満足度★★★★
異形なるもの…
前回(金色の翼に乗りて)から一変、喜劇要素も含まれた作品。
さて、我々はとにかくも生きている。
社会というコミュニティの中で、あくせくと生きている。
生きていくというのは、時として感情を内に仕舞い込んでいく事でもある。
何故か?
社会というコミュニティで生きて行く為には、やり過ごさなければならない事も多々あるからだ。
”正義”を訴え”正誤”を照らし合わせてみても、それは軋轢を生み、コミュニティから排斥される題材になってしまう事が往々にしてある。
肯かれる方も多いだろう。
この作品は二丁目のオカマのごく限られたコミュニティが題材となっている。
しかし、”性”の問題ではない。
一般的なそれからは逸脱した者たちが織りなすドラマである。
“普通”という概念は何を取り立てて、何をお座成りにしているのか?
この作品はそれを問いかけている。
異形なるもの(=オカマ達)は、それを自覚しながらもある種アウトロウとしての立場から“普通”を自負する人々が自らが属するコミュニティに留まろうとする悪足掻きに物差しを当てる。
その物差しは決して異形なるコミュニティ独特の物ではない。
異形を毛嫌いし、蔑んで見る“普通”の中にいる我々のコミュニティの中で
最も異形なるもの…、それは当り前の“正義”と当り前の”正誤”であるとこの作品は訴える。
そういえば、最初苦笑いと共に観ていた彼等が最後には輝いて観えたのもその中にある“当り前”を押し貫いてみせるすがすがしさがそうさせたのかと気づく。