満足度★★★★
物凄い知識量!
全知全能のゼウスが宇宙創世をしたような感覚の物語。登場するキャラクターはイッチャッテル!笑)
ハイテンションに疾走するものだから、あれよあれよという間に次の物語に飛ぶ。そんな舞台を目のあたりにセリフの一部始終を聞き逃すまい。との意気込みから首を右往左往ブレまくりながらキョロキョロするワタクシ。笑
いやはや、すんごく楽しかった!
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
物語は大ナベを囲んでのキッチング風景!何やら魔女が作る秘薬のように悪の塊みたいなおどろおどろしい物ばかりを投げ込んで作る。どうやら太陽系を作ってるようだが、出来たてホヤホヤの太陽系は回転しない。これを回転させないとヤヴァイでしょ。「回転がない。一日の概念がないぞ!」ってな話から、それぞれの神々は復讐の輪廻、つまり、復讐の連鎖によって太陽系は回転するといきつく。
死界の王、「冥王星」やらその他の惑星と創造の神々が登場し、ギリシャ神話の世界を彷彿とさせる。この中で更に「日本昔話」や「忠臣蔵」も取り入れ、雑多な物語は錯綜するが、どうやらベースになってるのは「アンネの日記」だと解釈する。「アンネの日記」での最後の日記は1944年だが、この日の日記でアンネは希望に満ちた言葉を述べている。
「復讐回帰」も終盤は希望を予兆するような終わり方をしているが、終盤までの展開はロマンなのだ。人間を地球に置いてケモノを地球から引き上げ他の星に散りばめた場面は星座を表すロマンだ。キャストのキャラクターによって全体的にコミカルな演出だが、宇宙を創世する壮大な物語だった。
太陽系の創世は神々の手から離れあまねく生命にゆだねられた。・・・と収束させる筋は、これ以外は考えられない終わり方だったと思う。ギリシャ神話にちなんだ神々の登場はワタクシにとって物凄くオモチロ可笑しいのだった。大爆笑はないものの、クスッと笑える箇所も満載だった。
ちなみに「冥王星」の名前を付けたのがベネチア・バーニー。オックスフォードの女生徒。1931年の頃、多くの人はローウエルと命名したがっていた。しかし一人の女生徒が「プルート」と言い出して、あっという間に世論がそれを支持していった。アメリカ人が発見したのにイギリス人が名前をつけるのはどういうものかという反発が勿論アメリカ国内にあったが、そのネーミングのあまりの絶妙さにやがて抵抗できなくなってしまった。という説が・・。
物語ってのは知れば知るほど面白い!
満足度★★★★
とにかく楽しい!
先に申し上げておきますが、このタイトルは重複しております。先にワタクシが情報をUPした後、またUPされたようです。こちらは削除できません。既に書き込みがあるからです。こりっち事務局でなんとかするでしょうけれど、中々気付かないようですので、書き込みました。
追加です。【何故、こちらが先にUPした情報に「重複」をつけるのです?付けるなら検索せずに後からUPした「プリエール」さんの情報に「重複」と付けるべきでしょう?何考えてるんですか!こりっちは!4/7日】
さて、物語は歌あり~の、踊りあり~の、ショーと芝居がMIXされた内容。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
今回の目玉は映画監督、山中貞雄の母役のキャスト・西山水木ではないだろうか?山中ヨソのキャラクターが実に楽しいのだ。元来の楽天ぶりと彼女の発するセリフで観客を笑わせたのは間違いない。脚本家の意図はこの人物をナビ役とコミカルさを露出させる事によって、舞台に漂う空気感をカラッとしたものに作り上げたかったのだと思う。家庭の雰囲気を作り上げるのはいつの世も女性だと思うのだが、やはり女性は太陽に限るのだ。
舞台は山中貞雄の生い立ちから家庭環境、映画を作る事を夢見てマキノ監督に弟子入りした経緯から死ぬまでを、コメディタッチで描く。劇中、監督のアラカン、滝沢英輔、稲垣浩、鈴木挑作らと脚本家の三村伸太郎、藤井、八尋なども登場させる。ワタクシはあまり存じ上げないが、彼らを知る世代にはたまらないのではないだろうか?
更に、『丹下左膳余話・百万両の壺』の題材となった市太郎(次男)の放蕩ぶりなども紹介し、ヨソが亡くなった後も、ヨソは生きてるかのように霊となって活躍するのだ。そんなだから湿った材料は何処にもなくて、むしろゆったりと楽しめる娯楽舞台なのだ。終盤、貞雄にも遂に召集令状が届き戦地に行くが、軍隊の行進も魅せる。彼は戦地で散ったのだが、『人情紙風船』の紙風船が天から舞い降りる演出はやはり胸を打つ。
何かをこの世に残すという事。それは人々の記憶がある限り永遠なのだと感じた。素敵な舞台でした。
満足度★★★★
「赤ちゃんポスト」という言葉を聞いて久しいが、
観客に配られたパンフにそんな内容のコメントが載っていた。その説明で、この劇に対する想いが伝わってなんとも感慨深い。
伝える事・・・それはパンフから既に始まっていたのだ。物語は水嶋が育った施設「あゆみ園」での事が大半。ワタクシはこういった物語に弱い。だからか・・、泣けた。特にワタクシが観た回は泣いてる方が多かった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
自暴自棄になっていた水嶋はもみ合いの末に中年男・大凪清一を割れたビール瓶で刺してしまう。驚いて逃げる水嶋、彼を追う刑事。そんな時にかつては水嶋と同じ施設で育った恋人・大凪悠貴の亡霊が現れる。そう、奥様は魔女だったのです!ってな感じのなんだか天使のような亡霊だ。彼女は交通事故で7年前に亡くなって、もうこの世のものではない。
しかし、この天使のような亡霊が水嶋を助け人生の大切さを気づかせるきっかけとなる。孤独の淵で彷徨いながら、社会での軋轢に挫けそうになりながらも、施設での仲間の存在や絆の大切さを再確認するストーリーだった。
かつての「あゆみ園」で水嶋は「どんなに遠く離れても、どんな事があろうとも俺たちの絆は変わらない。」と仲間と誓い合った光景を思い出す。またかつての中間達も水嶋の現在の状況を知りながらも、水嶋を助けようとする。ずっと話し続けていること、義務のように頻繁に会うのばかりが友達でないこと、それに気づく水嶋が感慨深かった。「あゆみ園」で築き上げた絆をずっと持ち続けていた仲間たち。
もう、この場面で泣けて、泣けて、この季節だから鼻水も出ちゃったりして、花粉なんだか感動なんだか、既に解らない涙の嵐!「どうぢでぐれんのよ!」なんつってぐちょぐちょ状態で、帰りの路上でポケットティッシュを貰いました。この季節、すんごく有難い!笑
追われる身となった水嶋を助けたのはもう一人の中年男・大凪清一だった。彼は水嶋に刺された傷を誤って自分で怪我をしたと主張する。そしてこの男こそが悠貴の父親だったのだ。施設での人間関係や親子の関係性を含ませながら心に響く内容だった。
大凪清一役の宮澤正の演技は流石!更に米田基、川添七美が実にいい。魅せる!一方で演技が硬いキャストも目立ったが、まあ、これだけ泣かせてもらったら、小さいことは相殺できるのだ。
満足度★★★
なんだかなー。。”)
舞台セットは細かいところまで物凄く拘りがあって感服。そしてキャストらの演技力にも脱帽!しかーーし・・・
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
舞台は母の葬式の場面。あたふたする家族のもとへ招かれざる客が次々とやって来て、客の殆どが見知らぬ・・という設定だったが、コメディって程でもなく、はたまたお涙頂戴の人情劇とも違う。つまりはあれだ。一軒の葬式の場面を中継してそこにちょっとだけ肉付けしたような普通の舞台。
だから、それ程イッチャッテル空気感や、バカげた情景はあまりない。葬式がらみの芝居に良くあるコメディではない。普通に宮崎の田舎町でありそうな物語なのだ。ごくごく普通。ホントに普通。普通、普通と連呼すると、なんだか普通以下のような芝居に思えてしまうが、以上でも以下でもない、普通。
だから物語に特別なうねりもインパクトもない。平坦な家族の情景を観た!という感覚。たぶん、記憶には残らない。もっと記憶に残るような芝居でも良かったと思うよ、普通。
キャストらの演技は秀逸で普通ではない。
満足度★★★
絶望のあとの誕生
コメディのネタはベタで古臭いのと新しいのが混ざっていた。ジブリネタは好み!(^0^)再演にあたって本を少しいじったのだろうか・・?絶望という記憶を消し去る事で今まで生きてこられた人たちの物語。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
かつて漫才師だった男は、今は病院の清掃を受け持つ。彼は笑太という子供を亡くし、鋭利な刃物で切りつけられるような絶望の日々を生きていた。そんな気持ちを誤魔化すために掃除を続けてきたのだった。
一方で病院では言葉を失くした少年の心をケアする為に、チームを作って取り組んでいた。ここで登場するキャラクターは看護師だったり「アオイ」というカネモト興行の社長だったりとコメディならではのハイテンションぶり。ただワタクシが観た公演はキャストらの噛みが目だって気になった。噛まれると、そこで妙な空気が漂ってしまうから、ますます気になってしまう。
それでも「アオイ」役の大熊誠一郎がこのキャラクターにドンピシャで実にいい。大熊には田舎の政治家役や、土建屋の社長や、富山の薬売りもやらせてみたい。そんなちょっと土臭いキャラクターが似合う大物だ。笑
そんな中、ハナサクゾウ(清掃係)は言葉を失くした少年を自分の亡くなった笑太と重ねて、少年と関わりあう事で自分の過去を癒しという温い湯で守ってしまう。サクゾウは前に進む事が出来ないのだ。自分の子供を突然失うということ。血の繫がりよりももっと、太い絆で結ばれていたという安心感。あたかも自分の体の一部であるかのような理屈ではない一体感。それらを剥ぎ取るように急に失くしてしまうのだ。その瞬間、自分の中に荒れ狂う別人が入り込んでしまうのだ。絶望という名の別人が・・。まるで底の見えない穴を覗き込むような恐怖を覚え、たぶん、この先子供を喪った気持ちに整理が付くはずもなく、時間が癒してくれるなんて嘘だと思い知る日々を過ごすのだと漠然と感じる。そして、少年に拘ってしまう。
しかし、妻のアヤメが出産したことにより、自分の過ちにやっと気づくサクゾウだった。少年の裏に笑太の影を見ていた。と認め、気持ちの整理は自分で付けなければ前に進めない事を知り、これから生まれてくる子と妻と現実に目を向けて歩こうと誓う。
夫婦漫才は昔風のベタベタな漫才!笑
コメディ色よりも一人の男の人生を描写した芝居だったと思う。
それにしても・・・、「アオイ」が着ていた衣装は金太郎がでっかい鯉を抱えてる絵柄。金太郎ってマサカリ担いでるんじゃなかった?ってか、5月のこどもの日にちなんでの衣装なんだろうか?それがまた、恐ろしいほど良く似合ってる大熊だった。笑
満足度★★★
居場所
自分の居場所を見失った男が7階から飛び降りようとする矢先に関わる7つの部屋の住人達との物語。セットが面白い。屋根をイメージしたセットにそれぞれ窓がついてて、そこから住人が顔を出す仕組み。
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ネタバレBOX
男はごくごく真面目で深く考えるタイプ。だからつまらないことを大げさに考え込む節があり、自分のポジションが解らなくなって死のうと考える。屋根に登っていざ!という時にファンキーな変態カップルが窓を開ける。
どうやら、カップルは喧嘩の最中らしい。女は自殺男にしきりに話しかけて彼の愚痴をわめくが、良く良く聞くと女の彼は家族持ちで女とは不倫関係にあった。不倫カップルは今にも殺し合うかのような勢いだが、それは変態プレイを楽しむHの前兆だったのだ。
一方でテンションの高い結婚詐欺男や、カマ風味男、ロックな皆友達男やら、心理学者と自称する患者のような男、看護師、年老いたリリアン、楽天家のジェニファーなど、もはやコメディとしか思えないキャラクターたちが登場する。もう、こんな彼らを見てるだけで、真剣に死ぬって事がバカバカしく思えてくるわけだ。笑
それでも死のうと試みるも、誰も止めようとしない。警察が来て大騒ぎにならないうちに早く飛び降りて。なんつってのたまう。彼らは型破りで常識なんてない。法則も因数分解もないのだ。そんなロックでファンキーな人達と話すうちに今更ながら男は色んな価値観があり色んな人生がある事に気づく。
そうして男は鳩のアルバートのように飛び立とうと考える。己の作った籠から飛び立って新しいこれからの人生の為に。
コミカルで楽しい舞台だった。キャストの演技にムラがあり、またセリフの間が気になったが、それでも解り易くコメディ感溢れる物語だった。
人生は行き詰ることもあるけれど、それでも死ぬのはいつでもできるから、とりあえずもう少し生きてみなよ。そんな声が聞こえそうな応援歌。
満足度★★★★★
面白い!
コメディかと勘違いしたほど笑えた!特に嫁姑のいざこざの愚痴の応酬の犠牲になった京助が哀れ!笑
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
啄木の日記を元にした芝居。今回は姑役の石川カツの表情や仕草が愉快でとにかく笑った。啄木を軸に家族の人間関係や嫁姑の止まないいざこざ、借金漬けの毎日、質屋通いの日々を背景に啄木がどんな事を考え悩み、結核に倒れるまでをちょっとコメディタッチに綴ってあったものだから、楽しめた。
舅と姑の夫婦の関係や、それをみて育った子供たち。そして今度は兄・啄木とその妻節子との関係、更に嫁姑のいざこざを目のあたりにし、啄木の妹・光子は「だから賢者は家庭を持とうとしないのよ。家庭が戦場になったら他人を救えないからよ。」なんて正論を吐くあたり、妙に納得してしまう。
そして舅の酒好きが過ぎて仏壇までも七草に入れてしまう場面も苦々しい。そんなどーしようもない舅は常に酔っぱらって禅の道を説く!笑
しかーし、欠陥だらけのような舅は節子が啄木の親友・宮崎と不貞を働いたような場面で「おなごの心の中には鬼と仏が住んでいる。妻を少しでも心に残ってるなら時を待て。」と啄木に説得するあたり、ただのクソ坊主ではなかった!笑
そんな修羅場も潜り抜けどうにか収まるような流れの中、啄木と節子と姑は同じ時期に結核を患ってしまう。特に争いの絶えなかった嫁姑は急にお互いを労わりあうようになる。この展開でのカツのセリフ「近々死ぬと解ればこんなに優しくなれる。不思議だなー、人間って。」と吐く。
啄木の怒涛のような家族と人生を解り易く魅せた舞台だった。毎回のことだが、ハイリンドのキャストらの演技がお見事だった。時に、セリフの合間にコメディ的なお茶目さが見え隠れする技は秀逸でとにかく楽しめた舞台。
満足度★★★★★
残酷な童話の世界
面白い!物語は残酷なファンタジーのような風景。それぞれの人間の業のようなものが見え隠れし、それでいて最後は繫がりで終演する。キャストらが一時的に停止するような最後の場面は計算された画でまるで絵画のよう。今回の芝居で一番美しい光景だった。。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
特産品の「はなよめ」は一億円で売るために教育を施され、「はなよめ」となっていく。しかし彼女たちには聞こえないものが聞こえ、特別なものが見えるという特殊な能力を持っていた。だから彼女たちを汚さないように町ぐるみで守り、春祭りの時に神家主さまに選ばれた娘だけが、はなよめになれる。と町民には信仰されていた。だから、農夫やまつばらなどの町民には、はなよめの秘密を知らされていない。
一方、恋に落ちるとはなよめになれない女は看護婦になる。そして農夫は、はなよめを見てはいけない、話してもいけない、汚れるから。という理由でこの掟を破ったものは殺されるという運命にある。しかし、時にその差別を疑問に思うものが出てくる。やがて、かつてはこの町のはなよめとして売られていった楓や町外の住人・小林がこの町の仕組みを解放する為にやってくる。
そこで楓は「神家主さまなど存在しない。信仰偶像したミイラだと語る。そして看護婦の発するセリフではなよめの脳味噌をいじって小さな神様を作るという場面が想像される。つまり、はなよめは少女の頃から人工的に特殊なはなよめとして教育され、しかも特異な脳をも操作されていた、という筋だ。
しかし、はなよめはその特別な能力で自分たちや町の未来までも知っていた。農夫らは人間としてみなされず汚れた存在という扱いを受けながらも、その鬱積した不満や不のエネルギーは革命というクーデターを一揆する。やがてはなよめを農夫らが犯し特別な町は元に戻らないほど悲惨な風景を見せる。ナギの予感は的中しこの光景をナギは脳で見ながら「誰か助けてー!」と叫ぶのだ。この場面の風景が美しい大きな一枚の絵画だった。場面を計算つくしたような瞬間の画。実に素晴らしいです。
そしてナギの手を掴むもう一つの力強い手。悲しみから守る手がこの物語のこれからを暗示するように希望に満ち溢れていた。
ストーリーといい、暗転の仕方といい、好みの作風だった。そして終盤にみせる芸術的なセンスにやられる。それでも一番のお気に入りは本だった。要するにワタクシ好みの本なのだ。相変わらず、木下と木村、千葉の凛とした演技が魅力。役者としての小夏を始めて観たが新鮮だった。
満足度★★★★
初見の劇団だったけれど
素晴らしいです。特に奥田洋平の演技が素晴らしい!で、どんな演技が?ってことだけれど、目だ。目の演技があまりにも逸脱していた。まるで催眠術にでもかけられたような作り物めいたガラスの目だった。魂を奪われて放心した乾いた視線。奥行きのない、だけれどじっと見つめていると底知れぬ恐怖が迫ってくるような目。悲しみの色でも見つめるような目。だけれど無表情。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
第1話 「スリープ・インサイダー」
男は監禁されている。という説明だったが、男は引きこもりだ。男の中で花火師の鏑木君や後輩の女や同級生らが男の回想と妄想の中で交差する。必要な食べ物や音楽、雑誌など欲しいものは紙に書いてトビラに入れると家族(保護者)が見繕って運んでくれる。
こんな生活のなか、体内時計だけを頼りに1000日以上も引きこもっていた―― そんな時、一人の女がその部屋へ来る。この場面から男の中での今からの脱出への希望として、第二話に繋がる。
第2話 「哲人の丘」
一話の続き。今度は荒野の丘の上に建つ小屋の中。この小屋は高い高い崖の一角にぽつねんと建っている。他に小屋はない。外界と遮断された小屋。風が吹き荒れたまにコンドルがカァーカァーと鳴く。この場合、ギャーとかグェーー!と鳴かせたほうがリアル感、満載だったけれど、コンドルってカラスみたいに鳴くのか・・?
男が俯せに倒れている。二話は一話の引きこもりの男よりも少しよくなって自らを他者に解放しようとしている。だから、ここでの登場人物はいっきに自分以外に3人が登場し、場面も一話のシートの上だけだったスペースが広がっている。
物語は鏑木君が崖を登って尋ねてくる。彼は「行方不明になった友人を探していると告げる。」これは、戻ってこない友人、つまり男を心配して小屋に訪ねてきた形だ。小屋での4人のセリフは男の妄想なのか事実なのかは計り知れないが、男の気持ちは友人らを好きな感情と殺したいほど憎む感情が交差する。だから、鏑木に対しても「お前を見てると顔に石をぶつけたくなる。」とのたまう。
一方で女がジャリジャリと音をさせながら崖を登って小屋に到着する。何か物を運んできたようだった。こうして、男の世界はすこ~しずつ小屋から外を眺めたりして、世界と繋がろうとする。苦悩しながら繋がろうとしている。それはやがて・・・村ができ、町ができ、市ができ、県ができるように。だから男はこれから、ちょっとずつ希望を掴もうとしているのだ。
この物語は好みが割れると思う。そのくらい奥に潜む事実が見え難い。人間関係がきっかけで引きこもりになった男の元に通ってくる人たちが愛しく微笑ましい舞台なのだ。だけれど、それを感じさせないからひじょうに解りづらい。解りづらいけれど、何故か惹かれる不思議な舞台だ。
満足度★★★★
満員御礼!
客席は舞台を挟んで対面式に作られている。流石に研修プログラム終了公演だけって、観客はお身内の方が多い。舞台は「春琴抄」を演じるのではなく、役者らが「春琴抄」を演じる練習風景を描く。
コメディかと思うほど、実に愉快な芝居!(^0^)
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
キャストらはジーンズで工夫して作成した衣装を身にまとっていた。すんごく可愛らしくていいな。と思う。
今年の研修生は8名。現役の会社員など社会経験豊富な人材らしいが、演技力で魅せる!彼らはある時期、「稽古が苦行としか思えない・・。」と悩んだメンバーもいたらしいが、こうやって沢山の方から拍手を頂くと、そういった苦労も払拭されるというものだ。
研修生8名はそれぞれの感性でもって「春琴抄」をどう演じるか、そして研修生が日ごろ、どんな雑談や、どんな演技練習をしているかをコミカルな情景で描写する。どうやら、30代が殆どのようだが、これを仕切るチーママのような村田明日香が面白い。今回は男性陣より女性陣のほうが弾けてて面白かったように感じる。研修生でこの演技力なのだから、「劇団山の手事情社」の役者らの演技は相当、見ごたえがあるのではないかと察する。
今回のイベントは、「劇団山の手事情社」の宣伝にも繋がったようで、だから、次回は本公演を観てみたい。と本気で思う。
満足度★★★★★
お見事!
アスペルガー症候群は、興味・関心やコミュニケーションについて特異であるものの、知的障害がみられない発達障害のことである。「知的障害がない自閉症」として扱われることも多いが、公的な文書においては、自閉症とは区分して取り扱われていることが多い。
とあるが、アスペルガー症候群役のキャストらの演技が秀逸!素晴らしい物語でした。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
イエスが十字架に架けられ処刑された場所、そしてイエスの遺体が埋葬された墓があるのがゴルゴダの丘。このキリストを物語に組み込んでの罪と罰を暗示させながらアスペルガー症候群の彼らと一般の人たちとの関わり合いを問題提示した作品でした。
物語はアスペルガー症候群の人たちとと一般の人たちが同じ土俵で演技をすることになったが、うまくかみ合わない。鯛焼き屋の真鍋は彼らにいらつき、また、症候群らは戸惑う。症候群らは人の言葉を額面通りに受け取り、人が吐いた言葉の裏に何が隠されているかを想像できない。純粋なのだ。しかし、一般の人たちが純粋でないかというと、そうではない。おおかたの物事の成り行きはきっと、「常識」という曖昧な見えない枠で個々が判断することが多いのだと思う。一般常識。それでもこの「常識」というやつは人によって違うのだけれど・・。
やがて・・芝居を通して症候群らが受けてきた悲惨なイジメの数々や、彼らが学校に居る人たちは学校の備品だと思い込んでいたエピソードなども明らかにされる。「未歩ちゃん、変だよ」と沢山の人に言われて自分は妖怪人間か魔女か宇宙人で人間じゃないんだ・・・。と思いこんでいた感情をも吐露される。そして、家族の関わりも・・。
芝居の中の演出家とその助手の関係性も面白い。演出家に対する助手の、心理的に男を軽蔑し見下すさまは演出家を激怒させ更に劣等感をも構築させてしまう。結果、演出家は助手を偽善者呼ばわりして暴力を震う。
今回の物語はこういった心理状態に重点を置いた作品だったと思う。症候群の彼らも私たちもイエスもイエスを処刑した人たちも同じゴルゴダの地に佇んでいるのだ。
満足度★★★★★
タイトルは二人を表すが
今回は中村半次郎を主役とみていいと思う。いつもの事ながら終幕の演出は美しくお見事!はらはらと舞い散る桜の花びらと戦いのシーンは幻想の世界であった。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
劇場の椅子にあったパンフをみると、今回の芝居の参考年表がパンフに印刷されてる。こういった細やかな配慮が実に嬉しい。1838~1879年のもの。実はこの時代が芝居で上演される事が多い。だからこれを大切に常にバッグに入れて持ち歩こうと思う。
さて物語りは京都でのこと。徳川が13代将軍に就任し世は激動の時代に突入し、倒幕、大政奉還までの時代を綴ったもの。青蓮院宮を助け、会津藩と新撰組は長州を退けるも、当初、宮側に付いていた薩摩藩は倒幕の為に長州に寝返る。ここで薩摩の西郷吉之助の弟子、川路と中村半次郎の関係に説明を加える。
今回も観客に物語をより良く理解してもらおうと、邪魔にならない程度に少しだけ説明をしてくれる配慮は有難い。ワタクシのように歴史が苦手なものにとっては有難いのだ。
裏切り者の西郷もろとも、薩摩と長州を倒そうと考える徳川派の会津藩と新撰組。しかし、薩摩藩には凄まじい剣の腕前の中村半次郎がいた。彼と互角に勝負できるのは新撰組の斎藤一しか居ない。彼らはかつて、青蓮院宮衛士としてその名を上げていった仲間でもあった。二人の生き様を描写しながらも、剣の腕前だけではない人間としての感情の部分、人を殺してしまった半次郎の苦悩を孤児のお幸を通して絶妙に反映させる。
やがて・・・、斎藤一と中村半次郎の斬りあいは始まる。そのシーンは桜の舞い散る中、その戦いとはうらはらに幻想的な美しい描写の中でお幸が「半どん(半次郎)、早く帰ってきて~な。」と待ちわびる情景が切ない。ここで半次郎が宮を切ろうとしても切れなかった場面を想像する。半次郎に「半どん、この世に一人前の人間などいない。」と励ました宮。
終盤、激動の時代は終わり、剣の時代ではなくなった今、西郷の墓の前で宮が呟く。「わしの願いはただ一つ、この国を守りたかっただけでしたのに・・。」そして、時代の勇士らの回想シーンを魅せる!
今回も実に素晴らしい芝居だった。「劇団め組」の時代劇は解りやすいところと、優秀なキャストらの演技力、美しい演出、絶妙な場面での導入音楽、照明が魅力だ。更にストーリー展開が主軸となる登場人物の心の動きなどの内面を重視する点だ。だから、必ず感動と涙を誘い、言い知れぬ切ない激情に襲われる。
満足度★★★★
ディズニーのシンデレラ城的体感!
とにかくセットが本格的!セットの技巧が秀逸な劇団って半端な気持ちで取り組んでない分、観劇前から期待に打ち震えちゃうわけよね。笑
中近東のどこかに旅してる輩らが一軒の格安宿屋での風景を描いた作品。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
もはや、旅人とは言わない、つまり世界各国が故郷だと思っている気侭な旅を生き方とする達人のサン、旅のリーダー的存在の大塚、地球の歩き方の達人・かお、韓国のミン、ミンの彼・コウジ(日本人)、旅がまだ浅い竹田とともか、そして宿屋の主のザフラとオサマの宿屋でのやりとりの風景を前半、ゆるゆると見せる。
これらの描写の仕方はいわゆる普通だ。彼らが旅を続ける上での情報交換や、日本の今を話題にし、どちらかというと取り留めのない話題に、物語というよりも、彼らの会話をただただ観客に紹介してるような感覚だ。だから、個人的には特別な感情もこの舞台でファンタジーな空間を旅するという感覚も起きない。
ところが、後半、物語は一気にデンジャラスな香りへと突入する。それは・・・まるで殺人現場に「危険!」と書かれた黄色いテープが交差して張られるような異様な雰囲気に宿屋がさらされるからだ。宿屋の周りはいつの間にか静寂が漂い、そしていつの間にか宿主らが居なくなり、突如として戦車が走るまわる。兵隊が路上を練り歩き、怪しい音楽と放送が流れ、パン!パン!パパン!!などと、銃の音が響く。
当初、何事か!?と暢気に考えていた旅人らは、人っ子一人居ない周りの景色にビビリまくり、今まで体験した事のない異質で危険な状況に、完全に動転してしまう。世界は常にどこかで戦争を繰り返しているのだ。彼らはいつ何時、自分たちが戦争に巻き込まれるかも知れないと、恐怖に慄き、慌て、理性を失う。宿屋の中の旅人は全員がパニクり泣き叫ぶ!
人というのは本当にちっぽけだ。外の景色は旅人らを心理的に追い詰め、今までの自分たちがあまりにも危機感がなかったと反省させるように警告する。物語はメッセージ的なセリフも飛び交い、いざ死ぬという時に人はやっと己の過去を振り返るのだ。身重の妻を日本に残してまでも夢を見続けていた男はこれまでの行いを後悔し懺悔のように妻の留守番電話にメッセージを残す。
舞台も観客もシン!と静まり返った矢先、「どんどんどん!!どんどんどん!」と外からノックする音が・・。ワタクシ、心臓が飛び出るほどビックリした!椅子から10センチくらい飛び跳ねた!ビクゥッ!!!って。
しかーーし!、外は戦争が始まるのではなく、国を挙げてのパーティーとかで、たぶん・・・チンポコ国王の祝祭だったのだ!結果はアホらしいけれど、ここまで観客を誘導する仕組みに脱帽!だから、物語を楽しむというよりもその体感を楽しむ。といった味付け。
観劇後、女神のような美女に挨拶されて???状態なワタクシ。美女曰く「いつもアゴラでお見かけします。主宰の館そらみです。」って。
いあいあ、この美人がこの物語を書いたの?しかも・・・チンポコ国王ってww
どんだけお茶目なんでしょ。美人で秀才でお茶目ときたら欠点はないなー。
神はやっぱ平等じゃあないんだねっ。
神様、今からでも遅くはない。彼女に何か欠点を授けたまえ~~。むふふ!(^0^)
満足度★★★★
味付けの違う2話!
「世にも不思議な物語」な世界観!一話はミステリアスな物語で二話はコメディ色の強い物語。良い感じのバランスが絶妙でした。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
【完全な真空】
地下迷宮での会話劇。序盤から照明の技のせいか、洞窟を空想させる演出。ここで生活を続ける浮浪者は、世界に絶望を感じて地下に潜った男だった。脱出をあきらめる若い女は、「もう少しで男が迷い込んで来たら、ここから出られるから待て。」と浮浪者に教えられる。案の定、男が迷い込んで来る。ここで男と女の、運命的な出会いなのだが、そのことに両方とも気が付かない。男はこの迷路から脱出しようと必死に駆けずりまわるが出られない。
そんな折、浮浪者は男に「お前にとっての幸せは何だ?」と問う。「これが解らなければここからは出られない。」と。哲学的な尋問の場面!笑
男は最初のうちは昇進だと答えていたが、やがて、「普通に会社に行って、普通に仕事をして、普通に呑みに行って普通に結婚して・・・、普通に生きることだ!」とアンサーする。
こうしてやっと女と一緒に脱出した男は、この女と縁あって結婚したのだが、物語はこれでおしまいではない。浮浪者の呟きから、この女はかつて自分の妻であり、子供は出来なかったが幸せに満ちて暮らしていたという。そして妻が先に死んで、自分は妻が居なくなった世の中に絶望し、この地下に潜ったのだという。つまり、男は浮浪者自身だった。というオチ。
【BLACK BOX】
女が見つけた奇妙な黒い箱を「BLACK BOX]だというイッチャッテル物理学者とその助手、寝間着の男と女のコミカルな物語。とにかく寝間着男が面白い。アホらしいけれどコメディだからこのくらいイカレテルほうがいい(^0^)
黒い箱を見つけた女はキャリアウーマン。現在の状況に大きな不満はないが孤独ではある。そして愛が欲しい。会社のちょっとした不満を吐き出しに公演に来たのだが、ここでイカレタ3人と出会い、散々な目に巻き込まれる。「この箱は人類のどんな願いでも叶えてくれる。」と説明された女は真剣に「億万長者になりたい!」と願うも思い返して「愛が欲しいー!!」と叫ぶ。
2話とも秀逸な物語だった。どちらもインパクトがあって、シリアスとコメディの差こそあれ、不思議さ満点な舞台。好みの作風だった。個人的に志村の演技が光ってた。そして、菊池!彼のイカレ加減が絶妙!
満足度★★
学芸会レベル
あまりにも痛いのは劇団員の演技力。むしろ客演の演技に助けられているというさま。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
劇団自体がまだ未熟なのに対して本の内容を盛り込みすぎ。だから、焦点が合っていない。お笑いも、感動も、更に観客を泣かせようとしてるのか、欲張り過ぎて内容が散漫しちゃってる。
しかも・・ヒロインの牧野の演技が見てられない。下手すぎて。素人なんだろうか?
どの劇団も最初からいきなり大絶賛なんて貰えるはずもないのだから、もう少し絞ってまとめたほうがいいと思う。そしてヒロインには実力のあるキャストを使うべき。とりあえず牧野は脇で固めておいて、彼女がが少しずつ実力を付けてきたのを見計らってからヒロインにしてやらないと、牧野自身が可哀相だし、その前に潰れてしまうかも知れない。
物事には順序がある。
満足度★★★
キャラクターの立ち上がりが薄い
イギリスの劇作家ジョン・オズボーンの戯曲。確か・・・映画にもなったんじゃないだろうか・・。
以下はネタばれBOXにて。。
ネタバレBOX
男女の三角関係を綴った物語。
主人公のジミー・ポーターは三流大学を出て田舎(いなか)町で屋台の菓子屋をやりながら、現在の自分の状況を憂いでいた。労働階級のジミーと親の反対を押し切って結婚した上流階級出身のアリソン。育ちの違う夫婦の夫側というものは、それでなくとも劣等感を抱くものだ。
「かつてのイギリスは良かった・・。」などと過去の栄光を羨望しまた非難し、拠るべき、また倒すべき大義のない現代を呪いながらも、その行き場のないはけ口の為にアリソンを言葉で罵り憎み、時に愛す。そして同時に自分をも愛しまた憎み、さまざまな矛盾に苦悩する。ジミーの饒舌もアリソンに対する冒涜も、当時の鬱積した社会的感情を自分の中で消化できなかった故であった。
そんな危うい夫婦と同居していたクリフはジミーも愛し、その妻のアリソンにも深い愛情を示し、夫婦にとってクッションの役割を果たしていたが、アリソンの友人・ヘレナの登場で事態は一変する。ジミーの暴言に悩んでいたアリソンは実家に帰ってしまい、その留守中にヘレナはジミーと関係を持ってしまう。ヘレナにとってジミーはまったく新しい戦後世代のタイプとして型破りで新鮮な魅力をもっていたのである。そしてクリフも「自分の居場所がない」といって出て行ってしまう。
少ししてジミーの元に戻ってきたアリソンは夫婦として元の鞘に収まり、今度はヘレナが出て行くのだが、この3人の三角関係の心の機微の表現の仕方が甘いと感じた。この大作の何処に焦点を当てるかが一番の見せ場なのだけれど三角関係の織り交ぜが足りないような気がする。「私はほんのちょっと心の安らぎが欲しいの。」というアリソンと「俺はこんなに苦しんでいるのに・・。」と言うジミーのバトルにも希薄さを感じて、どうにも落ち着かない。キャストのセリフがまっすぐ耳に流れるように入って来ないのだ。だけれど、物語は良く解る。
「みんな生きてるだけで苦しくて仕方がないから・・。」というセリフは当時のジミーとアリソンの関係をも物語る。
満足度★★★★
「ニセモノ」というルール
コンビニ勤務の木村慎司が主役。登場人物は木村の他に8人。
白い箱のような部屋での芝居。家族ごっこのような風景。
以下はネタばれBOXにて。。
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木村の前を今までに何人もの母親や父親や兄弟が通り過ぎて行った。5番目のおふくろには虐待された。「好きだよ。好きだよ。」と連呼しながら木村の顔を膨らましていった。そうして、今度は知子という血のつながった実の姉が現れる。
しかし、木村は知子のマグマのような強い愛情と半ば強引に「一緒に暮らそう」という知子の存在にヒク。木村は5番目の母親以来、「愛情」と言われると恐い。だから、血が繋がっていない現在の父親との暮らしに満足していた。この父親・永吉は木村よりも年下だ。しかし木村はそんな事はどうだっていい。父親としての役割を演じてくれさえすれば、それでいいのだ。家族という概念を木村は持ち合わせて居なかったし、そもそもこの物語を構築しているシステムが「ニセモノ」というルールの上に成り立っているからだ。
そして、女の顔を見分けられない父親。永吉は女だったら誰でもいいと思っている。キラキラと輝いてるロマンチックラブをエンジョイしたいだけとのたまう。
一方で姉は行きずりの複数のオヤジと寝た。臭かった。期待はずれだった。そんな姉・知子は、彼女の母親の19番目の男が嫌いだという。パンチパーマをしたその男とセックスをした知子は母親に殺されそうになったという。
また別のキャラクターの女は中二の時に男に声をかけられてついて行ったら「むかつく」といってボコられたという。顔が紫になったけれど、ドキドキした。もっとドキドキしたくて「もっと殴って下さい。」と懇願する自分が居た。自分のスタンスが解らない。苛められていないと落ち着かない、という不のオーラを持つ女。
一方で「誰かの役に立ちたい。」と言ってタンスになる井上有希。彼女は「温めておきました。」といって、どらえもんのようにポケットから靴下を出す。まるで殿が穿く草鞋を懐に入れて温めていたサルのように・・。
そして有希のストーカーをする耕平。「10年後に会う約束をしましたよね?あの時と変わらぬ同じ気持ちを持ってきました。」と吐く。
それぞれのキャラクターがどこか歪みや闇を持って形成されている。そしてその形成さもいびつで滑稽だった。家族という一つの枠の中に出たり入ったりする人物像そのものが不のエネルギーを放出していて醜いのだ。カタツムリの中身を覗いてしまったような、生々しい不快感が唐突に込み上げるような芝居だった。
登場人物の全てが、かつて受けた傷を癒すことなく、膿んだまま放置されて、今だにジクジクと活動しているようなさまだ。だから・・・自分に関わる他者とはそれなりの距離を置いて薄っぺらい関係の方が有難い。と言ってるようなものだった。少しでも現実味を帯びてくると、「それは『ニセモノ』というルールから外れる!」といって、舞台監督が飛んでくるのだ。ルールを破った者には「退場」させられる。だから彼らは『ニセモノ』というルールに則って、ずっと自分の役割を演じ続けなければならない。なるべく薄っぺらい感情で。
好みがひじょうに割れる作品だと思う。しかし、誰でもがひっそりと隠し持ってる闇や歪さを表現した舞台だったなら、人間に対して過剰な期待を捨てた分だけ「木村の模倣家族」は本物かもしれない。
満足度★★★★★
姉妹のめあて
凪がざわめく海辺の崖の上に立つ一軒の家。崖は自殺の名所だったりする。舞台は、その家の離れにある書斎。そこで繰り広げられる3人の濃密な物語。
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かつては俳優で現在はエッセイストである53歳の男が住んでいる。男の世話をする姉妹が二人。姉は36歳、妹は26歳。男はガンだ。しかも男はもう長く生きられないことを悟っているようだ。男は終の棲家を探し、この家を借りた。そうして家を借りる時の条件がこの二人の姉妹も付いて、とのことだった。男は奇妙に思ったが、それでも自分の身の回り一切の世話をしてくれるのは丁度いいと思ったのだ。男には家族が居なかったから・・。
場面は病院に行かない男とその世話をする姉の描写から始まる。セットは大きなテーブルと積み上げられた本。右サイドには大きな本棚に横に並べられた本の数々と、その中央に立てかけられた一艘の舟。
この舟が実に奇妙に映る。そうして本の並び方にも。
男の殆どの世話を担当する美しい姉。そうして時々ふもとの街からこの家に通ってくる闊達で可愛い妹。どうやら妹は男とデキてるらしい。一方で男は姉とも肉体関係こそないが感情の部分で繋がってるようす。姉妹の会話が実に楽しい。哲学的でコミカルだ。姉は全ての文学に精通してるようで上質な会話も得意とする。姉妹にも家族はいない。父親は54歳で女と駆け落ちをした。母親は既に亡くなって姉妹二人きりになったのだ。
崖の家から見える洞窟に住んでいるチャトラとチュートラの大きな猫の戦いの描写が可笑しい。まるで姉妹が牽制し合うような風景だ。顎を上げ胸を張り笑みを浮かべて男を眺める妹は、家来に指先へのキスを許可する貴族の女のようだ。一方で清楚な裏に見え隠れする妖艶な輝きを帯びた目をする姉。二人ともネコ科の肉食動物を思わせる危険な光も同居している。
庭にひまわりの種を撒く姉妹。しかし、男はひまわりの花を観る事は出来ない。時折、カッコーの鳴き声が聞こえる。カッコーは自分の卵を他の鳥の巣に落として育てさせる。そんなカッコーに「企んできたかー、君たち!」とささやく姉妹。そして男の事を「少しずつ私たちのものになっていく訳だから・・・。」と二人は愛情を持っているかのように男の世話をする。同時に家の世話をしているようにも見える。
ついに男は日に日に衰えて死んでしまう。それでも男は幸せだったに違いない。男が死ぬ間際まで姉妹は男に尽くしたからだ。「もし、私が理由で君たちに5月の笑顔がないのだったら悲しい。」なんて最後のセリフを吐く。最後の最後まで姉妹を疑うことなく死んだ男。
男の財産を目当てに企んでいた姉妹は、ようやく男が死んで男の財産が自分たちのものになる。姉妹は長い仕事が終わったかのように二人でご飯を食べる。こうやって姉妹は男を食い物にして生きてきた。まるでカッコーのように・・・。
実に秀逸な舞台だった。書斎から見える海の描写や3人の織りなす感情。いきざまなどを観客に投げつけるような物語。セリフの一つ一つは確実に高レベルで言葉に存在感がある。だから長谷川の本は好きだ。重厚な質の高い小説を読んでいるようで、しかもちょっと毒もある。3人のキャストらの演技もお見事で、だからこそ本に厚みが出る。
満足度★★★★
2度目の観劇!
やっぱり、オープニングが楽しい!(^0^)
そうしてリーマンタワーを作って社訓!なんつって体育会系のノリ。
以下はネタばれBOXにて。。
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今回は2度目ということもあって、全体的にゆるりと観た。で、やっぱり芝居の前半はものすっごく楽しい。勢いがあるからだ。社訓やら「わが社」社歌を合唱する場面。幼稚園の運動会みたいだ。
そんでもって後半。小梁の妻のあの眠たくなるような言い回しが、実際、眠くなる。あのキャラクターは後半の流れを一気にせき止める感覚があってリズムが狂うのだ。しかも流れが遅い。で・・・眠くなる。
それでも今回、キャストのターンのちょっとしたミスがあって、そこで目ざとく中村(チヒロ)が「ドンマイ!」なんて掛声する。やっぱ運動会のノリ。
更に宮澤さんのギリギリの近すぎるターンやら、北川の5時男のノリでも楽しむ。
結局薬局、私的にはコミカル感満載の流れで突っ走って欲しかったのだと感じる。どうだ!リーマンはダサいけれど見方によってはそこそこ楽しいんだぞ!っと、思えるように。笑
満足度★★★★★
聞きしに勝る!
初の「パラドックス定数 」観劇。倉庫での公演ということと、物語の内容が絶妙にリンクしていてリアル感、溢れる舞台。役者らの演技力に心底脱帽した芝居だった。素晴らしい舞台に大満足!
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拳銃工場の経営者・宗谷陽彰は知能障害の兄・佳朗をかかえ工場を切り盛りするが、この工場はヤクザの銃仕入れ工場となっていた。これを仕切っていたのが智北。しかし、智北は13年もの間入獄し、その間、弟分の抜海が刑事・成島にワイロを渡しながらこの工場を守ってきたが、兄貴分の智北が勤めを終わり晴れてシャバに戻ってきた事から、これまでの状況がかわってしまう。
兄貴分の縄張りのこの工場を自分の物にしようとした抜海の野心と、ヤクザと癒着していた刑事らの言動。障害者だが銃製造に関しては弟より腕の良い兄・佳朗の言動、そして殺し屋と自称する永山の関係が絶妙で面白いほど。
刑事らの手柄やヤクザの兄弟分としてのせめぎ合い、銃製造に関わる宗谷兄弟の関係などが浮き彫りにされ、序盤から終盤までドキドキ・ワクワクの連続でした。まるでドラマを観てるよう。そうしてものすっごく驚いたのは各キャストらの演技力だった。ホント、素晴らしい!当日券で入ったのだけれど、まったくもって3000円以上の演技力に満足な芝居でした。
それにしても・・・倉庫で響くメトロノームのリズムと倉庫の出口のシャッター開閉の音は物語に上手く溶け込んで演出としてはサイコーだった。智北が本物のヤクザのようで、あのナリで工場から出たり入ったりするのだけれど・・・、近隣住民は怪しい。と思わないのだろうか?どうみたってヤヴァそうな智北だった・・・。(苦笑!)