アマルガム手帖+ 公演情報 アマルガム手帖+」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 思春期の女生徒、教師、親の妄想を材料に、数式、論理、動く身体で世界を立ち上げる試み。日本語に英語、仏語の数式を混ぜたセリフが面白い。セリフを壁に映写するから文字、絵としても楽しめた。知的好奇心を大いにそそるお芝居で、なぜか懐かしさも。難題に取り組み、実験、推敲を重ねた結果を見せてもらえた気がする。出自、特技の異なる俳優もまた世界の構成物なのかな。モーリー・ロバートソンさんの終演後のトークが凄かった。頭の回転に口の動きが間に合ってない感じ(笑)。知性がエンタメになってた。

  • 空気作り
    役者の皆さんのパワーと照明さんの地明かりと影の作り方が大好きでした。

  • 満足度★★★★★

    クセになる
    たまらなく面白い。受けての存在を超越したマシンガンのような台詞の乱射と、状況と、無関係にも思えるような身体表現。もちろんそこには伝えたいメッセージはあるだろうけど、それを理解するよりも体感する気持ち良さに身を委ねる。ふわーっとする。●学校という場所には、もしかすると一般社会以上に「妬み、嫉み」が渦巻き、隙あらば奪おうとする。それに負けて登校が苦痛になる五月病の葛藤がリアル。「わたし」が重なり合って「わたしたち」に飲み込まれる感じに気持ち悪さが見事。●お母さんという巨大な怪獣は厄介だ。距離感の尺度が壊れている上に、ほとんどの攻撃に怯まない。母性愛という無敵のアイテムで全てを凌駕する。そんな母親を、鳥公園の西尾佳織さんが好演。あのふわっとした雰囲気が見事に作品にマッチして可愛い愛しい。●とても哲学的な作品だ。人物や人間関係を表す数式も、Y’さんと彼とのやり取りも、じっくり考えてみたら楽しいものばかり。言葉の遊び方のセンスが抜群。形容詞「難しい、厳しい…」の韻が心地よい。「恋」と「変」の使い方も上手い。人間関係は無限なπだ。●黒板のチョーク受けが斜めになったセットは教室や授業の歪みや崩壊の象徴に見えた。世の中は矛盾ばかり。硬くて柔らかく、柔らかくて硬い。全てのものが見方や捉え方で価値や意味が変わる。目に見えているものなんて僅かな一面。何も捉えられていないことを知る。●ブライアリー・ロングさんは黒船のよう。バックボーンが謎でも圧倒的な存在感。そして美しい。横の立ち姿は彫像のよう。素晴らしいものが円や球であるならば、彼女のヒップラインの丸みは紛れもなく最高の芸術品。その美しさでおかしなコトを言うのだからお手上げ。

  • 満足度★★★

    ネタばれなし
    数式と言葉を応用して、演劇を作るなんて....、
    何て凄いのだ!
    もう一度観たかったんだが、千秋楽に観に行ってしまったのが残念でならない。

  • 満足度★★★★

    -
    数式とセリフの撹拌で新しい感覚を味わった。

  • 満足度★★★★

    出来の悪いエンタメ劇よりよっぽどエンタメ!/約85分
    数式を人の心のメカニズムや人間関係に見立てたりと難解な装いをしていながら、しっかりエンターテイメント!
    劇中人物同士の会話、それにかぶる箴言的独白、ものものしく華々しい大音量の音楽、なめらかなダンス…互いに無関係にも思えたそれらが不思議と和合してえらく五感に心地いいわ、心の壊れかけた面々がフルスロットルで繰り出す速射砲的長ゼリフは言うことの狂いっぷりがじつにリアルで可笑しいわ、美しくもどこか妖しい照明には恍惚とさせられるわで、なんとも魅惑的な一作でした。
    ただ、手帖云々があまり生かされてなかったような。。。 そこが残念。

  • 満足度★★★★

    未開発な感覚(数式の事だが)
    この作り手についての事前知識ゼロで観劇。このスタートの差が恐らく開演後間もなくから聞こえる客席の笑いの感覚の落差となり、私としては不親切な作りという事になるのだが、「製作の文脈」を踏まえて観たとしたら腑に落ちるものだろうか、と推察した(あくまで推察だが)。
     個々の場面に書かれた台詞は面白い。 演じ手のそれぞれが持つ持ちキャラ、性質を有効活用した面が、舞台の面白さにも繋がってはいるが主体はテキスト、台詞だと感じる。
     この言語が難しい、というのは特にブライアリー・ロングが繰り出す長い長い台詞の抽象性・比喩性?が高く、その中に「数式」が出て来る。彼女は母国語訛りの強い日本語なので、「何を言ってるのか」判るように、との意味もあろうが、台詞中の数式は映写される。そこで、この数式を追うことになる。 高校までに学んだ数学を、意外に懐かしく思い出し、含意を汲み取る事もできようかと、目をこらして見るが、判らなかった。数式の中に漢字の単語が入ったりもする。単語と単語を分子と分母にして、別の分数とイコールで結んだり、奇妙な世界に入って行くが、その「数式」が文学的表現として、「数・記号」を全く無視して遊んでいるのか、ある程度論理的に考えられたものなのか、判別が付かない。それで、判読するのはやめてしまった。
     言語というものの「論理」の側面は、数学を含めた「法則性と解のある世界」に帰属している。しかし私は自分の言語能力の「論理」の脆弱さを痛感しており、舞台を見ながらそんな痛い気分を思い出したりという事も。
     そんな事でこの舞台の「数式」の導入についての評価は、何も出来ない。
     ただ、言語とそれを使う身体の「関係」(についての固定観念)が相対化される様相が、ダンサーや西尾氏ほかの起用と実演を通して感じられたので、日常言語がそれとかけ離れた代物によって相対化されている様相として、「数式」の事を受け止めた。
     終盤で二人の男女が言葉を交わす場面は美しい。「言語」が、二人の身体(感情)についての情報伝達手段として、実は適さない代物にも関わらず(それしき無いので?)駆使して「心」を探り合い確かめ合う、そんな時間。
     ・・が実はそれは理想化された「私」で、彼女と対になっている女性(タカハシカナコ)が現実の「私」、という構図だと知ると、何やら多義的である。

  • 満足度★★★★

    寄せ集め型エンタメ
    単なるヒール型演劇ではなく、正統派だけど、寄せ集め型数式エンタメという難しいものを取り上げたね。優雅なダンスもあって、エンタメ感たっぷりあった、90分でした。

  • 満足度★★★★

    数学
    得意だったのに、すぐにすっかり忘れてしまいました。

    ネタバレBOX

    不細工で引きこもりな私YとYを関数を使って理想的に変換したY'が、彼Xや友人Z、先生、母親と絡み合う関係を数式を使って表現したパフォーマンス。

    散文的数式をよくぞ覚えられるものと感心しきりでした。

    先生が壊れたのはYが授業中に寝ていたからですが、私にも一因があったのかなと少し心が痛みました。

    授業中に球体の表面積に関する問題がありました。後に先生がたこ焼き屋になったのは、壊れたとはいえ潜在的に数学から離れられなかったからなのでしょうが、たこ焼きの表面積にはあまり関心がなく、体積の方に関心がある私としては、球体の体積に関する問題を授業で扱ってほしかったと思いました。

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