「ぼくはだれ」
RISU PRODUCE
小劇場B1(東京都)
2014/06/18 (水) ~ 2014/06/24 (火)公演終了
満足度★★★★
密室
我らの生活する現代、とある警察署の取調室。スーパーで万引きをしたスナックの女、拳銃で3人を殺害した男の取り調べが行われている。彼は、子供の頃、両親を強盗殺人犯に殺されているので、復讐の可能性や精神鑑定の必要も認められるのだが、本人が強硬に精神鑑定を拒否。死刑への道を選ぶ。
さて、これらの被疑者に混じって別件で引っ張られた男、を巡る攻防が、メインストーリーだ。シナリオ、演出、演技、効果音や照明どれも完成度が高い。また、取調室の違いを壁掛け電話の位置の違いで表すなど最小限の変更でキチンと効果を上げている点も見逃せない。舞台の構造上、座る位置によって細かい表情が追えない点があるのが残念。それがなければ満点だ。(追記後送)
朗読劇 四畳半神話大系
演劇ユニット*エンゼルランプ
多目的スタジオ「プロモボックス!」(東京都)
2014/06/17 (火) ~ 2014/06/22 (日)公演終了
満足度★★★
夏クソ暑く冬かじかむほど寒い京都盆地の青春グラフティー
京都の大学3回生の可能であったらやり直したい、をオムニバス形式の朗読劇に仕立てた作品。中退してしまったものの、自分も2回生を終える迄、京都の大学で学生をやっていたので、土地の感覚が非常に懐かしい。
新歓の際、どのサークルも勧誘の為に、様々な企画を立てて新入生を誘うのが常だが、その中で、主人公の私が興味を持った3つのサークルの其々に入ったとして主に、1、2回生の時代を描いた青春物だ。が、シナリオが可也長く、シチュエイションに重なる部分がある物を3回繰り返すことになると、余程、朗読する側に力量が無いと、観客は退屈してしまう。読み物としては、他の楽しみ方が可能だとは思うが、朗読劇にこういう作品を選ぶのは如何なものか? 著作権の問題があるので、いじれないだろうから、自分なら選ばない。仮に選ばざるを得ない場合、著者と交渉して朗読作品として、面白い物にする為に、もっと、千年以上の都としての歴史を持つ京都を掘り下げる。出町が出てくれば、鞍馬や貴船迄話を飛ばす。そうすれば、樋口のキャラや神の超越性ももっと生きて来よう。このような箇所が他にもたくさんあった。現代の描き方は、まずまず面白い。猫ラーメンの話などもグーだ。残念なのは、演者の年齢が若く、技術も拙いのに、これだけ長時間の物をやらせるというのは、演出に疑問を感じるのも事実だ。脚本を持っているのに噛む。テキストの分量が多いので、じっくり考えて間を取ることが出来ない。無論、科白は、自分のものになっていない。序盤に特にそれが酷かった。観客は、最初の数分で、劇団であれユニットであれ、演ずる者達の力量を量ってしまう。自分の場合は、先ず、十数秒から1分である。それで力が無いと判断すれば、集中できない。今回拝見して、自分のめがねで合格を出せるのは、樋口を演じた谷 伸二氏だけだ。主催の方には、ご自分の好みばかりでなく、演劇そのものの正体を探って頂きたい。
氷のほむら
エーシアター
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2014/06/14 (土) ~ 2014/06/18 (水)公演終了
満足度★★★★
Bキャストを拝見
江戸時代、初夏、六月朔日、将軍家に加賀の氷を献上する習わしがあった。その年の将軍の無病息災、幕府の安泰を祈願するという行事である。その為、加賀で冬の間から氷室に収めて安置していた氷を4日間かけて江戸迄運び、将軍に食べて貰うのである。加賀藩の名誉の掛かった重大な行事であるから、当然、運ぶ人間も選りすぐりの脚自慢。報酬も通常の三倍だが、しくじれば仕置きが待っているという厳しいものであった。舞台は四代将軍、家綱の治世である。
ネタバレBOX
先代の氷見役は、責任感が強く良い仕事をこなし評判も高かったが、他界した。先代に目を掛けられていたにせよ、今年が初仕事になる波戸に従い走る飛脚は、宗次郎に迅助。然し、直前になって伴走の者が来ない。代わりに根性だけはあるが、体の小さい、女のようなへんちくりんな「男」が現れた。実は、先代の氷見役の娘、六花であったが、波戸は目を掛けて貰った人の娘であるから、真実をバラス訳にもゆかない。同行を許し、四人は江戸への旅に出発するが、大奥で権勢を揮う矢島の局は家綱の病弱を案じる余り、過保護の愚に陥って彼らの行く手を阻む計画を練っていた。ところで、彼女がこのような権勢を得たのは、家綱の乳母であったからである。当然、自分の娘、雪も家綱とは同世代、乳兄弟として育っているから、彼への影響力を持ってはいるが、朱子学の支配する時代、雪と雖も母たる局には礼を尽くさねばならない。然し、幼年期を共に過ごした彼女のサジェスチョンは、家綱に幼児の記憶を蘇らせ、彼本来の優しさ、他人を思い遣る心を蘇らせるの功があった。歴史をひも解いてみると、家綱が病弱であったり、若年で将軍職を継ぎ、優秀な家臣のお陰で大人になる迄は散々にフォローして貰ったのは事実である。然し乍ら、暗君であったというわけではない。体は弱いが、決して愚かでは無く、様々な新政策を打ち出している。更に、彼の地位が下の者に与える影響を早いうちから自覚し、気遣いを見せる逸話の残っている所を見れば、逆はあり得ても、一応、彼は優しかったと信じておきたい。将軍職に就いたのが11歳で約30年その職にあり、男子の子はできずに他界した。一方、「左用せい」としか言わなかったとして暗愚と見られることがあるのも一方で事実であるが、これは、生後4カ月で脳膜炎に罹り生死の境をさ迷っていることから言われることであり、今作でも、献上された氷に関する逸話が、それとなく挿入されているのは、この史実を指す。為に局は異様なまでに家綱の身体に気を使ったのである。彼女の犯した愚が愛情から出たことに注意したい。無論、娘の雪も、彼を愛している。それ故に、彼をヴィヴィッドな感性と共に生きさせたいのである。そこには、幼馴染しか知り得ないような微妙な感性の交流があり、男女通常の恋愛感情とは異なるタイプの愛もある。この母子の命を受けた忍びや剣術指南役、加賀忍軍迄が加わっての道中譚。生きることの本質を取り戻した家綱が、氷献上の使者達をねぎらって自ら迎えに行く下りは、感動的である。
毒婦二景「定や、定」「昭和十一年五月十八日の犯罪」
鵺的(ぬえてき)
小劇場 楽園(東京都)
2014/06/12 (木) ~ 2014/06/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
引き締まった舞台
Bプログラムを拝見。事件の本質を内務省のプロパガンダと見定め、現在も散々行われている大衆操作の為のプロパガンダにこの事件が用いられたと解して、定の生き様と取り調べる側の人間の有り様を浮き彫りにし、黒幕をある仕掛けでおちょくっている点でも面白い。作・演出・演技、舞台作りどれをとっても隙のない舞台だ。(追記2014.6.19)
ネタバレBOX
ボーボワールは言った。「女は女に生まれない。女になるのだ」と。だが、今の自分にそんなことは、大したことではない。女は来るものだからである。自分は、女性の意志を大切にするので、自分からゆくことは基本的に無い。来るからお相手するのみである。無論、本能はあるから、女性を嫌いな訳ではないが、社会に縛られている以上、自分から則を越えないという狡さを持っているのだろう。基本的に頭脳戦という側面があるから、会って初めてで電流が流れるような衝撃を受けた女性か、何かのきっかけで本当に愛しているのだと気付かない限り、自分から、チョッカイを掛ける必然性は無い。それだけのことだ。このような生き方をしてきただけに、今作で解釈されたような定の生き方には、共鳴する所がある。男の愛は、満遍なく広いが浅い。これに対して、女の愛は狭くて深い。この差を理解できるような気がするのである。偶々、定は、女のこのような愛を理解し、身も心も付き合って楽しんでくれる男に出会い、心底惚れた。それは、永劫の宇宙の有為転変の中の奇跡としか言いようのない出会いである。だから、性器のみならず、生殖器迄切り取ったのだ。雑草を刈っても根が残れば雑草は再び芽吹き、他者の手に掛かる。彼女は唯一無二の相手にそのように好い加減な愛を認めることはできなかった。だから根こそぎ切り取った。自分と彼との旬にであるが永久の愛の為に。ところで、愛の行為とは何か? 究極の形に於いて完全に相手を独占することではないのか? その一点に永遠を込めることではないのか? もとより我ら幽玄の存在が、真の永遠と競うこと等できようが無い。パラドクサルなレトリックを用いて表現するしかないのだ。その表現の形としては、そして、実践の形としては、沈黙する他無いのだ! その意味で、「言葉にできません」と言う彼女の言い方は正鵠を射ている。他に言いようが無い迄に。今作は、だから命ギリギリで求め会ったことが無い連中には、せいぜい想像することができる話なのである。彼女のセイントな部分までは、到底分かるまい。定を演じたハマカワ フミエにはそれが、見えているからこの役にチャレンジしあのだろう。良い“定”ぶりであった。老刑事を演じた谷仲 恵輔の陰影に富んだ表現の素晴らしさ、偽内務官僚を演じた平山 寛人の集中力、憎まれ役の若手刑事を演じた瀧川 英次も、他の役作りが見たい。総じて脚本の素晴らしさ、演出の的確、演技の深さ、舞台装置や、照明、音響の正確な操作、総体がマッチして、完成度の高い舞台になっている。
パダラマ・ジュグラマ終演いたしました!総動員3672人。ありがとうございました!
おぼんろ
ワーサルシアター(東京都)
2014/06/11 (水) ~ 2014/06/22 (日)公演終了
満足度★★★★★
宿命からの脱出
♂に生まれたひよこは、判定後、即座に殺されるのが宿命だ。ヒトではない。鶏の話である。彼が生まれたのはxxxx年xx月x日。辺りの大気はオゾマシイ迄に汚染され、大地は、もうその胎から食用に適するものを生み出せなくなっている。為に、総ての生きとし生ける者は飢え、餓死する者は後を絶たない。余りの空腹に耐えかねて、地面に落ちた物を拾って食べれば、たちどころに悶絶し、死に至る。汚染はここ迄酷かった。唯一の食糧は、外界から遮断されて、汚染を免れた地域に作られた、彼の生まれた食糧生産工場だけだ。(追記後送)
キャッチ・ザ・レインボゥ
My little Shine
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★★
こんな時代でも信じることのできる人を求めて生きてゆこうよ
心に沁みる虹を感じた舞台。(追記後送)
素人
劇団天然ポリエステル
タイニイアリス(東京都)
2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★★
良いね フェイスブックに一度も書く気がしなかった言葉を自然に贈りたい
役者のレベルが全体的に高く、キャラが立っているのが良い。おまけに、ちゃんと、その演じられたキャラの中で自然体である。TVなどという阿保なメディア全盛が未だ続く現代、これが如何に大変な努力の結果であり、成果であるかということもまた、強調しておくべきであろう。舞台役者万歳である。枕詞として既に定着した“アホの(な)安倍”などには、思いもつかぬ世界がここにはある。何せ、生まれて初めて、心底、顔を見るだけでオゾマシイと感じたのは、そしてホントにこのようなことを経験することがあるのだということを経験して驚いたのは、安倍晋三の面をTVニュース等で見せられてからである。反吐が出る。これは本当だ。こんな時代、こんな植民地にあって、劇団などと“外れた”世界に一所懸命になり、全身全霊を賭けて生きて行く利口馬鹿の演劇人達の苦労、誇り、名誉心、恋、縛り、総てをひっくるめて人生を描いて温かさを届けてくれた。ナニゲに、丁度、舞台中央の目につき易い所に頭蓋骨が置かれているのは、無論、メメントモリを意味するだろう。ここに、役者根性を見る。実際、どの役者の演技もキャラの立った良い演技であった。これは、メメントモリの身体化だと思うのである。座付作家の悪戯根性も座長の責任感も、制作や王子、其々の姫、座員達も死に行く存在であることを意識した、含みのある良い演技をしている。温かさをありがとう、そう御礼を言いたい。
眠る男
吉野翼企画
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★★
ジャングルジムの孤独
岸田 理生自身の抱えていた父性との格闘や、詩としては単語間にやや距離を取り過ぎるきらいのあった彼女の文体は、舞踏家・点滅の身体表現、役者達のどこか寂しげな存在感の表出、多用される影・陰影のイマージュ等によって、彼女のシナリオ表現に身体を宿らせる。而もその身体が、存在の、逃れようも無い寂しさ、侘しさを表現して「言葉」を魔術のように立ち上げるシーンがあり、岸田 理生の才能の質を感じさせる。(追記後送)
デッサン
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★★
”重ね”の深み
いつもながら緻密な計算に基ずくSpiral Moonの作劇だ。無論、今回も雪絵役を演じる秋葉 舞滝子の想像力に富む役作りが、作品に深みを与えている。舞台美術も、舞台そのものに、奥ゆかしさや奥行きの感じられる作りになっており、シンメトリカルでありながら、わざと少し崩して東洋人好みの美意識で仕上げている点も良い。無論、作品と内実とのコレスポンダンスも図られている。(追記後送)
困った綾とり
unit SELAH
テアトルBONBON(東京都)
2014/06/12 (木) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★
冒頭
オープニング場面に工夫が無い。この時点で、喜劇でもなく、シリアスでも、所謂不条理劇でもなければ、異化効果を狙った作品でもないことがばればれだ。優れた舞台作品というものは、最初の数分で観客を引き込む力を持っている。それは、無論、緻密な計算が働いているからである。同じ原作でも演出によって、キャストによって、また様々な出し方によって、まるで違う作品になるのは、例えば、「楽屋」のようなシナリオから作られる作品を観ても明らかだ。スタニスラフスキーを持ち出したりしても、彼がチェーホフ作品と格闘して何を掴んだのかが、この演出家には分かっていないらしい。原作に忠実にということを考えたのだとしても、著作権の縛りがあるのだとしても、自分達が実際、何を中心に描きたいのかを見据えてから、仕事に掛かって欲しい。
2014年版 BANRYU 蟠龍 ご来場ありがとうございました。
世仁下乃一座フェアアート/岡安伸治ユニット
座・高円寺1(東京都)
2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了
満足度★★★★
カルマ
藤組を拝見。幕末、義足で舞台に上がり評判を取った歌舞伎役者、田之助の話がヒント一つになって作られた作品だが、これに、天に昇れないような小さな龍、蟠龍の話をミックス、更に、下北半島の御在所村に語り継がれてきた龍の話を加味して出来上がっている。但し、この御在所村の位置は、北海道から六ヶ所村を越えて繋がる活断層(恰も龍の形のような)の臍の位置に当たる。鮎沢 京吾の三味線の音、演者らの踊りが美しい。(追記後送)
毒舌と正義
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2014/06/06 (金) ~ 2014/06/12 (木)公演終了
満足度★★★★★
教育は、根幹
教育改悪が急ピッチで進められる中、性質の悪い生徒と世間のダニのような親や教育委員会、直接描かれては居ないが、中教審始め文科省の不見識(竹富町の教科書採用問題をみれば、文科省のレベルは単に見識の問題ではなく、憲法を蔑ろにしている点でも問題がある。及び、狂気政権・安倍の率いる下司共の下知まで考えるのは、大人の観客として当然のことだろう。)VS教育に於ける正義とは何かを考えさせてグッド。(追記後送)
VOICE × DANCE ボイスカルシアター「ドリームドロップス」【ご来場、ありがとうございました!】
企画集団Gotta!
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2014/06/07 (土) ~ 2014/06/08 (日)公演終了
満足度★★★★
Aチーム
開演前にマジッシャンが出てきて身体マジック、暗示マジック、錯覚利用マジックなどをみせてくれる。本編は、子供の観客も多い作品に入ってゆけるか否かで評価が分かれよう。拝見したAチーム、出演者は、皆若いのだが、広い観客層に受け入れられるようなバランスの良い演出で、クラシックバレエを基礎にした動きなのだろう。ダンサー達の体の切れ、回転、ジャンプ力の高さなども満足のゆくものであった。雨の中を観に行った甲斐はあった。(追記後送)
骨相学特別篇 Kaleido Fluid
劇団メリケンギョウル
荻窪小劇場(東京都)
2014/06/06 (金) ~ 2014/06/08 (日)公演終了
雨の中、殆ど徹夜明けで
更に、所要があって12~3分遅れたのだが、劇場の灯は消えており、受付には誰も居なかった。仕方なく、そのまま、入ってゆくと前説だったのか、神様と話をしている様子。もう始まっているかも知れないので入るタイミングを伺っていたのだが、だれた内容から、入っても大丈夫だと判断して客席に着いた。案の定、オムニバス形式で展開する舞台の内容は、一応、さっからしき人物が、開始前にした説明とは、異なる間の抜けたもので、やる気があるのかないのかにも疑問を持たざるを得なかった。なにぶん、途中から入場したので、断定はできないが、表現する人間というより、安倍を中心とする政治屋と径庭のない集団のように思われる。よく9回目迄もったな! と驚くと共に、最後に罵られていた金持ちと言われている人の趣味でやっている集団なのかも知れないと思った次第だ。殆ど、徹夜をしていたのと、余りにも、だれ、内容的にも貧相なシナリオに芸のない演出。工夫のない演技で、2話目からは、かなり居眠りをしてしまった。従って確定的評価はできないが、1話目を観た限りでは、おまけしても星2つ。まともに評価すると1つ或いは零である。
DOKURITSU KOKKA FES.2014
劇団東京ペンギン
スタジオ空洞(東京都)
2014/06/03 (火) ~ 2014/06/08 (日)公演終了
満足度★★★★
東京ペンギン?変化
というわけで東京ペンギンだけで様々な劇団を演じてしまおうという今公演。「Love Liner Disco」と「東京エンペラー」を拝見。東京エンペラーは、もうちっとつけたしがあるので、後ほど追記(2014.6.7)。若い劇団なので、役者自身の存在感や深みは、これから創って頂こう。
ところで6月6日はダミアンの誕生日。来週は13日の金曜日。うふ。
ネタバレBOX
Love Liner Disco
鉄道研究会メンバー3人に科されたルールは、5本の特急列車を使うこと。成功報酬を得る為の駅を特定し19時3分迄に、目的の駅に到着すること。一度、使用した路線は再び使わないこと。一度降りた駅には、降りないこと。新幹線は使わないこと。鉄道以外の乗り物は使わないこと。
目的駅から終着駅までの旅は、成功報酬だ。但し目的駅へ辿りつく為の条件が一つ。駅に降りる度、乗り換えでランダムに使えなくなる路線が1つある。
3人のうち、1人は男、残る2人は女。男は、謂わば線路の延びる所に関しては、マジッシャンの異名を持つ。片や時刻表の魔女。彼女は卒業後、イギリスへの研修が決まっている。彼女が、時刻表マニアになったのは、マジッシャンの気を引く為であった。残る1人は電車好き。子供の頃、帰れなくなった所へ現れた少年から、鉄道の楽しさを教えられた。その少年こそ、マジッシャンであった。当然、女子同士は恋のライバル。マジッシャン、魔女2人の力で、問題は、ほぼ片付き、最後の関門に掛かった。目的の上野駅まで残り1本、特急を使っていかなければならない。特急の停車駅から上野迄は、使えなくなる路線というリスクがあるが、成功する為のベストプラン。然し、様々な縛りのせいで、難度はグンと上がっている。運を天に任せたが。心配した通りになった。ここからは、走破するしかない。結構な距離だ。魔女は、何冊もの時刻表の入った重いバッグを背負っている。彼女が転んだ。立ち上がれそうもない。女子2人は、もう駄目だ、とへばっている。ここでマジッシャンは男を見せる。魔女の荷物を持ってやり、約束への切符、西瓜も持って走る、走る。果たして、彼らは間に合うのか? そして恋の行方は?
東京エンペラー
今作は、ゆとり世代のコンプレックスについて書かれた作品と捉えた。
そこでゆとり世代という良く聞く言葉をイメージしてみたが、定義が良く分からないので調べてみると、1987年4月2日以降2004年4月1日迄に生まれ、ゆとり教育期間中に学校教育を受けた者ということになるようだ。従って現時点で最も高齢でも27、8歳、最も若い者で19歳位とみておく。
頗るおおざっぱに言うと、バブル崩壊後の日本経済低迷期に学生生活を経験しており、通信インフラ・機器類の急激で爆発的な成長と共に大きくなった世代と言える。当然のことながら、デジタルメディアは自家薬籠中のものであると言えよう。一方、価値観は、堅実で安定度の高いものを求めると言われる。
そうかも知れない。だが、それは本当だろうか? 今作「東京エンペラー」を観る限り、そうは思えない。今作では描かれていないものの、リストカットをしなければ、自分の存在している感覚を確かめることもできず、思い余って思いっ切り障害にぶつかろうと体当たりして殻をぶち壊そうと何度トライしても、周到に準備され、身体化されて自分自身では排除することさえできなくなった幾層ものショックアブソーバーに邪魔されて、まともにぶつかることも傷つくことも外的には不可能となり、complex(多重意識)に悩みながらも、自爆する程、突き詰めなければならない何事も無い。真綿で首を締められるような苦しみにあがくともなく足掻く地獄を生きる世代のように見える。当然のことながら、彼らにアイデンティティーを確立しようなどという積極的なパースペクティブは無い。そのような論理の地平は、少なくとも、日本の現代社会の中からは、排除され、亡き者とされている。そんな彼らが携帯端末を用いて頂点に立つ。即ちプランクトン・浮遊する者として積極的に頂点を目指すのだ! 滑稽そのものであるから、それを目指す者は正しく狂人と呼ばれているが、そのものの役名を東京エンペラーと名付けた。東京エンペラーになるには、ツイッターのフォロワーを一番多く持つことが条件だ。即ち、支持されているということだから。民主的だろ? ところで立候補する者、対抗する者は? 1人は無論、狂人。彼は、誰のフォロワーにもなりたくも無い少女を「革命家」に仕立て上げようとし、拳銃を持たせて対抗馬を抹殺しようと図るが、少女にその気は無い。だが、第一次世界大戦勃発の要因と言われるエスターライヒ・エステ大公ことF.フェルディナンドのガヴリロ・プリンツィプによる暗殺、所謂サラエヴォ事件をちょろっと出して、天皇暗殺を嗾ける辺り、芝居の筋などより、今波に乗っている劇団、チョコレートケーキへのチャレンジを思わせて微笑ましい。一観客として言わせて貰えば、チョコレートケーキは手強いぞ! 殊に、演出の日澤氏の力量は並大抵ではない。横道に逸れた。閑話休題と参ろう。
もう1人は、朕である。即ち、嘗て「朕は国家である」と抜かした”現人神”とやらである。たまさか、少女ははずみで朕を銃撃したが、彼は死ななかった。暫く、動かなかったのだが「朕は不死身である」として、蘇る。キリスト復活を思わせ、現人神的神性を顕現するという仕掛けだ。極めて危ないこれら無根拠の情動・こじつけに対し、第3勢力がぐんぐん伸びてくる。それは、デジタル時代にマッチした勢力ではあるのだが。
ONE LOOKY TWO IN
株式会社Legs&Loins
Geki地下Liberty(東京都)
2014/06/03 (火) ~ 2014/06/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
Persona Train
こちらを拝見。朗読と演劇が一体となったような作品で、ちょっと硬派。内容的には素晴らしいの一言に尽きる。照明がかなり暗いシーンが多いので、ほんの少し、カム場面もあったが、そんなことは全然気にならないほど、優れた内容であった。
ネタバレBOX
「真の文明は、山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」足尾鉱毒事件で有名な田中 正造の言葉である。彼は、「亡国に至るを知らざれば 之れ即ち亡国」との名言も残している人だが、今作では、このような名言、茨城 のり子「自分の感受性くらい」「汲む」、谷川 俊太郎「二十億光年の孤独」「朝のリレー」、三好 達治「土」、宮沢 賢治「アメニモマケズ」などの詩、1992年リオデジャネイロで開かれた環境サミットで演説したセヴァン・スズキ(当時12歳の少女)の伝説となったスピーチwww.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg。ストリートチルドレンの語った話等々の引用を巧みに構成しつつ、相補的に、早朝4時のラジオ番組パーソナリティーを務める中年男、スケアクロウとリスナーのやりとりを通じて現実世界を対置する。例えば、マイケル・サンデルの有名な設問「暴走列車問題」を巡っての苛められっ子との問答や、孤独死を遂げるに至った男と姉と別れた妻、及び日独ハーフの息子。息子とドイツ人の彼女の微妙な関係等々を織り込み、頼りない我らの日常生活に煌めく言語表現を織り込んでめくるめき織物に仕立てた。途中何度も言及されるバタフライエフェクトが、蚕が繭を紡ぐ時に、張り巡らす糸のように、一見関係無いと思われる事象を繋げて行く。
作品のコアと思えるのが、茨城 のり子の「汲む」に盛られた思想だ。弱さを根底に、世界の総てと向き合ってゆく。つまり自分の弱さをアンテナとして生き切る姿勢が、バタフライエフェクトとして世界を変える縁になってゆく。その形を、自分達がやっている演劇に重ねて表現した過不足のないメッセージと構成の見事さ、志の高さと、今言うべきことを言う勇気、演者たちのイマジネーションの確かさを観た今作、お薦めである。
以下、自分が作品の核となったと考えた茨城 のり子の「汲む」を引用しておく。
汲む
―Y・Yに―
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです 」
非在
(劇)ヤリナゲ
王子小劇場(東京都)
2014/06/03 (火) ~ 2014/06/04 (水)公演終了
満足度★★★
新鮮だが
登場人物の内、主として弟役で映画監督を演じている役者が、他の登場人物をリアルタイムで撮りスクリーンに映し出してゆくので、舞台を正面から観ている観客とは、別の角度からの描写や、監督の選んだ人物のクローズアップ等が映り込んで新鮮である。
ネタバレBOX
少し分析的に言うなら、劇作家の謂わば代理・分身として、監督が物語に入り込むと同時に役者としての役もこなしているわけだ。
このことは、作家が、客体化した自己という意識を、役者という存在に投影して、作者の持つ創造の一端を役者に分担させると同時に、役者自身が持つ個性と作家の表現との狭間に生まれるギャップをも呈示する。このように多様な意味を背負い込んだ役者自身の肉体は、最早、単に生理的な存在ではなく、作家の呈示するものに対応する思考を肉体に落とし込んだ身体である。肝要な点は、身体と構想・想像力が一体となっていることだ。我々、観客が新鮮だと感じたものの内実とは、これら総体と他の演者たちとの相互関係を観客との動的展開に於いて捉えようとする試みであると同時に、この方法が有効であるか否かを問う、創作者から観客への提起である。本来、この程度の思考を経てシナリオ化し、演出構成すべきであるが、この点では、詰めがまだまだ甘い。とはいうものの、余り理屈に遊び心を制御されてもいけない。遊びつつ、シャープに思考し、効果的に組み立てて貰いたい。
TERAMACHI
Baobab
武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)
2014/05/30 (金) ~ 2014/06/02 (月)公演終了
満足度★★★★
ぶぶでもどうぞ
舞踊劇という形なので、通常の演劇とは全く異なる。科白は殆ど無いし、デフォルメされていたりもする。様々な仕掛けが楽しい。ぶぶでも・・・。とは、京の特性を表すとしてよく引き合いに出される話だから、説明はしない。音響、照明も気の利いたものだ。楽しまれたい。
ネタバレBOX
京の都は難しい。信頼される迄に大変な日時が掛かる。これは、京都に暮らした人間にしか分からないだろう。何せ、十代の女の子が、病葉の美を称揚できる程のセンスを持った町だ。なまじっかな美意識が太刀打ち出来る訳が無い。一方、東男に京女とは良く言ったもので、それだけのセンスを持つ京都女性なればこそ、東の国の武骨は、微笑ましくも映るのだろう。Baobabは、この点に着目しているように思える。彼らがずっと主張し続けてきた“土着的身体性”に日本舞踊や歌舞伎の美意識を織り込んだ今作では、歌舞く姿勢と三鷹から京への距離は距離として突き放す意識的所作が相俟って、時に動の中の静を、転じて静の中に汪溢する靭い動を感じさせる。このように組み立てられたパフォーマンスは、人体の持つ表現の可能性を感じさせて美しい。特に、Baobab代表の北尾 亘の切れのある動き、硬軟両様の身体の使い分けは見事である。
因みに、踊り手各々の立ち位置だが、京の町の碁盤目状の其々の道筋、交差などにキチンと従っている点も隠し味だ。
宿題は、動から静へ、静から動へ移行する際の一瞬の静止点をキチンとトメとして表現仕切ることだろう。北尾氏自身語る歩行という基礎の確立、深化が望まれる。但し、不合理な動きをして腰を痛めぬように。
嘘つきアポロジー
9-States
OFF OFFシアター(東京都)
2014/05/28 (水) ~ 2014/06/01 (日)公演終了
満足度★★★★
論理なんか覚えるんじゃなかった!
シリアスというよりシニカルな作品だ。分かり切ったことを傷口に塩を摺り込むように執拗に攻め立てる。戯曲としては良く出来ていると思うが、人が何故そのようであるのか、についての掘り下げは殆ど無い。その点を作り込んで、尚且つドラマチックな筋を展開できれば、頗るつきの作品を書けるだろう。その為には、不合理と知りつつ人生を背負う必要がある。評論家然として、距離を保つのではなく。生きることに前のめりになった上で、もう一度、このテーマで書いて欲しい。
理想を言えば、標題通り、馬鹿でいられれば少しは幸福だったのだろうが、論理を覚えてしまった以上、その上で、解決を目指す他は無いのだから。
キャベティーナ
劇団鋼鉄村松
d-倉庫(東京都)
2014/05/28 (水) ~ 2014/06/01 (日)公演終了
満足度★★★★
キャベツ合戦
スペインのトマティーナは、8月の最終水曜日に行われる収穫祭だが、熟したトマトをぶつけ合う奇祭として知られ、世界各地から、この日に合わせて観光客が集まり、この時ばかりは、住民の倍以上の人々が押し寄せることでも知られる。今作と同じように前夜祭があり、移動遊園地がやってきたり、屋台が立ち並んだりと縁日のような雰囲気の中で、人々は、酒を飲み、ダンスを踊るのが習わしだ。
ネタバレBOX
設定を所沢とし、このトマティーナに想を得て作られたのが今作だ。キャベティーナの発端は、豊作の為、値崩れを起こしたキャベツを、トラクターで轢き潰す悔しさに耐えかねた農民が、キャベツを投げ合って憂さを晴らしたことに端を発するという。
スペインでは、トマトを少し潰してから投げるのがルールだが、キャベティーナでは、投げるのはキャベツなので潰しようも無い。だから、トラクター上に乗って最後迄、キャベツ合戦をし、踏ん張った男は、英雄であり、キャベツの妖精に選ばれた女性に接吻を受ける栄誉を担う。この儀式の後は、キャベツ出荷用の段ボールに細工をした仮面を被ってダンスパーティーが催されるが、酒も入り、開放的になった者達の間には、アバンチュールも多く生じる。この為、ダンパは、一種の若衆宿の趣を呈する。
以上のような状況に、おぼっちゃんのまさくにを中心に、所沢のヒロインで、横道にそれたこともあるキャロライン、キャロラインのファンで元族リーダーのコーセー、まさくにの雇主、実力者のガンバ、キャベツグループを潰そうと画策するまさくにの父、カボチャマスク、矢張り、キャロラインを愛する資源再生工場工場長、キャロラインの父、藤田、キャロラインのライバル達らが、こぞって惹き起こす小さな笑いが今作の特徴だ。従って、大筋で深い感動の渦に巻き込むとか、太い脈絡で喜劇性を仕込むという手法は取られていない。作家のシャイな性格から、真を描くに当たって嘘を構築するという手法は、却ってあざとく感じるということがあるようだ。とはいえ、キャベティーナの祭り自体は、舞台上で実在のものとして描かれるが、実際に所沢へ観に行くことはできない。完全な創作だからである。
★は、20周年に因んでこの値段で公演したこと、一所懸命な役者陣、制作側の心意気を加味して4つ。だが、矢張り更に★の数を増すには、骨太のシナリオを書いて欲しい。例えば、キャベティーナのルールを幾つかキチンと定めてエッジを立てる等の工夫が欲しい。