満足度★★★★
花四つ星
シチュエーションコメディー上演を目指すアガリスクエンターテイメントの45分作品2本。同時上演。
ネタバレBOX
「七人の語らいは」は2015年夏“黄金のコメディーフェスティバル”優勝作品でイギリスを舞台にした二重結婚の顛末。逃れようのないシチュエイションを誤魔化す為のあの手この手に妻の父が拳銃を持って登場威嚇。デイヴィットの命や如何に? というスラップスティックに演者自身からダメだしが入る面白い演出。然し乍ら、プリンシパルをしっかり持つ英国人とそれの無い事大主義をその特質とする日本人では受け取り方が大いに異なるであろう作品。
「笑いの太字」は、タイトル以外完全パクリの卒業制作を巡って、担任教官と学生の丁々発矢。やりとりは観客の知的好奇心を否応なく刺激し、反応させて素直な笑いを齎す。2人芝居のBチームを拝見したが、役者の演技も良く、間の取り方が絶妙で頗る良い出来である。舞台上は七人の語らいと異なり、テーブルを挟んで学生と教官が対峙するだけのシンプルなものなのでここに照明を集中していることで雑事が入らず集中して観ることが出来る点もグー。
満足度★★★★★
花5つ星 見事な傑作 タイゼツベシミル
今作は、先般風によって上演された「ヘカテ」原作者マテイ・ヴィスニユックの原作を川口 覚子訳、江原 早哉香の構成・演出で舞台化したものだ。
ネタバレBOX
舞台は1940年代バルカンのある国境地帯。敵味方に分かれた2人の兵士の会話から始まるのだが敵同士なのに兵士の妹は敵兵の妻、敵兵同士だから罵り合い互いに銃撃を繰り返しているのだが、妹の出産に関しては粉ミルクを敵兵となった妹の夫に進呈するという場面で、状況の複雑さ、このエリアでの戦闘の悲惨のみならず、宗教、文化、習慣、民俗、言語、人種等多数の差異にも関わらず暮らしてきた歴史と民族紛争と第2次世界大戦との複雑極まる混迷が示され、そこに生きる人々が状況に振り回される悲劇が端的に示される、次のシーンは、3年ぶりに亡命先から帰国した人々が祖国の国境を超える場面だか、国境を管理する兵士から新国家の鷹揚ぶりを説教された挙句、新国歌を朗誦させられおまけに新国歌の象徴たる国境地帯の地面に接吻を強要される。人々は無論、祖国を一旦は見捨ててきた、との傷を抱えているから兵士の言葉に従うが、舞台の大道具は舞台中央に20度以上の傾斜を以て作られた大きな坂。手前から奥へ競り合がるような坂には、所々に滑り止めの金具や凸凹のオブジェが観られる。この坂は、人生を翻弄される人々の不安定を象徴していよう、内容の詳細は上演中ということもあって省くが、全体としてアクションのあるような舞台ではない静かな舞台だが、この静けさは、先にも挙げた多くの対立要素が鬩ぎ合った結果tw外の力が拮抗して生じた緊張した飽和状態としての静けさであるから、舞台には絶えず演者の内側から発するエネルギーに満ち、観る者に思考を促す力が放射されている。基より今作は、帰国した人々の現実の生活、残っていた者たちや、新たに余所からやって来た資本家らとの、一見平和的・紳士的でありながら、隙あらば銭の種にしようとの現実的で闘争的な資本主義的日常に、敵も味方もいっしょくたに埋まって層を為している死者たちの世界から現れる、主人公夫妻の息子や、彼の友人として紹介される死者達双方を同一時空に描いた作品なので、現実とアモルフの鬩ぎ合いを如何に描くかが眼目となる作品である。この難題を仮面の使用や、身体各部のパペット、遺品の小道具などを利用して見事に描いた演出・役者・黒子たちの立ち居振る舞いと息の合ったコラボレーション、演技が素晴らしい。
ところで母が口にする進歩を象徴する単語は人口衛星だが、この単語が発される時ちょっとと奇異に感じるのは事実である。然しながら身近に死んだ息子が眠っていると直感した母が父に頼んで墓を作ってやろうと遺体探しを父に頼み、父はそれに応えて森のあちこちを掘っては遺体の一部や遺品を見付け、その度に息子の霊が現れて、遺体や遺品の主の話をし、待っている人にそれらを届けるよう父に願うという展開をしてきた今作に、どうしても一目自分の息子が亡くなったという確実な証拠を入手し、以て墓所に埋葬してやりたうぃという痛切な親の心を儲けのチャンスと捉え、買った地所から掘り出した人骨のパーツを高値で売る他国から来た資本家、犯人は分からぬものの、人骨を自分の家に投げ入れる者が居ると訴える老婆、何処から流れてきたかも知れぬ娼婦などが登場して戦後のどさくさを象徴的に表していると同時に、世知辛い世の中になって頼る術もなければ、希望も持てない母の切なる願いとして、時々見えるらしいという人工衛星からの死者に纏わる情報の噂は、藁をも掴む切なる表象としての重みをもつと考えられる。観劇しながら実に多くの深い問題、存在することの逃れようの無い軋みと、宇宙の虚空に落ちかねないような孤独の中で、それをひしひし感じながら生きることの、生きざるを得ないことの意味する所を考えさせる傑作。見事である。
満足度★★★★
Bを拝見
4本のオカルトのオムニバス。昏い照明やディスプレイの仕掛け音響の用い方にも工夫が凝らされぞっとするシーンも随所に鏤められており、見応えのある舞台になっているが、四話目、他の3篇とテイストが余りに異なり、次元も夢遊の世界に対して現実を扱っている為、演劇的対比が成立していない点が残念。寧ろ異相が描かれた印象で擦れ違いの印象を持った。他の3篇については観客各々の好みはあろうがオカルトとして成功していると言えよう。シナリオ・演出もグー。(追記後送)
満足度★★★★★
沖縄 高江
辺野古ほど認知度はないものの、オスプレイのヘリパッドが村を囲む6か所に作られようとしていて反対運動がずっと続いているのがこの高江である。ベトナム戦争時代には、ここにベトナム式住居が作られ、村民はベトナム人として米軍の演習に駆り出された。そんな歴史を持つ儒民150人ほどの集落が、法も人権も無視され戒厳令下の如く、機動隊に蹂躙排除されている。また、米国内では危険すぎてできないオスプレイによる超低空飛行訓練なども日常茶飯事に行われているのは6か所作られる予定のヘリパッドのうち2か所は既に作られてしまったからである。それでも諦めない。そのような戦いが、今ここで行われている訳だが、この異議申し立ての意味する所を自分の問題として捉えることができないようでは、安倍キ印政権の暴走を止めることもできずに滅びの道を我らは歩むだろう。何せ、日米地位協定でアメしかは日本中のどこでも沖縄と同様の訓練を行いうるのだから。而も、日米地位協定は運用上、憲法より実質的に上位に位置しているのは、国賊・田中 耕太郎以降常識である。
満足度★★★★★
Aチームを拝見
純然たる会話劇の醍醐味を堪能した。
ネタバレBOX
舞台は長方形のテーブルを12、3脚の椅子が取り囲む形で、客席は舞台をサンドイッチのように挟む形で設けられている。テーブルの真ん中には鍋料理が掛かり上演中煮込まれていい匂いを発散させており、上座の奥にはペットボトルに入ったお茶と簡易コップが置かれている。
上演設定は東京から車で2時間半ほどの距離にある萩島町の商店街理事会。この町にはトメニアから多くの国民が働きに来ており、居住外国人と日本人との間には様々な問題が起こっている。20年程前にはトメニア人による連続女性暴行事件が起こり、年配者の多くはこの事件以降トメニア人に対する心象を害している。現在は万引き被害が多発しているが、彼らの多くは商店街の顧客でもあるので地元商店街でも痛し痒しという状態だ。
だが地域隆盛を願う商店主らは、トメニア人らとの友好を促進する為に去年に続き今年も萩島フェスタを開催しようとしており、その為の会議を開いている最中である。
この会議の中で以上の問題を含む具体的な話が侃々諤々議論されてゆくのだが、この流れが実に自然で劇作家の高い才能を示すと同時に、北区民も参加したAチームでは5月から週1回の稽古でよくぞここまでと感心させるほど良い演技をしていて、その集中力に驚かされた。各キャラクターの個性も良く出、シナリオの質の高さと演出の上手さ、役者達の演技が噛み合う良い舞台を形成していると共に、実際に我々が日々体験する諸外国人との関係のみならず、存在そのもの同士の余儀なき関わり合いをも認知させてゆく辺り実に現実的でありながら、哲学の深みもかんじさせる内容である。而も、様々な軋轢の中で理事会内に裏切り者が出るというエピソードや、実に的確な意見や日本人論を披歴する地元TV局のスタッフとトメニア人とのユーモラスな落ち迄ついて楽しませてくれる。
満足度★★★
憧れ
基本的には、空、否宙に憧れるメンタリティーを描いた作品であったが、吉祥寺シアターの空間処理に気を使いすぎたか、シナリオの内実が浅い。
ネタバレBOX
憧れを強く訴えるためには、その惨めさを強調しなければならない。ライカ犬のメンタリティーなどは伝わるものの、これは個的なレベルのセンチメンタリズムに過ぎず、可哀そうだな、ふ~~~ん程度の感情移入しかできないのである。作家に普遍性への拘りが無いか殆ど無いかということなのであろう。その証拠に物語の基本的な命題をサンテクジュペリの「星の王子様」に負っているのは、情けない限りである。憧れが大それていれば居るほど、他人からバカにされ、白眼視されるというフェーズを体験するのが常なのに、主人公が出かけた旧天文台では案外あっさり受け入れられてしまう所で、シナリオとして失敗である。作家は、自分で悩み抜き、己の世界と異なる所、世界と衝突する所を深めることで、己自身の絶対的な孤独と向き合う。そうすることによってしか、新しい物を作る為の足場などできはしないのだ。その覚悟がないなら表現する者の場からは去るべきであろう。
演出の空間表現には見るべきものがあり、広く天上タッパの高いこの劇場空間をうまく活用していたし、舞台美術も羅針盤のような図が床に描かれそこから延びるロープや観客席上に伸びた紗の使い方も予想はできるものの
良い出来であった。
役者陣には、もっと個性が欲しい。
満足度★★★★
聴心器
序盤から中盤に掛けてのエピソードが細切れで関連が見えにくかったが終盤これらのエピソードが集約していくさまは温かく心地よい。人間関係の良し悪しが、何で決まるか。その根底にあるものを透かし見せるような作りで、お父さん役を演じた役者の演技が気に入った。
満足度★★★★
楽日に拝見 花四つ星
生命を十全に生きるとは?
ネタバレBOX
漂泊の民をイメージしたタイトルのようだが、「ジプシー」というタイトルは如何なものか? 内容的には寧ろエコロジカルな生活習慣を持っていた先住民、ネイティブアメリカン、アイヌ、アボリジニなどの哲学や宗教・生命観などを、現在金銭経済に塗れ当に金を神と崇める時代精神に対比しているように思われる。
長老(大家族の祖父)の持つ呪術的な力は、欧米や敗戦後殊にアメリカナイズされた現代日本の大衆が持つ、先住民に対する懼れと蔑視が入り混じったアプリオリな偏見によって醸成された幻惑の視覚化である。同時に彼らの生活様態に基本的に無駄の無いことは、使い捨てでしか機能しない資本主義への痛烈な批判である。彼らは十全に楽しみ、一所懸命に生き、自らの在り様に納得して過去から現在そして未来を渡ってゆく。時の旅人即ち時空の散策者なのである。
本来、生き物としてのヒトに、他の生き方を強いる必要はなかったのではないか?
満足度★★★★★
我らの未来同様真っ暗クラのクラ
ファーストシーンが象徴的。公害の実態を村に残った人々の地獄の蓋を開けて見せている点が秀逸だ。
ネタバレBOX
舞台は渡良瀬川流域に実在した谷中村。田中 正造が明治天皇に直訴したことでも知られる足尾鉱毒事件で廃村にされたあの谷中村である。拝見しているうちに、その後、実質的に変わっていない公害対策をひしひしと感じさせる内容と様々な被害(水俣の有機水銀、カドミウム汚染、イタイイタイ病、イラクやアフガニスタン、コソボでのDU被害、ウラン野天掘り後の鉱石放置による放射能汚染、F1人災後核推進派によるエートスプロジェクトを始めとする復興プロパガンダ等々)を有名人、田中 正造を通さず、寧ろ田中を信じ一緒に行動した民衆を描くことで悲惨の実態を描いた今作は、その救いの無さ故に秀逸である。日本人の多くは余りにもセンチメンタルに過ぎて事実を事実として認識することを避けたがるという傾向が強い。然しながら事実は事実。そんなセンチメンタリストを冷笑しているのが常であり、事実の結果を齎すことで迷妄を解くのが必然である。然しながら初手で出遅れ、まごまごしているうちに、初手に事態をキチンと見据え、分析し、有効な対応策を取るという手を打っておけば、被害は最小限とまでは行かなくともある程度抑えられたハズのことが、日本人にはできない。それができる日本人リーダーは極めて稀にしか現れないのが実情である。幕末で言えば、勝海舟、南北朝以降では執権だった北条泰時辺りか。少なくとも関東大震災後の日本には後藤新平くらいしか思い浮かばない。何れにせよ、この「国」のリーダーと呼ばれる連中は粒が小さくプリンシパルを持たぬ下司が目立つ。
風雷紡が描くのは、こんな日本のリーダーを見限ってか。民衆である。無論、田中正造は立派な人物であり、立派な政治家であったが、その田中を信じて戦った農民たちの生活迄は彼も救うことができなかったのであり、田中ほどの弁も立たず、学問的素養も無かった民衆にとって、戦いに参加することも参加を拒否することも、何れも正造の味わう苦しみよりより具体的で切実でどうしようもないものであった。この点を描いている点で水俣を描いた極めて優れたドキュメンタリー「下々戦記」に同様、民衆という名の被災者の味わう地獄とその本質を抉り出してみせた。
一方、刀狩、太閤検地以降農地に縛り付けられ、更に江戸時代には徹底的な朱子学の浸透の下滅私奉公を余儀なくされた武器なき民衆がその家族制度の根幹に持った家父長制は、本家・分家の分断と差別化を助長しそれは逆らい難い「掟」のように人々を支配した。そのような複雑な人間関係の中で、最も大きな被害を受けたのが、被災者のうちでも最も弱い者であった点も、今作は見逃していない。結果、事態は更なる悲惨を加えるのであるが、その事実もまた描かれる。因習や状況そして貧しさによって退路を断たれた民衆の生き死にすれすれでの儀式に隠されたもの・ことの意味を明らかにして見事である。
同時に彼らの抱える悲惨を他人事として扱うことも、知らんぷりを決め込むことも、嘲笑うこともできない。何故なら、彼らは田中と共に戦うことを選び、投獄されて拷問を受け、鉱毒によって体を蝕まれながら、尚自ら信じたもの・ことを守ったまま生きようと覚悟するからである。この凄まじい生き様の前で誰が彼らを嘲笑えようか?
満足度★★★★
「白鳥の歌」の落魄感がグー
チェーホフの作品から「白鳥の歌」「熊」「結婚申込」の三篇をセレクトしたオムニバス公演。
ネタバレBOX
上演の順番は、其々の回に変わるのかも知れないが、自分の拝見した時は「白鳥の歌」が最後で初めに「熊」であった。「熊」「結婚申込」については上演台本にチェーホフの翻訳との大きな違いは無い。「白鳥の歌」に関しては可也原作とは異なった部分が入ってくる。シェイクスピアの「リア王」から嵐の夜の場面が演じられるのだ。ところで、シャイクスピア作品には数多くの道化が出てくるがその呼称としてクラウンが用いられるのはリア王のみだったと認識している。道化を表す言葉には様々な単語があり、最も格上とされるのがクラウン、即ち道化の王である。シェイクスピアが「リア王」にクラウンを登場させるのは、音的には王冠にも重なることもあるであろうが、肝要な点は、「リア王」では、狂った王が道化、逆にその王にまともな意見を言うのがクラウンであるという主客転倒が起こっているからなのである。その点を強調することで人間存在の有為転変、人生の諸行無常、そして我ら人間の根底で蠢く存在の奈落を示唆し、落魄感を十全に示すことに成功している点を見逃す訳にはゆかない。近代以降の人間が抱える根本的な問題を見据え、提起したチェーホフの本質もまた、この人間存在の奈落に依拠しているとしたら、脚本王シェイクスピアを引き合いに出しても悪くはあるまい。
惜しむらくは、自分の拝見した回は、噛む場面が多かった点だ。
満足度★★★★
ブラックルーム七鬼神編を拝見
花四つ星。
ネタバレBOX
拉致された7人の人々は狭く昏い鉄格子付の部屋に押し込められ、頼みのガイドは、泣くばかりでいっこう当てにならない。一体、誰が何の為に自分達を拉致したのか? 皆目見当のつかないことに殆どの人々が恐怖を倍加させている。寝そべっていた大学助教授が、場所を特定したが、どうやら囚われた人々は、ギャンブルかゲームの駒とされているらしいことが判明した。というのも室内に設えられた計器から音声指示が与えられ、ガイドは哭きながらも17が7になった時、扉が開くと通訳してくれたからだ。それぞれの首に掛けられた小さな器具と個人識別No。個人識別ナンバーの和は17。当然生き残る為にはいくつかの組み合わせが可能だ。助教授は早速、自分が生き残れるパターンを総て解析して見せ生き残りの為の連携を持ちかける。うじうじしている6人に対して彼の発する日本人批評が小気味よい。無論、彼らの置かれたシチュエイションは、何者かは定かで無いが、ゲームを仕切る側からの指示に従わなければ生き残れないという条件のみだ。だって扉は閉じられたままだし、食糧も水も与えられない状態では餓死する他ないのは明らかな訳であるから。人々は好むと好まざるとに関わらず17を7にすべく戦わざるを得ない。そしてこの戦いは殺人である。この設定が実に簡潔で事務的な点が秀逸。アンナ・ハーレントが、モサドに拉致されて裁判に掛けられることになったアイヒマンの裁判を態々アメリカから傍聴しに行って、悪の陳腐について論じた有名な記事を思い起こさせる。アイヒマンはホロコーストを実に事務的に凡庸そのものの人間として実施していたことにショックを受けたということだろう。そのような残虐を平気で為す人間は、人間というより怪物と思う方が気は楽だ。然し、現実の人間はアイヒマンに限らず日本の731部隊の医者たちも同様だとの記録が残っている。彼らは実に事務的に生きたままの被験者を人体実験に供していたし、微塵も被験者が自分と同じ人間だとは感じていなかったのである。彼らにとって被験者は単にものであったに過ぎない。人間とはこのような残虐性を持ち得る存在なのだという事実こそ、今作の眼目だろう。それを実にドライにクールに描いている点がグー。
ところで、明晰な助教授は、その明晰さゆえに、他の理由で殺されてしまうが、この辺りの逆転の発想も流石である。緊迫感の途切れない良い舞台だ。
満足度★★★★
シナリオを非構造化した分、役者たちの頑張りが目立つ 花四つ星
現在、浅草東洋館で「追憶のタキシーダンサー(二幕)」を上演中の劇団ドガドガプラスの2年間を追求したドキュメンタリーが、8月21日14時からのフジテレビ「ザ。ノンフィクション」で放映されるが、どの劇団もオリンピック開催中とあっては集客に苦労している所。ぜひ、生の舞台をご覧頂きたい。(追記2016.8.21)
ネタバレBOX
時は1940年10月31日の夜、ダンスホール滝壺。22時を以てダンスホールも閉められるとあって、最後の夜を、目当てのダンサーと踊ろうと男達が集まった。明11月1日からは戦時下の統制の為、都内に最後に残っていたダンスホール十軒ほどの店の灯も絶えるのである。真珠湾攻撃(1941.12.8)の1年2か月ほど前のことである。
因みにタキシーダンサーとは、店で購入したチケット1枚につき1曲、好みのダンサーと踊れるというシステムを持つタキシーダンスホールで踊るダンサーのことだが、発祥はアメリカ。日本では大正末期に開業店が現れた。無論、踊りながら、アフターをダンサーと交渉する客も多くその辺りの事情は男女の機微として、現在迄どころか生き物としての人間生活が始まって以来今日まで延々と受け継がれたテーマである。但し、この時代の日本は戦争につぐ戦争の時代であり、この僅か5年後には都市部の大部分を焦土と化していた。一幕ラストに傷痍軍人のようないでたちで現れる科学者の予言「体が溶けてゆく。これがお前たちの未来だ!」の科白は衝撃的。
今回は役者の頑張りがメインになった舞台なので役者陣についても少々詳しく書いておく。さて、二幕である。一幕でその半生が明らかになっていたパリがえりの画家で多くの女性と浮名を流した太田の血を分けた息子、和也と会ったその日に結婚したかつての妻の連れ子雪江の幸せも長くは続かなかった。結婚の翌年、日本は太平洋戦争に突入。山本五十六の予言通り、当初だけは勝をを収めたがガダルカナルで和也が戦死した戦闘を最後の勝利として、その後は負け続け、広島・長崎への原爆投下をはじめ、日本の大都市の殆ど総てが灰燼に帰すほどの空爆を受けた。
若く美しい戦争未亡人であり、滝壺のNO.1 でもあった雪江に言い寄る男は多かったが、彼女は、和也の匂いのする太田と肉体関係を持つに至る。而もその太田は滝壺に居た松子に気に入られ、彼女もまた太田の家に身を寄せて家政婦として太田の面倒を見ていたのである。偶然、太田と雪江の現場を見てしまった松子は、流石に実家に戻り結婚に踏み切った。だが、雪江にとって血のつながらない父とのセックスは、和也への一途な追慕でもあった。戦争未亡人となった彼女に寂しくないかと言い寄る男たちに対し、「寂しくないわけ、ないじゃないか!」との痛切な叫びは胸を撃つ。
座長を務める丸山 正吾(和也役)、老画家を演じる隈本 雅人の演技力は無論のことだが、雪江を演じる看板女優 ゆうき 梨菜の演技力も伸びた。また、滝壺に通う遊び人、京橋を演じた中瀬古 健の演技が光る。更にドガドガプラスは歌って踊れるを目指す劇団とあって今作ではプロダンサーも出演しているが、物理研究者を演じた佐々木 健のキレのあるダンスの素晴らしいこと。滝壺のセクシュアルダンスガールを演じた下西 春奈のダンスもグー。
更に滝壺オーナーを演じたレイアイのしっとり落ち着いた演技、ドガドガ若手女優の可愛らしいお色気とうまくなっているダンス、体当たりの演技もグー。
満足度★★★★★
酷さ
1945年4月1日、既に3月26日に慶良間諸島などに上陸していた米軍が本島に上陸。
ネタバレBOX
首里のある北部は激戦地となったが、5月末司令部の置かれていた首里は陥落。日本軍は南部に撤退する。南部戦の悲劇は“ひめゆり”をはじめとして集団自決を迫られ、親が我が子を殺し自決する、母親が乳飲み子の鳴き声が煩いとされてわが手で乳飲み子を殺害させられる、といった余りにも酷い傷を沖縄の人々に強いた。戦闘の激しさについては、上陸以前米軍の埋め尽くした沖縄沖の海からの艦砲射撃の余りの激しさに島の形が変わったと言われていることは既に書いた。無論、未だに不発弾が回収される。何より沖縄住民の4人に1人が亡くなったとされる。このような激しい戦闘と、ヤマトンチューに近づこうと必死になって戦った「祖国」日本にも見捨てられ沖縄は今も呻いているのに、ヤマトンチューの感度は鈍い。それに引き替え、今作に登場するユタ役のおばあの品のあること。またその言説の質の高いこと。そして、学徒動員された女性徒達の個性的で、優しい強さと主人公の成長を通して現実と向き合い背負うことをキチンと訴えた作品の意味は大きい。
更に、現実をキチンと見る目を持った軍医や加えてノブレスオブリージュを心得た少尉のキャラクターを作っていること。大方の陸軍軍人の発想だったものを揶揄する視点を忘れていないことも評価したい。真面目に丁寧に作られた作品である。そして実際に起こっていたことを蛆の話や、麻酔無しに鋸で足を切断するオペ、ナイチンゲールがクリミアで実践した頭部強打による昏倒によってオペを実践した実例なども婦長の実践指導を通して描かれ、戦争を知らない世代にその実態と精神の崩壊を齎すような傷を示している点も見逃せない。今当に第3次世界大戦前夜、心して観ておきたい作品である。一旦、戦争を始めてしまえば片が付くまで終わりは無いのだから。而も現代の戦争には核の脅威が付きまとっている。
満足度★★★★★
精神貴族
大人という単語には、本来人間として大きく、尊敬でき、人生の難事にも悠揚迫らす対応できるような大人物という意味も込められている。
ネタバレBOX
だが、単に年齢だけで大人、子供を分けるのみならず、こんな植民地で奴隷であることすら認識できぬ大人なんぞになって堪るか! そういうことは、下司と阿呆と「真面目」で再生産することしかできぬ人々に任せておけば良いのだ。人生の意味は己の生きる意味を認識することにある。孔子も言っているではないか。朝に道を聴けば夕べに死すとも可也、と。どんな個人も他者に成り代わることはできないのであるから。己の生きる意味は己の力で解き明かさねばならない。例え親の愛がどれだけ深く純粋なものであっても、アメリカやイスラエルの空爆を受けて脳漿の飛び散った3歳の女児の命に代えて親が被害を代替することはできない。断腸の思いで親は耐える他ないのだ。これが残忍な現実である。紛争地に関わってきた人はこのような事例をたくさん知っているし、当事者の幾人かの嘆きを直接聞き及んでいよう。イスラエルの閣僚に自分が嫌味を言った時には、中東諸国の外交官が、頗る適切なサポートをしてくれた。件のイスラエル官僚は、自分を恫喝して引き上げていったが。自分は未だ殺されていない。ざまあ見やがれ! 道理の通らないことに、このような反骨を示すことも大人の責任である。と同時に鹿詰らしい顔をして屁理屈と嘘で固めた文言を垂れ流しながら無責任極まりない政策を実行してゆく、安倍晋三や石破茂のような下司をキチンとからかうことも大人の責任である。選挙の公約などは破ることが前提の連中である。選挙運動での発言を信じろと言う方が無理というものである。
更に、梁塵秘抄の中で最も有名な一行“遊びをせむとや生まれけむ”という理想を実現すべく努力することも大人の責任である。これが実現できていないなら、或いはこのような理想を自ら望むことができないような精神状態で、そのことを揶揄されたら、詭弁でなくキチンと負うべきものを負い、全身全霊を傾けて実現に努力すべきである。
今作、一見、アナーキーなテイストに見せながら一本筋を通し、人間の優しさと優しさの持つ強さ、人としての嗜みを持った者たち同士の深く強い信頼関係を描いて心地よい。座付き作家役の若やんが悪戯っ気たっぷりだが、作家の集中する時は集中する姿勢と拡散している時に雰囲気迄吸収するキャラを描いている点もグー。
満足度★★★★
骨太なシナリオ
だが、若干かむシーンが多かったのは残念。
ネタバレBOX
寛文8年(1668)、屋久島に奇妙な侍姿の大男が漂着した。男の名は、ジョバンニ・バチスタ・シドッチ、高位の宣教師であった。島原の乱以降増々キリスト教弾圧を強めた鎖国中の日本へ来て堂々と自らの身分を明らかにした彼は捉えられ、翌年から江戸にあった切支丹屋敷に幽閉される身となった。彼はローマ法王から直々のミッションを与えられていた。そのミッションとは失われたアーク探しであったと言われる。何れにせよ、幕府としても疎かにはできない問題であり、吟味役として賢者の誉れ高い新井 白石が任じられた。
シドッチの高い知性に感じた白石は、数十年ぶりに日本を訪れた宣教師から世界の新たな情報を得ようとの考えもあってイタリア語の理解にも勤しんだ。高い教養を身に着けたシドッチにも白石の知能の高さは自ずと伝わり二人の間には互いを尊敬しあう関係が生まれていった。一方、シドッチの日常生活の世話を命じられた長介・はる夫婦が身に着けていた十字架を見たシドッチは、復活祭に当たって彼らに洗礼を授けてしまう。信仰は大切だとしながら、法では禁じられた受洗を受けたことで長介ははると共に自首し、囚われの身となってしまった。白石は彼らの助命の為に動こうとするが、事実が発覚した時、それは既に白石の力の及ばぬ所で進行していた。白石は、学ある者の勤めとして本を書く。書名は「西洋紀聞」優れた書物は、時を越え、所を超えて生き残ることを知っていたからである。座敷牢で亡くなった3人の人間に対する白石のノブレスオブリージュとレクイエムは、2014年4月4日切支丹屋敷跡から発見された3体の遺骨のニュースとなり、今作上演にも繋がった。
満足度★★★★★
真実の持つ重み
構成の良いシナリオ、事実をベースに真実を表現した演出、役者陣の頑張り、何れもバランスよく物語を本質をキチンと観客席に伝える秀作。
ネタバレBOX
前半部を主にアンの教師としての資質の高さとその証明に費やしたとすれば、後半部では、アンの献身的な努力と超人的な粘り強さが、花開かせたヘレンの活動を中心に据え、寄る年波に徐々に弱っていくアンに対し偉大な個人として成長したヘレンを見せると同時に彼女の転換点となった幽体離脱体験を挟んで自然な物語展開にしている。と同時にヘレンの周りで常に彼女の将来を案じていた総ての人が望んだ寄る年波のアンのミッションを受け継ぐ理想的伴走者、ポリーとの出会いと経緯が、南部黒人集会での演説や反戦運動で講演の機会を失い出版機会も奪われ困窮する生活の中に描かれる。同時に、編集者、ピーターが、実は黒人の血を継いでいながら、肌の色が白人と変わらなかった為、白人として生きる為に自らを社会主義者と偽り、ヘレンの反差別主義を邪魔立てするようなデータをメディアに流し、彼の勤める出版社以外では彼女の本を出せないよう画策していた張本人であったという衝撃的事実が明るみに出る。この事実は衝撃的である。何故ならこの複合意識は現在のアメリカでも解決されていないからである。一例を上げておけば、数々の大ヒットを飛ばし大スターであったマイケル・ジャクソンが執拗に整形手術を繰り返したことと同根の問題だからだと指摘しておく。
ヘレン・ケラーとその名教師アン・サリバン、後にヘレンを支えることになったポリー・トンプソン。そしてヘレンの本を初めて出した編集者、ピーター・フェイガンらの人間関係を中心に当時のアメリカの世相、障害を持つ者に対する差別とその背景にあったWASPへの過剰な誇り及びWASPの建国事実に対する誤認識などをヘレンの両親との関係を通して描き出した秀作。聾唖者としてのヘレンに文字を教えるのに、指文字を用いたアンの卓抜な手法とその真摯な取り組みの背景には彼女自身の凄惨な体験があったという事実は、アンの想像力にヘレンの蒙っている現実の不自由、苛立たしさを推量させる契機があったということだろう。こういった想像力は、例えば公共施設にスロープを設ける、バスや電車の乗降口と電車のホーム、或いは地面との高低差、距離などをなるべく小さくする、駅にエレベーター・エスカレーターを設置するなど弱者への慮りが、ずっと蔑にされてきた日本でも、障碍者の権利獲得へのムーブメントやそれを支えた心優しい左派の想像力があったことと無縁ではない。またヘレンの将来を心配した父、アーサーがヘレンをボードビルショー(寄席)に出演させて自立を計ろうとしたこととも無縁ではない。(差別を肯定し見世物として人間性を否定することが、障碍者の生き残る唯一の方法だと考える悪しきリアリズム。この考え方には人間の尊厳の問題が無視されている。今作中ポリーを加えた3人がボードビルショーに出演して生活費を稼ぐが、彼女たちは人間の尊厳を守る為のパースペクティブを持ってそうしたのであり、アーサーのように差別を是認していた訳であいことは明らかである。)この辺りの事情は、映画、エレファントマンのモデルになったジョゼフ・エリックが長年見世物小屋を盥回しにされていた事実と合わせて考えてみる必要があろう。現代にも続く障碍者への差別を更に軽減し続ける為にも、健常者が用いるべき最大の知恵が他者の傷みに関わる想像力であることは今も変わらない。そしてこのような想像力を得る為に必要なことは、徹底的にバイアスを排し、事実を見る目を養い、事実を通してみた結果を合理的に検証して応用する力が最低限必要だという認識である。即ち優しさを実現するリアリストの目も必要だということだ。例えば福島第一原発人災後、多くの子供が鼻血を出した事実を否定するようなアホな言説に対してキチンと正しい情報を評価し擁護する態度が個々人になければならないのは当然のことなのだ。間違った情報を意図的に垂れ流す国際原子力マフィアに立ち向かわねばヒトの将来のみならず、全地球上の生命が壊滅的打撃を蒙るのは必定。心して掛かるべきなのである。このような応用こそ、この3人の偉大な女性たちが現代に生きる我らに託したものの内実であろう。
満足度★★★★★
観るべし!
法政大学のⅠ劇の舞台を拝見するのは2度目であるが、今回も期待を裏切らない舞台になっている。
ネタバレBOX
というのも舞台美術が、実に良く作品内容と連関している点を先ず挙げておきたい。機能的で合理的なレイアウトによって、役者陣の演技する時空間が無駄なく按配され、平安時代と近未来を巧みに繋いでおり、センスの良さ、バランスの良さが際立つ。床面に描かれた幾何学的な文様や抽象度の高い文様、幾何学的ではありながらも伝統的な意匠を纏った文様、更に出捌け口3か所の内、舞台正面中央のものには、階が2段組まれ、殿上人など高位の貴族・貴人の住処を暗示し象徴的に示している点も見逃せない。この出捌け口に限って天井から簾が下ろせるようになっている工夫も見事であり、この下手の壁面には丸窓が描かれジャポニスムの特徴を示している。因みに関孝和の和算のレベルの高さは、当時世界でトップクラスにあった。円周率の小数点以下の桁数表示では確か同時代の世界でトップであったというような話を耳にしたことがある。近未来のラボの様子は、無論、平安時代のイマージュに対置されているのだが、こちらは、誰が見てもすぐそれとわかるから、ここでは、詳説しない。床の文様は、出演者達自身によって描かれているようであるが、技術的にも高い評価ができるものである。
シナリオも良い。前作「巣鴨監獄冀望王」(2016.3月上演)を観て以来、イチゲキのファンになったが、特定の作家が居る訳ではない。各公演ごとに希望者が作品を作り上げてゆくスタイルだからだ。従って毎回作品テイストは異なり参加メンバーも変化する。然し作品の質は頗る高い。今作でも描かれているのは、永遠に見紛う長い時の流れにも耐えるだけの命懸けの恋物語であり、その切実さ、哀れ、ヒトと異形のものとの争闘という形を採った政治など非常に本質的で普遍的なテーマを平安時代と近未来という2つの時代往還で見事に描き出しており、演出・演技のレベルも高い。政作スタッフの対応も実に良い。若い学生さんらしい真摯な態度も気に入った。(ネタバレに関しては、陰陽師と九尾の狐の戦いに於いて陰陽師の翳す正義が、本質的な罪を持たぬ異形のものの征伐・排除という形で表現されているのだが、これを深読みすれば、為政者が民の不満を逸らす為に異形のものを敵に仕立て上げ、これを征伐することによって民衆のうっ憤を晴らし、己の為政者としての正当性を担保する為の政治だと解釈することができる。それ故にこそ、九尾の狐である”ふう”、その化身である玉藻の前や”あや”の恋が鮮烈な哀れを催すのである。と同時に既に2つの時代、平安及び近未来を生きた命懸けの恋が、普遍性という永遠を獲得していると言えるのだ。)
満足度★★★★★
見るべし
5人の男が、東南アジアに派遣された。研修を受けた上で地雷を除去する為だ。(追記後送)
ネタバレBOX
対象地雷は対人地雷。踏むと直ぐ爆発するもの、足を離した途端に爆発するもの、ある程度以上の負荷が掛からなければ爆発しないもの、踏んでから爆発迄時差があるもの、金属製、木製、プラスチック製など、素材も爆発の仕方も様々である。一般に日本で知られているのは金属製の物が多いようだが、金属探知機を用いて発見できるものばかりではないということである。
満足度★★★★★
十周年記念作にふさわしいデキ
小劇場演劇に携わる人々の苦労を見事に形象化した作品。(追記後送)
ネタバレBOX
ホラーの要素、コメディーの要素、社会派の要素迄を実にバランスよく纏めている。例えば、我らがこの植民地で日々味わわされる既得権益層の横暴、身勝手、無定見をベースにした理不尽な要求(電話が掛かってきて声だけで映画関係者も、その登場人物達も引っ掻き回す)に対して、面従腹背とはいえ、取り敢えず従っておかなければ村八分にされるのが必定であるような不条理を、鵺が鳴きそうな山荘に集まった映画関係者(プロデューサー、監督、シナリオライター)らと彼らによって生み出された登場人物たちとの掛け合いで、ある時はホラーをまたある時はコメディーをといった感じで展開してゆくのだが、このバランスが絶妙である。脚本も面白いし演出、演技もグー。
満足度★★★★
キャッシュチームを拝見
劇団の名を裏切らない、余りにもバカバカしくて笑える衝撃の笑劇。
ネタバレBOX
ノーマン・バセットは、土曜日に婚約者、ブレンダとの結婚が決まっている。しがないピザ屋の店員なのだが、階下のエリック・スワンの珍妙な詐欺の片棒を担がされることになった。
エリックはロンドン電力の社員であったが、2年程前に解雇された。然し妻のリンダに本当のことが言えず、市の様々な社会保障金を引き出しては給料代わりとして生活費に充てていた。無論、市も馬鹿ではない。調査員を送り込んで来た。調査員の名をジェンキンズといい、鬼課長クーパーの部下である。
さて、ジェンキンズを迎えて、嘘が嘘を呼ぶ猛烈な騙しのファルスの開幕である。