満足度★★★★★
大坂、ミナミで活動を始めた20代のメンバー達の東京初公演だ。演技、演出、エネルギー何れもグー。追記にゃのだ!
ネタバレBOX
舞台は板手前中程にステップが置かれているので客席側から役者が登場するシーンがあるのが予測できる。これが用いられるのはオープニング。狂言回しがこのステップに足を掛け、後ろ半身で観客にシチュエイションを説明しながら物語が立ち上がってゆくのだが、板上下手には、一段高くなった所にパーカッション中央はフラットにして上手は衝立にカーテンが付いていて開閉できるようになっている。ここは、未来のある時点、地球を捨てた人類は月や火星をベースに様々な星に特化されたジャンルの人々を住まわせ、そこで生産やら文化・研究活動などを行うようになっていたが、物語の星は鉄屑の星。怖い金色の雨が降る星だ。雨には強い酸が含まれる為、当たれば金属は溶け、肉体は焼けて凄まじいことになる。各惑星には、ヒエラルキーがあり、上層部は、火星や月などに住み、噂によると格下の星を破壊するゲームをして楽しむなんてこともしているらしい。
さて、この鉄屑の星に不時着などの結果集まった3人は、自作の楽器で為政者たちへの反逆と己の生きる意味を勝ち取ろうとするが・・・。
この過程と結末までを反逆の音楽たるロックとアナーキーな生き様で示す快作。好きだなあこういう作品!
で何で自分がこういう作品が好きか というと先ずアナーキーだからであり、自己主張の果ての責任の取り方がピュアであり同時にフェアであるからだ。大衆を牛耳る為政者共には到底真似のできない高い倫理がここにある。時々、相当のインテリが国家の無無謬性だとか強さについて御託を並べるのを聞くことがあって、元々不良少年上がりの自分等はホントに驚いてしまうのだ。権力に媚びる連中だけが上層に上がってゆくのが世の中なのに、小学生にすら分かり切ったこのような人間の習性が、相当のインテリとされてそのような地位に就き、社会的にも高い評価を受けてきた連中が、その人生の秋を迎えて未だこのような世迷いごとを抜かせることに呆れ返るのである。今作にはこのような瞞着やペテンが無い。或るのは唯これからこの国の若者に圧し掛かってくることが確実な希望の無い未来の地獄である。
ちょっと周りを振り返って冷静に日本社会を分析してみるがいい。日本という国家は、弱者の苦悩等何とも思っていないどころか、ディベート能力も己で考える力も倫理観もイマジネーションやまともな歴史認識も無く、唯強い者に媚び諂う事しかできぬ下司であることすら自省できない下司が、この「国」を牛耳り、このような下司に輪を掛けたような非人間が己らの利益の為だけに国を語り利用して愚衆を動かしているのだが、その原因は革命を産むのが実はイデオロギーなどでは無く技術革新だということにすら気付かず、優秀な技術者達を海外に流出させた日本企業の経営陣であった。その結果、国内産業は必要な技術革新の齎す特許など金のなる木を海外に奪われ、おこぼれだけを頂戴するハメに陥って、現在世界に対して優位を保ちつつ売れる産品が無くなってしまった。これに対し重厚長大、物作り神話に凝り固まり、守られた産業界及び日経などのアホメディアは、憲法を改悪し世界に軍を出して破壊と殺戮の実績を上げようと憲法改悪を狙っている訳だろう。技術革新の恩恵を被れなかった企業は、それが一時コングロマリット企業と謂われたような企業であっても凋落は必定であるから、リストラなどによって経営合理化を図る。一方、根本的技術開発に投資する余裕や発想もなく唯、革新に成功した企業の下請けとして命脈を保つ他がないから、雇うのは正社員ではなくパートや派遣の安い労働力である。こんな具合でほんの暫くの間に社会中間層は消滅の憂き目に遭い、その多くは下層労働者へ転落して来、行くのである。これが、バブル崩壊以降のジャパンだ。更に悪いことに安倍晋三のような国賊がアメリカに日本の最後の砦を明け渡してしまった。無論、アメリカだけではなく、ロシアにも、今中国にも売り渡そうとしているのかも知れぬ。各々方、気をつけられよ!
自分が今作を好むのは、追記で記したこのようなことに今作は異議を唱えているからなのだ!
満足度★★★★
ハンダラは、先ずこの劇団、裏方さんにお詫びをしなければならない。というのも
よんどころない事情はあったにせよ、序破急のうち拝見できたのは急の部分だけだからである。それでも受付にいらした女性は嫌な顔一つせずフライヤーなどを揃えて下さり、扉の内側のスタッフに繋いで下さった。内部の方も気の利いた方で、観易く而も遅れて入った自分が心理的負担をあまり感じない、他の方々にも迷惑は最小限で済む 席へスムースに案内して下さった。終演後も声を掛けて頂き、受付して下さった女性にもお礼を述べることができた。このような心遣いは流石である。
ネタバレBOX
既に爺になった自分には、懐かしくスーッと入ってゆける曲目なので楽しめた。一方、乗り切れないのは、無論自分が齢を重ね、用心深くなったせいである。演者のせいではない。ただ、日本の哀れな現況とこの先どのようになるかの大方の予想を現行の趨勢からみると、矢張り笑ってばかりは居られないというのが、素直な感想である。結果、楽しく、人々への細やかな思いやりも満点をつけたいが。という自分の天邪鬼意識は出てしまった。だが、自分の中にこれさえなければ。楽しく有難い舞台である。
満足度★★★★
大坂の通天閣地下には、超能力者を集めた秘密組織があるらしい。(追記2019.1.19)
ネタバレBOX
そんな都市伝説の真偽を確かめようと東京からやってきたのは超常現象を扱っている雑誌の記者とカメラマン。記者はフリーランスで世界中を飛び回って来たようである。偶々日本に居たということで今回の特集に参加したのだろう。新世界へやって来たものの、当てが有る訳ではない。そこで大阪名物のたこ焼き屋に入って情報収集から始めている。運よく入ったたこ焼き屋のおばちゃん・タマヨは、この謎の企業に出前をしたりしており、この界隈では情報通として知られた人物であった。
タマヨと仲良くなった2人は、彼女の手助けを受けつつ、企業中枢に上手く入り込むことができるようになった。通天閣地下には、実際に今や世界にその存在を知らしめるような企業が入り超人類とも言えるエスパーを集めて娯楽の世界で新風を巻き起こしていた。用いられているのは、世界最速レベルを誇るスパコン、そして数々の異能を誇るエスパーたち、そして彼らの作ったエンターテインメント作品を具現化し発信してゆくマスコットキャラクターの少女・ナミ。彼女のライブや情報発信に対するアクセスはウナギノボリに延び終には世界1ということになるが、この会社のエンジェルとなって莫大な開発費用を出資し、上がりに対してコミッションを要求してくる神は、このナミを譲るよう脅迫してきた。通天閣地下にある企業の名は「バビロン」。聖書に現れるバビロンの塔のバビロンである。対するは、神を名乗る者だ。戦いの火種は撒かれた。而も神は、既に刺客を送り込んでいたのだ。その刺客は新しいエスパーとして採用されたエビス。彼の能力は、相手の精神をコントロールすることだ。その術中に嵌ったヒノは、ナミのアクセス権を無効化遂にはデリートされる所迄追い込む。その後、彼自身がデリートの憂き目に遭う。この内部からの崩壊工作に対してサポートを受け持つサノオも、昼の間予知によって様々な困難を乗り越えてきたアマテラ、夜の担当クヨミの予知も、神によって作り変えられていた旧ヒルコ(即ち現エビス)を阻むことはできず、神の矛によってバベルは崩壊するが、再起を目指しナミを復活させたバベルサイドの各エスパーと社長イナギ、秘書カガミら、抗う者らの魂が滅んだ訳ではない。
ところで、この主従関係、現実の鏡に映すとどう解釈できるだろう? 自分は、デュアリズムで押しまくり、現在の帝国を作ったアメリカとその植民地である日本を思い浮かべていた。圧倒的な力の差によってしかデュアルな世界で覇権を握ることはできない。これを解釈すれば、神とは力の別名である。そして少なくとも近現代に於いて神はまさしく力そのものであった。そしてそれに対抗するのは自由を求めるまつろわぬ精神を持つ人々であった。因みに今作、神サイドは基本的に更に進んだ技術力と富を具えた存在であり、対するまつろわぬ者らは神を名乗る者よりは遅れ、経済的規模も小さい者らである。神サイドが反逆者らの文化的レベルを取り込み自由に用いているのに対して反抗する側に此処までの裁量が無いことを見ると優劣は明らかであるが、まつろわぬ根拠そのものが、創世神話に根差しただけのものであることは矢張り必敗の歴史を刻むしかないことを示唆しては居よう。而も、彼らがまつろわぬ者である根拠には、神世界同様の論拠が根付いているのであるから、まつろわぬ者ら自身が己の中に矛盾を抱え込んでいることになる。この点を解消した上で独自の原理を定め発展し得ない限り彼らに勝ちは無い。
満足度★★★★★
30分の作品3本のオムニバス公演だ。聞くところによると大学2年生、演劇部のメンバーだとのこと。では、このタイトルも悩んだ末に出てきた物なのかもしれない。
ネタバレBOX
3部構成のうち奇数回がシリアスもの、2回目の作品が喜劇である。だが、喜劇は、通常のplayより数段難しい。その本質に於いて箍を外さなければならないからだ。箍を外す為には俯瞰しなければならない。然し、若者(現役の年長で20歳、早生まれなら19歳も居る)は通常この年齢で俯瞰できるほどの人生経験を積んでいない。それもあって、小道具やパロディーにかなり比重を掛ける作品になった。尤もサンドイッチの具に喜劇を入れる構成自体は成功している。1話は、天才アーティストの素質を持った少年と器用ではあるが、職人的才能の持ち主である少年の角逐は必然的に天才に軍配が上がる。それを当然の予測として持っていた女教師つまり理解者兼傍の者の傷ついた職人への贖罪と、ここに至って漸く他人を傷つけたことに気付かざるを得なかった天才の負わねばならぬ地獄という宿命を見事に対比しつつ、互いに人間としての道を踏み外さぬ展開にした脚本も、3人の演技(キャラの描き方、間の取り方、呼吸の整え方)もグー。3作目は、為政者の嘘が極端になる戦時下の子供たちへの教育(洗脳)が前提とされる社会で、水先案内人を務める男は、多くの経験から世の中の真の姿を知り、自らが案内する「世界」が多くのフェイクに傅かれ先導されつつあることも知っている。而も魂を未だ失っていない彼は内心このことで悩んで来たのだが、今回案内した若者は、真偽を見分ける能力を持ち、自らも案内人になることを志願する。何故なら多くのフェイクの中にも宙のような真が或ることを理解し、若者自身もそれを更に若い世代に伝えることに希望を見出し得たからである。実際、お先真っ暗な現代日本にこのように強く爽やかで逞しい精神を持った若者が居てくれることを嬉しく思う。
この劇団の今後に期待したい。
満足度★★★★
謂わずと知れたジャン・ジュネ作品だ。
ネタバレBOX
然し、今作女優、殊に女中役の2人にとっては、極めて役作りが難しい筈だ。何故か? 知れたこと。自壊するキャラクターだからだ。拝見した今作から受けた第1印象は、ジュネ自身の体験に基づき犯罪者の心理描写がリアルに描き込まれていることだ。従って主役は無論、奥さまではない。奥さまごっこをしている女中姉妹である。無論、姉を演じても妹を演じても同じように難しい。先に挙げた通り通常の演じ方では表現できないからである。では通常の演じ方とはどのような演じ方で、今作は自壊するキャラを演じなければならないと何故難しいのか? 何故なら普通役者は役作りをすることで演劇世界の住人になるのだが、今作では、役を作ると同時に壊れなければならないからである。何となればジュネの描いた世界とは“実存の顫え”そのものであり、その本質を理解したからこそ、サルトルは彼を高く評価したのであろうから。実際サルトルは、その拠ってくる“ところ”の怖ろしさを良く知っていた。ハイデガーが書き、サルトルは表現せずに済んだ実存の地獄を。
不遜ながら、今作の演出はその辺りのことを理解しているとは思わない。ハイデガーのdas seinの意味する所を恐らく読み込めていないのだ。現実存在の地平という場で己の実体を普遍化した時に感じる、管の如き強固な壁に生爪を引っ掻けながら否応なくずり落ちてゆく在り様そのものの齎す不安と居心地悪さを。無論、救い等何処にも無い。神は疾うの昔に死んでしまったし、恩寵等幻影でしか無いことを当事者たる本人が最も深く自覚している。その明澄性の地獄で明晰極まる意識によって己自身を生きたまま仮借なきメスを用いて腑分けする作業、それこそが実存なのである。サルトルがジュネを高く評価したのは、これが原因であると自分は考える。ジュネは己が犯罪者であることによって物(即ち物的証拠)や時間(アリバイ)そしてこれら素材のみから組み立てられ、演繹・帰納される関係性総てを己のついた嘘に対して考究することを迫られた。そのことが原因で彼はサルトルやハイデガーが体験した存在そのものが持たざるを得ない曖昧や不安に直面しているのだ。ここで描かれた女中はその意味でジュネその人である。だが、彼は発狂しなかった。発狂せずに済んだのは、自問の形式が二者の対立をその基礎とし弁証法的展開を可能とする形式をその思考形態の内に含んでいた為だ。自分はそのように考える。演出家も或いはこの程度のことは考えていたのかも知れないが、当パンを拝見しただけでは発見できなかった。この程度のことすら考え及ばなかったとすれば、もっと想像力と知力を磨いて欲しいものである。
その点、美術は気に入った。大きな零形の額縁は、天井に繋がる部分、床に付いている部分を支点に回転可能で、額縁は金色である。上部には、丁度神社の太鼓に描かれているような勾玉の形のマジックミラーか何かが嵌め込んであり、演技している女優達の表情が映り込むと同時に、向こう側が透けて見えるのだ。この大道具が、かなり実存の本質を形象化している。お洒落な電話の受話器、不必要に飾られ部屋のほぼ全四周を取り囲むように飾られた生け花、豪華な奥様の衣装や、小物入れ、そして様々な小物(宝石類、鍵、台所にあるハズの目覚まし時計等々)そして数々の嘘と奥様に対する殺人未遂、これら総てが、ご主人の釈放を契機に女中たち2人に逃げ道の完全封鎖を告げる。女中2人が姉妹という設定になっているのも、ジュネの内部での心と魂との葛藤を描く手法として適当な選択だし、演劇術の要求する対立を表現する為の形式そのものを代弁していると言えよう。
ところで、以上のことだけで女中たちが味わう絶望を説明できようか? 否、説明できない。姉妹たちの悪巧みが悉く失敗し、その原因が奥さまの育った環境や彼女の持つ道徳的な美徳に因っていること、そして女中姉妹にはどんなに努力しようが、運命に抗おうが、決して奥さまのように自由闊達で温かい人間性には到達し得ないという認識にあることをも見て取らねばなるまい。
満足度★★★
この劇で中核を為すのはDV被害者の復讐譚である。
ネタバレBOX
であれば、何故マッポを巻き込むのか? これが拝見して先ず思うことである。シナリオは、幾度もの反転に近い展開を見せそれなりに盛り上がる面白いものであるが、アクションで自分が合格点を出せたのは1人、知念の兄を演じた役者さんだけだ。彼の年齢も勘案してその基本的な身体能力の高さと可也現役時代より増えた体重で尚これだけのパフォーマンスを見せてくれる鍛錬と能力に敬意を表するのである。
然しながら、全体でみるとこのシナリオを十全に表現しているとは思えなかったのも事実。役者個々の力量に差があり、仲には重要な科白が聞き取れない役者が何人もいたし、それは重要な役を演じていた役者の中にもハッキリ言って基礎訓練ができていない者が混じっているということである。楽も直ぐだというのに、若い役者が噛んでいるのは、演出家の責任だろう。客をナメチャいけませんぞ! そして、肝心のシナリオ自体が、甘い。子供時代にこれ程の虐待を受け、復讐するのであれば、簡単に殺してはなるまい。この世のありとあらゆる辛酸を味わわせてからゆっくり殺すべきである。真に鬼畜の心肝を寒からしめる為には、それが必要であると覚悟したからこその殺害であるなら、其処までキチンと匂わせる作品に仕立て上げて欲しかった。それでこそ、小劇場演劇ではないのだろうか? この程度の表現でtroubleの詰まったboxというのは如何なものか!? 興業的に成功させなければならない事情は理解できるが、何公演回に1回はそういう毒っ気の強い作品上演を期待したい。
満足度★★★★★
流石に多くの観客を動員することが出来るだけのことはある。(追記2018.12.26 8;55)
ネタバレBOX
Zigzigの公演は2時間の1本ものと30分程の短編3本を隔年で上演する形態できた。今年は短編3本の年。上演順にタイトルを上げておくと1:晩秋に吠えろ2:円盤屋ジョニー3:父を叩くである。何れも全くテイストの異なる作品だ。
1は、地方のテニスクラブで巻き起こる女子メンバーへの男子メンバーからのコクリや浮気騒動等。老いた男(戸塚さん)が若い弁当屋で働く娘にコクリ、彼女がまた店にお出で下さいと返す言葉に温かさを観、好む観客も多かろう。2話は若いカップルが出掛けた南のリゾート地は、観光客をカモにしようと虎視眈々と狙う悪党共の巣窟だった話。行方不明になった彼女(ナツキ)の姿を探す彼(イシカワ)は、怪しいバーに案内されるが、そこは島のギャング(檸檬屋)がマスター(ワタナベ)の借金(バカラで大損)の形に取り上げようとしている店でもあり、ボス(ネモト)のバシタ(アヤカ)は、マスターの色だった女だったが彼女も借金の形に取られていた。そこでワタナベは、ネモトをネモトの舎弟ツノと組んで殺し、アヤカとよりを戻すことを狙っていた。そんな中虫取り屋ホセに騙され檸檬屋の事務所に監禁されたものの一度は逃げ出したナツキが連れてこられ、イシカワがぼったくられた代金の支払いを求められるのだが、彼女は風俗嬢として働くことを肯じ、ギャングに脅されると唯々諾々と聞き入れる弱い彼氏をさっさと捨てて自分だけ助かろうとする姿が露骨に描かれて居て小気味よい。悪の何たるかを相当リアルに表現していると同時に、ネモト役は、良く威圧感を表現していたし、最後に生き残ったツノが新たなボス宣言をするシーンもグー。自分は最も気に入った作品。3父の容体を慮って役者をやっている弟(守)が久しブリの帰宅を果たすが、父(政男)の余命は1カ月、明日が初日。数十分の滞在で日帰りをし、場当たりをしなければならない状況であったが、大学卒業後自分が本当にやりたかったことも諦め家業を継いでいる兄(忠)、兄嫁(さつき)のかいがいしい而も常識的にはあり得ないような父の性的欲求に応える姿を観、弟の心が揺れ動くさまを、小劇場演劇に携わる役者たち総ての抱える本質的問題(親の死に目に会えない、一人前の社会人として食っていけないなど)として提示してみせた。ラストの父の科白「肩叩かせてやろうか」が心憎いまでに利いている。
満足度★★★★★
タイトルに惹かれて初めて拝見した劇団だが、公演回数といい、戯曲の描く世界の本質性といい、役者陣の演技といい、演出といい、金が無いなりに工夫された舞台美術や観客への心遣い、礼儀といい、実にしっかりした劇団である。(追記後送タイゼツおススメ!)出掛けなければならないので、ほんのちょっと。
演劇だから、当然演じてはいるのだが、とても自然で“実体”を感じる。このような経験は初めてのことだ。上手いのだが、文学座的な上手さというより、良く自分を見つめた上で練習を重ねた自然体なのである。観るベシ!(最終追記12.27)
ネタバレBOX
会場は、今回カジュアルレストランの入った建物の微妙な位置から狭くおんぼろな階段を上り詰めた3階。階段途中には、踏板と直ぐ上の段の側板の間が空洞になっているような段さえあり、物語の内容と会場が実にしっくりと噛み合っているばかりでなく、余りにも立派で整然と組み立てられた建築物を一見した時はその素晴らしさに打たれるものの、東洋人の我々には直ぐその単調性が我慢できない代物に変わるような飽きは来ない。公演が始まると上って来た階段への入り口ドアは閉じられ、漫才コンビのライター・フルヤが原稿書きに用いる部屋になったり、或いはサイドストーリーが展開する場所、個的作業の行われる部屋として用いられる。
物語のメインストリームは、この漫才コンビ、ニッタとフルヤの確執を中心に展開する。フルヤ、ニッタ共に高校時代の登山部メンバー。漫才好きの2人は寄ると触ると漫才談義に耽っていたのだが、遂にコンビを結成するに至った訳だ。以来10年、フルヤは矢張り登山部出身の彼女と同棲していながら、貧しさ故に殆ど何処にも彼女を連れていってやっていない。而も彼女は、彼が一所懸命己の道を追及し充実した生活を送っているので幸せであった。然し、何年もコンペに参加しては2回戦迄で敗退、ニッタは、創作の可能性を広げる為に新しいことにチャレンジさせようと様々な手を尽くすものの、フルヤは己の拘りを絶対化し聞く耳を持たない。後輩からも批判され、彼女にも愛想を尽かされて尚彼は創造の要諦を掴む為に、己を関係の坩堝に開いてゆくことができなかった。この為、ニッタは終に新たなネタ探しの為冬山に挑んで遭難、帰らぬ人となる。このメインストリームに絡んで劇団海賊団が、フルヤらが練習に使っているスペースの共同使用人となったり、後輩の漫才グループは解消した後、ボケはユーチューバーとなり、ツッコミは新たに彼女と組んで夫婦漫才を始めたりのサブストリームが絡んで展開する。サブストリームとの絡みもかなり自然で納得できる内容だ。遭難したニッタからのメッセージが伝えられるラスト部分に、希望が込められることによって決定的な悲劇になることを避けている点でも若者らしさが現れていて生命力を感じる。
満足度★★★
2018年に結成されたグループのようだ。(今後の期待を込めて少しおまけ)
ネタバレBOX
戦闘服に登場する女優の名前を刺繍している客も来ていたので、アキバのアイドル路線を踏襲しているのかも知れにゃいが、自分はその辺りの事情には疎いので勘弁して頂こう。序盤、第1回の初日、初公演ということもあったのだろう。大分硬くなっていた様子だ。その為、普通の少女という印象の女の子達は、音程を外したり、踊りも硬かったりと、未だ自らの身体をコントロールするノウハウを充分に身に着けていなかったり、そのせいで舞台度胸と言われる身体コントロールが不十分な所も見られた。演出は、こういう点にも注意を払って演出して欲しい。終演後、役者さん達にも少し話したのだが、袖で深呼吸をして身体を落ち着かせることも有効だ。
板上は、基本的にフラット。正面奥の壁がスクリーンになっており、物語の展開に合わせた映像が映される。舞台の客席側の縁に下手、上手双方から梯子を横倒しにしたような枠が設けられ、観客の雪崩れ込みを防いでいるかのようだ。尤も、中央部分だけは、空いている。出捌けは上下の袖と観客席側からの3方。ホタルという名の女の子は彼と一緒に住み始めて2年。或る朝、目覚めると、隣に居た彼が分裂でもしたように2人になっていた。2人は、ホタルを巡って侃々諤々の議論を展開するが。最初は全く同じ言行を示していた2人に齟齬が生じてゆく。その中で誤解も生じて来て、といった展開だが、神や天使、妖精達も登場して2人に分裂してしまったホタルの彼氏、ハルも徐々に成長してゆく。然し、と最後の展開はちょっと、グー。
ホタルと2人に分裂してしまったハルを演じた3人が最も安定した芸を見せてくれる。この3人は更に上を、そして他のメンバーは歌、ダンス等をもう少し磨いて欲しい。
満足度★★★★
自分は1968年~の数年間、
ネタバレBOX
革命家を目指す程世間知らずだった訳でもなくノンポリで居られる程鈍感でも無かった。70年に高校を卒業した所謂団塊の世代に属さぬ世代だ。先に挙げた数年間の間に、中学時代の親友が自殺し、多くの友人が傷を負い、自らも致命的な傷を負った。その後遺症は今も続いている。この傷を負ったが故に自分の人生設計は180度狂った。そんな自分に色々考えさせる作品であった。良い悪いという判断を或る距離を置いて下せないかも知れない。自分を剝いた視点で言うと、余りに自分の抱えていた問題とダブるからだ。今の若者にはまるっきり理解し得ないコンセプトかも知れないが、今作にはスターリニズムと当時それを支持していた世俗的左翼、それを最もラディカルに批判していたセクトであるブント、ブントには、共鳴し得たアナーキストの自分という位置づけ。だが、語るには未だ早いのかも知れぬ。そろそろ、総括すべき時期にはきているのだが。
満足度★★★
写真家志望の女の子が彼との結婚式当日、12月25日に個展を開く。
ネタバレBOX
彼は彼女の最も良き理解者。彼女の対象は日常を一所懸命に生きる庶民である。その中にはホームレスや職人、街中で偶々出会った恋人たちなどがいる。良い写真というものは(何も写真に限らないが)対象の本質をキチンと掴んだ上で、作者の生き様が籠っていなければならない。写真は被写体との関係があるから、被写体の本質を写真に写し込む為には、被写体のnuditeを寫し込まねばならないのは、当然のことだから被写体との信頼関係を構築する所から始めるのはプロを目指す者の必然だ。序盤この辺りのことは軽く触れられるのだが、リアリティーに乏しい。対象が座っているのに、写真家が立ったまま撮ったり、見下ろすような角度から撮影するなど通常あり得ない。更にワンカットしか撮らないとおいうこともあり得ない。用意できる機材のレンタル料もあるであろうが、連射できない機材なら少なくとも2~3カットの撮影は望みたい。親方だけは、状況から1カットのみでも可だ。そうすることによって作品の膨らみが増す。時間的に尺がそう伸びる訳でもあるまい。戦場カメラマンも出てくるが、彼らは、カメラを構えたら震えが止まるような人種である。自分の周りにも何人も戦場カメラマンが居るが、生き残っている彼らに共通する能力がある。それは、瞬時に多数の音声を聞き分ける能力である。この能力故に彼らは生き残って来たと自分は信じている。命懸けの取材とはそういうものだ。脚本家、演出家は、プロの基本をもう少しキチンと調べておくべきだ。いくらクリスマス向けの作品であっても、この程度の認識ではキチンとした仕事をするプロに対して礼を失することになろう。役者達もかわいそうである。ストーリー展開もペーパーテストでそこそこの成績を取る連中の、大きな失敗も無いがユニークさは微塵もない答案のようだ。
自らを創作する者と位置付けるだけの自負を持ち、そのような人物を描きたいなら、創作者の抱える本質的な地獄と孤独、孤立を通した普遍性が描かれて居なければならない。それができて初めて創作の入り口に立つのである。自分が、観たいで書いた知り合いの女性カメラマンは、真の創作者である。それが初めて彼女の作品に出会った時、即座に分かったから彼女の高い才能を認めたのである。今作を観る観客の中にも本質を見抜く観客は居るだろう。そのような観客の目を意識して作品作りをして欲しい。求められるのは、そして残るのは、量にアピールするだけの作品ではなく、質で唸らせる作品だけである。
キャラで気に入ったのは、職人の親方と奥さん、留学生の李くん、癌を患う母の面倒を見るお姉ちゃん。
満足度★★★★
Aチームを拝見。
ネタバレBOX
形式的に言うと、1幕3場、と言えなくもない作り。1場~3場迄関連があるからだ。内実的には、1場、2場を別作品ととっても可能という印象を持つちょっと不思議な作りである。板上レイアウトは下手側中程に白い仕切を設け、その前後を出捌けに用いている他、上手は幕で仕切り出捌けは1か所。上手側はバーカウンター位の高さの調度、下手は1場では机と椅子。2場ではソファーセットに変わる。
1場では、サッカーの花形選手に淡い恋心を抱く6人の女子高生が、サッカー部の練習風景を見る為に、演劇部の部室に集まっては恋に纏わるあれこれを談じ合う物語だが、演劇部に属する1人がオーディションを受ける練習にロミジュリの練習をしているのと重ね合わされているので、互いの話がコレスポンダンスを起こして響き合うのが良い。ただ、高1の女子のハズがいつの間にか高3になったりしていたようだ。その時、憧れの選手は卒業しているハズなのに同学年になってしまっている。
2場は、教師を目指していた6人のうちの1人がファンであったが、どういう訳か新作を発表しなくなってしまった推理小説家の事情を描いた作品。これは、思いがけない展開があって肝を抜かれた。だから余り詳しいことは此処に書かない。
3場は、件の女子が大学卒業後、念願通り教師になり、母校に赴任したのだが、居残り生徒の宿題が仕上がるのを待っている。課題は読書感想文だ。その生徒が読んだ作品は、何と彼女がファンだった作家の新作であった。(幕)
満足度★★★★
タイトル通り、女人が生まれてから死ぬまでを、最初の1歩から始め最後の1歩迄の一生として描く。(華4つ☆)
ネタバレBOX
つまり、タイトルは主人公の名前であると同時に我ら全員が生きている道程である。演じるのは8人の女優、彼女らが板中央に設えられた真四角の1段高い平台横に据えられた椅子から立ち上がると、あゆみ、母、父、クラスメイト、先輩、前田、犬等々の登場人物達等を演じてゆくが、役者が立ち上がったり座ったりで役を受け渡してゆくので、通常の舞台のようにどの役者が何役を演じると固定的に決められることを拒んでいる。
その理由は恐らく、女性のフレキシビリティーを描いているからである。女性は、その生涯に男性より遥かに多くの身体的変化を遂げる。そしてその変化を通じて精神的にもより豊かなフレキシビリティーを確立する。お年寄りを見ていて体験的に感じるのは“女性の方が上手に年をとる”ということだが、それは彼女らの精神がお爺さん方の精神よりもフレキシビリティーに富んでいると思うからである。
だが、今作はその女性の長所を決して特別な才能を持つ個々人としてではなく、ごくありきたりの女性の乳児~認知症を経て死に至るまで、這い這いから摑まり立ちした始めの1歩、小学校時代の悪戯な男子との通学時、クラスメイト女子相互の仲間、苛め問題を経て高校の先輩への憧れ、大学進学、就職、結婚、出産、子育て、娘の成長、母子の関係とその変化、人生を振り返る時期を経てあの世へ旅立つまでの取り立てて特殊なことはないものの、普遍的で誰しもが思い当たる人と人との極めて微妙なメンタリティーの機微を甦らせてくれる作品だ。この微妙な人の心の機微を活写する為に、舞台美術は極めてシンプル。
冒頭、少し舞台美術の説明を入れてあるが、真四角の平台の外側を2重に取り囲んで色違いのマットが一辺につき各7枚用いられている。客席はその外側の各辺に対応して設けられているが、出捌け口のある1ッ個所だけ、客整数が少ない。
満足度★★★★★
「これが戦争だ」を拝見。今まで数回拝見して来て、今回初めてゲストのトークがまともなものであった。このレベルのゲストを毎回招請して欲しいものだ。追記後送
ネタバレBOX
カナダ演劇界で今最も注目されている才能、ハナ・モスコヴィッチの作品。タリバン政権崩壊後混乱の続くアフガニスタンに赴任したカナダ兵士たちの目から見えた戦争が、帰還兵へのメディアインタビューという形で作品化されている。従ってかなり戦場での体験から精神を壊された言語表現が多用されるし、その用語法によってリアルな感じが増すことも事実である。だからと言って決して所謂ドキュメンタリーでは無いこともまた事実なのだが。この一見矛盾と謂われかねない錯乱・混乱こそが戦争という不条理の一面でもあるのだ。無論、この戦争も戦争をやっていないと経済が回らないアメリカが主導していることは言を俟たない。而もその狙いは、石油パイプラインルートに関わるものであることは、多少状況を理解している人々には自明の理であろう。因みにタリバーンとは、(神)学生達という意味である。タリーブが学生を表す単数名詞でその複数形がタリバーンなのだ。ムスリムの相互扶助はミッションであるから、戦争で親を亡くした子供達の多くがモスク内の施設で育ち、その施設内の学校で教育を受けることが多い。因みに“塩の行進”として知られるガンジーとその支持者による世界史の中でも特筆すべき抗議運動では、非暴力抗議行動に対するイギリスの暴力的弾圧に対し最も危険な位置に就いて他の者を庇うことを任されたのが未婚のパシュトウン族だったと言われている。何故ガンジーが、彼らをそこまで信頼したのか? 彼らは義や誇りの為に身命を擲つ者達として他の種族から信頼と評価を得ていたからである。そしてソ連に攻撃されるずっと前にイギリスから戦争を仕掛けられ勝利していた。絶頂期のイギリスが負けたのである。この辺りのことは、シャーロックホームズとワトソンの出会いにもその一端が描かれている。話が逸れた。追記は後送する。
満足度★★★★★
舞台美術が面白い。
ネタバレBOX
通常の板の上に大掛かりな板が載っているのだが、上手壁に平行する1辺のみが真っ直ぐで他の3辺は各々斜めになっている。おまけに上下共右肩下がりの上辺と下辺は右下がりの角度が異なり、幅も下辺がかなり長いのだ。更にこの下辺の下手角から上辺へ向かって伸びる辺も右に傾いているので、まるで反逆者達のエネルギーの塊が観客席目掛けて雪崩込んでくるような錯覚を覚えさせる。更にこの部分は焦げ茶色か黒に近い色なのだが、通常の板部分からクリームイエローのような三画形がこの大きく不安定な四角形に楔でも打ち込むように対向しているのだ。このセンスが素晴らしい。下手奥の傾斜脇には、3段の階段様の構築物、その下手の空間にピアノと演奏者が居て生演奏をしており、下手壁には額入りの絵などが飾られているのは、呑み屋をイメージした作りがベースになっているからだが、3X6尺程度のテーブル3つと背凭れ付の木製の椅子が、物語の進展に応じて特設変形平台の上に置かれたり、最深部が牧場納屋の2階部分のようになった場所へ上ろうとする時重ねた机から恰も登れそうな足場となったりして活用される様は小気味良ささえ感じる。
無論、脚本は古典的名作だから普遍的な名科白が随所に鏤められその巧みで的確な表現を聴いているだけで飽きないが、叛旗を翻す者としては極めてプリミティブな方法論しか持たぬ主人公達のアナーキーでシンプルな「正義感」や幼さの持つ放埓は、事態の展開はどうあれ一つの典型ではあろう。そのような意味で人間という生き物の哀れをも描いている作品と言えよう。役者陣の熱演、群像劇としてしっかり纏めた演出、自由を求めて戦い卑怯な真似はしなかった義賊的盗賊団の意を矢張り我らは受け取るべきであろう。少なくとも熱く純なその変革への意だけは!
満足度★★★★★
ドイスル!!(華5つ☆必見にゃ!)
ネタバレBOX
板上はちょっと変わった作りだ。奥に上手から下手迄延びる大きな平台を置いて一段高くし、最深部には、可動式のパネルを4枚配してある。パネルはレールで移動できる模様。無論1枚ずつ独立で移動可。これが袖にもなれば、出捌けの際の目隠しにもなる気の利いたモノ。中程に上下対象に少し板上に迫り出した部分があり、その前後に出捌けがあるので、通常の出捌けはこの4か所から行われる。この小屋の特徴である下手客席側に延びたスペースは用いられない。然し、用いない方が、通常の舞台のように前面に集中して観劇でき、今作の演出としては効果的な使い方と言って良い。
物語は、遺伝子工学が増々発展し食糧難回避策として食べ物ともなれば、臓器提供者ともなれるスーパー野菜が完成し、ベジタブルちゃんとか、ベジタブルマンと呼ばれて人々の生活にはなくてはならぬ必需品として流通している未来の話だ。SF映画に詳しい方は、この話を聞いて「ソイレントグリーン」をイメージするかも知れない。自分もそんなイメージを持ったが、今作はあの映画程単純ではない。F1人災ほど大きくない原発事故が起こると、不審死を遂げる人が良く出ていたことを注意深く世の中を見ている人は気付いているかも知れない。他のことでも政府や大企業が癒着している場合には、このようなことが起きやすい。無論、亡くなる人は、現場の統括をするようなポジションの人物だから亡くなってしまえば現実に核心に迫ることが頗る困難になる。敵はそれを狙っているのだ。公安やマッポもツルンデいる。それにこの国では既に秘密保護法とやらの、為政者をガードし、追及者をテロ犯罪者扱いして葬る為の悪法がトックの昔に成立してしまっている。共謀罪もだっけ? もうとっくに成立しているさね、()内は東京新聞(2018/06/16 - 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法が成立して一年となった十五日、同法の廃止を求める集会が東京・永田町の星陵会館で開かれた。人権問題に詳しい有識者らから「監視社会につながる」といった問題点 .)まあ、じわじわくるね! 間違いなく。その為の「マイナンバー」だしにゃ。このネーミングも極めて作為的なのは、どんなに鈍感でも気付くことであろう。問題は、気付かないフリをし続け廃案への動きも起こさなければ、そのように動いている人々を誹謗中傷することで己のガス抜きが為されていると気付かない欺瞞である。今作は、その手の国家犯罪をSFとして仕立てた作品だ。極めて鋭い。お勧めの作品である。
満足度★★★★★
先週に引き続き、異なる物語に挑んでいる役者さん達の疲れは大変なものであろうが、怪我に気をつけて楽迄走って頂ければ。ご健勝、ご健闘を祈る。(以上を勘案して☆5つ)
ネタバレBOX
奥州藤原氏、義経、弁慶らに対し、兄頼朝、側近・梶原景時、和田義盛らと梁塵秘抄に現れる“遊びせむとや生まれけむ”や“舞え舞えかたつむり”の文句と共にに頼朝をして恐るべき人物と評させた院・後白河が謂わば陰の為政者として回した鎌倉幕府成立間近、平家滅亡の時代の英雄、豪傑、智者、陰謀家、孤独な為政者らの紡ぐ人間模様。
人の情けは、非情な歴史の仮借なき必然の中で如何に身悶え、而も無惨に費えるのみであるのか、この理が最も良く分かっているのが、凋落する者の最後の精神的輝きを放とうとした日本版ダンディー&ニヒリストたる後白河であったと観た。その意味で院が画策した通り、頼朝も義経もそして奥州藤原氏も動かされたとみて良かろう。無論、歴史の教えるところでは1192年には、頼朝が鎌倉幕府を開き長い武家政権の礎を築いたのであるが、この趨勢を読み切り己を天皇制に纏わる最後の王として振る舞った院の孤独もまた、隠れた今作の主題であろう。
物語のメンタルな部分に関しては他のコリッチメンバーが書くであろうから、自分は以上の観点から書いておく。
満足度★★★★★
ファッションデザイナーの話だ。トップが変わった。
ネタバレBOX
新たなトップは業界屈指の女性デザイナーでもミロク。切れ者としての評価も頗る高い新上司は、これまでの2者ブランド路線を刷新、新体制を組む。早速スタッフ全員を集めて会議が持たれた。そこで打ち出されたのはブランドによる顧客獲得では無く1社によるブランド相互の嵌入だった。そのコンセプトは一時的にブランドの売り上げを落とす可能性があったが長期的には更なる顧客拡大が見込まれた。上司ミロクに対するは、業界同期で2年早くチーフになったエリートとはいえ、マヒルには一目置くだけの審美眼を持ったリーコ。何度企画デザインを出してもダメ出しされるライバル・マヒルの三つ巴に、マヒルの精神的危機に優しく接するモデリスト・ミヤビの心遣い。MD担当のソウスケの合理性がセンチメンタルに流れるのを食い止める。脚本のこの構造と物語として展開される企業戦略は、表現する者に必要な創造の常識をキチンと織り込んでいる。そのことを観客に客観的に理解させるだけの演技をミロクを演じた女優・加藤 真由美さんは演技・歌・ダンス、これら総てからくる存在感で表現しており、マヒル、ミヤビ、ソウスケの好演、リーコとの関係がメインプロットを骨太でしっかりしたものにしている。
満足度★★★★★
Cチームを拝見。公演はA~Cの3チームで、各チーム演目は総て異なる。何れのチームも5作品。拝見したCチームの作品は何れも大人の内容をドライな笑いで処理、実力派の役者陣で楽しませてくれた。内容は、ネタバレで。但し、ネタバレは観劇後に見ることをお勧めしたい。(華5つ☆)
ネタバレBOX
拝見したCチームの演目を上演順に挙げておくと、Round.1 「W張り込み」かつて報道に携わっていた女性記者とその後輩の男が、今は私立探偵をやっている先輩が見つけた互いの取材に最も適したラブホの同じ部屋で、先輩は芸能人のスキャンダルネタを後輩は政界の大物同士の密会スクープを物にしようと取材中。だが、場所が場所、而も壁が薄くて隣の部屋の音が丸聞こえ、となれば。
Round.2 「血は酒よりも」20歳以上の年の差カップルが彼の部屋に。無論、若いツバメの部屋では無い。レッキとした大人の男の部屋へ妙齢の女性が来ているのである。目の前には大きなWベッド。女は男に気があるようだ。始めはそれなりによそ行きの会話だったが、酒が入ると、それらしく内容も色めいて・・・。
やがて、彼女はホントの父を知らないことが判明、それは母が、だらしのない彼女の実父を捨てて他の男と結婚したからであり、血の繋がらない父の下に嫁いだ母は既に妊娠していたことが明らかになってくる。男は、そのだらしない男が自分のことではないか? と自問し始める。
Round.3 「純情と欲情」Wベッドには女が2人! 一瞬レズの話!! と思う間もなく、何故女同士がWベッドに入っているのかが示される。来たるべき初体験に備えて学習しようとしていたのだ! だが、微妙な問題にはテレもある。互いに生まれ育った地域が違うので、禁忌に触れる部分は、互いの方言の違いを有効活用し、その単語を取り換えて対話しようということになった。その単語が出てくる度に、照れながらもはしゃいでいる女性という性の恋に生きる姿が活写される。
Round.4 {「もう無理」は無理じゃない}夫婦のベッド。夫は明日から1週間、撮影旅行で不在だ。無論、モデルと一緒である。妻がせがむ。次のラウンドを。だが、夫は既に今夜3回済ませて、もうダメ! と音を上げているのだが。妻の反撃にあった。それは、かつての浮気の実証でもあった。夫は、その確かな審美眼によって女性のプロポーションやなまめかしさに異様なまでの反応を示すのであった。妻は熟知している。そして・・・。
Round.5 「忙しすぎるベッド」売れっ子芸能人の夫とパリコレデザイナーの妻。互いの仕事の関係で行き違いが多すぎることが、離婚危機! か? と噂になっていた。それでも何とか時間をやりくりして漸く2日間だけ、2人だけの時を過ごすことができると出向いて来たハワイだったが。いざ楽しもうという時になって、ホテルからシャンパンの差し入れ、カーテンが締まっていなかったことから来るドタバタをはじめ、アクシデンタルな、局所に纏わる珍事件等々が2人の大切な逢瀬を笑物にする。
満足度★★★★★
大坂で上演して来た劇団の東京初公演。初めて拝見したが、新たな才能の発見であった。極めて面白い。
ネタバレBOX
板上はフラット。但しパイプ椅子が2脚並べて置かれている。そこからやや離れてもう1脚置かれているのが目に留まる。脚本の発想が良い。物語は、新入社員入社面接の会場での話だ。男女1人ずつが、本日面接を受ける新卒である。男は余りパッとしない。決断力、判断力の劣るダメ系。女は、Uチューバーを目指し就職する気が無かったため出遅れで就活を始めたものの、積極的で優れた判断力を有する。如何にも現代日本の男女事情を正確に表したキャラ設定だ。彼らの受ける会社は情報系。広告代理店がベースになっているが、業務内容は更に進化した形態になっている。
この面接現場を再現する形で上演される今作、3つの相が相まって展開する。第1の相は、通常のストレートプレイ、第2の相は、上手壁に移される映像によるプレイ、そして第3の相は、上手客席側のスペースでギターによって演じられる曲目、効果音の相。態々このセクションを第3の相としたのは、作品の内容を見事に捉え、とてもよくマッチした音作りをしてくれたからである。而もこの3つの相が実に上手く絡み合わされている演出がグー。脚本もしっかりしているのみならず、現実世界より半歩から0.75歩程進んでいる点で丁度良い。
因みにタイトルの「白い鯨」とは「オンラインゲーム」名である。面接に来た彼らは先ず、会社のプロモーションビデオを見せられるのだが、この中に「白い鯨」が出て来、1つの質問が為される。「あなたは鯨になりますか?」と、利用規約と共に。無論、殆どの人が利用規約など読まずに「ゲーム」に参加する。すると、鯨からのミッションが1日1回届く。ユーザーは、このミッションにどのように対応したかをネット上にアップ、他のメンバーとの比較競合がゲーム内容になると言う訳だ。30回ミッションをクリアすると愈々鯨になる訳だが、当初誰でもクリアできるミッションが与えられるものの、鯨になる前のミッションは、非常に難易度が高い。例えば体に描いた鯨を刃物で切って下さい、が届くのだ。無論、その前に体に鯨の絵をかいて下さい、とのミッションが届いていた。さて、この自傷行為をクリアすると、猫を殺せだの、電車に飛び込めだのとトンデモないミッションが続くことになる。
会社は広告代理店がベースになっていたから、個人情報をたくさん入手している。この個人情報を用いて様々に他人を操ることもできる。この事実を実践する場面等も映像表現で描かれるのだが、映像で示される白い鯨の内実がストレートプレイによって実践されるように描かれた脚本はまた個人情報を握られた人物が会社に利用され1つの駒として、劇に関与する形も描くのである。この緊迫した状況を生のギター演奏が実に効果的にサポートするのだ。
東京に拠を移した模様だから注目しておいて良い劇団だ。役者陣も若いし、伸びシロは大きい。今回もかなりいい演技をしているし。