満足度★★★★★
センス抜群
舞台の始まる前に、中央奥に映し出されていた、昆虫の頭をイメージさせる赤い映像は、舞台側面に位置をずらされ、而も1灯ずつ灯されて、昆虫の複眼を拡大したようなイメージに変わる。それ迄、流されていた鳥の囀りや獣の鳴き声、牛の鳴き声などの代わりに、蠅の飛翔音などが、時折流れる。
ネタバレBOX
注目すべきは、この不愉快な感覚が、何とも言えぬセンスの良さを感じさせる点である。そう言えば、舞台のある2階へ上がると入り口に左側頭部に等身大の面をつけた女性が出迎えてくれる。この趣向も大変気に入った。シナリオ、演技、演出、美術、音響など総て独りでこなした古澤 禅は、身体の鍛練も相当キチンとやっているのが、その機敏な動作や柔らかくしなやかな動きから分かる。静止の時、バランスが若干乱れた所があったが、これも訓練次第でどうにでもなろう。
身体パフォーマンスにかぶさる映像・照明や音響とのコラボレーションも素晴らしい。また、古澤 禅が、他でも無い蠅の飛翔音を問題化しているセンスに注目すべきであろう。当然、パスカルが「パンセ」で指摘した集中を途切れさせる不愉快な音と黴菌を撒き散らす恐れ、神学的には、サタンの副官・ベルゼブブをイメージしてもいよう。所謂「蠅の王」であり、ゴールディングの小説のタイトルにもなっているから、知っている人も多かろうが。
更に、地球上で唯一、絶対悪を生み出す存在として、人間を扱っているのが良い。その人間という生き物は、頭の中が空っぽで収奪など悪知恵だけを働かせて、他の総ての生き物に大きな打撃を与え続けているのだが、唯一の救いは、その人間にも天敵が存在するという事実である。而も、その天敵が如何なるものかは、敢えて観客の想像力に委ねられている。
満足度★★★
エンタメ
人気漫画の舞台化。再演である。主人公は、鬼の屍から生まれた少年。名は基本的に無い。ただ、その手にする名刀、鬼切丸の名で呼ばれる。純血種の鬼でありながら、角が無く、同族を殺し尽せば人になれる事を信じて、鬼を斬る。
ネタバレBOX
こう書けば、己のアイデンティティーに悩み、心理的深みを具えた傑作というイメージが湧く。自分にも、そういう期待があったので、観に行ったのだが、残念ながら、心理的な深みはこの舞台作品には感じなかった。鬼役のアクションは、身体機能の高さで充分楽しめたし、裏ソウジャの陥った苦海、女人を鬼に変えてしまう力を持つ結城など、魅力的な設定のキャラクターはたくさんいるのに、どれ一つとして、精神的な掘り下げが為されていない点に物足りなさを感じた。これらの点を改めれば、遥かに良い作品になろう。
満足度★★★
Aチームを拝見
これだけ、時代が狂いまくっているというのに、どういう感性をしているのだろうか? イスラム国が、日本人を捉えてから、人質として身代金を請求してくるまでに随分時間が経っている。このような事件が起こることは、無論、イラク戦争の時、小泉が、ブッシュ政権のあからさまな国際法違反を、即座に支持した時点でとっくに懸念していたことである。まして、安倍如き政治音痴が、アメリカの完全奴隷として登場して来た後は尚更である。更に、左翼イデオロギーを恐れてか、命の問題である原発・核問題を嘘と出鱈目を用い、環境問題や経済問題にすり替えて愚衆を洗脳している昨今、表現する者が、これを叩かず誰が叩くのか? 一つだけ、現実に彼らが敢えてミスリードしている問題を挙げておこう。CO2 に関してである。原発は、発電に際してCO2 を出さないから、CO2削減に役立っているという説である。
だが、現在主流の100万キロワットの発電能力を有する原発の生み出すエネルギー量は、電気に換算すると300万キロワット分である。では、残りの200万キロワット分はどこへいってしまうのか。海辺に立つ日本の原発では、海水を温める為に使われている。では、どのくらいの海水を温めるのか? 答えは、70~80トンの海水を1秒に7度上げる。因みに1秒に70~80トンの流量というのは多摩川と荒川を合わせた程の流量である、と小出 裕章さんも指摘している。従って海水中に溶け込んでいたCO2は、大気中に放出される。結果、大気中のCO2濃度は高まるのだ。コーラを温めたらどうなるか? 幼稚園児でも分かろう。この手の稚拙な嘘が相変わらず大手を振っている、この「国」の異常を笑わずに何をやっているんだか。
満足度★★★★
トンガリ
ミレーによるオフェーリアの絵に触発された作品であるが、無論、それをなぞった訳ではない。会場で配られたリーフレットに入っている絵ハガキの絵も、ミレーのものとは異なる。然し、インスパイアされていることは確かである。
いろんな意味とんがっているのだが、若いうちはとんがでっているくらいが良い。若いうちにとんがらなきゃ、何時とんがるんだ!
ネタバレBOX
物語も、注意深く聞いている必要がある。居酒屋と思しき場所で3人の若い女性のガールズトークが為されるが、その場所は、舞台奥に占められ、観客席に近い側の上手、下手其々に3人の知り合いが登場して、その来歴を語ってゆく、という構造である。更に、時折、舞台奥のスクリーンに映し出される映像によっても、補足的情報が流されるという作りだ。
其々の語りは、殆ど意味の無いガールズトークの空白を埋めるように、知り合いの発言が、空白の核(即ち事件の本質)の周縁を埋めてゆき、最後の最後で核部分が示唆される作りになっている為、観客は、霧の中を好奇心や探究心の炎だけで彷徨うことになる。仕掛けも結末もちょっと変わっていて中々に楽しめる。
満足度★★★★
妖精たちの居る場所
「追川君と風」「トニーと牛乳2」「宇宙人の穴」「ハコをハコぶことになった事の運び」「さちかあそび そのさん」「芽生えて枯れて」6つの小品から成るオムニバス。淡く儚く悪戯好きの妖精たちと、魅入られた少年を若い感性で創作した感じがグー。
ネタバレBOX
縦糸に少年から妖精が奪った帽子、横糸に其々の小品が絡む構成で、原因と結果が、第一話と第六話で明確に対応し、その他のエピソードは、因果関係にエピソードを添え、話を膨らませる関係にある。
天井から垂れさがるオブジェは、樹木の根のようであるが、其処に広がっているのは土壌ではなく空洞である。この空洞は妖精たちの棲家でもあるようだ。因みに妖精は4人。少年は1人。
六話では、少年が取り返そうとした帽子の代わりに、少女たちがセーラー服の胸につける赤いスカーフを持ちさることで、妖精たちが次々に倒れ、滅んでゆくシーンで終わるのだが、少年の成長で妖精の世界が滅んでゆくことを暗示していよう。
満足度★★★
う~む
出演者数が多いので消化する必要があるのだろうが、不必要なダンスやギャグが、全体の構成を更に狂わせている。
ネタバレBOX
シナリオに深みや普遍性が無いので、唯でさえ構造が甘い所へ余計なものが入って来、必要な伏線などが蔑ろにされているものだから、作品が表層的になってしまっている。シナリオライターは、もう少し観察眼を磨くことから始めるべきだろう。ラストの曖昧な終わり方は、伏線をキチンと張っておかないから、間の抜けたものになってしまっている。シナリオライターが、事物・人間関係を適正な距離をとって観ていない証拠だろう。
満足度★★★★
オスプレイの飛行高度
いくつか指摘しておくべき点がある。先ず、リーフレットに書いてあることから。山上たつひこ「がきデカ」に関して記している文で「国家」への「信頼」が、まだまだ揺るぎない時代でもあったように思う。とあるのだが、山上は、「がきデカ」の前に「喜劇新日本思想体系」を描いており、その前には、「光る風」を描いていて、この作品で弾圧を喰らったという話が、当時流れていた。結果、彼は、国家をおちょくる路線に転じた、と観た方が自然なように思う。
ネタバレBOX
国家への信頼なんぞ、この国の民衆のしっかりした部分が持つ訳は無かろう。百歩譲って、敗戦で一応、精算されたと見做したとしても、少なくとも砂川事件で最高裁が、当時駐日米大使であったダグラス・マッカーサー2世からの指示で法を蔑ろにし、自ら憲法も、法の独立性も裏切って以来、法的にも完全に崩壊している。それ以前に、吉田 茂が、1951年9月8日、旧安保条約を米第六軍司令部の下士館クラブで調印したこと、更に現在の地位協定に引き継がれた行政協定は、1952年2月28日東京の外務省庁舎でひっそり結ばれた時点で、政治的には完全に終わっている。
また、オスプレイの最低飛行高度について、刑務官が喋るくだりでは、航空法の規定通り最低飛行高度150mが述べられるが、オスプレイの飛行高度に関しては、完全な誤りである。劇作家協会プログラムと銘打った公演でこのような誤ちは、悪くとれば、情報操作の誹りを免れない。
何故なら、日米地位協定によって、航空法第六章の規定は適用除外となっているからである。更に言うならば、米軍発表は“平均”150mで超低空飛行をするとなっていて、2010年3月の米海兵隊訓練マニュアルによれば、オスプレイには最低高度60mでの訓練が求められているのである。(これらの資料は、「日米地位協定入門」p.6~7、p.42~43、p122~123などから引かせて頂いた。)
さて、本題に入ろう。今作の評価である。描かれている死刑執行者は、首切り浅と呼ばれた山田 浅右衛門、ムッシュ・ド・パリと呼ばれたサンソン、そして無名性を特徴とする現代日本の刑務官らである。
一応、名前と綽名がある前2系統の流れは、己が主体性の下に罪人を処刑する。と同時に社会からは忌み嫌われる処刑者としての有象無象を背負わされてもゆくのであるが、社会機構の一部として機能する己の職分から来る苦悩と差別を社会的位置の問題として捉える視座を保つことができ、その責任の在り様を自覚することができる。即ち、アイデンティティーレベルでの不如意は、軽減されている。
また、社会的にも独自の保証が為されている。(金銭面や、社会的地位という面で)然るに、刑務官の場合は、死刑囚を誰が殺したのか分からないようになっている為、刑務官は、自分が人を殺したという確証すら持てない。位の高い連中は、裁判官にせよ、法相にせよ、命令するだけで実際に自らが他人を殺す訳ではない。従って殺人を犯したという後戻りできない罪の感覚からかなりの距離を保つことが出来る。然し乍ら、最低辺で死刑を実行させられる刑務官は、実際に死刑囚を自分が殺したかもしれない、という可能性とそれに纏わる想像力によって自らの精神を苛まれるのであれば、最も、残虐な目に遭っているのは、刑務官だと判断した。また、上位にある者ほど、その苦しみから縁遠いシステムを構築し、汚れ仕事は総て下の者に押し付けて綺麗事を抜かす現代日本の為政者、支配層の下劣極まるテクニックと底意地の悪さに反吐の出るような実態を暴いた点を評価したい。
満足度★★★★
Aちーむを拝見
何と演目は、矢代 静一の「誘拐」矢代 作品を観るのは初めてなので、とても楽しみにしていたのだが、期待は裏切られなかった。
ネタバレBOX
時代設定は敗戦20年の1965年。東京オリンピックの翌年、東京の一等地に立つ洋館の応接間で総てが進行してゆく。正面には、軍刀と、戦時中には英仏駐在武官も務めた現住人の父で海軍大佐の肖像画が掛かっているが、敗戦の将の戦後は立ちゆかず、邸は荒れ放題で現在ではソファーの中味がはみ出す有り様。
今年は、この館で暮らす長男・長女の父であった大佐の13回忌である。兄妹は、2男1女の3人だが、独立して生計を立てているのは二男のみ。その二男の会社も不渡りを出し、差し押さえ目前。社員達の救済もままならない。
そこで、この窮地打開策として兄妹が考えたのが誘拐であった。資料は、2007年迄刊行されていた「日本紳士録」である。この本の記載事項は、人物の生年月日や出身地のみならず現住所迄載せられていた為、こういった計画にはうってつけであった。長男が、適当に選びだした名前で被害者は決まったが、件の家に、自分達素人の手に負えるような子供が居るか否か、リスクの多い実行犯には誰がなるかなど問題点は様々にあったが、倒産間際の会社を抱えている二男には時間が無い。誘拐は、女たらしの長男にぞっこんの有閑マダムが担当、金の受け取りは二男が担当することになった。
結果、誘拐も金も上手く行ったのだが。後は観てのお楽しみ。
満足度★★★★
芸術とは
売春の趣味だとBaudelaireは言った。
ネタバレBOX
だが、そうだろうか? Artとは、他の総ての世界に貢ぎを科し、それらの総てから収奪しかしない世界なのではないか?
而も、ヒトは、炎に喜んで飛び込む蛾のように嬉々として身を魂を捧げるのだ。芸術という名の炎に!!
今作は、姉弟関係の近親相姦願望が、物語の底流を流れているのだが、この願望に表現する者というテーゼが被さることで成立している。姉は女優、弟は映画監督という立場である。結局、肉体的には清いままの姉弟の恋の煉獄は苛烈である。姉は、元アクション派女優として活躍、背骨に重大な疾患を抱えている。従って、曰く因縁つきの新作を撮ることは、命掛けの荒技である。だが、姉弟の愛を表現する者の括りで成就する為には、仕上げねばならない。資金、スタッフ、演者総てを巻き込んだ二人の愛の行方は?
満足度★★★★
1人、1時間、
休憩等で30分インターバルがあって次の演目、という具合に繋がってゆく形式の独り芝居フェスティバルである。ApocTheater5周年の企画なのだが、自分は、1日通しで3本を拝見した。もとより、独り芝居は、役者の力量が、もろに問われる形式だから、シナリオが良く、無理のない粋な演出であれば、後は、役者次第だ。一応、1作ずつ、評点をつけ、その上で全体的な評点をつけたい。
ネタバレBOX
18時に開始されたのは、“わか まどか”さんの作品。能のような幻想的な世界観がベースになっているので、時空を自由に彷徨う手法に違和感はなく、彼女の演技の上手さも手伝って完成度の高い粋な作品に仕上がっている。今後もまだ、演じられるのでネタバレは控えるが、星5つ。
19時半開始は、“富田 健裕”さんの作品。相手構わずナンパしまくる男を巡る、信じられない恋愛関係の縺れを描く。これ以上は書かないが、意外性がある。星4つ
21時開演は、“池谷 駿”さんの作品。同級生の女子の赤白帽紛失事件を発端に、金太郎飴よろしく、延々と続く、主人公の憧れる女性の髪の匂いに関わるもの、先に上げた、帽子の他、カチューシャ、ヘアピン、リボン等々に対するフェティシズムと、それに絡む罪が呼び起こす事件等が、これでもか、という具合に偏執的に続くが、主人公は、この物神性を乗り越えることが出来るか否かは、観てのお楽しみ。星4つ。
満足度★★★★
まいどー
役者が演る落語である。今回は、馬鈴薯、無花果、雛菊、仲入りを挟んで、みかん、白萩の5人が高座へ上がった。それぞれ、個性も出、話自体も面白く拝見したが、矢張り演劇を中心に観ている自分としては、落語は究極の独り芝居という感じが強い。無論、下げがあるのは、落語の特徴であるが、話と言っても、高座に上がった落語家は結構、様々な所作を作るのであり、その入れ込み具合なども、観客からの評価の対象となる。
具体的に一例だけ挙げておけば、亡くなった談志の「芝浜」などは、これに当たるだろう。間が大切な役割を果たすことなども共通している。シナリオの良し悪しが、作品の骨格を決めてしまう点も同じだろう。さらに、落語の扱う題材は、その殆どが庶民に纏わる話だという点でも、現代の劇に近いかも知れない。
何れにせよ、とても似通った世界なので、落語という別ジャンルにチャレンジするというより、演劇の幅を広げる感覚でチャレンジして貰うのが良さそうである。関東の落語、関西の落語の差も、更に際立たせてもらいたい。というのも、関西の社長は、オーナーが多いのだが、東京の社長は雇われが多い。気質にも当然、差があるのだ。
満足度★★★★
間
舞台には様々な思いが込められている。劇団の旗揚げから二度目の公演とあって、序盤、役者の役作りも、演出の意気込みも少し過剰になっていたようだ。気持ちは分からないでもないが、此処は、キチンと間をとって、如何にも自然に、というのが望ましい。
ネタバレBOX
後になって出てくる印象的なシーンの伏線なのだから、尚更である。ケレンを演じるなら、別であるが。その場合は、もっと意図的に、わざとらしさを強調すべきだと考える。この後、尻上がりに内容が良くなってゆくので、全体のトーンはこれで良かろう。
物語は、オンディーヌの呪い、という俗称を持つ、就寝中の呼吸不全/停止症を持つ僻村の医者と、この病の研究者との相克と淡い恋愛感情や信頼関係を築く迄の波乱に満ちた一部始終を描く。(追記後送)
満足度★★★
うちわは良くない
パート1、パート2の2部構成。間に20分の休憩が入る。Mcは、主催でボーカルの千枝が務めた。ゲストボーカルに矢張り、不定期でPokanに出演している“なな”と多方面で活躍する保坂 淳也。ピアノに広瀬 宗周、ベースに石橋 哲。ゲストバーテンダーに曽根田 雄。
ネタバレBOX
自分が、納得したのは、保坂 淳也のみであった。千枝も音域内で歌っている分には上手い、と感じさせるものがあるのだが、音域を越えた選曲では、矢張り歌に説得力がない。“なな”は、プロとしては、芽が無いと思った方が良かろう。自分も、音楽は嫌いではないから、これまで、一流のミュージッシャンの生演奏や、生の歌を何度も聴いてきた。今日、出掛けたPokanの近くにあるシャンソンバーにも何度も通った経験を持つ。赤坂のシャンソンバーには大好きなレオ・フェレのサインがあった。神楽坂のGlee等にも聴きに行く。若い頃は、ハッピーエンドの生を良く聴いていたし、メンバーと休憩時間中、一緒に飲んでいた。その自分の耳に合格だったのは、保坂氏1人であった。残念である。
曲目も、ライトな曲ばかり(中島 みゆきを除く)で、音楽的素養を余り感じなかった。国を代表するような名曲というのが、文化国家や歴史のある国にはあるものだが、そのような曲も選んで欲しい。
満足度★★★★
中国語、台湾語の部分、字幕が欲しい
1942年、ビルマ。ジャングルの中で、所属部隊とはぐれた中国軍士官・及び兵士と矢張りはぐれた日本人士官と台湾人日本兵の邂逅を描いた作品。中国語、台湾語、日本語、英語混在で演じられる。(字幕無し)
残念乍ら、中国語も台湾語も分からないので、多くの科白を理解できなかったが、逆に、実際の戦闘の中で敵の用いる言語が理解できないもどかしさを含めて観劇した。
ネタバレBOX
印象的な科白を以下に挙げておく。
日本人士官(大尉)と台湾人日本兵の会話である。大尉は、この兵士を生きて故郷に帰すと約束している。「大丈夫だ、戦争が終われば直ぐ帰れる」そこへ中国軍の最下層兵が「朝は来ない」という。「彼は何と言ったんだ」と大尉「朝は来ない」と。
この科白に象徴されるように、どこからともなく襲い来る銃弾によって、一人、一人、と命を落としてゆく。中国軍士官と大尉は互いに英語で話しながら、意見の違いはありつつ互いの人間性を認めてゆくが、部下を失い、最後は自分達も命を落として行く。その過程、糧食も水も疾うに無く、大尉は、亡くなった台湾兵士を故郷に連れ帰る為に、彼の死肉を喰らい、まだ息のあった中国軍士官にも分け与え、何とか生き残った者同士、窮地を脱しようと試み、台湾人兵士の体を自らの体の一部にして持ち帰ろうとするが、死神は、非常にも総ての命を奪っていったのであった。後に流れるのは、大尉の母が、いつも歌ってくれた歌。互いの名を告げ合い、故郷を明かした、両軍士官の思い出。開高 健が、亡くなる前に良く書いていた。戦争とは何ものかだ、という言葉の重さを、意味する所を示唆してくれた作品であった。
満足度★★★★
日本人には何故インテグリティーが無いのか?
極めて日本的な話だと感じる。インテグリティーの残酷な迄の欠如を語った物語だからである。それを意識して書いている訳ではない点で、少し批評性に欠けるが、その有り様を端的に描くことは、結果として、日本的在り様の弱点を描くことになった。
ネタバレBOX
話の内容については、他に書く人がいるだろうから、割愛する。自分が、日本人にインテグリティーの欠如を認めるのは、桃山時代以降である。天正18年【1590年】に、豊臣秀吉の命によって実行された太閤検地によって、人民の人別帳が、権力者に把握され、その後行われた刀狩りによって、民衆が権力者に抗する為の武器が取り上げられた。これで、権力者は、どんなことをしても枕を高くして寝られる素地が整ったのである。その上、豊臣を破った徳川は、その支配イデオロギーの中心を朱子学に求めて、思想的に民衆が、権力者に太刀打ちすることを悪とするイデオロギーを大衆化することに成功する。無論、五人組だの何だのの連帯責任を負わせることによって、お上に楯突くこと、即ち犬死にすること、という事実を積み重ねさせてゆく。このような状況に数百年の間置かれた、日本の人民は完全に愚衆と化し、インテグリティーを失っていったのである。無論、支配層として君臨した武士階級も武家諸法度などでがんじがらめにされ、上には逆らわない、現代でいえば、社畜になり下がっていたわけである。このような時代に、お上に逆らった武士の総てが、陽明学を奉じたことも、偶然ではない。他に例証を挙げれば「葉隠」が、300石加増を、著者に許した背景でもあったと考えられるが、時代は、このような決死の覚悟を要求したのであった。
一方、枕を高くした為政者は、見ざる、聞かざる、言わざる、という支配者にとって極めて都合のよいイデオロギーを愚衆に押し付け続けて来たのである。これが、日本人にインテグリティーの欠ける根本的な原因であろう。
満足度★★★★★
イマジネーション豊かな女優、遊眠
林 遊眠は、不思議な女優である。可愛い顔立ちで、男性からも女性からも好かれるタイプだとは思うが、無論、それだけでは無い。いつの間にか、彼女の魅力に引き込まれて、応援したくなってしまうのだ。
ネタバレBOX
今回も実際には決して大きくない体で10人以上の人物を演じ分ける。大海賊ティーチから、その副官ボネット、イギリス海軍提督、副官、最少年海賊キング、少年奴隷出身で軍人を夢見る仲間の黒人少年アジク、主人公ベラミーとその参謀になった親友ピエトロ、育ててくれた憧れの女性であり、女奴隷であった母なる女性、最強の女神モリガン、何度もベラミーの危機を救った逃亡奴隷のダガン等々。男性、女性、女神まで多くの役をなんなくこなすばかりでなく、其々のキャラクターを際立たせる、彼女のヴィジョンは、正確であるのみならず、的確であり、彼女のイマジネーションの豊かさを明かしている。また、このシナリオの持つ普遍的でブレの無い中にも、危険に身を晒し、ベラミーの指示如何で命を投げ出す部下たちの犠牲への、優しく強く人間的な悩み葛藤が、観客の胸を打つ。この内容に呼応して実にヴィヴィッドにイマージュを立ち上げる遊眠がいる、たった、一人で。これで虜にならない方がおかしい。彼女の演技の見事さである。
蛇足であるが、物語の中で、神々は、その世界に入る者に厳しい試練を課す。それに応え得た者だけが、普遍の地で、自由の為に闘う尖兵として、人々の解放という希望を担う王として、欲に目の眩んだ為政者共への永遠の闘いに加わるのだ。が、それは、皆、一人、一人の個人としてなのである。
シナリオの普遍性は、ベラミーの演説の普遍性にも支えられている。その高い倫理性と人間的で自由で誰もが憧れる価値を持った演説だからだ。更に、リーフレットの説明にあるように、ベラミーは実在した海賊である。シナリオにも史実からの反映が多くあるとのこと。なればこそ、余計に現在を生きる我々への熱いメッセージともなっていると言えよう。為政者共の横暴に負けるな! との熱いエールをも、自分は受け取った。
9月には4日から6日迄、アウルスポットでの公演「ジャガーノート」が上演されるとのこと。こちらも是非拝見したい。
満足度★★★
志や良し
ソフォクレスの「エレクトラ」及びアイスキュロスのオレステイア三部作」をベースに作られた作品ということで、ギリシャ悲劇の立体的構造を、如何に現代に立ち上げ得るかが、大問題として演出家には立ち現れてくる舞台であろう、と予想される。
ネタバレBOX
コロスの代替として、黒衣を纏ったダンサーによる身体パフォーマンスが演じられるが、コロスと異なり、無論、合唱などの言語表現が無い。ここに、作・演出家は、現代、このアメリカ植民地で若者たちが置かれている、声にならない不条理を表現したかったのかも知れない。であれば、第一次世界大戦でヨーロッパの芸術家たちが受けたショックを表現した、メシアンや、シェーンベルグの曲を背景に流すような演出があっても良かったかも知れない。
今作で、大きな役割を演じている月の魔力を表すのには「月に憑かれたピエロ」を用いるとか、ラストの愁嘆場では、「世の終わりの為の四重奏曲」を用いるとかである。
未だ、ギリシャ神話や、悲喜劇に対する理解が、不完全であるという感じは持ったが、果敢にチャレンジする志は評価したい。難しい作品群だからである。若いうちから背伸びしてでも難しい作品にチャレンジしてこそ、今後の延びシロに期待できるということでもあろう。
演出効果の点では、オレステスが、自ら目を突くシーンで、血糊を用意して欲しい。当然、「オイディップス」が、皆の頭にある訳で、盲しいて、真実を発見しようとする人間的意志が、この行為に象徴されているからである。それが、パロディーであるにせよ、インパクトのあるシーンなので、これは是非。
大きくて、深く、構造上も複雑な作品に挑んで、未だ消化しきれていなかったり、内包化できていなかったりという点があるので、今回は☆3つだが、今後に期待している。
満足度★★★★
初日を拝見
元売れっ子役者、元ボクシング世界チャンピオンなどスターダムをのし上がり、頂点を極めた者が、そのまま引退することは極めて稀である。一方、下積みのまま消えてなくなる者は、星の数ほども居る。
ネタバレBOX
今作は煌びやかな世界の影で起き得る事を若い小説家が作品化しているというスタンスを取って進行するので、メタフィクションである。一方、そのメタフィクションに登場人物たちが影響を与えるという設定も施されているので、これをモデルが、シナリオライターに与える影響と取ることもできるし、作家が複眼的に観、表現しているのだと取ることも可能である。
但し、この作品構造が、露骨に見えるということではない。寧ろ、銀塩写真のように、一旦、ポジの世界をネガに反転し、更にネガからもう一度ポジに反転して世界を再現して見せるような不思議なテイストに包まれているのである。
初日を拝見したばかりだから、これ以上、物語の内容には立ち入らないが、このネガで描かれている社会の影の部分の根深さを感じさせることには成功している。
満足度★★★★★
今後も楽しみ
初日を終えたばかりなので、詳しいことは書かないが。男女の機微を良く捉えたシナリオ、進行の上手さが際立つ演出、キャラの立った演技、舞台美術や照明、音響などの効果的な使い方、どれをとっても旗揚げとは思えない、息のあった質の高い舞台である。今後が楽しみだ。(追記は、公演終了後、詳しく書く)
満足度★★★
Aチームを拝見
犯罪者ばかりをリクルートし、警察が取り締まれなかった犯罪を解決する為に、作られた犯罪者による派遣会社のお話、
ネタバレBOX
というコンセプトなのだが、良い子のお伽噺に過ぎる。大体、ホントに、マッポや、公安が直接手を下せないようなヤバイ案件を請け負うなら、下らないセンチメンタリズムやガキっぽい正義感は法度である。にも関わらず、犯罪に居直る訳でもなく、正義に対して背理を用いる程度の論理や倫理では、悪の世界等到底描けない。お子ちゃま向けシナリオと言う他無い。もう少し、悪の何たるかを作家も演出家も学ぶべきであろう。これでは、一所懸命、演じている役者達が可哀そうである。
役者では、キツツキ役の萩原 成哉のモズを捉えたシーンの演技、ホオジロ役の飯村 勇太の少し凄んだ演技、医者・カウンセラー役の高岩 明良のマッタリ感が気に入った。