ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

1761-1780件 / 3248件中
TRUTH

TRUTH

劇団@ホーム

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川県)

2015/11/21 (土) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★

テーマの掘り下げがイマイチ
 慶應4年と明治元年が重なるので、ちょっと注意が必要だ。というのも明治になっても薩長を中心とした新政府勢力と幕府の決着はついていなかった点は、受験を離れてしまうとうっかり見過ごしかねないからである。
 戊辰戦争の緒戦・鳥羽伏見の戦いは1868年1月27日~30日(慶応4年1月3日~6日・旧暦)、既に幕府は前年大政奉還を済ませていたが、未だ幕府に付こうとする勢力も多く、雌雄が決したとは言えなかった。
物語は、鳥羽伏見の戦いの様子・帰趨を報告する為に、大阪から上田藩の江戸藩邸に戻ってきた弦次郎と仲間五人の藩士ら六人衆と、彼らが当てにしている藩の上司、山岡。彼らが剣を磨いた道場師範の池波兄妹、弦次郎と相愛で池波の従妹、初音らを中心として展開する。(追記後送)

あたしのあしたの向こう側

あたしのあしたの向こう側

トツゲキ倶楽部

d-倉庫(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

構成の良さ
 前説がしゃべり終わって板に着くと開演というちょっと変わった始まり方だが、ここで彼は徐に眼鏡を掛けるとパラレルワールドについての解説記事を読みだす。このコンセプトが分かっていないと話が見えないからである。

ネタバレBOX


 さて、こうして始まった舞台には大して恰好良くもないのに矢鱈にモテル男が登場して驚かされるのだが、この男の前に現れる女は、主人公の女が、人生の途上で迷ったりした時に現れたパラレルワールドに存在する彼女自身なので、この男が格別モテていた訳ではなかったが、運命的な出会いではある。
 実は、こんな混乱が生じた原因は、次元管理をしているセクションのミスによるものだった。偶々、オリジナルの女1以外の8人が、この時空に同時に存在してしまった訳である。興味深いのは、パラレルワールドの性質である時空の歪みを利用して、現在の我々の政治的選択の結果をも挿話に織り込んでいる点だ。これが本質を突いていて観客に自分の選択の意味する所を考えさせるいい契機になっている。無論、この挿話が演じられる前には、恋、仕事、将来の選択など、日常誰もが悩む選択の契機が語られており、その中でさりげなく挿入されているので、このエピソードがショッキングな内容であるにも関わらず決して突出した印象を与えない。更に近い将来間違いなく我らを襲うであろうこの事態の深刻さを踏まえた上でハッピーエンドで終わらせている点、行方不明の彼が、戻ってくれた可能性を示唆した点も評価したい。何故なら、戦争のトラウマを抱えた人々が、我らの傍らにも暮らしているのが我らの現在だからである。

トロル

トロル

点滅 舞踏

ザムザ阿佐谷(東京都)

2015/11/21 (土) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★

照明や音響とのコラボの良さも光る
 北欧民譚に登場するトロルには小さな妖精から巨人に至る迄、様々な種が存在するようだが、今作では妖精サイズのトロルがイマージュの原型を為している。

ネタバレBOX


 構成は、「花のトロル」「谷の景色」「名もなき小さな者」「歪み」「自我」「冬将軍」「春に咲く」の7パートに分かたれている。照明や音響とのコラボが見事で夢幻の世界へ誘ってくれる。
 別にこれらのタイトル通りに感じなくても無論よかろう。また、トロルが何体出てくるのかとか、一体の♂のトロルの遷移が多く描かれているととってもよかろう。無論、他の部分は他の部分で解釈したらよい。そもそも、そのような解釈を拒む側面だって舞踏にはあるだろう。自分は様々な身体による記号表現やイマージュと戯れさせて貰った。
Only Lonely Rose

Only Lonely Rose

My little Shine

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

作家は、もっと今を生きている自分に引き寄せて
作家がよほど好きなのだろう。今作のタイトル=Le petit princeの薔薇である。

ネタバレBOX

大人になると皆子供だったことを忘れてしまう話も出てくるから、象を呑んだ蟒蛇の展開図と帽子だと言われた絵を背景のどこかに入れるくらいの悪戯心もあって良いかも知れない。話の内容がちょっと重いか? 
とはいえLe petit princeの最も大切な価値観、“肝心なことは目には見えない”と教えた狐の言葉と、王子と薔薇の逸話に纏わる大切なものとは何かについての思索が、今作に通底して流れている主題だ。惜しむらくは、Le petit princeの呪縛が余りに強いということだろうか。寧ろ、現代の状況に重きを置いて描き、主人公が文学少女だった訳だから、通底部分を匂わす程度に描いた方が、含みが出、現在を生きている作家、作品の意味も増すのではあるまいか?
家族カタログ

家族カタログ

B.LET’S

小劇場 楽園(東京都)

2015/11/19 (木) ~ 2015/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

公開ゲネを拝見
 男と女の恋愛感情の引きずり方を中心に、フレーバーとしてチェーホフの「三人姉妹」を振り掛けた作品。

ネタバレBOX

 然し、今作で描かれた姉妹は、明日もしっかり生きてゆけそうな点でチェーホフ作品と異なる。
 次女と11年間付き合い、末の妹の彼だった男に彼女を奪われた男は、現在は末の妹と仲良くしている。が、ことある毎に姉を慕い夢想にふけっている。一方、末の妹は、次女に自らの彼氏を奪われた為、総てを失ったと感じて家を出ていたのだ。中心は、この2人の角遂である。長女は子供の頃から恋多き女で男そのものを手玉に取るのが楽しいようだ。何れにせよ、別れたら女は基本的に忘れる。男は引きずる。女が忘れない場合は、男そのもののことではなくて一時、その男に夢中になっていた自分の生きた意味についてだろう。そういう意味で面白い作品であった。
バグダッドの兵士たち

バグダッドの兵士たち

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

役者の身体能力・鍛錬に注目
 初演は5年前であった。あの時よりずっと真に迫ってくるのは、日本の右傾化・軍事化が着々と進み、直ぐにでも日本人がここで描かれているような体験をしなければならないということに現実感が伴うからだろう。
 宙空に設えられたヒジャブをつけたイスラム女性の後ろ姿のようなオブジェや、上手・下手などに矢張りヒジャブを纏った黒衣の女性が立つのも、殺人者そのものである米兵を追い詰める民衆の影の圧迫感を表して効果的である。また、役者たちの身体鍛錬の見事さも素晴らしい。彼らのプロ意識に敬意を表する。また本日19日マチネ公演後と明日ソワレ公演後には来日している原作者のマガノーイのアフタートークがある。これもお勧め。(追記2015.11.20:02:43)

ネタバレBOX

 ここで描かれている米国人は、兵士であるが、イラク戦争時、最悪の行動をとっていたのは、無論、傭兵である。彼らは人を殺すのが楽しみと考えているとしか思えない。女性をレイプし、人々を拷問に掛けて楽しんだ挙句惨殺していた。代表的なのは、ブラックウォーターの傭兵たちである。無論、傭兵の方が悪いことを平気でするのには、訳がある。国軍の兵士は、ジュネーブ条約などで禁じられている行為を為した場合、戦争犯罪を犯したとして軍法会議にかけられ処罰される。だが、私兵である傭兵にはこの懸念がない。今作で一般市民を殺した兵士達が処分を気にしているのはこの為である。単に、人間として悩んでいるだけではないのだ。
そもそも、人間として悩むくらいなら、兵士になるかならないかのレベルでもっと深刻な悩みを抱えているだろう。そんなことも想像できない知的レベルにアメリカの大衆が置かれていることの意味する所を考えていないのは、当しく現在の日本の大衆と変わらない。そして、この程度の頭脳では、たかが貧乏程度で、己の魂を売ることに大きな抵抗はないのだ。考える人間なら、貧乏を恥じることはない。恥ずべきは魂の弛緩であるという程度のことには気付く。この程度のことを自分の頭で考え実践することもできない連中は所詮、人間らしい生き方など望むべくもないのは当然のことだろう。
根本的な問題として、アメリカ人の誰がISの行為を責められるか? 今作でもたくさんイラク人を蔑視した言い方が出てくるが、バカを言っちゃいけない。そもそも大量破壊兵器が無いことを証明せよなどという難癖をつけ、何の罪もないイラクに殴り込みを掛け、残虐極まる攻撃を仕掛けたのは米英である。彼らは新たな武器の宣伝に、古い武器の刷新に、イラクの良質で豊富な石油の収奪に、また軍需産業の儲けと回転に、更には自分達で破壊しておいて建設を請け負うというマッチポンプ収奪迄してきた。イラクの国宝の多くがアメリカに盗まれたのは周知の事実である。にも関わらず、国籍がアメリカだというだけで、彼らはイラク人より偉い、或いは命が重いと考えているらしい。愚か者である。
どういうアイロニーか。今作では、おまけに医者になりたいと言う者が人殺しを生業としているのだ。精神的に穢れていることにも気付いていないかのようではないか? 少なくとも遠い木霊のようにしか彼らの魂には響いていないのだ。そして、心は正常を装っている。何と悍ましい欺瞞であることか! おまけにそれを軍に来なければまともな人生が歩めないせいにしているのだ。よその国に出掛けて行って頼まれもしない人殺しをし、あまつさえそれを正当化する為手前のスケベ根性を丸出しにしていやがる。下司野郎! それがアメリカ人の姿だろう。少なくとも一方的にやられる側からはそのように見られて当然である。
ISが、各地で騒動を引き起こしている。しつこいようだが、そもそもISのような組織ができてしまった主たる原因がアメリカ・英国が中心になって起こしたこのイラク戦争であった。はっきり言って英米はイラクにいちゃもんをつけ、無辜の民を虐殺、レイプ、拷問に掛け恥辱を与え大地を穢した。バクダッドのような人口密集地で大量のDU弾を用い地球の年齢ほどの半減期を持つ放射性核種で汚染した。
無論この汚染に関して国連も英米も知らんぷりを決め込んでいるが、これは明らかな人道に対する罪、戦争犯罪として賠償させるべきである。仮に彼らの主張するように原因がDUの放射線ではないにせよ、重金属毒性の可能性も含めて国際的な第三者委員会による検証が必要である。そして客観的判断で英米のDU使用に非人道性があったと認められた場合、彼らは、国家が破綻しても払いきれぬだけの借財を背負うべきである。当然のことだ。 
殊に副大統領であったチェイニーの悪、ブラックウォーターの創設者、エリック・プリンスらの戦争犯罪は国際的に指弾されるべきである。ブッシュにも無論罪はあるが、彼の最大の罪は愚かであったこと。愚かであり続けていることである。丁度、パシリ安倍のように。
今回の観たいで自分は原作者が殆ど原作を書くためのデータをインターネットで集めた、と書いたが、彼は全部をインターネットで集めたと言っていた。こちらが自分が聞いた正確な話である。観たいでは少し遠慮して書いたのだ。だが、恐らくネットで集めた情報は、一般的米兵の言質に近かったのだろうと再演を拝見して思う。露骨な表現がたくさん出ていることからも、在日米兵から得るデータ・印象からも、非公式な場所でホントに語られていることに近いだろうと思うのである。その生の感覚を吉原さんの見事な翻訳は、日本で暮らす我々にも届けてくれている。この自然な日本語にトランスレイトされた翻訳の、本質の正確な捉え方がなければ、今作は、ここまでキチンと我ら観客に届くことは無かったであろう。
ツキノニジ

ツキノニジ

夜光堂

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2015/11/14 (土) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

ファンタジーらしいファンタジー
 夜の明けない街に生まれたレイとアカは、母たちの語った話“大きな蛇が星を呑み込んでいるので、蛇を退治すればまた星が戻ってくる”という話を信じて、蛇の住む場所を求め退治する旅に出た。

ネタバレBOX

 レイはスキルと言われる能力を持っているが、彼の能力とは水の生成及び調整である。スキルを持つ者は必ずサポートをしてくれる守護獣がついているが、レイの守護獣は、柴犬。名をレウと言う。彼らは旅の途上で新たな仲間ハナを見つけ道連れとするが彼女もスキル保持者で能力は時間操作である。因みに守護獣は猿のパル。
 巡り巡って終わりの街に辿り着いた彼らは、情報を得る為に情報屋に接触、有力な情報と資金を得ることになった。資金を出したのはこの街の旧家。街外れにある遺跡に興味を示している息子が出掛けたまま帰らないというので探索・救出の依頼が為された訳だ。何だ簡単と引き受けたが、今まで依頼された者達は悉く失敗していた。が、取り敢えず3人と依頼をしてきたリンという名のおつきの者も一緒だ。因みに御曹司の名はビャク。
然し、1回目は、小さな蛇がうじゃうじゃ現れて目的を果たせず戻ることになった。一旦、街に戻った彼らがしたことは、もう一人のスキル保持者、ムクを仲間に引き入れることだった。彼は雷を操る術を持ち、守護獣は鼠のウルである。ムクの能力で大量の蛇を片付けた一行は、ビャク救出に成功。一旦街に戻って最後の場所に居る者についての協議を開始。それが巨大な白蛇の形をした神であることを結論づけた。小さな蛇たちは、この神を守っていたという訳だ。これらの結論はビャクの家に伝わる古資料とアカの推理から導かれた。
 ところで、レイと共に最初からのメンバーであるアカにはスキルが無いとされているが、その代わりに彼女の持つ能力は、優秀な頭脳という訳だ。
 さて、ビャクの家に伝わる資料に基づいて神と戦う部隊が編制され、そこに記された手順に従って神をおびき出し戦うことになった一行だったが、アカにもスキルがあった。それも複製というスキルであり、彼女は、これまで何度も別の島宇宙で同じ体験をしていた。その度にスキル保持者からスキルをコピーしていたので、そのスキルの数がどれだけあるのかさえ、彼女以外には分からない。而も彼女は贄であり、ここで死なねばならぬ運命であった。レイはどうしても彼女を、失いたくない。然し運命は変えられない。事態は、運命の予告通り進展するが、ラストシーンでは死んだハズのアカが立ち上がって幕。
 無論、神が倒されたのはたくさんある島宇宙の中の一つの話ということであろう。
ラムネ

ラムネ

みどり人

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2015/11/12 (木) ~ 2015/11/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

ラムネと母の泡立ち模様
 
 上手・下手に設えられた衝立には、大小の水玉が描かれ、ラムネの発泡を思わせる。

ネタバレBOX

 オムニバス形式風だが緩やかに繋がる挿話の総体が物語を紡ぐ形式で、それぞれの場は、舞台奥に掛けられた布に浮き上がる影絵によって示される。このセンスがとても良い。
 聾唖者が登場するが、ハンデを持った人々の認識の形を想像させるようで、想像力のコレスポンダンスを感じさせる点もグーなのだ。
 挿話それぞれのタイトルは以下の通り。①LJK②夢芝居③へべれけ④一生のお願い⑤この子ら⑥MOTH⑦カーウェひなちゃん
 描かれているのは、いわば生きていることの寂しさだ。女子高3年のトリオのうち1人は、中学時代聾唖者の同級生を苛めていた。彼女は母親が嫌いである。何故なら母はこの聾唖者の父と浮気をしていたからである。それが苛めの原因であると想像することは、難くない。然し乍ら、苛めている彼女も傷ついていた。
 6話では偶然電車の中で出会った3人が、苛めっ子だった彼女に聾唖の娘が居ることを天罰、と決めつけるシーンがある。この時、聾唖の娘が「母さんを苛めるな! 」と必死になって叫ぶ!! このシーンは圧巻。この時、どぎついピンクの蛾を秋葉系ヲタク少年2人が見つけて手に止まらせているのだが、元々苛められていた少女の怨念が晴れた瞬間、落ちて死ぬ。この辺りの想像力の刺激法も上手い。
 7話総てが、独立した小話としても観ることができる。同時にラムネと母をキーコンセプトとして緩やかに繋がっているので、各挿話の間は、観客に委ねられた想像力空間である。この距離感もいい。
 ラストでは、元苛めっ子が、仕事を始めようとしている店のママに娘を褒められ、娘がいい子だということは、お母さんがいいからだと褒められる。そして、お母さんがいいのはお婆さんがいいからだと。彼女も経験を積んで、嫌いだった母を理解できるようになった。無沙汰していた故郷へ娘を連れて出かけてゆくことを表白して幕。
極彩色 vol.3

極彩色 vol.3

劇団虚幻癖

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★

Cを拝見
 序盤、シリアス路線というコンセプトらしいが、カオスを描くなら、描く主体は、醒めていなければならない。そして醒めていればこのような表現には決してならない。醒めきっておらず、迷っているからこそ、このような矛盾だらけの「表現」を平気でしてしまうのである。醒めたつもりに酔うことは厳禁だと知った方が良い。
 作品としては中後半部のコメディーとして作られた作品の方が、自然に受け入れられた。
 役者はもっと演技の勉強をすべきである。全体として凡庸の域を出ない。

音無村のソラに鐘が鳴る

音無村のソラに鐘が鳴る

演劇企画ハッピー圏外

TACCS1179(東京都)

2015/11/13 (金) ~ 2015/11/19 (木)公演終了

満足度★★★★★

おもろかっこいい!
 とにかく、面白い。そして、中年がかっこいい。話が進んでゆくうちに、そう見えてくるのである。(追記後送)

ベッドサイド

ベッドサイド

やくぶつ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2015/11/12 (木) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

Bサイドを拝見
 ベッドに絡む独り芝居2本とダイアローグが決定的な意味を持つ1篇の短編3篇をオムニバス形式で演ずる。シナリオには、なかなか気の利いた落ちがつき、楽しめるが、惜しむらくは、若いのだから、もっと失敗を恐れず、様々なことに果敢にチャレンジしてほしいと思わせたことである。せっかく、新宿という立地の良いところで公演を打つのだから、敢えてはみだしてみること大切ではあるまいか? 若いうちの脱線・失敗は、大輪の花を咲かせる可能性も大きい。あまり行儀よくこじんまりまとまる必要はあるまい。演技では「嫁姑」を演じた飯島 弘之が気に入った。因みにB作品は三作で約50分強と尺はタイトである。

ニホンオオカミはいなかった

ニホンオオカミはいなかった

十七戦地

小劇場 楽園(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

十七戦地版チェーホフ
 作・演出の柳井氏が、今作でチェーホフに挑んでいる。具体的には「三人姉妹」だ。ただでさえ外国の作品を日本で演じるのは難しい。歴史・文化・風俗・慣習などが異なるほか、家族構成や遺産相続の仕方などにも違いがあるからである。この難しさを見事に乗り切って三人姉妹の持つ独特の雰囲気を共鳴させつつ、柳井ワールドを描いて見せた。苦労の甲斐、その結果をもキチンと見せてくれるような作品である。

悪魔はいる

悪魔はいる

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

存在の根に広がる空虚
 
 実にチャレンジングな作品である。(追記2016.11.21)

ネタバレBOX

それは今作が存在の根に視座を持っているからだ。例えて言えば、それはハイデガーのdas seinであり、一切空 空即是色を認識する場でもあるだろう。我らが己の認識の根源に遡ろうとする時、必然的に行き着く先である。そこに現れる風景ともいうべきもの、それは諸関係が無定形で存在する場であるとでもいう他、表しようがない。当然のことながら、このような場所に己の力で行ったことのない者に簡単に理解できる話ではないのも事実である。あらゆる可能性が可能性のまま存在する。謂わば絶対自由の海の岸辺。ヒトが認識を持つ前に、環境に対してありとある感覚を用いて受容する総ての情報。光であれ、音であれ、食感や味覚、臭いなどと、それら諸器官からインプットされた総ての情報に網目を張り巡らすべく活動する脳や神経系、情報伝達系としてのパルスなどが、脳・神経と関連し、やがて関係そのものを認知し、その構造と傾向等々を理解するまでのあらゆる可能態が描かれ得る。だから、今作をひとまず理解した気になる為に必要な前提条件は、これら発生についても、バイアスを取り去って認めることから始める必要がある。
余りにも当たり前なのだが、だからこそ自らの力で疑うことをしなかった者は、常識だの習慣だの風習だの倫理観だのも取りあえず取り去って考え始めねばならない。それなしには、今作を理解したつもりになることの前提が成立し得ないからである。イラク戦争開始時にアメリカがバカげた要求を突き付けた。無い物(大量破壊兵器)が無いことを証明せよ、である。自分の知る限り、メディアでこの要求に答えることが不可能であると明言したものは無かった。だが、現実に無いならば、無いを証明する方法もあるまい。無は存在があって初めて実証の対象となり得る何かであるからだ。だから、今作の中でも同じ本質の問いが為され、自分が言うような答えが出される。


 表層で語られることは、小出版社の出した書物が原因で、書店からのキャンセルを受けたり、事務所が爆破されたりとの事件に消耗してゆく社員や著者の間に渦巻く疑心暗鬼である。ネット社会特有の匿名性が、唯でさえ正体を掴み難い「敵」の不気味を増大させる。が、悪魔は、畢竟、疑心暗鬼に陥った個々人の中にこそ、生まれるのである。そのことの正しく不気味なこと!
だが、そうではなかったら? 存在することが信じられる場に居れば、そこには何らかの解決策を講じる余地があろう。然し、それらも一切が不分明な中に在るらしい、としたら? 悪魔は、何処にいるだろうか?
泥花

泥花

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2015/11/05 (木) ~ 2015/11/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

炭鉱三部作第二弾
 以前にも書いたことだが、桟敷童子の強みは、舞台美術迄、皆劇団員総出で作り上げてゆくことによるチームワークの良さにあるだろう。

ネタバレBOX

 
通常の劇団が作品の稽古でだけ一緒の時間を過ごすのとは、自ずと異なった自然な相互関係が、成立しているのである。このことは、スタニスラフスキー理論の目標である、自然な演技に繋がってゆく。更に、皆の協力によって出来上がった舞台美術は、大道具から小道具に至る迄、実に気配りの利いたレベルの高い物であり、愛着の感じられるものであることも見逃せない。
 東氏の演出にも型があるのだが、これが非常にオーソドックス。芝居らしい芝居なのだが、観客の喜怒哀楽を司るツボを良く心得た、氏の演出に観客は快く載せられる快楽を味わう。音楽や、大道具、花吹雪や照明も連携して感激を盛り上げるのだが、この演出が決まっていること、役者個々人の持ち味が、クライマックスで最大限活かされている点にも注目しておきたい。
ストリッパー薫子

ストリッパー薫子

BuzzFestTheater

シアター711(東京都)

2015/11/11 (水) ~ 2015/11/17 (火)公演終了

満足度★★★★★

知と傷と優しさと
 時代設定は1997年、場所はリップ座という名の場末のストリップ小屋である。

ネタバレBOX


1997年といえば、バブル崩壊が、じわじわと真綿で首を絞められるように着実に実感された年として記憶している。職業に貴賤は無いとの建前は兎も角、矢張り汚れているとみられがちであり、働く当人たちの中にもそのように「自覚」している者もある場末のストリップ小屋の踊り子たちを中心にした作品だが、序盤、人口に膾炙している薄っぺらで浅薄な解釈に従って導入された物語は、破・急では、人としての苦しみや個々の事情を晒してゆくことによって個別性を獲得し、深みと社会性、加害者と被害者、噂・偏見と真実などシリアスな問題群を提起して観客をぐいぐい引き込んでゆく。無論、踊り子とひも、遊び人としてのひものシャブ問題、屑だから放っておけないとする女性の性と、彼女の局部にも塗られているシャブによる性奴隷化の現実なども炙りだされる。上演中なので、余り詳しいことは明かさないが、主人公、薫子の抱えるトラウマを中心に暴き出される“真実”は余りに過酷である。今作を観ながら自分がイメージしたのは、カラバッジョの「マグダラのマリアの法悦」であった。
サヨウナラなら何度でも

サヨウナラなら何度でも

試験管ベビー

王子小劇場(東京都)

2015/11/06 (金) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★

一部Wキャスト
 表題作をラストに据えて、1本目に「天使の夜2」2本目に「東京ポエマーズ」の三本立て。

ネタバレBOX

コメディーのオムニバスだ。名古屋の劇団なのだが、今年は8月にも東京公演を打っている。「気がつけば五・七・五」という作品で薬物依存者更生の話だった。今回もコメディーとは言いつつ扱っているテーマは、結構重い。
 「天使の夜2」は、ナース達の話である。系列病院が建て替えの為、半年ほど移ってくることになったナースは、来る早々、何と死神の噂を口にした。この病院には死神が居る、と言い出したのだ。無論、この病院の者は誰一人首を縦に振らなかったが。
 「東京ポエマーズ」は、無論、詩的テクニックを用いた作品だが、こちらは全員男性キャスト。因みにレディーファーストということか、1本目は、総て女性キャストである。また、演じられる言葉は、詩的テクニックを多く用いながら、所謂、詩人気取りの人々が作る作品とは反対の性格を持つような言葉遊びである。具体的には、観てちょ!
 「サヨウナラなら何度でも」は、樹海に集まった自殺志願者の話を中心にカルト宗教を演じて詐欺を働いているグループの金儲けの為には、信者を自殺させることなど屁とも思っていない某「国」政治屋のような連中を扱う。今作で、カルト教団の信者以外は自殺を思いとどまるのだが、その経緯が具体的に気になる方々には観て頂きたい。


桜の森の満開のあとで

桜の森の満開のあとで

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2015/10/31 (土) ~ 2015/11/10 (火)公演終了

満足度★★★★★

ラディカルなダイアローグの面白さ
 タケカワゼミでは、モックと呼ばれる模擬会議を通じて試験も授業も行われている。(追記後送)

ネタバレBOX

この1年間行われてきたのは、北陸州石川県安宅市という架空都市での法や条例の長所・短所について、各々が受け持った役割に応じた人物を演じつつ議論を展開することだった。無論、ディベートのように勝ち負けがある。
 モックには以下の様なルールが存在する。
① モックの結論は全会一致であるべきこと。
② 保留は投票権放棄と看做される。
③ メタ発言は減点対象とされる。
④ 各々が演ずべき役は年度開始時に設定。各々が自らの演ずる役の人物設定は、会議開始前に決めて提出しなければならない。(これは会議中に各自に有利な設定がされるのを防ぐ為)尚、会議中の呼称は、演じている役の通称名を用いる。
凡そ、このようなルールに従って卒業試験が行われる。今作は、その卒業試験を巡ってのモックがメインディッシュなのだが、これが実に面白い。テーゼは「65歳以上の老人の選挙権を取り上げる」是か非か? 
オンリーユー

オンリーユー

貴楽屋

ウッディシアター中目黒(東京都)

2015/11/05 (木) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★

もうちっと勉強しないとね
 敗戦を終戦と言い換えたりしている割には、ベタな体制批判の科白もあったりで、リアリティーはイマイチである。が、大筋では、一応、GIと日本女性の恋の問題や、実際あった敗戦前後の特攻と死、銃後の者達の戦後などは、一応押さえられている。

ネタバレBOX

然し、サンフランシスコ講和には触れていても、同日結ばれた日米行政協定に一切触れていないのは、勉強不足も甚だしい。何故ならば、アメリカの対日支配の根幹は、こちらにあるからであり、現在、名前が変わって実質が引き継がれた日米地位協定をベースに2+2が重ねられ、これらによって先日強行採決された安保法制が現実化したからである。
 そういうレベルでの今作にとって唯一の救いは、被ばくの問題をキチンと提起しえたことである。エートスプロジェクトを含む核推進派の強力な隠蔽・矮小化政策と自民・公明党の展望無き施策によって痛めつけられている被ばく者たちの不安を少なくとも観客に伝え得たと観た。
 演技では十八番で働く若者を演じた武田 亮汰、研究者役の竹村 とよ志、GIを演じたKOBA、幽霊を演じた加藤 照夫、さちこを演じた永田 佳代が気に入った。
- 私たちはまだ -

- 私たちはまだ -

COoMOoNO

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2015/11/05 (木) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★

植物的に生きればアートなのではにゃい
 先ず、登場するのは、全く猫らしくない猫、隣家の作家、研究者とその恋人でOLの女。

ネタバレBOX

大して金は無いのでルームシェアをしている3人である。研究者として登場しているのに、海外に出たことが無い、そのくせ学会には結構出ている。(こんなこと現実にあり得ない)自分の友人は研究者がたくさんいるが、学会は何も国内ばかりではないから、今時、研究者で海外に出たことが無いなどあり得ない。この極楽蜻蛉ぶりは度し難い! いつまで経っても、未だ だろう。
 窓が大きな役割を占めているのだが、無論、これは、外界への精神の開口部である。然るに登場人物総てが、植物的で、動物のように打って出る、という思考形態ではない。寧ろ、漂う。花粉が、虫や風によって運ばれ受精するように基本的には受け身なのである。その受け身を保っている限り決して「まだ」を己の力で超えることはできない。但しその事実は淡々と描かれていた。
 Special thanksとして、自分の大好きな詩人、長田 弘の名が挙がっているが、「猫に未来はない」を書いたこの詩人は、もっとアグレッシブだと自分は考えている。こんなに優れた詩人を、自分達の出汁に使えると思っているのだとしたら大いなる勘違いだろう。
八重咲ク

八重咲ク

劇団KⅢ

d-倉庫(東京都)

2015/11/04 (水) ~ 2015/11/08 (日)公演終了

満足度★★★★

もったいない
 三部作の第二部ということのようだが、勿体ない作りである。自分は、今日、3~4分遅れて劇場に到着したため、既に公演は始まっていた。当然、入れるタイミングを待って案内して頂いたので、話の内容についていけない部分があるのではないか? との懸念があり、二名の方にお尋ねしたのだが、どうやら、筋を追える時刻には見始めていたらしい。この前提が正しいと仮定して以下の文章を書いてゆく。
 登場人物相互の関係がとても分かり難い。テーマがはっきりしており、科白自体には、考えさせるもの、深いと感じさせるものが鏤められているのに、そして役者陣は頑張っているのに勿体ないと思わせるのである。原因は、為政者が大衆を管理する時の方法論の差異という形でシナリオが書かれていないことと、演出が、その点をキチンと作者に対して突き詰めていな点にあるのではないか? 自分には時間が限られているので、劇団HPは拝見していない。偶に他劇団HPを拝見しても、こちらの必要とする情報を得る為にはとても回りくどい作業をせねばならぬのが殆どだ。現在、時間的にタイトな状況にある自分には、その時間はない。
 そもそも勧善懲悪ではない作品を目指したハズであるが、二項対立の単純を三項対立にするだけで累乗の意味する所が違ってくるのだ。まして、今作は、更に対立項が多い。最低限弁証法の意味する所をキチンと理解してからシナリオを紡がないとカオスに陥りかねない。シナリオライターは、この点に留意すべきである。

このページのQRコードです。

拡大