ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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魔女の夜

魔女の夜

劇団キタラヅカ

本所松坂亭(東京都)

2018/12/08 (土) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 板上は上手に大き目のテーブル、椅子数脚。下手奥にはレコードプレーヤーが1台、下手袖がキッチンという設定だ。

ネタバレBOX

女の部屋と思われるが家具らしいものは一切ない。深夜2時に、つい先頃問題を起こした若手女優(友紀)が転がり込んでくる。マネージャー(さゆり)がいぶかるが、友紀は傲慢で我儘な態度を取り続け、ずっと年上のさゆりに横柄な態度で接している。然し、彼女は腕に怪我をしており、酔ってもいるが、原因を訊いてものらりくらりとはぐらかしたり、階段で転んだなどとミエミエの嘘で切り抜けようとする。勝手にさゆりのハンドバッグを開けたり、キッチンの冷蔵庫から酒やダイエット食品を持ち出したりと好き放題だ。持って来たボトルをかなり飲んだ後、友紀は先日スキャンダル騒ぎを起こした男とチェロキーに乗っていて事故り、血だらけの彼を車内に残してやって来たと言い出す。そして運転していたのは、彼女だったと。さゆりは、自分を試す為に友紀が嘘をついているのではないか? との疑いを抱きながらも事実ならば、救急車の手配をしなければならぬと考えるが、本当に事故ったのか否かを確認しようとする。然し友紀は運転していたのは小百合だったことにして欲しい、と提案する。何故ならかつてさゆりが友紀に「あなたが、私の総てだ」と言ったからだと言うのである。友紀を救えば、さゆりが事故の責任を負い友紀はそのキャリアを潰さずに済むかも知れない、という訳だ。もし友紀がさゆりに事故のことを言わず警察沙汰になった場合には、さゆりが後で知った暁には「知らせてくれれば私があなたの身代わりになったのに」と言うに決まっているとしてさゆりに罪を背負わせようとしたのだが、さゆりは、これを断る。そして明らかになるのは、男はさゆりとも出来ており、この部屋は難破な男の為に彼の事務所が目立たぬような場所にそれ様の部屋として借りている物件だった、という事実だった。つまりさゆりは、今夜も彼の帰りをこの部屋で待っていたという訳だった。だが、友紀も反撃する。彼は血だらけと何度も繰り返していたのだが、命に別状があるような怪我ではなく、男も芸能界の人間なので表沙汰になるのがヤバイと現場から自力で医療施設へ向かったことを隠していたのだ。女同士の闘いは新たな局面を迎えた訳だが、この新たな地獄をボレロの中で踊り狂う様で表し、幕。
「関係」

「関係」

有機事務所 / 劇団有機座

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2018/12/05 (水) ~ 2018/12/06 (木)公演終了

満足度★★★

 演目は大きく分けて3つ。

ネタバレBOX

「関係」が最も通常の芝居概念に近い。不条理劇風の作品で初演は10年前。再演ということに成る訳だが、所謂「洗う」と言う行為は余り為されて居ないのではないかと感じた。物語の大筋としては、初対面の挨拶すら出来ないような者が、社会の暗黙の了解等に気付き、徐々にアイデンティファイすることによって社会人としても成長し、己の位置関係も意識できるようになって様々なアプローチの仕方も見えるようになってゆくという成長物語という側面と其処に至りつくまでの過程を各登場人物との齟齬や齟齬を齎す原因として措定される新参者の不如意に対するアタックとの攻防、順化を通して社会化されてゆく有様を描いていると言えそうだ。だが、本当に10年前と同じようであろうか? その変容を“洗う”ことによって何処まで出すかが、本来再演する意味・目的ではないのだろうか? 
 アフロは、単調で自分は楽しめなかった。ポピュリズムに流れていた点では、次のショートショートにも通じた。S.Sは、ラストの啖呵売の口上が、実際の香具師の口上と様々な売りの口上、更に都々逸迄入っていて、自分には頗る面白く懐かしかった。
二人の女の家

二人の女の家

THEATRE ATMAN

東京アポロシアター(東京都)

2018/12/07 (金) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作は韓国の作家・李 哉尚さん。

ネタバレBOX

戯曲の三分の二位まで、無駄な科白が一切ない、と日本人の自分にも捉えられた。こんなことを言うのは、入管法「改正」と騒いでいる現政権の茶番が頭にあるからであり、この糞共の目論見があからさまに見え透いているからでもある。今作の原作者は、1910年の日韓併合によって植民地とされた後、土地を奪われ、主権を奪われ更に創氏改名を強要されることによって人間のアイデンティティの基盤さえ日本に奪われた半島の人々の恨みつらみを代弁している訳ではない。然しながら大日本帝国の兵士としても徴用された作家の先達達の経験を含む戦争の悲惨を生き抜いた民族の辛く深く昏い地獄が今作のベースには在る。そんな訳で様々な要素はあるにしても、朝鮮半島が分断化され4.3事件など半島と直接的な関係が無い島嶼部を含め、日韓併合後多くの悲劇が齎された彼らの悲痛な歴史の一部は我が民族のせいであろうと考えている訳だ。かつて、文化的にも我々の兄貴分であることを知っていた日本のアーティストは、龍を描く時、決して爪の数を四本だとか、五本に描いていない。現代の作品を見ると、この程度の予備知識も持ってか持たずか爪の数を増やしている作家がいるので、見る自分としては嗤っているのだが。話が脇に逸れた。
 何れにせよ、日本人が書いたなら、医師を懲らしめた辺りで作家は筆を置いたであろう。然し、それでは、未だにこの民族が抱えている根本的問題を描いたことにならないし、地獄も描けないということになったであろう。その先を在り得るリアリティーと共に描いている点に今作の真骨頂があろう。作家の豊かな才能も感じる作品である。
悪食娘コンチータ

悪食娘コンチータ

劇団ブリオッシュ

カメリアホール(東京都)

2018/12/08 (土) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★

 もっとゴシックロマンの香りがする作品かと思っていたのだが、大分外れた。寧ろ漫画的発想の作品だ。

ネタバレBOX

コンチータの悩みやトラウマの深さが全然伝わってこないのは、彼女の生まれや育ちの中に起こった悲劇が、ちっとも宿命としての必然性を具えていないからだ。魔法だとか、悪魔という呪文を持って来るだけで何でも可能になってしまうような安直な発想では、人の心を撃つこともカタルシスを与えることもできない。そこに真の葛藤が無いからである。演劇の何たるかを根本から学び直すべきであろう。
 役者の力量にも大きな差があり、科白が聞き取れないような役者は序盤何人も居たのだが、1人は聞き取れなかった役者全体の60%位を占めていた。これでは話にならない。こんな役者を大事な役につけるとは、演出家何を考えているのだろう? 声が届かないことは稽古中に分かるハズ。せめて観客の方を向かせて喋らせる程度のことは、最低限必要であろう。学芸会ではないのだから。
時代絵巻AsH 特別公演『水沫〜うたかた〜』

時代絵巻AsH 特別公演『水沫〜うたかた〜』

時代絵巻 AsH

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2018/12/05 (水) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 特別公演の第三弾。舞台レイアウトは、この劇団の基本形。客席からの出捌けもあるので、ちょっとダイナミックだ。(華5つ☆)観るベシ!

ネタバレBOX

 Ashを率いる灰衣堂 愛彩さんの脚本は元々光っていたが、鬼や将門を描いた辺りから、殊に人口に膾炙した人物像よりは、様々な下調べに基づく独自に解釈された人物造形や歴史観が強く息づくものになったような気がしていたのだが、今作はこれらが更に円熟味を持つレベル迄深化・進化しているようだ。
 というのも源平合戦に至る時代の過酷な精神状況を描き、日本を代表する叙事文学「平家物語」を産んだ悲哀の歴史の酷いまでに仮借の無い姿が、人間というちっぽけな存在に襲い掛かる様を俯瞰と仰視双方から観て対置させ、自然で躍動的なドラマツルギーを成立させているからだ。
 また、リーダーを描くにはリーダーとして持たねばならぬ資質をキチンと描き、敵対する者らへの対応や、保護すべき者らへの悠揚迫らぬ態度を描くことによってその器の大きさ、温かさなども自然に納得させるのだが、この手際が素晴らしい。
 演者達も、作家の意図を良く汲み的確な役作りをしているが、この劇団の良さは厳しい状況の中にある登場人物達が、それでも前を向こうとし、友情や信義を重んじて人間として生きようとする根源的な姿を描いているからであろう。今作の直ぐ後に描かれる次回作も楽しみだ。
隠れ家の人々

隠れ家の人々

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2018/12/05 (水) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 誰が、何故、隠れているのか? 先ずはその謎解きから。(追記2018.12.7)

ネタバレBOX


 M.フーコーの定義によれば、“狂気とは純粋な錯誤”である。自分はこの定義に同意している。だからその前提で話を進める。この定義に従えば、狂気に陥って居ない人々には、狂気の内実は、通常理解できないということになろう。それ故に狂人は差別されて来たのであり、特殊な存在とも見られてきたのである。精神科の医者にした所でカウンセリングによってアプローチし、これまでの知見や、症例研究を通じて考えられた理論と付き合わせながら個々の事例を判断するのが基本となろう。
これまでの知見や、症例研究を通じて考えられた理論と付き合わせながら個々の事例を判断するのが基本となろう。だが、如何に臨床データがあり、それらをベースに導き出された理論があるとはいえ純粋な錯誤であるならば、病者個々人の症例は矢張り独自なものであるハズだ。而も極めて感受性が高いことも原因となって発症したとするなら、フィットするケアは極めて難しいと言わねばなるまい。
 一方、傷ついた人々を癒す力を表す概念とは、一般に何かを考えなければそもそもケア事態を実行することができまい。それは基本的には愛であるが、タダ無暗に愛するだけでは不足である。対応するこちらも人間であるから発症した者達の反応如何では、腹を立てたり、気分を害して判断を誤ることは充分にあり得るのだ。これを極力避ける為には、赦すことが必要である。こういった人生の機微を流石に座長の村手さんは良く分かっていらっしゃるから、彼が登場すると、若い人々の演じていた舞台が引き締まるのは流石である。こんな効果が出るのは、言葉だけでは表現しきれない微妙なニュアンスを体全体から滲みださせるだけの人生経験と生き様があってこそだろう。若手でも無論、上手い役者が何人かいるし、一所懸命に演じている役者達の姿にも好感を持てる。
Gloria

Gloria

芸術集団れんこんきすた

劇場HOPE(東京都)

2018/12/05 (水) ~ 2018/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ドイツ出身の名女優、マレーネ・デートリッヒの前線慰問を巡る物語だ。ナチスの実効支配に抗してアメリカに渡り、連合軍の広告塔としての勤めを最後まで為した壮絶極まる、パトリオット(愛郷者)の半生を描く。
 殆どの人は、事実や真実ではなく、洗脳の為垂れ流され、受け身に生きていれば皆と同じ視座で生きられる嘘を目指している、ネタバレに書かれたようなことではなく。何となれば楽だからだ。(2度目追記2018.12.9 02:52)

ネタバレBOX


 真のパトリオットは時として、祖国の誤ったイデオロギーを糺す為の敵となる。無論、本人に対する裏切り者プロパガンダや、本人のみならず、家族、親族眷属に至るまでが生まれた国の政治体制如何で訴追を受けかねない。それを世界的大女優がやってのけた。広告塔としての効果は頗る高い。賢い女性であったから、当然その程度のことは読んでいる。その分、彼女の精神的な苦痛は並大抵ではなかったであろう。この厳しく凄まじい人生をオープニングのサスが的確に表現している。見事な演出と照明である。
 デートリッヒ役は、座長の中川 朝子さん、出ずっぱり、膨大な科白を英語やドイツ語の歌詞を交え、地声で歌うチャレンジ精神が潔い。脚本は、定評のある座付き作家の奥村 千里さん。今回もデートリッヒに関する膨大な資料を読み込み、エッセンスを抽出、本質的な作品に仕上げている。演出も彼女だ。士官や参謀クラスを除き、登場する一般兵士を演ずるのは、ドイツ軍、アメリカ軍とも各々1人だけだ。だが、演劇には暗黙の約束事がある。今作のように本質を各々1人に集約して全軍を表す場合、エキストラ等を使ってある程度の人数を揃え、科白のある役者数で全体の傾向を示す場合である。舞台上に何十万の兵士を出す訳にはゆかないから当然のことなのだが、1人に集約するには、各軍の特質及び本質を不自然にならないように埋め込まなければならない。この点でも科白表面読み・裏読みが、観客の知識や想像力の多寡に応じてきちんと受け取れるようになっている点は流石である。
 デートリッヒの科白の中にGIが最も勇敢な兵士だと称賛するシーンがあるが、これは彼女がドイツ人で徹底したパトリオットであり、先に挙げた理由などから引き裂かれた精神が発した必死の言葉と取る。而もアメリカは現在の形になるまで国境線を持たなかった。ネイティブアメリカンを騙しつくし、殺しつくし、メキシコに正義など微塵も無い戦争を吹っかけて土地を奪って来た野蛮な国だ。現在、イスラエルが国境を持たないのも、アメリカを手本にしているのだし。
 プロパガンダにした所で、西部劇に矢鱈に出て来た、頭皮を剥ぐから「インディアン」は残虐だ、という話も事実は全くアベコベである。アメリカは自分達の土地とする為にネイティブアメリカン狩りをしていた。そして殺した証拠にネイティブアメリカンの頭皮を剥ぎ、成人男性、女性、子供各々の対価を決めて持参した白人に賞金を支払っていたのである。余りに理不尽なことをされたので、ネイティブアメリカンも同じ頭皮剥ぎをし返したに過ぎない。イスラエルのプロパガンダもアメリカ同様えげつないものだ。が、閑話休題。今作は、独・米中心の話だからにゃ。ただ、自分がここでこのようなことを書いたのは、作家がデートリッヒの科白として「GIが最も云々」という科白を書いた時に随分悩んだ、という話を聞いたからである。当然だろう。GIも半端ではない酷い行為をしていた。
 ところで、今作を今の日本で演じることの意味は如何であろうか? 当時世界中で最も民主的と評価されたワイマール憲法を持ちながら、世界で最も恐れられたファシズムに突入していった歴史は、他国のものだろうか? アメリカ人の中で良識を持つ人々が時折羨ましがるように、現日本国憲法は民主的である。だが、安倍政権以降、これも危殆に瀕しているのは、現天皇家の反応を見ても明らかだ。このような視点で観ることもできる作品である。観客としてどのような意見を持つのも自由、組するにせよ、そうでないにせよ、こんなことも考えさせる作品、観ておくのがよろしかろう。
離々として連々

離々として連々

迷子の遊園地

サブテレニアン(東京都)

2018/12/01 (土) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

 惜しい! 普段は浜松で活動している劇団だという。1997年旗揚げ。

ネタバレBOX


 ところで、何故自分が惜しい、という評価を何故したのかというと、シチュエイションの設定の仕方を変えれば、今作はそれだけで格段に良くなること請け合いだからだ。今作で描かれた内包をそのまま、例えば戦争(アメリカによるイラクやアフガニスタンへの或いは日々行われているイスラエル入植者及び軍によるパレスチナ人に対するジェノサイド)下に在る子供達の状況として描くならば、意味は遥かに深化し、普遍性と今作が社会に問うことの鋭さを提起できたであろうからである。だが、未だ作家にそこまで尖鋭化する内的必然性が無いようだ。
演技を拝見している限り、姉(サチ)を演じた女優さんの鍛錬は並大抵ではあるまい。(東京で活躍する女優でもこれだけ鍛錬している女優はそう居ないと思う)成長後のサチを演じた女優さんもしっかり鍛錬していることを感じさせるシーンがあった。恐らく劇団のメソッドとして身体訓練には相当重きをおいているのだろう。それだけに、脚本家には、もう少し生の社会に踏み出し格闘して欲しいのである。そうしつつ、哲学や社会学、経済学、民俗学、そして世界情勢をアナーキーな視座で分析して欲しい。常に実践と理論を並行して進め・学び・獲得して行って欲しいのである。意欲はあるようなので期待値を籠めた評価をした。
サイパンの約束

サイパンの約束

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2018/11/23 (金) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 事実。

ネタバレBOX

 この数年間の日本政治のバカバカしさと茶番は、世界中のどんな国の政治も真似の出来ない程の体たらくを晒していよう。マスメディアの凋落も目を覆うばかりである。頭の無いムカデのように、何処へ行くのかも分からず唯たくさんの足を闇雲に動かしては痙攣する足取りで全く見当違いの方向へ舵を切り、時折2度、3度と痙攣を起こした脚の神経に引きずられるように、今度はこっち、次はあっち、とのたうちながら終末へ一歩、また一歩と歩みゆく。この悍ましい運動を支えているのが、フェイク情報を信じ、己の頭で考えようとはしない者達の愚か極まる頭脳と「判断」だ。
 このような人の特性を利用してアホの頂点に立ち、アメリカの奴隷として生きていることを恬として恥じない下司、そんな下司に「忖度」でしか応じられない「エリート官僚」という名の塵。こんなものを毎日、朝から晩まで下手をすれば夢の中でまで見せられれば荒む。心はもうとっくに壊れていたが、もっと深い所で魂が崩壊しそうになっているから、心が魂を護る為に嘘を平気で吐きだす人々は増加している始末。
 こんな現代日本への対抗策が今作ではないのか? 今作の創作部分は1割ほど、殆どがドキュメンタリーである。現代日本の状況では、民衆の声を聴かない為政者を叩く為には、彼らがやっている総ての反倫理的行為に対して民衆の目を向け・事実と向き合って貰う他あるまい。表現する者の役目の1つが、大江 健三郎ではないが、炭鉱でのカナリアの役であるならば、猶更である。今迄の作品が、取材をベースにしながらも敢えて虚構として描いて来た坂手作品と燐光群であったとすれば、これまでの作家・劇団の経験が今作のようにドキュメンタリーであっても、向き合えるそしてキチンとした表現として纏め上げることのできた大きな理由であろう。主演の渡辺さんの品があって可愛らしい演技も見所。
オイディプス=罪名

オイディプス=罪名

クリム=カルム

新宿眼科画廊(東京都)

2018/11/30 (金) ~ 2018/12/05 (水)公演終了

満足度★★★★★

 会場は地下ではなく、1階画廊の奥。気をつけられたい。
 

ネタバレBOX

 さて、、、会場に入ると、タダでさえ鰻の寝床のような空間は入り口から見て、丁度部屋の背骨の辺りに幅の狭い陳列台が設けられ、観客はこの陳列台の左右に背を向けて座る。一番観易いのは座った正面方向だから最も多くの時間正面の演技を観ることになるが、そこはそれ、無論、キチンと演出と今作の主張としての物語分割及びギリシャ古典劇の大傑作と現代日本の我らの暮らし(より正確には昏しか?)にことよせた翻案が演じられる仕組みだ。もっと予算があれば、更に効果的な見方ができる場所に観客席を設けることができたのは、演出家も重々承知しているが現実に費用捻出は難しい。そこで基本的なギリシャ建築のイメージ、白で壁面などは統一され、陳列台の上にはアルキメデスのなどギリシャの知恵を示す小さな模型が展示されている他、登場する役者達の大きな写真パネルが壁に取り付けられている。演ずるのは総て女優。衣装は黒のパンタロンに黒の上着を基本としている。これは無論、演劇というものが総て役者の身体性を通して表現されてきた媒体という歴史を、身体性を通して繋ぐという今作の基本姿勢と本質を重視する芝居創りに根を持つと観た。入り口から見て右が、古典としての悲劇を中心に、そして左側では、現代日本を意図した翻案が上演されるが、役者達は時に同じ役回りで、時に異なる役回りで双方の空間に移動するから、過去と現在、そして原作を一旦解体して再構成することで、恐らく今迄誰もやらなかったソフォクレスの新たな読み方・見方も提示している。これは画期的なことだ。会場でチケット代わりに配られる小品は、観客参加への誘いとみることもできる。女優の足首辺りにも注目して欲しい。粋で本質的、而も極めてお洒落な工夫と細かい所にまで神経を行き渡らせた今作の姿勢を見ることができよう。女優達の演技も熱演である。
人造カノジョ~あるいは近未来のフランケンシュタイン~

人造カノジョ~あるいは近未来のフランケンシュタイン~

劇団鋼鉄村松

萬劇場(東京都)

2018/11/28 (水) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 喜劇としての面白さは無論だが、未来予測としても、生命と技術の相関関係にしても随分深い所まで楽しみながら考えさせてくれる秀作。

ネタバレBOX

 量子コンピューターやシンギュラリティー、ips細胞や3次元プリンターなどが組み合わされて出現する世界での、恋、寿命、そして倫理を通して見えてくるもの・こと とは?
 無論、メアリー・シェリーの傑作「フランケンシュタイン」は下敷になっている。創られるのはRURやオリジナルフランケンシュタインに近い存在だが、頭脳部分はAIが埋め込まれているから、コンセプトとしてはサイボーグやヒューマノイドに近くなろうか。因みにサイボーグとは、 M.クラインズが 20世紀中ごろに使い始めたサイバネティック・オーガニズムの短縮形で機械部分を意識的に働かせなくとも,人体と一体化して動作する機械と生体との結合体のことだ。これに対しヒューマノイドとは、ヒト型の存在を意味するが明確な定義はない。この用語の由来がhumanとidoの合成語だからである。直訳すれば“人間のようなもの”ということになろう。何れにせよ様々な概念が夢に溶け再構成された存在なので余りコンセプトに拘る必要は無さそうだ。
 一方、今作の面白さは、こういったSF科学的知識を前提にしないと楽しみ切れない部分があるのも事実だろう。例えばシンギュラリティーというコンセプトが分かっていないと、ソクラテスがやっていることや、ひまわりとの関係、博士と研究者たちの優秀性等も理解できないとは思う。
 まあ、メアリー・シェリーの書いた原作を読み、既に我々の生活を取り巻き浸透すらしているIT(パソコン及び周辺機器の発達等とロボット工学、ips細胞・分子生物学などについての常識・SF的理解、そして宇宙・深海へのチャレンジなど科学一般)に普段からちょっと目を配っているだけで充分楽しめる内容だ。
『骨に触れる/スティレットと潜熱』

『骨に触れる/スティレットと潜熱』

裃-這々

シーナと一平(東京都)

2018/11/17 (土) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★

 作家がちょっと背伸びをしているように思う。

ネタバレBOX

 「スティレットと潜熱」というタイトルの作品との同時上演で、各々の作品が互いのスピンオフになるということのようだが、裃という漢字が、フリガナ無しでどれくらいの人に読めるのだろうか? という疑問を含めて、矢鱈難しい概念を使いたいようである。スティレットとは、自分の知る範囲では、刃の無い、刺すことに特化した短剣という認識だが、潜熱も物理学の用語で、物体が相変化する際に必要な熱量のことで、水が100℃から蒸気になるのに必要な539カロリー/gとか零度の氷が零度の水になる為に必要な80カロリー/gなどを指す。無論、可逆的概念だ。用語解説はこれくらいにしておこう。
 自分が拝見したのは「骨に触れる」だが、上演されるのは、6畳ほどの和室で中央に布団が敷きっぱなしになった若い女教師(チヨ)の部屋。長辺下手奥に机、上手奥にはかなり大きなぬいぐるみが2つ。布団の客席側に卓袱台。卓袱台の上も布団の周りも空き缶だの塵だのが散乱している。2階に上がったとっつきの部屋で仕切りを開けた短辺側と下手壁際に観客席がある。
 チヨは、ノートパソコンを膝に載せて時折文章を打ち込みながら、訪れたテンコの弟と話している。テンコは亡くなったらしく、弟は姉と同居していたチヨに通夜に出てくれるよう頼みに来ている。然し、姉の遺体は見付かっておらず、失踪しただけで生きているかも知れない、との憶測が成り立ち得る仕掛けだ。ところで、チヨは、余り料理もしない。ちゃんと食べているのか否か弟が心配してちょっとした手料理を作りに時折階下へ降りてゆく。弟が居ない間に、チヨとテンコの関係が明らかになってゆくのだが、実はカニバリスムの話である。チヨが食べている唯一の肉はテンコの身体であり、冷凍庫を開けてならないのは、そういう意味だ。このようなことになったのは、テンコの考える愛の形は愛することは、愛する者を食べることで、それは“愛した人に食べられたい”ということであり、それを望んだからである。仕掛け人はテンコ。テンコと弟は表面上ぶつかり合っているが、実は近親相姦願望があったのではないか、と疑える。アンヴィヴァレントな感情が渦巻いているからだ。而も弟がチヨを愛したいと望んでいることをテンコが知っていたとすると、チヨを介して最終的に弟に食べられるという所迄持って行ける可能性が出てくる。
 一方、作家は、其処まで具体性を持たせたい訳では無かったようだ。だが、テンコの愛の形が上で説明した通りのものであったのならば、テンコとチヨはレスビアン関係ということになろう。而も若いテンコの自死の理由として愛の成就をそんなに急ぐ必然性は描かれていない。この辺りに今作の作品としての弱さを感じる。どこにも必然性は描かれていないからだ。
 もし作家の言うように、具体的な事象をイメージしない作品だとすれば、作品のテーマは空虚ということに成りそうである。何故なら根拠も何も無い“虚数空間”の周りを、いつ果てるともなく巡る悍ましい輪廻が描かれているということになるであろうから。そこには、骨が無い。だからこそ逆説的にこのタイトルなのではないか?
6月26日

6月26日

FUTURE EMOTION

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/11/23 (金) ~ 2018/11/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

 原作は、チャン・テジュン氏。文句ない傑作である。(華5つ☆)

ネタバレBOX

出演は、三好 康司さん、優也さん。この2人の演技も素晴らしかったが、このキャスティングで、演出家が意図したことが凄い。(この点については終演後に書く)
 板上は上手、下手それぞれに舞台奥が高く、手前に来る毎に低くなる段差が設けられているが、各々の間は板の土間である。三方壁際には黒いビニールが敷き詰められている。このレイアウトは、朝鮮戦争時の戦場を模しており、板土間部分は、沢もしくは渓谷であるから水が流れている。この水は、良い意味でも悪い意味でも命そのものの象徴と観て良かろう。小道具は、銃である。唯一の象徴的な武器を用いて戦争の悲惨とグロテスク、アイロニーを描いた脚本は見事なものだが、本当にギリギリを作中で生きることができない役者では、絶対に表現できない作品でもある。今回演じた2人の役者は何れも見事にこの難題をクリアした。その方法は、身体表現と呼吸法などリアルを観客に届ける為のノウハウだ。2人の的確な演技によって戦場のリアルがそれを体験しなかった者に如何に伝わり難いか、という原作者の恐らく最も訴えたかった内実が滲み出た。それは、分かる者にしか分からないというスタンスで描かれているであろう原作の構造そのものが俎上に載せられているという証であろう。見事だ。
 作品理解の為などというのはおこがましいが、今作で気をつけるべきは、登場人物達が実際何処に居るのか? を忘れないことであろう。
善悪の彼岸

善悪の彼岸

ワンツーワークス

ザ・ポケット(東京都)

2018/11/22 (木) ~ 2018/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 ファーストシーンの照明が素晴らしい。照らされているのは、若い刑務官1名。ピンスポの当て方、その微妙な明るさが観る者をハッとさせる。(未だ初日が終わったばかりなので、本格的ネタバレは追々)

ネタバレBOX

その後、照らされる範囲は広がり、登場人物も増え、通常の物語りが始まるのだが、最初に照らされた人物、霧島が刑務官役のキーマンだ。奥村さんは、処遇部長(志行)役でこの刑務所のトップである。
 舞台は、上・下両袖と中央奥が出捌け、三方の壁に接して本棚、本棚の天板の上にも資料などの入ったケースが置いてある。上手本棚の前には、手前から来客向けのソファ、ベンチ、更に奥には長めのテーブルに椅子。下手本棚の前には刑務官たち用の机、椅子と舞台中央寄りに1人用の机、椅子。中央床には9枚の大き目タイルが、3x3:9枚正方形に組まれている。ど真ん中だけ色違い。意味は直ぐ察しがつこう。話の展開に応じて上半分が曇ったガラスの衝立、執行時に用いる囚人用の小机と椅子などが用いられる。この辺りの舞台転換も見事なことは言うまでもない。
 興味深いのは、所謂哲学的命題と制度、そして制度に組み込まれた凡庸な思考との齟齬が、矛盾を介して再考される点だ。詳細は、初日が終わったばかりだから伏せるが、日本的思考と非日本的思考の対置もある。そしてこの対置によって見えてくる世界観もあり得るのだ、とだけ言っておこう。
多和田葉子+高瀬アキ『ジョン刑事の実験録』

多和田葉子+高瀬アキ『ジョン刑事の実験録』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2018/11/19 (月) ~ 2018/11/19 (月)公演終了

満足度★★★★★

 無論、ジョン・ケージのことだ。今回は13本。

ネタバレBOX

1:プロローグ2:同時通訳3:「Silence」より4:沈黙は金か5:黒い箱6:蝉の声7:実験8:片手で拍手9:絵画の隠れん坊10:ピアノ・ソロ11:サイコロ朗読12:ケージとシェーンベルクの会話13:ほかほか発見 コラボ終演後には恒例のトークセッションが30分程。
 ケージと絵画との共鳴が様々にあるので、こちらはカンディンスキー、ゴッホ、モネ等の作品写真を背景に為される葉子さんの朗読・アキさんの演奏のコラボが素晴らしい。(このコレスポンダンス自体悪戯であるのは無論言うまでもない)カンディンスキーは、 物象を円とか三角とか平面分割の各要素に分けて描いていた時期があり、それは音符の持つ抽象性と極めて親密な関係にあるから、彼の絵とケージの曲がマッチするのは当たり前のこと。自分もカンディンスキーは大好きな画家の1人だが、理由は絵画から音楽を感じるからで、そういう人間は多かろう。兎に角、楽しいのである。色使いといい、形といい、配置といい2次元が立ち上げる音楽だ! 
 終演後、恒例のアフタートークで若い女性が面白い質問をした? 楽しく生きるにはどうしたらいいですか? というような内容であったが、答えがまた面白かった。「あまり~しましよう」っていう生き方をすると人生は暗くなってしまう。それより、悪いと思ったらそれを声に出して言ってやる。そうすると楽しい、と。如何にも海外で暮らす人の言葉だと共感した。天皇家が朝鮮系の血も引いていることは、明仁天皇も明言しているが、日本をリードしてきた人物は基本的に海外生活の経験を持つ者が圧倒的に多い。海外で暮らしていない場合でも、海外情報を得ていたりで世界情勢に明るい者が圧倒的に多いのだ。そういう人々が歴史を動かしてきたのは、少し歴史を振り返ってみれば明らかだろう。近代国家以前であれば、各領地のトップは他のエリアの正確で時宜に適った情報を持つ者が大きな力を持ったのだ。この程度のことが分かっていないこと自体を分かっていないという自覚の無い者が多いから、いつまで経っても惨めな状況から抜け出せない人々として生きるしかなくなるのだ。既に来年の予定も決まっている、鬼に笑われるかも知れぬが来年も11月。楽しみである。
SMOKIN' LOVERS~燐寸~【25名限定公演】

SMOKIN' LOVERS~燐寸~【25名限定公演】

惑星☆クリプトン

Cafe Bar LIVRE(東京都)

2018/11/17 (土) ~ 2018/11/30 (金)公演終了

満足度★★★★

 鰻の寝床のような空間での上演だ。灰チームの燐寸篇を拝見。アナザーヴァージョンとして副流煙篇があるとのこと。(華4つ☆)

ネタバレBOX

拝見した燐寸篇では、アンデルセンの名作「マッチ売りの少女」を下敷きにした作、直接関わりはないがちょっとビターな作品や擽り系、喜劇系などが10本オムニバス形式で上演される。煙草に絡んでくるので各作品のタイトルは、煙草の銘柄名が多い。各々のタイトルを上げておくと1:OP 2:LUCKY STRIKE 3:CABIN 4:pianissimo 5:eva 6:SALAM 7:WEST 8:KOOL 9:禁煙 10:燐寸 
会場内レイアウトは、店の入り口を入ってすぐ右にカウンター、通路を挟んだ対面壁にそって幾つか木製テーブルと椅子、奥の方にソファとテーブル、カウンターの切れた辺り、ソファから少し左斜めの所に小さなテーブルと椅子1脚。通路一番奥が出捌けと袖になっている。無論、出捌けにはもう1ヶ所、店の出入り口も用いられる。極めて演技空間の限られたレイアウトなので、どう用いるかは演出の腕の見せ所でもあろう。実際の演技はカウンターの内、外で行われる。従って大人の男女関係の中で起こるかなり深刻な悩み(時に哲学や人生論に通じるような)や、下ネタに絡ませながら傾く話、お笑いネタ、「マッチ売りの少女」の哀しみと悲惨の中に夢見られる切ない実存等々が配され、役者陣の細かい表現を間近で鑑賞できる点がグー。前説をはじめとして作中で紙芝居が用いられている点もユニークだ。また、燐寸を使う役柄、シーンも結構あって、硫黄の臭気を避ける為の仕草が懐かしい。また燐寸そのものの炎の色合いが、瞬間・瞬間で変わってゆくことの美しさをも発見できたことは新鮮な驚きであった。
LaLa-bye!!

LaLa-bye!!

michelle's attic

ラ・グロット(東京都)

2018/11/16 (金) ~ 2018/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 演じた女優さんが脚本も書き、出演もしている。構成・演出が良いのは、朧の末原 拓馬の協力のお蔭かも知れない。何れにせよ、あの狭く、乏しい機材しかない空間で、よくぞこれだけの作品を提起してくれた。新たな才能に出会えて幸いであった。(追記2018.11.22 01:25)
華5つ☆ また拝見したい。再演でも、人数を増やしてでも。

ネタバレBOX

 小屋は駒込の住宅街の一角にあるラ・グロット。背凭れのない丸椅子を20脚も並べれば一杯になってしまう小さな空間だ。小屋入口対面には、右下がりに階段があり、入り口、対面それぞれの階段を降り立った床部分が演技スペースと客席になる。尤も対面の階段下の三角の空間は、工夫次第で何かになる。今作でも、この空間は、サブプロットに関わる形で用いられており、デッドスペースになっていない。賢い使い方だ。入り口下手を除いて三方の壁には、色とりどりの布きれが三角形を構成する3辺のうちの2辺や、中を丸くしたリボンなど様々な形に貼り付けられて踊っている。暖色系が多いのは、創作者の温かい心と自由で快活なイマジネーションの働きを示している。観客から見て対面の階段を上り切る少し手前の手摺には、シーツよりやや厚手の布が掛けられ人形を演者が用いる時には演者の身体の隠れ家になり、影絵で表現する際にはスクリーンとして機能する。これだけでも、少なく貧弱な器具を用いて大きな効果を上げている点で見事だが、照明や音楽の用い方も非常に的確で上手い。また人形を操る際には、生身の身体が発する科白と人形の発すべき科白(録音音声が用いられる)との組み合わせ、発語のタイミングがぴったりで感心させられた。先にも述べた通り、貧弱な音響・照明設備の使い方も素晴らしい。

 無論、独り芝居で何役も演じる演者の技量も高い。この7年程の間に、演劇サイトでは発表していない作品を含めると2500本程の舞台を拝見しているが、一目見て、上手いと感心した。小さな小屋に相応しい声量、滑舌の良さ、間の取り方、身体をどういう向きで観客に見せるかや身体の処し方、表情の作り方などを総合して実に良い演技なのである。

 ご本人が書いている戯曲も普遍性を持つと同時に、観客の心の流れを読み取ってでもいるかのようだ。次元を変えて進展させるべき所では、そのように描いている。凡庸な作家は、必ずこのような場所でつまずく。この意味で戯曲家としても才能の輝きを放っている。作品が押し付けがましさを感じさせぬ形で普遍性を持っている点も素晴らしい。
ジャン・ジロドゥの思い出

ジャン・ジロドゥの思い出

劇団つばめ組

荻窪小劇場(東京都)

2018/11/15 (木) ~ 2018/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★

 モリエールにそのような批評的視点があったとは、無学な自分などは与り知らぬことであった。

ネタバレBOX

  「パリ即興劇」については、当パンの説明にこうある。元々、モリエールが「17世紀ヴェルサイユ即興劇」という作品を書き、彼自身を含む劇団のリハーサルを出演者が実名で演じた作品。このプロットを借りてジロドゥが80年前にアテネ座に書いた作品が、ジュベ率いる劇団員たちが出演して上演された。今作は、ジロドゥのこの作品を現代日本に蘇らせようとの試みだ。
 内容的には、アートを実践する者の精神とそれを保障する文化的・現実的条件VS政治・官僚システム。換言すれば自由対管理ということになろうか。原作や今作の底本を当たっていないので何とも言えないが、仮に安堂信也訳のままの科白で上演されたのだとしたら、現在の日本の状況とは、矢張りちょっと異なる感じは否めない。折角、上演するのであれば、潤色部分で最も大切な日本現代政治の虚妄、嘘についての批判をキチンとすべきであったろう。そういう意味で現代日本に対する認識が甘いと言わざるを得ない。
 「ベルラックのアポロ」
原作者のジロドゥは、フランスのグランゼコールの1つÉcole Normale Supérieure出身。因みにグランゼコール出身者は、卒業後すぐに大卒の4~5倍の初任給を得る超エリート。ENS出身者は、サルトル、メルロポンティー、フーコー、シモーヌ・ヴェイユ、デリダ、ピケティー、
   ロマン・ロラン、ブルデュー等々、枚挙に暇が無いだけあって、今作でもヨーロッパの文化的伝統をギリシャ彫刻からロダン、孤独の深さを示す為に“猫も居ない”と書いたボードレールを下敷きに、また楽曲では「革命」を書いたショパンの曲も用いながら上手く鏤めながら、短い作品に深みと広がりを与えている。
 今回の演出では、ラストで「パリ即興劇」の冒頭を持ってきて使っているのだが、これでは「ベルラックのアポロ」という作品の持つ余韻を消してしまって勿体ない。政治や官僚機構齎す管理や擬制の欺瞞を周知徹底させる意図かも知れないが、そうであれば「パリ即興劇」の潤色でそれをもっと徹底的に出して欲しかった。


僕らはZOOっと生きている。

僕らはZOOっと生きている。

ACファクトリー

シアターサンモール(東京都)

2018/11/14 (水) ~ 2018/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 尺は155分くらいか。

ネタバレBOX

 観終わるまで尺の長さは感じずに観ることができたのだが、17時から四谷で用事があったので尺の長いのは言っておいて欲しかった。開演が遅れたのも悔しい。
 脚本は、一般的な観客を想定して擽り、ダンス、歌唱、殺陣も入れてかなり上手に組み立てていると思う。満月を産婆をやっている蘭学医が見、命との関連を述べたり、其処にUFO(虚ろ船)が現れて我らの身体を構成する総ての物質が宇宙の生成によって創られたことを暗示していたり、実際、満月の夜には多くの生命の繁殖が見られるという事実をさりげなく示唆し、後の展開の伏線としていることもグーだ。
 時代設定が1867年(慶応四年)という明治政府誕生前年という緊迫した時代であることも良い選択である。オープニング早々のダンスでは、明らかにダンサーを用いていると観た。体の切れが違う。歌や踊り、殺陣が随所に入るのだが、これらも中々上手い。
 一か所残念に思ったのはタカコの父が、足が悪いのにダンスシーンでは健常者として踊っている点だ。ハンデある方々への差別問題とされることになるのを避けたのかも知れないが、ここは、回復しようの無い痛手を負っている姿で躍らせることも一つの見せ方だとは思う。それを観客が笑うならば、観客の感性のグロテスクを嗤うようなシーンを入れれば良いだけのことだ。(少し高度になるし、煩瑣ではあり、リスクを伴うかも知れぬが)
 基本的にしっかりしたシナリオであり、役者達の演技、演出ものびのびしていて良い。リアリズムに拘る人々からは、言葉(時代の、地方と江戸の等々)やUFOが飛び出したり、河童などのUMAが話の中に入ってきたり、宇宙人迄飛び出してくるのだから荒唐無稽の誹りを受けるかも知れないが、今作の狙いはそんな所に無いことはあきらかであるから、観客も己のイマジネーションを解放して楽しむと良かろう。そうすれば、蘭学医の熱も、娘タカコの純真とひたむきな情熱も、おじさんのちょっと内気で真摯な姿勢も、パピコの下敷きになっているかぐや姫のことも、住職の神聖なキャラクターも、鳥飼いの強さの秘密も、寺社奉行の如何にも官僚然とした態度へのおちょくりも、世界を漫遊している男の認識の重要性も、更には天文方・通詞として当時最先端の情報を用いて時代を動かしかねない男の意味する所も、詐欺師兼ねずみ小僧として活躍する住職代行と銭形平次紛いの岡っ引きのジョイントするものも、住職の腹心だが、真面目過ぎて狭量な尼の生き方も、そして猿回し、獅子舞、大工や飲み屋のおかみも、茶店の看板娘などによって顕になる庶民の姿も、抜け目のない幕臣とその上司で抜け作の西洋かぶれ等々も。
いくらでも深く読み込めるキャラクターたちを登場させ、様々な想像をさせてくれる実に面白いエンターテインメントであった。
トリックスター

トリックスター

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2018/11/14 (水) ~ 2018/11/18 (日)公演終了

満足度★★★★★

 中盤、上質な推理小説のような展開をみせ、ぐんぐん引き込まれる。ちょっとそうではないかな? と思っていたことをネタバレに付け足しておいた。また、ブログには、更に少し付け加えた文章を載せている。URLはhttps://handara.hatenablog.com/ 11月16日

ネタバレBOX

 人間はたった旬日の間、飲み食いを完全に断っただけで簡単に死ぬ。エネルギーの使用状況等の関係で生き残る者はあるかも知れないが、普通に働き、或いは生活をしてゆけば先ず倒れる。その程度の生き物である。そんな軟弱な生存が、やれ理論で勝ったの負けたの、或いは容姿が良いだの悪いだの、金持ちだの貧乏だの、要は比較級の中で必死に優劣を争い合っている。
 一方、核の塵だの、人間が生産してしまって地球という母の胎内である海や地底に捨てた有毒物質や微小な生命体やウィルスなどによっても分解されないケミカルな塵は、今後、この命の星の生態系に如何なる悪影響を及ぼすかも解明できない。
 更に、上記の如く下らない理由で他人を蹴落とすことに夢中で、問題の本質を見ようともしない大多数の人々と上から目線で社会の尺度を作ったと言う官僚、政治屋、利害得失に敏いだけの下司。こういった連中が今の日本社会をデザインし活用して、他ならぬ喧嘩の当人たちから吸い上げ不当にも己の私財と化していることは今更指摘するまでも無い。
 今作のタイトルはトリックスター。ネイティブアメリカンの民潭に登場するキャラクターだと記憶している。元々神や長(族長、王など)を愚弄する悪戯者として登場する一方、文化的英雄としての側面も併せ持つのは、彼らが人に知恵や様々な道具をも齎すとされるからだ。作品のオープニングにポーカーのシーンが登場するのは無論偶然などではない。トランプにはジョーカーが含まれており、ポーカーゲームには、これを用いないのが通例だから、この時点でジョーカーが人間界に降りていると捉えられるのである。従って本来強面であるべきハズの組事務所メンバーに余り威圧感が無いのは必然で、そう解した方が面白かろう。逆に非常に知的で上質な推理小説のような展開が中盤待ち受けているのは、このような前提と演劇の本質である歌舞く技術が重ねられた、また歌舞くことによってしか描けない真理を表現する為であるとすれば、これはずっとスパイラルムーンが追い続けてきた表現することの意味そのものでもあろう。
 終盤、慎の問い掛けから始まる一連の本質的問いでは、先ず民主主義とは何か? が問われる。それが人民が権力を握り行使することであるとすれば、戦争にするか、しないか。では多数派はしないであり、原発再稼働する、しないか。でもしないが多数派だ。然し民主主義で望まれている多くの事柄で様々なデータによって明らかに多数派を占める民衆の願いが何故実現されていないのか? が問われるのだが、他にもたくさん上がる具体的な指摘で民意は反映されていないのが明らかである。
何故か? 王(即ち権力者)とは一番の詐欺師だから、ではないか? だとすれば、それが何故可能になるのか? 
 答えは観劇する我々自身が出さねばなるまい。何れにせよそれを為す為に仕掛けられている条件が、劇中で使った食材をちゃんと残さず食べることに示されている。どういうことか? 想像力の問題だ。即ち我々個々人が生きるということは、他の命を喰らい、資源を己の為に用いているということなのだ。このレビューの最初に書いた通り、たった旬日、飲み食いを完全に断つだけで、我らは簡単に死の危機に見舞われる。そして地球上には、多くの飢えた子供達が存在し、自分の暮らしたことのあるアフリカでは、外国人客が入るファーストフードショップなど大方1階にあり、客数の多い、而もセキュリティーシステムよりは開放制を重視するような店の前にはストリートチルドレンが屯し、客が食べ物を落とせばあっという間にテーブル下に潜り込んで拾って食べる。店にはガードマン程度は居て、子供をやんわり外へ追い出す。すると拾えなかった子供が襲い掛かり血を流し合って壮絶な喧嘩になる。そんな光景を見て来た自分にとって、「普通に」稼いで食える、ということが、単に己の生命維持の為に生き物の命を頂き資源を消費するのみならず、どれほど貧しい人々の犠牲の上に成り立っているのかが良く分かるのだ。今作は、その事実を舞台上で訴えかけた上で、キチンと法や権力機構では解決できない問題を解決する為の人為組織としてのトリックスター集団という夢を提起しているのだ。小さい頃、深川の長屋暮らしの経験も持つ自分の周りには、墨を入れたヤクザもたくさん居た。だが、あの頃のヤクザは、素人さんには迷惑を掛けない、という暗黙の掟が実際機能していて、警察がタッチできないような問題は、彼らが間に入って上手く収めていたものだ。無論、強面で怖い反面、親分さんなどと呼ばれて人々の間に溶け込んでもいた。今作に描かれた人々は、こんなタイプの人々をベースに置いてもいよう。暴力団というのが出てきた頃からこういった組織自体が無くなっていったように思う。
何れにせよ今作に出演している役者さんの中に福島出身の方も居るとのこと。3.11当日は卒業式だったとか。昨日WEBで見付けた素晴らしい作品があったので、そのサイト紹介もしておこう。
https://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/anime/p21b8293e3c7ab7168c060b972a582147
また、権力というものがどの程度の広がりと強度を以て我らを洗脳しているかについては、ガザのことを少し知らせておきたい。日本の新聞には決して載らない実情である。
https://pchrgaza.org/en/

 ところで、矢張り開演時間の遅れも演出のようである。流石に芸が細かい。

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