テロルとそのほか 公演情報 テロルとそのほか」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.9
1-7件 / 7件中
  • 満足度★★★

    観た
    社会問題に切り込んだ実験的なお芝居だが製作過程を見ていないからか、深いところまで伝わってこなかった。
    次はプロセス共有チケットで観たい。

  • 満足度★★★★★

    演劇という表現の立体感
    プロセス共有チケットで観劇。描かれる今が戯曲の文字面から肌にやってくる感覚のさらに向こうに至るまでの道のりを体験させていただけたように思います。

    作品自体の面白さや秀逸さに加えて、その立ち上がり広がっていく過程に、演劇という表現の立体感のようなものを感じました。

    ネタバレBOX

    「プロセス共有チケット」というのは稽古やゲネプロのすべて、加えて本番を1度拝見できるというチケット。
    休日の昼に稽古を4時間ほど、
    その後夜に通し稽古を1度、
    本番を2度拝見しました。

    演劇のWIPや公開稽古は何度か拝見したことはあるのですが、
    戯曲を拝見させていただき、
    それが演劇に立ち上がり進化していく姿を体験するのは初めて。
    最初の稽古は、ざっと戯曲を読みながら
    いくつかのシーンの稽古をひたすら眺める。
    様々な試み、行きつ戻りつ
    紙に記された世界の印象が
    空間に立ち上がる空気の中で幾重にも塗り替わっていく。
    役者たちからやってくる世界は
    戯曲どおりの言葉で構築されているにもかかわらず、
    言葉ではなく、一期一会という感じで空気を立ち上げ、
    観る側に流し込んできます。
    びっくりするほどぼんやりした印象になることもある一方で、
    鮮やかな切れが現出してぐぐっと前のめりにさせられたり、
    時には戯曲ではまったく気づきえなかった、
    鮮烈なテイストに突然襲われることも。
    地道でタフな作業だと思いつつ、観ていて全く飽きない。

    二度目にお伺いしたのは夜の通し稽古でした。
    当然に従前に観たシーンもあったのですが、
    それらが作品に組み込まれると、
    さらに新しい意味や意図を纏って伝わってくる。
    戯曲もさらに何度か読ませていただいていたのですが、
    そんなこと綺麗に意識から消え失せて、
    場ごとに浮かび上がってくるものを追いかけ、揺さぶられ、
    浸りこんでしまう。
    シーン間の密度の差異が
    作品の流れに馴染んでいない部分もあったものの、
    個々のロールたちが背負うテーマにはエッジが生まれ
    観る側に置かれて。
    そして終わってみれば、
    組み上がるシーンの向こうに
    今という時代のベーストーンのようなものを感じる。

    公演(本番)は二回観ました。
    通し稽古で感じていたシーンの噛み合わせのノイズというかばらつきが
    しなやかな繋がりのための絡みとなって
    ひとつの作品の息遣いにまとめ上げられていて。
    そして、その中だからこそ、
    観る側を伝わり染めるモノローグに織り上げられたものがあって。
    戯曲としては従前に読み、観たものと同じものだし、
    個々のロールが背負うものの色が大きく変わったわけではないのですが、
    そこには、本番の芝居の鼓動のようなものがあって、
    その響きがあるからこそ
    時代の質感に浸され伝わってくる感覚がある。

    そして、最後に見た12月6日のソワレでは
    その芝居の鼓動にさらなるニュアンスが生まれていました。
    12月2日で垣間見えていた、
    ロールたちが抱えているものの先にあるなにかが、
    旨くいえないのですが、
    今の時代の呼吸のように思える。
    一人ずつのロールが抱くものや、
    抱くものやその場にあることが、
    理性を乗り越えて肌に伝わり残る。
    だから、よしんばそれがテロとして熟し落ちても、
    その踏み出しの感覚は、
    違和感や拒絶を前提としての傍観ではなく、
    理解の範疇での他者の姿としておかれるのです。

    なんだろ、本番を観てたどり着き、
    さらには、2回見ての気づきに
    演劇というものだから表現しうる
    その質感の幾重にも重なるリアリティを感じて。

    別に本番だけを見ても、
    しっかりと捉われる作品だとは思うのです。
    加えて、観客が稽古から加わっていくということの
    本来の目的には何一つ貢献できていなくて
    申し訳なくも思ったりもして・・・。
    でも、観客としては、稽古から拝見させていただき、
    その数mm内側から作品を感じたからこそ訪れる感覚もあって、
    よしんば、それとて演劇なるものの表層にすぎないとしても、
    芝居をなすということで生み出される表現の
    観客としての常ならぬ奥行きを垣間見る
    とても貴重な経験となりました。
  • 満足度★★★

    もう少し緩急があった方が・・
    良いのかな、と思う。

    それぞれの独白の中には、いくらでも突っ込むところがある。

    それ(どんな意見にでも突っ込みどころがあること)は当たり前かもしれないし、
    もう少し考え抜いた末の精華を観たかったかもな、という気もしたりした。

    ひとつ言うなら、「教育」について。

    いつも思うのだが、子供は常に大人より賢明だと思う。

    うわべだけの言葉はすぐに見抜かれる。

    愛情の無い姿勢は見透かされる。

    別に誰に教わるでもなく、皮膚で感じるのだと思う。

    何かを子どもに伝えるということは非常に難しいと思う。

    思い出してみれば、子どもの頃に先生から何かを学んだことは無かった。

    ふだん小学校ではわざと100点を取らずに先生たちの様子を観察し、
    中学受験が終わってから先生の態度がかわるのを見て、
    この程度の人たちが先生をしているのかと失望したことがあった。

    先生(大人)の態度の微妙な変化は直ちに子供たちに伝わる。

    多少成績が悪くてもそれぞれの良いところを見抜かなければならない。

    うわべに関係なく大人同士であっても、お互いに内面を尊重しあえるなら、
    子供たちはそれを見て学習する。
    (自分は先生たちを反面教師にして学習した。成績の悪い子どもの方が良い子よりはるかに個性的であることが多いにも関わらず、先生(大人)たちの態度のせいなのか、自分に対して自信が無いように見えたのが、そのころから自分には不思議だった

    子どもは勉強からではなく、
    周りの大人の人生に対する姿勢から影響を受けると思う。
    (そうであるのが幸せだと思う。無理なら本から大昔の人の言葉を抜き出すしかないが

    子供たちの心に感銘を与えるのに教師である必要は全くない
    (素晴らしい教師は、教師にならなくとも、その生きる姿勢で
    多くの子供たちにむしろ教師になる以上に
    大きな影響を与えたのではないかと思ったりもする

    ねじ職人だって何だって関係無いと思うし、
    多くの人が、教師よりも自分たちの生きる姿勢によって子供たちが育まれていくのだと
    信じる社会の方が健康的だと思う。

    お金が無くても人生を楽しみ、一つ一つの物事を大切にし、
    子どもたちの元気な姿を見るのが何よりも楽しみであるように
    大人たちが振る舞えば、
    子どもたちは勝手に自由に育つと思う。

    道を踏み外す子もいるかもしれないが(また戻ってこれる社会であればなお良い
    全ての人が仲良く暮らせるように
    何か発明をして貢献したいと思う子たちも大勢出てくると思う。

    子どもたちの心に芽を植えるために教師になるという選択は悪くは無いけれど、
    演劇作品としてはそれだと教師以外になった人たちには
    少し閉じた気がしてしまうのではないかと思われるので(自分にとっては
    こうした方が良いのかな、という気がちょっとした。


    そのようなちょっとした感覚がそれぞれに対してあったのだけれど、
    ここでは教育に対してだけちょっと書いてみた(苦笑

  • 満足度★★★★★

    いまを描く
    2012年、いま現在を描き、日本社会への閉塞感を鋭く切り取る、闘ってる演劇だった。思考を共有化しようとする創作の動機が非常に刺激的だし、上演された内容もとても濃くてあっという間の二時間だった。なんというか、我々はもっと調べて学んで疑って、怒らないといけないんだなという内容だった。知れば知るほど、諦めさせられる、どうせ変わらないと思わされる現実だからこそだ。俳優に提出されたテーマに即し、2つずつ作品を書き下ろし、なおかつ1つにまとめる。この4つの全く異なるテーマが並列的に語られるが、個々のテーマ(作品)が面白いから全く飽きずに見れる。硬質で膨大な独白をきちんと伝える俳優も魅力的でした。1つの物語にまとめる事で対話が生まれ、問題意識への反証や発展が起こる。「わかりたいけどわかりあえないこと」、作品内でも葛藤しているし、この作品を創ってる制作者たちも葛藤されたのだと思う。そうして観ると一層味わい深い。声に出して読みたいような言葉の重さの1つ1つを観劇後に反芻しています。

  • 満足度★★★★

    作劇過程がワカる演劇版四題噺
    4人の役者が出したテーマにつきモノローグと短編を1編ずつ書き下ろし、それら8編を発展させて1本に仕上げるという演劇版「四題噺」、生成過程がワカるのが面白い。
    当日パンフレットで事前に読んだその「作り方」は観劇中は忘れていたが、終演後に再見したらもう膝を連打!(笑)
    また、独白パートと芝居パートのバランスが作り出すリズムによりメリハリがきいており、シンプルながら多彩な照明も◎。

  • 満足度★★★★

    他人の思考を思考する作品
    プロセス共有チケットを購入して、最初の稽古見学に行ったのは11月17日だった。
    稽古は合計3回見に行って、12月1日初日の舞台を観た。
    俳優の提出したテーマを作・演出の詩森さんが共有して脚本を書き
    稽古の過程でさらに双方向から意見をぶつけ合って変化させていく。
    この「他人の思考を思考する」というプロセスで創られた作品は
    初日今度は「観客が思考すること」を求めて来た。
    多少なりとも思考する人間は、交差する複数の思考回路へ足を踏み入れるだいご味を味わう。
    漫然と見て「何かくれ」タイプの人には向かない作品かもしれない。

    ネタバレBOX

    作・演出の詩森さんが好きだという、俳優や照明が映えそうな黒っぽい舞台には
    公園にあるようなベンチとテーブル、椅子が全て裏返しになって置かれている。

    やがて私たちが入ってきた入口のドアが少し開いて
    ダークスーツの男が中を一瞥してから入って来た。

    「今不安に思うことは、ターゲット以外の誰かを巻き込むかもしれないということだけだ」
    舞台中央に立ち、テロリストは語り始める。
    「わたくしの一生をすべて無にしてまで撃つべきものは権力である」
    淡々と語るテロリストヒガキを演じる朝倉洋介さんの論理に思わず引き込まれる。
    3ページに及ぶモノローグ、少し手ぶりは入るが足元は微動だにしない。

    稽古でこの人のモノローグの場を見ることが出来なかったことが本当に残念だった。
    完成形に至る不完全なかたちを見ておきたかったのに・・・。
    稽古場で話しかけて下さったとき、
    「自分が提出したテーマでも、台本になって渡されると言いにくいところもあるし、
    自分の言葉だけに熱くなりすぎたりする」
    と笑っていた朝倉さん。
    誰よりも早く台詞が入り、他の人の台詞を受けて変化する余裕さえあった。
    緊張感が途切れないのに力みのない声、直前まで普通の市民として存在した
    まさにテロリストにぴったりなキャラは
    ヒガキか、朝倉洋介か・・・?

    このヒガキを中心に、タカハシ、コレエダ、キジマの4人が久しぶりに集まった。
    共通の友人マエカワが死んだことがきっかけだった。
    その死に方の異様さに、4人は衝撃を受けている。
    中でも、かつてルームシェアしていて親友同士だと思っていたコレエダ(西村壮悟)は
    まだこの事実を冷静に受け止め切れずにいる。
    親友だと思っていた自分が、一言の相談もしてもらえなかったことに打ちのめされている。

    コレエダを演じる西村壮悟さんは、クールな声とルックスで淡々と友人の死を語る。
    稽古の時詩森さんから
    「言えなかった、でも言いたかった、そしてもう言えなくなった言葉」を
    今口にする気持ちを考えるように、というアドバイスがあった。
    西村さんは涙で言葉を詰まらせ、私はそのモノローグに泣いた。
    初日の舞台で、西村さんはもう泣かなかったが、私はやっぱり泣いてしまった。

    キジマ(生井みづき)はそんなコレエダと別れようとしている。
    コレエダも今いっぱいいっぱいだが、キジマもまた別の意味で限界だと思っている。
    放射能や遺伝子組換え食品、食品添加物を浴びるように取り入れて暮らす私たち。
    経済や効率、生産性を優先する世間の価値観と、
    それに反発しつつも完全に排除できない自分の生活。
    そういう自分を説明することを、もう止めたいと思う。
    そしていつか説明しなくても共有できる人と共に過ごしたいと思うのだ。

    超マイペで自分の関心事を常に優先したいキジマの長ゼリ。
    詩森さんが「自分の気持ちを伝えるには事実を伝えることだ」と言ったが
    キジマの目下の最大関心事である食品をとりまく事実をきちんと伝えることが
    キジマの気持ちを伝える効果的な方法だという意味だった。
    カレシの優しさを拒否してでも、今この問題を突き詰めたいという必死さが
    生井さんの台詞からあふれていた。
    その結果客席からは何度も笑いが起こった。
    二人が必死になればなるほど、かみ合わないズレが大きくなって可笑しかった。

    大学生タカハシ(有吉宣人)は、大学を辞めようかと考えている。
    現在の教育システムに失望し、小学校教師を目指して一からやり直そうというのだ。
    ヒガキ先輩に相談して、妙に熱く語ったかと思うと
    自信の無さからか背中を押してもらいたがったり
    とにかくタカハシは自分の回りをぐるぐる回っている。

    タカハシ役の有吉さん、稽古では結構ダメ出しされていたと思う(笑)
    「声が大き過ぎる」に始まって「興奮して喋ってるだけ」「ひとりで空回りしてる」
    「テンションが上がり過ぎて制御不能になった」等々。
    4人の中でひとりあからさまにオロオロするキャラだから、難しいこともあるだろう。
    狂言回しとしての役割もあって切り替えも必要だ。
    だが本番で私はタカハシの空回りに人柄の良さを感じた。
    「なにみんな平気な顔して遺品整理してんですか!?」という
    “ウザいけどいい奴”キャラが、有吉さんにはまっていたと思う。

    4人の俳優が提出したテーマにそれぞれデータによる裏付けをして、厳選した台詞で語らせる。
    詩森ろばさんの脚本は巧みな構成で交差する4つの人生を描く。
    静かな落ち着いた場面転換の動きや映像の使い方も洗練されている。
    いずれも岐路に立つ出来事を抱えている4人のうち
    未来を語るタカハシの言葉で終わるというのもよかったと思う。
    はっきりしなかったタカハシに最終決断させたのはテロリストヒガキの存在と行動であった。
    「その行動を支持はしないが、ヒガキ先輩は大好きだ」というタカハシがとても良い。

    稽古場とは比べ物にならない空間の違いが、距離感を変え台詞を変える。
    改めて企画の意図とキャスティングの妙が面白かった。
    俳優個人と役が重なって、台詞が自分の言葉になる。
    考えてみれば「他人の思考を思考する」とは演劇の原点であり
    コミュニケーションの原点ではないか。
    作・演と俳優、俳優と俳優、作品と観客、皆他者の心理を想像するところから始まる。
    一番難しくて、誰もが欠落していて、でも上手く行けばこの上なく幸せな作業だなあと思った。
  • 満足度★★★

    まさにテロリストと仲間の物語だった、110分
    まさに、4人の出演者ながらも、それぞれの役割分担しながら、実験的戯曲を作ったなあと思いましたし、一人芝居とか、二人芝居さらに、映像も交えたものは良かったです。

このページのQRコードです。

拡大