タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ビブリオライブ4

ビブリオライブ4

本気の本読み!ビブリオライブ

NOS Bar&Dining 恵比寿(東京都)

2022/10/15 (土) ~ 2022/10/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
「普段はお客様に見せない本読みをお見せするチャレンジ企画。即興演劇もあり、まさに俳優を味わう一日!俳優の役に入る瞬間、鼓動とパッションを劇場では味わえない近さで感じてください」という謳い文句に誇張はない。

観た回は、本読み3作と即興劇1本であった。本読みは、全ての脚本が素晴らしく、役者は会話(サスペンス)劇、コメディ、心象劇といった雰囲気の異なる物語を見事に朗読していた。即興劇(エチュード)は、開演前に観客から「言葉=台詞」を書いてもらい、それを劇中で使用(喋る)する。台詞や動作などを役者が考えるのではなく、事前に最初と最後の台詞が設定されており、3分間の物語を創作する。その劇中で観客(自分)の言葉が使われる楽しみもある。

エチュードという言葉、演劇初心者には難しいが、藤田朋子さんが実に面白く しかも的確に説明していた。子供の頃の おままごと…ごっこ遊びのようなもの。子供自ら役割(お父さん役・お母さん役)を決め、食事・料理場面などを設定する。それを大人になって演劇として行うのが即興劇である。主宰の植松愛さんもこの説明に感心しており、これからは同じように説明したいと…。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

前に観(聴い)た時と本読みする場所が違う。店入口の反対、最奥の壁際に椅子を並べ役者は横一列に座る。その手前にテーブルとカウンターチェアが置かれており、出番の時に移動していた。今回は、本読みする場所が客席中央という、きわめて至近距離で役者の本読みを聞き観ることが出来た。

脚本は次の3作品。
「カレーかハヤシか」(作・ふじもり夏香)
休日の昼下がり、高坂家のダイニングテーブルに2人の女性、1人はこの家の妻・高坂涼子(藤田朋子サン)、もう1人は夫の部下・中川真奈美(小槙まこサン)である。夫は休日出勤で留守、そこに真奈美を招いた。穏やかな日常会話、そして恋バナに話が弾むが、いつの間にか夫の不倫に悩み困っている。そして不倫相手は…。毒入りは、カレーかハヤシか? その究極の選択を迫るサスペンス劇は緊張・緊迫感があって聞き入った。話す前に藤田さんが上着を脱ぎ、本番モードへ。因みに朗読後、いったん上着を着たが、即興劇が始まる時も上着を脱いでいたのが印象的であった。

「火事」(作・江島裕一郎)
燃え盛るマンション、鳴り響く火災報知器という設定。火事現場にいる男女3人。住人女(植松愛サン)が救助を求めて叫んでいる。2階の部屋に夫が…助けてください。その声に反応して相田(関幸治サン)という正義感の強い男が火の中へ飛び込む。その後、女性が実は夫は単身赴任でいないこと、そして別居して3年になることを告白する。さらに引っ越して ここには住んでいないと。聞き役の住人男(レノ聡サン)は呆れかえる。相田を呼び戻す住人男と女、そして戻ってきた相田からの告白に衝撃の事実が…。

「ミートソース・グラヴィティ」(作・小栗剛)
テーブルに置かれた小さな一皿にまつわる、壮大な恋の話。本読みが始まる前に、この作品の状況を植松愛さんが少し説明する。輪廻転生、同じ時代・時間の人生を生まれ変わりながら何回も繰り返す恋物語。クリスマス、働いているレストランに佇む直志(関幸治サン)、夫がいる恋人あかり(小槙まこサン)との痴話喧嘩。思わず目の前にいる彼女とは違う女性の名前を呼んでしまう。チヨ(森谷勇太サン)とは…。その悲しいまでの邂逅の繰り返しに泣ける。実際、森谷さんの目に涙。

通常 読みの段階では座ったまま行うが、力が入ったため、思わず立ち上がったと言う。例えば、藤田朋子さん演じる妻は、怒気表現において声色を変える。今回は自分の思いで判断したが、しかし本当にそのシーンなのかは演出家や物語の流れの中で確認しながら演じると話す。そんな裏話と演技過程が聞ける貴重な公演、堪能した。
また脚本は、違う作風を選び 観客を飽きさせないといったサービス、その本読みを素晴らしい話力・話術で聞かせる。

会場が飲食店〈NOS Bar&Dining 恵比寿〉であることから、一般の劇場と違って午前中と昼食時(ランチ営業はない)での上演になる。都合がつけば次回公演も観てみたい!楽しみにしております。
『雨の世界』

『雨の世界』

ウテン結構

サブテレニアン(東京都)

2022/10/14 (金) ~ 2022/10/18 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

雨の世界…冒頭はサスペンス風に始まるが、いつの間にか女同士の少し痛い友情物語に変転する。俗信の雨女、その悲哀と雨天(嵐)ゆえに知り合った旅人の話を交差させ、「雨」をテーマにした物語を抒情的に紡ぐ。更に雨女になった謂われ、「日知」といった家系的な繋がりを描くことで、ネガティブ イメージを払拭し前向きな姿を観せる。

公演の魅力は、本当に幼い頃からの親しい友人ような演技、その息の合った自然な会話が実にいい。全編 効果音または音楽が流れシーンの雰囲気を漂わせる。また衣装の色彩は、赤・白・黒といった強調色で 薄暮のような室内空間に映える。
(上演時間1時間20分) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に大きなテーブル、壁際にいくつかの椅子が置かれている。上手奥にイーゼル、壁には5つの額縁とランプが均等に取り付けられている。天井にはシャンデリアが吊るされている。冒頭のみ大きな四角枠があり強風が吹きつけ、以降は この家のドアに転用される。ここは人里離れた館のようである。

嵐の夜、一人の女・しおりが助けを求めて館のドアを叩く。館の主は幸子といい、快くしおりを館の中へ入れる。冒頭、強風と雷鳴の音響、幸子の老婆風の佇まいや喋り方で怪しげな雰囲気が漂う。世間話をしているうちに、幸子が若いということが分かる。そして自分は「雨女」と言い出す。

場面は、学生時代に親しかった友人4人(男1人、女3人)との思い出話だが、必ずしも楽しい思い出だけではない。運動会やキャンプなどの楽しみにしていたイベントが中止になったのは、4人の中の誰かが「雨女」だからだという。さらに恋愛話によって仲違いが始まる。
一方 しおりは、何でこんな嵐の夜に慣れない運転をしていたのか。幸子がしおりの様子から、状況を推理し始める。父親からの虐待、逃避行動するために嵐の日を選んだ。ここに心理学的な場面「過去<幸子>と現在<しおり>」の物語を挿入する。幸子の回想としおり の現状が直接繋がる訳ではなく、それぞれの話を交差させ「雨」に纏わる物語を紡ぐ。

興味深かったのは、「雨女」は家系でもあるような説明。農村地域、そこで雨乞いを司る家があったという。子供の頃に見たTVマンガー小学校の遠足の時に雨が降り出したので、魔法で雨が降らないようにした。しかし 父はその行為を叱り、農家の人々にとって雨は大切なのだ と諭したーを思い出した。現象「雨」は、人によって、または時と場合によって捉え方(大切さ)が異なる。

演出で面白いのが、降水現象を映像を使用した科学的な説明をする 一方、フロイトの心理学を室内を回りながら、しおりと幸子の会話で説明していく。
音響は、暴風雨・雷鳴のサウンド・エフェクト、ピアノ、ギター、鉄琴(であろう)の楽器で奏でられる音楽が情景に応じて流れる。
役者は女優4人、そのうち3人が一人二役を演じる。特に学生時代は演じているというよりは、普段から親しき友人の会話が繰り広げられるようだ。その自然体の演技に感心させられた。
次回公演も楽しみにしております。
GOLD IN THE DUST

GOLD IN THE DUST

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2022/10/12 (水) ~ 2022/10/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

未来を切り開き光を見つける迄の彷徨、その心の旅を描いた物語。その光とは何か、それがこの公演の肝になっている。表し難い心、その内にある感情をコントロールする研究ー「感情を抑制する脳内因子『ダスト』の特定と不活性化についての研究」という理論上の世界をどう表現するのか。研究理論が説明され 少し小難しく感じられるが、観ているうちに表層的な面白さに翻弄される。しかし研究成果(核心)の発表として語られるのは、「生きる」という希望の感情である。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、3つのシーンで場景が異なる。一番目は、説明にある木村(真人)の葬儀場面。鯨幕の手前、上手下手に3脚づづ椅子が置かれ、中央の黒い台の上に白棺。二番目が都内にある工科大学脳科学研究室内、テーブルや机等が置かれている。下手には地下実験室への下り階段がある。三番目は地下実験室で中央に椅子、上手に実験装置(PC)がある。下手に研究室への上り階段がある。場景の連続に拘りの工夫が見て取れる。それぞれの場面転換には時間を要するため、暗転時に舞台上部に白木の枯れ枝や四角い板状の影を回転させる照明、その妖しげな雰囲気に飲み込まれる。表現し難い照明効果にも心内の曖昧さを重ねる。

物語は、工科大脳科学研究室「通称:BSラボ」に勤務する斉藤智治(北見翔サン)は、一年前に交通事故で亡くなった同僚の木村真人(林佑太郎サン)と続けてきた研究を、志半ばで 鬱病が進行していることを理由に退職すると言う。室長の杉田良一(梶原涼晴サン)は、せめてこの研究をやり遂げるよう説得する。そして杉田は斉藤が退職する前に急遽 実証実験をすると宣言する。が 検体として使用予定であったラットがいなくなったことから、代わりに斉藤の人体実験ーー心の旅が始まる。

少し分からないのが、そもそも斎藤が鬱になった原因なり理由である。困難なこと、煩わしいことから逃避しようとする性格のようだが…。
物語では、同僚の死によって鬱が進行したよう。それが「詳らかになる感情の足跡と喪失の記憶」という研究の核心に触れるところ。そしてBSラボでの木村との親交、その死による喪失感といった描き方である。人体実験で記憶の感情(信頼・恐れ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・期待)が色によって可視化できるに繋がる。この感情の読み取りによって鬱病の対処に役立つ。自分の情況と研究成果を重ね合わせる巧さ。

観せ方は、実験過程で死んだ木村と 度々現れる もう一人の自分(シャドウ人格〈衣装の色彩にも注目〉)と思われる安西鏡像(山本龍兵サン)が、心という感情を擬人化して台詞の応酬をする。それは自身の葛藤する姿そのものである。その先にある光輝くもの、それは人の想像力である。言い換えれば、人間の想像力は光を生み、豊かな感情を育み未来を輝かせる。「生」への力強いメッセージである。終盤に流れるピアノ演奏は、心洗われるような印象 見事な音響効果である。ラストは、刺激的でドラマチックな展開が用意されている。
次回公演も楽しみにしております。
朗読劇 無宿の寵愛

朗読劇 無宿の寵愛

株式会社K'sLink

ザムザ阿佐谷(東京都)

2022/10/09 (日) ~ 2022/10/11 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、朗読劇だが 力作といった印象である。
また楽しみに出来る劇団と出会えて嬉しく思う。

幕末の動乱期、人斬り以蔵と恐れられた「岡田以蔵」の半生を力強く語る。それは単に台本を読むだけではなく、音楽・音響、照明といった舞台技術との相乗効果も見事に発揮。なにより役者陣の熱演が物語に緩急をつけ、巧みに その世界観に引き込む。朗読劇ゆえ、殺陣等の動きこそ観られないが、表情の豊かさ、土佐弁での喋り、そして全員和装(紅一点の万姫サンは日本髪)で、外見にも気を配る。勿論、舞台美術も意味ある配置で、武家社会を端的に表している。

以蔵は、足軽という身分(1人だけ裸足)ゆえ、学がなく泥臭く地べたを這いずり回るかのような描き方であるが、不思議とその世界観は格調高い。彼の心情を激白させるが、そこには疑うことを知らない純心さ。それ故の悲哀が浮かび上がる。
(上演時間1時間30分) 

ネタバレBOX

舞台セットは、中央奥を少し高くした平台(山内容堂)、その下手側に中央より少し低い平台(武市半平太)がある。中央と上手に障子戸が立ち 和空間を表出する。下手に洋楽器があり、場面に応じて生演奏を行う。登場人物は概ね8人(箱馬の数)。一人で複数役を担う役者がおり、それによって幕末という動乱期に生きた人々(志士達)を活写する。役者陣の熱演が、この朗読劇の醍醐味そのものである。特に以蔵役の積田裕和さんの目力は、鬼気迫るものがある。

登場人物は、岡田以蔵、山内容堂、武市半平太、坂本龍馬、平井周二郎、井上佐一郎、土方歳三、そして紅一点で語りと岡田以蔵が惚れた なつ である。なつの語りで状況が丁寧に説明されるから、人物の朗読が始まっても困らない。朗読する時に立ち上がり、そこにスポットライト。全体的に薄暗い中で 特定人物への照射は、その角度によって他の人影と重なり暗殺といった光景を観せる。

物語は土佐藩士・吉田東洋が武市半平太の指示によって暗殺されるところから始まる。半平太は思惑もあって、足軽という身分低き岡田以蔵に目をかける(寵愛)。その恩義に報いようと、京都で人斬り以蔵と恐れられる存在になっていく。最初の暗殺は同じ土佐藩士の井上佐一郎(土佐からの下横目)、その絞殺場面が下手の壁に大きな人影となって覆い被さる。見事な照明効果の演出である。また音響は生演奏と音楽を流す方法で情景を印象付ける。場面によって洋楽器の演奏、和楽の音楽を流すといった使い分けが実に効果的であった。台詞(心情表現)によってはエコー効果も効かせる。

学(がく)がなく、ただ半平太に言われたことを実行する。坂本龍馬から時代の趨勢を聞かされるが、それでも半平太の言葉を盲目的に信じる。そこに悲しいまでの妄信を見る。京都の小料理屋の女・なつ は、以蔵にとって安らぎの存在となっている。淡い恋心のような、そんな”愛”も感じられるが…。
素性の知れない武士と親しく話すようになるが、それが新選組副長・土方歳三である。その会話は、敵同士でありながら暗殺談義をするような光景。以蔵は歳三に対し、同じ血の臭いを嗅ぎ取っていたのかも知れない。一方、半平太は山内容堂の逆鱗に触れ切腹する。その後、以蔵も斬首されるまでを描く。無駄死にとも取れる様な「岡田以蔵」の半生、それでも一人の幕末異端志士として力強く描いている。
次回公演も楽しみにしております。
嘘ぎらい

嘘ぎらい

『OYUUGIKAI』製作委員会

本所松坂亭(東京都)

2022/10/05 (水) ~ 2022/10/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、珠玉作。
嘘が嫌いな主人公・理を 一役3人が違う世代で紡ぐ心象劇。オムニバスを長編に書き直しているため、多少違和感はあるが、それでも一人の男の心の彷徨を上手く繋いでいる。物語に頻繁に出てくる宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」の一節を朗読し、物語の雰囲気というか世界観を抒情豊かにしている。主人公の心の旅は小説そのものであり、生と死を見つめるもの。

チラシにも書かれている「私はここであなたを見てる。俺は君を忘れてる。という嘘のお話」が、始まりであり結末でもある。その観せ方が、冒頭と終わりを回帰させる展開、つまり旅の始まりであり終わり。夢(心)の中で悩み苦しんだ末、(現実の)生を謳歌する決意が出来た といった後味の良さにしている。
(上演時間1時間10分)【星チーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、大きさが異なる 通り抜けできるアーチ型支柱のような後景。ほぼ中央にテーブルと椅子、上手と下手に同じような小衝立が縦 横に向きを変えて置かれている。テーブルの上にあるランタン風の照明器が橙色の光を放つ。全体的にスタイリッシュといった印象だ。

物語は、理の部屋に元恋人・守宮鈴(池澤汐音サン)と理の妹・末廣明音(高宗歩未サン)が心配して訪ねてくるところから始まる。
 暗転後、理が十代か二十代の頃、鈴に告白し付き合いだすことになる。デートの初々しさが微笑ましく、人の優しさが全面に出ている。観ているこちらの方が恥ずかしくなる。しかし、何時しか鈴からの連絡が滞り、突然(引っ越しで)会えなくなる。

 理が三十代の頃、3年間同棲した有賀紘子(堀有里サン)と別れる。将来の約束を果たせるか否か、責任を負いたくないと言う彼の言葉。紘子がしたいとおりにすれば、という一見優しい態度だが、真に彼女と向き合おうとしない。傷つくのが怖く本心を表せない。
 紘子と別れた後の数年後、外で星空を眺めている理に見知らぬ女が話しかけてくる。今日プロポーズされて嬉しい、が ビールを飲んで少し酔っている。見ず知らずの人だからと言い、自分の妹の身の上を話し出す。その話を聞き愕然とする理は…。彼女の名は守宮渚(木下彩サン)、鈴の姉であった。自分だけが幸せになっていいのか、そんな葛藤を抱えているかのような語り方である。同時に見知らぬ人と言う台詞があったが、実は素性を知った上で話したのではないか。理にも幸せになってほしい…そんな思いで接触したのではなかろうか。嘘ぎらいに、優しい嘘をついたと思いたい。

会話の途中で 理は何度も「うるさい!」と怒鳴る。傷つきたくなく、干渉もされたくない。また 鈴はいなくなる直前、「大丈夫」と理に言う。しかし、その言葉は嘘で強がりであった。嘘なんか言わなければよかった。後悔は人生につきもので、それを乗り越える勇気が必要だと。
「銀河鉄道の夜」ではジョヴァンニが友人 カムパネルラと旅をするが、その辿り着いたところは別々の場所。ジョヴァンニは現実の世界に戻り、カムパネルラは消え去ってしまう。この2人に準えた 理と鈴の物語は美しくも悲しい。
印象的なのが、何かと面倒を見てくれる妹・明音も含め、理が対話する時はピアノがずっと奏でられる。その優しい音色に癒される。
次回公演も楽しみにしております。
アリの街のマリアとゼノさん

アリの街のマリアとゼノさん

エンターテイメントユニット自由の翼

浅草九劇(東京都)

2022/10/07 (金) ~ 2022/10/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

1950年代、まだ戦争の傷跡が生々しい東京の下町 台東区・隅田川言問橋のたもとに実在したバタヤ(廃品回収業)部落、アリの街が舞台。物語は、そこで社会奉仕活動を続けた北原怜子(さとこ)さんとポーランド出身のゼノ修道士を中心とした実話を舞台化したもの。今の世に当時の時代背景を描いて、どこまでリアルに伝えることが出来るか。そして描かれているような尊い教えと活動を強く訴えると、宗教への過度な依存といった印象、偏執した啓蒙劇といった捉え方をされる危惧がある。その微妙な感情というか感覚を回避するための観せ方、それが演劇×生演奏×ダンス×歌といったエンターテイメント作品にした理由のように思える。彼女の足跡を忠実に描いた評伝劇、その時代背景は、今の日本におけるコロナ禍、世界に目を向ければ侵攻といった状況に重なる。特に国内では自主自立と共助を強く意識させる内容だ。

公演は約3年の時を経ての再演になるようだが、今 上演する意味は何か。当日パンフに主催挨拶として岩浦さち さん(アリの街実行委員会/自由の翼)が、「再び『戦争がもたらすもの』を考えたり、『現代を生きる私たちの精神的な糧になる何か』を追い求めたりするときに、お客様の『道しるべになるヒント』が落ちているかもしれない」と記している。慈愛に満ちた内容が、どれほど今の社会に伝わるか。28歳で夭折した社会活動家がいたこと、その活動を知ることが出来たこと、その人生について大いに学んだ。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは三角屋根、中央に少し高い台。上手に「蟻の會」と書かれたリヤカーがある。シンプルな作りにし、踊るスペースを確保する。三角屋根の上に生演奏をする来夢来人(ライムライト)のメンバー。楽器はベース、クラリネット、サックス、パーカッション、ギターである。

物語は、北原怜子(升野紗綾香サン)がアリの街に通い出した頃から始まる。彼女は浅草にある姉の家に転居した際に、“ゼノ神父”ことゼノ・ゼブロフスキー修道士(松本義一サン)と知り合い、通称「蟻の街」のことを知る。「蟻の街」は小沢求(柳橋龍サン)、松居桃楼(中込博樹サン)がまとめ役となって結成された廃品回収業者の居住地である。リサイクルが推奨される現代とは違い、廃品回収業は「バタヤ(屋)」と呼ばれ、他人から蔑まれた仕事だった。他人から物を恵んでもらうのではなく、蟻のように力を合わせ、自分たちで生きていく自主自立した暮らしである。その例を復員兵夫婦の困窮を通して時代背景を描く。

個人的な見どころとして、偽善だと指摘されたところ、二代目マリアが現れ自分の存在に迷う、この2シーンが印象的だった。
第一…怜子の慈善活動を、街の世話人で文筆家・松居桃楼は偽善だと指弾した。松井は怜子に、自分たちは家で美味しいものを食べ、たまに子供たちに美味しいごちそうを振る舞う。そんなものは自己満足に過ぎない。子供たちはまた貧しい日常に帰っていく。「助けてやる」という気持は、助ける人が上で、助けられる人が下なのだ。真の同情は上も下も関係なしに、肩を並べて、一緒に悩み、一緒に苦しむこと。現代に通じる社会福祉…介護や看護、医療にも同じことが言える。
厳しい指摘は、彼女の行動が傲慢としか見えなかった。そして示された聖書の一節に心を打たれた。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるため」。
怜子は自らバタヤとなり、蟻の街の人たちと共に廃品回収業に勤しむ。怜子は傲慢から解き放たれ回心したのである。また彼女の行動によって、子供達の教育環境は段々と整えられていく。

第二…病気療養のため、一時「蟻の街」を離れるが、その間に 二代目蟻の街マリアが現れる。自分の居場所を失ったかのような怜子に ゼノ修道士は、自分はあくまで道であり、人が通った後は何も残らない。人は当たり前に通り過ぎ、道の存在など気にしない。無償の奉仕とはそういうものと教える。怜子の行動は世界に発信され賞賛の声が多く届くが、その名声に甘んじることはなかった。やがて療養のため「蟻の街」を離れるが、死期を悟ると「蟻の街」に再び移住し、その地で夭折(28歳没)した。彼女の半生を忠実に描いているようだ。

物語が重くならないよう、歌い踊る(バレエダンスのような)シーンを挿入し観(魅)せる工夫をしている。また生演奏が雰囲気を盛り上げ、心地良い印象を残す。
次回公演も楽しみにしております。
シャイヨの狂女

シャイヨの狂女

劇団つばめ組

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/10/06 (木) ~ 2022/10/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

フランス戯曲 2幕。1945年のジャン・ジロドゥ作。第2次世界大戦中、ドイツ軍の占領下で執筆した、彼の晩年の作である。
前半と後半とで劇風が異なって観えた公演。前半はパリのカフェで男たちが悪だくみを相談する光景であるが、演技が今一つで会話が弾まず冗長に感じる。後半は狂女が登場し活気が出てきて、騒がしさの中にテーマらしきものが観えてくる。

さて冒頭、池袋駅のアナウンスは何を意味するのか、は誰もが疑問に思うところ。勿論 上演劇場がある池袋を指すが、同時に世界中の何処かで起きている紛争や侵攻といった きな臭い出来事が、どの国や地域においても例外ではない。日本においても起こり得ることを示唆している と思うが…。
(上演時間2時間5分 途中休憩あり)

ネタバレBOX

舞台美術は、後景は色違いの板塀を市松模様のように張り合わせている。上手には鉄骨の塔のようなもの、もしかしてエッフェル塔か。上手客席寄りにテーブルと椅子のボックス席、下手奥はカウンターとカウンターチェア、客席寄りにL字型ベンチが置かれている。シンプルであるが、狂女達が所狭しと踊り歌うことを考慮した配置のようだ。

物語は、パリの地下に金脈(石油)が埋蔵されているという荒唐無稽な仮定のもと、発掘のためパリを爆破しようという男達を、狂女と呼ばれる女性達が街を救おうと立ち上がり、彼らを地下の迷路に閉じ込めるという空想劇。
前半は 社長・男爵・鉱山師が悪だくみの相談、その密談の会話が聞き取りづらく 荒唐無稽さが伝わらない。そのため、ぼそぼそ会話が続く冗長な感じになったのが残念だ。
一転、後半は狂女4人を中心に物語を牽引する。狂女は皆 親しいのかと思えば、皮肉や辛辣な言葉がポンポンと飛び出す。同時に彼女たちが抱えている問題等も明らかになってくる。それでも「生きている」を感じさせる逞しさ(第二次世界大戦中の執筆を考えると意義深い)。狂女達は、男達の悪だくみに対し 一丸となって立ち向かう。

物語は、資本主義批判と愛と正義の勝利を謳った風刺喜劇であるが、本公演(つばめ組)では、同時に反戦を思わせるような内容を盛り込んでいる。まず金脈のため街を壊すという発想に対し、敢然と立ち向かう女たち。それを狂女という奇抜な設定で批判する辛辣さ。そして悪だくみを企てた男達を裁くというシミュレーションにおいて、どんな悪人でも弁護士が必要だと言う。この裁くシーンが、一方的な言い分ではなく公平さを保つ。当日パンフで「中東テロ、世界各地で紛争」という言葉が書かれている。今、「侵攻」という言葉を毎日聞くが、双方の言い分を聞くということの大切さを改めて思う。が、物語では 悪事は看過せず、言い分(訳)は論破すると…。後ろの板塀の一部が開き 男達が入っていく。採掘と同時に封じ込めて銃撃する。大勢を一斉に抹殺するには戦争、そんな兆しが見えたら狂女に知らせるというブラックジョーク、笑うに笑えない怖さを感じた。

男達が列をなし板塀内へ入っていくコミカルな動きは、流れる音楽と相まってTVゲームのドラクエシリーズのよう。そして狂女の一人、コンコルドの狂女・ジョゼフィヌ(岩村水咲サン)が全身白服のみならず、顔も白塗りで異彩・異形を放つ。演技も誇張した動きで思わず注視した。こちらは口裂け女を連想した。面白キャラクターを登場させ、遊び心にも溢れ妙味があったが、それだけに 繰り返しになるが前半の冗長さが残念だ。
次回公演も楽しみにしております。
仮名手本吉原恋心中

仮名手本吉原恋心中

ネコダマシ

ブディストホール(東京都)

2022/10/07 (金) ~ 2022/10/10 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「『ロミオ&ジュリエット』『曾根崎心中』にヒントを得た殺陣・歌・踊り・三味線演奏ありのドラマティック時代劇」という謳い文句…なるほどなぁ。元禄時代という設定だから「曽根崎心中」なんだろうが、どちらかと言えば「箕輪心中」の方がしっくりくる。タイトルの「仮名手本」は、歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」を意識したのかも知れない。ヒントにした作品があっても、本作は紛れもなくオリジナル、歌舞伎の書き抜きのように役者の血肉となり独り歩きし出した。
さて、所作は良かったが、気になるところもあり少し残念だ。
(上演時間2時間30分 途中休憩あり)

ネタバレBOX

舞台美術は吉原遊郭の紅屋。中央に階段、上った正面に大きな襖があり、白牡丹と赤牡丹、そして蝶が舞っている。牡丹の花が主人公の男女を表しているようだが、その間には黒い川のようなものが描かれており、2人の行く末を暗示しているかのようだ。赤い欄干や半月型の門構・提灯が廓の雰囲気を醸し出す。

物語は語り部の案内、お題は「恋」だと言う。そして面をつけた妖しげな群舞から始まる。時は江戸時代の元禄11年の大火(勅額火事)、それから5年後の元禄16年正月の三日間に出会った男女が恋に落ち 泡沫の夢を見る。出会った2人は、旗本直参 勘定吟味役の東上家の養子だが跡取りの菊之助(小山蓮司サン)と吉原花魁の付き人(将来の太夫候補)・初花(濵田茉莉奈サン)、武士と水揚げ前とはいえ遊女である。しかし想う心は同じ。結ばれるのが難しいという状況が「ロミオとジュリエット」であり、タイトルにある心中が「曽根崎心中」である。しかし武士と遊女であれば「箕輪心中」を連想してしまう。

説明にある―浮き世は夢 人生は朝露の如しーなど、2人の逢瀬に歌う場面は抒情的で浮世を感じさせる。2人で約束を交わすが、いろいろな事情によって果たせない。男は夢の中でしか約束を果たせない、女はその夢の中へ行くだけ、という台詞は 古今東西変らない事かも知れない。演出は、物語の始まりと休憩後の始まりが三味線の演奏、一瞬にして江戸情緒へ誘う上手さ。
ラスト、心中らしい白の死装束に色鮮やかな赤い帯という観(魅)せ方も印象的である。雪が降り、その中で自害しようとする2人の情景が美しくも哀しい。

気になったのが、勘定吟味役の着流し。そして男優何人かの長髪、特に現代的な側頭刈上げや 前髪が垂れ下がっている姿には違和感を覚える。全体を和装でまとめ 時代ー吉原遊郭の風情を漂わせている中での現代的な風貌は目立つ。
次回公演も楽しみにしております。
みんな友だち

みんな友だち

こわっぱちゃん家

上野ストアハウス(東京都)

2022/09/29 (木) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇団のコンセプトでもある「ポップなくせに理屈っぽい《ロジカルポップ》を売りに、笑いだけではなく しっかり泣かせる舞台を目指す」、そして この公演は、しっかり泣かせる物語である。
公演を最後に、主人公で劇団員の晴森みき さんが役者業を引退する。物語は、彼女が演じる柚葉〈ゆずは〉の生と死を描いており、何となく最後=最期を重ねるようなイメージがあった。また舞台美術が凝っており、柚葉の人柄を上手く表していた。同時に彼女の主治医がしっかり寄り添うような演出も見事だ。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)【A team】

ネタバレBOX

舞台美術は、カフェ&バーの店内。中央にドーナツ型カウンター、上手にソファとテーブル、下手にラックが置かれている。客席寄りに机とPCがあり、別空間であることが判る。中央奥は階段の踊り場のようで手摺も見える。

柚葉は、大学時代からの友人・山波(瀧啓祐サン)が経営する店で働く。厨房スタッフ・ジロウ(トクダタクマ サン)も大学時代の友人。柚葉・山波・ジロウは仲間である。この店に通う常連客レイナ(山田梨佳サン)・奈々美(鳴海真奈美サン)・キツネ(作井茉紘〈麻衣子〉サン)は、柚葉に愚痴や悩みを話すことで憂さ晴らしが出来ている。人の話をうまく聞くことが出来る、そんな人柄をドーナツ型カウンター(の中)というセットが上手く機能している。四方八方に気を配りながら、如才なく応答できる。柚葉が外にいるのは、冒頭の悲痛な叫び声を発する時のみ。最後の公演ということもあり、出ずっぱりである。そして後からパイン(松ノ下タケル サン)がこの店の雰囲気が気に入り常連客になる。性別や年齢問わず優しく接する彼女に異変が…。

健康診断の精密検査で急性白血病であることが分かる。余命宣告され、延命治療は行わない選択をする。自分らしく生きたい、それは常連客との他愛ない会話、特別な変化を求めない穏やかな暮らしである。その気持(余命宣告されたことも含め)を常連客に伝えたところ、その重たさに耐えかねて常連客は店に来なくなる。
余命を余生と捉え、前向きに生きようとする姿。主治医・吉岡先生(海老原直サン)は、生きているうちに葬式=生前葬を行うことを提案する。吉岡医師は店外の別スペースにずっと居る。病院の診察室から柚葉の様子を窺がっているよう。そして生前葬が執り行われる時に、姿を消すという見事な演出。果たして、常連客は生前葬に来てくれるのか。

人は死んでも、人の記憶・思いから消えなければ(人々の中で)生きている、と聞いたことがある。真に死ぬとは人に忘れられたとき、そう考えれば 本公演で役者業を引退しても、こわっぱちゃん家で活躍した俳優・晴森みき を忘れなければいいだけのこと。当日パンフに作・演出トクダタクマ氏が「『役者人生』という言葉はよくできた言葉で、そんな役者である彼女の人生を彼女らしく締めくくらせたい、そんな思いで今回の作品を作った」と。アフタートークで彼女の卒業式を行ったが、その時 トクダタクマ氏は女優ではなく俳優という言葉を使った。女性というだけではなく 人間的な魅力を語っていた。公演(舞台)でも実生活でも、後悔のない選択と決断、そしてラストの台詞「楽しかった!」は秀逸だ。
次回公演も楽しみにしております。
無神論

無神論

表現集団 式日

麻布区民センターホール(東京都)

2022/09/30 (金) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

㊗旗揚げ公演。その物語は観念的であるが、観せ方は激情型でインパクトがあった。特に演出・主演の新藤レイジ役(佐伯啓サン)が語りだすまでの沈黙、それは長く続く。そぅ言葉(台詞)を発しない前半と饒舌に語り、周りの人々(恋人やバンド仲間)との関係が明らかになる後半とでは劇風が違って観える。

自分の死は正しかったのか、という問いかけのある説明は、レイジや彼に関わった人々の生き方が、「無神論」ならぬ「無神経」といった感じだ。けっして楽しい内容ではなく、後半部分は鬼気迫るもの。若さというエネルギーの発散というか発揮を急いだ、もっと言えば生き急ぎすぎという痛々しさが印象的だった。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術、中央にテーブル、その周りに箱型クッション、下手にカウンターが置かれている。誰かの部屋であり Barのような場所にもなる。全体的に薄暗く沈重な雰囲気が漂う。上演前の前説を葬儀における諸注意のように淡々と話す。雰囲気と話のギャップにクスッと笑いが…。

物語は、レイジが高校時代の仲間とバンド活動をしていたが、自分(才能)の限界を知り始めた。いや、何度か劇中でレイジが言う「トゥエンティセブンクラブ」、天才ミュージシャンは27歳で死ぬ、それに憧れているかのような思考と行動でもある。解散を言い出すレイジ、一方 仲間はレイジの存在、その才能を拠り所にして生き 活動している。出会いは高校時代、仲間はそれぞれ無視されたり孤独といった人と関わることが苦手なタイプ。しかし音楽は好きで、その活動に興味を持っていた。レイジは、そんな彼ら彼女らを誘いバンド活動を始め、インディーズバンドとして人気を博した。が、次第にレイジの音楽への情熱が醒めたのか諦めなのか。頼り頼られといった関係が崩壊するが、そこに それぞれの自分勝手な思いを見る。
彼を見限りたいが…。そして起こった悲劇、その真相を探る元刑事のバンド仲間への聞き取りがミステリーとしての面白さを加える。

レイジの静かに吐露するような言葉、一方 バンド仲間は、それぞれの事情と思いを激しく悲痛な叫びとして表現する。その対比が人の生き様を端的に表す。何をどうしたい といった渇きと衝動を生々しく描いているが、どの人物も同じような表現方法(絶叫するような)、その画一的な観せ方が残念なところ。人それぞれ生き方が違うように、その苦悩なりを色々な表現で描いてほしかった。

演出は、物語の奥底にある思い、それをストレートに伝えようとしている。例えば激情した言葉(台詞)は客席に向かって叫ぶ。見えない相手を観客に準えているようだ。また、Barのマスターやスタッフの存在が重い雰囲気を和らげる。前半は幽霊(魂だけ)のレイジ…佇み懊悩する姿、一方 生前の彼の思い出に浸るバンド仲間という死と生を感じさせる。一転、後半は 思い出(生前の記憶)のレイジを登場させ、過去と現在を紡ぐ。さらに元刑事の推理を上手く挿入し関心を惹く巧さ。
次回公演も楽しみにしております。
虹の彼方で待ってるよ

虹の彼方で待ってるよ

KUROGOKU

北池袋 新生館シアター(東京都)

2022/09/28 (水) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

上演前に主宰・黒柳安弘氏が、町野直子さんが諸事情により出演を見合わせる旨、お詫びと説明があった。彼女の役柄が分からないが、公演もラストが今一つ解らなかった。

物語は、一見 安部公房氏の小説「闖入者」それを基にした戯曲「友達」を連想したが、次第に明らかになる出来事によって今話題になっていることへ…。家に見知らぬ人々が押しかけ、いつの間にか部屋を占拠していく。家人とその人々の ちぐはぐな会話を通して不気味な空気が漂い始めるが…。表層的にはコメディ風に描かれているが、その背景には寛容と不寛容、もしくは自由と不自由といった問題が横たわっているようだ。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は6畳間、奥に障子 中央に卓袱台があり、その上にルービックキューブと雑誌、下手側に洗濯物が置かれている。

「ただいまー」と海津梢が帰ってくる。畳んでいない洗濯物を見て呆れる。暫く家にいないと これだからと嘆く。そこへ見知らぬ男・小島一朗がやってくる。父・啓吾の勤務先の後輩だという。間もなく啓吾も現れ取り留めのない会話が続く。暗転後、部屋には宇田、佐伯、大山と名乗る男女三人、後から佐伯が加わる。皆、啓吾の知り合いだと言い出ていかない。梢の苛立ち、三人の困惑、それぞれの立場や性格が立ち上がってくる。父は人助けだと言い、強い言葉は発しないよう注意する。
物語は、この闖入者のような人々の素性は、そして父・啓吾との関係は、そもそも父は仕事を辞めて何をしているのか、といった謎をはらんだまま進んでいく。
そして突然、土足で家に上がり込む若い女性・仙崎、彼女は何しにここへ来たのか。6畳に8人が集まり、嚙み合わない会話、そこから徐々に浮き彫りになる闖入者と仙崎の正体と関係性が明らかになる。

雰囲気は、恐怖に充ちたユーモア、微笑にあふれた残酷さ、そんな空気感を漂わせる。そして会話の端々に、神と祈り、お布施と安息な日々、しかし そんな言葉は空虚に聞こえる。不自然な自由は、逆に不自由極まりない。宗教的な教えが、個々人の孤独な思いを飲み込み、親切気を装い洗脳するかのような言動。これは現代のどこにでもありそうな寓話。布教という名の怪物は、いとも簡単に人の心を取り込む。自分の心を取り戻す、そんな手助けをしようとする父・啓吾は、別の意味で聖家族を形成しようとしているようだ。

信者たちの癖のようなもの…困ると気を失う(寝たふり?)、自分の主張ができない、思いを言葉にできず、代わりにタンバリンを叩く、猿に腕を噛まれ体中が青い、など奇妙・奇抜な設定が面白可笑しい。深刻な内容だが、そこは感動系コメディに仕上げている。
ラスト、照明を階調し 梢と啓吾の父娘二人で しりとりゲームをする。梢の楽しい記憶、仄々とした会話。そして梢が そろそろ「帰るね」と…。お彼岸(上演時期を考える)に帰ってきたのは、本人か、それとも魂だったのか、そこが判然としない。
次回公演も楽しみにしております。
桜か雪の散るか降る

桜か雪の散るか降る

劇団身体ゲンゴロウ

王子小劇場(東京都)

2022/09/28 (水) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

公演は、タイトルと物語の内容を考え合わせると、和歌の見立てを意識した劇作のようだ。そう思うと 戦争が主で、合戦が従になりテーマがより鮮明に感じ 伝わった。同時に戦争と平和を描いているようだ。
冒頭、平家物語と吾妻鏡を元にした内容である旨 説明があった。確かに場面の多くが源平・奥州藤原氏との合戦であるが、その戦(いくさ)を通して最悪の不条理を描き出そうとする。
公演の魅力はテーマの明確さ、それを分かり易く観せようと工夫しているところ。発想の豊かさ、熱量ある演技は良かった。ただ演出が少し粗く丁寧さを欠いたのが勿体なかった。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術、基本は素舞台であるが、奥の幕が開くと社のような造作が迫り出してくる。役者は和装(一見 羽織と袴風)であるが、羽織を脱ぐと白シャツを着こんでいる。違和感があるのは、全場面で革靴を履いていること。出来れば源平・奥州藤原の場面は裸足か足袋で演じてほしかった。戦争シーンでは軍靴高らかに響かせ行進する。時代感覚の違いを表してほしいところ。

物語は、落ち武者狩りの少年・泡盛が出会ったのは平敦盛。二人は奥州平泉の藤原氏を頼った。そこに登場する怪しい姫と藤原秀衡と泰衡親子。そして義経も という荒唐無稽な展開へ…。藤原家の存亡をかけた源氏との駆け引き、義経を利用した権謀術策、いつの間にか二人の若者も巻き込まれていく。泡盛は意気軒昂で好戦的だが、本当の戦は知らない。一方、敦盛は実戦し 何とか生き延びた辛い思いがあるため非交戦を願う。生きることも死ぬことも出来ない不器用な人物。二人を対照させることで戦争と平和という構図が浮かび上がる。泡盛は戦を通して、その恐ろし虚しさを知る。消えて無くなりたいは、負(戦)の連鎖を断ち切りたい思い。敦盛は砂金堀、金箔細工に逃げ込み傍観を決め込むが…しかし主体的に考えなければ解決しないと。

怪しい姫は、戦で亡くなった死者を操り楽しんでいるよう。しかし、いつの間にか死者の怨嗟・怨念が聞こえなくなる。死者は恨み辛みの言葉さえ失い、姫が聞くことが出来なくなる。生きていてこそ言葉が聞こえる。それが聞ける=平和になるのはいつ?敦盛との鬼ごっこはそんな平和な時の表れであろう。

舞台美術、時として 社は中尊寺 金色堂であり、靖国神社を思わせる。藤原氏が建立した目的は、戦いで亡くなった人々の御魂を極楽浄土に導き、奥州に平和をもたらすため。一方、靖国神社は、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を後世に伝えること。どちらも鎮魂を目的にしているようだが…。現代において二つの建造物を同一視して捉えることはないであろう。

戦争シーンはキャスター付の箱馬を積み重ね高射砲のような物を組み立てる。羽織を脱ぎ洋装にして行進、敬礼する姿で合戦との違いを表す。召集令状を桜紙に置き換え=戦争、雪が消える=平和を示すか。
靴を履いているから軍靴を響かせる。戦争時は、後幕に人影を映し多くの人が犠牲になっている様子、その阿鼻叫喚が聞こえるような照明効果。音響も、終盤はピアノが終始奏でられ高揚と鎮魂を思わせる見事さ。それだけに時代感覚、その空気感の違いがもう少し丁寧に演出できていれば…。
次回公演も楽しみにしております。
NO GOAL -HOMELESS WORLDCUP-

NO GOAL -HOMELESS WORLDCUP-

青春事情

駅前劇場(東京都)

2022/09/30 (金) ~ 2022/10/04 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
表層的にはスポ根もの のようだが、そこは「ホームレスワールドカップ」という あまり知られていない?競技で興味を惹く。自分は知らなかった。この競技、ホームレス状態の人が一生に一度だけ選手として参加できる、社会復帰を目的としたストリートサッカーの世界大会だという。話は、その世界大会を目指すメンバー、スタッフが数々の困難を乗り越えて、という典型的な青春、いや中年の人生再起を賭けた熱きドラマ。

ホームレスの人たちの事情は、敢えて一人ひとり描くことはせず、物語の流れの中でいくつか描くに止める。劇中では、ホームレスになった原因や理由は人それぞれで、中には自然災害で家屋を失った人もいると。今、コロナ禍で暮らしも不安定になっており、先行き不透明な時期であろう。

「ロッカールームを舞台に、実在するホームレスワールドカップ日本代表『野武士ジャパン』をモチーフに描いた過去作を、満を持してここに再演!」という謳い文句…今、再演する意味ーーこれは人生の応援歌なのだ!そしてラストに無言のメッセージが…。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、形の違う いくつかの箱馬のようなもの。正面は(紗)幕、上手・下手には非対称の色衝立、両壁には網が張られ、その内側に複数の空き缶と同数のライトがある。網はゴールのイメージ、空き缶はホームレス、ライトはスタジアム(試合)を連想した。キッチリと作り込まないのは、「ホームレスワールドカップ」へ向けて、時間と場所が流動的だから、イメージの舞台セットにしている。

ストーリーテーラーとして まや(大山麗希サン)がボランティア、そして卒業論文テーマとの関わりで要所々々の状況をコンパクトに説明する。「ホームレスワールドカップ」は、ホームレス状態の人が人生で一度だけ参加できるストリートサッカーの世界大会とのこと。別府(加賀美秀明サン)は海外試合のため資金集め等に専念し、さらに勝利するためプロ選手を招聘することにした。そして新人監督・毛利(中村貴子サン)の下、「さすらいジャパン」の戦いはスタートを切ったが…。サッカー経験者は一人だけで戦術(用語)さえ まともに覚えられない。機嫌を損ねて練習に来なくなったら、携帯電話もなく、家さえないからそのまま音信不通だ。練習を重ねても一向にチームとしてのまとまりを見せない選手たち。監督の提案で二泊三日の合宿を行うことになり…。ここまでが、登場人物の性格やチーム内の立場・役割を説明。そしてチーム状態を見せることで、今後どう変化し纏まっていくかという過程を印象的に導く巧さ。

一方、選手たちばかりではなく、スタッフは海外試合の資金繰りやパスポートの取得や問題も明らかになる。ホームレスになった原因の一つに、姉のために義兄(会社の上司でもある?)を殴り 解雇された男。姉から失踪宣告が出され、11年が経ち戸籍謄本が取得出来ない。また別の男はギャンブル好きで、パスポート申請費用を競馬で失うという始末。ここで、日本のNPO法人ビックイシュー基金の存在を示す雑誌販売の場面を描く。自分たちの手で販売し、利益を得るところに自立の姿を見る。安易に手助けはしない。厳しくも温かいエピソードを挿入する。

貧困という世界共通の問題や、人間の可能性を考える。そぅ 世界中にいるホームレス、国力とでも言うのか、日本に比べ貧困に喘いでいる国々の選手層は厚い。そんな国々を相手に戦って勝ち目はあるのか。社会復帰を目指した彼らにとっての“絶対に負けられない戦い”がそこにはある。色々な意味で ラストの「試合に負けただけで、人生に負けたわけではない」という字幕は熱き無言のメッセージとなっている。
次回公演も楽しみにしております。
クロスフレンズ 2022

クロスフレンズ 2022

LOGOTyPEプロデュース

光が丘IMAホール(東京都)

2022/09/29 (木) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
謳い文句…「全編を90'sを代表するJ-POPのヒットナンバーで綴るミュージカル」 楽しんだぁ!
アメリカン グラフティのような、当時の世相などを点描しつつ、ハイスクールに通う女子3人の青春と友情を瑞々しく描いた物語。スタイリッシュな舞台美術、キュートな魅力の女性、90'sポップな音楽、そしてシャープなダンスで観(魅)せるミュージカル。そのエンタメ性、クオリティの高(良)さは幅広い年代で楽しめるもの。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術はダイナーの外観を思わせる造作。上部に「NO STOPPING ANYTIME」と掲げられた看板。上手に金網柵、外階段が付いており屋上へ、下手は店内のカウンターと赤い腰高スツールが置かれ、なんと外には梯子が掛けられている。劇中ではその梯子を上るシーンもある。
店内はいくつかの柱があるだけで広い空間、そこを何と自動車が走(通)り抜ける。劇場に入るなり、そのスタイリッシュな造作に観(魅)入らされるだろう。

本筋は、ハイスクールに通う女子3人の青春と友情の物語。優等生のアン(橋本愛奈サン)は、卒業後の進路に迷っている。そんなアンの気持も知らず親友ベティ(菊池愛サン)とクリス(平松可奈子サン)はラスベガスへの旅行を計画。謎の悪女デボラ(今泉りえサン)は、偶然出会ったアンに「運命の出会いって信じるか」と問う。日常…ハイスクールという多感な年頃、親友と呼べる友と出会えた喜び、そして他愛ない会話が積み重なっていく。同時に卒業後の進路は、その明確な目標が見つけられない不安定さ。言いようのない不安と希望ーそんな時のカルフォルニア(ロサンゼルス?)からラスベガスまでのドライブー日常にちょっとした非日常が入り込み、そこでの出来事、出会いが その後の人生に影響を与えたかのような。
劇中でも言っていたが、人は一人(孤独)では生きられない。そこに「深み」より「温かみ」に重きを置いた公演という印象を持った。それ故 心地良さがしっかり伝わった。

脇筋になるいくつかの話が、説明にある 珍しい昆虫を探す少年、麻薬捜査官とFBI、ツアー初日前のドラァグクィーンたち、正体不明の強盗夫婦、借金まみれの逃亡者、恋に落ちた結婚詐欺師…それらの小話が絶妙に絡み合い、ラストは旧ルート66沿いのひなびたダイナーに集結する。本筋と脇筋はしっかり組み上げず、緩やかな関係性に止めている。そしてラストの銃 乱射は幻想か幻覚といった夢落ちのようで、後味を悪くしないためか。
それぞれに見え隠れするのが、ヒッチハイク、ドラッグ、銃、LGBTQ、同性愛、詐欺などアメリカ社会(の世相)と思われるような出来事。ハイスクールの女子には 一見無関係な事を絡めることによって、紛れもなくその時代・社会に生きていることを知らされる。優等生で教科書にある(歴史的)出来事は知っていても、実社会ではあまり役立たない。この旅で出会った人々や出来事、その意味の大きさが…。

脇筋としたが、丸テーブルや椅子を持ち込んで きっちり描く。もちろんワンシーンではなく、それぞれの物語の役割で紡ぎ、それが相互に関連し繋がっていく。役割とは形の違いはあるが、「出会い方」を表している。
演出の巧さは、場転換や強調に必要な場面では歌やダンスで印象付けをする。もちろん照明も多彩である。ミニアクションやダンス、そしてドライブシーンが絶妙に絡み合いテンポよく展開し飽きさせない。
次回公演も楽しみにしております。
八月のモンスター

八月のモンスター

甲斐ファクトリー

オメガ東京(東京都)

2022/09/28 (水) ~ 2022/10/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
人の心に巣食う御しがたい思い、その魔物の正体とは…。
舞台美術は、3つの扉があるだけのシンプルなものであるが、物語の展開を分り易くすると同時に、それぞれの人の心の扉の内にある真と実を浮き彫りにする、そんな心象風景を見事に表す。自分の心、その内にあるモンスターが生まれ成長するには或る理由・原因があるが、自身で制御することが出来ない苦しみ、悲しみ。表層的には、自身を見つめ自己変革を図る「夏期合宿特別セミナー」の5日間を描いている。
少しネタバレになるが、心の深淵を覗き込むのは受講生と講師、その2つの観点を巧みに交錯させる。それによって謎めき、サスペンスミステリーのようなハラハラドキドキ感が生まれ、関心を惹き続ける。そしてラストの衝撃的な結末は…劇場で観てほしい。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 公演終了後に追記(ネタバレ)公開。

コマギレ

コマギレ

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2022/09/22 (木) ~ 2022/09/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
この劇団の魅力、笑わせ泣かせるという人間の感情を揺さぶるのが上手い。この作品は初演も観劇しており秀作と評した。
その再演だが、初演に比べると少し物足りない。辛口になるが、将棋という勝負の厳しさ、ピリピリした緊張感、その引き締まった空気感の中に仄々とした人情味を出すことで、人の優しさ温かさを印象深く描き出すことが出来る、と思う。確かに本作の見どころも 女性棋士とその師匠対決がクライマックスに変わりはないが、将棋の世界、勝負の厳しさが他の将棋シリーズに比べ弱い。更に人間性は、一人主人公になった熊谷学の人生と人柄へ収斂したかのように思える。それを好む人がいるのも事実だが…。
この劇団には、どうしても高みを目指す を求めてしまうなぁ。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

セットは初演時とほぼ変わらず、二階部を設え、二階上手に対局室や小料理屋和室(襖)、下手に将棋解説用の大盤、一階はプロ棋士の将棋道場といった設定。BASE THEATERでは多くの場所を設定するよりは、本作のように道場と対局場という二元場面、現在と過去といった往還場面という緊密さをしっかり演出し物語を分かり易く展開させる。奇抜さよりは、万人受けするような しっかり観(魅)せる芝居に仕上げている。

梗概…女性で初めて四段に昇段してプロ棋士として期待される天野桂子(岡本美歌サン)。一方、彼女の師匠である熊谷学棋士<六段>(井保三兎 氏)は引退を迫られる状況にある。初演時は、この2人が主人公であったが、本作では桂子の存在感が弱い。師匠は、何故プロ棋士になったのか、その生い立ち境遇を影絵仕立ての演出で情感豊かに描く。過去と現在の回想、それは天野家の食卓(カレーライス)や天野の父の人情の有難さである。人の温もりを知っているからこそ弟子育成にも情熱を傾けるし、熊谷将棋道場には人が集まる。そのもてなし料理が豚肉カレーライスである。

見どころは、プロ アマ関係なく参加できる「将棋大会」で、アマ棋戦(名人)で連覇したが 結局 プロ棋士になれなかった大谷(大川内延公サン)とプロ最弱棋士・熊谷の対戦(と感想戦)だと思っている。奨励会で励んだ仲間や(年下)桂子に昇級・段で抜かれる口惜しさ。今は将棋雑誌記者になっている。熊谷からプロ編入を勧められるが、「将棋を憎んでいる自分には資格がない」と断る。まさしく勝負の世界である。そして将棋愛を感じる。
天野桂子は脳梗塞で倒れ、一命は取り止めたが時々記憶が無くなるという後遺症が残った。復帰したが二手指し(反則)で連敗続き。先の超人戦ではライバルの女流名人・花下葉子(山本綾サン)が二手指しを自ら制してくれて勝つことが出来た。そして師弟対決へ…。病に倒れた桂子の辛苦の描き込みが弱く、彼女の勝負師としての懊悩が観えない。冒頭にプロ棋士として覇気ある姿、そして復帰にかける姿、その人間性を描くことで将棋 勝負世界(緊張感と高揚感)の醍醐味が得られるのではないか。チラシには「将棋は記憶の競技だ。天野桂子。職業、プロ棋士。人々に記憶される彼女の活躍。だがそれは平坦な道ではなかった…。」とあるが、記憶の「細切れ」の印象が強くなった。

敢えて照明や音響といった舞台技術、その効果をあまり感じさせない。音響は駒音の響きを損なわない配慮。照明は大盤解説の中継ぐらいか。ゆえに役者の演技力が重要である。役者の演技は確かなもので、バランスも良い。初演時と違うキャストもいたが 概ね適役だと思う。天野桂子と熊谷学を比べたら、圧倒的に後者の人柄を描いていた。そこが将棋世界の厳しさから少し離れたように思う。
次回公演も楽しみにしております。
新訳「あわれ彼女は娼婦」ワークインプログレス

新訳「あわれ彼女は娼婦」ワークインプログレス

NICE STALKER

スタジオ空洞(東京都)

2022/09/21 (水) ~ 2022/09/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

表層的には面白い。未見の演目のため、もともと どのような世界観なのか分からない。ただ令和の時代にあった言語感覚で「観やすい」古典として再構築という目的は達せられたかも知れない。
物語の端々に 当時の権威と尊厳の象徴であろう教会の失墜が見て取れる。その意味で、原作の世界観はもっと皮肉に満ちたものではないかと思ってしまう。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

ほぼ素舞台。1カ所に乱雑に置かれたジャバラパイプ、壁に黄色のラテン十字が斜めに塗られている。天井から色付裸電球が吊されているだけ。ラストは、傾いたラテン十字に照明が照らされ輝いて見えるのだが…。

物語は、ジョヴァンニ(兄)が神父に妹を愛してしまったことを告白したところから始まる。いったんは諦めるように説得するが、最後には妹アナベラとの恋を認めるような素振り。そして二人に情交の結果…。その結果に対する神父の後始末(対応)アドバイスが更なる悲劇を招く。悲劇の結末には枢機卿も為す術がない。教会…神父の導きによって愛情劇が愛憎劇へ変質?してしまう。そこに権威や既成の価値(芸術)の失墜、それに対する抵抗や失望が透けて見えた。ここが「ワークインプログレス」へのコメント。先読みすれば、現代日本との関係なんかが出てくるのか?
公演では、まずは物語性を意識したような観せ方だ。確かに現代でも衝撃(話題)性のある「近親相姦」という禁忌を犯した兄妹の恋愛を軸に展開する。「妹萌え」であり「兄恋慕」といった相思相愛、その面白場面を切り取りコンパクトにまとめ上げ、敢えてコメディタッチで面白可笑しく観せているようだ。

舞台回しであり神父、さらにアナベラの乳母・プターナ役を演じる東京ドム子さんが巧く立ち回る。彼女曰く、原作をそのまま上演すれば3時間半のところ、本公演では割愛をして分り易くしているという。用語や当時(1630年頃)の状況については、プロジェクターで補足説明する。さらに本番中にダメ出しを演出家に求めるなど、あの手この手で観客の関心を惹きつける。

台詞は、令和の時代感覚(翻訳・構成・演出)のイトウシンタロウ氏、一方 その対比として紹介されたのが小田島雄志氏の訳。劇中では、「身の上」か「身の下」かといった上品か下品(身振りを加え)といった括りであったが、「全編上演」時にはどうなるのか。ちなみに次回公演は「ロリコンとうさん」(2023年8月)らしいので、全編上演はまだ先のようだ。
次回公演、そして本公演の全編上演、どちらも楽しみにしております。
 蓼喰ふ虫

蓼喰ふ虫

TOKYO PLAYERS COLLECTION

OFF OFFシアター(東京都)

2022/09/21 (水) ~ 2022/09/26 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
原作(小説) 谷崎潤一郎の「蓼食う虫」の舞台化、他で舞台化されたか知らないが、何て濃密(蜜)で味わい深い物語であろうか。舞台美術が物語の核心を突くようで、対外的には夫婦という体裁を取り繕うが、内実は隙間風が吹くといった情景を見事に表出している。

「現代の夫婦が演じる、約100年前の夫婦の話」であるが、現代でも色褪せることなく、いや時代が変わっても人の心に忍び寄る「浮気」という「病気?」に翻弄される夫婦は多分、いや間違いなくいるだろう。
説明にもあるが、既に夫婦関係は破綻しており離婚を念頭に置いているが、小学生の子供のことを考えると、決断できず先延ばしにしている。100年前には無かったであろう言葉「仮面夫婦」、それを当時(昭和初期)の雰囲気を醸し出し抒情豊かに描いた珠玉作。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は 柱と梁で外観を作り、その内にソファや丸テーブル、椅子が置かれている。奥は摺りガラスのような引き戸、上手は木目の美しい戸、下手には小箪笥がある。観るからに形だけの夫婦のような 隙間だらけの家(光景)、離婚の鍵を握る子供は途中からしか登場しない。「子は鎹(かすがい)」というが、この家には鎹も見あたらない。

好きで結婚した女なのに、なぜ妻になると、欲情しなくなるのか。セックスレスが原因で不和に陥った斯波夫婦。夫・要(秋本雄基サン)は勝手気儘に娼婦・ルイズと情交し、妻・美佐子(榊菜津美サン)は夫公認の男・阿曽と逢瀬の日々を送る。関係はもはや破綻しているのに、子供・弘のことを考えると離婚に踏み切れない優柔不断さ。 夫婦から相談を持ちかけられた要の従兄・高夏の尤もらしい説明にも…。

ぐずぐずと煮え切らない態度、何となく自然発展的に夫婦関係が解消できないかを探っている様子。なんと虫の良い思いであろうか。
また美佐子と阿曽の結婚話…阿曽が添い遂げる約束はしない。将来の気持を拘束する、不変ではない心に約束など出来ないという説明。都合が良いというか こちらも虫の良い話に聞こえた。夫婦の思いや在り様は、当事者でなければ解らない、まさしく「蓼喰う虫」も好き好きなのだろう。

舞台は昭和初期を思わせるような雰囲気が漂うが、それはスピード感ある現代とは違う時間がゆったりと流れているような感覚。劇中で美佐子の父に同伴し文楽など観劇する場面、サラッと当時の粋な遊びー風俗といった情景を描く。その父や愛人・お久の和装姿、美佐子やお久の髪型が時代という風情を漂わす。

ラスト、布団の上に座り、行燈に灯された要とお久の顔 見詰め合う様はゾクゾクとするような艶めかしさ。新たな男女関係に発展しそうな予感が…。雨音・強風の音響、葉影・妖しく揺れる照明といった舞台技術も見事な効果を発揮する。
現代の実際の夫婦である、秋本雄基さんと榊菜津美さんの瑞々しい共演に観(魅)入らされた。
次回公演も楽しみにしております。
かもめ

かもめ

ハツビロコウ

小劇場B1(東京都)

2022/09/20 (火) ~ 2022/09/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
人々の心の内、その表し難き小宇宙を緊密に繋ぎ合わせた秀作。物語は、冒頭に全人物を紹介するかのように登場させ 以降 夫々の関係や知り合ったがゆえの道行きを丁寧に しかも重厚に紡いでいく。演出は、「かもめ」の核心と思われる刺激的な言葉(台詞)を抽出し、体当たり的な演技で魅了する。描きたい核心、そして観せるといった解りやすさを実に上手く共存させる。

諦念と倦怠を思わせる雰囲気を破り、内からの咆哮が観客の感情と思考を揺さぶる。信念、芸術、才能、愛情、嫉妬等が渦巻く胸の内を吐露する、その激情と冷笑といった場面が巧みに描かれ、その情景を印象的にする。全編 薄暗く沈鬱のような雰囲気を漂わせるが、その重い空気を打ち破るかのような熱演に惹きつけられる。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)追記予定

三年前のリフレイン

三年前のリフレイン

劇団東京座

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/09/16 (金) ~ 2022/09/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

当日パンフに座長兼演出の筒井勇樹氏が「”初めてのことが沢山“ 我々の可能性へ通じるヴァージンロードに躊躇なく土足で入っていただき、唾をつけるなり手垢を塗りたくるなりしてくださると幸いです(続きあり)」とある。真に受ける訳ではないが、いくつかの課題があったと思う。

脚本(物語)が分かり難いこと、演技がかたく ぎこちないこと、もう少し制作面での配慮が必要なこと。特に制作面では開場が遅れ、それに伴って開始時間が15分以上遅れ、さらに場内案内もあまり適切とは思えなかった。
(上演時間1時間40分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

舞台美術は、後ろに暗幕、その前にボクシング リングと椅子。終盤は暗幕が開きCDを貼り付けた立体ボードのようなもの、下手にドアを設える。前半は生身の人間を活かしたセット、終盤は機器/装置で異次元を表現している。舞台転換をスムーズに行うため、凝った作り込みはしていない。ちなみにタイムマシンはタイムレコーダーで、日時/場所を打刻して時空間移動する。

メトロポリタンガッチャマンジムに所属している馬場清人(役名=本名)は、ある試合をきっかけに、人知を超えた能力”光の速さで動く能力”を手に入れる。その試合後に現れた女性 神原茜から その能力を使わないよう言われ、出来ればボクシングをやめてほしいと頼まれる。彼女によれば時間の歪みが生じ、世界的に危険な状態になるらしい。彼女の言葉は、にわかには信じられないし、ボクシングをやめたくない。特殊能力のおかげで連戦連勝、ジムの会長の営利思惑、ジムの先輩・後輩との微妙な関係、新しくジムに入った謎の女性トレーナーとの恋愛らしき話を点描する。パンフにキャスト紹介<年齢・入団年と出身県>と登場人物相関図が載っているが、何となく劇団員 歴が物語の(人物)関係性に反映されているような。劇中、茜(飯富なみだ サン<25歳>)が清人(馬場清人サン<21歳>)を馬場君と「君付け」で呼び、ジムの先輩/後輩も劇団内の年齢の上下関係になっている。何となく稽古場をみているような。

茜は3年後の未来(世界)から、彼を救うためにやって来た。3年後に彼は拘束され…。その場面が終盤の機器/装置、ベットに拘束された清人の姿である。彼の能力をどう悪用しようとしているのか、魔の手とはどんな組織(政府なのか企業等)なのか、多くの説明不足がある。かと言って幻想や心象風景を描いているわけでもない。
タイトルにあるリフレインは、映画「ターミネーター」を連想する。未来から自分という存在、その生命(母親)を助けに来る は、物語として分かり易く、SFアクションとしても楽しめた。この公演ではタイムトラベルに関わる疑問、例えばタイムパラドックス等を茜が台詞で説明するだけ。それでは説得力に欠け、タイムトラベルの面白さ=物語の醍醐味が伝わらない。そこを上手く表現するのが舞台であろう。

演技は総じて かたく、ぎこちない。またジム会長・金山浩二の大声・誇張した演技には理由があるのだろうか。一人だけ目立って不自然だ。清人とその対戦相手・松本毅の上半身が そこそこ引き締まっていたのが救い。
最後に制作について、全席自由席であったが、場内案内では中央席から詰めて座るよう指示。すでに端に座った人に声掛けし席の移動を促している。後から来る観客への配慮であろうが、やり過ぎではないか。結果、中央が密になっていた。呼び掛けだけでよかったと思う。

冒頭のパンフの続きに「その軌跡を軸に素晴らしき芸術の爆発を繰り返していくことになりましょう」とある。期待!
次回公演を楽しみにしております。

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