意気消沈している。そんなサダオにジェンダーのブービー(栗田浩太郎サン)、性転換したマスター<ママ>(黒田由祈サン)、ギャップ<新宿界隈の仲間>(栂村年宣サン)、チョロ(川崎千尋サン)が元気づけようとする。そこに何と死んだはずのジャイアンが現れ大騒ぎになるが、実はジャイアン(下出丞一サン)の双子の弟。ここ迄は普通のドタバタコメディといった印象であった。

しかし預かったモノ=赤ん坊(御包み)が登場し、状況は一転する。生前ジャイアンと結婚していた女性が出産と同時に亡くなる。その赤ん坊の育児問題が焦点になってくる。施設に預けるか否か、サダオとブービーはジェンダーカップルで、勿論 育児経験はない。焦り戸惑い等、右往左往する滑稽さが前半の笑いと異なってみえる。何時しか父性本能 いや母性本能らしきものが芽生え、名前(「大地」らしい←台詞から推定)を付け、育児用品を買い集める。ただ情がわく迄の過程が早過ぎる。ここは丁寧に描いて欲しかった。
サダオの弟・コウジ(小林大斗サン)の妻も妊娠しており、同調した行動をし出す。ゲイカップルに育児ができるか否か、といった行政の役人(日替わりゲスト=安達雅哉サン)も登場させ、それなりのリアリティをみせる。

普通の育児…男女という”異性カップル”が一般的であるが、ゲイカップルという男の同性がそれを行う。何が「普通」か といった問題の投げかけと固定観念からの解き放ち。物語は、けっして杓子定規の理屈ではなく、男・女の感性の違いを面白可笑しく描き出す。腹にクッションを詰め込み、歩き難さを実践・実感したり育児書を必死に読み込む姿が愛おしくなる。先に記した絵本「タンタンタンゴはパパふたり」(邦訳名)で、2羽の雄ペンギンが懸命に卵を温めて、という話である。公演はゲイというジェンダーカップルの設定、そこに更に生まれたばかりの赤ん坊の育児という課題を取り込み、多様な家族の在り方を観せる。時代がやっと追いついてきた感じである。

当日パンフには、日本では まだジェンダーカップルに偏見があるが、「人と人が出会いと別れを繰り返し、それでも尚、人と人は繋がっている物語を紡ぎたい」とある。何が”普通”か分かり難いが、それでも普通を求める人がいる。同時に多様な家族形態を認めつつある社会、例えば東京の渋谷区などの「パートナーシップ制度」が成立する。
自分が次の公演を観たいのは、ゲイカップルの子育てを通じて、”普通ではない”親子・家族の在り方をどう描くのか期待するからである。
次回公演を楽しみにしております。
『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

『焔 〜おとなのおんなはどこへゆく〜』

下北澤姉妹社

駅前劇場(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明では「自分が選んだ人生を正当化し合い、マウントを取り合う女性たち」と 煽るような謳い文句であったが、それほど辛辣な印象ではなかった。高校ダンス部で仲が良かった女性3人が、意識もしくは無意識に発した言葉に毒が含まれ(マイクロ アグレッションか)、敏感に反応してしまう可笑しさ 悲しさといった機微を描く。

少しネタバレだが、物語は2018年12月30日夕刻、都心の高級タワーマンションという設定が絶妙だ。勿論、コロナ禍になる前であり、観客はこの3年半ほどの間に起こる出来事は知っている。既知感をもって眺めた物語は、色々な不平不満を漏らす人々と政治・経済といった時事ネタを絶妙にマッチさせ、考えさせる内容になっているようだが…。端的に言えば「人間ドラマ」と「社会ドラマ」を融合させたとも思えるが、実際は慣れ親しんだ人たちの戯言のよう。親しいが故に我が身と比べてしまう”幸福度”、それを身近な問題と絡ませることによって、今(2022年5月)から過去を俯瞰し、自ずと社会的な関心事へ目を向けさせる巧みさ。

都会(コンクリート)ジャングルと言われて久しい、いや死語かもしれない。物語が地方であったなら、地域社会(=世間)という、もっと厳しい現実に向き合うことになるかも…。敢えて 設定は都心にしていることから、もう少し身近な生活と関連時事(エビデンス的)に絞り込むと、もっと観客の関心が向くだろう。繰り返しになるが、過去の観点で観せたところに この公演の魅力がある。
(上演時間1時間35分) 

ネタバレBOX

上演前、プロジェクターで舞台壁に2018年から2022年までの社会的な出来事を時系列に映す。それによって舞台の日・場所が、2018年12月30日、東京都江東区・辰巳にある高級タワーマンションパーティールームということが分かる。上演前の情報だけだと不親切かも知れない。舞台美術は、上手に横長ソファ、中央に硝子の丸テーブルや椅子、下手は窓にカーテン、段差ある腰掛スペース。全体的に高級感溢れる仕様イメージだ。

東大卒の精神科医・庄田楓(松岡洋子サン)、高校時代に仲が良かった専業主婦(早大卒)の今井麻子(明樹由佳サン)、2人の後輩で美容師の涼風萌香(みょんふぁサン)の3人が繰り広げる会話(毒舌有り)劇。冒頭、マンションのコンシェルジュ・花岡すみれ(関口秀美サン)が軽いステップで飲み物を運びパーティーが始まる。3人の現況が次々に明らかになる。楓は形成外科医の市川良太(成田浬サン)と事実婚で、このマンションに住んでいる。子供はいない。麻子の夫は、週刊文文の記者・慎一(辻輝猛サン)で高校3年の一人娘・小百合(裕海サン)と、最近このマンションに引っ越して来たばかり。萌香は離婚を繰り返し、今は吉野慧人(関口敦史サン)と都営住宅で同居。子供は男4人。それに市川のクリニックの顧問弁護士・千葉辰徳(高畑裕太サン)が加わる。それぞれの事情が明らかになる中で、子供がいる いない、経済的な格差、職業的な偏見、学歴的な優越・劣等感、そして本音と建前で塗られた隠ぺい事が炙り出される。勿論、外見的なこと=美人か否かも。

慎一は、有名人のスキャンダルを書いているが、本当は政治的なスクープを狙っている。「政治」とは、といった大上段に振りかぶり「国民から集めた税金の使い途を決めること。しかし国民は一番重要なことに関心を示さない」と憤る。会話の中で、小百合の大学進学に絡めて、日本の奨学金制度は給付型で返還義務がある。一方、コロナ禍でキャリア官僚による、支援給付金や持続化給付金の詐欺事件があったのは周知のこと。せっかく国民と政治の接点ある事を生かせていない。身近な話題を出しながら、一般論的な取っ付き難い話へ誘い込んでしまい勿体ない。

また、慧人はウーバーイーツと保育士の仕事を掛け持ち。ウーバーイーツはコロナ禍になって見直された仕事、一方 保育士は責任ある仕事(興味深い絵本の紹介もあり)だが、低賃金といった問題を提示.。コロナ禍による状況変化と潜在していた問題の顕在化を示す。
女性の子沢山=仕事(キャリア)の制限・制約や経済的な貧困へ追いやられる不満。また将来的なこと、先々にも関わらず娘の伴侶は、性格だけでなく経済力がある人、といった本音がチラホラ。が、もっと女性同士の、それも高校時代から仲の良かった同年代のリアルな会話を聞いてみたかった。子供を産まない、といった選択肢は都会らしい印象。もっと言えば地方で子供がいない場合は、世間体を心配するが…(偏見かも)。

面白く思ったのは、今の既知感ある観客に、2018年当時 身近な生活に潜んでいた問題意識を見せること。だからあの時にこうして「いたら」「いれば」といった問題提起、それは2022年以降 我々の問題意識の醸成へ繋がると思いたいが…。
次回公演も楽しみにしております。
花柄八景

花柄八景

Mrs.fictions

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/05/11 (水) ~ 2022/05/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い…お薦め。
舞台美術と物語がうまく馴染んで、一瞬のうちに独特な世界観に誘われる。落語の噺は、生身の落語家とAIが喋った時、どちらが面白いかといった現代的(設定は20xx年)感覚を取り入れて面白可笑しく展開していく。登場人物は5人、そのデフォルメしたキャラ設定は、落語という何となく古典・和風といった固定観念を打ち破って妙な存在感を放って立ち上がる。公演自体が、落語のマクラ+本題+オチの構成のようで、分かり易く親しみが持てる。
(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

落語家・花柄花壇(岡野康弘サン)宅の座敷。上手 床の間に掛け軸や壺、中央に座卓と座布団、下手に畳んだ布団、廊下奥に暖簾(揚幕?)が掛けられている。舞台と客席の間は庭、沓脱石が置かれている。冒頭は、整然とした佇まいであるが、物語の展開によって掛け軸が落ち、破けた暖簾といった荒れた状況を見せる。人の情況と事の状況を重ねるような舞台美術が世界観をよく表わしている。

落語家・花柄花壇が落語噺、地獄八景亡者戯の稽古、その枕(マクラ)としてあの世とこの世の違いを説明する。あの世(多くは地獄)は無臭だが、この世は何とも言えぬ甘い香り。ちなみに極楽は…。そこへ弟子(前座)のプラン太(ぐんぴぃ サン)がAI(可愛いバーチャル・キャラクター)との噺対決の知らせ。AIは芸事でも人間を凌駕し、花柄一門は解散する憂き目。自宅も幽霊屋敷と噂され、鉢(今村圭祐サン)と苗(永田祐衣サン)が興味津々覘きに来る。弟子が去った屋敷に、鉢、苗、そして橋の下で暮らしていた燐(前田悠雅サン)の3人が同居するようになり、再び活気を取り戻す。逃げ出したプラン太は、呉服訪問販売員として師匠宅を訪れるうちに、再び落語に魅了され出す。師匠である花壇が訪問販売の口上を言わせるが、聞き終わって「マニュアル通りだな」と苦言。話芸(術)の難しさをそれとなく諭す。

物語は、典型的な落語家師匠、その元弟子・プラン太と、パンク・ロック風の鉢と苗、さらに飄々として掴みどころのない燐、それぞれが放つ雰囲気、その外見ー衣装や化粧等が異質であるが、妙に馴染んで活き生きと輝き出す。AIに負けて自暴自棄のような生活は、今のコロナ禍の閉塞状況が重なるが、それでも歩みを進めることが大切、と噺ているよう。時として伝統や仕来りといった拘りを見直すことも必要、そんな思いを登場人物を介して表現する。

公演は、照明の諧調が雰囲気を上手く醸し出し、人物の心情を効果的に表す。美術にある植物蔦等の印影が人間味を滲まし、それとなくAIといった人工に対置させる巧さ。
ラスト… 多くの花に囲まれた舞台(冒頭の匂いに繋がる)、台詞はプラン太が燐に教えた「おあおとがよろしいようで(=後続・後継者の準備)」の意味が、上手い洒落となっている。
次回公演も楽しみにしております。
静寂に火を灯す

静寂に火を灯す

演劇プロデュース『螺旋階段』

スタジオ「HIKARI」(神奈川県)

2022/05/05 (木) ~ 2022/05/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「(有)みちのく製菓店」のありふれた日常、ただ長男が自宅に引き籠っていること以外は、何の変哲もない。粗筋にある、長男が自殺して、残された家族や身近な人々が思いを積み上げることで、”一人の男の人生がわかってくる”とあるが…。

自分が観た回には、相当 感受性が豊かな方(自席の真後ろ)がおられ、途中までは笑っていたのに、あるシーン以降は感極まって嗚咽から号泣、そして途中退席された。子に先立たれた親は辛い。その方の事情は分からないが、機微に触れる事があったのだろう。

物語は、確かに泣き笑いという感情を揺さぶるが、肝心の男の人生がシッカリ浮かび上がらないのが もどかしい。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、見事な「(有)みちのく製菓店」事務所内。上手が事務所出入り口、絨毯に応接セット、下手は事務机が並ぶ。窓から陽が射し・月明り。正面壁には月間予定表や「海猫サブレ」の張り紙。神棚、キャビネ、コピー機など、本当にここで商売をしているかのようだ。ちなみに、「みちのく製菓店」や登場家族の名字が「東北」であるが、予定表に小田原市役所との打ち合わせとあることから、店は神奈川県内にあるらしい。衣装(事務服)には「みちのく製菓」と裁縫を施し、小道具にはガラケーを利用する拘り。また照明は、動静や陰(影)陽を表す階調は見事!全体的に観せようとする工夫が良い。
舞台は 2000年代初頭で、店頭販売から通信販売とネット販売に業務形態を切り替えたとある。約20年後、現在のコロナ禍を重ねる設定のよう。

物語は、深夜 自殺した東北智明(脚本・演出:緑慎一郎サン)と妹(次女)・千夏(西田好美サン)の謎めいた会話から始まる。智明はほとんど登場しない。逆に家族や従業員、出入り業者の証言らしきもので智明の人物像を立ち上げる、といった展開である。物語は、自殺そして四十九日の法要を境に、コミカルからシリアスへ劇風も一変する。

引き籠りになった原因は、妹(長女)・彩夏(木村衣織サン)を暴漢から助ける際、相手にケガを負わせ刑事事件になったため。小・中学校時代の友人が彩夏の夫・篠崎純也(根本健サン)になったり、従業員・稲田和人(中根道治サン)として働いており、彼らによれば学生時代は”普通”の少年だったらしい。エピソードらしいことは、純也が車を買って3人でドライブした時、事故を起こした際の穏やかな対応くらい。自殺するまで追い詰められた心情が浮かび上がらない。智明本人にしか分からない事かも知れないが、芝居としては、家族や身近な人々との関わり・・・回想シーンを挿入するなどして「35歳の人生」をもう少し描き込んで印象付けてほしかった。

製菓店での日常、両親のうち母・道子(田代真佐美サン)が社長、父・将人(露木幹也サン)は家事といった裏方、従業員・犬飼香織(岡本みゆきサン)の滋味ある見方、出入り業者・東風 晋(水野琢磨サン)の とぼけた雰囲気-コメディ・リリーフの役回りが店の活気ある雰囲気を出している。”海猫”という名の人物が事件を起こし、その煽りで「海猫サブレ」の売り上げに影響が出たという波風を立てるが、ある工夫をして乗り切る。家庭内や事務所内の見える「日常の生活」と見えない問題「引き籠り」の融合した舞台化を試みているようだが、うまく噛み合っていないのが残念。

家族にしても、智明に夫々が抱いている思いは違う。そして智明を知らない若い従業員・彩音祐治(高杉駿サン)はどうか。母や父の思い、胸の内がなかなか見えない。彩夏と千夏の智明に対する思いが、見どころであろうか。千夏は、彩夏の事件が引き籠りの原因であり、結婚し家から離れた処から傍観者的に見ていることに腹を立てている。また千夏は細々とした暮らし向きの面倒をみており、自分が一番心配しているという自負がある。逆に、彩夏はそれが態とらしいと思っている。心の内にある「思い」の強さは比較できないが、それを敢えて表現しようとしている。それが、ラスト 姉の妊娠に対する祝福と憤りという相反する感情が顕になり、無言で叩いた机の音が…。
次回公演を楽しみにしております。
グレーな十人の娘

グレーな十人の娘

劇団競泳水着

新宿シアタートップス(東京都)

2022/04/21 (木) ~ 2022/04/29 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

表層的にはサスペンス ミステリーだが、根底にあるのは家族愛・絆といった(心温まる)物語。確かに「二つの家族の秘密のぶつかり合い、十人の娘の思惑が交錯する、世にも可笑しなミステリー」という説明、そして多重構成といった観せ方が推理劇を思わせる。しかし、冒頭がラストに繋がるような展開は、明らかに「家族」の物語である。また敢えて「可笑しな」と、ことわりを入れている。

タイトル「グレーな十人の娘」は、「黒い十人の女」(市川崑監督)を連想するが、その作品へのオマージュと思える(狂言回し的)役どころが肝。また「黒い十人の女」の人物名は、漢数字もしくは数字の読みが付けられているが、本作では、花の名前を付けている。
推理劇仕立てゆえ伏線は回収していくが、少し解かり難いところも散見されたのが勿体なかった。
公演中のため、詳細は「ネタバレBOX」へ。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台セットは、鈴木家の応接間(絨毯に豪華なソファや椅子、調度品等が置かれている)上手・下手に出捌口、上手側正面が玄関に通じている。

冒頭は、鈴木家四女・類(小川夏鈴 サン)が案内役となり、家族を紹介していく。この時、全員が黒い服(無言の状況説明)で登場しているが、すぐに色彩ある私服に着替えている。鈴木家にいる娘は5人、実母は早くに病死、父は海で亡くなり(噓)、母の妹である叔母・景子(ザンヨウコ サン)が引き取って育てている。長女・美由紀(都倉有加サン)は未婚の母となり、娘・えみり(成瀬志帆サン)を生む。そして起業家として独立。次女・にい奈(小角まや サン)は盗み癖があり、警察に出頭と思わせ出奔してしまう。三女・有紗(佐藤睦サン)は芸能界へ、そのマネージャーとして類が同行し、家を出てしまう。残ったのは五女・乃蒼(橘花梨サン)だけ。人物描写が丁寧だった理由が後々解る、という巧みな展開。

探偵役と動機について、もともと皆を集めるための方便…偽装だから敢えて探偵役は不要。その代わりに説明役が居るが、観ればおのずと分かる。
また目的(動機)は、2つであろう。第1は、母・景子の思い。子育ては大変であるが、一方楽しい時もある。が、今は独立してなかなか帰って来ず、淋しい思いをしている。第2は、この家に正面切って帰れない「女」の最期の願い…“賑やかに”を叶えるため。

母(叔母)が結婚するため、両家の娘たちが集まり乾杯をするが、いつの間にか寝てしまい、起きた時には「一つの死体」があった。結婚相手はマッチング アプリで見つけた田中家…カエデ(加茂井彩音 サン)、モモ(江益凛 サン)、ワカバ(鄭玲美サン)が先に来ており、遅れて椿(橋爪未萠里 サン)がやって来た。一瞬、彼女の職業(噓でないと疑問)からアガサ・クリスティの「ねずみとり」を連想したが…。
因みに「仕込み」における他家の葬儀(泣いた)話は、鈴木家に対する逆説的な比喩として描いているよう。さり気ないが本公演の核心を突くようで、実に上手い。また、葬儀は「黒い十人の女」では亡くなった女が幽霊になって登場し、狂言回し的な存在になるが、本公演では四女・類の案内役以外に、裏狂言回し的な役割を担う人物「女」が…。

ラスト、小川夏鈴 サンの不思議・奇妙な「一夜」という台詞は、全編が1日の物語であったのだろうか? だとすれば、1日の中で、表層は「サスペンス ミステリー(仕込みも含め)」、深層は更に「現実」と「回想」といった多重もしくは螺旋構成になり複雑化し過ぎのように思う。また、冒頭・ラストの「ピノキオ」の物語は、何かの比喩-暗喩であろうか気になる。
ミステリーという謳い文句に従い、細部に拘った謎解きに終始していると、物語で描きたかった「家族」が観えてこない。なかなか手強い公演といった印象である。
次回公演も楽しみにしております。
ムーランルージュ

ムーランルージュ

ことのはbox

萬劇場(東京都)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い! お薦め。
戦後の「ムーランルージュ新宿座」での軽演劇やレヴューの上演という表舞台 とその劇場で生計を立てていた人々を描いた裏舞台、その二面性をもって戦後の世相を切り取った群像劇。ムーランルージュはフランス語で「赤い風車」を意味し、新宿座にも 実際 屋根に赤い風車があったらしい。ムーランルージュ新宿座のキャッチフレーズ「空気・めし・ムーラン!」には、人間にとってなくてはならないものという劇団の自負が込められていたとも…。

物語は、戦後間もない頃の「ムーランルージュ新宿座」が舞台、戦禍で焼け野原と化した時代を背景に、生きること、作劇と検閲、恋愛といった話を織り込み飽きさせない。ただ、戦後の空気感のようなものが漂ってこないのが少し残念。

物語は、新宿が焼け野原の時代を背景にしているが、チラシは今の新宿・・・高層ビル群が建ち並び、隔世の感といった風景(情)を表す。街の復興・変化はあったが、人の心にある差別・偏見といった意識はそう簡単に変えることは出来ないような…。
表層的には華やかであるが、色々考えさせる事柄を点描しながら人間讃歌を謳った骨太作品。

公演には、戦後の事情を反映した台詞も多く、そのために「『ムーランルージュ』用語集」を配付する心遣い。一読しておくと更に物語を楽しめる。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

舞台美術は、レヴューの表場面と劇場での生活という裏場面を表すため、中央は大きなスペース、上手奥に二階部へ通じる階段、下に応接セット。同じく上手客席側に道具仕立用荷台、下手は作家の机1つ。表と裏舞台は、上部から垂れ幕を下ろし舞台空間を前・後で仕切るという簡単な仕掛け、観せ方で物語の流れを止めない工夫が巧い。勿論、当時のレヴュー衣装は用意出来ないが、(アンサンブルも含め)華やかな雰囲気を現し、一方 舞台裏の生活面は質素なもの。

終戦間もない頃、赤い風車が目印の「ムーランルージュ新宿座」の幕が開け、篠原美雪(橋本愛奈サン)の歌(上手い)から始まる。彼女の夫・下向哲平(松浦慎太郎サン)は戦死したと思われていたが生きて、そしてGHQ米兵に襲われていた国枝静(石森咲妃サン)を助け新宿座へ帰ってきた。戦後、人々は「飢え」ていた。 遥冬子(中右遥日サン)が「一杯のお粥も食べらない子供たちが『生きたい』と言いながら毎晩死んでいくのに、死にたい奴に飯食わせたら道理が通らん」。子供たちとは「戦争孤児」を指すだろう。 飢えているのは踊り子たちも同様で 、馬場ナナ子(上不あやサン)は踊りの練習中に倒れる。「ちょっと目眩が」と答えるが、柿野園子(蒼井染サン)が「ろくなもの食べてないからよ」と。
さて、公演に戦後の間もない頃の雰囲気、匂いを求めるのは酷なのだろうか。唯一感じられたのが、押田真喜子(篠田美沙子サン)が亡くなった子、その面影を追い続けている悲しい姿、そこに戦争の悲惨さが色濃く漂うが…。

当時の日本人が「占領」をどのように受け止めていたか。 本作には、太宰治の戯曲「冬の花火」に関するエピソードがある。 新派が上演を申し入れたが、検閲で「CIE(民間情報教育局)が上演を不許可」にしたこと。戦時中の日本(軍部)における検閲の厳しさ、一方 CIEは民主主義・自由解放を掲げながら軍国色ある戯曲そのものは勿論、台詞の隅々まで検閲することを皮肉る。
河西浩治(井上一馬サン)は、裏切り行為と思いつつも家族を守るため、日系人のジェシ―・村中(如月せいいちろーサン)に誘われて、CIEで、日本人が書いた手紙を翻訳する仕事を始める。が、やがてCIEを辞めたい言い出す。多くの封書を開けて読んだが、GHQが懸念した諸々批判するような手紙はない。占領軍の懸念・・・他国を占領したら、必ずレジスタンスが組織され、反米闘争を呼びかける手紙があると。しかし、そんな手紙は皆無で、あるのは生活が苦しい愚痴や泣き言ばかり、という誇りではなく現実だけ。むしろ日本(人)が恥ずかしい。

一方、日系人ジェシー村中の自虐的な台詞……私たちは日本人に人種差別はいけないと言い続けているが、GHQでもトイレはカラードと白人は別。登場人物に台湾人がおり、日本人との間で差別扱いされていたが、それでも戦時中 軍夫になれたことは良かったという。一筋縄ではいかないのが人の差別意識の払拭だろうか。

興味深いのは、敗戦後の日本人が、あの戦争をどう捉えていたか。 大道具担当・佃光(佐野眞一サン)は年長者で、時々辛辣な台詞を言う。今では人々が「軍部は日の丸掲げて、民衆を侵略戦争に送り出した」という決まり文句に、佃は言う「みんなで戦争をやったんだ。シンガポールが陥落した時うれしかった。一緒に日の丸振ってた人たち、あの人たちみんな心の底では戦が嫌だと思ってたのか」。佃は戦争中の庶民を代表するような役回りで、占領下における日本人の困惑した心情を吐露しているよう。

下向は「日本は進駐軍の力で旧体制から解放されて自由を手に入れた」という言葉に反応して「外国の軍隊に占領されて自由になった?そんな話、聞いたことがない」と切り返す。また 「アジアの国々を真面目に侵略した」と言われ、「南の島で死んだ兵隊たちはまったくの犬死にだって言うのか。戦友たちがみんな死んで、生き残ったのが後ろめたい」と。大道具・佃や帰還兵・下向のような声は、今では直接聞くことは少なくなった。いや出来なくなったと言っても過言ではないだろう。だからこそ、小説や、戯曲として遺されたものの中に生きている、当時の人々の様々な思いを、汲み取っていくことが大切だ。

公演の魅力は、表面的には華やかだが、その裏では生活に飢え渇き、心は疲れている。戦禍とコロナ禍を同一視することは出来ないが、それでも根底にあるのは、人は懸命に生きている。「どんなに辛いことがあっても舞台に出ればニッコリ笑って歌うの。」は、今の演劇界の意気込みに通じるもの。その意味で見事な作品選定だと思う。

次回公演も楽しみにしております。
七慟伽藍 其の二十八

七慟伽藍 其の二十八

THE REDFACE

横浜関内ホール(神奈川県)

2022/04/20 (水) ~ 2022/04/21 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

脚本は面白く、演出は情景・心象表現に優れ、役者は迫真の朗読演技。圧巻…お薦め。

活読劇というのを初めて観て聴いたが、素晴らしかった。この「七慟伽藍」は2009年4月初演で、本公演で其ノ二十八を数えるというのも肯ける。壮大な戦国時代絵巻を七人の武将とストーリーテラーの八百比丘尼の八人で紡ぐ。役者は台本を持ち、立ち座りといった最小限の動作、豊かな感情表現で観(魅)せるが、さらに照明や音響が臨場感を高め、観客の感性を揺さぶる。

物語は、戦国時代の通史というか歴史小説等で知られた内容をベースに、「本能寺の変」の謎を興味深く描いており、歴史好きには堪らない公演だろう。初演当時は「戦国に詳しくないから一度では分からない」と言われたそうだが、今ではすんなり伝わるようになったという。自分は、一度では分からないではなく、もう一度、いや何度でも聴き観たくなるほど、その世界観に痺れた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは木製の変形二段平行台、一段目に4人(上手側から順に 徳川家康、豊臣秀吉、明智光秀、浅井長政)、二段目に(上手側から武田信玄、織田信長、朝倉義景)が黒着物姿で座る。なお配置にも意図がある。上(二)段中央にいて睥睨する信長、下(一)段は、配下の武将または同盟武将・義弟である。夫々の席にはマイクが設えており、台詞が聴き難くなることはない。冒頭は、(初めは正体不明)八百比丘尼が黄泉の国へ七武将(彷徨える魂)を誘うような…。語られるのは、七武将が覇権・天下統一を目指していた頃の回想、生きている時には知り得なかったことが次々明らかになる。乱世ならではの非情や無念といった慟哭(心情)を表現。ここまでが通史的によく知られた物語。

魅力は、天下統一目前で「本能寺の変」で死んだと思われた織田信長が生きていた、そして明智光秀もまた、という奇想天外な展開へ…。そして日光東照宮等の建造物に今も残る謎を示す数々の痕跡、さらに子供遊びに歌われる「かごめかごめ」に秘められた歌詞の謎。飽きさせない、いや逆に興味を惹かせるような知的好奇心への擽り。また七武将に関係する千利休や石川五右衛門といった人物との逸話も挿み、物語に広がりを持たせる工夫が実に巧い。

そして何と言っても演じている役者の熱演が凄い!七武将…織田信長(榊原利彦サン)の睥睨し他者を圧倒する迫力、明智光秀(川本淳市サン)の苦悩・苦悶する繊細な表情、豊臣秀吉(串間太持サン)の”猿”と言われた小狡いさ、剽軽さ、浅井長政(高橋孝輔サン)の愚直で厚情ある思い、武田信玄(山口仁サン)の渋みある低音が貫録を表現、朝倉義景(川原英之サン)の上品で端正だが、線の細さは義景イメージ、徳川家康(石垣佑麿サン)の捉えようのない姿の中に芯の強さを感じさせる。そして唯一の女優(艶やかな着物姿)で八百比丘尼(後藤萌咲サン)のストーリーテラー、その他 森蘭丸・千利休・石川五右衛門といった人物の逸話を情感溢れる演技で武将達を支える。

役者の熱演を、多彩な照明や音響効果で支える。冥界といった空間、伽藍といった場所は言葉(台詞)で表現し難いが、例えば渦巻状の照射で曖昧さを表現、合戦場面等は真っ赤にするなど状況演出が巧い。
物語の謎…「『本能寺の変』驚愕の真実」は、ぜひ劇場で堪能してほしい。
次回公演も楽しみにしております。
安心して狂いなさい

安心して狂いなさい

中野坂上デーモンズ

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2022/04/17 (日) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

価格10円

佐藤佐吉演劇祭2022 参加作品。㊗️十周年。
1度は観たいと思っていた団体「中野坂上デーモンズ」…旗揚げ十周年記念公演其のに、で初観劇。料金は初日限定サービスで「10円」だった。

ハイテンポ、ハイテンションで攻めまくる公演。多くの登場者による同時多発言、多い情報量が脈略なく流れ、思考が追い付かない。まぁ代表・松森モヘー氏の整理されていない頭の中を覗くような、「メタバース(仮想空間)」の話である。偶然だが、観劇翌(18)日に「メタバース推進協議会」発足の設立記者会見が開催されたほど、現代的な着眼点だ。
あぁ自分にもう少し柔軟な思考、豊かな感性があれば、もっとカオスの世界を楽しめたかも…。

ポップでクール、ベタでシュール、馬鹿で知的、エンタメでアートといった、様々な相反する要素が溶け合った“感覚的”公演。ドタバタコメディのように思えるが、展開していくうちに奇妙でシュールな世界観に包まれているような錯覚に陥る。一見キワモノのような公演だが、内容は手強いかも知れない。
(上演時間1時間40分) 

ネタバレBOX

全体が黒色で統一され、中央演台上の綺麗な生け花がやけに目立つ。上手奥はカウンター、その他L字のソファーや筒状オブジェ、奥の壁には梯子が立掛けてある。至る所に出入口があるが、その場所の意味するところは解らない。

冒頭、松森モヘー氏が、物語の世界観は「メタバース」で、仮想空間での出来事を描いていると説明。この仮想空間へアクセスしたが、何らかのトラブルでログアウト出来なくなった。登場人物?は20名、当日パンフに苗字も書かれているが誰が誰やら分からず、人物を追うこと、読み解くことを止めた。物語に没入せず、表層を俯瞰することで見えてくる世界観…たぶんログアウト出来ないプレイヤーや仮想空間のアイテム、デテールが混在し騒いでいる、そんなカオスの世界だろう。

舞台美術は黒色に統一されているが、その空間を自由自在に 躍動感溢れるように動き回るキャストの衣装は、ミニチャイナ、ジャージ、スーツなど様々でカラフルな色彩。奇妙な化粧や変顔も印象的で笑える。
出捌口は、茶室の にじり口のように低く狭い所や梯子を上り下りして壁向こうへ行き来きする。何故か脈略の解らない、そして捻じれ歪なイメージを抱かせる奇異な光景に引き付けられる。

終盤、この舞台空間は、メタバースによって精神疲労 障碍をきたした者のリハビリ施設、といった台詞があり納得したつもりが、さらに物語が進展していく。で結末は?
やはり一筋縄ではいかない手強さがある。松森氏によれば、「自分が10年演劇がやめられなかったのは『安心と狂気』この食い合わせが人を病みつきにさせるからかもしれない」と。自分もその病みつき世界に引きずり込まれたような…。
次回公演も楽しみにしております。
リディキュラブ

リディキュラブ

南京豆NAMENAME

王子小劇場(東京都)

2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

佐藤佐吉演劇祭2022 参加作品。 お薦め。
未見の劇団「南京豆NAMENAME」…「ラフでポップだが血の通った演劇」「やりたいことはなんでもやる」という創作理念を掲げているらしいが、手堅く上手くまとめた印象。

身近にありそうな「恋愛」、それも痛くて、儚くて、もどかしい、そんな不器用な愛にもがく内容である。本筋の変化を求める男、変化したくない女、考え方生き方に少しズレのあるカップル。脇筋の繊細で優しくいたわり合うアニメ・ファンタジー風カップル。そんな二組の恋愛は、普遍的であり現代をも反映しているような。
どういう具合に生きていっていいのか、そんな迷い模索する様をコミカルに描いており、観て優しい心持ちになれる青春ドラマ。
(上演時間1時間40分) 

ネタバレBOX

舞台は出入口側に設えているため、途中での入退場は不可。四畳に段差を設け二畳ずつ縦・横に向きを変えて置く。天井には傘電球。舞台と客席の間に、ごみ袋・雑誌・DVD・空き缶等が散らばっている。部屋の様子 暮らしぶり、住人の性格を表している。

本筋の チヒロ(今井未定サン)とミヤタ(藤本康平サン)は付き合っているが、これからどうするのか未来像が描けていない。チヒロはバンド活動をするため上京してきたが、未だに売れず、一方 ミヤタは仕事が長続きせず、何とかなるさといったお気楽な性格。チヒロは生き甲斐であったバンド活動を止めようと…。姉・あや(北本あやサン)からは、医師を紹介され結婚して落ち着くように言われる。
脇筋の ちーちゃん(赤猫座ちこサン)と みっきゅん(板場充樹サン)は、幼くマンガキャラのようなカップル。しかし、ちーちゃん は余命宣告され儚さが漂い、みっきゅんは、少しキケンな香りと素振り。
この二組のカップル、事情は異なるが すれ違う優しさと わだかまる不安を抱え、それぞれの「愛」のかたちを求めて生きる様を軽妙に描く。何度失敗したとしても 人生を改めて生き直し、愛を育んでいく姿が等身大に描かれる。

どこにでも居そうな人物、日常に潜む心の機微を丁寧に描く。都会の喧騒の中で、傷つくことを恐れ、いつかは何者かになれると信じているミヤタ、一方 チヒロは母の死を切っ掛けに地元に帰ろうとする。何となく満たされて、どこか物足りない毎日を過ごしていた2人が微妙にすれ違ってきて…。突拍子もない話ではなく、身近に寄り添うような物語というところが魅力。不安を抱えながら出口のない青春のもがき苦しむ様子をコミカルに描く。それは単に「時代」というだけではなく、いつの時代も同じではないか。特に今、コロナ禍で平穏な日常は奪われ、制約の多い日常の中で何を思うのか?閉塞する混迷の時代だからこそ、楽しみながら観たい作品だ。

主宰・河村慎也氏が、当日パンフに「愛」について「いっちばん普遍的で漠然とした超厄介な宿敵を相手取り」と記しているが、青春期の痛くて、儚くて、もどかしい日常・愛情を上手く表現出来ていた、と思う。上階部を利用した結末は、敢えてある動物を登場させ、ちーちゃん と みっきゅん の先々を暗示させるようで物悲しいが…。
次回公演も楽しみにしております。
夜ふかしする人々

夜ふかしする人々

戯曲本舗

小劇場メルシアーク神楽坂(東京都)

2022/04/15 (金) ~ 2022/04/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

3つの劇団が「夜ふかしをする人々」を共通モチーフに描いた短編、それぞれに趣があって楽しめた。オムニバス公演で、「夜」以外に「人々」という、人間(親子)関係を紡いでおり、何となく似たイメージを連想する。

タイトルは、「浮遊している、俺ら」(水中散歩)、「アンフォルム」(戯曲本舗)、「機種変更」(劇団二畳)で、ストーリーはチラシに記載あり。各作品には、それぞれ「思い出」「妄想」「夢」といった浮遊・虚空感が漂う。

「夜」は、仕事帰りにフッと空を見上げると煌々と輝く月があり、昼とは違った心持になる。夜には夜の魅力があるのと同様、劇団それぞれの特徴が表れた共演にして競演らしい試み。今後も続けてほしい公演である。
(上演時間100分 各30分×3 途中休憩10分)

ネタバレBOX

基本は素舞台。持ち込まれるのは椅子ぐらい。ただ「アンフォルム」は、椅子の変わりに寝袋や積み木が持ち込まれる。3団体とも登場人物は3人で、濃密な会話劇を展開していく。各劇団らしい作劇で、共通の「夜」の捉え方、描き方が異なり、そこが本公演の魅力であり見どころ であろう。当日パンフに、プロデュースした戯曲本舗のサカイリユリカさんが、「アンフォルム」について、3作品の中でも異彩を放つ、そして非日常に身をゆだねて と記している。たしかに他の2作品は、身近にありそうな物語である。

本公演の全体を通したイメージは、何となく「雨月物語」を連想。構成(「雨月」は9篇)は勿論、合同での出版(共演)や挿絵(公演チラシは3団体の作品イメージ)という外観、そして「アンフォルム」という捉えどころのないタイトルが「夜」=「何も無い」に通じる。しかし、実は夜には夜の世界…生き方や必要性を描き出している。

●「浮遊している、俺ら」
子供の頃は夜が怖かった。夜が来なければいいのにと思っていたが、ある日 友人からの「夜を味方にする」というアドバイスに救われる。そして探偵業へ。夜の公園で団地を見つめる男3人の取り留めのない会話が、日常と非日常、実像と虚像、それぞれを行ったり来たりするようなファンタジー作品。

●「アンフォルム」
吹きっさらしの荒野に、夜の帳が落ちていく。3人の男女は何かを待ち続けているようだが、それぞれ自分の世界観に入り込んだままで、会話はチグハグ。そのうち、女が抱えている寝袋の中が気になりだして…。来ない友人、影=自分に畏怖する、怪奇的な劇風は「雨月物語」を連想。が、一番動きが激しく、夜を満喫しているような…。

●「機種変更」
葬儀場。喪服姿で故人の娘がぼんやり。色々あった親子による寝ずの晩の会話劇。「携帯」の「機種変更」に準えた、早く見直せば良かったと。しかし線路に例え、交わらず平行する会話は それはそれで良し。内(過干渉)に行けば衝突、外(無関心)に行けば離れてしまう。作品中では一番オーソドックスな描き方。故人の俯瞰した姿が印象的。

3作品の登場人物は3人と少人数、しかも舞台装置もないから、確かな演技力が求められる。「夜ふかし」という状況をどう表現するか、物語を「紡ぐ」というよりは、「空間劇」の面白さといった公演。
コロナ禍で公演がなかなか出来ない状況、それでも何とか工夫したのが本公演だ。最小スペース、少ない舞台セット、少人数という制限・困難を乗り越えての上演に感謝。
次回公演も楽しみにしております。
グレートフルグレープフルーツ

グレートフルグレープフルーツ

LICHT-ER

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観応え十分、お薦め。
人の心、その闇に宿る寂しさ虚しさといった思いを抒情豊かに描いた物語。深みある脚本、観客の気を逸らせない演出、そして物語を観(魅)せる舞台技術は素晴らしい。
登場人物は6人だけだが、しっかりキャラクターを立ち上げ、物語の世界へグイグイと引き込んでいく。表層的な観せ方は、少し滑稽で面白いが、そこに紡がれる人の絆や縁といった関わりが物悲しく描かれる。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、正面壁に殴り書きされた多くの貼紙。しかし後々その貼り方に工夫が施されており、照明(プロジェクションマッピング風)によって情景が立体的に浮かび上がる。中央に少し大きな台が横向きに置かれ、所々に貼紙が見える。後景と一体感を持たせた舞台美術はシンプルであるが趣がある。

この合同会社LICHT―ER企画は未見であった。まず脚本の末原拓馬氏、演出の塩崎こうせい氏、そしてプロデューサー兼照明担当の阿部将之氏という、スタッフの名前を見て観劇を決めた。そして観て良かったと実感!作品は作り手を離れ普遍性(後世)あるものへ、と信じている。

主人公ヒカリ(福圓美里サン)は、今35歳の「週刊真実」の記者。冒頭はヒカリの出生時のエピソード、8歳の時に父が家出して戻ってこないといった生い立ちの紹介。この編集部は、福岡県で発生した連続バラバラ殺人事件を記事にすることにした。ヒカリは、大手新聞社(エリート)からこの雑誌社に入った通称:クヅ丸(土田卓サン)と一緒に取材をすることになる。次々に発見されるバラバラ遺体は浮浪者ばかり。そして喰いちぎられたような痕があり、地元の人々は妖怪「ししこり」の仕業だと噂する。2人は その巣窟へ…。

陽の当たる途を歩む者もいれば、闇(陰)しか知らない者もいる。「陽」「闇」は人との関わりの有無として喩え、誰にも知られず 記憶も薄れ忘れてしまう怖さ。身寄りもなく、死んだことさえ知られない浮浪者、その被害者たちを”事件にする“ことによって注目させる異常さ哀しさ 怖さ。ヒカリと父(他複数の役:森尾繁弘サン)のあの世(夢)での邂逅に泣ける。同時に妖怪を生み育てたテルオ(音羽美可子サン)と幼馴染でヤクザ・影彦(阿久津京介サン)のエピソードを若いヒカリ(他複数の役:吉田紗也美サン)の生い立ちと重ね合わせる。

妖怪が居るという巣窟…見事な照明技術で闇の奥深くに誘われるようだ。照明は祭り提灯や赤い糸(絆)・蜘蛛の糸(絡めとられた柵〈シガラミ〉)といった光景や心象を巧みに表現する。併せて、妖怪の咆哮するような不気味な音響、それら舞台技術を駆使し洞窟内という迷宮を出現させる。

演技は、福圓さんの酔った悪態、罵声といった醜態、剥き出し演技が実に自然、観入ってしまう。そんな彼女に「ホ」の字になる土田さんの忠犬ぶりが笑いを誘う。借金で自殺した母を想うテルオ・音羽さんの宝塚歌劇団 男役のような凛々しさ。テルオの母を死に追いやった影彦・阿久津さんのヤクザの派手さと苦悩の姿という二面性の演技。森尾さんの複数役は味わい深く、一方、吉田さんは控えめな役柄でしっかり支える。皆さんが熱演であった。
次回公演も楽しみにしております。
#15『朱の人』

#15『朱の人』

キ上の空論

本多劇場(東京都)

2022/04/13 (水) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

人間のエゴと演劇愛を描いた怪作、いや秀作だろう。観応え十分。
自分の気持ちに正直に生きる、そのために生じる他人との摩擦や確執を、演劇という世界を通して見つめる人間ドラマ。心のあり様…説明にある「壊れて」は舞台美術を巧みに使い、視覚としても印象付ける上手さ。そして、コロナ禍における「演劇」を取り巻く状況も垣間見せるという、社会的な一面も切り取り厚みを持たせる。自分好みの公演!
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は物語の展開や状況に合わせて変わる。冒頭は、中央に主人公・御テツキの家庭。奥にレースカーテンのある両開き窓、上手奥は生演奏用(音楽・演奏:堀山峻紀サン)の別スペース。下手はホワイトボードや階段状舞台装置。天井には、蛍光灯が仕込まれた横長枠が吊るされている。しかし、物語の展開に合わせそれらの装置を可動させ、都度 状況や情景を作り出す。生演奏(音楽)は、心の乱れなど、心象風景を感じさせる見事なもの。併せて照明、特に蛍光灯の点滅は不安と不穏を助長する効果。

物語は、中学3年生のテツキ(藤原祐規サン)の初体験、それを無神経にも言い触らす。そして高校進学、好きになった女性が演劇部に所属しているため、自分も演劇未経験だが入部。とにかく女好きで、口説きまくる。先輩から借りた演劇界 大御所のVIDEOを観て感化され…。演劇の魅力に”憑り疲れる”(☚造語)が、そんな表現が合う大人になったテツキ(村田充サン)の演技が素晴らしい。狂気とも思える演劇人、そこに演劇の「芸術」と「生活」という「生甲斐」と「経済」という両面の現実を突き付ける。ナレーター、そして 兄テツキの内面を説明する弟・亜月(久下恭平サン)の淡々とした語らいが、物語を落ち着かせる。

物語の中で、劇中劇として公演しているシーン。その上演時に東日本大震災が発生する。非常時に演劇は、人々に生きる糧として本当に必要とされているのか、といった台詞の重み。現在に置き換え…コロナ禍で不要・不急の外出制限、演劇業界も苦境に(今も)喘いでいると聞く。しかし満席、そして観劇後のロビーでもう一度観たいと言った声を聞くと、演劇への要(急)求は必ずあると思う。

兄の「壊れる」は精神的なこと、そして僕=弟の「滅んだ」は肉体的なこと。その演出は、脚本(物語)の中で、演劇という「芸術」の重みを役者の心象表現を通して観せるが、同時に舞台セットの「壊れる」といった視覚で印象付ける。こちらも見所の一つ。
物語の中における劇団内の演技に対する尖った台詞、運営に対する毒を含んだ言葉、それらは実際の演劇現場を垣間見るようで興味深かった。劇中での熱い思いは、そのまま この公演における役者陣の熱演そのものに置き換わる。
次回公演も楽しみにしております。
そのあとの教員室

そのあとの教員室

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/12 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

千穐楽観劇。観応え十分、お薦め。
1946年9月、戦後1年経った国民学校 教員室が舞台。戦前の教育を信じて疑わなかった教師達、しかし終戦とともに大きく変わった、と言うよりは今までの教育を全否定されて戸惑う教師を通して「教育」とは、を考える。
また教育者である前に人間であり、その矜持と責任を問う、一方 教員という地位(職業=生活の糧)維持のために必死の言い訳をする。天秤が揺れるが如く右往左往する滑稽な姿に「教育」の危うさが表れる。

延長線上には「平和」「民主主義」といった、現在当たり前のように享受している国民主権(「御真影」「奉安殿」といった台詞に対し)、その大切さが明らかになってくる。公演の内容は硬質だが、時に笑いを誘い観客を飽きさせない上手さ。見事!
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、教員室内…教員机や書棚が並び、所々に雨漏れ用の桶、盥や飯盒が置かれている。受ける物によって音響が異なる細かさ。雨漏りによって校舎の戦災状況がそれとなく分かる。

GHQは戦前・戦中時に軍国主義的な教育を行った教師を教職から追放する政策を掲げる。日本政府はこれを受けて、教育適格審査委員会等による審査によって教職員不適格者を排除することにした。そんな背景の中、GHQから1人の女性トヨコ・ヤマモト・ペリー(家納ジュンコサン)が、この学校に現れる。この学校で教えを受けた男が自殺した。ペリーは、その原因が「教育」にあったと糾弾する。そして教師一人ひとりの行状を明らかにしていく。どうして自殺しなければいけなかったのか、その謎解きが審査委員会の審査と重なり教師達の保身が始まる。
自殺に追いやったと思われるのは、以外な人物で驚かされる。

戦前、最も重要に扱われた「御真影」「奉安殿」、そして身についてしまった軍国的動作、笑うに笑えない当時の状況。しかし 生きていくため教職追放を免れる方便の数々。教員の揺れる思いを織り込み、「教育現場」の難しさを色濃く描く。運動会で使用する音楽(軍歌不可)、国旗掲揚の否定、戦争同盟国の音楽(ベートーベン等)のレコード廃棄等、時々の教育方針に翻弄される。今も言える真の教育とは?を考えさせる。平仮名しか書けない大工・亀山正(永井博章サン)が、英語を話し通訳的な存在になる。まさに生きた「教育」とは何ぞやといった皮肉も描く。

日本の教師責任…例えば、戦前であれば当たり前の体罰(ビンタ)を行った教師・西条和子(紗織サン)は、悩み退職を考える。しかし生徒の調査票では、これからも「(西条)先生から教えてもらいたい」という結果。一方、教師・浦島繁太郎(千代延 憲治サン)はペリーに戦争に絡めて、罪なき人々を死に追いやり、故郷を焼け野原にする、そんな教育をしたアメリカを非難する。重い遣り取り、その濃密な会話が物語の核心を突いていく。

役者(登場人物は8人)は、それぞれの性格や立場を鮮明にしており、バランスも良い。ほぼ出ずっぱりで、その場(教員室)から逃れられないといった雰囲気を漂わす。本公演は、久し振りに吉祥寺シアターでの上演。物語に出てくる国民学校名が何となくこの地を連想させるような…。
次回公演も楽しみにしております。
ツインテールドールハウス

ツインテールドールハウス

四日目四回目

北池袋 新生館シアター(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

メルヘンチックな光景の中に観念的な物語を紡ぐ、そんな奇妙で独特な世界観。不思議と観入ってしまう公演である。女生徒4人と男生徒1人による、高校二年生三学期の話。
自分探し、それを或る媒体を通して確認する。女生徒の性格付けはチラシ 説明にあるが、女性らしい(偏見かもしれないが)特徴をもって表すところも面白い。それが物語の肝になるという巧さ。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台セットはメルヘン的な絵柄(花、リボン、額縁に蝶々、タンス等)の光景幕、上手にピアノ、中央に新聞束の台があるだけ。

登場人物は、花の名が付いたかわいらしい名前。完璧主義者・林桜子(金曜日のアイ サン)は、ツインテール。林桜子の親友・加藤桃(鈴木彩愛サン)は勤労学生、髪型はポニーテール。優等生・梅澤静香(井澤佳奈サン)は音楽好きで、ショートヘア。愛川家長女・愛川杏(水落燈李サン)はお嬢様で おさげ。4人のヘアースタイルは夫々の性格を表し、髪型を変えることによって自分自身も変わるような。自分探しへの切っ掛けは、自称アマチュアカメラマン・西海渡(越石裕貴サン)が、桜子へ写真モデルを依頼したため。それも人形の格好という変わったもの。その撮影を密かに覗いていた杏も被写体として撮影されるが…。

人形の姿をすること、それは今までの自分と違う感覚を目覚めさせた。本当の自分とは という模索が始まる。桜子は、外見=体(見えるもの)と心(見えないもの)を見つめることによって、今まで、こうしなければいけない、こうあるべきだ、といった枠、固定観念を自分で築き生きてきた。また杏は、家族からの期待など、知らず知らず意向に沿うといった不自由な生き方。凝り固まった杏、その面倒を見る桜子。写真の被写体になることで知った本心、同時に髪型を変える(おさげ を下す)ことで、心身ともに解放され自由へ…。そんな少女の揺れる気持がメルヘンチックな光景の中に描かれる。外観の浮遊感に比べ、内容は心の彷徨といった硬質な心象風景。そのアンバランスな公演は不思議と魅力的であった。

桜子は、自分のアイデンティティを喧伝するよう、新聞束の上に乗り拡声器を使って叫ぶ。一転、モデル(人形)姿は、フリルの付いた可愛い衣装。演出は硬軟(柔)といった対照を意識した工夫。
次回公演も楽しみにしております。
いかけしごむ

いかけしごむ

劇団俳優難民組合

下北沢 スターダスト(東京都)

2022/04/08 (金) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

別役実「いかけしごむ」は何度か観ているが、また新たな観点で観ることが出来た。公演の魅力は、舞台の雰囲気作り。なお、登場人物の女を男優が演じているが、その演出の必然性がもっと感じられれば…。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

全体的に薄暗く、この先はないという路地裏の雰囲気をよく表している。天井、板(床)や壁に透明なシートが敷か(張ら)れ、その下に新聞紙が敷き詰められている。ほぼ中央に運命鑑定と書かれた占机と手相の行灯等、何故か赤電話(受話器)が吊るされている。下手側には木製ベンチと灰皿スタンド、後ろに「ココニスワラナイデクダサイ」の張札が立っている。舞台と客席の境は明確にしていないことから、演劇という虚構と客席の現実(新聞紙によって日常の出来事)が地続きになっている。その舞台構造に新鮮さを覚える。

女(ふじお あつやサン)が現れ、構わずベンチに座る。その後 男(竹岡直紀サン)が現れ女とのチグハグな対話が始まる。女は次々と男の状況等を言い当て、男を不安と混乱に陥れる。平行線を辿る会話は珍妙でコミカル。何が本当で何が嘘かも分からないままミステリアスな対話が連なる。そのうち男が持っていた袋の中身に言及してくる。男曰く、イカで消しゴムを製造できることを発明し、そのため秘密結社・ブルガリア暗殺団に命を狙われていると。そんな事実があるのか、女がリアリズム=現実もしくはリアリズム≠現実と向き合うことになるが…。ラスト、女の独白は自分自身の身の上話。
さて、赤電話は「命の電話」で、何事か相談した結果「死ね」という回答だったらしい。そこに姿・形のない世間が突如として表れ、無関心と無責任といった冷たい風が吹く。会話劇に状況が入り込み、物語が立体的になり広がっていく。

女は男が持っていたビニール袋の中身をぶちまけるが、出てきたモノが不気味。そのモノや喫煙シーンなど、今そこにリアルを観せる。

卑小だが、男優2人の役を逆にしたらどうなのか?女役の ふじお あつやサンは大柄で声は低く、一方 男役の竹岡直紀サンはふじおサンより小柄で、声は高いような。男女の性差、その特徴を一般的な固定観念で云々するつもりはないが…2人のイメージから そう思えた。
次回公演も楽しみにしております。
ELEMENT DD

ELEMENT DD

元素G

調布市せんがわ劇場(東京都)

2022/04/09 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

二部構成のダンス公演…観たかった公演の1つ。観応え十分。
第一部(11演目)と第二部(11演目)とでは、明らかに観せ方が違う。第一部は、出演者全員のフォーメーションダンスから2人のダンスまで、基本的なダンスが楽しめる。第二部も同様の形態であるが、明らかに意図した演出を施しているところが異なる。同時にフォーメーションダンスの怖さも知ることになった。とても参考になる公演であった。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

二段平行舞台。全部のダンスにはタイトルが付いており、それぞれに意図した振付があると思うが、はっきり分かるものと、そうでないパフォーマンスがあった。受け止め方(感性)の違いであり、自分の感受性は乏しくなった かも知れない。

第一部、冒頭のダンス(Parade)は上手から下手へのウォーキング、ここで全員のお披露目をする。踊るメンバーの多い少ない フォーメーションの違いはあるが、曲に合わせてのダンスパフォーマンスは同じ。

第二部、ある意図(ドラマ)を持ったダンス、身体表現はもちろん衣装や音楽・照明といった舞台技術を駆使した演出が素晴らしい。例えば、先日亡くなった藤子不二雄Ⓐさん(藤子・F・不二雄サンとの共作)の「オバケのQ太郎」をイメージしたダンスでは、ダンサーが白くフワッとした衣装を身に着け、曲は勿論「オバケのQ太郎」主題歌をアレンジしたもの。照明は衣装に合わせて淡白色(アイボリーホワイト)という拘り。

公演の見所は、勿論 ダンスパフォーマンスであるが、ダンス(タイトル=意図した表現)に合わせた選曲や照明効果が、ダンスだけで1時間30分を観せ 惹きつける。その演出力に感心する。同時にフォーメーションダンスによってダンサーの力量差が鮮明になる怖さ。そして細かな仕草(例えば、手首をクランク状に曲げる動作等)、それは演技力の差と言っても過言ではない。
色々な意味で学ばせていただいた公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
LAST RENTAL VIDEO

LAST RENTAL VIDEO

!ll nut up fam

萬劇場(東京都)

2022/04/06 (水) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

表層的には面白いが、主体がRENTAL VIDEOという”媒体”というところが難。これがVIDEOの作品そのものを捉えていれば、違った描き方になるだろう。

物語は、流行らないレンタルビデオ店に足繫く通うカップル、借りたVIDEOを楽しく鑑賞する光景。一方、閉店後に借りられなかったVIDEOの諦念、憤懣が漏れる。個性豊かに擬人化したビデオは作品イメージ、例えばミュージカル、極道、怪獣映画の衣装や雰囲気を醸し出す。そして呟く…RENTAL VIDEOは借りて観てもらえなければ意味がない、そこに存在意義があるという。VIDEO達がとった行動や行為が人間臭く変転していくが…。
終盤になると、”媒体”そのものが(価値ある)主体のような描き方に変わるが、本来は映画(作品)自体がメインになるのではないかと。物語として上手く流れていたのだろうか。ここで少し混乱(自分の思考力が硬化したか?)。

映画の歴史は100年以上で、いまだに多くはフィルム作品。しかしフィルム映画は、一般家庭での設備や取扱で鑑賞することが難しい。フィルムは、国立アーカイブ等で適切に管理し映画(作品)の保存に努めている。一方、デジタル化が進み、VIDEO媒体で家庭での映画鑑賞が容易になった。作品の選好によってレンタルされる頻度が異なるのは当たり前。終盤は、RENTAL VIDEO店の衰退を通じて 人間が製作した媒体(物質)の要・不要、もっと言えば文明批判に話が変容していく、と観せかけて…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手にRENTAL VIDEO店の受付カウンター、中央から下手にかけて雛壇(三段)になっておりVIDEO置棚イメージ。シンプルであるが十分情景は想像できる。

物語は劇中劇の構成。借りてもらえなかったVIDEOの存在意義をかけての行動であり行為、という内容のVIDEOを観て楽しむ男達。VIDEO達の行動は店の外へ行くこと、しかし店前は大通りで、車の往来が激しく渡り切れるか。一方 外に出ないVIDEO達の行為は、夫々が借りてもらえるよう他のVIDEOを傷つける。逃避と足の引っ張り合い、傷つけ合いといった人間社会の縮図を持ち込む。凝った展開で、冒頭は鑑賞しているVIDEOのリード(字幕)を雛壇上部に巻き上げるようにして観せる。時は2023(令和5)年という1年後の設定である。媒体で映画鑑賞するのは時代遅れ、そんな現在を翌年から俯瞰する。同時に媒体(物質)を製作し、不要になれば見向きもせず 打ち捨てる。合理・効率的な経済至上からみれば当たり前かもしれないが、そこに何かしらの問題意識を潜ませる。

劇中…カップルの彼女・りこ(熊手萌サン)は、サブスクリクションを利用し手軽に映画鑑賞ができると言い、一方 彼氏・たつや(奥田龍平サン)には、RENTAL VIDEOに拘りたい思いを語らせる。同じとは言えないが、コロナ禍における(小)演劇を考えてしまう。コロナ禍以前にも、DVDの販売はあったが、配信公演は少なかったと思う。それが今では多くの劇団(公演)で行っている。それでも”生”演劇を観たい、と思うのは自分だけではないだろう。そこには劇場という器に主催する側と観客の”思い”が凝縮する、そんな表現しにくい魅力がある。

翻って、RENTAL VIDEOは何を借りるかといった選択の楽しみ、持ち帰って機材にセットするワクワク感といった、手間暇がかかるが、それが魅力かも知れない。だからこそ、公演での主体は作品=媒体ではなかろうか。VIDEOの擬人化は作品イメージ、それが物質(VIDEO)そのものの廃棄という悲哀へ変化、という内容。伝えたい事はその劇中劇で描いており、物語の展開が上手く繋がり流れていたのか疑問だ。勿論、表層的な面白さや演技の確かさは見事、それだけに少し残念だ。
因みに、劇中劇を観終わったシーンが、前説をしていた役者達の姿(光景)と重なるのだが…。前説でネタバレOKと話していたが、この前説(話題は毎回違うだろう)も含めて芝居(本編)であれば、随分と凝った仕掛け、と感心する。
次回公演も楽しみにしております。
民衆の敵

民衆の敵

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/03/29 (火) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

観応え十分。お薦め。
現代に通じる社会派劇であり人間ドラマ。とても古典で他国の話とは思えない。
或る健康侵害・環境汚染問題を糾弾するだけではなく、不条理な人間模様が重層的に立ち上がってくる。単に行政(権力)批判だけではなく、その行為に対する色々な反動を通して人間性を描く。裕福な生活環境を手に入れ、その恩恵を優先する現代社会...そのために将来のリスクに目を瞑り、自己矛盾していることを薄々感じながらも、今の生活水準・富を手放したくない。市民、いや愚衆は今日より明日が少し幸せであれば満足するのだと…。

内容の捉え方は、(現在)社会情勢と人間の内なる思い、そして周りの環境・状況によって一律ではないだろう。イプセンが およそ140年も前にこのようなテーマを身近な設定で描き出したことに驚嘆する。同時に、今 この演目を上演するハツビロコウの着眼にも感服。
(上演時間1時間55分)

ネタバレBOX

舞台セットは、2つの木製テーブルを合わせたものと、隅にミニテーブルがあるだけ。全体的に薄暗く物語の重い雰囲気を漂わす。場景によってテーブルを離したり配置を変形する。

梗概…表層的には、町の財源である鉱泉汚染を巡って、真実を公にしようとする町の専属医で科学者・ストックマン(橋本一郎サン)と、それをもみ消そうとする兄であり町長(井上智之サン)=行政(権力者)との対立。設備の改修費用や休業期間は住民生活を圧迫し、将来的には温泉地としての評判も落ちる。真実を公表すればどうなるのかと迫る町長。経済の悪化や不安定な国(行)政によって社会不安が広がると、大衆は分かり易い世界観を説く勢力に傾斜するかもしれない。しかし、一人ひとりが違った見方で世界を見る大切さ、それによって まともな形で世界が存在していることが解る。だから〈人民の敵〉呼ばわりされても、あくまで戦うストックマンは「正しいのは常に選ばれた少数派だと叫ぶ」。町の新聞社は、「真実」と「正義」という建前で権力批判をするが、実は権力にも盾つけず、双方の間で揺れ動く日和見姿勢。新聞社の存在意義を果たせないことへの痛烈な批判を込める。

コロナ禍において、種々の制限、不寛容な社会になった側面も否定できない現代日本。大勢(マスコミも含め)を背景にし、その正否は十分に検証したのか、といった今に通じる内容だ。

「自分なりの正義」を信じて行動し、家族を始め周囲の人々を巻き込んで集会の場へ...その場での発言は一瞬正しいように思われる。集会後...家族の行く末不安時に遺産の話。やはり足元の生活優先という小心で狡猾な面もチラリと垣間見える。この学究肌、正義感だけではない人間臭い側面も描く。やはり社会批判と人間の内面を抉る、二面性を持つ芝居は考えさせる。
さて、一貫してストックマン家族を擁護する船長・ホルステル(石井俊史サン)の存在が気になる。ほとんど洋上で生活しており、この町(地)との関りが薄いのか。冷徹に物事を見つめる、第三者的な立場の人物を登場させること、それは同時に観客の視点でもある。

上演台本・演出(松本光生サン)は素晴らしい。また演技は、役者が夫々の役柄をしっかり体現する熱演。キャラクターを立たせる演技...役を突き抜け 本当に迫力、臨場感があり観応えがあった。ラスト...向背の決は観客自身で考えてほしい、とのメッセージを投げかける家族の姿。見事な余韻を残した。
次回公演を楽しみにしております。

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