満足度★★★★
移ろうもの移ろわぬもの
木組みで作られた舞台美術は、火の見櫓に見立てられたり、様々な家屋に見立てられたりと話の内容に応じて様々に変容するが、開演前から流されていたBGMとのコラボレーションで見ると、竹林とも感じられ、面白い表現であった。
ネタバレBOX
ヒロシゲの母が三味線の名手であったことが語られ、ミヤタのダンスは、三味を弾く動作の模写から音楽そのものを表現する形に変わってゆくが、この転位が、今作の中心を為すダンスの主題だと考えられる。
また、今作では、葛飾 北斎が、仇でもあるように悪し態に語られてゆくが、これは、其々の芸術家が、何を定規としたかによって変わってこよう。何れにせよ、観察することは、唯、対象を注意深く観ることではなく、事物の関係性を見定める点にあることや、表現の本質が、あらゆる偏見を廃し、真っ直ぐ見つめることに在る点等、本質的なことに踏み込んだ上で、どんな理念に従って定規を作るか。そこから先は、各表現者総ての価値観の根拠が、これに掛かる。力の優劣で、定規の基準が変わる大衆レベルではない。我々は心せねばなるまい、評判だけが評価を構築するのではないことを!
満足度★★★★★
聖史劇
男に振られた祖母は、やけ酒を喰らって浜辺で寝てしまった。然し、満潮の海で溺れてしまった。それを助けたのがおじいちゃんであった。二人は恋に落ち、母を産んで育てた。
ネタバレBOX
物語は、この母子の思い出として語られる。異種婚姻譚という不合理や、蛸の擬態が、単に体色を変えたり、海底の地形に合わせて体型を変えるに留まらず、人間に擬態するという非科学性もオープニングの時点で指摘して、科学的には好い加減であることを明かすことによって物語に引き込んでいるシナリオも良い。
さて、話は、タコとのハーフだと、母が子供時代に苛められたことや、孫娘のアイデンティティー問題等様々なエピソードを孕みつつ展開してゆくのだが、祖父は、余り器用とは言えない営業マンとして家計を支えながら、緊急の出費や家計の危機には、自らの足を切り売りして凌いでいた。彼の足は、最高級食材として極めて高価だったのである。だが、祖母が、母を産んだ時、マイホーム購入、娘の学費等々で祖父の足はどんどん少なくなっていった。それでも祖父は常に笑いを絶やさず、生きていりゃ何とかなる、というのを母がモットーにする程に優しく逞しい生き方を貫いていた。
母は、海へ帰りたいであろう父を慕いながら、生きて来て、矢張り、海外から出稼ぎに来ていた人と結婚した。彼は家族の為に、腎臓を1つ売って暮らしの足しにしていたのだが、それでも間に合わず、日本に出稼ぎに来ていたのである。祖父は、結婚費用と孫の出産費用の為にも、また足の数を減らしてしまった。だが、孫娘が3歳になった時、出稼ぎに来ていた父は、故郷の借金で首が回らず、夜逃げしてしまった。
以降、母は、足が1本になって、殆ど寝た切りの父と幼い孫娘を抱えてストリッパーに転身した。全国を旅して回りながら、裸を晒すことと、全生命の故郷である海との連関に気付き、性を梃子に俗と聖を繋ぐ自らの在り様に意味を見出しつつあった母は、寂しい男たちに人気を博すようになってゆく。大した金はないけれど、それなりに幸せな生活を送っていた彼らに大きな試練が訪れた。孫が、大病に罹ったのである。多少、人気のあるストリッパーの稼ぎで足りる額ではない。ストリッパー仲間も手を貸そうとするが、とても手に負える額では無かった。祖父が、最後の一本を売ったのは、そんな経緯を知ったからである。その1本で殆ど何でもこなし、存在の誇りを守る最後の砦となっていた1本を祖父は孫娘の為に売って命を閉じた。
成長した孫と母は、最後に残った祖父の頭部を海に戻す。
キャストが格好良過ぎない点がグー。普通の人が、普通の生活をする為に、どれだけの苦労をし、その生活を支える為に、どれだけの者が、自らを犠牲にして、それらを支えているかを示しているからである。物語の中で、祖父が足を売る時、母もまた、愛娘のオペの為に、自分の腎臓を1つ売る覚悟をしている。それを実現せずに済んだのは、祖父がいち早く、自らの最後の足を売って金を作ってくれたからである。
先にも少し触れておいたが、ストリッパーになった母は、秘所を晒して見せることで、胎児が其処で漂う子宮と羊水、海水の類似性を指摘して性・俗と聖性を同一視して見せた。無論、聖俗の一致は、今迄にも多くの知識人が指摘してきたことではあり、珍しくは無いかも知れない。然し、このように小さな劇場で、このような聖史劇が演じられることにこそ、意味があるのである。このような意味で、良く寝られたシナリオにマッチした演出、演技であった。中島 みゆきの“ファイト”が、実に効果的に使われていた点もグー。
満足度★★★
本日昔噺
2010年に旗揚げ宣言をしたものの、その後、一切活動をしてこなかった劇団ウミダの実質旗揚げ公演。旗揚げ2本のうち「本日昔噺」を拝見。
ネタバレBOX
まあ、政治というものに、不信感しか抱けない、このエリアの植民地政府の日常を見ていれば必然的に生じる陰謀論的な噺なのだが、マリーインタアネット女王が領する“竜宮国”と隣国の“さるさるの国”は、当然のことながら、領土や権益を掛けて争っている。だが、それは、紛争や戦争の形を取っているわけではない。
寧ろ、エンターテインメントを用いて、敵国領民の関心をどちらが引きつけ、様々な商売や不随的利益を自らの側に帰せしむるかについての争いである。竜宮国の既定路線はスタップというアイドル5人組なのだが、中核メンバー、キリシマは、さるさる国と気脈を通じている節があるとみられ、現在、メンバーから外れている。代わりに入っているのが、孫悟空である。滅法強いが頭が弱いのは、猿だから致し方あるまい。
竜宮国では、他にも大衆操作と実益を兼ねる施作の一環として、女王に直訴する権利が与えられているのだが、直訴人は、どういうわけか皆、男で太郎と呼ばれる。直訴すると、女王直々に解決の手段が示され、解決の為のアイテムが与えられた後、太郎は、指定された部屋へ案内される仕組みだ。ところが指定の場所では、実は、強制労働が科されていた。彼らは一生、此処で奴隷労働に従事する仕組みである。
ところで、さるさるの国には、前田 前次郎という有名な歌舞伎者が居て、かどわかされた娘を救出する為、竜宮国に潜入してきていた。
更に、キリシマそっくりの林 虎之助なる者が同道している。だが、林は二重スパイの可能性もある。おまけに、太郎として、現在、奴隷労働に従事している質問太郎こと、ヨタは、反旗を翻し、クーデタを成功させた。生き返りの秘薬を持つ竜宮中心勢力、ヨタ、前田 前之助三つ巴の闘いの行方や如何に!
満足度★★★
視点
上演自体は通常の半分程の作品である。然し、反復が矢鱈と多い割に、良くも悪しくもインターネットで簡単に必要と思われる情報にアクセスできる時代感覚に慣れ切ってしまった我々には、ウザイ、としか感じられない演出には、もう一工夫必要だと思われる。観客は、批評しに来ているのではない。
ネタバレBOX
そもそも、主要テーマと思われることが、女の戦略と男の戦略の話である。我々の体など、ちょっと乱暴な言い方をすれば、遺伝子が、己の役割を果たす為に用いる乗り物に過ぎないのであるから、♂の目指すべきは、できるだけ多くの異性に自らの遺伝子を配達することであり、♀の目指すべきは、できるだけ多様な遺伝子を自らの選択に於いて着床させることである。
一夫一婦制を基本とする現在のこのエリアでは、人の倫理という規制が掛かるから、上記のように、人は中々振る舞えない。一方、本能の命ずる所は上記の如くであるから、そこには、矛盾が生じるのだが、これらの相克を描く為だけでも、単なる反復では、観客が飽きるのは当然と言わねばならぬ。何故なら、反復だけでは、アイロニーを感じさせることや、うんざりさせることに主眼が行ってしまうであろうからである。
役者の力は、それなりであると思うし、志も高いのだから、更に演劇の様々な可能性を見出すべくチャレンジして欲しい。
満足度★★★★
小劇団の舞台裏
小劇団、灯の車は、3.11と続く人災3.12で公演を中止せざるを得なかった。
ネタバレBOX
その後、3年10カ月を経て再演を果たすが、本番初日、主演の蓮司は足首を捻挫。何とか歩くことはできるものの、楽屋と舞台を結ぶ梯子の上り下りが出来ない。
開演迄の時間は30分。シーンの入れ替えなどでデハケの調整をし、段取りの再確認を行っていざ、暗転。ところが、明展した舞台には、ヒロインが居ない! 辻褄合わせをして行くうちに、ストーリーは、完全にシナリオから外れてしまった。
3年10か月前同様、途中で、中止するという方向に動き出したかに見えた舞台であったが、舞台監督の森島は、続行を強く主張、このシーンの演技の熱さが、今作のハイライトである。数々の破綻を必死に取り繕う内容と、原作を芥川作品として、それを翻案したオリジナル脚本にしていたことのみを観客にインフォメーションでながしていた、という設定になっている点が、大きな流れとしては、楽しめる作品にしている。
満足度★★★★
因果律も
1970年代のブルックリン。この街の郊外に住むブルースター姉妹は近所で評判のお人好しおばあちゃんである。何しろ、身よりがなく困った人が訪ねてくれば、部屋を無償で提供するばかりか、食事の世話迄してくれる。
ネタバレBOX
おまけに小さい頃に両親を失くしたテディー、アメリの兄妹を引き取り育てているが、彼らは、彼女らの甥と姪にあたる。テディーは自らをヒトラーと信じているが、周囲は、彼に合わせている。アメリは、新進劇評家であるが、隣家の息子、ブライアンの恋人で、プロポーズされているのだが、仕事を取るか、恋を取るかで悩んでいる。
というのも、彼女は、ブルースター姉妹の秘密を発見してしまったからであった。その上、10年間も失踪していた兄のジェラルドが、いきなり死体を連れて戻って来たのだ。
(追記するかも)
満足度★★★★★
三位一体
心技体其々のレベルの高さが、中国の武術を含む身体の用い方、エネルギーの物理的・合理的な移動の仕方など節々迄現れている。つくづく演劇とは身体性であると感じさせる作りである。全体として芝居としてのバランスの良さ、椅子を身体の延長として様々な物に変じて見せるとき、観客のイマジネーションを自然に、目的の所迄誘う技術等、長い中国の歴史的遺産をキチンと受け継ぎ、キチンと身体言語化するという難度の高いことをさらりとやって見せている辺り、また、これだけの動きをしながら、誰ひとり、息が上がっていなかったのも見事だ。間の取り方等も見事である。何れも学生とは思えない質の高さを示している。原作は小説だというが、シナリオを起こしているのは、矢張り若い女性である。中国語での上演(字幕なし)なので、早目に行ってパンフレットに書かれている粗筋をキチンと読んでおくことをお勧めする。
満足度★★★
夢の甘さ
基本的にはかなりベタなシナリオ。
ネタバレBOX
自殺未遂を図ったアイだが、心を寄せていたヒビキがすんでの所で延ばした手によって、最悪の事態は免れたものの、意識不明の重体である。24時間以内に意識が戻らなければ、万事休すだというのだ。ところで母手作りの人形、ジョージには、魂が宿っていた。24時間ギリギリでアイは心肺停止状態に陥る。このシーンを入れることで捻りが加わっているのはグー。ここから奇跡が起こる。ジョージが彼の魂をアイに与えることで、アイは蘇る。
満足度★★★
全体的な印象は、学芸会
だが、出演陣のポテンシャルは高い。今後、良い出会いに満ち、益々、可能性を伸ばして欲しいが、今回は、未だ、芸としては、マズマズのレベルなので、査定はそれほど高く無いが、これからに期待している。
ネタバレBOX
☆鈴木 太一郎、猪俣 桃絵のデュオ。アコースティックギターの演奏と歌は、猪俣 桃絵が。太一郎は、MCと補助サウンドを担当。猪俣 桃絵の声は、人を安心させるような微妙な音域を持ち優しくたおやかに人々の心を揺する。
☆天下統一プロジェクトという企画を立ち上げ、現在、全国をチャリで回り乍ら、信長の顔をGPS機能を用いて各都道府県に1つずつ描くという作業をしつつ、勝手にその地域の歌を作って歌っている北海道 信長。今回披露されたのは、茨城県、群馬県、秋田県。実際に武者のいでたちで歌い、ギターを奏でる。声も良く、顔も信長に似ている。会場では用意したパネルにGPSで描かれた其々の信長の顔を見せるパフォーマンスを行い乍ら、ブルースハーモニカとアコースティックギターに歌で会場を沸かせた。因みに信長23歳の折には、政略結婚した妻の父、斉藤道三が亡くなり、弟が反旗を翻そうとしていた、と、これは演者の説明にあった。
☆猪俣 桃絵、吉田 弓季葉によるダンス。猪俣 桃絵の声の良さは、身体パフォーマンスによって鍛えられている、身体全体が基礎になっていると考えられそうだ。
☆ダンスの終演部分に被るように登場したのが、ズンマチャンゴ。ひめだ まなぶ、さらしな まりこ、かねこ としき、こうもと さきこ4人の子供向け番組に登場するようなお兄さん、お姉さん。意味不明であるが故に楽しい、歌詞の歌と跳んだり跳ねたりの踊り。NHKのおかあさんといっしょの雰囲気だ。
☆ラストが宗教劇団・ピャーの作家、塚田 朋来氏のシナリオ「尿も明日も明後日も元気」の上演だ。今迄も彼の作品は、人間の根源的欲求である、性、食、眠り等に関わる作品であったが、これまで拝見した彼の作品には、此処までドライなタッチはなかった。今回も失踪危機はあったようなので、それを乗り越えて行く過程で、自らに掛けた圧力が、このようにドライなスカトロ作品を産んだのであろう。再び、潤いのある場所へ回帰した上で、次作に挑んで貰いたい。
満足度★★★
ベタに過ぎた
徹底的駄目男に尽くす女。どういうわけかいるんだよな、この手のカップルが。
ネタバレBOX
優生思想などを持ち出す気はないが、見ていて腹立たしい。それに、駄目男くん、結構、図太い所があったりするから、実際には。余計腹立たしいんだよね。かといって処置してしまう訳にもゆかないから、厄介なんだよね。実際。それに、今作の主人公のように、自分がホントに駄目ってことに気付いていない奴が多いのも困りもの。誰とも関わりなく生きていって貰うってのが、現実的かもしれにゃい。
演出にメリハリをつけ、オーバー気味に演じさせたり、しんみりえんじさせたりしたら、もっと面白くなろう。折角、神社にもなる舞台美術を創っているのだから、不可思議を演出しても良いかもしれない。
満足度★★
某研究おちょくり はアリマス
一応、STAP細胞騒動を彷彿とさせる場面展開でのナンセンスという雰囲気の作品であるが、シナリオは、ナンセンスを作るには、箍の外し方を知らない。感覚レベルの稚拙なもの。ナンセンスは、知の最高レベルの技術が前提になっていることを忘れてはなるまい。少なくとも、数学的にセンスが無ければならない。即ち、あるオーダーの論理的絶対を作家は持っていなければならない。それでなければナンセンスが作れる訳はないのだ。まあ、ラスト部分だけは、感覚的ナンセンスでも到達し得る不条理に満ちていたから、許容できるにしても。
満足度★★★★
嘘オンパレードの感があった2014年
であったが、植民地トップが、嘘を吐き続けているにも拘わらず、それをホントと「勘違い」する下司な連中の嘘の何と被害甚大なことか? そんな嘘の庶民版は、為政者共の嘘に比べれば、被害はとても小さい。それでも、ここに描かれた嘘は、それぞれ、個性的で示唆に富む。フルタ流のタッチで描かれた作品群に注目。(追記2014.12.29)
ネタバレBOX
5本の短編で形作られたオムニバスだが、どの逸話も当事者になってみれば、かなりリアリティーのある話として感じられる辺り、流石にフルタが関わる芝居である。また、登場人物の背景にある人の顔のようなオブジェの使い方、照明や音響と上手く絡めて極めて効果的な背景を作っていること。この技術力の高さにも感心した。ただ、観客の多くが、未だちょっとついて来れない、という点があるかも知れない。自分は、このドライで知的で
ちょっとエキセントリックな所がとても好みなのだが。何構う事は無い。時々、振り返り乍ら、突っ走ることだ。それが、できる劇団である。
今回、最高点をつけなかった理由は嘘というコンセプトよりは、人生そのものの有象無象が描かれていると感じた作品が半分近く入っていたと感じたからである。無論、この判断は、嘘をどのように定義しているかで異なってくる。だから、評者の個人的見解であるに過ぎないのだが、自分にはリアリティーの方が先に立つ作品が、少なくとも2つ。漫画家の話と店長の話にあった。
劇団というか演出の才能を示すシーンがあったことも指摘しておきたい。件のオブジェについてである。オープニングの段階では、目に当たる部分は入っていない。これを黒子風のスタッフがつけるのである。画竜点睛を観客の目の前で、昏目の照明で行う。これは見事であった。言う迄も無いが、この後始まる劇を象徴しているからである。
満足度★★★★
心に沁みる
シナリオが良い。
ネタバレBOX
とても自然に感じさせながら、構造はメタを保ち、現代の社会構造を照らすに相応しい。今、現在、作家の立ち位置が正しいことを証している。演出、演技も、スタニスラフスキーの目指した自然で豊饒なメッセージ性への可能性を大いに感じさせるものであった。自分は今迄、この小屋で10作品位は拝見していると思うのだが、その中でベストの作品である。音楽の使い方も良い。衣裳などについては、金さえ掛ければ相当どうにでもなることなので、本質的なことだけ評価しておく。シナリオ、演出、演技とも、レベルが高い。基本はこれで良かろう。噛んだりした部分は、演じた者個々人が分かっているだろうから、更に磨きを掛けて欲しい。上がる必要はない。若いのだから、上がることもあるだろうが、一所懸命にチャレンジして欲しい。失敗したら直してゆけば良いのだ。心に沁みる良い舞台であった。更に高い評価を目指す為には、最後に説明するのでなく、観客に悟らせる作りに移行する必要があるだろう。
満足度★★★★★
とりあえず、お疲れさまでした。
(未だ、鋼鉄村松にちょこっと出るわけですが)新たな世界でも皆に好かれ、活躍されるよう。そしていつか、芝居に復帰できるような状況になったら、戻ってきて欲しい。
ネタバレBOX
村松ママンスキーことオイウチケンジが、所属劇団、鋼鉄村松を脱け、芝居を止める、という。善意と優しさの塊のような人物が存在していたのだが、これは、皆が寂しがってしまった。そこで、今回の企画が決まった訳である。
メニューは以下の通り
1:演劇
「Yankee Go Home」
2:コント
「ロード・トゥ・オイウチ」
3:スライドショー
「オイタチケンジ」
4:トークショー
5:演劇
「仕事とアタシと不老不死」
満足度★★★
渡世
上州の侠客と言われた火渡 安治郎には、三人の娘があった。隠居することにし、長女、お壱、二女、お継、三女お結に家督を継がせようとするが、お結はこれを辞退。旅に出て仕舞う。旅先で危うい所をおりんという壺振りに助けられたお結であったが、この女たち、妙な因縁で繋がっていた。
ネタバレBOX
お結は出帆から2年。故郷へ舞い戻ったが、お壱、お継は、其々が一家を構え、事あるごとに対立していた。お壱の現在の連れ合いは、元お継の色、左馬介。お継の連れ合いは、浪人あがりの元用心棒、与左衛門だが、彼女は他の男とできている。家督は継いだものの、安治郎には、他に莫大な隠し財産があると言われ、その宝の隠し場所は、三枚の花札に分けて隠されていると言う。
一方、この宿には、おりんも十五年ぶりに戻っていた。亡き母の仇を討つ為である。彼女の母、お竜は、矢張り博徒であったが、色であった安治朗に裏切られ、二人で見付けた宝を横取りされた上、惨殺された。その怨みを晴らす為、おりんは一族郎党苦しめ、根絶やしにしようと復讐を誓っていたのである。(上演中故、ネタバレは此処まで)
財産贈与と老後の父の暮らしについて、リア王と三人の娘を下敷きにした科白が続くシーンでは、換骨奪胎が充分機能しているとは言い難い。シェイクスピアが未消化なまま使われているという感覚を拭えないのだ。演劇は、状況が、避けようもなく、個々人に襲いかかって来る中で、個々の登場人物達が、それでも立ち向かう姿に対して、宿命がその人物をこれでもかという具合に襲いかかることで、人物を立体化する所に成り立つ。集約の芸術でもある。従って、背景にある事情を良く練ってから用いないと、浮いてしまう。まして、世界演劇の中でも最も優れた劇作家であるシェイクスピアの悲劇を、唯援用しても、他の部分との整合性も欠く為、尚更わざとらしさが際立つ。この劇団の作家もまだ若いのだから、自分の中にある不定形なものを、もっとぶつけてみても良かろう。
満足度★★★★★
納得
通常の、歯が浮くような安っぽいサンタ話ではない。「幸せ」てんこ盛り風の欺瞞しか感じられないようなサンタ話ばかりが隆盛だが、今作は、ホントに心に沁みる、観客へのメッセージを持っている。フライヤーの魅力も、このような作り方ができる創作サイドの普段のものの見方、世界への対応の仕方がもとになっていることが納得できる内容であった。
ネタバレBOX
まりあは、酒癖が余り良くない。のに、飲む。それも毎日。酒無しでは眠れない、と本人は言う。26歳彼氏無しの保育士である。仕事は結構楽しい。子供は好きだし。でも帰宅しては飲む。それで片付ける時間が無い。そんな訳で、2DKの部屋は、足の踏み場もない有り様。そこへXmasのサンタがやって来た。偶々、この日は彼女の誕生日でもある。父は、彼女が母のお腹の中に居た時に事故で亡くなっている。そんな母は、女手一つで彼女を育ててくれたが、先日、亡くなった。彼女は携帯を部屋に忘れていた為、病院からの至急電話に出ることが出来ず、母の死に目に会えなかった。
独り住まいのXmas&誕生日、彼女はケーキと酒を買って帰って来ると風呂を浴びにバスルームへ。そこへ訪ねて来たのは、サンタクロースであった。
だが、帽子は確かにサンタなのだが、シャツもズボンも黒。おかしなサンタとあって、当初、まりあは彼をサンタと信じない。然し、話をしているうちに非常に良い人だと分かってきて、徐々に彼女は心を開いてゆく。二人は様々な話をする。その中で、サンタは、まりあが、寂しさを抱えていることを見抜く。何とかしてやりたい、と思う。というのもサンタは陽太と書くのだが、陽は英語でsun。ちょっと変わっていた両親はこう書いてサンタと読ませたのである。何れにせよ、見付かった母の日記で夫以外の男性とプラトニックラブの関係にあったのが、実は陽太であったことが知れる。而も、まりあの父が亡くなった交通事故の対向車に乗っていたのが、陽太であった。彼もその事故で亡くなり、今は、地獄に居る。彼は、彼女の孤独な心性を慰め、彼女の父を奪ってしまったことを詫びる為にやってきたのだった。地獄へ行ったのは、閻魔の前で其処へ行くことを選んだからである。彼によれば、何処へ行くかは自己申告制なのだという。彼は、自らが、他者の幸福を奪ったと判断して地獄を選んだのである。
ことほど左様に律義な陽太にも、無論、まりあの母に会いたい想いは、断ち切れず、地獄中を探し歩いたのだが、見付けることはできなかった。たった一つ、生前の関わりを示す証拠があれば、会うことは可能になるのだが。彼は、日記を持ち帰りはしなかった。ただ、まりあが一度も会うことの無かった父の役割を、彼女を抱きとめてやることで示した。まりあは、酒が無くても眠ることができた。陽太はまりあのサンタであった。
満足度★★★★
二部だけ独立させた方が
二部構成の作品になっている。一部は比較的、オスカーワイルドの原作に近い内容であるが、二部は、本質的に主題は、繋がり乍らも、より現代的に、脱寓話というより、現実の寓意という形を取って表現されていて、遥かにインパクトがある。
タイトルで言ったことについては、自分だけではなく、たくさんの作品を観てきた方もおっしゃっていた。
ネタバレBOX
原作は充分に知っているという観客だけを相手にする公演ならば、一部の内容は、前口上を言わせるような形をとって二部だけを演じた方が、作劇的には締まった作品になったことは請け合いだろう。実際、我らが生きている、この植民地で、行われていることは、弟の絶対的な優しさと善意が総て、誰かを幸せにし、富ませたのとはことなり、単に、アメリカ一国を延命させているに過ぎないのだが、弟が総てを失ったように、日本はアメリカの所為で総てを失おうとしている。その尖兵が、安倍を主犯とする自民・公明の連立政権であり、それに尻尾を振る輩とアメリカに忠誠を誓う、糞官僚である。
満足度★★★
ひげ拝見
まあ、サンタが居るか居ないか。それが、誰なのか?
ネタバレBOX
歴史にも宗教にも関係の無い所で成り立っているXマスの日本版なのだが、アメリカの完全な植民地なのに、そんなことにも気付かず、浮かれて騒ぐだけの日本人は、海外から見れば、なるほど ? か。馬鹿として内心軽蔑するかのどちらか、というのは、良く分かる。
自分も小学校1年迄サンタの実在を信じていて、近所に住んでいた上級生の友人の更に兄の6年生が、サンタの存在を否定したので、彼と喧嘩をして泣かされた経験を持つが、それは、ガキの微笑ましい話というだけである。無論、大人も一緒になって、サンタからの手紙を子供に返すヨーロッパ流もある。然し、社会全体が、その程度のことで、トラウマを心配するようなことではない。
作劇としても、まずまず。余りにもかむことの多かった役者は猛省すべきだろう。そんなに他の役者に比べて科白が多い訳でもなければ、難しい役でもない。が、大事なキャラであるのだから。
日本の社会がこれだけへたって居る中で、後半、メンタルなレベルで盛り上げたのは、劇団の力だろう。この点は評価しておきたい。だが、できればもう一歩先のラディカルなレベルも目指して欲しいものである。
満足度★★★★
孤独と孤立の差
想像した通り対立の構造を持った作品だった。
ネタバレBOX
が、それが、同一人物という所が味噌だろう。何れにせよ、SF的に捉えるか、存在哲学として捉えるか、或いは心理学的に捉えるかで評価は異なってこよう。作者の立ち位置が、定まっていないということだけは確かなように思われるが、他者との関係をキチンと築いてゆくことによって、それは解決されよう。孤独というより孤立していることが、アイデンティファイできない理由である。
満足度★★★★★
黒の舟歌
男は男の、女は女のアプローチをしている点が対比されていて、グー。
ネタバレBOX
生まれながらに総てを持っているように見える奴に対して、強烈なコンプレックスを持っている男。彼は、自身のコンプレックスをバネに、何とか逆転を図りたいのだが、現実には差があり過ぎて逆転迄派望めない。そこで、せめてしっぺ返し位はしてやりたい、と自らもディレッタントを気取って作家を目指し、基本的に彼に合わせてくれる女も手に入れたが、女の方が、精神的に上でフォローされてしまうことが気に入らない。そこで、自分勝手を演じてみたりして、逆の甘えに逃げているのだが、矢鱈、自己防衛の為に理屈を捏ねる男に対して女は、感覚でくるみ込む。
女はフルフルやブルブルが好きだ。例えば注射器に入った液体はフルフルしていて好きだし、興奮したり、何かで気が高ぶった時などに血管がブルブル強い脈を打つのが好きなのだ。
二人は、今、高級ホテルの上階が見える安ホテルに泊まっている。男Aの言によれば、彼が監視している部屋に居る男Bは、彼の同級生で、高校時代はトップを競った間柄、とか。然し、Aは大学に落ち、Bは特待生待遇で入学。現在はIT企業の社長であり、取引先企業の娘と結婚しているのだが、イケ面でお坊っちゃん育ちということもあり、美しい女房を持ちながら浮気をしている。浮気相手は、Aの憧れだった女性である。総てを得た者と貧乏くじを引いた者という対比をAはしているのだが、そんなAにも、成功願望はあり、東京へ出て来た訳であった。だが、敗者は、負けを少なく見積もりたがる。ここに女がつけ込む余地が広がっているだが、負けるべくして負けたAには、このことが分かっていない。
ところで、何故、Aと彼女が、安ホテルに泊まっているかといえば、Bの浮気現場を押さえて証拠になる写真を撮り、それをネタに脅迫する為である。無論、対価は金だ。証拠写真は撮った。AはBに電話を掛ける。然し、たった300万の金を脅し取ることにもAは成功しなかった。女は、予め結果を予測していた為、自らの欲求を果たす。男の大好きな女の太腿を舐めることをせがみ、更に効果的になるよう演出しながら、己の真の欲望を成就する。赤ワインのフルフルに注射器に吸入した青い液体のフルフルが交感する中、エクスタシーに似たAへの注射。甘美な死へのダイブと、ブルブル震える痩せた瀕死状態の彼の皮膚を裂いて味わう血管のブルブル。
更に、一つの仕掛けとして、彼らがBを監視していた窓は、実は鏡である、という仕掛け!! これは退廃の美でなくて何であり得ようか?
出演する役者は2名。熱演であった。女優は“うで もげる”Aは“裕本 恭”。ホントにお疲れさまでした。この熱演に最高点をつけた。