タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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丹下左膳'23

丹下左膳'23

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2023/07/11 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
初日観劇。新宿花園神社境内の特設ステージは満席。テント内に威勢のいい掛け声が飛び、その熱気とアルコールに酔いしれる。中央上部で観たから、俯瞰するような感覚…豪快な躍動感 と 繊細で抒情豊かといった違う世界観が 同時に楽しめる公演。観応え十分。

初演は42年前の1981年、片目片腕の剣鬼が駆け回って大活躍をしたらしい。そんな半世紀近く前の剣士を再び現代に登場させるが、なんと今の悪しき社会 風潮を切りまくる痛快劇へ。時代遅れどころか、進化した「丹下左膳’23」が眼前で大暴れ、同時に出生の逸話から人間臭さや滋味溢れる内面まで観せる。物語は色々な説話や伝説等を巧みに織り交ぜ紡いでいくが、それを旅芸人一座の劇中劇のように…。江戸という時代、その世相を現代に照らし合わせ痛烈に皮肉り批判する。

知らなかったが、左膳は相馬中村藩の藩士だったという設定らしい。その藩は 現在の福島県浜通り北部を所領していたことから、東日本大震災に係る問題も抉る。が、それら諸々の内容(問題)を殺陣は勿論、歌や踊り そして人形芝居といった観(魅)せ方をし飽きさせない。さらに大掛かりな舞台装置とその変形に驚かされる。これはもう 特設ステージへ。
(上演時間2時間30分 途中休憩15分)

ネタバレBOX

二幕劇。
舞台美術…冒頭は太鼓橋が架かり、白地に「二十年前 左膳は死んだ!」との垂れ幕。
色々な事〈話〉を錯綜させ、その場面毎に愉しませ、全体を通してみると 不思議な味わいを出している。まるで 寄せ鍋のようで、夫々の食材が美味(上手)く煮込まれ熱々に出来っている、といった印象。

忠臣蔵における吉良方の観点から描いた話から始まる。当時中村座で上演していた人気演目が「忠臣蔵」だったらしい。その題材を枠にして「丹下左膳」も過去・現在という時代の違いの中で生きる。勿論、20年前の丹下左膳とチョビ安が騙る丹下左膳、そこには時代の間隔という見えるようで見えない世相・風潮の流れがある。
この人物を縦(時間)軸に、「さんせう太夫(人形劇)」、「甲賀三郎伝説」で弱き又は負け者観点で描く。テント上部から縄梯子で降りたり、地を這うようにして布を波打たせ大海原を連想させるなど、観せる工夫。何より驚かされたのが太鼓橋の崩落、そして下手から白大蛇が現れる。

二幕目。下手に小さな櫓。中央の広いスペースは ダイナミックな殺陣を確保するため。
一幕目と二幕目を巧みに繋ぐ、夜鷹 三姉妹の話術と艶やかさを以って二幕目が…。
日光東照宮の修繕の命に端を発した「こけ猿の壺」の探索、丹下左膳とチョビ安、お美夜との邂逅といった人情噺が入る。現代の政治 世相…例えばマイナンバーカード、高齢者保障などの問題を一刀両断にする痛快批判。背景には、片端者・河原乞食・夜鷹などを引き連れており、いつの時代でも虐げられる弱き者=庶民を主役に据えている。因みに左膳の生まれた時の逸話も描かれ、その生い立ちが片端者・非人などといった者へ同調していく素地になるよう。
勿論、「浅間焼け」といった噴火や大波(津波)=東日本大震災を連想させる場面も挿入し、自然災害の恐怖、慰霊への思いを強くする。

テントの後ろが開き 闇夜に篝火が、その幻想的な光景が見事。境内のテント公演らしく、自然を借景した一体感ある絵柄が何とも力強く印象的だ。ラスト、雪が舞い 縄梯子で宙に浮いた お美夜が見守る中、登場人物が皆 丹下左膳の格好(南無阿弥陀仏と染め抜かれた着物姿)をして花道を駆け去る。
全体を通して、中村座で上演している公演仕立てにしているようだが、そこは曖昧にしている。「丹下左膳」という大衆の娯楽時代劇として楽しめれば、それで良し。
次回公演も楽しみにしております。
チョビ

チョビ

ここ風

シアター711(東京都)

2023/07/05 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
新暦(東京)の盆や七夕の時期に相応しい、懐かしく 愛しい人との邂逅をコミカルに描いた秀作。冒頭の<川>の話は後々考えると…。また舞台美術が懐古的な佇まいで、物語の雰囲気・世界観にピッタリ。

公演の魅力は、個性豊かな人々との出会いと触れ合いを通して、人としての豊かな心を育む様子が 優しく温かく見守るように描かれているところ。全て善人で 和気藹々と和むが、時に憎まれ口・減らず口を叩き、意地悪をするといった他愛ない悪戯をする。観ていて思わず笑みがこぼれてしまう。

また、今事情等を盛り込み、物語に幅と深みを持たせる。その内容を終盤になって明かすことによって、それまでの他愛ない台詞に大きな意味があることを知る。主人公チョビは児童養護施設育ちだが、縁あって養子縁組をして新たな居場所を得るが…。
公演ではこの居場所、家であり家族を示すが、けっして外見的な見栄え、裕福といったことではなく、そこでの暮らしの心地良さを表す。全ての登場人物は血の繋がりのない他人、それでも祖父であり父や母、そして兄弟姉妹、さらに友人である。そんな人と人の繋がりの大切さを仄々と描く。たとえ ヤケドの跡が薄くなろうとも、心に残る良き思い出は色褪せないのだ。

登場人物の夫々の演技力とその調和、そして特に ほとんど 出ずっぱりのチョビ(天野弘愛サン)の愛嬌ある振る舞いと哀情、憂いといった複雑な感情表現が実に上手い。音響は 遠くで蛙や蝉の鳴き声が聞こえ、照明は日中の陽射し、夕方の茜色、そして夜といった諧調で時間の流れと情景の雰囲気を表す。その抒情性が居場所(家)と人の融和といった表現を巧く引き出している。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、畳部屋や縁側、奥の庭には簾に葉が生い茂る。障子や和箪笥、部屋の両側に衝立や襖、畳には卓袱台が置かれている。何となく日本の原風景を思わせる家屋。ここはチョビを養子に迎え入れ、育った家。第二の故郷とも言える。

チョビは灯籠流しで川に落ち、そこを養護施設で一緒だった亜矢に助けられる。その時、亜矢は竹竿を刺すように押したとチョビは文句を言う。この「川」は後々明かされる衝撃的な出来事と、七夕の<天の川>を掛けた伏線になっている。
養護施設で育った仲間と30年?ぶりに会って笑い燥ぐチョビたち。子供の時の思い出…花火や悪戯といった話は尽きない。施設運営の資金繰りが厳しくなっていることを知ったチョビは、聡太・有希夫妻の養子になった。有希の実家が資産家ということを聞いており資金援助を当てにしたが、実は二人の結婚に反対で絶縁状態だと知りガッカリする。それでも二人に大切に育てられ…。

この家を中心に、聡太の仕事の親方・辰雄やヤクザの友人・吾郎といった人々との親交が微笑ましく紡がれる。養護施設の仲間との語らい、夫婦・辰雄・吾郎といった養護施設以外の人々との話を面白可笑しく錯綜させる。しかし、施設は天災による土砂災害で壊れ皆亡くなっていた。チョビが(酒に酔って)川に落ち 助かったのは、亜矢が三途の川を渡らせなかった と思う。

チョビは、彼岸と此岸の狭間の夢から目覚めたかのよう。今では この家は地域の共同施設になり無人になっている。母・有希が残してくれた食堂はコロナ禍の影響とインターネットによる悪評(元ヤクザ 吾郎が料理人)を流布され…。ラスト迄観ると、チョビが川に落ち溺れたのは偶然 事故か?養護施設の亡き仲間との出会い、店が潰れ、といった一連の流れを考えると…。<生きる>ということは、生きている人からだけではなく、思い出(死者)の支えもあってのことだと改めて思う。そんな味わい深さが感じられる公演だ。
次回公演も楽しみにしております。
そこに在るはずの貴方に

そこに在るはずの貴方に

FUTURE EMOTION

キーノートシアター(東京都)

2023/07/07 (金) ~ 2023/07/08 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

韓国と日本に共通した説話である「牽牛と織姫」(七夕物語)を題材に様々な観点からアプローチし、一つの作品を共同創作するプロジェクト。その志に敬意を表する。
物語は一般的に知られた内容で、Wikipedia等で知ることが出来る。その七夕伝説を現代に生きる若者…彦星と織姫の星座を持って生まれた転生者に重ねて綴る。

全体的に<美しくまとめた>といった印象の物語。韓日の役者は夫々2名…彦星と織姫を韓国の役者、鵲と烏を日本の役者が演じ、夫々 説話(物語)とパフォーマンスという役割を担っていたようだ。その付かず離れずといった空気感・距離感、そして ふわふわとした感じが、いかにも実体のない伝説らしい。気になったのが、韓国の役者は二人とも裸足、日本の役者は黒靴下で足下が違う。彦星と織姫という星座…宇宙〈天空〉という意味合いでは裸足なのかもしれないが、あくまで物語は転生者に重ねており実体〈人物〉を描く。何故ならば、二人は交わることなく街を歩き、雨が降り出したことで運命的に出会うのだから。

音響は ピアノをずっと弾き、照明は 鵲と烏の羽ばたく姿〈パフォーマンス〉を壁に陰影する。因みに、鵲と烏の違いを白と黒の衣裳で表し、後壁一面に赤い紐を張り巡らし、運命の赤い糸を示す。観せる工夫をしているが、全体的に淡々・粛々と展開するためメリハリが感じられず、印象が薄くなったのが惜しい。
(上演時間55分) 

ネタバレBOX

素舞台、一人の男と旅行者らしき女がバス停で出会い、雨が降り出し男(キム・ギョンファンさん)が女(チェ・ソンファさん)に傘を翳す。二人とも裸足で 街中を歩くには不自然だ。

物語は、現実(2023年)の二人の出会いと七夕伝説を交差させ、遥か彼方の彦星と織姫を現代に甦らせる。七夕伝説の知られた概要…織姫は神様の着物を織る仕事をしており、神様が織姫に婿を探す。そして天の川の対岸で牛の世話をしている彦星を会わす。二人は結婚して仲睦まじく暮らすが、全く仕事をしなくなる。神様は織姫と彦星を引き離し、二人は離れた悲しみで仕事をせず毎日泣き暮らす。神様は「真面目に働くのなら、毎年7月7日だけは、ふたりを会わせる」と約束する、というもの。公演はこの伝説をパントマイム等で表現し挿入する。伝説<非現実> と 烏・鵲<飛翔>、その浮遊感がファンタジーのように観える。

現実と伝説を結ぶ役を烏と鵲に担わせる。物語は韓国俳優が演じているが台詞は少なく、発する言語は韓国語、一方 烏と鵲は異世界を往還し虚実の橋渡しをする。七夕伝説、知っているようで知らない物語でもある。七夕伝説を韓国と日本に置き換えたとき、隣国でありながら知らないことも、そして両国の間には天<空>の川ならぬ海がある。何となく「七夕伝説」を題材にした意図が分かるような気がする。

この公演、物理的な橋ではないが 演劇という創作作業を通して<架け橋>を築いたような。このような試みは、継続してこそ<力>を発揮するだろう。
次回公演も楽しみにしております。
或る女

或る女

演劇企画集団THE・ガジラ

シアター風姿花伝(東京都)

2023/06/30 (金) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
有島武郎の小説「或る女」の舞台化、小説のモデルになった実在の女性の生き様を3時間強にまとめあげた力作。劇中繰り返し言う「崖っぷち」という言葉、主人公は まだ25歳。明治20年代に思春期、そして30年代の世を生きた1人の女性の自由奔放・自由恋愛、それを<光と音の芸術>によって甘美であり頽廃したような、何とも表現し難い世界観として表出する。

今でもそうだが、根拠なき因習 風習もしくは風潮といった<決め付け>に息苦しさを感じる。それが120年も前のこととなれば猶更であろう。その 閉塞とも言える社会(世間)への抗いが、地続きの現代を生きる人の戦いとして受け継がれている。女性の描き方は、刹那的であり、誰にはばかることなく懸命に生きた女性の<魂>が観えるような公演だ。

主人公の早月葉子を演じた守屋百子さんと その相手役の倉地三吉を演じた千葉哲也さんの力強く しかも濃密な演技が圧巻だ。薄暗い中で、スポット的に照らしたり蝋燭やマッチの火といった小道具による照明が実に印象的だ。音響は床の鉄板扉の開け閉めによる轟音、宗教音楽といった、どちらにしても耳に残る音響技術だ。原作の上演台本・演出の妙は勿論、演技力・効果的な技術といった<力>を感じる作品。
(上演時間3時間 途中休憩15分) 追記予定

無法地帯

無法地帯

藤原たまえプロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2023/07/05 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
無法地帯ならぬ無常世界のような…訳アリの おっさんたちが住むシェアハウス<双葉荘>での日常を面白可笑しく描いた物語。因みに登場するのは全員おっさんで、色気のあるシーンがあるとすれば映像か。

このシェアハウスに新入りが来た時の感想を 心の中で、「なんて くだらない、何の教訓もない」といったことを呟く。当日パンフに脚本・演出の山下平祐氏が「観劇後、皆様のお胸には何も残らないかもしれません」と。しかし、この手の話はシェアハウスの外、つまり社会(世間)との関係を描くことによって観客の心に何らかの爪痕を残そうとするが、公演では、ハウス内における人間関係だけで綴る。しかも 個々人の背景は深堀せず、今という瞬間だけを切り取り 〈生きている〉 として観せる。背景=訳アリという過去に縛られず生きたいという 思いがあるのかも知れない。

先のパンフには続きがあり「しかしその『何も残らなさ』もまた、男性のみのお芝居の『らしさ』」と。シェアハウスという狭い空間、訳アリの内容はそれぞれ違うが、それでもマウントを取りたがる滑稽さ。そこに愛すべき おっさんの虚勢と哀愁が垣間見え、不思議とジーンとくる。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は中央奥にキッチン、手前は応接セットが置かれている。上手には二階へ行く階段や本棚、下手は玄関に通じる通路や鑑賞植物がある。全体的に くすんだ壁が中古住宅をイメージさせる。劇中使用するスクリーンが上り下りする。この一軒家は、ここに住んでいる訳アリおっさん達と関わりのある篤志家の弁護士が低家賃で貸している。

訳アリおっさんとは、万引き、窃盗、住居不法侵入などの犯罪を犯した者で、いわゆる前科者である。今は更生したようで地道に働いている者、ぶらぶら怠惰を貪っている者など一様ではない。冒頭は、若い女性との出会いを求めるため、彼女たちのレタームービーを見て燥ぐところから始まる。彼女たちの性格云々といった他愛ないことでマウントを取り合う。

物語では、おっさん達の前科者になった経緯などは深堀せず、その犯行という事実だけを語る。そこには過去を振り返らず今日という日を生きる。暮らしていくとは、その日々の繰り返しで、芝居のように劇的な事が起きるわけではない。その意味では現実を見据えた日常<会話>劇のようだ。淡々とした日常が崩れたのは、痴漢行為で捕まったおっさんが、自分は無実だと言い続けていたが…。些細な言い争い、小さな諍いはあるが、何となく和気あいあいとした仲に不信感、そして亀裂が生じる。あっという間の崩壊は、家族と違って乾いた というか あっさりと結末を迎える。

YouTube配信を行うため、皆で曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を三番まで歌うシーンに おっさんの愛らしさ?と悲哀が垣間見える。台詞にない言葉が聞こえるような演技、そこにおっさん=”ベテラン男優陣”の凄みを観るような。だからこそ滋味溢れるといった印象が残る。
次回公演も楽しみにしております。
幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

中央大学第二演劇研究会

APOCシアター(東京都)

2023/06/29 (木) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「崩壊していく共同生活と『監禁の連鎖』を巡る濃厚な密室劇。狂っていく隣人を誰も止められない現代の恐怖をじっくりとあぶり出す」という説明に興味を持ったが、その芯となるところを十分に表出できたのだろうか。何となく中途半端なようで物足りなさがあった。
今 この作品を上演する意味は、そしてアマヤドリ(脚本:広田淳一氏)がいうところの<現代日本>が見えてくるのか。
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、会場を斜めに使用し、奥上部にスクリーン、その下にソファ。変形机(テーブル)、色違いの空間(衝立壁・床)をもって個々人の部屋を表す。何となくスタイリッシュな印象だ。

冒頭と最後は人が直線的に交差する動き、それは大都会 東京における人々の忙しく動き回る様子を表しているのか。続いて登場人物全員によるダンスパフォーマンスは何を表現しているのだろうか?意地悪な見方をすれば、上演前のウォーミングアップ、最後の同じようなパフォーマンスはクールダウンのよう。仮に役者紹介であるならば、役名を表すモノがほしい。パフォーマンスがなければ、スッーと大都会(雰囲気)の物語へ入って行けた。

キーワードは【監禁/密室劇】さらに【孤独】が加えられるのでは。
小田ユキヒト、星野カズユキ、仁村ヒトミの三人は、都内で一軒家を借りてルームシェアをしている。星野がある日、長期監禁から逃亡してきたという女、三谷クミコを保護する。星野から彼女を警察に連れて行くよう頼まれた小田は、何となく自分でクミコを守ることを決意し偏愛していく。そうして始まった奇妙な4人暮らしは段々と歪みを見せはじめ…… というのが大筋。小田は、司法試験を諦めて会社員(正社員)として働く。星野は小田の中学時代のハンドボール部の先輩 で、今は居酒屋でバイト。ヒトミも同じ居酒屋で働いており同僚にあたる。他の登場人物との相関関係も、このハンドボール部と居酒屋繋がりである。

初演は2009年…当時は新型インフルの感染が拡大し、経済的にも厳しい状況下(世界同時不況)にあったと思う。全く同じとは言わないが、今のコロナ感染拡大、物価上昇による経済停滞は似たような環境に思える。コロナ禍を例にとれば、ソーシャルディスタンスという名の下に没対人関係の中で、中学時代の部活仲間が出合い飲食する。その楽しい会話と自由な雰囲気を満喫する。一方、監禁は孤独と不自由を強いる。犯罪か愛の束縛かは微妙なところだが、息苦しさを覚えるのでは。
この二つの場面の意味合いが融合し、自由と不自由といった対比が一つの見所だと思う。が、この演出では別々の(分離した)物語と言うか、取って付けたかのよう。だからこそ、飲み会⇨三人の激論という展開に妙がある。
非日常どころではない監禁とその連鎖の異常性が迫ってこない。また多くの人がいる東京の中で、一人ぐらい行方不明(監禁)になっても という漠然とした不安が感じられないのが憾み。

小田のクミコに対する束縛は「新たな監禁」 の始まりで 、当然、星野とヒトミとの間に軋轢が生じる。二人と狂気していく小田の激情した口論がもう一つの見所。
小田にしてみれば自分が守らなければ、という使命感=偏愛を何故二人は分かってくれないのか。司法試験を受験していたという理論家、しかし理性という扉に隠された心の奥に潜む本性〈束縛欲〉が剥き出しになる。一方、二人にしてみれば得体の知れないクミコを保護する必要性はなく=警察に任せればという相容れない不毛な議論。そしてクミコの携帯電話に掛かってくる前の監禁者との緊迫した会話。今にも小田たちの家に来そうな怖さ。
監禁と密室というシーンは観応えがあった。勿論クミコの内にある思いは明かされることなく、彼女の背景等も謎を残したまま、小田たちの家を出る。

辛口になるが、映画館で偶然に会った中学時代の部活仲間との会話、その後の居酒屋での会話、どちらも一本調子で 大声を張り上げた演技。小田・星野・ヒトミの三人での激論も大声だが、こちらは激高している様子が伝わる。大声=熱演ではないと思うので、場面毎の情感にあった演技が求められる。ラストのピアノは印象付けとして実に効果的であった。
次回公演も楽しみにしております。
黒星の女

黒星の女

演劇ユニット「みそじん」

吉祥寺シアター(東京都)

2023/06/30 (金) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
黒星と言えば、相撲では負けを意味するが、そんな負け人生の女の観点…時事ネタを織り込み、現代日本の世相・物情を皮肉り酷評する。社会派 娯楽劇のような…これがニシオカ・ト・ニール女史の世界観とでも言うのだろうか。

この公演は、2020年下北沢のOFF OFFシアターで上演する予定であったが、コロナ禍で延期。そして 主宰の大石ともこ女史の言葉を借りれば、「この広~い会場にて、満を持しての上演」である。やはり吉祥寺シアターは広くて、役者間の距離(間隔)があるため、全体的に大きな動作と素早い動きをするが、なんだか慌ただしく観える。また初回だからだろうか、シンプルだが、場転換にも 少し時間がかかったのが惜しい。

少しネタバレするが、黒星とは女囚を表し、犯した罪の背景にある不寛容・無理解・無神経などを彼女達に負わせて紡ぐ。しかし、その描き(観せ)方は軽妙洒脱だ。歌・ダンス・緊縛…等々、しっかり聞かせ観(魅)せる。

彼女たち 1人ひとりの犯行、その動機や経緯を オムニバスのように展開させ、全体を通してみると現代日本の〈膿〉のような事象が浮び上がる。表層的な面白さ可笑しさだけではなく、その奥を覗くと哀しみ、怒り そして遣る瀬なさが…。
脚本と演出が、何となく骨太と滑稽といったアンバランスな魅力。勿論 観応え十分、ぜひ劇場へ💨
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)2023.7.2追記

ネタバレBOX

舞台は女子刑務所内12号室。中央と上手・下手に二段ベットがㇵの字に置かれている。ベットには洗濯物、可愛い小物が置かれておりリアリティはない。上部には睥睨するように見下ろす刑務官(小岩崎小恵サン)がいる。ほぼ中央にカレンダーがあり 物語は5月から7月迄。刑務所内で行われるダンス大会(8月)への参加は…。因みに役名=出演者名。

新人の大石が入房し、この部屋は5人の女囚になる。全員 上下赤いジャージ姿、胸には模範囚の印。物語は、大石が刑務所の一日、部屋のルールを説明するところから始まる。そして5人がどんな罪を犯し服役することになったのか順々に説明していく。単に女囚同士の会話ではなく、劇中劇のようにオムニバスで綴っていく。
<以下、個々人の話は割愛しようか迷ったがそのまま。>

●矢野は、前科7犯。夫と平凡な生活をしていたが、夫がリストラされ暮らし向きは苦しくなる。貯えも尽き家を出たが、何と夫は再就職し若い女と暮らし始めた。矢野は仕方なく路上生活者のようになり、スーパーで万引きし、ワザと捕まり警察へ。刑務所では衣食住が与えられ、一方 刑務所外は誰も相談に乗ってくれず 助けを求める場所すらない。何とも行政の矛盾を突く。

●赤星は、介護施設の職員。入所者への対応は丁寧に行っていたが、先輩職員から非効率と詰られ、痣にならない緩い拘束を指示される。その結果 入居者が拘束を外し窓から転落した。刑事の取り調べで優しく頭を撫でられ、寄り添う態度に思わず犯意を漏らす。やってもいない行為をでっちあげられたが、房の仲間の助けを借り、裁判のやり直しが…。権力(警察)による冤罪を指弾する。

●高畑は、屋上で女子高生が飛び降り自殺をしようとしているのを止める。自殺の原因は 苛め。彼女の父がコロナに感染し精神的に病み、自分もコロナ感染という偏見、不寛容な風潮に耐えかね自殺を決意。高畑は、自殺を止めるが、彼女から生きる勇気より死ぬ勇気がほしいと。いざとなったら足が竦み、背中を押してくれと懇願される。結果的に自殺幇助になるが、優しくない社会(世相)への批判。

●倉垣は、男に騙され薬物依存へ。断れない性格をいいことに男の身勝手に翻弄される。薬物、緊縛といったプレイに肉体を支配される。舞台中央、薄い白Tシャツの上から荒縄で縛られ、上部から照明が彼女を妖しく照らす。恍惚とした表情、妖艶な姿態が艶めかしい。政府は薬物防止の警鐘を行うが、有効な対策が講じられないことへの痛烈な皮肉。早々と仮出所をし舞台からしばらく姿を消す。

●大石は、一人で赤ん坊を育てていたが、言い寄る男から「俺と赤ん坊のどちらを取るのか」と無理な選択を迫られ…。この房では「やっちゃった」は<殺人>を意味し、皆それだけは嫌っていた。蹲る大石に向かって 矢野がボクシングではないが、立ち上がれと鼓舞する。

個々人が犯した作為、もしくは無実だと主張し続けなかった不作為、その背景にある事情や経緯を鋭く綴るが、その描き方はポップな歌やダンスなどで観せる。骨太作品を硬質にすると、ある(特定の)方向へ誘導するかも知れないが、逆に軽妙にすることによって柔軟な思考をもって観ることが出来る、と思うのだが。この公演はそこが魅力だ。
次回公演も楽しみにしております。
Hey ばあちゃん!テレビ点けて!

Hey ばあちゃん!テレビ点けて!

Bee×Piiぷろでゅーす

新宿スターフィールド(東京都)

2023/06/28 (水) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
笑わせ泣かせるといった王道のハートフル ヒューマンドラマ。
また、前説での温め・カーテンコールでの内輪ネタなど、スタッフ・キャストの対応も楽しませようという姿勢が好ましい。

説明にある「AI化したサチ子、彼女から課せられたミッション『死んでからさせたい100の事』をクリアする」、そのために奮闘する家族や仲間の姿を面白可笑しく描いた物語。勿論AI化したサチ子の様子・動作もコミカルで可愛い。
映画「死ぬまでにしたい10のこと」という、残りの人生を悔いなく生きる様を描いた感動作があったが、この公演は 逆に死者から生者へ力強く生きてもらうための応援譚だ。中盤までは緩い笑いを誘いながら、後半・ラストにかけて怒涛のような展開、そして悲哀と滋味に感動。思わず涙腺が緩む。

少しネタバレするが、第一のミッションはガラ携帯からスマホへ替え、LINEが出来るようになること、第二は若者言葉を覚えること といった実に他愛のないもの。

ミッションの一つ、サチ子を愛している証しとして<変顔><セクシー>そして映画「ローマの休日」に準えた<バーバの休日>という3枚のポスターを貼り…。「ローマの休日」は境遇や時間的制約がある中で、どう結末を迎えるかという興味を惹くが、この物語でも 制約ある中で最後のミッションは、という最大の関心事へグイグイと惹きこむ。この自然な展開が実に心地良い。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)㊙️ネタバレ

ネタバレBOX

舞台美術は田所家のリビングルーム。中央にソファとローテーブル、飾り棚が置かれている。棚の上にカレンダー(5月14日)があるが、場面が変わっても日付は変わらないことに違和感を持っていたが、ラストにその意味が氷解する。また後景は黒と白といった鯨幕で、サチ子が亡くなり葬儀の日から前に進めていないことを表している。

妻 サチ子が亡くなり、消沈している夫 治〈オサム〉。そこへAIを駆使して蘇ったサチ子、虫のような触覚を頭につけ、ぎこちない動作で100のミッションを突き付ける。呼び掛けは「Hey サチ子!」、そうしないと反応しない。
治は不承不承行いだすが、内心では喜々としている。他愛のないミッションだが、何となく生活に関わることが多い。そんな充実した日々、しかし そこへ総務省役人が電波法に抵触している疑いがあると…。
サチ子(AI)は試行(実験)段階で、彼女が発する電波は謂わば違法状態にある。それがバレるまでに何とか100ミッションをクリアしたい治と家族(長男・長女とその夫、子供<孫>)の思いは叶うのか? 99番目は「もう一度プロポーズしてほしい」、100番目は「私を忘れてほしい」である。

治は まだ定年前、現役で仕事を続けていたが、すっかりやる気を失くしている。職場の後輩たちも心配し、サチ子の知り合いも応援に駆けつける。登場人物が皆 個性豊かで濃い人たちばかり。特にサチ子(きむらえいこサン)と治(坂内勇気サン)の変顔を含めた表情・演技が物語を面白可笑しく牽引する。そのコメディ・タッチの場面を多く散りばめながら、ラストの感動ミッションへ。その感情を揺さぶる 振幅が半端ない。
治と総務省の役人たち<譲れない思い>の遣り取り…あなた達の言うことは尤もだが、ミッション遂行は譲れない、一方 役人・上司 曰く 違法は放置できない、しかし 部下は市民の幸せを守りたい、三つ巴のような会話が印象深い。

自分が亡くなり治が生ける屍状態…私を忘れ、思い出の品々も燃やしてほしい。一人で生活が出来るように鍛え、どうか前を向いて生きて行ってほしい、というのがAIになったサチ子の思い 願いである。治は言う「(いつも)思い出は胸の中にある」と。

ラスト、ずっと切ない劇中歌が流れ、朱色照明によって燃え上がる品々をイメージさせる、その余韻付が見事。年月の移り変わり…カレンダーが7月22日に変わり、今日も田所家の人々は元気だ。
次回公演も楽しみにしております。
あぁ、自殺生活。

あぁ、自殺生活。

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2023/06/27 (火) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「自殺生活」、死と生という矛盾したタイトルに心の葛藤を見るようだ。劇中 何度も言われる「自殺力」「自殺道」にも、<力>とか<道>という前向きと思える台詞、そこに死への逡巡が観て取れる。
会社員 頼道は中年男から ほろ苦いコーヒー牛乳をもらうが、これから死のうというのに「あぁ上手い。生きてて良かった」と言うような安堵の表情をする。

主な登場人物は男二人…一人は会社員、もう一人は奇妙な中年男。駅ホームにいた見ず知らずの人、それが徐々に相手の心に入り込むような濃密な関係へ変転していく。

しかし、時に史的ネタ・時事ネタが織り込まれ蘊蓄・問題意識を喚起するが、これが卑近すぎて興ざめし冗長にも感じられたことが憾み。不条理に道理が入り込み違和感のような。出来れば あり触れた世相等を排除し、二人だけの距離感・空気感、そんな独特の世界観に浸りたかった。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台装置は、暗幕で囲い 中央奥に大きな風景墨絵が3枚吊るされ、白い形状の異なる椅子が3つ。シンプルだが、中央・上手・下手へ配置を変えることで情景に変化をつける。因みに椅子の形状が異なるのは、人に準えて個性・特徴を表しているかのよう。

電車が近づき 駅ホームからフラフラと線路へ向かう会社員 頼道(山田哲郎サン)、近くにいた男(益田喜晴サン)が自殺を止めるかのように割って入る。男は「自殺許可書」を持っているかと尋ねる。頼道は自殺するのに誰かの許可が必要なのか、死ぬことすら儘ならないのかと訝しがる。男 曰く、多くの駅関係者に迷惑をかけ、特に運転手は罪の意識に苛まれ、これから生きていくのに支障がでるのだ と。

頼道は、融通が利かず 生きるのが不器用な人間、会社では無視され苛められている。道に外れないように生きてきた、その真っ当さが時に不自由で息苦しくなる。意を決して自殺を図るが、男に阻まれ決意が凋む。いや阻むというよりは、自殺幇助するかのように励ますが、そうすると逆に自殺し辛くなってしまう。
一方、男は呆けが怖い。爺さんも父さんもボケて みっともない姿になった。どうしょうもない恐怖、死にたい思いと必死に戦っている。頼道は、男に対して不思議な感情を覚え<あんたがいないと生きていけない>と哀願するような表情が可笑しい。

男は「どんなに人生が不条理だろうとそれを恨むな。人間はゼロのように孤独で野良犬のように一人なのさ。」と不可解な哲学論めいたことを言う。また、自殺は他殺だと言う。意味不明の理屈だが、自殺するにはそれなりの理由・原因があり、追い込まれたからなのだ。頼道は、会社で苛められ 孤立し誰からも話しかけられない。男は頼道のそんな孤独を癒すかのように話を聞き持論を展開する。

人は何らかの意思表示をし、寂寥や退屈、物足りなさ、不愉快さを消している。頼道は男に親近感を抱き、友情が芽生えだしたかのような錯覚を覚える。だから頼道は<あんたが居ないとダメなんだ>と心の中で叫ぶよう。人と人との繫がりが稀薄になってるからこそ心に響く光景だ。

脚本と相俟った演出…男の身悶える姿、それを朱色の照明が妖しく照らし、恍惚とした表情が何とも艶めかしい。音響は列車への飛び込み自殺であるから、遠くで轟音が響く。シンプルな舞台装置に効果的な照明と音響、その調和は見事だ。因みにブレーキ音は聞こえなかったような…。
次回公演も楽しみにしております。
瀬戸内の小さな蟲使い

瀬戸内の小さな蟲使い

桃尻犬

OFF OFFシアター(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/06/28 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!
究極の状況下、人の本音と他人のコトが気になる、その面白可笑しい会話劇。よくよく考えたら物凄く怖いのに、何故だかニヤニヤ笑ってしまう不謹慎さ。現実は、他人の不幸は蜜の味 どころではない 玉の汗だろう。おぉ、これが「見た人もストレスが発散できるお芝居」という謳い文句か。
シンプルな舞台装置だが、状況設定を端的に表しており見事。

役者の演技というか、表情の変化が情況を如実に表している。冒頭の二人芝居…刻々と変わる心境、いつの間にか他人が絡み…興味本位の詮索と遠慮ない言葉(意見)が何とも辛口。絶妙な会話のセンスとテンポが物語の肝。

ラスト、少し時間軸をズラして表出した「蟲使い」、何とも言えないシュールさ。その無言の光景は滑稽であるが、同時に不気味で怖い。
(上演時間1時間25分)

ネタバレBOX

ボックスを連結し、それを縦組みすることでフリーフォールを表す。男女2人が夫々そこに腰かけているが、地上50㍍のところで止まって5時間が経過する。兵庫県にあるあまり有名ではない遊園地、身動きが取れず恐怖と苛立ちがピークに…。簡易な舞台装置ながら、そのリアルな状況が目に浮かぶ。

東京で同棲していた道夫(鈴鹿通儀サン)と宮崎(片桐美穂サン)、道夫は「蟲使い」の跡を継ぐため地元の兵庫県へ帰るが、宮崎にも一緒に行って欲しいという。喜ぶ宮崎だが、実は「結婚はしない」と明言される。同棲⇒一緒に行って欲しい⇒結婚というパターンを想定していたが、何となく裏切られた気持が 今の状況を一層険悪にさせている。
途中から登場する関西弁で喋る中年?女性2人ーまゆ(橋爪未萠里サン)咲(中尾ちひろサン)、同じような状況下にある。することもなく暇つぶしに2人の会話に勝手に入ってくる。2人だけの世界から第三者という世間が闖入してくる面白さ、同時に関西弁という特徴を活かした鬱陶しい存在を介在させることで 感情的な話が苦笑 婉曲へ、この会話の展開が実に巧い。因みに地上でオロオロする作業員・山本(伊与勢我無サン)との空中・地上という目線合わせも巧み。ここまでが第1部「フリーフォール編」。

場面が変わり、「第二部 虫偏」…遊園地の機械作業員・花房ともき(野田慈伸サン)とフリーフォール編に登場した最後の1人ーマエダ(てっぺい右利き サン)が小人化した。タバコ箱や五百円硬貨を用い如何に小さいか表す。これは「蟲使い」の呪術か幻覚・幻想か、奇妙な世界観へ誘われる。そして遊園地の出来事から3年が経ち、宮崎は結婚し 道夫は相変わらず煮え切らない。現実と夢想といった相容れない世界観…そして道夫の傍に蟲の形をしたマエダの姿。

公演の魅力はフリーフォールの停止事故、無さそうで有り得る設定を巧く使い、人の本性を巧みに描き出す。同時に「蟲使い」という怪しげな言葉と職業が不穏さを表す。ブラックな笑いを入れつつ、話がどう絡み合い 物語が展開していくのか関心と興味を惹く。勿論 役者の面白キャラが物語の芯をしっかり支えており、演劇という異世界をたっぷりと味わわせてくれた。
次回公演も楽しみにしております。
恋するアンチヒーロー

恋するアンチヒーロー

イルカ団!

上野ストアハウス(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/07/02 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

笑い興奮の坩堝、熱狂的なファンが支えるコメディ作品。理屈っぽいことなし、肩の力を抜いて そう脱力して観👀よう。
🆎両チーム観劇したが、コメントはまとめて記す。

世界征服を企む悪の組織、その戦闘員がカフェの店員に恋をした。しかし 彼女は正義のヒーロー戦隊の大ファンという ありがちな物語。何故か悪の組織がヒーローをやっつけるという逆バージョンの痛快娯楽アクションが見どころ。弱いダークヒーローが圧倒的に強いヒーローの それもリーダーのガルレッドに立ち向かう。愛の力は本当に強くしてくれるのか、彼女の心を捉えることが出来るのか、ドキドキハラハラというよりは 面白可笑しい展開に思わず楽しい~と心が弾む。

弱いダークヒーロの強みはお互い〈仲間〉の思い遣り、その協力する姿に<力>が漲る。一方、独善的に(1人で)戦うガルレッド、圧倒的に強いが いつの間にか浮いた存在へ。やはりチームワークの大切さ、ガルレッドの いざとなったら一般人(自分が好きな女性=美樹)をも傷つけるという卑劣な行為。ゲーム感覚を取り入れた 分かり易い展開、本来の勧善懲悪的な設定を逆にして小笑・爆笑を誘う。
仕事帰りの疲れた神経を癒してくれる、あ~愉しい。是非とも💨
(本編1時間30分、カーテンコール兼舞台転換10分、アクション編<ファンサービス>15分)

ネタバレBOX

イルカ団!は、「Q.T!!!」で第34回池袋演劇祭「豊島区長賞」を受賞するほどの実力。この公演は笑いというサービスで楽しませることに徹しているが、作品ごとに その観せ方というかポリシーをしっかり示しており、幅広い創作に魅力を感じる。

さて 本公演、舞台美術はカフェ店内…壁にはポスターが貼られ、上手奥にカウンター、上手 下手にテーブルと椅子がいくつかあるだけのシンプルなもの。勿論アクションをするためテーブルと椅子だけで、壁際に寄せるだけで中央にスペース。

悪の組織「シャムニャーン」の戦闘員 真中はカフェの店員 菜々に恋をしたが、彼女は正義の戦隊「ガルルンジャー」の大ファン。仕方なく 真中は休んでいるガルルンジャ-戦隊の1人である<ガルグリーン>だと嘘をつく。そこへガルルンジャーのメンバーが現れ混乱・隠蔽・誤魔化しなど、そのドタバタ滑稽さが笑いの渦を作る。

【A】チーム ★★★
ガルレッド(中村龍介サン)とシャムニャーンの怪人ヘルタイガー(大地翔護サン)を演じた役者の体躯のよさ。その存在感と圧倒する圧力が凄い。そしてマドンナ的なカフェ店員 菜々(板野成美サン)とは違うコメディエンヌ的な美樹(はぎの りなサン)、奇抜な化粧に嬉々とした振る舞いを 実に生き活きと演じている、というか楽しんでいるような。
【B】チーム ★★★
アクションのスピードとキレ、バク転・側転、ジャンプといったダイナミックさで観(魅)せる。それだけにドルオタ的な観客も多く、ケミカルライト、デコ団扇があちらこちらで…。その応援に応えるかのような熱き運動量が半端ない。特にガルレッド(渡辺隼斗サン)、ガルブルー(川合立統サン)の動きはシャープだ。

公演の魅力は、分かり易い笑いとアクションという両輪。それが上手く噛みあって心地良い癒しとちょっとした緊張感という場を作り出している。演出はアップテンポな音楽、アクションを支える効果音、情景の変化を印象付ける照明の諧調が巧い。案内をいただき観た回は無料、こんな楽しい公演が只(ロハ ⇐死語?)とは…。
次回公演も楽しみにしております。
キューちゃんは僕を探さない

キューちゃんは僕を探さない

projecttiyo

元映画館(東京都)

2023/06/21 (水) ~ 2023/06/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

未見の団体、元映画館も初めて。
ダークファンタジー系にして心象劇のよう。なかなか手強い観せ方をする。かと言って見巧者向けという訳でもない。

説明にあるピアノを擬人化し、永い旅物語を抒情的に紡ぐ。少しネタバレするが、キューちゃんとは擬人化したピアノの名前というか愛称。そして僕との対話を通して生と死、自然摂理、食物連鎖といった漠然とした心の彷徨が始まる と思うのだが…。そこに第三者もしくはキューちゃん との因縁があるモノが絡み、今いる空間(部屋)と外の世界が歪に捻じれ狂気を孕んだ様相を見せる。

会場は元映画館、その構造を巧く利用した観せ方によって違った感覚(劇中劇)に陥りそう。いや そうかもしれない といった物語の結末がふわふわして つかめない。敢えて そう観せているのか、脚本(内容)が未消化なのか、または自分が解らないのか、その意味で手強い。
(上演時間1時間25分 途中休憩なし)
♪北 みれい さんver♪

ネタバレBOX

舞台美術、冒頭は黒いビニールシートに覆われた堆いもの。上手壁は映画館のスクリーン、下手はカウンターがあり黒電話が置かれている。スタンドライト等、いくつか形状の異なる照明器具が暖色を灯している。天井にはシーリングファン。

物語は3人の男女(ひろ、太郎、あい子)が或る部屋に忍び込んで、黒ビニールシートを叩き 中のモノを壊すところから始まる。壊したのはピアノ、それ以外に取り出したのは、ソファ・ローテーブル・椅子、それらをリビング風に並べる。同時に白い衣裳の少女が現れる。少女は ひろの祖母が大事にしていたピアノの生まれ変わりという。本当かウソか 信じられない話に戸惑う3人、そこへ塚井という人物が現れ不思議な話をし出す。ひろ(田山陽大サン)は 太郎(斎藤大學サン)とあい子(三木沙也香サン)が買い出しに行っている間に、ピアノの脚を1本焼いた。供養の意も込めて焼骨したという。

塚井曰く、ピアノは もとは羊(ヒツジ)で、その昔 雌狼のために一本の足を与え、狼は飢えをしのぎ越冬して子を産んだ。羊は三本脚のピアノに産まれ変わり、今また二本足の人間に生まれ変わった。姿かたちは変われども魂は生き続ける。そして塚井は助けられた狼だという。輪廻転生といった印象、人間の3人はキューちゃんに言葉を教えるが、その中で食事の時に「いただきます」…尊い<命>を頂くのだと…。
*羊(4本足)⇨ピアノ(3本足)⇨人(2本足)

キューちゃん(羊)、塚井(狼)とも異なる行為、そのため自然界から見放され孤独な世界へ…彼女らに関わった人々も異常な世界(狂気)へ。神の仕業か精霊の悪戯か?正常な場所は この部屋だけ、ここから出られない。主体的に選択判断できないボク(ひろ)は、どうするのか?ひろ とキューちゃんがソファに並んで座った時にスクリーンに生命・自然界をイメージさせる映像が映る。映画館で映画を見ている二人 その劇中劇と思ったが、さらに物語は続く。ひろは祖母が嫌い、いや正確にはピアノが嫌いだったよう。まさかピアノに<魂>があろうとは想像だにしなかった。人(キューちゃん)は壊(殺)せないが、動物やモノは簡単に…寓話か。

キューちゃんは白衣裳、塚井は黒衣裳で前世イメージ、薄暗い室内に暖色の照明が柔らかく灯る。音響は外世界の狂気と乱舞のような騒音。そんな中で塚井(春日紗矢子サン)の美しい歌(声楽)が聴き所。因みに観た回は、楽器(ピアノ)の音量と彼女の声量がアンバランスで、せっかくの歌声が聞きにくかったのが残念。演出は幻想的であり、その雰囲気作りは巧い。演技は手堅くキャラクターをしっかり立ち上げている。特にキューちゃんを演じた 北さんは純真な赤ん坊の演技が愛らしかった。
全体的に好印象なだけに、結末が今一つなのが惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
ホテル・ミラクルThe Final

ホテル・ミラクルThe Final

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/06/08 (木) ~ 2023/06/20 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!〈R15指定〉 千穐楽観劇
新宿シアター・ミラクルの(ラブ)ホテル・シリーズ、この劇場の最後を飾るのに相応しい公演。
シリーズ過去作と新作の5本立…<面白がってもらえる、観せてナンボ>、つまりサービスに徹した作品を厳選している。描写や状況設定がバラエティに富んでおり、観客の興味を逸らせない構成が巧い。ラブホという謂わば禁断の空間、そこに居るのは男・女もしくは女・女という極めて少数(基本は二人芝居)で、彼ら彼女らの個々の性格をしっかり描き、裸になった人間の本性を曝け出させる。

ホテル・ミラクル…身体を観ず 言葉を交わさなくとも、彼・彼女の裸を思い浮かべという、本来はその甘美な刺激を空想に求めるところ。が、そこは舞台、覗き疼いてしまうという背徳感に酔う。そして物語の肝は、シャレた会話にある。その内容は人物の血肉となり肉体化し、どこにでも居そうな人物像を立ち上げる。普通の人々の秘密めいたコトゆえに 一層覗き観たい欲望=人間の本性、その欲求を上手く発散させる。

男女はもともと互いに魅かれあう存在。しかし人には建前のような取り繕い、個人的・社会的な様々な制約に心が縛られ、自由な<性>を楽しむことが出来ない。その もどかしい気持を解放する、そんなエネルギーを感じさせる好演。各作家による短編だから引き出しが多いのは当たり前だが、どの引き出しも優れており、それを巧く構成した演出(池田智哉 氏)が見事だ。これがラストだと思うと残念!
(上演時間2時間45分 途中休憩5分)【STAY ver】

ネタバレBOX

入口側に磨ガラスのシャワールーム。舞台美術は、壁際にミニテーブルと椅子2脚。中央にベット、サイドテーブル、ソファーが置かれている。テーブル・ソファ下の照明が室内を妖しく(ブルーに)照らす。
客席はL字型。ベットを横から、そしてシャワールームで着替える姿を観るには、奥角の席に座る方が観やすいと思い、【REST ver】の時と同じ場所に座る。
前説「ホンバンの前にThe Final」(池田智哉 氏)は女 女レズビアンがベットで交わす会話…携帯電話電源off、飲食禁止などの諸注意。既に始まっているので、トイレの話はなし。

①「THE WORLD IS YONCHAN’s」(河村慎也)
高校時代から好きだったヨンちゃんと酔った勢いでヤッたチェリ男。二人(下着姿)とも昨晩のことは全然覚えていないが、チェリ男は喜び舞い上がっている。一方 ヨンちゃんは元カレの先輩と経験しており落ち着いている。もしかしたら先輩が薬を仕込み、二人を前後不覚にしたのでは、との疑心暗鬼。チェリ男は絶体 ヨンちゃんを守ると意気込む。まさに純情青春ドラマ。

②「噛痕と飛べ」(加糖熱量)
女性(チーコとユキ)のお笑いコンビ、チーコがラブホでネタを考え書いている。それを見守る男 カナイ、実はチーコから頼まれサボらないか監視している。隠微な雰囲気に思わせぶりな態度、にも関わらず醒めた会話に終始する。女同士のコンビは解消まじか、いつもユキがネタを考えているが、最後にチーコが。ラブホへユキが現れ3人の不毛とも思える会話が…。カナイの思いが滲み出る熱血ドラマ風。

③「愛(がない)と平和」(古川貴義)
W不倫をしている男(平和)と女(愛)がベットの上で交わす甘美で濃密な会話。この世に男女の営み=愛という概念 がなければ、面倒な諍い・・嫉妬や浮気に悶々とした感情が起きない。が、やはり男と女という生理的に分かり合えない不思議な魅力を手放せない。愛が言う、子供ができたの…でも心配しなくてもいいわ 堕すわよ。リアルな会話は夜な夜な何処かで交わされているであろう 大人の会話(下着にバスローブが生々しい)。

④「スーパーアニマル」(ハセガワ アユム)
欲望(制服フェチ)に溺れた妻帯者の中年男 菅原、彼が夢中になっているのが聖花という若い女性。彼女とは援助交際、好きが高じて彼女の写真をエロ雑誌「スーパーアニマル図鑑」に投稿している。彼女は援助交際の他にコンビニでバイトをしており、店に内緒でビニールを破りエロ雑誌を見ていた。菅原の熱き思いを知れば知るほど切なさが、そして 聖花は そろそろ別れようとするが…(制服への生着替えがエロい)。

⑤「最後の奇蹟(最終形)」(フジタ タイセイ)
男と女の 「(眩しく光る)アイツが落ちてきたらいいのに」という投げやりな会話…初めて会ったのに、以前 何処かで逢ったかも知れない。SF地球最後の日のような…明日は来ないという走馬燈のように駆け巡る回想が切ない。周囲に馴染めずブルーハーツばかり聴いていた、その魘されたかのような台詞が迷える青春イメージ。この世(地)は一度清算して…は新宿シアターミラクルの再生を連想させる(終始 地響きのような不穏音が聞こえる)。

多くの良作を上演し続けた新宿シアターミラクル、またどこかで…。
『工場』『夜景には写らない』

『工場』『夜景には写らない』

世田谷シルク

座・高円寺1(東京都)

2023/06/14 (水) ~ 2023/06/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「夜景には写らない」観劇。
現実にありそうな出来事、その問題提起のような物語であるが、一方 舞台としてのエンタメ性も観せるという多面的な公演。

同時上演の「工場」の続編で、主人公たち外国人労働者が来た数年後、彼らを取り巻く環境はどう変わったか、という説明から社会派的な公演といった印象を抱いた。確かにどこかで見聞きするような外国人労働者と日本<*日本とは断定していないが、概ね日本>の諸々の習慣、環境の違いが点描されているが、何となく表面的な感じがする。堀川炎さんが別に「場所が変われば、価値も変わる。私たちが普通と思っている物事も、外側から見れば変かもしれない」と。この手のものは 理屈先行で面白みに欠けるきらいがあるが、身近な出来事を分かり易く綴っている。

その違いを面白可笑しく描くことで、今ある(労働)慣行・環境を改めて考える切っ掛けになるかも知れない。出来れば、単に外国人労働者(もしかしたら日本の吃音者も含むか)だから区別・差別という側面だけではなく、日本における労働環境、雇用問題にも触れてほしい。ここ数年のコロナ禍による労働形態も従来の出勤だけではなく、リモートワークという新たな就労も定着しつつある。公演は、5年前の「工場」(当日パンフに時代間隔の記述あり)とその続編という設定で 少し時を経ており 必ずしも現状に合っていない、要は足踏み状態だ。労働環境の多様化、そこに外国人労働者がどう絡むのか、広い意味での今後の働き方改革を観せてほしかった。もしかしたら 新たな課題や問題が横たわっているかも知れないのだから。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、或る工場の分析課 事務室。スチール机が横並び 備品・消耗品が置かれている。その空間を囲むように上手 下手に階段があり、奥の二階部へ続き左右に行き来できる。勿論工場の外であり橋の上をイメージさせる。座・高円寺1の高さを利用し、3階部を設え、いくつかの枠組みを作ることによって 外国人労働者の住居(アパート)の部屋(窓)に見立てる。下手に丸ハイテーブル、そこは別空間のスナック。

冒頭はスナック歌手の歌から始まる。移民(工場の一番初めの外国人労働者)が後輩を迎えに行き、工場へ案内してくる。何かの分析を行っている課であり、外国人籍は専門技術者、エリート社員、そしてハーフの事務員、一方 日本人は、リーダー的存在〈室長〉の丸山(平社員)、廣川(新人社員)といった、キャリアの逆転 もしくは微妙な立ち位置の人間関係にある。そんな職場に言葉(日本語)が喋れない外国人労働者がやってくるが、実は 彼 早く母国へ帰り、もっと労働条件の良い国へ再就職したいと思っている。だから 日本語も含め語学は堪能、仕事も優秀らしいが本性を隠している。日本における就労そのものに魅力(低賃金等)が無くなってきている。

移民は来日して5年近く経ち、もうすぐ帰国しなければならない。外国人(技術)労働者の在留期限が迫っている。彼が、外国人労働者と日本人労働者の間を取り持っている。日本らしいといえば、出勤時間の厳守、祈りの時間が長くなり就労時間にずれ込むことを注意、ごみ(矢じり 動物虐待)の分別なしに憤る といった あるある問題を織り込む。近々、社長が交代し外国人労働者への対応が変化しそうだとの噂が流れる。また社内では社員の協調性という名目で運動会や餅つきを企画している。外国人には馴染みのない運動会、競技=戦争をイメージするようで理解されない。何よりも終業後に練習するなど以ての外。あくまでNO残業・個人重視の外国人と なあなあ の日本人気質の違い、典型的な描き方であるが面白い。

大きな障壁になるであろう言葉の問題、しかし後輩外国人労働者は語学が堪能ということから、「場所」」という文化(若しくは意思疎通)の違いは重要視されていない。その意味で表面的な描き方になっている。
演劇としては、せっかくの運動会(応援合戦)という設定ー外国人VS日本人による綱引きによる決着、その観せる妙。場面転換時の歌手の歌、新社長の方針転換による大団円。その結果、工場内を歩く外国人、何故か直線的な動きをしており無駄がない というか几帳面になり味気なくなった。その滑稽な姿・・日本色に染まってしまったか?
次回公演も楽しみにしております。
雨の世界

雨の世界

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2023/06/14 (水) ~ 2023/06/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。
秋葉舞滝子 女史は演出の魔術師か、そんなことを改めて感じさせる素晴らしさ。
舞台雰囲気の統一感、そこに漂う優しさ、温もりがじわっと広がる。丁寧な演出は いつも通りだが、「雨の世界」という独特の世界観を抒情豊かに紡ぐ。

昨年、ウテン結構第6回公演「雨の世界」(サブテレニアン)を観ているが、やはり劇場・演出・役者等が違うと全く印象の異なる作品が出来る、ということを再認識。比べるのも どうかと思うが、終演後 秋葉さんと話した際、熟女が演じた と。ウテン結構は瑞々しさ、一方 SPIRAL MOONは、大人女性のしっとり感、その違いこそが作風であろう。
コロナ禍で厳しい状況が続く演劇界、それでも<生>の演劇の醍醐味を存分に味あわせ 楽しませる、そんな<気概>を感じさせる公演。
(上演時間1時間20分 途中休憩なし)【月組】

ネタバレBOX

舞台美術は、暗幕で囲い 上演前は中央に木製の椅子1つが置かれているだけ。床は切紙が敷き詰められている。場面に応じてテーブルや椅子を搬入 搬出もしくは配置換えをすることで情景・状況を変化させる。始めに運び入れられた木製の玄関ドア、それ以降に運び込まれるテーブルや椅子も形状こそ違うが 全て木製である。床の切紙が照明によって色づいた枯れ葉のイメージ、また木立の中を思わせる情景 といった全編<木>の温もりを感じさせる。同時に山奥か と思わせる。下手には 紫陽花の鉢植。

物語は サスペンス風に始まるが、いつの間にか女同士の少し痛い友情物語に変転する。俗信の雨女、その悲哀と雨天(嵐)ゆえに知り合った女性の話を交差させ、「雨」をテーマにした物語を抒情的に紡ぐ。更に雨女になった謂われ といった家系的な繋がりを描くことで、更に深刻な悲哀を表出する。
嵐の夜、1人の女・しおり(斎木亨子サン)が助けを求めて館のドアを叩く。館の主は幸子(秋葉舞滝子サン)といい、快くしおりを館の中へ入れる。冒頭、強風と雷鳴の音響、黒のフード付きマントを羽織った幸子の老婆風の佇まいや喋り方で怪しげな雰囲気が漂う。世間話をしているうちに、幸子が若いということが分かる。そして自分は「雨女」と言い出す。

場面は 幸子の学生時代、親しかった友人4人(男2人、女2人)との思い出話だが、必ずしも楽しい思い出だけではない。運動会・野外行事などのイベントが雨で中止になったのは、4人の中の誰かが「雨女」もしくは「雨男」だからだという。さらに友人カミーユ(環ゆらサン)との恋愛を巡って仲違いをする。
一方 しおりは、何でこんな嵐の夜に慣れない運転をしていたのか。幸子がしおりの様子から、状況を推理し始める。父親からの虐待、逃避行動するために嵐の日を選んだ。しおりが学んでいる心理学、その学問(心理)的な場面を「過去<幸子>と現在<しおり>」の物語として挿入する。幸子の回想としおり の現状が直接繋がる訳ではなく、それぞれの話を交差させ「雨」に纏わる物語を紡ぐ。

興味深かったのは、「雨女」は家系でもあるような説明。農村地域、そこで雨乞いを司る家があったという。現象「雨」は、人によって、または時と場合によって捉え方(大切さ)が異なる。が、幸子の姉 福子(最上桂子サン)は小学校の教諭をしているが、学校行事のたびに雨が降り、自分の存在そのものが邪魔者扱いされる。自分ではどうすることも出来ない理不尽な宿命、家系・血の呪いのようなものを感じて、ついには…。

演出で面白いのが、降水現象をパネルを使用した科学的な説明をする 一方、フロイトの心理学を、しおりと幸子の会話で説明していく。具体性と抽象性を交錯させたような描き方。
音響は、暴風雨・雷鳴のサウンド・エフェクト、場面転換時はピアノの優しい音色。照明は全編薄暗い色調、そして話す女性の心象を浮き立たせるための、淡いスポットライトが実に効果的だ。
役者は女優4人、男優2人の静かだが力のこもった演技で、不思議な世界へ上手く誘ってくれる。ラストは暗幕を開け 心象風景に光が差すような…。
次回公演も楽しみにしております。
独りの国のアリス〜むかし、むかし、私はアリスだった……〜

独りの国のアリス〜むかし、むかし、私はアリスだった……〜

ことのはbox

シアター風姿花伝(東京都)

2023/06/15 (木) ~ 2023/06/19 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、自分好み。
ファンタジーにしてラビリンスといった感覚であるが、まったくの浮遊感という訳ではなく、何となく地に足がついて といった絶妙感が好い。タイトル「独りの国のアリス〜むかし、むかし、私はアリスだった」は「不思議の国のアリス」を意識、そのメルヘン的な雰囲気を 少女ならぬ現代の中年女性の心の彷徨として描いている。

劇団遊◎機械(ゆうきかい)/全自動シアターが1995年(28年前)に初演、確か岸田國士戯曲賞の候補作品にもなったと思うが、今 観ても独特の世界観に浸れ楽しめる。いや 現代風にアレンジしているといったほうが正しいか。

舞台美術は女性の心模様を巧く表しており、アタシ(アリス)の荒廃した気持を的確に表出している。どちらかと言えば都会的なセンス、一見スタイリッシュと思える光景が次々と変化していく。ここは…そこは何処といった自分の居場所が定まらないといった空虚さが堪らなく切ない。

卑小だが、<Team葉>初日ということもあるのだろう、少し演技が硬い。台詞の噛み 言い直し、肩を組んで踊るシーンも少し揃(合)わない。しかし公演回数を経れば改善するだろう。それよりも物語を牽引する不思議な力(チカラ)、アリスの孤独と彼女を取り巻く<奇妙な>人々の陽気さ、そのアンバランスというか雑多さが現実と虚構(虚空)綯交ぜの世界観を立ち上げる。今まで観てきた<ことのはbox>公演とは一味違った面白味がある。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Team葉】

ネタバレBOX

舞台美術、上手に階段(雑多な物で上れない)、壁にはレース生地 白、階段下にテーブルと椅子1脚、床にも衣類やペットボトルが散乱している。奥壁には動かない時計、天井には斜めに吊るされたシャンデリア、下手にカウンターとハイスツール。周りの壁には蔦類が垂れ下がり。アリスの心の荒廃を表すような雑多さと真ん中には何も無い空虚さが同居したような光景(世界)。前に進めず止まっている姿であろう。
その後、場面に応じてテーブルや椅子を搬入搬出させ情景を作り出す。因みにテーブルや椅子の形状が異なり、そこにも個性(奇妙な人々の印象)が散りばめられている。

間違い電話が何度か鳴り、苛立つアリス。今日は誕生日だが、一人で過ごしている。そんな彼女のところに 陽気に騒ぐ奇妙な人々が現れ、アリスの心の内を嘲るような振る舞いをしだす。何時しか10歳の誕生日シーンへ。母はいないが、父をはじめ親戚の人々が誕生日を祝ってくれる。ケーキの蝋燭、その火を吹き消すと大切な人がいなくなる。誕生日毎に1人また1人と ワタシのもとを去っていく。それが怖い。幸せになる前に自分で<幸せ>を壊してしまい、辛い思いをしないように現実逃避する。いつの間にか自分の周りには誰もいなくなり孤独が…。

奇妙な人々によって、こんな人生もあるのでは、といった楽しいシミュレーション人生が展開していく。現実/空想の世界なのか、その迷宮にして混沌とした世界観が実によく表れている。それは外見の衣裳…アリスは地味な服、奇妙な人々の衣装はトランプ柄など奇抜で明彩色の服で 居る世界が違うような。そして表情の陰(鬱)・陽(気)にも表れている。アリス(花房里枝サン)は勿論、奇妙な人々の演技は熱演、ぜひ千穐楽まで持続させてほしい。

時間は<無限>にあるわけではない。人生は色々なことを考えて選択する、が 考え過ぎて行動が出来ない。子供の頃からの誕生日の悪い思い出、現実逃避し(自己)殻への閉籠りなど、自分自身に向き合えていないアタシ。そのアリスの合わせ鏡のようにして現れる奇妙な人々の個性溢れる魅力。勿論 歌い(ケセラセラ等)踊るという観せる演出が魅力を支えている。
この世界観は、期待を裏切ることなく、カーテンコール後のアリス(姿)でしっかり表(明か)す。
次回公演も楽しみにしております。
ホテル・ミラクルThe Final

ホテル・ミラクルThe Final

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/06/08 (木) ~ 2023/06/20 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。〈R15指定〉
「ホテル・ミラクル」シリーズは、このThe Finalを含めて全8回、うち6回観ることが出来た。逆に言えば観れなかった第1回と第3回が悔やまれる。

新宿歌舞伎町という歓楽街にあるホテル・ミラクルの一室で繰り広げられる痴態を覗くような感覚 いや官能公演。室内で起こる男女の濃密な痴話を通して人間の、それも身の下相談を見聞きするような面白さ。勿論 隠微な感じはするが、全編を通じて「男・女」というよりは「人・間」の本音、心情が奇妙な感覚を以って迫ってくる。妖しい官能マジック、それは脳を刺激し胸底にある禁断の欲望、いや人間の本性を曝け出させるような心理プレー。

過去シリーズで上演した作品もあれば、新作もあり この間の社会事情・世相の変化も織り込み、変わらぬ男女の<恋愛・痴話>物語もあれば、移ろいゆく心の変化などが紡がれる。色々な男女 いや人間関係を濃密に描き、本来は人に知られたくない くらくらするような短編。もう観られなくなると思うと コトが終わったような虚しさ寂しさが…。

ちなみに 今回観た作品の1つ、その脚本家と帰りがけ話をしたが、役者によって作品イメージが変わる と。自分も前に観た時と印象が異なり、やはり舞台は<生>ものということを改めて認識。
繰り返すが、あ~ 1回と3回が…。<「ホテル・ミラクルThe Final」見逃がし厳禁>かもね。
(上演時間2時間40分 途中休憩あり)【REST ver】

ネタバレBOX

入口側に磨ガラスのシャワールーム。舞台美術は、壁際にミニテーブルと椅子2脚。中央にベット、サイドテーブル、ソファーが置かれている。テーブル・ソファ下の照明が室内を妖しく(ピンクに)照らす。
客席はL字型。ベットを横から、そしてシャワールームで着替える姿を観るには、奥角の席に座る方が観やすいだろう。どの方向からから観るかは好みであるが。
前説「おし問答」(坂本七秋 氏)は男女がシャワールームで交わす会話…携帯電話電源off、飲食禁止など、喘ぎ声での注意喚起。既に始まっているので、トイレは我慢するようなプレイだが…。

①「シェヘラザード」(窪寺奈々瀬)
何でも話し合う親しい関係の女性2人、新堂沙良は大物議員の娘でお嬢様的な存在。恋人と別れ すぐ職場の先輩張本信也とラブホへ。そんな話を聞かされる大貫亜希子だが、彼女の恋人と言うのが…。恋人 以上と未満は肉体関係の有無だろうか、と意味深さを問うような。

②「よるをこめて」(笠浦静花)
清原凪子と藤原行成は係長と主任という上司部下の関係の恋人。社内には秘密にしている。最近はセックスレスで諍いが絶えない。冷静に話すために第三者を、それを平社員 関泰一をラブホに来させて。社内的な立場が歪になり奇妙な会話が漂流し出し、どこに辿り着くのか興味を惹く巧さ。

③「きゅうじっぷんさんまんえん」(屋代秀樹)
レズビアン風俗の話。ぎこちない女性2人の会話と動き。風俗嬢というには あまりにウブで不器用な仕草、そして卑下し続ける風俗嬢を慰める客。シャワールームに一人ずつ入って気を落ち着かせて…ラストの客の一言が切ないような(世間的に見れば幸せなのだが)。

④「グリーブランド」(河西裕介)
酔い潰れた女とラブホで一夜を過ごすが...。ヤるチャンスがあったのに行為をしない男に向って女は、明日遠くへ行くという。それはグリーブランド...それってどこにある国なの。女の誘惑にも優柔不断な態度の男。親しくなり過ぎて、もはや男と女という異性を乗り越えた友達・同士といった間柄。そのラフさが可笑しくも切ない。

⑤「獣、あるいは、近付くのが早過ぎる」 (服部紘二)
アレは姿を現した。 ゆっくりとその首をもたげる中、新宿歌舞伎町のホテル街で、男 村田ケンジは年上女 早瀬マナミをホテルに誘う。 不可解な足音が鳴り響く中...草食系男子も目覚めるか。この街はおろかこの世の終焉のような雰囲気、それでも男は踏ん切りがつけられない。

部屋に入ってからの、男性、女性の振る舞い、落ち着かなさ、照れと恥じらい...など雰囲気のエロ、妖しさと挙動のコミカルさのアンバランスも有りがちで笑える。そして、実際は密室で濃蜜な場所、そんな淫靡な処を覗いている。普段そんなことが出来ない非日常性と背徳感が高揚させる。その生身の人間...男女を感じさせる脚本・演出はそれぞれ面白い。ラブホテルという部屋のシチュエーションでありながら、やはり脚本家の感性というか描き方の特長が出るようで、一袋に色々な飴が入っており、違う味(甘いだけではない)が楽しめる、そんな公演であった。

どの物語にもクスッと笑えるオチがある。全作品にラブホという少し妖しげな雰囲気の中で、男女の距離感が伸び縮みする。また話を適度にねじり、巧みに流れに渦を作り掻き回す。室内の濃密な関係が、軽快なテンポで繰り広げられる。構成の絶妙さ、脚本の内容を斟酌した上でのアンバランスな演出(池田智哉サン)がたまらない。
これが最後の公演だと思うと残念でならない。
初老の血

初老の血

劇団 枕返し

北池袋 新生館シアター(東京都)

2023/06/09 (金) ~ 2023/06/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

昭和時代に流行った任侠映画、その美学(義理 人情)と妖怪を絡めた物語であろうか。今一つ 何を描き伝えようとしているのか分からない。自分の感性が初老を超えて枯渇したか?

登場人物のキャラクターは濃く楽しめるが、ヤクザの抗争というよりは昔馴染みの諍い。それを何故だか定食屋内には持ち込まない不文律のようなものがある。コメディだから細かいことは気にせず楽しめば良いのだろうが…。
一方 劇団のコンセプト?妖怪(作品には必ず登場)…今回は「ぬりかべ」で、一般的に知られる形とは異なる。その異形の存在と舞台美術という両面で巧く活用している。一種の被り物で、ずっと舞台上にいるという 体力的に厳しい役柄だ。

「ぬりかべ」の役割は 「何か」若しくは「誰か」を守りたい、という<思い>であり、時を遡行し戦時中へ。個人的にはこの場面をもう少し掘り下げ、任侠の世界と絡ませて観(魅)せてほしいところ。先のヤクザと ぬりかべの話がラストに少し絡む程度で…。表層的にドタバタしただけのコメディ、それなりの繋がりで もう少し心に響くものがほしい。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、上手(阿過組)と下手(死路組)は非対称、しかしどちらもビールケース(サッポロVSアサヒ)で居酒屋の雰囲気を漂わす。中央に壁(ぬりかべ)があり仕切っている。中央(客席寄り)は、別のビールケース(キリン)が置かれ 立場の違いを表す。下手に別空間を表すカウンター席。

長年諍いの絶えない2つのヤクザ組織ー阿過組と死路組だが、それぞれ世代交代の時期を迎えている。阿過組では二代目が引退をし、三代目に孫娘を考えている。一方 死路組は末娘が四代目の跡目を継いだばかり。暴対法の影響で組員も減少し、といった昨今の事情が描かれる。諍いの原因は シノギ にあるらしい。第三者(牽制 中立?)的な立場として地元警察を絡ませる。冒頭 先輩刑事が新人刑事に、地元ヤクザの実態を教えるという構図でこの店に来る。それぞれの組の事情を親分と幹部組員の会話で紡いでいく。

物語が動くのは、阿過組の組員が死路組の組員に向かって発砲したこと。双方が負傷しどう修羅場を収めるか。阿過組の跡目を渋っていた孫娘が、「誰一人欠けてもいけない 」といった啖呵を切る。二代目も ヤクザは「誰にも相手にされなくなった者の駆け込み寺のような世界」と言う。一見 昭和の義理人情の世界が観えるが、深みがない。ちなみに二代目が引退したいのは、刑事に惚れという自分都合。そのため孫娘を呼び返す我儘ぶりである。孫娘(35歳)は、若い時(25歳)に流産し子が産めないよう。嫁ぎ先では辛い思いをしていた。

この孫娘の「命」の話…誰一人欠けてもいけない、発砲騒ぎを起こした若い組員を赤ん坊の時から面倒を見ている、そして妖怪「ぬりかべ」の守(護)りたい者(モノ)のため、戦時中へ遡行したい思い。それらの場面を縦横無尽に紡ぎ、もう少し広がりと深みのある物語にしてほしい。
表層的なドタバタコメディ(先輩刑事を投げる等)に止めておくには惜しい。
次回公演も楽しみにしております。
「その先の闇と光」

「その先の闇と光」

ISAWO BOOKSTORE

雑遊(東京都)

2023/06/03 (土) ~ 2023/06/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。【A・B】観劇

濃厚な骨太作品…内容的には全国的に知られた刑事事件をフィクションとして描いているが、そこには(刑事)司法への警告も込められている。物語を虚実綯交ぜにすること、その客観化によって興味・関心を持たせる上手さ。背景や状況を被害者・加害者側という(対決)構図とは一歩引いた立場の人物を絡ませることで、どちら側にも偏ることなく観せる。刑事事件という性質上、笑う要素を排除し冷徹に描き切った秀作。

勿論 俳優陣の熱演、その演技力に負うところが大きい。同時に A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件ー」は、シンプルだが 被害者(遺族)・加害者そして刑務官という3者三様の立場が一目瞭然の舞台美術が見事。一方、B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件ー」は加害者の子供たちという残された家族の辛苦。刑事事件としては動機不明、状況証拠のみという曖昧な捜査に照らしてみれば納得のいかない判決、そこに問題を投げかける。事件が世間の注目から遠のき、穏やかな暮らしが…あえて波風立てる行動を起こす必要があるのだろうか。その選択を自らしよう 「もう逃げない」と…。

基本的に 両作品とも心情劇。Aは、決して許せない<心>とは別のところで疼く<思い>のようなもの、その揺れる気持があるのも事実。Bは加害者(母)の子供であり、決定的な物的証拠がない以上 信じたいが、しかし長女の「(母)眞須美を信じられない、娘だから言え(分か)ること」には驚愕する。ちなみに、Bはいつ時点での話であろうか。

A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件ー」
B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件ー」
(上演時間1時間45分 途中休憩なし 舞台転換5分)

ネタバレBOX

A「壁の向こうの友人ー名古屋保険金殺人事件」
拘置所 面会室…中央にアクリル版越しに面会する椅子2つ、上手に刑務官が座る場所があるだけ。冒頭、刑務官・岡本(江刺家伸雄サン)が拘置所と刑務所の違い、分り難い法律用語・制度等を説明。

被害者親族(被害者の実兄)・原口(虎玉大介サン)と加害者・長谷(幸将司サン)が面会し、何となく情を交わすことはないと思うが、ここでは加害者の〈死刑判決〉を巡るドラマという観点で描いているようだ。加害者の自己利益(会社経営)のために弟を殺された兄が減刑嘆願をする。仮に弟に妻や子がいたら、その家族は加害者を許せるだろうか。確かに兄も加害者に向かって「絶対許さない」と叫ぶが…。

しかし、理性という建前の扉に隠された、人の奥底に潜む 剥き出しの本性が引きずり出されるのではないか。その意味では 一歩引いた立場、そこに真のエゴイズムが見えなかった。理論の「死刑廃止論」…その賛否は色々あろうが、どちらにしても その理屈は被害者家族の悲しみを超えることは出来ない。そこにあるのは理論 理屈ではなく激情・滂沱という心だから。この物語で物足りないとすればキレイごとのようで<心>が迫ってこないこと。

B「明日は運動会ー和歌山毒物カレー事件」
加害者の子供たちが集まり、母の冤罪を晴らそうと相談する。そのため長女の家へ。中央にソファ、ローテーブル・椅子が置かれた一般的なリビング、それゆえリアルでもある。

長女・森田真子(丹下真寿美サン)は結婚し子もいる。勿論 夫・清水(阿紋太郎サン)は妻の母が殺人を犯し死刑囚であることは知っており、それを承知で結婚している。長男・高史(二神光サン)は、母の事件が動機・物的証拠なし、さらに自供もしていないことから冤罪の可能性を疑っている。二女・裕子(永池南津子サン)はプロポーズされ 近々結婚する予定だが、相手には母の事件のことは伝えていない。三女・由梨香(福井花耶サン)は幼い頃のことで良く分からないが、長男が言う金になるなら…。子には子の夫々の生活があり、今の状況を語り合う。

世間から忘れ去られたであろう事件、それを今更蒸し返したくない、というのが本音。しかし、もし冤罪であればという肉親(子)であるがゆえに揺れる心情が痛いほど伝わる。一方 母のことを忘れることによって自分の小さな幸せを掴むことが出来る。その天秤の傾きの如きあちこちに漂流するような濃密な会話。そんな中で放った長女の言葉が衝撃的だ。

フィクションとノンフィクションの絶妙な境界をなぞった秀作。
次回公演も楽しみにしております。
風景

風景

劇団普通

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2023/06/02 (金) ~ 2023/06/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

避けて通れない現実の澱のようなものが無限に込められた、まさしく「風景」劇。
祖父の葬儀に親戚が集まり、それぞれの近況などを語り合う光景が淡々と紡がれ…。劇の特徴は 全編茨城弁で、必ず相づちか同意を求めるかのような その繰り返しの ゆったりとした間(ま)と 伏し目がちに遠くを見るような表情。一見 無感情・無表情のように思えるが、話の内容は結婚・出産・子育て・跡継ぎ・老後、そして老親の面倒を誰がみるか、といった暮らしに付きまとうもの(普通の「風景」)。

必ずしも欲深い、遺産相続的なものではないが 心の奥を抉るような不気味さを感じる。喪主を父か叔父、その兄弟のどちらが務めるか。結局 親の面倒を見てきた弟の叔父が務め、遺品の整理(処分)まで行う。親戚の中には、高価なモノはいらないが、せめて思い出となる形見分けはしてほしかった と呟く。

何年後かの 墓参り。喪主を務めた叔父は、親戚が参るであろう盆の日に行かない。会う気まずさより、孤独を選ぶといった頑なさ。墓参りに行かなくても、心の中では いつも思い出している、と強がりを言う。家族・親族といっても だんだんと疎遠になっていく寂しさ。何か(大きな)出来事が起きるわけでもなく、淡々と過ぎ行く日々が…。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、上手に座卓、下手にテーブルと椅子、後ろに壁といった ごく普通の光景。情景に応じて壁が少し動くが、その場面に紡がれる内容と連動しているかのよう。上手と下手は場所は勿論 時の経過といった違いを表している。その切り替えは、照明の薄明・暗で巧く変化させる。

下手での風景、祖父の葬儀のために帰省している娘 由紀(安川まりサン)と両親の取り留めのない会話。母(坂倉奈津子サン)が座っている後ろを父(用松亮サン)が通ろうとするが、壁があり狭くて通れない。由紀が思わず母に椅子を動かすようにと(親近・親密さ?)。
上手の風景へ移り、祖父の葬儀に集まった親戚一同…孫(従妹同士)とその配偶者、そして喪主を務めた叔父 利夫(浅井浩介サン)とその息子 蒼太(岡部ひろきサン)を交えた近況話。壁の左右の広がり方が違い 少し歪になった感じ。

壁が全体的に後ろに動き、空間的な広がりが出来る。祖父が存命の時には集まっていた実家、しかし今では叔父 利夫の家に親戚は集まらない。蒼太が孤老の父に向って(葬儀以来)従兄姉に会っていない と零す。
会話の内容が壁の動き、その空間的な広がり(距離=疎遠)にリンクしているような、勝手に解釈しながら観る楽しさ。そして上手 下手の明暗する照明によって場所と時間が動くが、それがどこまで隔たっているのか 定かではない。

母が由紀に子を産まないのか、と やんわりと問う。由紀には由紀の考えがあり、母は娘の将来もしくは世間体を気にしているのかも知れない。先々 1人は寂しいといった台詞が独居老人を連想させ、もっと卑近には少子化といった問題が見え隠れする。その母娘の微妙な、そして気まずい緊張感が漂ってくる。茨城弁だが、全国のどこにでもあるような、<風景>が浮き上がってくる。

由紀が祖父とだけ共有した思い出…祖父の兄夫婦には子がいなかった、そして「ピアノの手だね」には、子がいない淋しさ、弟(祖父)の孫娘への優しい言葉掛けのように聞こえるのだが…。淡々とした語りの中に 滋味溢れるような感情。長年寄り添った夫婦ー父と母のそれぞれの「余計なことを…」と言った とぼけた会話の絶妙〈珍妙〉さが笑いを誘う。そして兄 広也(岩瀬亮サン)や由紀との親子会話が実にリアルで〈日常風景〉そのものだ。
次回公演も楽しみにしております。

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