ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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部屋の中

部屋の中

梅パン

遊空間がざびぃ(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★

鵺と八分
 ホテル火災時に閉じ込められた客を救出して英雄になった男を通して、表層では、ヒーローのイメージと理想のヒーローとは何か? その役割は? を問うた作品。
 人の役割という外部規制を、個人を構成する主体的イデオロギーの上位概念として置くことによって、個人の主体性とその責任を無化し、集団の鵺的価値観によって他人を裁く、村八分の構造を描いた日本的作品ととると非常に面白い。(追記後送)

パラノイアショー op.143

パラノイアショー op.143

hi-pine company

非公開(集合場所:中野駅南口)(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★

奇を衒っても
 パフォーマンス、科白、シナリオ、全体の構成等のレベルは低い。滑舌は悪いし、間の取り方やギャグセンスも、とってつけたような不自然さが目立つ。計算してやっているとは思えない。闇。見ている外側の というサブタイトルだか、劇団コンセプトだか、グループ名だかよく分からない表記も、明暗の加減で調整して見せるだけで、何ら新規なコンセプトも無ければ発明、発見も無い。とってつけたような闇に対する命名があるにはあったが、中途半端である。できれば、強い光を見続けた結果の闇、のような鋭い切り込みが欲しいが、そのような鋭さは、何処にも無かった。

ネタバレBOX

 凡庸。
男の60分 -2014-

男の60分 -2014-

ゲキバカ

王子小劇場(東京都)

2014/03/19 (水) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

タイトルは60分だけど80分くらいはあるよ
 母の通夜、久しぶりに劇作家は故郷に帰る。変わったことと変わらなかったこと。弟が、母の棺に入れようと思う、と纏めた母の荷物の中から、小学校6年の時に書いた作文が出てくる。母は、長男の作文をとっておいてくれた。その作文を読み返すうち、作家は、小学校時代に戻っている。

ネタバレBOX

  大阪の小学校へ転校する迄、兄弟は東京で暮らしていた。移ったばかりの兄弟は、山の上に広く平らなスペースがあるのを見付けてキャッチボールをしていたが、地元の、此処を根城にしているグループと喧嘩になる。だが、互いによく戦い、仲良くなった。兄と弟のクロ、秘密基地リーダーのもじゃお、泳ぎが一番の河童、トタン屋根の家に住んでカッパライをやっているトッタン、焼肉屋の息子、コチュジャン、スポーツ一家に生まれながら、どういうわけか一向に芽の出ないケーの7人だ。
 様々な遊びをするが、問題も起きる。コチュジャンと遊んじゃいけない、という親が居て、訳を問い質すとチョンだからだ、との答え。言っている本人も、皆もその意味が分からない。分かったのは、コチュジャンだけだった。彼は、「言うなよ」と念押しして、自分は在日朝鮮人だと明かす。だが、仲間にはどういうことを意味しているのか分からなかった。然し、コチジャンが、辛い物が嫌いで本当は、この綽名も好きではない、ということを告げると、皆で新しい綽名を考える。この辺り、在日少年のアイデンティティーの問題と差別の問題が絡んで実に見事である。兄弟の母の対応も素晴らしい。コチュジャン改まりカルビクッパの話を聞いた母は、日本食も韓国料理も好きだ、と言い、「カルビクッパと一番仲の良い友達になるのよ」と兄弟に諭すのだ。
 また、時化の日、近くを流れる糞川が氾濫を起こしそうになっているのに、泳ぎに自身のある河童は、皆の制止を振り切って飛び込んだ。向こう岸に近付いた所で流れて来た流木に当たって流される。子供達は必死に救助し九死に一生を得たが、河童は足に大怪我をして、オリンピックを目指すどころでは無くなってしまった。彼の母は、遊び仲間の所為だと言いふらし、子供達の親の下にも捻じ込んできた。おまけに、河童には、それまでの仲間とは遊んではいけない、と命令したのだった。その為、河童は女の子達とままごとをするようになり、仲間を見掛けると逃げるようになってしまったが、本当は、仲間と遊びたかったのだ。皆と遊べなかった理由を聞いた仲間は、河童も仲間になって遊べるケンケケンパ等をして遊ぶ。
 ケーの話もあるが、これは、伏せておこう。観てのお楽しみである。何れにせよ、差別だの、アクシデントだのと実際、子供達の暮らしの中で起こる深刻な問題を、キチンと織り込んで真正面から適確に捉え乍ら、勘所を掴んで正確に見据え、その後の子供達の人生展開の中にも、子供時代の体験をキチンと納得の出来る形で織り込み乍ら、人の世の暖かさもさりげない科白で見事に表現している。
 役者陣の鍛錬された体、そこから生まれる爽やかでスピーディーな演技も美しい。

Gangster Report

Gangster Report

劇団スクランブル

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/19 (水) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★

意味なしの意味
 敢えて人間臭さを排除しているようにも思える突っ張りは、単に若気の至りという気もする。ホントにツッパルなら、酸いも甘いも噛み分けた上で、ダンディーであって欲しいものだ。

ネタバレBOX

 舞台の作りにも上で指摘したことが見て取れた。凄惨な内容であるにも拘らず、細部を構築できるような構えも無ければ、覚悟・姿勢も無い為、特殊メイクなどのクリエイターが、本物を見て気付かないなどという、まるでリアリティーの無いことを、それも、話の中心になるべき証拠物件に関して平気でシナリオ化してしまう。これは鈍感を通り越して、唯のまやかしだ。内容的に薄いので、笑って観ていられるということはあるが、ちょっと寂しい。
ショパンの馬鹿!!!~別れの夜~

ショパンの馬鹿!!!~別れの夜~

劇団東京イボンヌ

ワーサルシアター(東京都)

2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★

天才たち
「別れの曲」はどのようにしてできたのか? に関して、東京イボンヌは、こう解釈した。映画でも「別れの曲」についての佳作があるが、東京イボンヌは、全く異なるシチュエイション、発想で今作を創造している。それも劇団初の「喜劇」という形だ。無論、劇団の特徴である、生演奏、声楽家の歌が劇中に鏤められる形式は、今回も健在だ。
 史的には、ショパンをパリ社交界に紹介したのは、作家のジョルジュ・サンドである。恋多き女として、また、作家として当時の社交界の華であったサンドのゴシップについては、サンドについての研究書を読んで頂くとして、自分が読んだ、「愛の妖精」からの印象で述べると、かなり真っ直ぐな女性であったとは思う。然し乍ら、当時のフランスは社交界に於いてすら、まだ、ボンサンスは判断であるより、日本語に訳された時の良識に近く、堅苦しい、他所行きの、男性的価値観中心で、女性を縛るものであったことは否めない。そんな状況で、既に結婚もし、子供もありながら、様々な芸術家らと浮名を流すサンドは、格好のゴシップネタであったことも事実であろう。因みに、日本とは全然違って、ヨーロッパでは、所謂セレブのゴシップネタを専門に報じるメディアが存在するので、名門貴族や王族ともなれば、色恋の噂を立てられるのは、当たり前のことなのである。ダイアナ妃が、亡くなった時にパパラッチのことが、日本でも話題になったが、背景には、民衆が、革命を起こして王制を倒し、共和国なり立憲君主制なりを実現してきた歴史があるのは、無論のことである。
(追記後送)

現代能楽集 初めてなのに知っていた

現代能楽集 初めてなのに知っていた

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2014/03/16 (日) ~ 2014/03/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

能と無意識の冒険による身体の存在感
 燐光群の作品は、ハシムラ東郷以来十作以上を拝見しているのだが、無意識を敢えて舞台化した今作、最も、能に相応しい舞台になっているのではあるまいか? 能を良くご存じの方々には、教科書的と見られる部分があるかも知れないが、現在、小劇場演劇を観る観客の多くは、能や歌舞伎の舞台を殆ど観ていないのが実情である。無論、小劇場でも数多く演じられる、三島 由紀夫の近代能楽集のうちの何本かは演劇ファンの多くが観ていようが、本格的な能を観ている観客は、矢張り少ない。
当然、前提となる知識が不充分という実情がある。歌舞伎にせよ、能にせよ、前提となる知識なしに分かる程単純な芸能でもあるまい。第一、科白の言葉や表現法が違う。舞台の様式も異なれば、表現に対して、観る側の反応もまるで異なる。能では、終演後、拍手などは一切しない。唯、観客は現実に戻るだけである。元々、其々の芸能の生まれた状況、も社会システムも異なるのだから、そんなに簡単に分かるわけも無い。一方、優れた芸術作品というものは、その根底に深い人間への洞察が必ずある。その深さや鋭さが普遍性と呼ばれるものの正体だろう。何れにせよ、本作は、無意識の分かり難さを追求する中で、演じている役者個々人が、何かを体得してゆくような、身体のリアルが秀逸である。その為、妻が夫に言う科白、「ちゃんと迷ってください。ほんとうにご自分を見失ってみないと私を見つけることはできません」という言葉が生きてくるのだ。ところが、この夫は、死んでいるハズなのである。更に、デジャビュに対する差別と癩に対する差別が重なってくる。その差別の中で、見えなくされてきたものを、今作は掘り返している。その掘り返し作業が、何処ともハッキリはせぬ、瀬戸内海の小島、歴史的に其処に閉じ込められ、断種手術迄強制された歴史と実際には、其処までの差別はなかったであろうが、その能力の程度次第では、軍事に利用されかねないエスパーとしての恒常的デジャビュ体験者を重ねることで、想像・創造される世界を、能の持つ結界によって可視化した身体運動として提示した所に、この舞台の凄さがある。

流れゆく庭-あるいは方舟-

流れゆく庭-あるいは方舟-

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/03/06 (木) ~ 2014/03/12 (水)公演終了

満足度★★★★★

「植民地」為政者の裏切りと阿る馬鹿
 水から少しずつ熱を加えられて茹で上がってしまうカエルの話があるが、基本的にはアレ。どんなにカシコぶった所で所詮、一般的な人間の頭脳など、その程度のもの。F1事故の3年前に初演という作品で、或る意味予感していたような部分がある。だが、この「国」の為政者の無能は今に始まったことではない。無能という表記はこと為政者に限っては間違いで無脳と書いた方が現実を映している。ハッキリ言ってそういうレベルだからだ。パニックを恐れて云々抜かす前に、己を知れ、と言いたいが無脳な相手にそれを言っても意味が無い。まあ、そういう連中を「お上」と押し頂いて自らの主体性を誤魔化すことに夢中な大衆も無論、悪い。天災は、そのことを気付かせる為に起こったのかも知れない。だとすれば、この作品は、この後起こった人災に対する天才的な警告だったわけである。
 色々な意味で面白い。

罰符

罰符

NAKED SOUL PROJECT

space turbo gallery shibuya(東京都)

2014/03/15 (土) ~ 2014/03/18 (火)公演終了

女性のトラウマ
 渋谷のデリヘルで指名トップを争う2人。一人は店長のパートナー、若く美しいせりなで、これ迄ずっとトップであった。これに対して職人の夫の給料だけでは生活が苦しかったのでFXに手を出し、大きな借金を背負った主婦、つばき。借金返済に追われる生活に耐えきれず風俗の世界に入ってきたのだったが、客への思い遣りの心が、寂しい客達に受け、終に初めて月間トップに立った。(短い作品なのに遅れて行ったので、詳細は、後ほど調べてから。評価、星もまだつけない。悪しからず。)

ろだん

ろだん

643ノゲッツー

OFF OFFシアター(東京都)

2014/03/13 (木) ~ 2014/03/18 (火)公演終了

満足度★★★

何を表現したいの?
 結局、事件の顛末がハッキリしない。それを狙っているのかも知れないが、どれも中途半端で、作者の意図も良く汲み取れなかった。何が実際に起こっているのか、ろだんが何者で何の為に、頭の軽い女、上條を使って手の込んだことをしたのか? その動機もハッキリしないし、中国での争議との関係もはっきりしない。ホントに遠藤が身を隠す必然性があったなら、会社がクビにするわけはないのだし、筋の通らないことが多過ぎて、論理的に追えない。個々のエピソード自体は、案外簡単で予測も容易いのだが、全体の流れの中での意味が不明な為、全体として作品が見えてこないのだ。すっきりしない後味の悪さばかりが残った。

江戸系 諏訪御寮

江戸系 諏訪御寮

あやめ十八番

小劇場 楽園(東京都)

2014/03/12 (水) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★

不思議テイスト
 民話の古層に因縁付けて語られる現代に生きる地方名家に纏わる縁起物と言ったらよいのだろうか。不思議なテイストの作品である。旧家というものは、因縁話には事欠かぬものであるが、それが、鬼伝説と絡み、脈絡がホントに辿れるのか否かは別にして、あるかも知れないような因果・応報を定かならぬ伝承に強引に結び付けたような作品との印象を持った。

フリージアの不可知論

フリージアの不可知論

劇団霞座

ぶーふーうー(東京都)

2014/03/07 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

地獄に生まれた詩
 この公演の後、霞座は暫く冬眠に入ると言う。冬籠り前の今作、力作である。いつも思うのだが、この劇団の作品は極めて詩的である。今作も、扱われているのは、紛争地の現実なので頗る厳しい状況が描かれ乍ら、同時に適度な抽象度を保ちあまつさえ詩のテイストを具えている所にこの劇団の特徴と良さがあるように思う。言い換えれば追求すべきものを追求し振り返らないという潔さを持っているということだろうか。恰も己の宿命を知る者のように。

ネタバレBOX

 戦争というものが、人間にとって何を意味するのか? それを東西ドイツやパレスチナ・イスラエル問題など紛争地の各々から取り出し、少年兵、外国人傭兵などに具体化して、戦場の実体を点描・透視する。絶え間なく変わる支配地域の中で、その時優勢な勢力に肩入れせざるを得ない民衆の多くと、肩入れした後の他の人々との運命、民衆の中でも自説を通した人々と折れた人々の間に生まれる齟齬。昨日迄の隣人が今日は敵となって殺し合い、できれば当たらないでくれと願いながら互いの陣地に向けて乱射するリアリティー。数々の混乱。纂奪やレイプ、暴力と虐殺で民衆を従わせようとしている兵士たち。その兵士たちに向けられた武器の前での民衆の選択、等々。一瞬と雖も気の休まる時も無い中で、戦闘を休止させる程の突然の豪雨。その雨をずぶ濡れになって受けながら、恰も、戦場の惨たらしい体験が、悪夢でしかないように思われる一時。ゲリラが潜むとされた村に突撃した戦士に家族を目の前で殺された子供が、襲撃してきた兵士が落ち着いてから、固いパンを分けて貰い、神の祝福の言葉と共に受け取った時の兵士の衝撃等々が、頗る高いテンションでぶつかり合い、乱反射する詩的な作品だ。
邯鄲

邯鄲

世 amI

タイニイアリス(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★

実験
 視覚的なギャップをもっと強調しても良かったかも知れない。予算との兼ね合いなどで、無理も掛かると思うのだが、できれば、仮面をつけるとか邯鄲の精霊達の中にフリークスの役者に出て貰うとか、寺山 修司やシェイクスピアのA Midsummer Night’s Dreamの妖精たちのような衣裳、メイクを持ってくるなどの工夫があればもっとメリハリの効いた舞台になったと思う。また、次郎のキャスティングについても、70歳の役者で、純粋性はでたものの、若者の生意気な刺はなりを潜めてしまったのが残念。菊と次郎の関係は、実に微妙で、ある意味男性対女性の理想形の一つという気がする。聖母マリアとキリストと迄は行かなくても聖なる男女関係であり、男は、唯、甘えていればよい関係で、自立しない男にとっての理想の女性像なのだ。何故なら、乳母は、その男の甘えも生意気も総てをひっくるめて可愛いと見、それが、男にとって、そのまま安心して甘えていられ代理母という存在は、男女の関係の中で最も美しく清らかな関係でもある。
 但し、苦労するのはこの微妙な作品をどう舞台化するか? という点だろう。誰でも指摘するであろうことは、この作品と三島の幼児期体験である。部屋の折り紙を用いた飾り付けや積み木に纏わるエピソードなどは、三島の初期作品の中で、非常に大きな意味を持つもの達で、微妙な危うさ、緊張感のある会話が成立する物質的条件を為している。それは三島の頭脳であるよりは神経の秤のような気がしてならない。
 今回、どう舞台化するか、非常に難しい作品に挑んだ世amI、今後もどんどん様々な角度から斬り込み、チャレンジして欲しい。

ドラッグガール

ドラッグガール

Theatre MERCURY

王子小劇場(東京都)

2014/03/15 (土) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★

信 不信
 転換期という設定になっているようだが、徹底的に不信感しかないのではないか、と思う。但し、総てを疑う自己を措定できるわけでもなく、代わりに“愛”という手垢に塗れたコンセプトにすがろうとしてみるが、これもコマーシャリズムに利用されたプロパガンダの影響からか、最早、本能のレベルでは、コミットできない何かになった為か定かではないものの、恐らくは生きているという実感を求めて敢えて危険な、非合法乃至は脱法な演し物をぶつける。その中でドラッグも用いエキサイトする方向で自分達の抱えている空洞感を払拭しようと図るように見えたが。それが、首尾よく行ったとは思えない。また、不信なり、空洞感なりと徹底的に格闘して突き抜けた、という感覚も持てなかった。

ベイビィ・ポータブル・ロック

ベイビィ・ポータブル・ロック

劇団ハコイリムスメ

東京アポロシアター(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★

更に上を目指して欲しい
 若い劇団で今作で三回目の公演。その割には、シナリオもしっかりしている。まあ、女子の得意な恋愛をテーマとしている作品なのでそれも頷ける。

ネタバレBOX

 だが、幕開きから暫くは、動作に固さが目立ち、演技が不自然に見えた。中・後半の佳境に入ってからは、固さがとれて自然な感じの演技になったが。
 将来的には、恋愛絡みのみならず、自分達が、どのような国に住んでいるのか、ということについても考えて貰いたいのである。何れ、結婚して、子を持つであろうから、その子らがどんな国で育ち、どんな大人になってゆくのかをイメージすることは、矢張り必要であろう。
 ところで、舞台になっている小料理屋の2階には少女漫画家が住んでいるのだが、彼女のキャラクター設定が良い。
ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ちょっと待って誰コイツ!こんなヤツ知らない

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

今回はオムニバス 様々な味付け つき
 毎回、奇抜なアイデアとサービス精神で楽しませてくれるポップンマッシュチキン野郎の新作。今回はオムニバス形式の作品だが、客入れパフォーマンスも、幕間に演じられるショートショートも、全体の構成、バランスの良さも、この劇団ならではのものだ。
 毎回、この劇団の作品は、笑わせてくれる。そのドライでバランスの良い、ちょっとシュールな笑いのファンは多かろう。時には、ブラックな笑いも鏤められながら、その根底にある人間的な暖かさと子供の妄想にも似た突飛な飛躍力が、そして、そららをハードな身体表現で演じてくれる優れた役者陣の力が、全体を見通しバランス良く配置する演出と相俟ってこの劇団の魅力だ。(追記後送)

楽屋

楽屋

劇団チョコレートケーキ

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/14 (金) ~ 2014/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

シナリオの陰影を見事に表現
 若手演出家コンクール2012最優秀賞受賞記念公演として上演された、今回の「楽屋」。売り出し中のチョコレートケーキの番外公演という形をとっている。選ばれた作品は、清水 邦夫の名作「楽屋」。これまで多くの劇団、多くの役者、演出家が、挑んで来た作品を敢えて選んだチョコレートケーキの志の高さを先ず評価したい。
 良い舞台というものは、シナリオ、演出、演技は無論のこと、フライヤーにせよ、舞台美術にせよ、総てに亘ってセンスを感じさせるものだ。今公演も、そういった作品の系譜である。キャスティングが、良い。このメンバーで他のキャスティングは無いと思わせる所に収まっているのだが、それは始めから決まっていた訳ではないという。出演者が其々、役を回して収まるべき所に収まったということだ。それだけに実によく嵌ったキャスティングになっている。(追記後送)

「カレー屋の女」 2013→2014ツアー

「カレー屋の女」 2013→2014ツアー

ココロノキンセンアワー演劇部

タイニイアリス(東京都)

2014/03/10 (月) ~ 2014/03/11 (火)公演終了

満足度★★★★★

片道切符
 離島には、女ばかりが住んでいる。登場する女達は、カレー屋を営む一家の祖母、カレー屋のお上とその姉、お上の娘3人と舞台上には出て来ないが、姉の娘、店員らだ。今作で最も大切な要件は、この島は孤立しているということだ。そして、基本的にこの話は、3.11とも3.12とも繋がりは無い。原作は、和歌山県沖の島を舞台にしていると聞いた。然し、どういうわけか、東北の方々が演じると3.11、3.12が色濃く出ているように感じられたのである。同じシナリオなのに何故、こうも違うのか? (追記2014.3.18)

ネタバレBOX

 初演の舞台を拝見しているわけではないのでハッキリしたことは分からない。然し、3.11の後、川崎に住む自分は、3.12(福島第一原発人災)をより深刻な問題として考えて来た。放射性核種が実際に飛来して来たということもある。食物連鎖最上位に位置する人間の一員として、様々なレベルで汚染された食物の最終摂取者として、生体の体内濃縮のことも考え乍ら摂取する必要があるということもある。(御用学者は、このような見解を認めていない)
 然し、我々は既に知っている。この「国」では、本当のことを言うとパージされる。だから出回っている情報は、情報源が、政府だとか、一流のレッテルを貼られた大企業の場合は、嘘であるか加工されていると考えてよいということを。被災地の方々は、日々、このような体験をなさっている。自分が、2011年3月16日頃までには大筋を総て把握していたので、メルトダウンが起こっている可能性を含めて、身の周りの人間には、放射能の拡散予測データをメールに添付して拡散していた。無論、拡散データは、スピードによって得られたものではない。フランス在住の友人が、ヨーロッパで核に反対している物理学者、医師、市民団体などの予測データを送ってくれたのである。3月13日か14日には、そのメールが自分の下に届いていたので、原子力研究室などのデータ、議論を含めて自分なりに情報を収集後、拡散したのである。
 だから、政府関係者や、大手マスコミの発表より、爆発直後に現地入りした知り合いのジャーナリストからの情報や、普段から情報が正確な人々からのデータだけをコアに、また仙台で地元の人達の脱出を開始した研究者から、齎される生情報などを頼りにして来ている。新聞社では東京新聞の記事を基本にしている。何故なら、一番まともな記事を書き、読者が知りたいまともな質問をした為に、記者クラブを抜けることになったからである。この後、国税庁が徹底的に経理方面から東京新聞をいびった、という話も聞いている。ことほどさように、この「国」の民主(・・)主義(・・)というのは、実体を持たない偽物である。
 このような経緯を含めて、情報そのものを疑う必要が、あるのである。実は、3年後の現在迄に起こるだろうと予測したことの大筋は、残念乍ら、総て的中している。被災者の難民化と二重、三重の分断と差別である。無論、被災地へ帰ろう、帰れの大合唱も、人々の被ばく等歯牙にもかけない官僚や政治屋しかいない「国」のことであるから、頼るだけ無駄というのが、これも残念なことではあるが覚悟しておくべき原点である。水俣やカドミウム汚染、御嵩町産業廃棄物に纏わる事件等々、上げればきりが無い。薬剤エイズ事件などでもBSE問題などでも、国や担当官庁の無責任な対応はみての通りである。基本は、国など一切信用するな、である。実情を知っている倫理的人間なら、殆ど、総ての人が、自分の意見に賛成してくれるであろう。そのような闇を照らす作品である。


新しい等高線

新しい等高線

ユニークポイント

シアター711(東京都)

2014/03/11 (火) ~ 2014/03/18 (火)公演終了

満足度★★★★★

これからのこの国の姿
 ほぼ、大東亜戦争の時代を描いたハズの今作が、自分には、これからのこの国の歩みのように見えて仕方が無かった。

ネタバレBOX

 戦前の治安維持法より悪質な秘密保護法と言う名の情報隠蔽法が強行採決されたばかりで、今年は、共謀罪も狙っている自民党だから、当然、こういう懸念も出てくるわけだ。実際、この「国」の為政者ときたら、何らパースペクティブもないまま、阿保としか言いようのない選択を平気でしておきながら、一切、知らぬふりでしゃあしゃあとしているわけだから、また国民をミスリードすることは大いにあり得ることだ。その好例が原発再稼働へ舵を切っていることである。公約など最初から守る気もないことは、今迄の安倍や石破、菅らの発言を観ていれば明らかである。
 日独伊三国同盟を締結後の1940年11月から敗戦を迎えた1945年8月迄の足掛け6年間を地図出版社・色彩堂の動向を中心に捉えた作品。長引く対中国戦線で、日本は、かなり疲弊していたが、1941年8月のアメリカの対日石油輸出禁止などの動きは、硬直化した政治、軍に対英米の戦争を選ばせた。敵性言語の禁止とかで、ゴールデンバットの名も金鵄に変わり、野球などでも英語が排除されてゆく。これも阿保な話だ。孫子を持ちだす迄もなく、本当に勝つつもりなら、どんどん、英語を学んでその思考法のプラス・マイナス、特徴などを分析することが先決だろうに。対米英開戦反対派を押し切り、宣戦布告もせぬまま12月8日には、真珠湾攻撃が為され終に大東亜戦争が始まる。然し日本軍は緒戦を制したのみで翌1942年6月初旬ミッドウェー海戦で大敗を喫して以降、急速に制海権、制空権を失い、物資の調達や輸送さえまんろくに行えなくなった。戦死兵の数も日本軍は、戦闘による死者より病気や飢えで亡くなった兵の方が多いと言われる程だった。状況は悪化の一途を辿ったのである。1943年2月初めにはガダルカナルからも撤退。内務省は3月、本土決戦を見越してか単なる物資不足からか地図会社統合を要請、国家統制をどんどん強めていった。4月には山本 五十六も戦死。以後、連戦連敗。犬死にする為だけに万歳突撃などを繰り返し(1945年2月硫黄島での戦闘を除く)、1944年7月サイパンが陥落してからは、B29 の航続範囲に東京も入り、連日のように空爆に遭うようになる。
 社員の永井は、広島で一人暮らす母から弟を奪った赤紙の理不尽に天皇のばか、と手紙に記し、書き送った件で不敬罪を適用され特高に引っ張られた。それも、父亡き後、本人は、出征して障害者となり、最後に残っていた弟迄、赤紙一枚、一銭五厘で招集されたのが原因であった。郷里広島の実家は、母一人で守らねばならなかったのである。優しい彼は、それを怒ったのだ。その結果の不敬罪であったが、特高に連れていかれた当初、誰が、彼を連れ去ったのか、何があったのかも分からず、住み込み社員やお手伝いの純子らが、探し回って見付けられなかったのみならず、特高に引っ張られたと判じた後も、罪状すら分からなかったのである。
 秘密保護法という名で情報隠蔽法が強行採決された後、これからの日本は、総動員法が施工されていた頃の日本にそっくりという不気味な予測をしながらの観劇であった。
森本薫を読む!

森本薫を読む!

日本の近代戯曲研修セミナーin東京

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/10 (月) ~ 2014/03/11 (火)公演終了

満足度★★★★★

薔薇 記念 生まれた土地
 3つのラジオドラマとして書かれた作品のリーディングを拝見。「薔薇」「記念」の演出は、shelfの矢野 靖人氏。「生まれた土地」の演出は青年座の須藤 黄英さんである。
 上演中なので、余りに詳しいことは書かない。一例として「薔薇」について書いておく。
 所謂、読みに拘ったリーディングではない。無論、それ以上である。科白を役者の身体や生活に落とし込んで、自然に動くように仕組まれた演出である。従って、頗る高度な演出でありながら、非常に分かり易く役者たちの素を舞台化し得ている。スタニスラフスキーでいえば、滲み出るような役作りができているということだ。のびのびと演じているので、間口が広いのだが、勘所をキチンと押さえているので、隙は無い。
 役者は、演ずる時には、無論、存在感を出さなければならないが、自分にスポットが当たっていない時には、様々な対応が要求される。存在感を消すこともある。弱めたり、邪魔にならないように控えたり、ケースバイケースでスポットの当たっている役者をひきたてながら千変万化のポジショニングを要求されるのであるが、その辺りも非常に気の利いた、知的でしかも豊かな感受性を示す舞台になっている。

東 京<reprise>

東 京<reprise>

THE TRICKTOPS

王子小劇場(東京都)

2014/03/07 (金) ~ 2014/03/10 (月)公演終了

満足度★★★★

東京駅は結構面白い場所なのだ
 東京駅という漠とした空間を、カフェ、インフォメイション、忘れ物預かり、タクシーなどと其処で働く人々と客、仲間同士の会話等で埋め、タウン誌編集者、何でも屋、電車に乗らない乗客、矢鱈に喧嘩するカップル、駅員、待っている女等、様々に特徴のある登場人物を巧みに配し、細かい所まで配慮した演出でヴィヴィッドに造形している。役者陣の丁寧な演技が、演出の意図をキチンと汲み取って自然な演技に仕上げているのも良い。

ネタバレBOX


 唯一、問題があるとすれば、それは、作品の問題であるというより、この国の文化の質、人間関係の作り方の問題と言ったらよかろうか。言い方を変えれば、誰しもが幸せを漠然と願わなければならないような状況がありながら(つまり実質、不幸せでありながら)、各々は、幸せの何たるかを定義できず、唯、雰囲気で何となく幸せらしい、とか。何とか飢えずに済んでいるのだから、幸せらしい、とか。隣の人より、良い物を着ているから幸せらしい、とか感じているだけのこの国の在り様に対する根本的な批判が無い点である。無論、この国では、歴史的にこのような不如意を思い遣りや慮りで何とか誤魔化してきた歴史があることを否定する訳ではないし、そのことに有効性がまるでない、と言うつもりも無いが、メンタリティーのみを問題として居る限り、この国の根本的な問題には手をつけることさえできないこともまた事実なのである。
 一例を挙げると、誰が見ても、破綻している“もんじゅ”によるエターナルなエネルギー計画が、政府の政治的判断でどうにでもなったり、原発のみならず、原爆を含む核技術そのものは、一旦暴走したら、現在の我々が持っている技術では制御出来ないことが明らかであり、その惨禍は、全地球の全生命を危機に晒すか絶滅させる危険、或いは、緩慢な死なり、遺伝子の劣化なりを齎すと考えられるにも関わらず、これを政治的に圧殺していることなどである。物理法則に則った絶対が支配する論理を基礎に置いて物を考えない、という態度は、馬鹿をしか意味すまい。無論、物理学の最前線は、理論的に確定していない部分が多いのは承知の通りだ。然し、地球物理学でニュートン力学が正しければ、現在、この地球上でそれは、絶対に正しい論理なのである。其処から帰納、演繹を正しくして行く限り、間違いが起こることは無い。日本は、宗教をも単なる衣裳とする国である。そうでなければ、異宗教間・異宗派間の論争は絶えないハズなのであるが、そんな論争はめったにない。あれば、寧ろ例外なのであるが、例外というからには、原則があるはずなのに、原則はないのだ。あるのは、唯、功利的な計算だけである。もう一つのケースが、個人的に、日本の限界を見切っている場合である。そういう個人は一種のコスモポリタンとして、日本のプリミティブな思考の埒外に立つことができ、世界に通用する論拠を持つことができる。今作で描かれた東京駅が、このような思考領域で何処へでも行ける“場”であって欲しいものである。

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