りいちろの観てきた!クチコミ一覧

81-100件 / 1006件中
若手演出家コンクー2013 最終審会 

若手演出家コンクー2013 最終審会 

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/04 (火) ~ 2014/03/09 (日)公演終了

満足度★★★★

個性満載での面白さ
たまたま、決勝進出のある芝居を、従前に観たものの再演として観にいったのですが、その空間や空気が面白く、チケットシステム(通常の1公演分の料金で4公演すべてを観ることができる)にも乗っかって、全部を拝見しました。

ほんと、個性の被らない4団体、たっぷりと楽しむことができました。

ネタバレBOX

観た順に・・・

1.山下 由 『ハミング イン ウォーター』

Pitymanの公演としてこりっちに登録があるので、少し詳しめの感想をそちらに書きました。
多分、戯曲を読んだだけでは伝わりえないであろう空気が、しっかりと舞台に紡ぎ出されていて心を奪われました。

2.スズキ拓朗 『FRIEND~踊る戯曲~』

評判は従前からきいていて、一度観たいと思っていた劇団主宰の作品ということで、わくわくと足を運びました。
安部公房の戯曲はとても昔にですが読んだこともあり、また、他劇団で観たこともあり。
舞台が始まると、忽ち美術にも舞台のミザンスの作り方や役者たちの動きに目を奪われる。ダンスなどにはそれ自体のメソッドで語るのではなく、物語にしっかりと紡ぎこまれて観る側を捕まえていく感じがあって。
だから、戯曲に対して舞台が浮くことなく、着実に戯曲の世界を観る側に歩ませてくれる。そこには、演じることの洗練があり、戯曲のシーンが、作り手の
表現と共に鮮やかに研がれ、切り出されているように感じました。

ただ、観終わって、戯曲の世界を戯曲どおりの枠のなかでがっつり楽しみはしたし、役者やダンサー、さらにアコーディオンと歌の醸し出す雰囲気にも心惹かれたのですが、なんだろ、これだけの表現力を駆使しているにも関わらず、戯曲の印象への忠実さがとても強くのこり、戯曲をこのメソッドで表現するからこその新たな広がりというか、表現だけではなく、その表現を手段として戯曲を踏み越えて訪れるなにかが、今一つ実感できませんでした。
秀逸な舞台であったようには思うのですが、既存の戯曲に縛られることなく、作り手の創意に裏打ちされた作品を観たい気持ちの方が強く残りました。

3.シライケイタ 『山の声ーある登山者の追想ー』

骨組がとてもしっかりと作られた作品で、記録を読み上げるような外枠の説明にもあざとさがなく、観る側としてすっと世界に入っていける。
シーンごとの緩急も強かに作られていて、その語り口にも、解けていく物語の時間軸に観る側を戸惑わせない端正さを感じる。
中盤までは、観る側をしっかりと委ねさせる密度や緩急があって、その厚みにぐっと取り込まれる。
また、描かれるものの視座を最後まで隠し通す力量も役者たちにはあって。

ただ、惜しむらくは、後半の猛吹雪のシーンの映像というか効果が生む舞台上の質感がそれまでの語り口の密度とやや乖離しており、その部分だけが舞台の流れと異なったトーンに感じられる。
そこまでのシーンは、終わって初めてわかることとはいえ、素舞台に近い中で役者たちが、光と音を纏いつつしっかりと主人公の視座から見えるものを立体的に紡ぎ出していたのですが、さらに加わるイメージが役者たちの描くもの
をもっと広く浅く薄めてしまったようにも思われて。
それでも、主人公の今を語るラストシーンには、そこまで積み上げてきたものから生まれる物語の新たな視野に捉えられたのですが、もし今回のような段取りで物語を描くのであれば、シーンの重さの作り方などにも更なる工夫の余地があるように感じました。

4.澤野正樹 『FESTIVAL/ONOBORI ートーホクをヌぐー』

男優のみの舞台。入場時からの劇場全体の雰囲気づくりもしっかりとできていて、観る側をうまく彼らの世界に導いていたように思います。
ネタなどは鉄割アルバトロスケットなどのやり方を思い出すものもあったのですが、そこから表現しようとするものには、作り手としてのフォーカスを感じることができる。

下世話であっても、基本的にハレのノリがそこにはあって、
観客をしっかりと楽しませつつ、その奥にキャラクターたちの心情を
描き出していたように思います。

但し、舞台として観たときに、しっかりと作りこまれている部分と、細かい雑さが混在しているのが少々気になる。
ダンスなどにしても、もしもその雑さで恣意的に勢いやウマ下手を表現しようとしているのであれば、必ずしも機能していない気がするし、逆にところどころに観られるしっかりと圧力をもった表現がふらつかなければ、もっと多くのニュアンスを作品に作りこめる感じがする。

単にベタというのとは少し異なる奥行きも垣間見え、作り手が今後どのような歩みをするのかを気にさせる力は十分にありました。





ハミングインウォーター

ハミングインウォーター

Pityman

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/04 (火) ~ 2014/03/08 (土)公演終了

満足度★★★★

役者たちが編む強くても繊細な厚み
以前RAFTでも観た作品ですが、
今回はRAFT全体の空間をそのまま借景にしたのと異なり、
演出コンクールの制約の中で、
必要最小限の美術とともに
役者達が自らの演技で彼らの空間を作り上げていました

ネタバレBOX

冒頭の会話には、観る側を一気に捉える混沌があって。

そこからのほどけ方や緩急に、
登場人物たちと、母とさらには父がこの家に置いた空気が生まれ
観る側を染めていきます。

RAFTで観たときには、家としての空間があって、
その上にキャラクターを交差させていく感じでしたが、
今回は、美術も上手のオブジェと椅子くらいということで
より役者自身からやってくるものがひとつずつのシーンを支配していて。

最初は姉妹の我の強さに長男が圧倒されて、
どこかコミカルであったものが、
次第に三人の価値観の異なりに育ち、
口論が生まれ、
でもそれぞれのつらぬきの先には、乖離ばかりではなく
家族が普遍的に持つ絆が浮かび上がってくる。

姉の頑なさと妹の奔放さのぶつかり合い、
そして長男のどこか達観した感じから、
それが、混沌に陥らず、キャラクターの距離があからさまに切り出され、
でも、そこか明確に見えるからこそ、
それぞれのもう一歩深いところにある
家族の質感とそれぞれの想いが溢れだし、
意外なことに、その距離を許すほどに育った
家族であることの感覚が浮かんでくるのです。

RAFTの公演時には、観る側がもう少し広い視野を与えられていたから
描かれる今の印象がより強かったのですが、
今回はフォーカスがより絞られたことで、3人の歩んできた日々が
観る側により深く入り込んできて、
唯一目立った上手のごみ袋を重ねたようなオブジェが、
彼らが抱く時間の質感を観る側に伝え、とても効果的であったと思います。

多分、戯曲を読んでも伝わりえない、もっと言えば家族だからこそ共振できるような空気に取り込まれて、作り手の紡ぐ舞台空間の観客への浸出力(?)を実感することができました。
許して欲しいの

許して欲しいの

劇団競泳水着

高田馬場ラビネスト(東京都)

2014/02/19 (水) ~ 2014/02/24 (月)公演終了

満足度★★★★

作家脳と役者脳で紡がれる異なるおもしろさ
週末2日間で両バージョンを拝見。
作家Ve(土)r⇒役者Ver(日)の順で観劇

それぞれの舞台に描かれる刹那を追わせる力を感じつつ、戯曲から紡ぎ出される同じ顛末の、異なる肌触りや垣間見えるものも実に面白かったです。

ネタバレBOX

作家Ver.のキャストたちは手練れの作家・演出家でもあり、舞台で彼らが自らの作品を演じる姿は何度も観ていて役者としての秀逸さも十分承知。
また、戯曲にはいろいろ役者への当て書きを感じるような部分もあり、作品の構造をその作・演脳でしっかりと掌に載せているなぁと感じる部分も随所にあって。
要所でのキャラクターたちへ絶妙なバイアスを掛け物語の骨格を組み上げつつ、表層のロールの変化を踏み台にして次第に作家や編集者たちの何かを創造し形にしていくことへのスタンスや苦悩や矜持を切り出していきます。
いろんな遊び心やウィットも差し挟まれつつ、キャラクター達が抱くものがきっちりと貫かれ、物語の顛末を踏み台にして描き出すものを支えて。その中で役者それぞれに、自身の作品の中では観たことのない質感の演技の引き出しを引いているのも興味深い。上野作劇をしなやかに纏うために、それぞれの役者としての底力がうまく導きだされていたようにも感じました。

一方役者Ver.は、ひとつずつの刹那を実直に積み上げ物語の流れを作っていく感じ。刹那ごとの空気がとても繊細に編まれ、自然な肌触りをもって舞台を満たしていく。
シーンごとのロールの雰囲気の変化も、作家Ver.よりもゆっくりと広がりをもって伝わって来る感じがあり、作家Ver.では物語から切り出されていた何かを描き出すことへの様々なことも、物語の内側にしなやかに織り入れられて、舞台の呼吸のように訪れる。上野作劇ならではの、どこか淡々とでも観る側を捉えて離さないビビッドな時間の感覚に満たされ、その中に主人公の姉妹やそれを取り巻く人々の歩みの息遣いが感慨とともに残る。役者脳での刹那の取り込み方や異なる視点からの描き方のセンスや粘り方のようなものを感じ、舞台の時間に浸りつつ、決して簡単な戯曲ではないことにも思い当たりつつ役者たちの力を肌で実感することができました。

両バージョンを観終えて、同じ戯曲からそれぞれのVer.が照らし出すものが全く違うことに驚き、やがてこの戯曲に隠された仕掛けのしたたかさにも舌を巻く。
複雑な骨組みの物語というわけでもないのですが、時間の経過の切れ味のよさにロールたちの交わりやそれぞれに抱くものの変化がすっと降りてくる。どこか淡々とした質感もあるのですが、そのなかでの会話や言葉には、観る側が受け取るべきロールたちの歩みへの気づきがさりげなく強かに仕掛けられていて、それが役者達の個性や語り口と重なると、舞台にその役者だから演じ得る風景や質感が浮かび、様々なロールたちの時間への感触や俯瞰が訪れる。なんだろ、作り手ならではの戯曲の間口というか、単にひとつのモチーフを語るだけではない演じ手によって様々に引きだし得るキャパのようなものがあって。

役者達にも、作り手にも、その豊かな力量と可能性を感じた舞台でありました。

荒野の家

荒野の家

水素74%

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/02/07 (金) ~ 2014/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

バイアスがかかってはいるけれど
初こそ少々違和感を感じたものの、
自分を信じる登場人物それぞれの視座から紡がれる
あからさまな言葉や態度が重なりに、
ぐいぐいと引き込まれて・・・。

三鷹で観た「半透明のオアシス」や前回のアゴラでの「謎の球体X」の登場人物達の貫きが、さらに歩みを進めておりました。

ネタバレBOX

冒頭から三十路男の母への駄々を見せられるとちょっと戸惑ってしまうのですが、世界に父と嫁いだ娘が加わり、表層の家族の関係のなかに4人家族の態が置かれ、さらにそれぞれの抱えるものがあからさまになるころには、シーンたちがちゃんと居場所と理をもった日常の時間の断片であることに気付く。すると登場人物の一人ずつが自らが信じ自分を愛でるように語る台詞や、態度が舞台に貫かれることや、やがてその表裏がその舞台上に重なっていくことが、ぐいぐいと面白くなっていきます。

ひとつずつのロールに役者が組み上げていくものが強くデフォルメされ歪み突き抜けてはいるのですが、だからといって見失うほどに突飛ではなく、ありえる話のボーダーの内側にちゃんと収まり、さらには表層の家族の態にしっかりと繋がれていく。

やりたいことが定まらず、30歳になっても引きこもる息子や、
その息子を心配しつつも一方で依存している母、
仕事をして家族を養いながらも、家庭内ではなにもしようとしない父親や、
嫁いだ先の夫を従属させつつ実家に戻ると母の良い子になりたい娘。

様々な軋みを抱えながらも、その家族がいる家には屋根があり壁があり、時折風音の聞こえる中で家は建っている。
母を訪れ相談と称して、自分の義理の父の介護を当たり前のように頼みにくる隣人の理屈とそれが臆面もなく語られることも凄いなぁとおもうのですが、でも、その理不尽さも、家族とその家が隣人にも見えているからこそのことだと思うのです。

その状況が崩れていく後半は圧巻でした。
息子の引きこもりを快く思わない父が娘と共謀してスパルタ式の登山スクールに息子を預けようとする。そこからのドミノの倒れ方に息を呑む。塩焼きソバで母親を家から釣り出すというアイデアのチープさや、釣られかけても再び戻ってきてしまう母親の執着が凄い。
家を訪れた校長が押し付ける時代錯誤な価値観が父親の薄っぺらなプライドを引き出し、箍をはずし、積もっていたものを噴出させる刹那の身体を絶妙に使った演技には、凄みをもった切なくなるような可笑しさがあり、校長の生徒だったという男の従順の先の抑圧された感にも目を瞠る。
息子が登山スクールへ行くことを了承することの裏側での戻ってきて父親をぶっ殺すという感情がとてもナチュラルに感じられることにも驚愕。

役者達も、バイアスがかかったロールを、繊細さと太さを織り交ぜながら演じ上げていきます。息子がいなくなった状況できっぱりと離婚を決意する母親の決断にも、父親の当惑にも観る側を納得させうる構図があって。娘と夫の関係性も、隣人のある意味の変わらなさや揺るがなさも、しっかりと足を踏ん張ってそこにある。
そこには、笑えなさを突き抜けてしまう、行き場のなさが残って。

終演間近の吹きすさぶ風の音に「荒野の家」というタイトルを思い出し、なるほどなぁと思う。
かくて家族が崩れたあとの娘を見ながら、デフォルメされた舞台の状況の不思議な現実味に捉えられる。
なにか、とてつもない、でもありふれた物語を観たような感覚から暫く抜け出すことができませんでした。

俺の歴史

俺の歴史

俺の歴史

浮間ベース(東京都)

2014/02/08 (土) ~ 2014/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

ラフを装ってはいるけれど
内側はとても緻密に練られている印象を持ちました。

いろんな表現のやり方が織りこまれているのですが、
その一つずつの表現の精度がきっちりと担保されていて、
だからこそ、やってくる内心に歪を感じない。

舞台美術は照明、さらには映像なども、
なにげによく磨がれていて
ライティングや、要所で雰囲気をつくるスタッフたちの掛け声も絶妙。

終わってみれば
しっかりと心に染めるものが舞台にありました。

ネタバレBOX

台本に紡がれた
過去・今・未来の想いに
演じ手や照明・美術の技量が、
しっかりとふくらみを与えいきます。

ラップにしても、足についていて、観る側を共振させる力があるし、
フラダンスに演者が溶け込む感じの映像も
その時間に観る側をしなやかに導いてくれる。
動き語る中で、上と下をしたたかに作り出していきます。

戯曲もしたたかで、単に歴史を順番に語るのではなく、自然体の語り口で今を固め、観る側とのつながりとして過去を切り出し、さりげなく未来への夢を語っていく。それが、役者の地力に支えられて、混濁したりぶれたりせずに、ロールが抱くものをそのまま観る側に渡していくのです。
表層的な語りの中に、やわらかなペーソスとちょっとしたビターさと、未来への光が見える。そして、表層的な物語がやがて消えてもその感覚は観る側を捉えたまま残る。

駅からちょっと遠い会場までのツアーを企画したり、冒頭にも素の語りを入れたりと観る側をキャラクターの世界に世界に導く工夫もあり、それを踏み台にしっかりと世界を作り上げる。

いろんな秀逸が編み込まれた一人芝居でありました。




騒音と闇

騒音と闇

革命アイドル暴走ちゃん

相鉄本多劇場(神奈川県)

2014/02/14 (金) ~ 2014/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

以前の力を減じることなく
作り手が以前の力を減じることなく、
作品をさらに洗練させた印象。

再び歩み出した表現がどこまで進化するか、
その一歩をしかと体験することができました。

ネタバレBOX

相変わらずいろんなものが飛んではきますが、
とりあえず自前のしっかりしたカッパで防御していたので
特に苦になることもなく、
むしろ、ネギの直撃を受けたときなど、
妙にテンションが上がったりも・・。

スタイリッシュな部分も良く作りこまれていて、
パワーのかけかたなどにもメリハリがあり、
単にメソッドにこだわるだけではなく、
作り手がそのメソッドを絵具にし、舞台や観客をキャンバスにして
描き出そうとする感覚や想いが、
観る側にもカオスではなく印象として伝わってくる。
作り手が一から再起動するというだけではなく、
これまでに築いた進化を手放さずに歩みを始めたように感じました。

まあ、舞台のパワーなどは一時期の作り手の作品からすると
減じられたようにも思いますが、
作り手に、パワー至上主義ということではなく、
座組の力で観る側が一番大きく受け取りうるインパクトを作るように
引き出しを引く冷静さとセンスを持ち合わたようにも感じられて。

次の公演も決まっているとのことで(秋にこまばアゴラ劇場だそう)、
作り手がそのメソッドやセンスをどのように研ぎ歩ませ
何を表現しようとするのか。
新たな興味が湧いてまいりました。


露出と噴出とハイブリットハイジ座

露出と噴出とハイブリットハイジ座

ハイブリットハイジ座

シアター風姿花伝(東京都)

2014/02/11 (火) ~ 2014/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

シーンたちの常ならぬ踏み出し
物語自体に感動することはありませんでしたが、
そのシーンのひとつずつの一歩踏み出した作りこみには
がっつり掴まりました。

観終わって、不思議な高揚がありました。

ネタバレBOX

物語はとてもシンプルだし、薄っぺらくもあるのですが、
シーンがいろんな引き出し空の表現とともに満たされ、
枠からあふれ出すような感覚がありました。

役者達の紡ぎだすものに観る側をしっかり捉える引力があって。
キャラクターをしっかりと定めぶれなく貫きつつ、
いくつもの表現の引き出しを引いて
その個性を膨らませていく。
身体の使い方も表情も多彩、
時にコンテンポラリーダンスのように、あるいはギャグマンがのように、
要所では筋力で身体を制御し、
全体としてのテンポを操り、歌舞き、
べたな、あるいはコミカルなシーンですら、
豊かな創意で満たし、際立たせていきます

その積み重ねが、舞台を貫く不思議な厚みとなり、
奥行きとなり、グルーブ感となり、
観る側を閉じ込めていく。

物語の語り口もうまいのですよ。
映像なども使い、すこし強めにキャラクターを描いて
全体をもたつかせない
また、シーンの研ぎ方にも
ひとつのメソッドに染まらないセンスと自由さがあり、
よしんば、シンプルなプロットであったとしても、
あるいは描かれることが、
下世話でも、ベタでも、少々重くても、表層的でも
しなやかに研いで観る側をひきつけてしまう。
電車の発車シーンなどベタに天丼をするところでは、
粘り、場の空気を幾重にも変え、揺り戻し、
観る側が飽きる寸前に同じ態ですっとシーンを進めるあたりの
さじ加減に舌をまく。
一方で終盤の罰ゲームシーンでは、
シーンの中に時間の切迫感を与えつつ、
とんでもなく尾籠なシーンをしたたかに差し込んでしまう。

観終わって、もたつきのない疾走感と、
ボリューム感がひとつになって残って・・・。
さらには一見ハチャメチャな部分があっても
登場人物達の歩みに破綻がないことにも思い当って・・・。
常ならぬとても心地よい充足感がありました。

この作り手や役者達が紡ぐ世界に
様々な可能性を感じ、彼らが紡ぐ違う世界も是非に観たくなりました。

Rと無重力のうねりで

Rと無重力のうねりで

マームとジプシー

横浜にぎわい座・のげシャーレ(神奈川県)

2014/02/10 (月) ~ 2014/02/16 (日)公演終了

満足度★★★★

鍛えられた身体から生まれるもの
初日を拝見。

以前の舞台で見た男優たちの、
顔つきや身体の変貌に驚愕。
その容貌や動きの先には、
観る側が理屈ではなく体感的に受け取りうる
ニュアンスや奥行きがありました。
またその男優たちに埋もれることのない
女優たちそれぞれに研がれた「演ずる筋肉」にも惹かれる。

観る側が置かれた物語への視座も
変わった気がする。
シーン一つずつの印象にしても、その構成にしても、
作り手のここ数作のような全体の俯瞰に置かれるのではなく、
直接投げ込まれてくるような感じがあって
観終わっても、
従前の作品のような息を詰めて見つめ浸るような感じではなく、
刹那の感覚がより強く残りました。

初日ということで、
今後、いくつかの部分の精度はさらに研がれていくのかもしれないし
表現のいろんなパーツは
もっとつながり束ねられるのだろうという予感もありつつ、
刹那ごとの表現の感触に心奪われ、
舞台を取り込まれておりました。

ネタバレBOX

この公演のために、男優たちは相当期間ボクシングジムに通ったらしい。
その成果は実に顕著で、
シャドーボクシングやスパーリング的なシーンはもちろんのこと、
切り出された時間の端々にまで、その佇まいや容姿が醸し出す
観る側を引き込む確かな力が生まれていて。
概念ではない存在のリアリティが、
単に彼らがボクシングをなす時間の感覚に留まらず
鍛え、動き、パンチを交し合い、少しずつ戦うことを覚えていく感触を観る側に伝えていく。
そこには、作り手がこれまで作品の中に繊細に紡ぎ続けてきた、女性たちの肌理をもった時間の感触には表しえない、研がれた役者達からシンプルにやってくる男性としての大雑把さや、薄っぺらくても捨てられない矜持や、不器用さや、持っていきどころのない痛みがあり、加えてそれらの記憶の滅失があって。

また、女優たちも、男性たちの動きに凌駕されることなく、身体にも醸す想いにも切れを持ち、観る側が委ねるに十分すぎるクオリティでシーンにシチュエーションを作り、時間を編み、ニュアンスを差し込んでいきます。
狂言回しとして舞台を担う役者の力は圧倒的だったし、ラーメン屋のシーンなどにも圧倒されたし、男性を乗り換えていく女性のナチュラルなありようや、父母の元に別れる刹那の温度差なども、女優たちによって旨く研がれていたと思う。

音にも同じ時間を異なる心情の色に染める力があり、照明もしなやかに空間に場を生み、映像も時に遊び心を持ち、場の枠組みを作り、密度をコントロールして。
ボクシングになぞらえたRoundの表示と場を裏打ちする月の表示の混在は、ちょっと観る側の感覚を絡まらせたりもするけれど、
それも含めて彼らの過ごした時間のフレームを作るような洗練があって。

開くのがもったいなくなるような美しい当日パンフレットに書かれていた作り手が自らのジェンダーを描くことは、相乗的に作品とは一味違う場ごとの新たな果実となり観る側に供されていたように思うし、そのことによって、作り手の描くものに、従前の作品のクオリティから一旦塁に戻り再びタッチアップするような新たなパワーやトーンが生まれていたようにも思うのです。

やがて、舞台には、やはり当日パンフレットに書かれていたとおり、
役者達が描き出した時間の先に、
作り手が「無重力」と呼ぶ感覚が紡がれていきます。
ノックアウト時の意識が肉体から外れていく感覚のごとく
あるいは冒頭にも綴られた海の風景の中に重ねられた、
沖に微かに見える岩礁へ泳ぎ続ける時間の長さが、
流されるなかで一気に訪れる感覚は、
ラストシーンに至るまでに描かれたものをフィリングとしさらに、踏み出し、
作り手が描こうとした刹那の感触に重ねあわされて。
それは、作り手がこれまでの作品ごとに精度を研ぎ観る側を凌駕してきた
時間を切り取り、あるいは俯瞰する視座からの更なる歩みであるように思え、
終盤の役者がおりあげるものの内側には、
いくつものフォーカスを持った浮遊感が垣間見える。

ただ、初日において、訪れたその感覚については、
作品が織り上げたエピソードの内側に留まり、
観る側として概念の積み上げから離脱するまでには
至っていないようにも感じられました。
切り取られたものに惹きつけられ、
表現としてのありあまるような秀逸を感じながらも、
紡ぎ出された浮遊感が観客自らの感覚として溢れ出すためには、
舞台からさらに受け取るべきなにかがあるように
思えたことでした。
名も無き花

名も無き花

On7

Gallery Conceal Shibuya(東京都)

2014/02/03 (月) ~ 2014/02/09 (日)公演終了

満足度★★★★

確かさとライブ感、そして写真の力
舞台空間を囲む写真にしてもギターの音色にしても、役者たちが紡ぐものに異なるボリュームを与える力があって。

朗読の態で語られるものの確かさが、その空間のなかで繊細な協調や対比とともに舞台全体の色や広がりに変わりあふれ出してくる。

なにかリキュールの入った上質な大人のショコラを味わうような、とても豊かな時間に引き込まれてしまいました。。

ネタバレBOX

7枚の写真のそれぞれにふっと観る側が誘い込まれるような力があって。
それらの視線が、生身の役者達の声や身体でつづる花に纏わる掌編の世界に、不思議なふくらみを与えてくれる。
朗読自体が作る場のリズムや残響や奥行きも、役者たちの技量にしっかりと支えられていてとても自然に取り込まれてしまうのですが、そこに写真たちが醸す密度が重なると、さらなる別の肌触りがすっと引きだされていくことに驚きました。

写真自体はフライヤーで既見だったのですが、それが大きく引き伸ばされ空間を囲むと、新たな印象が生まれ、囲まれた空気には血が通い、声と身体で組みあがっていくものを別の色に映えさせていく。
それは刹那の内にふくらみを与えるギターの響きと共に、語られる言葉に素で触れるのとは異なる温度や肌触りを感じさせて。

作品を選ぶセンスにも、黒を基調に赤をあしらった衣装にも、ミザンスの作り方やフォーメーションの作り方などにも、観る側を閉じ込めるに十分な洗練がありました。
残念ながことに大雪の影響をもろに受け、空間を囲むもう一面というか客席が少々さびしく舞台からあふれ出してくるものが、ほんの少しだけ拡散してしまいましたが、よしんばそうであっても、文章の世界を空間の色や濃淡で描き出す演じ手の力をしっかりと感じることができました。

春の本公演が、実に楽しみになりました。



電磁装甲兵ルルルルルルル

電磁装甲兵ルルルルルルル

あひるなんちゃら

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/28 (火) ~ 2014/02/02 (日)公演終了

満足度★★★★

作り手の狙いどおり
物語の構成とか、シーンの積み上げ方とか間の取り方など、
これまでのあひるなんちゃらの良い面が
今回もしっかりと作りこまれていて
でも物語がちょいとくっきりした感じ。
「でも、新しいあひるなんちゃら」がちゃんとそこにありました。

ネタバレBOX

なにか合体モノとエバの世界がごっちゃになった感じもするのですが、
少なくとも物語の輪郭がいつもよりベタにしっかりと作られていて、
常連の役者さんたちがその中で
よりロールの個性をナチュラルに貫いている感じがする。

あひるなんちゃら初めての役者さんたちが
これまでの作品にかもし出された空気に
紛れ込んでしまうのではなく、
持ち味やトーンを持って
舞台に新たな食感を与えていて・・・。

なにか、単に舞台の空気や密度にどっぷりという感じだけではなく、
そこに新たな色が生まれ、
なにか、キリッっとした別の一面を感じたりも。

前回の原典回帰感に続いて
あひるの新たなあゆみを見届けたような気分になりつつ、
いつもにも増して、ほんと、面白かったです。
夢も希望もなく。

夢も希望もなく。

月刊「根本宗子」

駅前劇場(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

鼓動をとめることなく繫がれる二つの時間
役者達が緻密に紡ぎだした刹那が、
ステレオタイプになることなく、
さまざまな結び方で繋がり
切り取られた二つの時間に、
日々の歩みが醸されて
その日々の重さとして降りてきました。

作り手の作劇の才が、
これまでの作品を経て、さらに開花したように感じました。

ネタバレBOX

劇場に入ると、舞台には同じ作りの二つの部屋が並んでいて・・・。
そして中央に大きな溝のようなものがあって。
よく見るとテレビやビデオデッキなども下手側は時代がかっていて
上手側は今様で・・・。

開演すると、それぞれの空間に異なる肌触りの物語が紡がれていきます。
下手側には、どこか初々しいカップルの、
上手側には、日々の生活を感じさせるちょっと懈怠を感じる男女の
朝の光景が置かれて・・・。

そこから、ルーズに互い違いに物語が歩んでいく。
上手と下手のキャラクターのつながりは
当日パンフレットからもわかるし、
舞台を暫く観ていてもすぐに理解できる。
でも、この作品にとってそれはスタート地点で、
そこから二つの空間の時間の流れと繋がりが
実に強かに描き出されていきます。

対になる役者達がキャラクターの雰囲気を
寄り添わせていくのですが、
それが単に容姿とかだけではなく、
むしろ言動のトレンドや性格などの現れ方でより結ばれていて。
エピソードの顛末に重ねていくやり方も強かで
下手から上手へと貫かれるクリスマスケーキやフライドチキンのエピソードや
下手ではバイト先の友人の得意料理のカレーがそのまま商売になったり、
下手でプロポーズをした劇団の主宰が
上手ではテレビドラマの準主役になっている。
そうして隔てて歩む二つの時間が
単純な出来事や表現の結びだけではなく、
編みあがる物語のつながりのなかで
次第に経年変化をした10年間がにび色の鼓動とともに
観る側を包み込んでいくのです。
やがて舞台にはエピソードのリンクに留まらない、
登場人物たちの日々の質量が生まれていて、
よしんば、下手の歌が上手に踏み出だすことが、
その日々の俯瞰に至り、
ラストシーンでキャラクターが
時間の枠を踏み出して過去の自分を抱きしめる姿にも違和感がなく
とてもいとおしく思える。

また、どちらかの側の時間が紡がれる間、
他方の時間が止まっていないのも
上手いなぁと思う。
二つの時間の鼓動が常に重なっていることで、
キャラクターたちの過去と今に重ね合わせの静的な概念ではない
感覚的に伝わってくる因果があって。
それは、舞台にこれまでに体験したことのなかった
時間の立体感を溢れさせていて。
そのことが隣の住人の10年も上手の浮気の相手にも
単に物語に置かれた出来事ではない、
エピソードへの交差感を作りだしていくし、
二つの時間を跨ぐキャラクターたちの
対比に留まらないキャラクターたちの足跡が
浮かび上がってくる。

観終わって、キャラクターたちの歩んだ時間への感慨に浸りつつ
その先にある見えない未来に
さらに足跡が刻まれていくことにも思い当たって。
上手側から照らされた下手側に刻まれた時間の必然を受け取りつつ
下手側から編みあがった上手側の今の肌触りに深く心捉われたことでした。
【公演終了】ステロタイプテスト/パス

【公演終了】ステロタイプテスト/パス

The end of company ジエン社

d-倉庫(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/14 (火)公演終了

満足度★★★★

フェアでありつつも・・・。
舞台の仕掛けというか、
その舞台を構成するものとか、要素とか、
なにを表現しようとしているのかなどは、
しっかりと観る側に提示されていたように思います。

決してつならなくはなかったし、舞台に前のめりにもさせられたけれど
ただ、それが繰り返され紡がれる場に作り手が何を置こうとしたかについては明確に掴み取れませんでした。

ネタバレBOX

舞台にあるものが、
表層の人物だけではなく人格の要素を担っていることが、
繰り返しのなかで少しずつほどけてくる感じは、
フォーカスが少しずつ訪れてくるような感覚があって、
しっかりとひきつけられました。

台詞、距離感、さらには身体が紡ぐもの・・・。
そして繰り返し・・・。
作り手が個々の表そうとしたものを
舞台を食い入るように見つめ、
ひとつずつ組み立てていく感じがあって、
それはそれでおもしろかったです。

ただ、それぞれのロールが描き出すものが
次第に姿を現し語られる場所というか、
切り取られた空間がどうにもしっかりとつかみきれない。
あの日以降のこの国の雰囲気を描き出しているような暗示はあるのですが、
なんだろ、世界が編み上げられ手いる場所が
次第に明確になってくるキャラクター達の在り様とはことなって、
いつまでもうすぼんやりと感じられたことでした。

摩訶不思議でふざけたコメディーミュージカル『豚デレラ』

摩訶不思議でふざけたコメディーミュージカル『豚デレラ』

『劇団 もより駅は轟です』

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/06 (月) ~ 2014/01/08 (水)公演終了

満足度★★★★

要所をしっかり
物語にしても、その表現にしても、
いろんな要素がごった煮のように使われていて
でもそれがカオスにならずクリアに伝わってくることに感心。

ラフな感じも、物語の色として取り込まれて、
オリジナルの楽曲も舞台にしなやかな厚みを与えて。

コメディミュージカル(ミュージカルコメディ?)の看板に偽りなし、
おもしろかったです。

ネタバレBOX

シンデレラを中心に、いろんなお話の枠組みが
良い意味で無節操に取り込まれていくのですが、
役者たちがロールに織り込まれた個性をしっかりと作りこんでいて、
ぐいぐい引っ張ってくれるので
観る側が迷わない。

その役者達も、歌うべきところでしっかりと歌えるし
狭いスペースで踊れるというか形を作れたりもするので
よしんばグタグタ風の舞台であっても、
そのグタグタを支える骨が担保されていて崩れないのですよ。

主人公の豚デレラにはその体躯に加えて
常に場全体を底辺で支え続ける献身的な演技があったし、
異母姉妹たちにも、揺るがない個性で舞台に存在感を作り続ける
力量があって。
ロ字ックのふたりも良く鍛えられていて、
自らのロールをくっきりと描き出すだけに留まらない、
とり散らかった舞台上のベクトルを束ねうる
お芝居の切れや懐の深さを感じる。
男優たちも、女優たちの色を損することなく
したたかに自らのキャラクターを舞台に編み込んでいて
それぞれに好演。

まあ、初日ということもあってか
細かいところには、
もっとしっかり決まればなぁという部分も多々あったのですが、
それでも、舞台の下世話さにもあざとさにも楽しさにも、
巻き込まれしっかりと浸されてしまう。
場内の雰囲気や、ひとつずつのナンバーへの拍手、
生演奏にのった歌からやってくる舞台の空気など、
ちょっとオフオフブロードウェイの作品を観ているような感じもして。

欲を言えば、ミザンスの作り方とか場面の繋ぎ方とかが更に研がれ、
伴奏も1曲ではなくすべて生になり、
(役者たちには生伴奏を舞台の息遣いに膨らませる歌唱力があると思う)
場がもう一段作りこみこまれる等々
いろんな精度がさらに上がれば、
さらにミュージカルコメディとしての昇華が訪れ
極上のエンターティメント作品へと歩むようにも思えたりも。
でも、そのあたりの更なる進化の余白も含めて
この舞台の味になっているようにも思えて、
なにはともあれ、たっぷりと楽しませていただきました。





ファニー・ガール

ファニー・ガール

シンクロ少女

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2013/10/04 (金) ~ 2013/10/14 (月)公演終了

満足度★★★★

視座の置き方と身体の表現力
舞台美術もとても秀逸で、
作り手が描く世界が歪まずに真っ直ぐに置かれていました。

物語の組みあがりにしても、シーン一つずつに切り出されるものにしても、
その刹那が持つニュアンスがしっかりと織り込まれていて。
登場人物一人ずつが抱くものも、クリアに伝わってくる。

そして、その重なりには、
作り手の視座がぶれることなく貫かれ、
終わってみれば、観る側に人が生きる感覚への俯瞰が生まれていて。

要所で役者が見せる表情や、身体での表現に
常ならぬ力があって。
時間を感じることなく見入り、
終わってからもしばらくは、
舞台の世界から抜け出ることができませんでした。


『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』

『アーサー記念公園の一角』『牛泥棒』

ナカゴー

ムーブ町屋ハイビジョンルーム(センターまちや-4階)(東京都)

2013/07/04 (木) ~ 2013/07/08 (月)公演終了

満足度★★★★

恐ろしき破壊力
2作どちらも面白かったのですが、特に「牛泥棒」は常軌を逸するというか、突き抜けたものを感じる作品でした。

観る側の想定範囲を超えたところで、物語の修羅を笑いに変えてしまうような、作劇のとんでもない切れを感じたことでした

アクアリウム

アクアリウム

DULL-COLORED POP

シアター風姿花伝(東京都)

2013/12/05 (木) ~ 2013/12/31 (火)公演終了

満足度★★★★★

観ればみるほど・・・
初日、23日のソワレ、そして大楽と3回観てしまいました。

で、作品の印象が毎回違っていた。
もちろん、ゲストパフォーマーの色の異なりもあるのですが、
それだけに留まらない、舞台というか空間を
幾度も見つめさせる力がこの作品にはありました。

ネタバレBOX

前説で主宰をして「芝居が古い」と言わしめたシーンから、
すっと舞台上の時間に導かれ
ゆっくりとその雰囲気に染められて見入る。

わにがしゃべったり、ひよこがケンタッキーフライドチキンに抗議したりと
いろいろあったりもするのですが、
そこは心にとどめつつも、
少しずつ解かれていく場の空気を見つめます。

最初は目についていた舞台の中央前方に置かれている熱帯魚の水槽も
やがて気にならなくなり、代わりに人物其々のことが
少しずつ心に留まって、やがて、それぞれの今と、今の重なりと、
その先に垣間見える、
歩み出せないことと、
歩み出してしまいそうななにかが、
次第に舞台を満たしていく。

やがて舞台は、正面の水槽の魚たちの世界と重ねあわされて、
与えられるほんの少しの餌に保たれる、
世界の巡りのバランスのリアリティと
その中の魚たちのごとくに時を過ごす
シェアハウスの住人たちの、あるいは今を生きるとある世代のありようとなり
その感覚にすっかりと取り込まれている。
そして、その世代が背負うものの奥に潜む、ゲストが演じるひとりの少年のありようも強く残りつつ、その世界に組み入れられて。

初日の終演直後には少々ばらけた印象が残りました。
しかし、一晩たつと、それらの印象が束ねられ、もう一度観たいと強く思った。
そして、2度目に足を運ンだ時には、
耳かきひとさじの餌を与える女性の
「いつまでも見飽きない」という台詞の如く、
その水槽の在り様が、よしんば古風な演劇の部分であっても、
シュークリームを投げ合う姿であっても、
嚥下できないものを無理やり口に運び吐き出す姿であっても、
キャラクターたちそれぞれから描き出されるものも、
あるいは様々な感覚の具象や、
比喩に込められたものも、
さらにはその奥に揺蕩うあの事件のことも
すべてが水槽の世界にとりこまれ、
水槽の同じ世界に初日とは異なる印象を醸し
更にもう一度観たいと思ってしまう。

3週間以上のロングランであったにも関わらず、
前半、中盤、東京大楽とそれぞれに
役者たちが常に新たな踏み出しで刹那を作り、
醸されるニュアンスを定番に感じさせることなく
舞台の空気を編み上げていて。
ゲストが描き出す少年のニュアンスにも、
其々の研ぎ方と表現の秀逸があって。
単に物語を追うということではなく、
物語から浮かび上がる魚たちの姿を眺めるような感覚にも
深く捉われてしまったことでした。

この作品、地方公演の、少々異なる水槽の中で
どのように歩んでいくのだろうか・・・。
かなわぬこととはいえ、東京楽日を観て、
その先の公演がどのような質感を醸し出すのか・・・。
気になる。


新年工場見学会2014

新年工場見学会2014

五反田団

アトリエヘリコプター(東京都)

2014/01/02 (木) ~ 2014/01/04 (土)公演終了

満足度★★★★

完成度を持ったぐたぐたさ
3日ソワレを拝見。
まずは、新年早々満杯の客席で、それだけでも縁起がよい。

ここ何年かお正月の楽しみになっていて、
今年も例年に違わず、いや、例年以上に
たっぷりと楽しませていただきました。

ネタバレBOX

3時間の中味が年を追うごとに
良い意味で型にはまりつつ洗練されてきているような気がします。

昔感じた間延び感はまったくなく、
ぐたぐた感も発生してしまうのではなく、
作り手の掌の中で、じっくり練りこまれ作られていく感じ。

二つの演劇それぞれに、
ベースの雰囲気の作りこみや
役者の力量を感じることができたし、
単にアイデアを押し込んだということだけではない、
ショー的な部分や歌舞き方の洗練にちゃんと引き込まれた。

そりゃ、五反田団、ハイバイとそれぞれの本公演のような
幾重にも重なり研がれた舞台の企みまではないにせよ、
これで厄落としになるのか心配になるような
いろんな充実を感じることができました。

昔のようなルーズな感じがないので、
獅子舞も舞台により映えたし、
プーチンズ、ポリスキルとも観る側をそれぞれの世界に
しっかりととりこんでくれた。

ちなみに、終演後セットで購入した
プーチンズとクリィーミー☆チカのCDも、とても良い出来でありました。
購入時に役者さんの衣装のままでの握手サービスがあり
かなりどきどきした。
また、織り込まれていたhula-hooperのチラシの
なにげに凝ったつくりにびっくり。
これ、そんなに部数を作れるとも思えず、
捨てられないなぁと感心。

本編も、諸々も、口上とは異なりいろんな秀逸さがあってとても満たされたお正月のひと時でありました。
モモノパノラマ

モモノパノラマ

マームとジプシー

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2013/11/21 (木) ~ 2013/12/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

新たな時間の立体感
初日を観て、26日に再見しています。

作り手の時間の切り出し方に新たな軸が生まれ、
そのことで、舞台が新たな時間を描き出す力へと踏み出した
印象を持ちました。

ネタバレBOX

今回の時間の切り出し方は、
これまでの、作り手が舞台に描いたものの秀逸を受け継ぎつつ、
先に劇団が連続公演で行った「点と・・・」にもあった、
時間の立体的な切り出しやボリューム感、
さらにそれらの俯瞰や感慨を
同じ視座を観る側に与えてくれます。

ただ、連続公演で積み重ねた時間の流れや変化からやってくるものが、
どこか均質に刻まれた時間の積み重ねから生まれてくる
変化であったり滅失であったり感慨であったのに対して
今回作り手が舞台に描き出したものには、
記憶や印象や感覚としての時間のバイアスに、
より強くとらえられていく感じがしました。
一つの記憶が生まれ、その記憶がその時間の中の置き場所を与えられ、
そこに時間のベクトルと記憶が解けあるいは滅失していく感覚が加わり
最後にそこからの更なる踏み出しまでが与えられ、
観る側に時間の質量のようなものが残るという、
連続公演を通して訪れたものが、
今回は一つの舞台に、よりフレキシビリティを持って織り上げられていて。
その進化だから織り込み伝え得るものに圧倒される。

観終わって、作り手が自らの手にしたメソッドを研ぎ生かしつつ、
一方でそのメソッドに留まることも縛られることもなく
歩みをさらに進めていることを実感・・・。

作品のタイトル通り、モモが眺めたであろう、
その時間のその世界のありように心を捉えられ、愛おしく想い、
でもより昇華した淡々とした想いとともに
舞台に深く浸されていました。

役者たちの表現も、精緻でありながら、
従前の作品と比べても、「
一つずつの刹那により深いニュアンスを作っているように感じられて。
この作品の更なる歩みを見届けることができないのを
とても残念に思いつつ、この作品からの作り手の歩みが更に楽しみにないrました。


時々は、水辺の家で

時々は、水辺の家で

monophonic orchestra

新宿眼科画廊(東京都)

2013/12/16 (月) ~ 2013/12/25 (水)公演終了

満足度★★★★

不意に訪れる感覚
リーディング公演で、淡々と物語が積もって。
家とそこに暮らす人々の刹那が
次第に形となって見る側に沁み込んで。
その時間が満ちた上での終盤の展開に
観る側の理性を超えたなにかが揺すぶられて
こらえる暇もなく落涙(自分でもびっくりした)

何気に与えられていたその場所での時間への俯瞰fの風合いが
さらに続く時間への淡々と愛おしさを導き出し、
ふわっと深く、強く、浸潤されてしまいました。

ネタバレBOX

実を言うと、観終わってからも
何があふれ出てきたのは良くわかっていないのです。
その家の新しい持ち主が
暮らしていた住人たちの日々に揺らぎを与え、
内にあるものを垣間見せ、解けさせて、
でも、その空気の中で、とあることで、
ふっと持ち主が抱く蟠りが解けた刹那に、
そこに重なっていた時間それぞれが
其々の質感をすっと浮かび上がらせて。

リーディングでの上演は、
そこにある人々の表現を
言葉に対してとてもタイトに伝えてくれて、
でも、役者たちの秀逸は、
それを単なる枠組みだけに織り上げず、
ロールたちの視座や感覚までも、
台詞の一行ずつにとても自然に紡ぎこんでいく。

シーンが変わり、役者たちが位置を変えることにも
観る側に積もっていくものを、別の時間の明かり出照らすような
意外な効果があって。
リーディングの、観る側の想像力に委ねる部分の多い表現を
繫げ、広げ、やがて物語の内に観る側を置き、
その時間の歩みとともに、キャラクターたちそれぞれに
新たな一面を導き出してくれる。

そうして、舞台に満ちていくものが、
むしろリーディングという枠があるからこそ、
外側から見つめるのではなく観る側の内に沁み込んでくるのですよ。
なんだろ、描かれるものを空間として受け取る演劇とは異なった
繊細に線描で描かれたシーンごとに
観る側が一歩引き入れられて初めて
気が付く時間の肌触りのようなものがあって。
さらには、役者たちの表現力が、
リーディングでなければ表現しえないなにかとともに
舞台を満たし、やがて溢れさせるものが、
観る側に感覚の理を組み立てさせず、
無意識で受け取る何かに浸してくれるのです。

終盤、新しい持ち主の心側が、いろんなものを解いて、
壁板を少々剥されたその家の、登場人物のなかの座標のようなものが
それぞれにとてもいとおしく思えた。

見えないものをすっと切り取るような
作り手のセンスと、それを描き出していく役者たちの力量に
心を惹かれたことでした

1万円の使いみち

1万円の使いみち

monophonic orchestra

新宿眼科画廊(東京都)

2013/12/13 (金) ~ 2013/12/25 (水)公演終了

満足度★★★★

1万円が切り出す感覚
物語は観る側が展開を予想できないように歩み、
ふわっと流れていくのですが、
そこから切り出されてくるものに、
不思議な実存感があって、
ものの見事に取り込まれてしまいました。

ネタバレBOX

物語のとっかかりも意外な感じがするのですが、
そこからの展開にも、とても自然な予想のできなさがあって。
役者たちが編むロールも、デフォルメされているのに
とても肌に馴染む感じがして。

ちょっとロードムービー的な展開もありつつ、
その展開に惹かれるというよりは、
最初はちょっと怪訝にも感じていた、
ルーズに重なる人間関係や、それぞれの今の設定や、
描かれる時間のそれぞれのテイストが、
一万円にそのあいまいさを切り出され、。
なんというか、観る側の腑に落ちるように一歩踏み出していくのです。

どこか風変りな展開にもかかわらず、奇を衒っている感じが全然なくて、
その結末には観る側の視野をすっと開く力があって。
同じ時期のリーディング公演(水辺の家)を観たときにも思ったのですが、
作り手の描き出すものには、
観る側の意識に眠っているものをすっと揺り動かすような
独特な視点や語り口があって、
気が付けばその世界にしっかりと浸されている。

役者たちにも、その身体や、醸す想いの色や、距離感などに
スッと観る側を閉じ込めるいろんなベクトルの卓越があって。

これまでにない、印象が残る作品でありました。


このページのQRコードです。

拡大