満足度★★★★
帰る場所
この作品観ていて思ったこと。特に強く感じられたのは“帰る場所”。二人のママの帰れない場所と帰ることを望まれている場所の対比。方や皆のお陰で帰れない場所に帰り、方や帰るつもりなど無かったが、それを機に必要とされている場所を考える。オカマさんだから話としてわかりやすいが、彼らだけでなく、そういう人は少なくないだろう。それだけでなく、誰でも持っている不安が彼女達の生き方の中に見え隠れしていた。と思うのは、帰る場所が無くなったものだからだろうか?
満足度★★★★★
最後の歌
わかったようなことを書く気はないけど、いろんなことがあって、またこれからもそんな人生を生きていくオカマちゃんたちが、太い声で歌う最後の替え唄に、何か意味もなく泣けた。
満足度★★★★
オカマたちの思い!
いわゆる新宿2丁目で働くオカマたちで、彼女たちがそこに辿り着く経緯、そこで働く理由そして願いが演じられ、実家に帰りたくても帰れない心の葛藤が切ない。
漂う空気は2丁目そのもの、曰くつきの周辺住人たちを絡ませ、信用はしてないが結束力の強いオカマたちの姿が垣間見られる。
実際にいるようなオカマと明らかに演出用のオカマと組合せが面白い。
満足度★★★★
異形なるもの…
前回(金色の翼に乗りて)から一変、喜劇要素も含まれた作品。
さて、我々はとにかくも生きている。
社会というコミュニティの中で、あくせくと生きている。
生きていくというのは、時として感情を内に仕舞い込んでいく事でもある。
何故か?
社会というコミュニティで生きて行く為には、やり過ごさなければならない事も多々あるからだ。
”正義”を訴え”正誤”を照らし合わせてみても、それは軋轢を生み、コミュニティから排斥される題材になってしまう事が往々にしてある。
肯かれる方も多いだろう。
この作品は二丁目のオカマのごく限られたコミュニティが題材となっている。
しかし、”性”の問題ではない。
一般的なそれからは逸脱した者たちが織りなすドラマである。
“普通”という概念は何を取り立てて、何をお座成りにしているのか?
この作品はそれを問いかけている。
異形なるもの(=オカマ達)は、それを自覚しながらもある種アウトロウとしての立場から“普通”を自負する人々が自らが属するコミュニティに留まろうとする悪足掻きに物差しを当てる。
その物差しは決して異形なるコミュニティ独特の物ではない。
異形を毛嫌いし、蔑んで見る“普通”の中にいる我々のコミュニティの中で
最も異形なるもの…、それは当り前の“正義”と当り前の”正誤”であるとこの作品は訴える。
そういえば、最初苦笑いと共に観ていた彼等が最後には輝いて観えたのもその中にある“当り前”を押し貫いてみせるすがすがしさがそうさせたのかと気づく。
満足度★★★★
厚化粧の下の悲哀...人間讃歌が素晴らしい
本公演は上辺だけ観れば、軽妙な芝居であるが、その描く内容は崇高な人間愛...。
舞台セットはパイプ足場のような造作が上手・下手にそれぞれあり、さらに舞台奥の上手・下手に平空間を設け、それぞれを別場面の演出に利用する。そのシンプルで、ほぼ素舞台で繰り広げられる“怪艶”にして悲哀な物語は...。
満足度★★★★★
船戸さん追悼に相応しい質
初日を拝見。いきなり、この世界に引き込む序盤。この世界を知る者にはリアリティーを感じさせ、知らない人々にも興味を湧かせるであろう、虚々実々の世界を生身で生きる哀しさを描いた秀作。