満足度★★★★★
対絶べシミル!! 花5つ☆ ご存じ忠臣蔵!! アナザーバージョン! 古典は苦手という方は、少し早めに行くべし。当パンの中に粗筋等を記したリーフレットが入っているから、事前にこれを読んでおけばキチンと筋が追える。また、上演時間は、10分の休憩を挟んで3時間程、極めて質の高い、息もつかせぬ迫力の舞台である。
ネタバレBOX
前回の演技版から今回は初心に戻ってというより、前回までの5回の公演で実験して来た様々な要素を組み入れ、より自由、闊達にリーディングと呼ばれるジャンルの一定の作法を飛び越えようとの試みも仕込まれているばかりではなく、リーディングと演技との謂わば境界域の緊張感と同時に、既に各演者の頭に科白が入っているということから来るゆとりが、相互の関係性に迄気を配る細部の繊細な動きや挙措にも表れ、舞台を活き活きとしたものにしている。
今作のように人口に膾炙し、長く生き残ってきた作品というものの凄味は、各挿話の質の高さに由り、またその相互の関連を通して描かれる人間の生き様に在ることは無論であるが、その凄さを今回の演者たちのようにしっかり演じてくれる役者、演出家あってのものでもある。
然しながら今作、今回の公演を以て暫くは、演じないという話である。18日初日で19日には、未だ残席があるとのこと、駆け込んで是非ご覧頂きたい舞台である。
満足度★★★
物語は1982年と2017・8年を入れ子細工にして展開する。
ネタバレBOX
1982年といえば、族真っ盛りの頃、レディースなども登場し、猫に学ラン着せてナメ猫! なんかもあった時代だ。
主人公は、矢張り走り屋から、プロレーサーに歩を進めた天才を父に持つ紅天使リーダー鶴子、そしてライバルクレイジーハートトップ瞳たちレディースである
これに、地元では最大の勢力を誇り、120名を束ねる族が絡んで傘下に入らなければレディースメンバー全員を罠に掛けて呼び出した上で回す計画が練られていた。この危機を回避できるか否かが矢張り最大のクライマックスだが、そこは、JK、コイバナや学校カリキュラムとの絡みも。遊びたい年頃であると同時に気後れしがちなナイーブさ、両リーダーの持つ、貫目や度量も描かれていて興味深い。
残念に思った点は、前半脚本、殊に導入部が余り練れておらず芝居を観なれている者には不自然を感じさせられる科白・演出であった点、また演技が余りにオーバーで、結果ギャグなどが滑ってしまったことだ。
開演前に流れて来た数々のヒットソングは、1982年当時のもので、この選曲はグー。また作中で使われる音曲も良い。驚かされるのは、ラーメン屋兼定食屋、喫茶店、屋台等々場転でセットが変わるのだが、この早変わりが素晴らしい点だ。裏周りは大騒動だろうが、キチンと設定されていた。
満足度★★
僅か40分程の尺なのだから、(追記:前半余りに工夫がなかったので寝落ち、結果、自分の勘違いした点もあったので追記しておく。尚、追記部分は、ネタバレの最初のレビューから2行空けて書き始めてある。)
ネタバレBOX
物語にもっと緊迫感を持たせる設定にするなり、唯、退屈をやり過ごし、生きながら死んでいるような状況を描くなら完全にシャレノメス位のことをやらないと。科白を構成しているボキャブラリーが貧弱過ぎて唯でさえ平板な科白、状況設定が、尚ドラマツルギーから離れてしまった。美術も机と椅子である必然性が何処にも無い。座ったり、手を突いたりというだけなら、箱馬で充分。
更に決定的な欠点は、人間観察の甘さが出てしまったことだろう。残念だ。
タイトルに惹かれたのだが、殊に“のこと”と“とのこと”の対比に何かしらセンスを感じたのだ。だが、序盤余りにも扁平な“幸せ”・“愛してる”の多用が折角のセンスをぶち壊してしまった。この単語の一々に、感情や念いの千変万化を表現しているなら兎も角(これだけ多用すればそれも不可能)そういった配慮も見られずに、言葉の齎す印象に多少とも敏感な人間なら、この序盤だけで好い加減飽き飽きしてしまう展開である。
男1と別れた女が男2と暮らし始めることで、小市民的な“幸せ”を成就することで、男1とは浮気関係に過ぎなかった男女関係自体はステイブルなものになり、それこそ、小市民的な幸せが成就しメデタシ、メデタシとなる訳だが、一方、手取り僅か18万の給料から不倫の代償として女は、男1の妻に対し300万の支払い義務を負うことになる。
これがこの物語の粗筋だ。場転で机と椅子は対面に設置され、二人っきりでゆっくり食事を摂る場面等が展開するのだが、このどうしようもなく陳腐な“幸福感”を得る為に支払った女のリスクの大きさが漣のようなテイストで描かれる所が、如何にも日本ということか。
残念なのは、序破急でも起承転結でもなく、前場、後場の作りになっていることだ。脚本で一場になっている部分は、導入というより前説の要素が強いのでイントロとしては頂けない。二場になっている部分が前場に当たるが、ここでもこれだけ同じ単語を繰り返す必然としての伏線が敷かれていないことが問題である。ここには、伏線としても、これらの単語を繰り返す必然を示すという意味でも他の言葉群に対してメタレベルで要になり、重心にもなるような一行がどうしても必要である。その上でなら、家裁の調停が入った上での示談にももっと説得力が出てこようというものだ。
無論、主人公は女、市子である。何故なら男は、1,2という記号であるのに対し女は個人名であるからだ。それも市井の人を意味しているような名である。このことで、作家は女を般化したつもりなのだろうが、ポピュリズムに流れてしまっては、市井に埋没してしまうので、この点でも捻りが必要だ。演出レベルで言うなら、男が軽く扱われている分、1、2の区別をキチンとつける必要を感じなかったのかも知れないが、これでは観客が戸惑ってしまう。せめて片方には髭があるとかネクタイが違うとか、直ぐ様変わりできるような「記号」をつけるべきだろう。
余りにも退屈な前半で寝落ちしてしまって、当初、その印象でレビューを書いたのが、配られた脚本を拝見すると自分のレビューにも誤解があった為、稿を改めた次第である。
満足度★★★★★
タイトルのスピークイージーとは、アメリカの禁酒法時代に酒を出すバーを指していたとされる。禁酒法ではアルコール飲料の販売、生産、輸送(密輸を含む)が禁止されていた。
ネタバレBOX
この事実をベースに都条例で禁酒法が可決されたという設定の話だ。悪法として歴史に残る禁酒法が施行されるとどんな状況になるかを描いている。
舞台は、雑居ビルの1階にある「居酒屋」たこはち。客は、毎年忘年会をこの居酒屋で行って来た階上に入居する会社員である。社長、専務以下総てのメンバーが揃っているが、新入社員2人ということから規模も想像できよう。
舞台セットは中央に4畳半サイズの畳敷きがあり、この真ん中に縦長のテーブル、客席側を除いた3方に座布団が2枚ずつ置かれている。上手、下手の壁のやや奥に出捌け口があり、暖簾が掛かっている。畳敷きは各コーナーに柱が設えられ、空洞部分には、各種の瓶が、種類ごとに纏めて置かれている。畳敷きと壁の間には、日本酒一升瓶用のラックや、ビールケースなどが裏返しに置かれて丁度椅子に用いる高さになるよう重ねられている。下手奥にお品書き。天井からはフィラメントの裸電球が下がっている。中央の物だけサイズが大きい。
参加メンバーで面白いのが、飲むと一切を忘れてしまう女子社員と大学時代飲み会を目的としたサークルに入っていた男性社員、特技はテン上げ(テンション上げの略)、ビールズのメンバーでもある。(因みにビートルズの誤記ではない。シールズを想起させるこのネーミングは禁酒条例に反対して立ち上がった反条例ムーブメントであり、当然のことながら、ビールはアルコール飲料の象徴である。)
アメリカの禁酒法が悪法の代表例として良く批判されるのは周知の事実であるが、ビールズの名前からも想起されるように、殊に第2次安倍政権以降、日本会議を背景に閣議決定・強行採決を通して国民の声が一切反映されない中で強行されてきた、集団的自衛権、安保法、秘密保護法、共謀罪等々、アーミテージレポートで指令されたことを悉く法制化した悪法の中の悪法が、日本を滅ぼすであろう
自衛隊が、アメリカの中国封じ込めの第1次防衛ラインを担うべく機能させられているのは、指揮権密約で有事の際は、自衛隊がアメリカの指揮下に入ることが定まっているからのこと。だから、富士演習場では、実戦さながらの共同訓練が日常化されているのであり、カリフォルニアの米軍基地内でもイスラム教徒を敵と想定した実戦仕様の合同演習が行われているのである。ここに、海上自衛隊に先んじられた普通科連隊(通常の軍事用語では歩兵連隊を意味する)が参加しているのだ。
中国封じ込めに関しては、この数年の自衛隊基地、レーダー施設、ミサイル部隊配備計画を観ても明らかである。つい数日前、中国の一帯一路政策にコミットすると安倍が発言したのは、既に中国封じ込めの為の既成事実が完全に出来上がったとか、99%まで目途が立ったことの証でしかあるまい。今作はそこまで深読みできる作品である。
残念だったのが、効果音として流される音響が科白が聞き取りにくい程大きい場面が時々あったことだ。
満足度★★★★
今回は、1,2年生の初公演だったのだが、フレッシュな感じが心地よい。(花四つ星)
ネタバレBOX
作・演も無論1,2年生である。或る建物の前を通りかかるとその建物が人々を呼び寄せでもしたように雨脚が急に激しくなり、何人かの男女が雨宿りをする為にこの建物に避難してきた。ところで、建物の中は、壁と言わず床と言わず何やら紙がびっしり表面を覆っていた。良く目を凝らしてみると、それらは脚本を1ページ1ページバラバラにしたものであった。偶々、体が雨で冷えた者が手洗いを探して奥に行くと、奥から1人の男が現れた。皆仰天するが、どうやらここはかつて劇場だった所で、奥から出てきた人は、この劇場のオーナー兼劇作家であった。但し、彼は作品原稿を残さぬ主義主張を持っていた。別にピーター・ブルックやつか こうへいを気取っていた訳ではない。唯、原稿をアップしそれが演じられ楽日が来た後には、作家の周りに集っていた総ての人が1人として居なくなってしまう。その寂しさから逃れようとしているうちに作家は作品を終わらせることが出来なくなってしまったのである。結果、劇場には閑古鳥が鳴くようになり、現在は開店休業状態に立ち至っていたのである。偶々雨宿りに集まった4人は、作家の作品作りに自分達を観察して作品を紡ぐという約束をし作品を完成に導く手伝いをすることになるのだが、無論、そんなに簡単にゆく訳もない。侃々諤々の議論が戦わされ終には作家が手伝ってくれていた人の中から学生時代に演劇部に所属していた女性を人質にとり、皆が劇場を出て作家を1人にしないよう要求する。無論素手ではなく手には刃物を持っている。必至の説得と皆が今後も作家の手助けをし、また劇場にも足を運ぶことを約束して人質は解放されるのだが、人質を解放するに至らせるまでの議論が白熱し最後まで対立軸がぶれない点、若々しい役者陣が背伸びせず、極めて好感できる演技をしている点も良い。
満足度★★★
高級住宅地に住む3姉妹、長女は三十路も半ばに近い。次女は二十代半ば、三女が二十歳である。
ネタバレBOX
長女はプロポーズされたのだが、相手を振ってしまった。親切で優しく、いつも姉を大切にしていることは妹も知っているので、それは、事故で記憶を失くし、目も見えなくなってしまった妹を気遣ってのことだと妹たちは考えているのだが、姉は否定する。
一方、この三姉妹を調査してくれとの依頼が或る女性から一人の女に依頼された。事情は明かされないが、依頼人は、かなり年配の夫人、依頼されたのは二十代の女性である。この女がひょっこり三姉妹の屋敷を訪れることで物語が動き始めるのだが、展開の仕方には新味がない。先行きがすっかり読めてしまうからだ。
ネット上でピアノの生演奏が入るとあったので、あの狭いLe decoにスタンドピアノを入れるのだろうか? 大変だろうなと思っていたら、シンセのようなマシンであった。電子ピアノとでも称するのだろうか? 何れにせよ、音は結構いい音が出ていた。演者の中にも声楽をやっていたな、と思わせる演者が居て音楽的には楽しめたのだが、いかんせん脚本にはドラマツルギーが成立しておらず、冗漫な展開になった。粗筋は、説明しても余り面白くなりそうでないので説明は控える。
満足度★★★★★
舞台は中国崑崙、戦乱の絶えない世の常として難民化した子供たちが、各々の技能を持ちより旅芸人として暮らしていたが、或る公演を観に来ていた女性から、声を掛けられる。
ネタバレBOX
屋敷へ来て、演じてくれないか? との頼みであった。彼らの演じていたのは、胡弓弾きのタオが幼い頃母から聞いた神話やお伽噺をベースにし、脚本化した作品であった。
神話は、どんな国の神話でも為政者の道具である。つまり、為政者が支配する民衆に対し、支配権を正当化する為に拵えた道具である。ホメーロスが描く英雄たちもギリシャの神々の血を受け継いでいる訳だし、ギリシャ神話を受け継いだローマも無論これに倣った。王権神授説なども、この伝だ。日本でも天皇の先祖は神ということになっている。
無論、神等存在しない。神を作り出したのは、ほかならぬ人間である。少し話が逸れた。既に決まった公演もあったので直ぐという訳にはゆかぬが、契約は成立、使いの女性が迎えに来ることになり出掛けた屋敷は、大層立派なものであった。貴人の館だったのである。而もこの館の庭には桃の木が植わっており、この木の実を食べると寿命が千年延びるという貴重なもので、神食とされていた。館の主や東ノ宮、西ノ宮、儀式を受ける資格を持つ年齢に達した後継者らも食すことができた。
西ノ宮継承者、トオヤと仲良くなったのは仲間の一人、そして東ノ宮の姫ユエと仲良くなったタオだったが、西ノ宮家に主を取られてはならぬ、と画策する勢力がトオヤの命を狙っていた。トウヤは暗殺され、実行犯として処刑されてしまう。然し、これは周到に仕組まれた罠であり、真犯人は、もう一人の仲間、からくり人形等を作るのが得意な男であった。而も、彼は東ノ宮側の傍仕えの女官であり、彼女がこの計画を立て実行させた黒幕に通じていたのである。新たに立てられた主は、東ノ宮の姫の実弟、かつてこの地から密かに外の世界へ送り出したトオヤであった。丁度、元服の時期に達していたトオヤは母から件の桃の儀式を授けられ新たな主として祭り上げられることになる。陰謀によって新たな神話が構築された訳だ。
権力者が、嘘によって作り上げられる様を見事に描いた作品。脚本の良さもさること乍ら、演出、演技も舞台美術・衣装も良く、効果も適切である。
満足度★★★★★
尺は約1時間。だが、濃密でスリリング、而もどうにもならない問題に実際対処せねばならない、現実に生きる人という存在のリアルを実に端的に描き切っている。(追記後送)花5つ☆
ネタバレBOX
井保氏が、アクトゲーム用に書き下ろした作品なので、脚本最初の2ページは、お題として別の人が書いた。では、アクトゲームとは? という質問に答えておこう。先ず、何らかのお題が与えられる。お題とは上記の如く最初の2ページである。ゲームに参加していた作家が、その書き出しを自分流に紡いで物語を完成させるというのがゲームなのである。
最後の最後まで対立軸がぶれないことが、演劇の要諦であることを実に深く理解し実現している脚本である。
井保氏は学生時代、病院で受付のバイトをやっていたそうで、その体験を踏まえての作品なのだが、現実に起きるどうしようもない出来事・事態を当にその点に於いて現実的に描いている点が凄い。ラストのジョークで終わらせる手際も見事である。
演出も今回は井保氏がやっているが、役者陣の演技の質も大変優れたものであり、充実した時間を過ごさせて貰った。
満足度★★★★
AsHの作品は、時代考証や伝説を背景として脚本が書かれて居る為、そのような背景が無い場合には、作劇の常道を犠牲にしなければならない場合が出てくる。(追記後送)
ネタバレBOX
作家も悩む所だろうが、今作では、この点が作劇上の弱点となった。
将門の遺児、鬼道丸が足柄山で仲間を守る為に討死した後、その子は、蝦夷の庇護の下、大枝山に逃れた。名を鬼王丸と言う。鬼王丸は、京の都に度々下り、源 満仲の嫡男、頼光と友の契りを交す。
一方、朝廷は藤原北家が勢力を広げ、摂関政治で頂点に立ったのは兼家。将門の乱以降、残党と遺児その血脈、そして彼らを匿う蝦夷を絶とうと機を伺っていた。その目的完遂の為、何の罪咎も無い彼らを、都の腐敗しきった政治の目隠しとして利用し、人間ならざる鬼として敵視、その上自分達の陰謀や欲を実現した際に罪を被せる為、普段から流言飛語を用いて彼らを悪役に仕立て上げ民衆の目をそらし続けていた。
こんな貴族から命令を受け、従わざるを得なかった武士の統領達も、当然のこと乍ら、この事実に気付き心を痛めていたのだが、貴族の政治を覆すだけの力を未だ持ち合わせて居なかった彼らには、取り敢えず、藤原北家に従う他の道は選べなかった。
ところで、命令を下し総ての権力を手に入れ天皇の外戚として実権を恣にする兼家が、権力者の孤独について語ったり、足柄山で鬼道丸と蝦夷の長を討った満仲が、自らの子と同年代の子供を哀れに思い、守り役の蝦夷の民共々落ち延びさせたり、その子頼光が、鬼王丸の友となりながら、また友情と武士の統領としての義に引き裂かれながら鬼王丸・蝦夷討伐軍の統領として出陣、役目を果たすに至る経緯が敵味方の敵愾心に水を差し、ドラマツルギーの対立を弱めてしまう要素を克明に描いたことが芝居を弱くしてしまった。
満足度★★★★
十七戦地の10回目公演ということで、今作は、劇団のメンバー全員が脚本原案を出し、それらを座付き作家の柳井氏が構成して上演台本にするという作り方をしているので、今迄十七戦地を観て来た観客には随分異なったテイストと映る。
ネタバレBOX
然しながら、全体の肝は矢張りしっかりしていて、我々人類の作り出した文明や科学技術と生命の持つ生得的な機能や生理との対比が、今作のコアを為すと判断した。話題となるのは、アマゾン探検、ユーチューブにアップする動画撮影の為のグレートジャーニー顛末記、そしてAIアニマルと野生動物との対比による意味論というラインナップなのだが、この3つの話が緩やかに連関しつつ展開する。グレートジャーニーでは、人間の創った政治というシステムと人間の個人的行動の軋轢なども描かれ、自然の持つシンプルだが、力強く清明な普遍性と人間の編み出した窮屈でひねくれた論理が相克する様が提示されて興味をそそる。
満足度★★★★★
俳小は歴史も実力もある劇団だが、どうも型が決まっていて、自分にはイマイチしっくりこない部分があったのだが、今回の演出がシライケイタ氏だったことで、役者陣の布陣が先ず変わった。キャスティングされた役に見合った役者が演じ、理論で組み固めた演技より自然な演技になっていたように思う。
内容的には民衆の民衆による革命譚と言っても良いような群像劇であるが、戦略・戦術を心得たプロの厳しく、時に非人道的な戦略・戦術にはついてゆけない限界をも提示して見事に民衆反乱の一揆的性格を描いている。絶対お勧めの舞台だ!(追記後送)
花5つ☆
満足度★★★★★
シャーロック・ホームズ物であるから、当然推理物だ。
ネタバレBOX
ワトソンとホームズの掛け合い、そしてホームズの推理の冴えが見所なのは無論だが、今作で感心させられたのは、単に推理の面白さ、見事さだけに終わらず、深く登場人物たちの人間性が描かれていたことである。ワトソン相手に披瀝されるホームズの推理は当に見事そのものだが、当該事件についての、犯人探しは存外容易い。
然しながら、先にも挙げたように今作では人間性の掘り下げが深い。その点で特筆すべきものがあるのだ。
舞台は19世紀ビクトリア女王の時代である。彼女の治世は60年以上に及んだが。その間、有名な切り裂きジャック事件が起こっており、ロンドンは魔窟と化していた。而も管轄の異なるシティーとヤードは、互いに覇権を競い容易に協力し合うことが無かった。為に一度事件を起こした犯人は、管轄の違うエリアに逃げ込めば現行犯逮捕を免れるというような制度的な問題も多発していた。今回、ホームズが引き受けたのは、当にこのような条件下で、この制度を悪用して起こされた事件であった。依頼人は若いお針子さんだ。余談になるが、ココシャネルも元お針子さんであった。まあ、美人であったから、亡命貴族の助けを借りたり、様々な紳士に助けられたりもあり、彼女のデザインセンスと主張の強さもあって、シャネルブランドを立ち上げてのし上がっていった訳だが。一方でフランスを占領したドイツ軍将校とつきあったり、スパイをしたりしたという側面も持つ。
閑話休題、話を元に戻そう。個々のキャラクターに人間的深みを持たせている点についてだが、ホームズが推理の天才でありながら、その論理的思考故に、他人のメンタリティーを顧慮し得ない一種の片輪として描かれていることに始まり、医者でもあるワトソンは一方で可也の銃の使い手であることは、他の作品で描かれているから明らかなのだが、そのワトソンに道化をやらせてみたり、悲劇のヒロイン、イヴのキャラ設定がレミゼラブルのコレットに何処か被ってきたり、とドラマチックな要素がふんだんに含まれているのも良い。何が良いかって、新鮮なのである。こういう演出をしている演出家に拍手を送ると共に、舞台美術も如何にもビクトリア朝の佇まいを感じさせると共に、数々の場転に柔軟に対応し得る数多くの出捌けの作り方も合理的でその上センスが良い。シナリオの展開も安定しつつ自然に、さりとて緩むことなく話を盛り上げてくれる。ある人物の潔癖症は、その人物の傾向を巧みに示唆しているし、腐敗貴族の下司根性と狡猾も上手に織り込んでいる。そして貴族に利用されざるを得ぬ社会福祉活動家の苦悩も。
翻って、トリクルダウンを恰も当然の如くノタマウ現代の資本屋及び彼らに諂う政治屋、官僚、メディア、マッポー、シカゴ派経済学者のうちグローバリゼーションを推進した者たち等下司の赤裸々な姿を重ねてみることも可能である。
ところで、タイトルに入っている彼女とは誰のことか? 観劇後に考えてみるのも、推理物の愉しみの一つだろう。答えは、最後まで観れば分かる仕組みになっている。
満足度★★★★★
実に洒落た作り!(追記後送)
ネタバレBOX
若手アーティストが住むことで知られるIBハウス。ここにサンタクロースが現れ、とんでもないプレゼントを置いていった。とはいえ1年間の約束で預けていっただけなのだが。そのプレゼントとは、生後間もない赤ん坊、付録に育児書迄ついている。条件は、このIBハウスが彼らの所有になり、空いている部屋などには下宿人を入れて家賃をとっても良いこと。但し赤ん坊は4人が責任を持って育てることであった。決して悪い条件ではない。内心子供好きな彼らは引き受けることになった。
満足度★★
ファーストシーンが異様な始まり方をし、開演前に見ていた舞台美術が結構しっかりしていただけに、その後の展開での演出の手際に不満を持った。
ネタバレBOX
リアルを装っているだけで、リアリティーを感じられなかったからだ。TV番組程度であれば、この程度の演出でもOKだろうが舞台でこれはないだろう。というのも、ヒロインの聖美が本当に知恵遅れであるなら、意地の悪いというか、サディストの気のあるシンノスケが命じる結構複雑な言いつけを一度も間違わずに遂行できる訳が無いし、大体、自分の不安定な立場が良く分かっているリアリストのシンノスケが、待遇に不満を持って店を潰そうとしていない限り、厚労省に注意でもされれば、一発で店が潰されるような、不衛生なことを平気でする訳が無い。(聖美の捨てたナプキンがゴミ箱に入っているのを恰も再利用しようとするかのように態々取り出したり、客が捌けた後片づける際にゾンザイに扱ったナプキンスタンドから床に落ちたナプキンをキチンとゴミ箱に捨てなかったり。そもそも、ちょっと気の利くウェイターならナプキンスタンドの外側に指紋のつくような持ち方もしない。)
また、養護施設で育った聖美が、このカフェレストランのオーナーを父として慕っているという設定にも無理がある。というのも、知恵遅れではあっても、聖美の感受性は鋭い。そのデリケートな子が、こんなに身勝手でエゴイスティックなオーナーを慕うハズが無いのである。もうちょっと作家も演出家も人間観察を必要としよう。マスターの余りにも身勝手なキャラクター設定が露わになってしまうことで、観客をして観察眼ばかりを鋭敏化させてしまう。作品が背理をその目的として作られているならいざ知らず(説明文を読んでいる限りではそれはありそうにない)順当な路線を狙っているのなら、これは失敗作と言えよう。
満足度★★★★★
Aを拝見。
ネタバレBOX
物語は若くして白血病を発症した娘と母が専門病院を訪れ20代前半で骨髄性白血病と診断され余命半年を告げられる所から始まる。
おかしなもので、人間、死を突き付けられるまで案外そのことを自分の問題として意識しないものだ。娘は、何故自分が、この年で? と不合理に思い、理不尽だとの感覚を抱く。放っておけば余命は半年、化学療法を受ければ延びる可能性はあるという。母は1日でも長く娘に生きていて欲しい。その為には何でもする覚悟であった。一方、癌や血液の癌と呼ばれる白血病の治療は、かなり副作用も出、厳しいものであることは周知の事実。毎日の検査や点滴、延々と続く化学治療の耐え難さと、何の為に辛い思いを堪えて生き延びているのかが分からなくなれば、その生は単に生きているだけということになってしまう。悩んだ母子は、ホスピス、ひまわりに転院することになった。
院長はやはり元癌治療の専門医として病院に勤務していたが、病院の技術的なケア中心の医療に限界を感じてこのホスピス・ひまわりを立ち上げた人であった。そのモットーは、患者が命を終えるその日まで、その人らしく納得づくの人生を全うする為の応援団長であること。その為に真っ直ぐに患者に向き合い、患者がヴィヴィッドに生きられるようホスピス内でかなりの自由を与えていた。治療法も薬物療法や放射線治療よりも、傷みが出た時の緩和等が主であり、生きている間、患者自身が納得できる生活を送れるよう応援するというスタイルである。つまり死を前にした患者たちの心理サポート、患者同士の人間関係構築などに重点が置かれていた。
入所患者の中には、世界中を笑いで一杯にしたいと夢見る芸人、ゲイ、大きなヤクザ組織の組長、オミズらしき女、自閉気味の女などが居り、ホスピスサイドには、院長以下、看護師、ボランティアスタッフ等が居る。
ゲイの患者は、2人居たが白眼視され続けて来た者同士当然仲が良い。その片割れが先に逝ってしまった。残された方のダメージは深刻である。この辺りの脚本の書き方、演者の表現も実に深い。更に、お笑い芸人だった患者は、看護師や医師の制止も聞かず院外に出ては酒を飲んでいたのだが、新しく入った件の娘と恋仲になる。この二人の恋の場面も素晴らしい。互いに体を壊している身だから、恋はプラトニックなものだが、それだけに純粋で、互いを思う気持ちの強さが嫌も応も無く観客に迫り涙を誘う。今作のタイトルもこの恋人たちの科白から採られている。
上演台本を拝見した訳ではないが、かなりゆったりと書かれた台本のように思える。が、伏線の敷き方、肝心な所での演出の見事さ、何よりも根底に流れる人間としての温かさが素晴らしい。脚本、演出の良さのみならず、無論、役者さんたちの演技も素晴らしい。和興さん、村手さんは無論のこと、恋人役の二人末岡さんと中村さんらも胸に沁みる演技をしてくれた。他の役者さんたちも皆、自然体でレベルの高い演技である。
満足度★★★★★
お寺でポンというし喜劇だと思っていたから狸が出てくるのかと思いきや、笑わせてはくれるが存外シリアスで、中々に人生の深みを描いた作品であった。
ネタバレBOX
寺の名が”ほうかいざんきょうらくいんてんぷくじ”というのだが、どんな漢字を書くか分かるだろうか? 正解はネタバレに記すが“ほうかいざん”だけは舞台美術で描かれているので舞台を観た人は間違うまい。が、崩壊山とも聞こえる。従って他も推して知るべし、で想像してみてからネタバレに行って欲しい。
非常にしっかり舞台も作り込まれていて寺の雰囲気が良く出ており、坊さん役は皆坊主頭にしている気合の入れ様も評価されるべきだろう。驚くのはこればかりではない。「おにゃんこ」というグループが歌ったという「セーラー服を脱がさないで」という歌に合わせて坊さん役と女子出演者が踊るのである。これは実際見ものであった! このような結構派手はパフォーマンスが何か所か取り入れられて楽しませてくれる他、生きる意味も分からないような仕事をあくせくやっているサラリーマンの深い脱力感や絶望が描かれたりと内容も深浅取り混ぜて幅広い。
一方、普段極めて高貴と見られている人物が、実は結構なクワセモノで、そう見えていたのは単にエクスキューズが上手いのと、それが法理に恰も適った行いであるかのように見せかけていただけだったとの顛末も描かれていたりと、神も仏もあるものか!? と嘆きを入れたくなるような展開の中で、一種の人間哲学の如き落としどころを檀家総代であるシメ婆さんに語らせる件りなど恰も観音の慈悲の如き冥見。
未完成な人間だからこそ、他人も己も等しく笑って暮らせる世が良い、とこれは立派な悟りの境地と言えよう。掛かるが故にシメは己の勤めを果たして旅立ったのであり、真面目だが、それ故に己にも他人にも厳しかった法名オモチン。出家修行応募の縁で法開山竟楽院天福寺に来、この法名を得たオモダカが還俗することにも繋がった訳である。
満足度★★★★★
今作はコメディーだ。そして良質のコメディーは、その作劇の意識が頗る理性的だ。今作の可笑しさに秘められた寓意と辛辣極まる批評を何処まで見通すか。これが観客としての最大の楽しみ。(深読みなどは別稿にて)
ネタバレBOX
下手客席側のコーナーには何らかの通信機器 上手壁際に電話 手前客席側には、椅子などでバリケードが組んであり、奥にはみずやがある。尚、兵士は中央に国境を示す棒が置かれ、この国境線を挟んで対峙する形、常に相手に銃を向けて観客には訳の分からない言葉を用いて喚き散らしているが、彼ら同士でも互いに理解できているのか否かは定かでない。但し、同一言語のようにも聞こえる。同一言語であるにも拘らず彼ら同士で意思疎通ができないのだとすると原因は、思想の違い、或いは解釈の違いなど思考の違いから来ていると思われる。
何れにせよ今作には、二つの戦争シーンがあり、その各々は繋がっている訳ではない。メインストリームはあくまでお茶の間で展開する。このお茶の間戦争は、実際に武器を取って戦う実戦であり、TVの視聴率争いではないことを断っておく。で、この戦争の発端が何であったか? という当然の質問には、劇中の科白から答えておこう。川を挟んで東部と西部では経済格差が大きかった。西側は貧しく東側に不満を募らせていたのだが、遂に業を煮やして新たな政権を発足、東側に対抗した。格差是正を求める戦いは、終に戦端を開くに至り現在迄7年の間戦争が続いているという訳だ。舞台となるのは、東側の最前線に位置する一家の茶の間である。この家には夫婦の他に長男と二人の娘(17歳と10歳)が居て家族全員が戦闘員でもある。つまり長男は13歳から長女は10歳からそして末っ子は3歳から銃火器の中で暮らし、遊びも総て軍事的色彩を帯びたものであった為、現在では普通の生活がどのようなものであったか、良く覚えていない。殊に戦争開始時小学生だった長女や幼女だった末っ子に至っては、戦争体験以外の記憶は殆ど無いのである。つまり戦争状態が彼女らの自然状態だということだ。
このことの意味することを良く考えて欲しい。今作は作・演出が同じ人である。そしてこの作演が為したことは、批評である。演劇作品によって他の演劇作品を批評したのである。丁度、セルバンテスがドンキホーテを書いてそれ以前の騎士道作品を批評したように。このように最高の褒め言葉を用いたのは、今作の批評がそれだけ鋭いからだ。
今その鋭さの内実は明かさないが、是非、劇場で確かめて欲しい。
満足度★★★★
寂し部ファイナル、ということもあって敢えて明るい作り。スラップスティックな手法が利いている。(追記2017.12.8 1:33)
ネタバレBOX
かぐや姫、人魚姫、眠れる森の美女、シンデレラなど5人の姫が、王子を追う、という設定で展開することになる。寂し部恒例の、遅筆・柳にまたしても難題が降りかかった! 次回演目のヒロインがドタキャン、公演が危うくなったのである。代役を立てるにしろ、柳の仕事ぶりを知っている劇団員は、気が気ではない。早速、代役手配に掛かるが唯一OKをくれた女優の所属事務所からは条件が付いた。1週間以内に脚本を先方に渡すという条件である。当然、柳は缶詰に。だが、いつもの伝で柳は自由が無いと書けない。それで缶詰の見張りの目を盗んでまんまと脱走に成功、飲みにゆくが。
王子らしき登場人物が独りしか居ない作品に登場させられた姫たちの競争は熾烈である。王子と結ばれなければ自分達の生きている意味は無いとの固定観念に縛られた姫たちはあの手この手を用いで王子を探し、アタックを掛ける。その争奪戦の凄まじいこと!
而も物語の登場人物の中に王子的人物が独りしかおらず、作家を拉致って王子の数を増やせば良い、ということにメタ視点で気付いてしまった姫たちは、柳を拉致、締切迄唯でさえ時間が無い作中では現実世界の寂し部スタッフを大慌ての大騒動に走らせる。この辺りの事情も当然スラップスティックに描かれて、矛盾も深く追求されぬようスピーディーな動きとスラップスティックな手法で乗り切り、寂し部ファイナル公演の淋しさをまぎれさせてくれる。最後の最後には、姫たちも、自分の存在の求める者を連れ合いにするば良いことに気付き、メデタシ、メデタシということになるのだが、この過程を楽しみたい。
満足度★★★★
序破急の内、破までは帰ろうか? と自問する程、陳腐な展開。尤も下らないギャグや女子の子供っぽい振りをしたじゃれ合いの中に若い女性が笑えるよういなネタは仕込んである。いずれにせよ急に入った途端、総ての意味が明らかになってくるので途中までの冗漫は一種のカモフラージュ及び状況の深刻さを際立たせる為の対比と解釈しよう。(追記2017.12.8 01:40)
ネタバレBOX
何れにせよ、多くの観客が理解不能な作品ではないだろうか? 問題は主人公の朱音が多重人格者であることに気付くか否かなのである。これに気付けば問題は氷解する。舞台は、学内の余り誰も寄りつかない場所か、彼女のクラスで展開する。そのクラスで消える人々がある謎や風紀委員が矢鱈登場する謎、そして茜の親友であり、優等生、スポーツ万能の真白が担任教師と不倫関係にあり而も彼に貢ぐ為にウリをしているという不可解にも解が得られるのである。
クラスで消える人々の謎は簡単であろう。総てが、朱音の別人格だからだ。だから、彼女を守る男子は、彼女と性的関係も無いのに、彼女が常に隠していたリストカットの傷を知っている訳だし、彼女を守る盾として女性より膂力の強い男性なのである。また真白がウリをしているのは、彼女の女性の武器である肉体を売って男に貢ぐという汚れ役を代替わりすることによって朱音を守って居る存在なのであり、更に深読みすれば、大人と権威の象徴として描かれている教師自体がもう独りの朱音の分身である。そうであることによって朱音の内部に社会が完成し、分裂体としての自己の安定性を得るからだ。
これらの代償行為(自己欺瞞)を指弾するのが風紀委員たちである。これも簡単に理解できよう。従って彼らも実際に存在してはいない。
さて、基本的な種明しはした。ラストをどう解釈するか? それは各々で考えて頂きたい。
満足度★★★★★
衣擦れの音一つに、こちらの神経がピリリと反応する。そんな舞台だ。約55分と尺は短い。然し、実に濃密な時空を体験した。(花5つ☆)
ネタバレBOX
役者の演技は無論のこと、緊張感を持続させる演出、上演場所である古民家の風情、しっかり練られた脚本等、何れも素晴らしい。
時は昭和初期、東北の寒村を思わせる小作農の家。妻・栄が人形を持って部屋に入ってくるが、子守唄のようなものを口ずさんでいる。と鋏を取り出し居もしない子の名を呼びながら、人形の首を切り落とす。その後、腹を裂き、中から内臓を取り出すという異様な導入部である。
良く観ると暗がりの中たった1つの裸電球に照らされて、障子には何かの札が貼ってある。やがて野良仕事を終えた入り婿の夫・耕六が帰宅するが、食べる物も碌にないこと、妻の父・善次郎が病で臥せっていることなどが、徐々に明らかになる。
居もしない子供の名を呼び、幻影と遊ぶ妻は、子を失くしたショックでおかしくなっている。而もその有様が並大抵のことではない。妻の幼馴染・礼子が、立ち寄っては何かと助けてくれるのだが、村の掟に縛られ地主には逆らえないという弱点も持つ。即ち貧乏籤は常に小作が引くという不条理が成立しており、余所から婿入りしてきた耕六には不合理極まりのない掟に映る。耕六の持ち出す逃散には、栄も善次郎も応じない。貧乏が嵩じてニッチもサッチも行かなくなっているのに、この地に留まり亡くなった子・三千夫のことは忘れて、新たに子を設けろと善次郎は言うのである。
こんな状況下、耕六は栄を道連れに無理心中を図るが果たせずに終わる。
閑話休題。初日が終わったばかりなので、これ以上のネタバレは控えておく。代わりと言っては何だが、ヒントを書いておこう。こけしという人形は誰でも知っていよう。ところで、この人形の名は何故ひらかな表記なのか? 漢字で表すとヤバイ事実が明らかになってしまうからではないのか? 因みに漢字では子消しと書くのではないか? 即ち間引きという歴史的現実を背景に親が自ら殺めた子の魂を弔い、自らの罪を忘れることの無いよう刻んだのが子消しの発祥ではなかったか? ということである。
今作の抱えている歴史的闇は更に深いのだが、このヒントから、読者は何かを想像して欲しい。