「宇宙みそ汁」 「無秩序な小さな水のコメディー」 公演情報 「宇宙みそ汁」 「無秩序な小さな水のコメディー」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-11件 / 11件中
  • 満足度★★★★

    燐光群「宇宙みそ汁」「無秩序な小さな水のコメディー」観ました
    コンテンポラリー・リーディングというイメージで観れました(本は無いけど)。前者はダンス公演と銘打っても通用しそう(横浜・STスポットあたりでやりそう)。七ツ寺の凝縮した空間が、個人視点の戯曲にマッチ。溶けるように変わる照明の中に、様々な問題を抱えた世界が浮び、その中を当たり前のように主人公が生活する。後者の短編集では、1番目と3番目のOPの落差が瞬間的にウケた(笑)。二番目の話は、私にはちょっと退屈で…。

  • 満足度★★★★

    台所から
    詩から始まるのに、物語のようにもとれる不思議な劇世界を感じました。

  • 詩の持つリズム感
    「宇宙みそ汁」には圧倒された。
    そのまま読めば朗読で終わるのだろうが、テンポ良く次から次と繰り出される言葉の数々が、情景を想像させる演出の良さが出ていると思った。
    「無秩序な小さな水のコメディー」の中の、バーテンダーと女性客の二人芝居「利き水」、二人の会話から浮かび上がる福島の悲劇と明日への希望は胸を打つ。 

  • 満足度★★★★★

    「詩」が「劇」になるとき
    私にとって初めての燐光群を梅ヶ丘BOXで観る。
    「宇宙みそ汁」は詩人清中愛子さんの詩や手記、メールなどを、
    坂手洋二氏が一切書き加えることなく編成して劇に仕立てたというものである。
    その結果、戯曲として書かれたものではなかったにもかかわらず
    「詩」が自然に伸びをして四肢を広げたような世界が現われた。
     

    ネタバレBOX

    「地球に向かってただ一人 パラシュートで降り立っていく」
    と小さな台に乗った役者がバッとエプロンを広げる冒頭のシーン。
    主婦の孤独な日常を俯瞰する象徴的なオープニングだ。
    孤独なのに、力強くて明るい。

    清中愛子の視点は、台所の定点カメラが次第にひき上げられて
    東京を、日本を、地球を俯瞰してどんどんヒキの映像になっていくように
    そしてまた台所へと戻っていくように伸縮自在だ。
    彼女は自分の感情よりも、息子を含めた日常を寄ったり引いたりしながら眺めている。
    社会から切り離された親子2人だけの孤独と濃密な時間を
    シャカリキになって働く一方で、距離を持って眺める視点を感じる。

    「詩」が、朗読ではなく戯曲として成立するのだという新しい発見。
    それはもともと「詩」が厳選された言葉=台詞で出来ているからだろうと思う。
    清中愛子の言葉は極めて具体的に自分の日常を語り、
    聴く者の想像力を大いにかき立てる。
    ただし坂手氏による、詩人の手紙やメール等の散文を加筆せずに織り込むという
    過程があって初めて実現するもので、この繊細な構成作業が素晴らしい。
    この作業の結果、朗読ではない三次元の劇として立ち上がった。

    役者の動きも、リーディングによく見られる“控えめな動作”ではなく
    “言葉から派生した”動きが、きちんと“振り付け”されているから説得力がある。

    もうひとつの「無秩序な小さな水のコメディー」は
    「入り海のクジラ」「利き水」「じらいくじら」の、水にまつわる3小品である。
    くじらの「頭」「肉」「骨」に分かれた3人の姿勢など演出の工夫が面白く
    短いながら戦争や原発問題の本質を突く内容となっている。

    詩の言葉が持つリズムと勢いを再現した役者陣は皆熱演で
    画期的な本を豊かな表現力で忠実に再現している。
    年配の役者さんの言葉に安定感と味わいがあって劇団の個性を感じる。

    公演のあとのアフタートークで、20周年を迎えた
    梅ヶ丘BOXの歩みや思い出などが語られた。
    靴を脱いで上がるこの小さなアトリエに
    役者さんの創意工夫と制作のプロセスが沁みついていることが伝わってきて、
    改めてしみじみとアトリエ空間をながめた。。

    熱い出汁に落とした味噌の塊が次第にほどけていく感じにも似て
    「詩」の世界がゆるりと四方に広がり始める。
    この場に立ち会えたことをとても幸福に思う。
    私もエプロン広げて、みそ汁の鍋を高みからのぞき込みながら──。
  • 満足度★★★★★

    戯曲として作られた作品ではないけど
    かなりなレベルで仕上がってますね。
    若い劇作家には学んで欲しい部分が多々ありますね。

  • 満足度★★★

    宇宙と主婦
    初燐光群。面白い。ただ、場内が暑いのがつらい。

    ネタバレBOX

    「宇宙みそ汁」
    主婦・愛子(円城寺あや)と4人の愛子を中心にして、アパート住人や息子(宗像祥子)との関係を描く。変わるのはみそ汁の具だけってセリフがあったが、主婦の活動する世界のこまやかな動きと主婦の心情を掬いあげ、面白い舞台作品に仕上がっていた。
    複数人がセリフをつなぐ演出(もしくは声を合わせてしゃべるの)は好きな方でないのだが、声の感触やリズムがよいのかかなり心地よい出来だった。
    変にタイトルに引っ張られない内容だったのも好印象。主婦のカラフルな衣装も素敵。

    「利き水」
    ミユキ(田中結佳)は、単身赴任の夫?の家の水道水の利き水をマスター(猪熊恒和)に依頼する…。ストレートは話を挟んでくれて助かった。原発事故による水の変化を静かに印象づける作品。

    「じらいくじら」
    浜辺に上がった長生きの巨大くじらに、兵士が地雷(鴨川てんし)を埋める。村の少年(宗像祥子)が犠牲になり、くじらは海へ戻り、深海(海溝?)で、地雷とともにひっそりと待ち続ける…。大人な童話って感じ。地雷の存在は待つことってことを鴨川が冷静に話すところがミソか。一度生まれた存在を忌み嫌うでもなく、内包するくじらはなにを思ったのだろうか。いい作品。
  • 満足度★★★★

    新たな視点へのお誘い
     今回は“宇宙みそ汁”と“無秩序な小さな水のコメディー中の小品“利き水”“入り海のクジラ”“じらいくじら”の上演である。どの作品もアトリエでの公演に相応しい。
    “宇宙みそ汁”の原作は詩である。清中 愛子の詩集とこの詩集の拾遺・数年間に書かれた作品、坂手へ送られた文章などを、演出家として坂手が構成したものだ。
     これらの作品の共通項は、世界への視点だろう。宇宙とみそ汁とのコレスポンダンスの振れ幅には、当然、詩と劇とのコレスポンダンスも共鳴してくる。そして世界への目も。坂手作品は、実際、社会性の強い作品が多い。その分理知的で、距離を置いて見ることを期待される。実に優等生的作品なのだ。無論、レベルは高い。然し、芝居というものの、もう一つの面にも、そろそろ目を向けても良いのではあるまいか。つまり魅惑する側面に対してである。今迄の視座とは対極にあるかも知れないが、このような側面を自家薬籠中の物とすれば、更なる雄飛が期待できる。
     今回の舞台でも、役者陣の演技は、演出家の期待に見事に応えたものであったが、もし、今後、自分の提案したような作品作りもあり得るならば、力のある役者陣にも新たな御自分を発見して頂きたい。

  • 満足度★★★★★

    色鮮やかな言葉の海
    梅ヶ丘ボックスという何もない狭い空間に人生と宇宙がくっきりと浮かび上がる1時間40分。詩人清中愛子さんの詩集、坂手さんにあてたメールなどをコラージュして作り上げられた色鮮やかな言葉の海。何もないが故に無限を作りうる演劇の王道を知る。言葉を立体化する作業をつねに演劇はするわけだけれども、しかし今作の、寄る辺ない空間にゆるぎない世界を作り上げるその匠の技は必見。

    ネタバレBOX

    言葉の洪水はともすれば人を押し流す暴力にもなるが、円城寺あやさんという言葉使い(夢の遊眠社!)にかかれば、言葉は、弾むゴム毬のようになり、観客の心にひとつひとつ届けられ、気がつくと、こちらもゴム毬に遊ぶ子供になる。

  • 満足度★★★

    確かな舞台
    「宇宙みそ汁」は戯曲ではない詩をテキストにした舞台とのことなので、ともすればリーディングになってしまいかねないと思うが、これは立派に舞台作品として成立していた。何も知らなければちょっと前衛的な戯曲だと思って観ただろう。体力勝負に近い演出をこなしきった役者陣に拍手。

  • 満足度★★★★

    魔法のように立ち上がる時間
    この劇団、本当に久しぶりに観ましたが、
    あらためてその芝居力に驚嘆。
    シンプルな舞台に
    立ち上がるイメージが深く透明感があって豊か。
    重ねられるエピソードが、
    様々な色や濃淡、そして物語に変化していくのが
    わくわくするほどに面白くて。
    同質の手触りとともに演じられた2作品それぞれに
    シーンの重なりから現れるイメージや物語の解像度の高さがあり
    ベテラン役者たちの描きだすものの瑞々しさや
    カジュアルで上質な時間に捉えられ
    強く心を惹かれ続けました

    ネタバレBOX

    ・宇宙みそ汁

    言葉に力があって、
    紡ぎだされるもの、自体の内包する意味と
    重なって現れる色や形、
    台詞として語られるなかで幾重にも生まれる質感、
    それらが場ごとに役者の演技に織り上げられ、
    刹那の重なり、風景が生まれ、
    古いアパートの風情や街の景色を観る側にひろげ、
    語り部達の過ごす時間と想いの色へと編みあがっていく。

    役者達に表現を立ち上げさせる言葉の地の強さがあって、
    それを組み入れ自らのロールの豊かな感覚として場に重ねていく
    役者たちの表現の秀逸が
    言葉のひとつずつにさらなる色や深さや輝きを与えていく。
    ワンフレーズの密度や、濃淡や、
    時に無邪気さや、にび色をした思いや、
    透明感をもった行き場のなさが
    ビターで、静謐で、腹立たしいほどこっけいで、瑞々しく、
    時に鉛のように重く沈み込んだ、
    女性の日々の俯瞰へと編みあがって。

    冒頭の宇宙から舞い降りて、
    みそ汁鍋へと下る発想から生まれた戯画的な飛翔感が
    終盤に再び繰り返される中で、日々を生きる実感に感じられて。
    言葉の全てを受け取った後の、不思議な透明感の向こうに
    その日々を生きることの息遣いが伝わってきて心に残りました。

    ・無秩序な小さな水のコメディ

    3つの小作品、それぞれに
    役者達がゆっくりと積み上げる物語のなかに、
    剥ぎだされていく今の肌触りがあって。

    舞台自体の空気は洒脱で、どこか端正で
    感情表現なども物語の枠のうちにとどめられて。
    透明感と、
    シーンの積み上がりをそのままに受け止めさせる
    洗練があって・・・。

    でも、そうして、観る側が受け取ったものは、
    ・・・残る。
    残って、さらに膨らむ。
    なんだろ、舞台で語られることは
    どこか軽質で、コミカルでもあり
    すっと入り込んでくるのですが、
    観る側に入り込んできたその成り行きは
    霧散することなく、むしろさらに内に膨らむのです。

    汚された水が導く未来の姿にしても
    鯨や地雷のことにしても、
    観る側がすっと入り込むことが出来る表層と
    行き場のない恐れや怒りが染み入ってくる内側が
    すっとひとつの世界にまとめられていて、
    観る側に抵抗のなく物語の顛末を追わせるような
    口当たりをもった食感ととも供されて。

    見終わって、舞台からやってきたものは
    さらに解けて。
    その質量の大きさを感じつつ、
    作品に内包されたしたたかな企みと、
    そして、その企みをばらけさせることなく
    観る側においていく役者達の豊かな表現の力に
    目を瞠ったことでした。
  • 満足度★★★★★

    メチャクチャ良かった!
     テキストは詩なのに、
     会話が聞こえ、
     ドラマに見えて、
     ストーリーを感じた。

     テンポも良く、
     心地好く胸に響いて来た。

このページのQRコードです。

拡大