ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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跡 2018

跡 2018

世田谷シルク

BUKATSUDO (横浜市西区みなとみらい2-2-1 ランドマークプラザ B1F)(神奈川県)

2018/02/13 (火) ~ 2018/02/15 (木)公演終了

満足度★★★★

 殆ど科白のない舞台公演だ。

ネタバレBOX

科白はオープニングで東女人物がポリフォニックに己に起きた事柄を語るシーンのみである。その後は、終演までの総ての時間、影絵、身体パフォーマンス、音響効果、照明で綴られる。科白が無いから、当然、複雑な事象を表現することは端からできない。このような形式を選んだのは、字幕を読む煩瑣な事象を避ける為だと言うが、創作者たちは、最終的に演劇を選んでいるのかパフォーマンスを選びたいのかに関わる選択なので己の実存を掛けて先ずはやること、目指す方向を今の内に決めておいた方が良い。言うまでもなく創作の世界は才能の弱肉強食の世界である。今更言うまでもないこのようなことを俎上に載せざるを得ないのは、表現の可能性を自ら狭めているように思うからである。
 演劇関係で多くの実験をやった人の中で一般人の間で寺山 修司ほど著名になった人は、この数十年で彼一人だろう。彼は、基本を演劇と映画に置いていたように思う。そしてその可能性を引き出し得た人だったからこそ、これだけ知られており、ファンも多いのだろう。作品も古典的手法を駆使したものから、シュールレアリスティックな手法を用いた物、常識外れの発想によって既成概念を震撼させたものなど強いインパクトを与えるものが多かったが、その根底には、ロートレアモンを彷彿とさせるようなラディカルな情念が蜷局を巻いていると感じさせ、見る者を誑かす計算と醒めた目が働いていた。それが、彼をして人間性の内に潜むダークなもの・ことを表現に高める契機を与えたのであろう。
 然しながら、今作の作家にはそのような深みを予め感じない。このような立ち位置からでは、センスの良さで勝負する他あるまい。あとは、子供のイマジネイションを刺激し共に楽しむ世界であろう。作品を拝見すると、当初の予想が一切外れなかった点が気に掛かった。海外とのコラボを容易にする側面がある反面、以上のような懸念を払拭できるだけのスタンスを確保するなり、何をどのように目指して表現してゆくのかを若いうちに考えておくことも有益であろう。初めて行った会場の作りは建築としても一時流行った配管などが露出し、天井裏丸見えの様式で、このような作品にはお似合いのスペースだったし、色調ベースが白で統一される中、椅子と机ばかりが塗料を塗らない生の味を活かしたものであり、衣装も一部ナマハゲをアレンジしたような古層が飛び出すなど面白いのだが、これらの要素総てが各々抽象的であり、観客の理性に訴えても感情や情念の深い所には作用しない。おまけに脚本そのものが、総ての要素を集約させ、カオティックになった世界から本質を取り出すような作業を一切目指していないので、後々残るものが無い。今後長く創作活動を続けるのであれば、こういった事柄にもコミットしておかなければ、世界に一時出ても残ってゆけない懸念が残る。
沈黙の音

沈黙の音

演劇企画アクタージュ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2018/02/15 (木) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 初めに、タイトルに含まれる矛盾に興味を惹かれた。

ネタバレBOX

作品の内容を拝見してこの矛盾に合点がいった。実際、埴輪雄高ではないが”不合理故にわれ信ずという態度は、表現することを職業としない人々が犯すことの多いミスや、表現する者に於いても拘りが強すぎて本人が矛盾に気付かず表現してしまうこともあろうし、現実自体が矛盾に満ち満ちているから、それをそのまま形にしてしまうと、正確ゆえに矛盾するという事態が起こる。このように矛盾は、真を求める者にとっては題材の宝庫なのである。今作は、先ずこの点に着目して入っていることからして、力のある作品である。
 初日が終わったばかりなので、サスペンスの内容について余り細かいことはここでは記さないが、二転三転どころではなく容疑が次々に湧き、その一々が追及される構造になっているので緊迫感が途切れず楽しめる。
 尺も80分程度で良く纏まっている他、ラストに掛かる歌がSound of silenceでタイトルと呼応している点も洒落ている。
葵上~源氏物語より~

葵上~源氏物語より~

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2018/02/14 (水) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 年一度の公演を続ける金の蜥蜴の本年度公演だ。生の和楽器演奏が入り、舞台を盛り上げてくれるが衣装も豪華である。演劇用の特別仕立てのものもあるが、形は正絹の十二単である。目方もかなりのものだ。ものの本によるとあの時代、女御、更衣らの着ていた十二単の重さは十四、五キロあったという。当然のことながらそんな重い着物を着て何時も姿勢を正して居た訳ではなく、プライベートな時間には寝そべったりしていることが普通だったという。

ネタバレBOX


 何れにせよ、今とは相当異なる意識を持った時代であったことも事実である。出掛ける時に方位を気にしてみたり、もののけを恐れたりなどという感覚は現代人には殆どあるまい。どだい闇の消された時代に生きている我々にとって深い闇の体験を持つ者は極めて少なかろうし。夜の闇の中、山歩きをした経験を持つ者などほぼ絶無だろうから。
だが、今作を観る者は、このような闇が例え貴族という上流階級にも日常であったことに思いを馳せなければならない。ま、一般教養として源氏物語を読んでいるのは当たり前のことだから、内容をくだくだしく説明することはしない。今作でも葵上と六条御息所の関係及び源氏が真に心を惹かれていた実母桐壷に生き写しの藤壺との関係については、原作通りキチンと押さえられているし、賀茂の祭りでの牛車の事件なども上手に表現されているばかりではない。生霊となって葵を恨み夜毎現れて苛んでいたものの、殺すには至らなかったものが、呪い殺すに至る決定的経緯がこの事件だから、極めてドラスティックに描かれている。このくだりで能の手法と身体的挙措が用いられているのは無論偶然ではない。能で用いられる音響も含め、ワキ、シテ、ツレなどの役割や、その描く世界があの世とこの世の対比であることや、物狂いの世界であることと密接に関連しているのだ。
 無論、式部の描いた源氏物語の本質、即ち人間存在の不如意と女性・男性の本質、人として在ることの寄る辺なさ故の哀しみと孤独、そして恋に身を焦がす業の深さと己の業の深さを断じようとする人としての意識の葛藤を、極めて端的にそして煌びやかに表現している。場面、場面に応じて演奏される篠笛の音、鼓の音や発声の素晴らしさも劇にのめり込ませてくれる。
『タバコの害について』ほか1篇

『タバコの害について』ほか1篇

劇団夢現舎

新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)

2018/02/13 (火) ~ 2018/02/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 これだけの難物を見事な舞台に昇華している。華5つ☆

ネタバレBOX

 チェーホフが晩年迄の16年間に何度も推敲を重ねた作品「タバコの害について」を見事に、そして忠実に、而も当意即妙に立体化し得た舞台だ。換言すれば人生そのものの精緻で正確であるのみならず、的確な見取り図である。夫と妻という社会的・人間的そして獣的相互関係は、同時に知的・生理的・社会的・文化的敵対関係を包摂しつつ、同居する。生活という自由を蝕む不気味と共時的に。目には見えず、音も立てずに忍びより、あくび一つで世界を丸ごと呑む。この恐るべき侵食を講演という形を採ることによって顕現させ、その内実を脱線させることで、子を為させ家庭という牢獄に夫を縛りつけようとする妻という存在の本質が夫に求めさせるAnywhere out of the world.を描いている訳だ。無論、こんな男女のどのような組み合わせにも等しく襲い掛かる老いについても、この作品は、見事で全く余計な要素のない筆致を用いて描いている。
 極めて深く、微妙で本質的なこの難物を見事に読み込なし、味付けして提示した今回の舞台。ほろ苦い大人の、切実で深い本音を紡いで見事である。演じた益田 喜晴さんの作品解釈の見事さに裏付けられた演技の深さ、表現技術の素晴らしさも見所である。
 チェーホフの「タバコの害について」は、1902年の作品だが、夢現舎の「たばこの害について」は2018年の作であり、煙草に漢字を当てていないのは、外国人であるチェーホフ作と夢現舎作を一目で見分ける為であろう。公演では、第一部で夢現舎のオリジナル作品「黄金時代(仮)」から一部抜粋し今公演の為に短編に改編された2018年作が使われている。(最終行、当パンをほぼ踏襲して作成)
 因みにたばこ平仮名版では、男女の関係のうち男はアートと作品化する為の自由を得ているのに対し、同居女性は、彼の世話を焼き、身の周りのことを総てこなしている生活に縛られているのに、妻にもなっていないことから来るストレスを抱えており、このことを対立軸として芸術と芸術家、そして生活が、彼らが浴槽で飼っている獰猛極まる魚と捉えられているが、実はかなり臆病なピラニアに仮託されつつ描かれ、本編の前座という構成で本編とは対比される内容になっている点は流石である。而も本編は一人芝居であるのに対し、こちらは二人で演じられ、子供が本編では女の子ばかり7人居るのに対しこちらは零である点も興味深い。このように全体として対立軸を用いる構成も演劇的であり的確である。無論、本編にも出演する益田さんの相手役をしている三輪 穂奈美さんの演技もグー。
旗裏縁-本能寺異聞-

旗裏縁-本能寺異聞-

ThreeQuarter

萬劇場(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★★★

 「敵は本能寺にあり」今更言うまでもない、明智光秀謀反の号令として知られるフレーズだが、今作通常の歴史的解釈とは異なる解釈で成立している。ちょっと尺は長く140分程度と当初言われたのだが実際には150分超。

ネタバレBOX

だが一瞬も集中を途切れさせることのない舞台になっていたのは、脚本が良く練られていることと、主要登場人物に対して我々が何となく抱いているイメージを作品内の登場人物に上手く重ね合わせて不自然な感じを持たせないこと、役者陣が基礎をキチンとこなしていることが伝わる演技・滑舌の良さに加え、登場人物が26名と非常に多いにも関わらず、各々の動きをキチンと計算して配剤した演出の上手さ、音響効果を充分に考慮しつつ観客を引き込む技術の巧み、照明とのコラボ他、脚本自体がセンチメンタリズムを排することで戦さの酷さをキチンと最後まで過不足なく伝え得ていることが大きい。
 実際にはどのように各登場人物を造形していたかについて、具体例を挙げておこう。信長の性格については極めて合理的で奔放、進取の気に富むというイメージがあると思うが、これを天下布武をその合目的性とし、戦世を終わらせる為に頂点に立った人間として描くと同時に、極めて優れた想像力と聡明な頭脳により他人の気持ち、行動を的確に予測した上で行動する人物として描かれ、而も権威だの伝統だのが非合理的であれば歯牙にもかけぬ人物として描かれる。
 また、油断のならぬ信長を相手に間者を用いて、天下布武をサポートしつつ、己の目指した世界の実現へ着々と歩を進めてゆく秀吉の抜け目のなさ、耐えに耐え、義に殉じ武士としての価値観の下に自己実現を図ったしたたかな家康、知的で家柄も良いのだが、愚直な郷土愛を大切にするが故に乱世の価値観を根底では容認しえぬ優しい側面を持ち、かかるが故に戦の酷さを容認し得ぬ光秀といった具合である。
 無論、他の登場人物それぞれがキャラの立った科白で脚本化されると同時に演じられていることから分かるように、演出の力、演技力も並大抵ではない。
 またこの小屋、劇場前方の席には段差が無いので、後列に腰かけた観客は見切れが起きやすいことを踏まえ、殺陣の多い作品で役者達には足腰に負担が掛かって大変なのだが、舞台中央から上手にかけて階段を付け、上がり切った所を踊り場にして観客から舞台が観易いように配慮してあるばかりでなく、小道具の使い方もグー。タイトルにも大いに関係してくる各武将の旗が、象徴的に軍の動きを示したり、どの武将が、どのようにプロットに関わっているのかを無駄なく表現していた。裏回りのスタッフたちの対応も優れたものであった。
 

必殺!道化危好~ジョーカーキッス~

必殺!道化危好~ジョーカーキッス~

劇団零色

新宿スターフィールド(東京都)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★

 寄合がセリに掛けるのは依頼された件、仕事の依頼は基本的に殺人である。

ネタバレBOX

これを殺し屋達が落札して、各々の件を片付ける。但しセリの形は通常とは逆で、最も高い値が最初に付けられ、その値を下げてゆくことで成立している。当然利益は薄く下手を打てば赤字、而も内容を一旦見てキャンセルをすれば組織によって始末される。これがお約束である。
 ところで、腕っこき4人の殺し屋集団・カゲロウはこれまでしくじりもなく、組織からも他の殺し屋グループからも一目置かれる存在。現在のメンバーは4人だが8年前には5人だった。リーダーが消えていたのだ。現在、その経緯を知っているのは、ショウだけである。だが、彼は実際何が起こったのかを、語ろうとしない。
 リーダーの失踪を巡る謎解きをメインストリームとし、サブにビジュアル系ガールズエアバンド・堕★天使’sを巡る因果を軸に展開する。恋が絡み、母子家庭問題が絡んで物語は展開する訳だ。
 今回が6回目の本公演であるが、メンバーが皆若いことからくる経験不足、即ち基礎力の不足からくる演技自体のイマイチ感。脚本が受けを狙って本筋に太く強い背骨を描けていないこと及びショウが8年間も真実を明かせなかった理由が、描かれた程度のことだというのは理由として弱すぎるという印象を持たざるを得なかったのは、描き方にも問題がある。夾雑物が多すぎるのだ。文章を書くとは、余分なものを削ることでもある。また秘密裡に人を消すことがプロの条件であるハズの殺し屋達が、サイレンサーを付けない銃を発砲するなどあり得ない。この点を見逃す演出の甘さは拭えない。一人だけ役をこなしている役者(カゲロウ・スナイパー役)が居たが、他の役者は、己の明確なヴィジョンを持った上で、役を創り表現しているとは思えなかった。良い役者というものは、板についた時点で、その佇まいを通して人間が生きて在ること、観客に役の持つ位置・意味あいを悟らせるものである。まだまだ若い人ばかりの劇団なので、今後しっかり力をつけ、良い舞台を作って欲しい。現状ではまだお勧めできるというほどの力を持っていないが、熱気は伝わってきたので頑張って欲しい。
音楽劇 やくそく

音楽劇 やくそく

心魂プロジェクト

横浜ラポールシアター(神奈川県)

2018/02/10 (土) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 グループ名は“こころだま”と読む。()花4つ☆

ネタバレBOX

立ち上げたのは宣教師の息子として生まれ、脱サラの後四季に属しミュージカル俳優として舞台に上がった後2013年末に退団、このプロジェクトを立ち上げた主人と、宝塚の男性役を務めた後、四季に移り今は奥さんになって共同代表を務めるお二人。成り立ちがこのような経緯を辿ったので、メンバーの殆どが四季出身の実力派揃いだ。国内各地の病院や、出掛けられない方の所へ出向いての公演を行っている他、台湾やビルマなどの病院を訪れて公演をしてきた。流石に各々の才能は大したものであるが、その才能を表へ出たくても出られない難病を抱えている方々の為に用い続けている姿勢の高さと覚悟、また心遣いに優れたものがある。財政規模が乏しいことからくる備品などの不十分を、創意工夫で埋めようとしてはいるものの、劇場で演ずるにはやや地味ではある。
いずこをはかと

いずこをはかと

PocketSheepS

TACCS1179(東京都)

2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 先ず、タイトルから解説しておく方が親切だろう。劇中でも神父がキチンとした説明をしてくれるが、元々10世紀前半に書かれたといわれる「伊勢物語」の一節“いづかたに求め行かむと門に出でてと見かう見けれどいづこをはか(り)とも覚えざりければ”から採られている。古い本なので()で示したようにヴァリアントがある。句読点は当時用いられなかったから、そのままにしてある。脚本と演技は☆5つ、舞台美術にもう少し工夫が欲しい。花4つ☆(追記2018.2.14)

ネタバレBOX

 閑話休題、内容の要約は、不如意な生まれと感じざるを得ない家に生まれてしまった令嬢・瑠璃は、中堅の武士であった先祖が何とか出世したいと望み、殿に宝物を献上したことが原因で、生涯座敷牢同然の部屋住みを強いられる宿命から自由を強く望む娘に育った。武士が入手した宝とは、金色に光る蛙であった。献上された殿はこの宝物をいたく気に入り、家宝として大切にするよう家臣に命じ、命を請けた家臣は、生きたまま蛙を桐箱に収め、宝物殿の奥にしまい込んでしまった。当然、金色に光輝く蛙は死に、齢三百歳を超え、妖術を用いるまでになったその母の大ガマガエルは、復讐の念に燃え、娘である金色の蛙を生け捕り出世の為に殿に献上することで命を奪うことになった令嬢の先祖に呪いを掛けた。もし、娘が外に出れば、この世で最も酷い呪いを彼女は周囲にふりまくことになる、という呪いであった。以降、この家の当主は長女を屋敷内に閉じ込め一生飼い殺しにするという家訓を守ってきた。この話が原点である。
 要は子は生まれる時代、家、両親を選べないという不如意を背負って誕生するという事実に迄敷衍できる。そして、幽閉が自由を命懸けで求める契機となることも。更にこの呪いをパンドラの函に掛けたことが、今作をより普遍的なものに繋げる縁となって居ることにも注意を向けたい。
 さて、この物語のもう一つの動力、それは互いに生まれて初の親友を持つに至った女掏り・珊瑚である。彼女は仲間2人と共に子供の頃、女掏りの親分・銀子に拾われ育てられた。つまり孤児と考えてよかろう。(捨て子かも知れないし、両親共に亡くなっているのかも知れない、その辺りはこちらで解釈する他ない。何れにせよ育ててくれる大人は居なかったから今流に言えばストリートチルドレンである)幸か不幸か、銀子は彼ら3人(珊瑚、鷹彦、虎次)を一人前の掏りに育て上げることで将来独立させる他、生きてゆく為の方法を教えることができなかったせいで厳しい管理体制を敷き、3人の自由を奪っていた。無論、上納金も含めてである。その所為で珊瑚も自由に対する強い憧れを持っていたのである。
 偶々、縄張りで荒稼ぎをし過ぎたせいで、取り締まりが厳しくなり上がりが乏しくなっていたこともあり、大店を襲って大金をせしめ、銀子に上納金を払って尚自分達3人が生きてゆけるだけの金を稼いで自由になろうと三人が衆議一決した時、忍び込んだのが、今では財閥となった瑠璃の実家であった。宝とは金銀財宝と思っていたのに、この家第一の宝とは瑠璃であった。その財宝自身が「自分を奪ってくれ」と言い出したからたまらない。自由を望む強い気持ちで相通じた二人は、座敷を飛び出し、冒険の旅に出るが、既に年頃となっていた瑠璃には父が決めた婚約者が在り、倒産寸前の会社を助ける為の政略結婚をさせられることになる彼は、瑠璃の夫になることでこの家の資産総てを乗っ取ろうと企んでいたのである。彼は、無論この計画を最後の最後まで明かさないので、この話に纏わる展開も一波乱あって実に面白いのだ。瑠璃の父も単に家を護る為の鉄面皮ではなく、実に人間味のある男であることもキチンと描き込まれている。
 一方、舞台美術には、もう少し工夫が欲しかった。脚本、演技は高いレベルであったが、舞台美術及び舞台監督、演出には、もう少し物語と美術の相関を詰めて欲しかった。教会は祭壇を設けてもっと小さいスペースで済ますとか、下手奥に2階を設けそこを掏りたちの溜まり場にするとか、費用的にきつければ幕や布で書割を工夫するとか。そうすれば、観客はもっと自由に想像力の翼を広げられるように思う。脚本と演技が良いだけに、この点は残念であった。

富士美町の朝日荘

富士美町の朝日荘

劇団サラリーマンチュウニ

上野ストアハウス(東京都)

2018/02/08 (木) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 今回は、来年十周年を迎えるサラリーマンチュウニの第3回番外公演である。ということで今回の演目は劇団外からも劇作家を招いてのオムニバス形式。大枠のコンセプトは訳アリ物件。但しロケーションと環境には恵まれた物件であり、名を富士美町の“朝日荘”と言う。(花4つ☆)

ネタバレBOX


 ところで何気に聞こえる今作のタイトルだが、ここにも工夫があるのは流石である。富士美の「み」は“見る”の“見”では無く“美”であり、“朝日荘”の名からは、名曲「朝日のあたる家」が想起されるではないか! 内容は、このアパートに起こる奇々怪々を巡る6篇だ。
 一応作品名を挙げておくと1「歪みの向こうから」2「訳アリ物件の幽子さん」3「ぜ・く・し・い」4「物件No.48 誰か居る」5「生活音が聞こえる部屋」6「雨降る晩に」エピローグである。感心するのは、どの作品も捻りがあること。エピローグも洒落ている。エピローグへ向かう6人の脚本・各々の、特性を活かすと同時に上手く配剤している総合演出のバランス感覚の良さも光る。
 自分が最も気に入ったのは第6話だったが、先にも述べたようにそれぞれ捻りのきいた作品群である。
 ただ、6話に自分が感心したのは短編の中に演劇に必要な総ての要素が巧みに取り入れられ、物語の展開も非常に自然でありながら、人と人とが出遭うことの不如意から始まって、その必然性へともつれさせ、不合理でありながら、訳アリ物件というシチュエイションに登場するならうってつけのキャラを設定することで、在り得ない世界と我らの生きる世界を繋ぐと共に、不自然同士の間柄に誤解を埋め込むことで、人間的な普遍性を獲得している上にどんでん返し迄用意されて、完成度の高さをいやが上にも見せつける作品であった点である。
 楽日には、席が未だかなりあると言う。各自ネットで残席を確認の上、是非観て欲しい作品群である。
「マーニ ~その隠された人生~」再演

「マーニ ~その隠された人生~」再演

SPPTテエイパーズハウス

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/02/07 (水) ~ 2018/02/11 (日)公演終了

満足度★★★

Aキャストを拝見。

ネタバレBOX


 実在したゴーストシンガー、マーニ・ニクソンの物語。女優としてデビューしたハズが、並外れた歌の上手さ故に「王様と私」のデボラ・カー、「ウェストサイドストーリー」のナタリー・ウッドそして「マイフェアレディー」のオードリー・ヘップバーンのゴーストシンガーを務めた。然し、エンドロールに彼女の名が載ることはないまま長い下積みを余儀なくされた。後デボラ・カーやナタリー・ウッドの証言により表舞台に立つことになったそうである。(以上当パンを参考にした)尚当パンラストページ中ほどに誤字がある。行進ではなく後進が正しい。尚、当パンに書かれている史実と実際今回演じられる出演者の役名・役割が史実と若干異なるのは、無論のことである。(念の為)
 この劇団随分公演を打っているようだが、どこか間が抜けている。本日の公演も序盤、演技のヴィジョンを各々の役者がキチンと掴んでいないのが原因で、間の取り方がなっていない。おまけにアメリカ人を装う仕草がわざとらしくげんなりしてしまった。もっと演出もダメ出しをキッチリやって欲しい。演技で気に入ったのはエド役、ビル役、オルドリィ役の3人。若い頃のマーニを演じた役者は、Tonightを歌う時の口パクが音響とずれてしまっていた。頑張って居た所もあるが、この点は気を付けて欲しい。脚本も細部の詰めが甘く、結果、内容的にソフィスティケイトされているのではなく軽い。表現する者としての哲学が弱いのが原因だろう。所作のわざとらしさを克服する為にはスタニスラフスキー理論に従った練習法を取り入れてみたら如何か。
MOTHER

MOTHER

庭劇団ペニノ

ドイツ文化会館ホール(OAGホール)(東京都)

2018/02/06 (火) ~ 2018/02/10 (土)公演終了

満足度★★★★★

「地獄谷温泉 無明の宿」で岸田戯曲賞を受賞したペニノのタニノクロウ氏。そしてカスパー・ピヒナー氏が2015年に立ち上げたMプロジェクトの作品。ユニットのコンセプトは、観客自身を作品の作り手、一部として観客が自由に劇空間を動きながら作品を作り上げてゆくこと。(以上当パン参考に作成)

ネタバレBOX

結果、当然のこと乍ら役者から、観客に対する突っ込みなどの当意即妙なアドリブが入り、笑いも生まれる。
 劇空間に入る前にはスタッフから、お面と半球型で小型のライトが貸し出される。劇空間は消灯してあるから、観客は足元を自分のライトで照らしつつ慎重に劇空間を移動しなければならないのだが、この緊張感と暗闇がイマジネーションと童心の頃の悪戯心を最大値に向かって亢進してゆくから面白い。つまりワクワクするのだ。
 ところで会場内には、様々な器具、玩具等が予め配備されており、これらのものと役者達の関わりや遊びに観客が絡んでゆくことで劇が成立してゆく。暗がりのあちこちに置かれているこれら、遊具にアプローチする役者達の動きに沿うように観客達も自由に動き回るので、前の方に居る観客は、腰を屈めながら観ていたりするのも楽しい。一々の仕掛けも楽しいのは、それこそ、子供の頃秘密基地を作って遊んだ感覚を思い出させるからである。“人間は遊ぶ動物である”と喝破した哲学者も居たが、多くの文人墨客が座右の銘とする「梁塵秘抄」の一節“遊びをせむとや生まれけむ”を想起する者も多かろう。
 様々な遊具を用い、観客とのアドリブ的交感を経た終盤、プロジェクターに映し出されるのは「2001年宇宙の旅」のワンシーン。「美しき青きドナウ」の流れる中、プロジェクターからは星屑が溢れ出し、劇空間を覆ってゆく。そして会場の一隅からは、膨張する物体が現れどんどん肥大し、遂には天井に迄届く。この巨大な物体の前にシルエットのように浮き上がる、極端に小柄な役者達、役者達を囲む通常の背丈の観客を、巨大化した物が、相対化しサイズの大小など取るに足りないことと思わせながら、而もタイトルそのものに集約してゆくラストは圧巻である。この物体が何であるか、既に感のいい方にはお分かりであろうが、実際に観劇するとこの壮大なイマジネーションに感動できる。
おたまじゃくし【15日より大阪公演開幕、チケット好評発売中!】

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劇団鹿殺し

座・高円寺1(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/12 (月)公演終了

満足度★★★★

 自分は子供好きなので、

ネタバレBOX

こんな状況で子供を持とうと思わないが、未だに大多数の人々は愛する人との間に子供を作りたいと望む。それが素直に望めれば自分もそちらを選ぶ。然しながら我々の暮らす現代は、ヒトのみならずありとあらゆるこの星に生きるものが滅んでもおかしくない状況である。第1に核だ。第2にAIとナノテクを組み合わせた新兵器、その他にも環境破壊やヒトの欲望の作り出した不自然な環境負荷が今後の生物の存在に与える悪影響等々をあげつらえば枚挙に暇がない。
 だが、今作の登場人物の中に現代に自分のようなディストピアを見る者は皆無であるから、精子無力症の主人公も、子の出来ない原因を打ち明けられたことも無い妻も多くの人々同様子の誕生を望んでいる。内容は、観て貰いたい。但し始まり方は、この評のように、ちょっと常識から外れた視座を用い、ショックを見る者に与えて後、引き込んでゆくという方法を用いている。
 ところで、気になった点はタイムパラドクスの処理についてである。男3代に跨るこの話の中に祖父、父、孫が出てくるのであるが、孫が父に会う時、祖父に連れられた幼い父と同時に存在しているというドッペルゲンガーを更に複雑にしたようなシーンがあったりするのだが、この問題をキチンと処理していない点である。孫が時間を遡り過去を再編した点については、父の死の代わりに母が大怪我を負うという形でタイムパラドクスの処理が為されているので、作家にこの知識が無かった訳ではないのが分かるだけに、最初に挙げた点が未処理である点については、不満が残った。
 面白いのは、舞台奥に向けて7~8°程度の登坂傾斜を持たせた平台の上に文化住宅の間取りが示されている点だ。これが固定された唯一の舞台美術であり、他は必要に応じて半透明な箱馬が多用される。文化住宅の名は、2種類あるが、ここでのそれは大阪で1950~60年代に建築され、それまでの銭湯使用・共用トイレ・共用炊事場などでは無く、各戸にそれらが設えられ核家族化がモダンの象徴として喧伝されたことに拠る。無論、背景にあったのは、同じ敗戦国イタリアなどの人民を慮る配慮がこの植民地官僚には最初から無かった点にある。この辺りの本質が、現在も変わらないのは、政治と官僚の結託を見れば明らかであろう。何れにせよ、民衆はまんまと官僚の仕掛けた罠に嵌ったということである。
 今作、元々TV用に作られた脚本ということであるから、余り厳しく追及するのも大人げないかも知れぬが奇を衒い過ぎて哲学的な深みや科学的整合性に欠ける点は、更に勉強して欲しい。
オホヒルメ

オホヒルメ

アブラクサス

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2018/02/01 (木) ~ 2018/02/05 (月)公演終了

満足度★★★★★

 738年女性として初めて立太子した後749年孝謙天皇として即位し、一旦は上皇に退きながら重祚し再度称徳天皇として返り咲いた聖武天皇と藤原光明氏の娘・阿倍内親王を中心に、物語は展開する。
背景には645年に大化の改新で功を遂げ死後天智天皇から藤原姓を受けることになった鎌足の子孫で紫微中台長官及び太政大臣を兼任した仲麻呂、同じく新勢力として躍進していた藤原四兄弟の子で従兄弟に当たる永手と共に律令制を取り入れようと画策していた。即ちこれまで朝廷を支えてきた旧貴族勢力、長屋王や橘諸兄・奈良麻呂らとは対立関係にあったのだ。
なお、この物語の半世紀ほど前には壬申の乱、更に10年程前には白村江の戦いがあり、大和は、大敗を喫していた。しかも壬申の乱では、天智天皇の子・大友皇子が叔父である大海人皇子に敗れ大化の改新以来天智天皇の重臣となっていた貴族達も散り散りになっていたため、天武天皇は皇族中心の中央集権政治を実現することができるようになっていた。
 今作は、このような経緯があって後、疲弊した大和で仏教を重んじた聖武天皇及びその子、阿部内親王(718年生まれ。後の孝謙、重祚して称徳)は、728年に生まれた弟、基の死を受けて女性初の立太子として立った後、749年に即位したのだ。(追記2018.2.3)

ネタバレBOX

 先にも述べた通り天武以降天皇の権威が増し神の憑代としてその権威は高まりを見せていた。このことが、今作の改革派中心人物である藤原仲麻呂の権力の背後で権威として機能している聖武天皇の皇后であった藤原光明子(今作では多くのシーンで皇太后)の権威の源泉、力の源泉であることは言うまでもあるまい。光明子を演じた女優に品があることもキャスティングの良さを示している。長屋王の変、についての解釈、内親王の生涯についての通常とは反対の立場に立つ解釈(道鏡及び彼との関係に関しての解釈についても)自分にはとても納得のゆく解釈であり、今作の解釈が正しいのではないかと思う。何となれば歴史などというものは所詮勝者が己の為した悪逆非道、人倫無視の政策を隠蔽する為のものでしかないのは、事実を発掘し続ける者達の努力によって綴られる歴史とは大方対極を為すからであり、政治という人民操縦の具だからである。
 以上の事実から、今作の眼目は、現安倍政権に対するアイロニカルな批判ともとれる。実際、現政権の無定見、無思慮、無責任、そして反人民性、反人間尊厳性は明々白々である。この事実を、実際に現天皇及び天皇の家族が、政治的立場を明確に示せない現行法の中で示し得る最高の方法でアピールしているのを見ても、そして本音では、これら良心の鏡とも言える天皇家の国民的人気が、自民党の議員にとって頭の痛いことであるのも事実であろう。だが、自分は天皇制には反対である。天皇、皇族に対する現在の日本の総ての人民が、彼らを特別視することが逆差別に当たると考えるからである。ヨーロッパの国々にも王や王族を抱えたまま民主主義国家である国々は多いが、王、王族も人間として民と同じである。(無論、キリスト教という一神教の国々が多いことと無関係ではないが)
ヨーロッパに比して若干難しい問題はあるにせよ、人間及び人間性をベースにしたシステムの中で、天皇や皇族に人として当然の権利を与えるのは、主権者、国民の義務でもあろう。そのようなシステムを我々自身が用意しない限り、天皇制の問題は穏便に片付くまいしこの国特有のファシズム形態を乗り越えることもままなるまい。今作はこのような問題迄考えさせてくれる力を持っている。
演技では、特に主役の羽杏が気に入った。
瀬戸の花嫁

瀬戸の花嫁

ものづくり計画

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/01/31 (水) ~ 2018/02/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

 序盤、何と冴えない、ダサイ作品! と思わされた所から術中に嵌ってしまった。花5つ☆

ネタバレBOX

ヘタウマの手法だったと気付いたのは中盤後半辺りだ。島の人々の素朴さを表現する為に敢えてダサイ、ちょっと都会感覚からずれた生活態度、風景、発想を序盤でたっぷり味あわせ、中盤に入ると徐々にそのぎこちなさを克服するという形で、観客を取り込んでくる。その如才の無さは半端ではない。完全に芝居の内容を観客に追体験させているのである。
 一方、劇中でもこの観客の追体験の流れと並行する形で、島の人々が大失敗をやらかしたり、あってはならない喧嘩を始めたりすることで、都会から来た女性達の隠して置きたかった過去をカミングアウトさせるまでに解放する。この流れが自然に感じられる所が素晴らしい。脚本の良さは無論のこと、手際の良さを見せないほど練達の演出が素晴らしいし、役者陣の演技もいずれ劣らぬ素晴らしいものであった。音曲の合わせ方、照明効果も見事なコラボレーションを為して観客の感涙をそそった。
 終演後、外に出ると、皆既月食がほぼ、完成する所、天体までが応援してくれたような舞台であった。
Do Munch

Do Munch

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/01/26 (金) ~ 2018/01/30 (火)公演終了

満足度★★★★

 開演前、突き当りスクリーンには、エンドレスな映像が映されている。客席は、上手長辺に沿って高低差のある2段と入口横、つまりスクリーンの真反対にこれも高低差をつけて2段。上手長辺の真ん中辺りにムンクの絵が数点飾られている他は、舞台美術なし、床もフラットである。

ネタバレBOX


 開演直後、女が一人ふらふらと入ってきていきなり倒れる。これがムンクの幼い頃、亡くなった姉として物語が始まる。ムンクにとって、この姉の突然死は大変なショックだったと推察されるのが、今作の要の一つ、もう一つは、大家の不可解な行動の原点にある。(この不可解については観劇して確かめて欲しい)
 ところで、当パンを読むと、作家自身がムンクに惹かれ続けてきたということだが、何故惹かれるのか、その原因が得心できずにきたという。それが今作を創るきっかけになったということなのだが、自分は、それをガンジガラメにされた日本の、真綿で首を絞められるような逼塞感からのはみ出し行為、即ち自由へのよちよち歩きと捉えた。
 物語り自体は従って芝居の三一致法則からも外れ、劇的展開への工夫も弱い。然しながら、現在日本に住み、暮らしている女性が感じる閉塞感から脱出したいとの念はとてもよく滲み出ている。
 劇的になっていなかった点を以下に若干挙げておくと、大家・茂道の足が悪いことと姉・母の死が関連付けられていない点(ムンクも姉の死の直後母も失くしている、それであのような独自の作品を生み出していると解釈されている)、今作の創作意図にはそぐわないかも知れないが、圭子と瑞紀が終盤のクライマックスに絡んでこない点も迫力を削いだ。
演出上で門題を感じたのは、茂道が部屋を出るシーンで施錠するのだが、この直後、部屋の中を紙飛行機が飛ぶと、開錠せずに部屋に入って行くシーン。このシーンは幻想シーンなので敢えてこのような演出をしたと考えられないことはないのだが、矢張り感覚的には不自然感が残る。施錠する寸前に音などでタイミングを合わせ、飛行機を飛ばす等の工夫が欲しい。
第3回 神奈川かもめ短編演劇祭

第3回 神奈川かもめ短編演劇祭

神奈川かもめ短編演劇祭実行委員会

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2018/01/25 (木) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★

Aブロックを拝見。出演順評価1: ☆2, 2:☆5, 3:☆4 4:☆2 全体は満足度のコーナー

ネタバレBOX

一劇団20分以内の作品を上演して勝敗を競うこの演劇祭も今年で3年目。Aブロックは1番目、高知のシャカ力「大好きなものを食べる」。3人のオカマが登場。肝は、娘が可愛がっていたスッポンが死んだのだが、オヤジは素知らぬ顔をして料理を
拵え、娘と共に舌鼓を打つ。初めにグリコーゲンの多い部分、娘が「おいしい、これなあに?」と問うのを「外側」と答え、次に食べた物を「内側の・・・」と答えるオチ。
2番目が、島根から来た亀二藤演目は「酒とお蕎麦と男と女」20分で良くこれだけ濃い内容の作品を創った、と感心するほどの脚本。話は観てのお楽しみだ。自分はこの作品が最も気に入ったが、惜しむらくは、最後のシーンで使われた小道具が、このシーンには相応しくなかったことだ。
3番目は戯曲選抜チームの作品で「机上の空論」文芸誌の編集者とこの雑誌の看板作家、そしてちょっと器用なライターの締切間際のスッタモンダを扱った作品で、編集者出身でライターの自分には、身につまされる科白なども随所に入っていて面白く拝見した。
4番目は、小田原からやってきたチリアクターズの「くよくよ、迂回」である。妖怪が人間に追い詰められて、何とか起死回生の手を打とうと祭りを計画するのだが、いかんせん、一番人気のあった狼男は人間の女との結婚で抜け、ろくろ首は、妖怪に憧れる人間の女、あとは、とても吸血鬼には見えない吸血鬼と童らしさは若干あるものの、ちゃんと座敷童っぽい形をして出演している訳ではない座敷童達のああでもない、こうでもない。
ここから

ここから

ソラカメ

王子小劇場(東京都)

2018/01/24 (水) ~ 2018/01/28 (日)公演終了

満足度★★★★

 舞台が設定されているのは、どことも知れぬ森の中の空き地。戦火から逃れ右往左往する少女達、空には爆音が響き、地には銃声が木霊する。だが逃げる彼女たちには肝心な情報が無い。

ネタバレBOX

敵・味方の区別もつかず、一体誰に追われているのかも知れない。爆音が去って静かになり漸く少し寛げそうな場所に辿り着いて一息ついていると銃声がする。やって来たのは、これまた肝心な情報を持たず、拾ったマシンガンを手に暴発させてしまい動顛した挙句、暴発した際、先の女性たちに怪我は無いか? と心配している若い女だった。彼女達同士がどうやら敵ではないという認識を持って暫く経つと又も飛行機の爆音。隠れる場所を探しどうやら隠れられそうな場所に潜り込んだ。
この辺り、どうやら不法廃棄物の捨て場となっている場所なのだが、ここにやってくるJK達にとっては、子供の頃の秘密基地を思い出させる何故か心休まる場所でもあった。高校をふけてやってくるJKや既に社会には出ているものの、失職したり一時はヒット曲を出したが一発屋でその後はニート生活を送る者、正体の分からぬ敵に怯えて逃げ出した者達同士が、この場所で遭遇した。恰も異なった時空が、偶然その扉を開いて邂逅したかのように。相変わらず正確な情報は無いまま若い女性達は、とても真っ当で健気な判断を下す。即ちそれでもここから始めよう、と。
然しながら、彼女たちの悲劇は、その普通で健気で真っ当な判断にも拘わらず、肝心な情報を欠いていることである。その肝心な情報とは、自分達の位置である。無論、GPSによる単純な位置情報だけではない。世界政治、軍事、経済、科学技術、社会、歴史、民俗、宗教、思考傾向、情報分析等々をトータライズした際に置かれる己の世界内位置を考察するに必要な情報である。どうでも良い情報は溢れかえっているのが実情だが、フェイクを含め、そんな屑情報は一切必要ない、と判断できるだけのキチンとした情報が欠けているのだ。そして先ず知るべきは隠し、偽情報を流しているのは、支配政党であり、それに媚びる官僚、最高裁、御用学者、マス塵、経済界等々為政者サイドであり、強行採決、閣議決定等を通じて法的武装をした彼らの流すプロパガンダであるという事実だ。
彼女達が健気であるだけに、気の毒でならないのは、単に作品化された今作の内容が訴えてくるものから受ける印象だけではなく、そこに込められた心を汲み取ればこそである。君たちに必要な情報をキチンと探し、自分達のものにしたまえ。
参考までに、今日本で起こっていることの根本が書かれた本を1冊紹介しておく。「オキナワ島嶼戦争」小西 誠著 社会批評社
ところで、何故女性にこの本を薦めるか? であるが、女性同士の話の多くに恋が絡み、それは自然で大切なことなのだが、恋した相手が戦で死んだり、障害を負ったりするばかりではなく、自分の産んだ子が戦争に巻き込まれることも在り得る。そうした状況を創らぬ為には、先ず現実を知ることから始めねばならないからである。戦争など本気で望む奴は外道だろう。先ずは一人一人が、本気で厭戦を肝に据えねばなるまい。その為に力を発揮できるのが女性ではないか、自分はそう思っている。


はなしたく、ない

はなしたく、ない

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/01/22 (月) ~ 2018/01/24 (水)公演終了

満足度★★★★

 3人の女を巡る、一風変わった恋バナ。

ネタバレBOX

一見LGBTだが、妙な違和感や特別な空気も感じさせず、寧ろ男性の中に在る女性性や、女性の中に在る男性性を描くような淡泊な印象を受ける。登場人物達各々の在り様を通じて、新宿という街のディープなレベルでの優しさが描かれているように思うのは、かつて新宿を中心に遊んでいた時期が長い筆者自身の経験によるものが大きいかもしれないが、現在とみに問題視されるストーカーやLGBTという社会現象を纏いながら描かれるのは、そのような人情の街としての新宿だという印象を持った。
サクラと私と不透明な昨日までのこと

サクラと私と不透明な昨日までのこと

劇団 Sakura Farm

学習院女子大学 (東京都)

2018/01/19 (金) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

2018.1.21 19時 互恵会館
 パフェ(学習院女子大舞台芸術部)は4年生の卒業公演を1か月後に控えていた。脚本(仮)も上がり本格的な稽古が始まろうとしていたが、授業にも遅刻ばかりしていたり、欠席を繰り返していたサリーは、年の離れたバイト先の店長と熱愛中、大学も止めると言い出した。当然、最後の公演となる卒業公演にも出ないと言う。(追記2018.1.27)

ネタバレBOX

このことで部長・中井との仲が狂い始めている。2人の間に立った者の思いややりきれなさからくるストレス、そして対立する2人の思いを軸に、若い女性たちの淡く柔らかい感性や互いを思いやる優しさに思いあぐねたサリーは、彼を皆に実際に観て貰い彼女自身の気持ちを分かって欲しいとの思いから話し合いの場に連れてくる。だが、彼女の意に反して外部世界の象徴としてグイグイ割り込んでくるサリーの彼・店長の強引なまでの現実感との狭間で悩み、引き裂かれそうになる部員たち。然し乍らも尚、部員同士互いに向き合おうとする柔軟な存在の仕方を余韻として残しながら、中井の気持ちを察し、彼女をそっとしておこうと退出した皆の後、カナダに留学していた為に卒業が1年遅れた先輩が実に優しく自然に部長を慰めるフォローの仕方や、後輩部員の仲違いをしないで欲しいとの真摯な訴えとして纏めると共に、年中家族旅行をしては、お土産を持ってきてくれるメンバー、公演迄2週間という絶妙な時点で、サリーの抜けた穴を埋めるように入ってきた新入部員で新たな展望を予感させつつ、メタレベルでは、サリーの相手は結婚詐偽師であることが判明、サリーも部活復帰となって、新入部員は制作を担当とすることになるオチ迄が一連の流れ。
 出演する役名と本名がダブっている点も見逃せまい。何故ならここに描かれていることは、ドキュメンタリーではないが、パフェに属する、或いは属した彼女たちの掛け替えのない日々だからである。
 而も作中何度も出てきた、ミサイルへの危機感が戦争勃発を懸念する女子大生たちの時代への懼れであることが確実な中で、ラストにはけたたましいサイレンの音が入る。これをミサイルが落ちて鳴らされたサイレンと取ることも、或いは卒業公演迄2週間という時点で決定稿が上がり卒業してゆく4年生たちを送る記号としてのサイレンと取れる所もグー。
 但し注意しておかなければならないことは、戦争で決着をつけようとすれば、互いの疑心暗鬼は、軍拡競争を生み、戦争が始まればその結果は増々その悲惨の度合いを増すということである。まして日本はアメリカの植民地であるから、アメリカの言うなりに動かされている。その結果、アメリカを守る為の最前衛を担わされているのである。日本の軍隊は日本人を守る為に機能していない。このことを肝に銘じておくべきではあろう。
リタイアメン

リタイアメン

燐光群

森下スタジオ(東京都)

2018/01/18 (木) ~ 2018/01/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

 日本でリタイアした人々が、東南アジア諸国へ出向き、悠々自適の生活を送っているとか、いや、それほど良い物でもないらしいとか、様々な噂は風の便りに聴いたこともあろう。

ネタバレBOX

今作は、このような人々が現地で実際どのような生活をし、どのように現地の人々から観られ、或いは溶け込んで生きているのかを、数々のリサーチをベースにし、タイやフィリピンの役者達とワークショップを開いて互いに学び、意見交換し、リサーチした結果をどう演劇化するかディスカッションを重ねて生まれた創作である。無論、ドキュメンタリー作品ではなく演劇であるから、ここに描かれているのは、各登場人物の在り様を通じた人間関係の妙であり、社会性や喜怒哀楽そして海外で生きることを内と外から見る、或いは見られる複合的な視座とこのような複合的視座の上で選択される判断が、どのような展開を遂げることになるかの演劇的見取り図である。と同時に現代日本が置かれている世界状況を大方の日本人の閉鎖的視座からではなく、外側から見ている点が興味深い。
 また、今後、この植民地で確実に起こることになるであろう原発人災に対し、政府が如何様な対応を採るかについても最もありそうな想定で描かれている点も見逃せない。前中盤までの文章と最後の文章が如何様に繋がるのか? は観てのお楽しみ! 

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