ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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小栗上野介忠順

小栗上野介忠順

劇団め組

劇場MOMO(東京都)

2018/03/28 (水) ~ 2018/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 大抵の人が一所懸命に勉強をしていた頃、遊び呆けていた自分は、寡聞にして上野介のことを知らなかったが、今作を拝見、ちょっと調べてみると勝 海舟に勝るとも劣らぬ人物であったようである。(B組を拝見 追記2018.3.29 )

ネタバレBOX

アメリカへ渡る途上、咸臨丸に乗り込んだ勝が船酔いに苦しめられたのは、事実である。但し、帰路は、日本人が操縦して日本までの航海を無事に済ませた。何れにせよ“どうにかなる”と無責任に総てを差配した結果、幕府が滅びるに至った、という小栗の認識の正しさは決定的であろう。
 実際、今現在の日本が沈没寸前なのは、一切の責任から逃れ、攻撃の根拠を与えないように、隠蔽と嘘、詭弁と恫喝そして雲隠れを繰り返す安倍晋三のような国賊が頂点に立ち続けている現状を見れば良く分かろう。而も人事権を握られることで格好の逃げ場を見付けた腐れ官僚共は、主人が国民であることを都合よく「忘れ」、人事担当者の顔色伺いに躍起である。硬直した思考を変える努力などは、馬鹿にして数の多い東大文Ⅰ及び学士会の繋がり等の土壌に安堵して腐るがまま。腐り切った屋台骨が何時崩れてもおかしくない状態にある。今、我々民衆が為すべきことは、我々の力で社会を変えてゆくことであろう。そのような活力の素を頂いた公演であった。

病気だからね。

病気だからね。

冗談だからね。

OFF OFFシアター(東京都)

2018/03/23 (金) ~ 2018/03/26 (月)公演終了

満足度★★★★

 病気どころか、極めて健全である。(余談だが、下北南口は工事の為封鎖中、来年の頭頃に工事は終わって居るハズとのこと)

ネタバレBOX

こんな閉塞状況を強いられている若者が、その縛りを壊そうとするのは、病の証では断じてない。真反対に健全な精神の証である。表面的には、かなりアナーキーな感触を持つ観客も居るだろうが、同世代の観客にとっては、とてもスッキリする作品作りと言えよう。極めて若い人達だから今後どのように変わっていくのかは未知数である。然しながら、板の手前を劇場の床の高さそのままとした上で、奥には40㎝ほどの高さに床を設え、多少、時間や科白をずらして、そのそれぞれの板上で物語を進行させることにより、互いの演技が干渉し合って、自然な物語の進展を妨げる。このような作りはラスト迄続くのだが、これを喩として解釈すれば、思い通りにはならない世の中であるとか、大人達の強いる閉塞状態だとかに茶々を入れる為の仕組みと捉えることが出来よう。アナーキーな雰囲気になるのは、従って必然である。
 また、一見雑然とした舞台美術も良く考えられているのは、終盤の舞台の使い方を見れば分かって頂けよう。作中に出てくるダメ出しのシーンなども中々良い雰囲気を醸し出している。今後、どのようになるのか、全く未知数であるが、古典をしっかり勉強すると同時に、常に真っ直ぐ物を観、事実が何たるかを見極め、自分の頭で考え、判断して欲しい。
 因みにスタッフの対応もグー。
Ten Commandments

Ten Commandments

ミナモザ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2018/03/21 (水) ~ 2018/03/31 (土)公演終了

満足度★★★★

 文化系の物理学レベルでよく健闘している作品。夫婦役を演じる二人の演技が良い。(追記2018.3.28)

ネタバレBOX

 核物理学に携わる科学者たち。キューリー夫人のポロニウム及びラジウム発見から説き始め、相対性理論を唱えたアインシュタインを代表とする物理学者らを巻き込んだ核兵器開発経緯を通して(タイトルの大文字でそれぞれの単語が書かれている)“十戒”を俎上に載せる。無論、モーセのそれではない。レオ・シラードのものである。ブタペスト生まれの彼もユダヤ人であったが、ナチスが原爆を作ってしまう前にとアインシュタインらと共にアメリカ大統領に請願書を出した。
然し、太平洋戦争末期日本への原爆投下にシラードは最後まで反対した。∵ナチスは原爆を持つ前に降伏し初期の目的は既に達成されていたこと。原爆を都市に落とせばその人的被害は途方もない規模になること、そしてその被害は人的被害に留まらずありとあらゆる生命に対してであること。その絶大な威力を見た他国が開発に乗り出し開発競争の結果、地球全体の危機を招くことなどが反対の理由であった。慧眼と言わねばなるまい。
その彼の提起した十戒が、今作で何度も語られ科学者というものの持つ純粋な好奇心の発露の莫大なエネルギーポテンシャルの可能性と、それらを通して稔った果実を利用する者達の利害故の功罪を予め気付かせるべき提言として提示されている。物語は、表現する者として自らを開花させた主人公が、己の表現手段である言葉を封印し、連れ合いである夫とも6年に亘って口をきかない状態を通して、3.11人災及び人災後にも除染技術。廃炉技術などがトレンドとなることで、自殺率が異様に高いポスドクであっても研究職に従事できるなど好奇心を萎ませないですむと目論見を立てられることが、未だこのジャンルで研究者が存続していることの条件として在ることを本当は隠しているのであろう。
 但し、ディベートシーンでは、作家が正しく文化系であることを露骨に晒す結果になってしまっている。内実がトウシロウレベルの議論に終始しているからである。更に、アメリカが日本に2度タイプの異なる原爆を投下し、人道に悖る罪を犯していることについても、言葉に責任を負わせるという形で処理してしまっている。問題にされかねないという懸念を理解せぬ訳ではないが、表現する者の覚悟としては聊か情けない。∵言葉を用いる主体があるのであり、その主体は判断を下す。その時言葉を用いるのである。その思考過程に於いても、また言葉を用いて命令を下す場合にも。
 周知のとおりマンハッタン計画には、莫大な金がつぎ込まれた。而も秘密研究であったから、その内実を知る者は政治を担当する者の中でもごく僅かであり、他は軍上層部、そして研究に携わった研究者らであった。もし使わずに戦争が終結したなら、戦後、それまでマンハッタン計画を推し進め、実際に予算をつぎ込ませた大統領など政権幹部は、国民からの訴追を免れない。原爆投下判断は、これだけではないが、余り知られていない大切な要素である。それかこれか、原爆を投下する前、アメリカは、日本のエネルギー動脈、鉄道などの運搬手段、最も重要な幹線道路などは、破壊していない。戦争遂行能力を残して置く為である。
 これらの事実から浮かんでくるファクトとは何か? 無論、原爆を使わなければ、アメリカ軍の被害は甚大なものになった云々という嘘である。更にウラン使用の広島型、プルトニウム使用の長崎型とタイプの異なる原爆を投下し、人体に与える影響をABCC等を使って調べ続けられていたことも日本人の常識である。また、日本の戦争遂行に関与した科学者が、被災地に乗り込み183冊の大学ノートに詳細な記録を書き込み、僅か数か月の間に英訳して、罪の減刑を狙いアメリカに送付したことも知らねばなるまい。因みに冷戦時代に、仮想敵国の何処にどの程度の威力を持つ原(水)爆をどれくらい落とせば敵の戦闘能力を破砕できるかを計算する際、基礎資料とされたのは、日本の学校で無惨な死を遂げた子供たちのデータであった。これだけのことをされながら、核被害を言葉の問題だけに矮小化することは、自分には矢張り納得できない。現在も福島県立医科大で暗躍する山下 俊一は、ABCC、放影研などを経て現職に就き、福島の被ばく状況を矮小化し続けている。主として言葉によって。そして嘘を吐き続けようとする意志及び利害判断に基づいて。

人間になったらしい

人間になったらしい

サッピナイ

ひつじ座(東京都)

2018/03/24 (土) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 旗揚げ公演とは思えない完成度である。(花4つ☆)追記2018.3.25 11:28

ネタバレBOX

タイトルからして何やら心をザワツカセルではないか。人間になったらしいと感じている主体は一体何なのか? 換言すれば、何から人間になったのか? ということである。おまけに“らしい”が付いている以上、その存在は、自己認識に正当性があるとは信じかねているのだということが類推できる。
 どこか、分かったようで分からない不思議な世界が呈示されているのである。尺が70分程の作品なので、ヒューマニアと称される新生物を何のために人間が作り出したのか? は説明されていない。然しiaという接尾語が意味する所は“~に由来する”ということであるから元は何から創られているかに拠らず、humanがベースになっていると解釈するのが適当かも知れない。何れにせよ、この部分は謎として提示されており、解も示されない。にも拘わらず今作が呈示していることの面白さと不気味は、ヒューマニアに対する人間の態度・対応が如何にもありそうなリアリティーで描かれている点にある。更にヒューマニアにも個別に知的差異があり、知的に勝る者が、人間の側に立って知的に劣るヒューマニアを苛めたり、大変な努力をして人間の言葉を覚え、姿も人間そっくりになったヒューマニアを元の動物に戻すというような、ヒューマニアのヒューマニアに対する裏切り行為が、余計な説明なくゴロリと提示されている醒めた視座にある。
汚れた空をかいくぐり

汚れた空をかいくぐり

劇団みなみ

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/03/23 (金) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 かなりトートロジカルな手法で書かれた脚本だが、

ネタバレBOX

この原因はデュアリズムと、敵とされているAIが、実は反対勢力幹部には、実体化されていないということではないだろうか? というのも、ここで話されているのは、確定した事実を根拠にした話ではなく、あくまで“~だそうだ”という伝聞をベースにした論理である。而もそれが、話者の立ち位置を各々のベクトルとしたデュアリズムなのではあるまいか? 一見、複雑そうに見える論理は、その根底が根拠づけられていないように思う。一所懸命演じているのだが、真に論理的である為には、根拠づけなければならないし、真に敵対する各々の項があるのであれば、その2項を裁定する視座は最低なければならない。デカルトは二元論を定式化した哲学者であろうが、キチンと定式化する為の目を持っていた。(方法序説でそれを為したと自分は考えている)
 論理が疑似的であるが故に、結論が決意性一般という非論理的なものになってしまうのではあるまいか? 若い人ばかりのグループのようだし、これからいくらでも勉強はできるだろう。たくさん勉強をし、自分の頭で考え大きく育って欲しい。期待している。
ハムレットマシーン

ハムレットマシーン

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2018/03/22 (木) ~ 2018/03/24 (土)公演終了

満足度★★★★

 無規定の直接性を訴える作品。(追記2018.3.24 01:30 花4つ☆)

ネタバレBOX


 従ってストーリーを追おうとするのは、余り面白い観方とは言えないように思う。客電が落ちた後、数分間何も起こらない。なが~~~~い間である。次にアナウンス。演目の終了を告げている。立ち上がって出口に向かう人々も居る。
 が、無論演出だと見抜いているから桜以外は皆座っている。板を円形に囲む形で観客席が床に設けられると同時に2m強ほどの高さに櫓が組まれて床の観客席の外側をひと回り大きい形の円で囲んでいる。
 中心の板部分が役者達が演じるスペースだが、この中ほどには、巨大なパネルが置かれ、観客の視線を遮っているのだが、このパネルには、ローレンス・オリビエ主演のハムレットの映像が映し出される。(追記後送)
 この映像を背景に、巨大パネルの各々の面の前に登場した男性俳優と女性俳優が、携帯で連絡を取り合う。男は自分がハムレットであることを自覚、そうすると女優はオフェーリアということになるのだが、彼女は超小型撮影機で自らの足、足指、首筋などを撮影、オリビエの映像と交叉するように己の身体映像をスクリーンに映し出す。終には口腔内に撮影機を入れ、食道を映写し続ける。この間、男性俳優はハムレットであることを演じ続けている。その周りを自転車に乗った者が走り続けているのは無論のことだ。
 場転で、巨大パネルが天井に吊り上げられると、巨漢が登場、身体的パフォーマンスを展開するのだが、科白は殆ど聞き取れない。運び込まれた机や冷蔵庫、TVなどを思いっきりバットで叩いてゆく。机は結局完全に壊れてしまった。この間、板上の一角で巨大なポリエチレンか何かの透明な袋に空気が送られている。巨漢は一連の乱暴な動作が一段落すると、この袋の中に入ってファスナーを閉じる。そして暫く動き回った後、何とも驚くべき行為に及んだのだ。消火器をこの袋を閉じた密閉空間の中で噴射したのである。泡がこの袋の内側に飛び散り、透明だった部分に白い膜ができる。これは圧巻であった。
 この場面が終わると、白い衣装を纏った女が現れ、バケツを跨いだ状態になると、出産を思わせる仕草をする。するとバケツの中に多量の水が流れ落ちる。女はその水から魚を掴み上げ食べる。それが済むと今度はバケツの水を頭からかぶり倒れる。休みなく周囲を回り続けた自転車が相変わらず回っている。
 これが、今作の大体の流れである。観ている最中は余り考え込まない方が良い作品であると考える。そう考えたのは、極めて人工的なオープニングで、余りちまちましたことを観るより、本質を掴みだすべき作品だと考えたからである。直接の原テキストは「ハムレットマシーン」という作品で自分は読んでいないが、その基になったシェイクスピアの「ハムレット」は読んでいるからシェイクスピアのハムレットを念頭に置きながら拝見していた。そして、今作もまたシェイクスピアの「ハムレット」の本質を掴みだした作品であると評価する。
 死と生、復讐(という名の暴力・殺人)、これらを回してゆく運命(東洋的には輪廻)が、この作品の描きたかったことだと考えたからである。
 同時に女が、生命の故郷である海を生んだのなら、その後、其処で生まれ進化した命も、生まれた以上他の命を喰らう。生き物は喰らい、繁殖し、死んでゆく訳だが、女が海を枯らしてしまったとすると。そして女が人類を象徴していると考えるならば、ヒトが人類という形で纏まる時、その愚かな思考は、初めての連帯で地球上の生命の故郷である海を死の枯れ地に変えるという喩にも取れる。
 相変わらず輪廻を表す自転車は回り続けている。


Yellow Fever

Yellow Fever

劇団俳小

d-倉庫(東京都)

2018/03/21 (水) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 英語のタイトルからは黄熱病という病がその最初の意味となるのであろうが、自分がこのタイトルから最初に想像したのはpéril jauneである。

ネタバレBOX

黄禍と普通訳される言葉である。主として欧米で使われた言葉であり、東洋系の人々の人口増加率が欧米人よりも高いとして、自分達の領土や仕事が東洋系に乗っ取られると危惧する概念である。無論差別用語、黄色人種排斥論である。で、作品を拝見して自分の直観通りであったことを確認した。
 舞台は、かつて日本人集落があったカナダのある都市。主人公のサムは、私立探偵。腕っこきだが、反権力・反権威の一匹狼。2世である。事件の時代設定は1970年代初頭。
(だが移民の苦労や、サムのキャラクターをより深く理解させる為、物語の中で作用する東洋系への差別を具体的な事例を挙げて観客に理解させる為の手法として、アメリカのみならずカナダでも太平洋戦争が始まると日本系は、スパイ行為を働くのではないかとの懸念からカナダの太平洋側を強制的に追い出され、山奥の収容所に入れられた話が枕として用いられているのである。敗戦後も4年間元の棲家に戻ることが認められず、それが認められた時には、既に総ての財産が競売に掛けられ白人の手に亘っていた。その関係で元住民であった日系人の多くが旧棲家を去った。)
結果物語の時代に、この地に住んで居る旧住民は少ない。こんな事情を肌身で知っているサムだからこそ、草莽という立場でこの地に住み続け、殆ど儲からない難事件を解決し続けることで、信用を得、住民や依頼者からの人気は抜群であった。
 さて、問題の事件である。この地域の名家の娘が桜祭りのコンテストで優勝したが、その直後失踪してしまった。誘拐されたようだが、手掛かりは殆ど皆無である。彼女の父から捜査依頼が入った。丁度そんな時、サムへの脅迫状が、気に入っている帽子から見付かった。文言はシェイクスピアからの引用である。
 サムは、取材に来た新米新聞記者・ナンシー、相棒同然で優秀な弁護士・チャンらと共闘して事件の解明に挑むが、péril jauneをベースとした白人の差別意識が、彼らの行く手を阻む。サスペンス要素を含むので後は観てのお楽しみ。
ロミオとジュリエット=断罪

ロミオとジュリエット=断罪

クリム=カルム

スタジオ空洞(東京都)

2018/03/20 (火) ~ 2018/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 板を客席がサンドイッチするような舞台。

ネタバレBOX

中央は3m四方ほどのリノリウムの床が露出している。周囲は1m巾程度の赤いカーペットで囲まれている。このカーペットは客席側にも延び客席も囲んでいるので、役者達は、このカーペット上も演技空間である。劇場入り口からみて、奥右手には、柱脇に目隠しの板が張られ袖の役割を果たしているが、その横に平台を2つ重ね20㎝程高くして上部に赤カーペットを敷いたステージがある。
 リノリウムの床から1.2mほどの高さには、観客席に対して平行に、4つの裸電球が都合3列吊るされている。
 通常演じられるロミオとジュリエットとの大きな差は、ロミ・ジュリ2人の純愛物語ではなく、ロミオを巡り、親友同士のジュリエットとロザラインが三角関係に陥っていること。更にロザラインのそれまでの恋人は、ロミオの親友であることなどだ。
 また、司祭が女性であることも事件後、新たな街づくりの中心になることを大公から望まれる辺りの伏線として設定されている点、非常に面白い。
 更にジュリエットがロミオと恋に落ちる前の彼女の振る舞いが、まるで1960年代のズべ公のような点が実に興味深いのだ。ズべ公などという言葉は今では死語であろう。然し乍ら、ズべ公と付き合ったこともないような連中が彼女らを軽蔑する理由は、イエローキャブだと思っているからだろう。だが彼女たちは結構純粋で、マブと付き合っている時は、操立てしていて純であった。
 今作でのジュリエットはロミオが初恋の相手であるから、ズべ公のように見えるのは、その振る舞いと言葉からだが、結構新鮮である。
 若いグループなので、未だ、脚本を役者が身体化することに未熟な点はあるが、脚本は実に面白く拝見した。今後は、科白をどう役者の身体に落とし込んで、観客に受け渡すかという点にも更に磨きをかけてほしい。
詩×劇2018 つぶやきと叫び―礫による礫ふたたび―

詩×劇2018 つぶやきと叫び―礫による礫ふたたび―

遊戯空間

新宿文化センター(東京都)

2018/03/21 (水) ~ 2018/03/24 (土)公演終了

満足度★★★★★

 空気が怖い! (第1回追記2018.3.23 04:04分)(尚今レビューには、一部、和合氏の作品からの引用があるが、原詩を確認している訳ではないので、表記に異同が在るかも知れない。また、音声から聞き取った作品をベースに自分がアレンジした文章も混じっている。どこが、どう違うかは、舞台を観て確かめて欲しい)
 (第2回追記2018.3月24日01時半 二回目追記)

ネタバレBOX

 福島は3月にも雪が降る、ぼた雪だ。その雪は汚染されて、今、車の窓から入ってくる。手に落ちた、溶けた。汚染された水になった。その水を何処に捨てたらいい? 雨が降る、雨が降る。この雨は、既に汚染されている。地震、津波で街が、人が、無くなった! 見付かっていない方も多い。而も、彼らを探そうとする場所も、斑に汚染されている。ガイガーカウンターは、一番肝心な時に手元に殆ど無かった。情報を求める声に正確な対応も殆ど無かった。その中で人々は、右往左往せざるを得ず、詩人は、多様で楽しく、而も豊かな言葉を失くした。唯、発狂しない為、彼は同じ表現を反復せざるを得なかった。あれほど多様で自由な、而も羽を生やしたような言葉を縦横無尽に駆使していた彼の表現が、同じフレーズの反復になった!! このことの意味する所をこの腐れ切った「国」で圧殺されようとしている人々の魂を代弁する詩人の声を今こそ聞け! 
 今作は、福島の詩人・和合 亮一氏の「詩の礫」「詩ノ黙礼」「詩の礫 起承転転」の言葉を遊戯空間の篠本 賢一氏が、再構成し役者の身体に落とし込む作業と言えよう。西洋流に言えばロゴスの身体化をその演出、衣装を含めた美術、そしてダンサーの動きとピアノ、チェロの生演奏そしてスクリーンに映し出される映像やメッセージ、説明を加えて立体化した作品である。従って当然のこと乍ら衣装は、黒子の着衣のような、無駄をそぎ落としたものである。
 3.11の地震・津波後、メルトダウンした福島第一原発群による放射性核種汚染という三重苦に見舞われた上に東電及び政府の手際の悪さや必要な緊急情報の不適格な配信などによって被害は広まり、人々の権威や権力、企業、メディアに対する信頼はどんどんなくなっていった。その上、心配することはありません、と呼びかける原子力マフィアのプロパガンダが、チェルノブイリ同様行われた。当時首相であった菅直人氏は、東工大の応用物理出身であるから原発事故の行く末を正確に理解していた。即ちメルトダウン或いはメルトスルーの危険性をいち早く察知していたと考えてよかろう。そこで当事者の東電に再三報告や対策について問い掛けたが、肝心の東電最高幹部は、非常時であるにも関わらず己が責任の重大性に気付かなかったか或いは責任逃れの為にその頭脳と神経をすり減らしていたのであろう。碌な対応を採らなかった。ハッキリ言って、事故を起こした原発の格納容器内に燃料が収まっている内に冷却しなければ大事故になることは物理的必然である。(この程度のことは素人であると自認する読者も自分で調べて頂きたい。)どういうことになるか分かっていたのは、東電幹部で名の知られる人の中では、吉田部長くらいであろう。彼と現場スタッフは実際、命懸けで冷却対応に従事した。然しながら被災者の方々には正確な情報が齎されず、そのような場合に真の専門家が起こり得るリスクをキチンと伝える努力もしなかった。斑目が出鱈目と仇名されたことを覚えておいでの方々も多かろう。
 ところで人災が起こったのは確かに民主党の政権下であったが、原発をずっと推進し続け、安全神話を作っては垂れ流し、地方財政の収支の厳しさに付け込んで補助金を出し続けて地域の分断を図り、結果地域全体を原発から離れられないように仕向けた張本人は自民党である。原発人災後、推進派は、数の論理に頼り、人権無視、憲法や国民の権利を無視することを繰り返してきている。おまけに第2次安倍内閣以降顕著だったのは、国民生活に重大な影響を与えるような案件については、先ず安倍が海外へ出向き、勝手に様々なことを取り決め、日本に戻ってそれを強行採決するというやり方である。国会での論議を蔑にし続ける政権の性質の悪さに不信感を募らせる暇すらなかった人々に対してのケアも不十分極まりなかったことが、増々状況を悪化させた。而も、当時東電社長であった清水は、人災発生で大混乱を極める現場から逃げ出そうとしていた。その彼も、後、ジャーナリストから問い詰められた際、人災であることを認めている。(参考までにこの事実が記されている本の名を挙げておく。(岩波ブックレットNo.893 福島を生きる人びとp.18上段)このことだけを見ても東電の最上層部の倫理的腐敗は悍ましい以外の何物でもない)
 政府は、スピーディのデータもアメリカ軍には直ぐ流しておきながら、被災地の日本人には一切流さなかった。そして「直ちには、影響がない」と繰り返すばかりだった。ただちには影響がないということは、和合氏も指摘しているように、後々には影響が出るということである。
 日本という「国」は棄民政策以外の政策を持てないようである。幕藩体制を嫌って、明治に入って以降も、海外移住や満蒙開拓団は当に棄民政策であった訳だし、戦中及び敗戦後沖縄の犠牲の上に成り立ってきたヤマトは、F1人災では、福島を切り捨てた。何という下司ばかりが上に立つのか!? 
 このようにして人々の間に醸成されたのが不信感と、其処から来る底知れぬ不安である。人々は自ら立ち上がらざるを得ない。例え、それが狂わない為だけの雄叫びという形であっても。
  民主党は野田になってから、ハッキリどう言い逃れをしても認められないような体たらくであったが、無論、背景にアメリカの圧力があったことは明白である。鳩山下ろし、管バッシングの背景に控えていたのは、アメリカである。そしてアメリカのケツを嘗めて喜んでいる日本の下司官僚共だ。マスゴミがこれに追随した。結果、被災者は日本中からバッシングされつつ、分断された。更に故郷から放射性核種が原因で追放されたのだ。逆に人災を起こした東電は、我々に課された税金を使って救われた。
 然し東電が負うべき責任から可能な限り逃げ続けている事情は、現在に至る迄一切変わっていない。その中で、被災者たちが詰め腹を切らされ続けている。こんな情勢の中で自民党政府の言う“安全神話”を誰が信じられようか? この5年間政界を恣に牛耳っている者こそ、自民党の中でも最も悪辣な安倍 晋三という大嘘吐きの愚か者であるという批判にも耳目を傾け、被災者の実情に耳目を傾けて欲しいものである。
核は制御できない。この単純極まる事実を皆が認識することが、この地球という命の星に生きる生き物全体を護ることに繋がるのだ。
 

秋元松代『常陸坊海尊』を読む!

秋元松代『常陸坊海尊』を読む!

一般社団法人 日本演出者協会

梅ヶ丘BOX(東京都)

2018/03/17 (土) ~ 2018/03/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 秋元 松代作の戯曲の朗読だが、音読を前提に書かれた戯曲だということもあり、演者たちのエネルギーポテンシャルはかなり高い状態で演じられた。

ネタバレBOX

即ち科白が各々の演者によってそれぞれ独自の身体化を要求するタイプの文章だということであろう。
 8日間の練習で此処まで読めるのは、流石演出家中心の演者、各々が普段から勉強していることが、また身体鍛錬を含めて活動している者も多いことが見て取れた。
 テキストは元々、1960年にラジオ放送用に書かれたが、その後大幅に加筆訂正されたものが1964年に出版された。
 海尊は、義経の側近であったということだが、彼が仏門に入るのは、衣川の戦いの折り、戦いに参ずることが出来なかった為だと言われている。何れにせよ、主君の危機を救う側に立てなかったことを生涯己の裏切り行為と責めたものと思われる。今作では、意気地が無くて裏切った者として描かれ、為にその道義的責任に対する背信者として750年を悔恨の行を積む僧として彷徨う。今作ではおばばが、その海尊に会い、その継承者になろうとしたこと、1945年3月10日の東京大空襲前に疎開してきていた東京の尋常小学校生徒たちとの因縁話、おばばの下に暮らす孫ほどの年の雪乃という名の美少女、おばばとそのツバメの山伏、少将と娼婦の道行等々。人間の生存欲、性欲という業と倫理の問題が、登場人物達の性を仲立ちとする関係に表されて生々しい。
生々しさを表すのに、ミイラ行と秋元が言っているのは、五穀断ち、十穀断ちなどを経て即身成仏することであろう。有名な所では鉄門海上人が居るが、敢えてミイラという修辞をしている所に劇作家というより文学者を自認していた彼女の美意識が在ったと思われる。
 戦争中、児童に付き添って来た教師の戦中教育と敗戦間もなくの失踪、海尊が、何人も出てくる点は、義経生存伝説、東北での海尊伝承、藤原三代のミイラ、宗教的行ではなく、人工的にミイラを作る行為等と海尊伝承を身体化させる物語装置として“転じることで生き続ける海尊という実在(役者の身体を通じての実在化)を為さしめること”。これら、一連の目論見によって現実世界を虚構によって相対化する試みこそ、今作が目指したものではなかったか? 社会的男女関係のfemme fataleによる逆転もその一つだろう。
プープーソング

プープーソング

劇団きらら

北とぴあ カナリアホール(東京都)

2018/03/16 (金) ~ 2018/03/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 普段九州で活躍するグループである。科白は熊本弁であるが、自分は方言が好きなので苦にならない。

ネタバレBOX

それどころか、できれば、方言についても学んでみたい方である。何故なら、その地域の言葉こそ、その地域が要請する身体表現なのだと考えるからである。日本語には厳密な意味での標準語は存在しない。現在「標準語」とされているのは、東京山の手の方言をベースに創られた言葉であるが、それだけのことで、ヨーロッパ先進国の言語スタンダードが、その国の国語の最高権威が1世紀以上のグループ研究を続けて創られてきていること、国語の何がどのような経緯で発展してきたかを、その単語の初出、初出文献、その時の意味、その後の変容の過程などを例文つきで検証、辞書化しているのが当たり前なのと比べると話にならない。
 何れにせよ、話の内容は、正しく現代。とても上手い設定だと思わせるのが、ネットを用いた人材業の話を、派遣という形態の労働の形式で表し、而もそれがネット社会の闇をも示唆しつつ、我々が暮らしている当に今、この時のこの「国」の在り様を見事に炙り出している点だ。この設定の良さが、地方と都市部の差を無化すると同時に、人間という生き物の何たるかをその普遍性のレベルで描くことに集約している。
 舞台セットも室内トレーニングマシンを金属柱やパネルを組み合わせることで作り、他は総て箱馬を使用。唯、並べ方を変えるという最もシンプルだが、観客の想像力を信じた方法で行っていることだ。地方の劇団が、出先でどう舞台美術を創るかは大問題であるから、合理的でもある。
 脚本の質も高く、役者陣の演技、演出も良い。殊に自分に科白が無い時でも、何らかの仕草を演じている、とても丁寧で真摯な演劇に対する姿勢の良さが気に入った。


ブラインド・タッチ

ブラインド・タッチ

オフィスミヤモト

ザ・スズナリ(東京都)

2018/03/19 (月) ~ 2018/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今作は坂手 洋二氏が2002年夏脱稿、秋に上演された作品である。つまり9.11の翌年の作品だ。(華5つ☆)必見!

ネタバレBOX

通常、テロに対しては軍では無く警察(公安)が対応する。然し米統領であったブッシュが、テロとの戦争を掲げて戦争を始めたことは、ご存じの通りである。この時から戦争の質が変わったことに気付いている人々は多かろう。ファルージャ攻撃などで、イスラエルがアメリカに軍事オブザーバーとして教唆していたことは、知られた事実である。この時イスラエルがその前例としたのは、無論、パレスチナジェニンでの虐殺である。アフガニスタン、イラクを「戦争」の対象としムスリムを民主主義の敵としたのも、流れを見ると頗る怪しいのであるが、まあ、今作に直接関係ないので、この話は此処までにしておく。
 翻って日本の公安、検察である。かつて鬼と恐れられた検事がヤメ検になった時に聞かされた話であるが、海外から要人が来日する際、何の咎も無い旧活動家などの予防拘禁は当たり前のこととしてやっていたという。法も何もあったものではない。参考までに以下のリンクを紹介しておこう。(http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/472.html)
今作の作中主人公の逮捕、30年以上に亘り獄に繋いだ件も無論、嫌疑はでっち上げである。日本という所は、人間という概念を警察殊に公安と検事は持っていないようである。右翼については大甘であるが、左翼に対しては予め人権を剥奪したような対応を見せる。今作にも、実際モデルになった方が居る。物語に出てくる獄中結婚も事実だ。背景にあるのは、1971年の渋谷事件である。今作では出所したことになっているが、実は未だに獄に在り、弁護団は新証拠や検察の持つ全証拠開示を請求、再審請求を突き付けるべく動いている。渋谷事件については、自分で調べて頂きたい。
物語は、出獄した日に、結婚した女性の借りたアパートに帰宅したシーンから始まる。このファーストシーンが、いたたまれない。長らく世間から隔離されてきた為に一種のデペイズマンを感じざるを得ない夫に18年前獄中結婚をした妻は、何くれとない気遣いを見せるが、坂手氏の描く脚本の科白の想像力の確かさを2人の俳優が見事に果実として稔らせている。
舞台セットは、中央に8畳ほどの和室、部屋の下手壁際にはスタンドピアノ、ピアノの脇に袖のような空間が設えられ、開き戸がついている。上手奥には押入れがある。部屋には他にTVなど。和室奥下手が台所、上手に部屋への入り口があり、このセットを囲む空間は観客席側に縁台が置かれた庭。下手は通路、上手はこの前庭に直行して全体を為している。
決して広くは無い部屋にピアノが置いてあるのは、夫がもう一人の逮捕者と共に、ピアノバンドをやっていたことから。出所したら、弾いてもらおうと思ってである。昨日、初日が終わったばかりなので、作品内容については、これ以上のネタバレはなるべく控えておこうと思う。然し、この後、上手の庭も変化してゆくし、実に驚くべきシーンも現れる。
ブラインド・タッチに関しても、科白によって彼のこの言葉に対する解尺の変容が語られてゆくことに注意していて欲しい。
良く練られた脚本に、極めて質の高い演出、見事な二人の俳優の演技、舞台美術、転換の見事、照明、音響など効果の素晴らしさ。そして驚くべきラスト。必見の舞台である。
第10回公演『オールド・フランケンシュタイン』

第10回公演『オールド・フランケンシュタイン』

唐沢俊一ユニット

小劇場 楽園(東京都)

2018/03/14 (水) ~ 2018/03/21 (水)公演終了

満足度★★★

 2008年に“あぁルナティックシアター”という劇団の為に書き下ろした作品の再演とのことだが、

ネタバレBOX

終盤迄様々な楽屋落ち、下ネタとのWミーニングを狙ったギャグ等が連発されるが、各々のギャグが、物語が必然的に要請する方向性や傾向に傾斜したり、集約する方向性が無いので、戯曲作品がドラマティックに展開するに必要な対立から、アウフヘーベンを経て何らかの結果に収束してゆくダイナミックでエッジの効いた動きに欠ける。役者達は、演出の指示に従って演じているのはかなりハッキリ分かるだけに、これは、脚本の問題だろう。それでも流石に終盤のまとめ方は、グロスでごろっと転がってテンデバラバラな感のあったギャグ群を一括りに提示した上で、別次元で説得力のある普遍的な事実に収束してゆき、懐の深さを見せている。
秘密公表機関

秘密公表機関

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/03/16 (金) ~ 2018/03/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 座長の鹿目 由紀さんがロンドンに1か月行っている中での公演である。(花4つ☆)

ネタバレBOX

いつもその発想の妙に感心させられる鹿目作品だが、前回の「ルート67」では、非常に分かり易い作りにしていたのだが今作は、元々の彼女の持ち味をより色濃く反映させた作品になっている。舞台美術は名古屋からやってきているという事情も含めて極めてシンプルである。板中央に3m四方、高さ30㎝ほどの平台を設え、その中央にテーブル。テーブル側面に椅子が対面するように置かれており、秘密公表機関の係員と特殊能力保持者が向き合って座るようになっている。板奥にはスクリーンになるよう幕が張られ場面、場面で内容に応じて変化するイマージュが投影される仕組みである。音響なども、各々の登場人物に関わる物語を補完するように上手に用いられている点は流石である。
 少し特殊能力について定義をしておいた方が良かろう。体を折り畳んだ状態にしてトランクに収納されるような技術は特技であって特殊能力ではない。特殊能力とはキリストに関する逸話に出てくるような、水上を歩いた、とか。癩者に手を触れたら病が癒えた、等通常では考えられない奇跡的なことを行える能力のことである。
 で、世の中にはこのような類の奇跡を起こす能力を持つ者があると政府は考え、彼らの能力を研究する権利を政府が得るのと引き換えに、彼らが本当は自分が特殊能力保持者であることが負担になること恐れて、その事実を明かしたくない心理のケアをしたり、表明してもリスクを負わないで済むような施策を考え実行するという設定で始まるのだが。
 無論、このようにインパクトの強い謂わば変わり種の発想はインパクトの強い分、飽きられるのも早い。作家はこの点も無論よく理解しているから、話は二転三転してゆく。未だ上演中なので、どのように話が転び、どういう結末を迎えるのかについて、今は書かないが、上演終了後(他会場もあるので総て終了後)に内容をアップしよう。
猫と針

猫と針

劇団Kalium

新井薬師 SPECIAL COLORS(東京都)

2018/03/15 (木) ~ 2018/03/17 (土)公演終了

満足度★★★★

恩田 睦の原作だが、ラスト迄ずっと板上には登場しない精神科医・オギワラの弔いに集まった高校映画研究会の面々、5人の疑心暗鬼を描くサスペンス。(花4つ☆)

ネタバレBOX


何の変哲もないような友人関係のハズが、誰かが席を外すとか、噂話をすると変な勘繰りを入れたり、矢張り登場しない外資系ディーラーの妻とオギワラとの不倫を疑う夫がストーカー紛いのことをしたり、映画監督になったタカハシと付き合っていたと噂の大地主の妻の自殺とタカハシの関係を周りが勘ぐったり、と。居ない他人の話を通じて沸き起こる疑念や、噂話の不確かさが生み出す懐疑によって簡単に崩されてしまう我々の信頼関係の脆さを、新作映画のエキストラを頼むとしてスタジオに集め、撮影をしながら、別の所に設置したカメラで終始隠し撮りを続ける、監督タカハシの深い人間不信から離人症でも発症したかのような執拗で陰惨な真実追及の手段を通して、我らの時代にここで生きる現代日本人の深く病的な不信という怪物を炙り出した作品、と解釈した。
恩田 睦が、何を描きたかったのかを深読みし過ぎるくらい深読みしても良いのではないだろうか? また、今回音響はオープニング、ラスト共にショパンの「ノクターン」を用いているが、観劇後、つらつら考えてみるに、自分ならラストには、エリック・サティの「ジムノペディ」を使うかな、などと考えてみた。演奏は高橋 アキだろうか。演技については、登場した5人それぞれにかなり演じてきているなと思ったら、高校時代の演劇部仲間が中心になって結成したグループだというので納得した。
スタッフの対応、作品を丁寧に作っている点でも好感を持った。
廃墟

廃墟

ハツビロコウ

シアターシャイン(東京都)

2018/03/13 (火) ~ 2018/03/21 (水)公演終了

満足度★★★★★

 原作は三好 十郎である。

ネタバレBOX

原作を読んでいないので、今作の上演台本を書き、演出をした松本 光生さんの台本とどこがどう違うのか現時点では知らない。描かれている時代は1945年の敗戦直後から46年頃までとみた。で、その頃のインテリが感じていたこと、観ていた日本と現実に今我々が暮らしている日本が本質的に一切変わっていないことに愕然とさせられたのである。
原作に於いてもこのような形だったかどうかは、今時点で自分は知らないが、原作でそう描かれていたのであれば、三好の本質を見抜く目を褒めるべきであろうし、今回の脚本でそのようにしたのであれば松本氏を褒めるべきであろう。何れにせよ、開幕から終演迄一切たるんだ瞬間の無い緊迫の舞台であった。
 それだけに日本のインテリの在り様と、革命を起こせない国民性、その背後に蠢く人間概念の予めの崩壊、その結果の日和見主義。絶対という価値観の欠如下でのセンチメンタリズム蔓延とそれを根拠としたポピュリズム等々の問題が、自分の問題として立ち現れて来、深く内省を強いる作品になっている。
 タイトルの廃墟は、無論、表層では大空襲で焼け野が原になった都市であり、そこで明日をも知れぬ生活を強いられる人々の逼迫である。殊に進駐軍に春を鬻がねばならぬ日本女性の姿である。(梅毒などによって体も蝕まれ、正しく「廃墟」となる場合もあったことは容易に推測できる)だが、何よりも重く、昏い廃墟は、我々日本人の心、否、魂そのものが廃墟と化し、その心と魂で築かれた戦後の繁栄そのものが、実は何ら本質的な意味を持たぬ、即ち我らの魂生き写しの廃墟であったことではないだろうか?

若手演出家コンクール2017 最終審査

若手演出家コンクール2017 最終審査

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2018/03/06 (火) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★

 チェーホフのプロポーズを演出。

ネタバレBOX

演出家のコンクールであるから正攻法なのだが、このコンクールはオリジナル作品での応募も多いので、できればオリジナルで演って欲しかった。でなければ、協会の方で上演作品を決めて、演出だけを評価対象にするということも考えなければならないかもしれない。何れにせよ、尺も約40分で既に上演を拝見した東京の2劇団と比べて尺が短いのも勿体ない。演技自体は熱演で、地力もある劇団だと思うだけに猶更勿体ないという気がしたのである。
若手演出家コンクール2017 最終審査

若手演出家コンクール2017 最終審査

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2018/03/06 (火) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★

 今回の審査員の一人によると緻密な作品も作るらしいが自分は、この劇団では全*とか、アナーキーで様々な概念をブッ飛ばす作風の作品しか拝見したことが無かったので、今作もイメージ通りといえばイメージ通りであった。

ネタバレBOX

予想通りのシーンも出て来たし。
 面白く感じたのは、作・演の松森モヘー氏が狙いの一つにしているのが、現実に起きているもの・ことをそのまま舞台に上げようとしていることである。それは日常的に見慣れていて、何の変哲も無いと普段我々が思い込んでいるもの・ことが、じっくり観察してみると新たな側面を見せたり独自性を持っていたりすることを発見しようとする試みであるということができよう。
描かれているのは、在る家族の在り様だが、その内実は、DVあり、不倫あり、幻視あり、自殺あり、失踪あり等々ぐちゃぐちゃである。おまけに末娘が付き合っている彼氏は妻子持ちで不倫なのだが、その彼の子を身籠って出産する話迄出てくる始末。つまり家族とは言っても、現在、日本中にごろごろある崩壊家庭が描かれているのであり、そのような家族が生活するわが日本の現実として、家族を取り囲む状況そのものが現在増々非人間的傾向の進行度合いを強めていること、即ち民衆の命の値が日々どんどん軽くなっているという事実認識にも表れていよう。このように誰が見ても明らかだが、日本人は滅多に口に出さないことを言ってのけている点が面白い。但し、壊すのであれば、最初はもっとかっちりした世界観を持った家族が壊れてゆく方が説得力を持つだろう。どうしようもない家族がその結果としてどうしようもないのでは変わり映えがしない。
注:*は裸
若手演出家コンクール2017 最終審査

若手演出家コンクール2017 最終審査

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2018/03/06 (火) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

 実に様々な解釈が可能な作品だが、脚本の緻密な安定感と、言葉の実験、舞台美術と衣装及び作品内容との関連性と統一性もさりげなく自然に而も柔らかく的確に表現している点が凄い。(花5つ☆)

ネタバレBOX

通常小劇場の舞台で見る作品とは次元が異なる完成度の高さを見せてくれた作品である。これまで、この劇団の作品は4作拝見して来て、何れも優れた作品であることに感心してきたのだが、今日、この番外作品を拝見するに至って、天才出現という思いを強くしている。
演出コンクールなので、脚本重視の自分と審査員の見解には相違も生じるかもしれないが、ドットの増減、ミラーボールの使用など視覚的なことにもにもかなり力を注いだのではないだろうか。役者陣では長女イブ役の加藤睦望が、気に入った。他は武田役。
この2人、互いの相互関係も絶妙である。見えないもの・ことに共鳴できるイブと末娘・ルルの彼、武田の間のコレスポンダンスが理解できるかできないかで評価が分かれそうだが、これが見える者にとっては堪らない作品である。
ところで虫の複眼を拡大するとドットの集積のように見えるが、舞台美術と衣装が、劇中に登場するテントウムシの文様とも交感・共鳴し合いながら、物語の進行に応じて減少。死んで見えなくなっている猫に、虫が潜む裏の世界では出会っているというような巧みな論理のすり替えが、魔法使いとして登場する武田との三角関係にもつれ込みそうなイブの切ない恋愛感情の危ういバランスの上で咲きかける緊張感と、その極点に於けるパラドクサルな永遠性を表現するに至っているが、念を断ち切るように紡がれるさよならの現実に由って確固たるものになる。
 ここには、チェシャ猫も居れば、三人姉妹も居る。更にチェーホフの「三人姉妹」は、姉妹同士が恋敵になる三角関係は描いていないのだが、今作では、それが提示されていることで、チェーホフに挑んでいる側面も感じさせる。長女が教師で頭痛持ちという設定は、オリガと同じであることは誰の目にも明らかだろう。
若手演出家コンクール2017 最終審査

若手演出家コンクール2017 最終審査

一般社団法人 日本演出者協会

「劇」小劇場(東京都)

2018/03/06 (火) ~ 2018/03/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

 男道ミサイルという宮城の劇団、観劇前未見だった2つ劇団のうち決勝に残るチーム2つの内の1つとして予測していた劇団が矢張り順調に勝ち上がってきた感じが強い。

ネタバレBOX

大地震、大津波そして福島第1原発人災三重苦を背負わされた地域から予選を勝ち抜いてきたチームだけに天才脚本・演出家、笠浦静花が主宰する“やみ・あがりシアター”に対峙することのできる劇団の最右翼と踏んでいた劇団だが、見事にその期待に応えた形であり、否それ以上であった為、どちらを優勝チームに選ぶかが大問題になってしまった。
 何しろ開演前から板を挟んだ入り口側・対面に設えられたスクリーンに渋谷から下北を目指して走るタカシのライブ映像が映されており、それを座長役の本田が解説つきでアナウンスしているのだが、このトークが絶妙で芸質の高さを示している。一所懸命に走っているタカシの地方から出てきた故のルート選択の過ちを含めて一瞬の隙もない、フォロワーからの“いいね”“がんばれ”などの投稿が、画面上にリアルな協同感覚を盛り上げる。若者達が、大事なニュースや自分達の将来を決定する政治動向を間違え続けていることの原因の一つが、このような協同感覚に訴える手法のリアリティーに在るであろうことを実感させられたシーンでもある。それほどまでに効果的な演出であった。
 さて、本編に入ると劇小劇場に到着したタカシがルームランナーとでも呼ばれているのだろうか? 室内ランニング用の機械の上に乗り、走り始める。劇団の推移・状況説明や家族との関係、そして下敷きにしている太宰治の「走れメロス」の主題に絡ませた劇団内紛をドラマツルギーの対称軸としながら物語が語られ紡がれてゆく。この縒り合わせ方も巧みである。而も、通常公演と異なり江戸時代の歌舞伎のように飲食OK。音声・写真・動画撮影、ツイッターなどのSNSもOK。劇団サイドとしてもネットで本編同時中継をしているという。
 本編は、原作の本質を過不足なく抉り出してベースとすると同時に、アレンジを加え現在福島を含め被災県民が現実に向き合っている逃げ場のない状況を、原作の呈示している本質的問題の仮借ない追及と重ね併せて描いた後、終盤重く深いこの問題から、観客を日常感覚の世界へ連れ戻す為の創作を極めて手際よく加えている点も素晴らしい。
 タカシを演じた役者さんの体の鍛え方が半端ではない。無論、出演していた他の2人の役者さんの力量も大したものでああり、作・演出の澤野氏の力量も本物である。

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