満足度★★★
『氷の下』
『氷の下』
上演場所にもとからあると思われるスクリーンに訳注的な解説なんかを投射してくれたり。← 主人公の名前は英語で云うと nobody という意味であること、とか。
俳優さんは戯曲本ではなくタブレット端末を手に持って操作しながら。終幕時は、電源ボタンを押して、照明とともに暗転。
満足度★★★
『イドメネウス』鑑賞
モーツァルトのオペラ『イドメネオ』で有名な、クレタの王イドメネウスとその息子イダマンテスの物語をベースに、登場人物の1人であるエレクトラの家族間での殺し合いのエピソードも接合しながら、様々な「もしも~だったら」と別の話の展開を見せては分岐点に戻って進む作品で、どの選択が正しいのか、また、正しい選択とは何を根拠にしているのかを考えさせられました。
白い会議机が集められた周りに黒い箱状の椅子が点在していて、机の上や椅子、さらには客席内の椅子に場面毎に座る位置を変えながら物語が展開しました。元の物語と異なる展開になる時は明け透けなエロティシズムや猟奇的なグロテスクさを強調する方向へ行きがちなのが、いかにも現代ドイツ演劇らしいと思いました。
役者と役あるいは語り手の関係が固定されていなくて、様々な役者の声で立体的にテクストが読まれ、役者達の台詞回しがしっかりしていて、視覚的な表現がなくても十分楽しめました。
舞台となっている地中海地域を感じさせる雰囲気があるギターの生演奏による音楽が良かったです。
変に弄くり回さず、戯曲の魅力がそのまま伝わって来る様な素直な演出でしたが、もう少しアクがあっても良いと思いました。
満足度★★★
『氷の下』鑑賞
コンサルタント会社を舞台にして、効率を追求する資本主義やマスメディアによって社会から人間性が失われていく様をシニカルに描いた、政治的な作品でした。感情移入が出来るようなドラマが展開されるわけではないのですが、抽象的で取っ付きにくい感じはなく、素直に笑ったり怖さを感じたり出来ました。
横一列に並べられた机と椅子、机の上にはマイクと水の入ったペットボトル、背後にはスクリーンというシンポジウムの様なセッティングの中、コンサルタント会社に転職してきた冴えない感じの中年男性とやり手な感じの2人の若い社員のモノローグが交互に語られる構成で、若い2人のポジティブな営業トークが空虚に連呼され、人間がいない、物達自身が経済活動を行うというシュールなディストピアが浮かび上がってくる物語でした。
ドライな質感の台詞が続く中に、ユーモラスなミュージカルの描写があり、重いテーマとのギャップが面白かったです。
役者達は本ではなくiPadを用いて台詞を読み上げるのが作品のテーマに合っていました。
タイトルそのままに氷(のイミテーション)を使った演出は分かりやすく視覚的にも聴覚的にも上手く使われていましたが、表現がリテラル過ぎる様に感じられました。「氷」をもう少し象徴的に扱い、観客の心の中でイメージさせる方がその冷ややかさが伝わってきたと思います。
最後に流れる、この公演の為に作られた歌がタイムリーで且つ皮肉が効いていて良かったです。
戯曲は興味深い内容だったのですが、役者の台詞回しがぎこちなかったのが残念でした。
満足度★★★★
『光のない。』鑑賞
福島の原発事故を受けて書かれた作品の日本初演で、リーディング公演と銘打っていますが、台本を持つという演出で作られた本格的な公演と言って良い程の圧倒的な力を感じさせる公演でした。
数台の脚立が立てられたり倒されたりしている空間の中に、防護服を思わせる白の上下と長靴姿でダンサー、ミュージシャン、役者2人の順番に現れ、役者は脚立の上で対話になっていない様な膨大な量の対話を続け、ダンサーがおそらく台本にある注釈を役者の台詞に重ねて読み上げたり身体表現で雰囲気を伝え、ミュージシャンは音楽というよりかは効果音的な不穏な音響を作り出していました。
役者はオーケストラ(あるいは弦楽四重奏でしょうか?)の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンという設定で、原発事故に対する反応や不安が様々なレトリックを用いて語られていました。脚立の上から水の入ったペットボトルが床に投げつけられたり、床に並べられたプラスチック製の半球をダンサーが踏み潰したり、ミュージシャンが物を叩き壊したりと物が客席まで飛んで来る様な暴力的な表現が際立っていました。最後は天井にぶら下がった役者が床に落下して悲観的な未来像を感じさせました。
普通に話す時の倍以上のスピードで台詞が次々と畳み掛けられ、しかも台詞回しがおそらくドイツ語の響きを意識したと思われる、強烈なアクセントを伴うイントネーションや語尾の強調を多用するため、正直な所半分程度しか何を言っているのかが聞き取れませんでした。話している内容も引用や専門用語やダブルミーニングが大量に用いられていて、理解する間もないままに言葉を浴びせられる感じでした。それでもこの戯曲が持つ切迫感がリアルに伝わって来て、引き込まれっぱなしでした。
言葉が聞き取れないため「海外の戯曲を紹介する」という目的は全然達せていないとは思いますが、同時代の海外の戯曲をリアリティを持って体感出来ました。さすがに役者の2人はかなり苦戦している様でしたが、この方向性のままブラッシュアップすればとても良い作品になると思うので、ぜひちゃんと稽古期間を取った上で再演して欲しいです。
満足度★★
『画の描写』&『言葉のない世界』
現代ドイツの短編戯曲を紹介する5つのプログラムの中で唯一2作品を上演するプログラムで、師弟関係である2人の劇作家の類似点と相違点が見えて、興味深かったです。
どちらも硬派な一人芝居で、特別に難しい言い回しを使っているわけではないのですが、全体として言いたい事があまり理解できませんでした。アフタートークで演出家や役者も「分からなかった」と言っていて、コンテクストの共有が出来ていない、社会的・政治的なテーマを含んだ海外作品を日本で上演することの難しさを強く感じました。
リーディング公演ですが、ただ台本を読むだけではなく、椅子やテーブルや照明、多少の動きのある演技など、視覚的な演出を伴って上演されました。
『画の描写』(ハイナー・ミュラー)
ある少女が描いた絵から想像されることを語る作品で、最初は描かれているものの単純な説明だったのが、次第に想像が逞しくなり、絵の様々な要素に社会的な意味を見い出す過程がスリリングでした。淡々とした語り口の中に熱さを感じました。
数種類のガラスの器を叩いたり、指で縁を擦ったりして音を奏でていたのが、作品のテーマとどう関連付けられているのかは理解出来ませんでしたが印象的でした。
『言葉のない世界』(デーア・ローアー)
アフガニスタンのカブールで経験し思ったことを、セザンヌやロスコ、オキーフ、ハースト等の画家の作品の描写を交えながら語り、西洋と非西洋の文化や制度の違いを考えさせられる作品でした。『画の描写』とは逆に、次第に諦念が浮かび上がってくるように感じました。
途中、英語で喋ったり英語でのナレーションの録音が流されたりしましたが(どちらも日本語で言い直されます)、ドイツ人の観客が英語での台詞を聞いたときにどう感じるのかが想像できず、もどかしく思いました。