テイキング サイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~ 公演情報 テイキング サイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
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  • 満足度★★★

    We're Taking Sides Again
    物語の内容は、今まで見たどの舞台よりも重い。


    今日の舞台は動きが少なく、けれど圧倒的な台詞の量で
    2時間半余りを数人のキャストで演じるというものだった。

    見終わって劇場を出たら鉛のようにどんより空が曇っていた。
    そんな気分だった。

    開演前に食べたダブルソースオムライスなんかまだ消化しきれてない。

    平日昼間だったせいもあるが、テーマがテーマだけに
    やはり割引当日引換券が出るくらい空席もあった。

    それでも見終わった後の名状しがたい気分になったとしても、
    見ておいて良かった。

    芸術(ここでは音楽)と政治というテーマは、
    そう簡単に答えがでていいわけがない。

    ずっとタイトルが気になっていたのだけれど、
    OMDの3rdシングル「Messages」の詞にあることを思い出した。

    B面のインスト・ナンバーのタイトルが「Taking Sides Again」だってことも。

  • 満足度★★★

    平幹二朗の凄み
    ひたすらそれに尽きる。対する筧利夫がいかにも軽薄に見えてしまう。演出の意図するところなのかも知れないが、役者としての筧さんに疑問を感じるほどというのはどうなのだろうか?脇を固める小林隆、小島聖、鈴木亮平は好演という印象を受けたのだが、筧利夫が残念でならない。

  • 満足度★★★★

    結論は出せない
    第二次世界大戦戦時下の罪を問われる天才指揮者。

    出演俳優さんたちの役柄は、それぞれの立場の代表者でもあり
    皆さん見事に演じていました。

    平幹二朗はまさに天才音楽家の風貌でふるまい、
    筧利夫はまさに口達者に容赦なく、戦勝国アメリカを代表して断罪する。
    小島聖のセンシティヴな様子は、数々の苦難を経験した様を想像させ、
    普段は良くその外見から、美人役が多いけれど、そうでない役の方が
    良さが発揮できるように思えます。
    小林隆は、市民、観客の代表として生き抜くための小賢しさを好演。
    福田沙紀、鈴木亮平は、天才音楽家に対する尊敬とナチス協力者への
    嫌悪という二つの面に対する戸惑いを、もっぱら受けの演技のなかに
    見え隠れさせる非常に緊張が強いられる難しい立場。

    芸術の尊厳を保ち、しいたげられた人々に安らぎ喜びを与え続けられる
    立場を守るか、反抗し市民を捨ててその場を去るか、どちらに正義があるか。

    安易な結論を提示しない、決して答えを出さない本作のスタンスは、
    劇中で迷える人々と同じで、当然の結果と言えるのでしょう。

  • 満足度★★★

    信念の衝突
    名指揮者フルトヴェングラーが、ナチに協力したとしてアメリカの少佐に攻めたてられる緊迫したやりとりを通じて、政治と芸術の関係について考えさせられる作品でした。

    ナチに対する憎悪や芸術の無力さに憤慨してフルトヴェングラーに対して次々に酷い言葉を発する少佐と、言葉や国を超越する音楽の力を信じて毅然とした態度を取り続ける指揮者の対決が壮絶でした。
    横暴で共感しにくい少佐が何故そのような振る舞いをするのかが後半で明らかになり、単なる悪役ではない深みのある描かれ方となっていて印象的でした。

    平幹二朗さんのいかにも指揮者らしい重厚で品格のある佇まいと台詞回しが素晴らしかったです。それとは対照的なキャラクターを演じた筧利夫さんの膨大な台詞で攻め立てる憎たらしい姿も強烈でした。
    平さんと筧さんのやりとりの場面がほとんどで、他の4人はあまり台詞がなかったのですが、それぞれの立場における心情が物語を膨らませていました。ベルリンフィルの元メンバーを演じた小林隆さんが人間の弱さを暖かく演じ、重苦しい雰囲気の中で息抜きになっていて良かったです。

    当時の記録映像(かなりショッキングな内容です)やセットの大仕掛けが用いられていましたが、説明的過ぎるように感じました。演技が四方ので、わざわざそのような手法を使わなくても十分に内容が伝わると思いました。

    クラシック音楽やフルトヴェングラー、そして当時の情勢についてある程度知識がないと少々取っ付きにくいかと思いますが、終盤に向けてどんどん引き込まれる作品だと思います。

  • 満足度★★★★★

    行動の規範は、自己の感情?
    何となく、そういう隠れたテーマが浮かび上がって来るような印象を受けました。

    立場の異なる6人の登場人物。その一人一人に、作者がしっかりと命を吹き込んだ脚本の秀逸さに、驚嘆しました。

    平さんと筧さんの一騎打ちの芝居なのかと思っていたのですが、誰もが、重要人物で、各人に、人間の本質が封じ込められていて…。

    「ドレッサー」や「戦場のピアニスト」でも、驚嘆させられたのですが、この作品は、更にその上を行く傑作でした。

    行定監督も、舞台処女演出作は、如何にも映画監督の演出でしたが、舞台演出家としても、腕を上げられたなあと嬉しくなりました。

    平さんと筧さんももちろんですが、脇の、小林さん、鈴木さん、福田さん、小島さんの好演が光り、珠玉の人間ドラマになっています。

    ただ、私は、以前、フルトウ゛ェングラーの子供を宿した女性側から描かれた舞台作品を観たことがあるので、大よその、時代背景や、人物の履歴をわかっていて、この作品も理解しやすかったのですが、歴史に疎い方には、難解な芝居かも知れないと思いました。

    戦慄の走る映像もあるので、トラウマになりそうな方には、おススメできないかも。

    ネタバレBOX

    小林さん演じる、ヘルムートが、筧さん演じるアーノルドに向って、「自分の感情にまで検閲を掛けた」という趣旨の台詞を投げかけるところがありますが、この作品、まさに、人間の感情と対峙して、ずっと息を呑み続ける舞台でした。

    ナチに抵抗せずに、ベルリンに留まったフルトウ゛ェングラーにしても、ユダヤ人の迫害を目近に目撃し、ナチの所業を憎んでやまないアーノルドにしても、その立ち位置だから、行動した結果をお互いに、自己肯定するけれど、もし、別の立場だったら、どういう行動に出ていたのか、自分でも確信できない部分が必ずある筈で、結局、微力な人間の最後の行動規範は、それぞれの感情以外にはないのかもしれないと思わせられました。

    主要人物の二人より、アーノルドの尋問を見守る、反ナチ運動の闘士の娘エンミと、ユダヤ人で、両親が迫害に遭ったにも関わらず、フルトウ゛ェングラーの生み出す音楽の虜になっているウィルズ中尉の、感情の発露シーンの秀逸さに舌を巻きました。

    どの人物も、実に、リアルで、各人の言動に納得が行き、その度、その人物に感情移入してしまうので、観客は終始、登場人物全員に、味方しなければならない定めで、傍観者ではいられない立場に立たされます。

    それを思うと、この「テイキングサイド」は、まさに当を得たタイトルで、作者のお手並みあっぱれと感じ入りました。

    ただ、ナチによる実際のユダヤ人迫害の生々しい場面が、アーノルドの悪夢という形で、目の前で映し出されるため、観客は、それを目にしないわけには行かず、気の弱い方には、おススメできない舞台かもしれないので、その点に不安のある方は、観劇なさらない方が良いと思います。

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