幽霊 公演情報 幽霊」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-4件 / 4件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    開演前の舞台下手奥、壁に1枚の鏡、机がひとつ。
    その机に向かって1人の男が座っている。
    微動だにしないその後ろ姿を見ていると、彼こそが幽霊なのかと思ってしまう。
    やがてこの屋敷に棲みついて人々の人生を狂わせていく幽霊の正体が視えてくる・・・。

    ネタバレBOX

    北欧の名家アルヴィング家の一室。亡き夫の名を冠した孤児院の開所式を明日に控え、
    夫人と牧師マンデルスが打合せをしている。
    画家修行のためパリに滞在していた息子オスヴァルも帰って来ている。
    屋敷の使用人レギーネは、孤児院の建設にも関った大工エングストランの娘だが、
    父親が計画している新しい事業を手伝う気は毛頭ない。
    牧師マンデルスが、相変わらず伝統的な倫理観に固執して夫人の人生を否定した時、
    アルヴィング夫人は真実を白日の下に晒す決意をする。

    すなわち
    亡くなった夫は、人々が信じていた名士などではなく、放蕩の限りを尽くしていたこと、
    かつて一度だけ夫を捨ててマンデルス牧師の元へ逃げて来たアルヴィング夫人を、
    牧師は諫めて家へ帰したが、その後も放蕩は収まらず偽りの結婚生活を続けたこと、
    亡き夫は使用人の女性に手を出して子どもを産ませ、その子がレギーネであること、
    夫の放蕩と業病から7歳の息子を遠ざけるためにパリへ行かせたこと・・・。
    これら積年の恨みを上辺しか見ないマンデルス牧師に一気にぶちまける。

    おまけに自らも業病を患ってしまったオスヴァルは、血のつながりがあるとは知らず
    レギーネに手を出そうとしている始末。

    この期に及んでマンデルス牧師の「息子は父親を尊敬するべき、妻は夫を支えるべき、画家
    など諦めてまともな仕事をするべき、娘は父親を助けるべき、云々」という形式的な倫理観は
    滑稽なほど説得力がない。
    当時の人々の暮らしが宗教と古い価値観の中にあって、がんじがらめだったことがわかる。
    アルヴィング夫人に行動を決意させたものは、人生の半分を偽善に費やした悔しさと、マンデルス牧師に対する失望、息子の人生をも狂わせてしまった後悔の念だと思う。
    まさに、死んだはずの「幽霊」に憑りつかれて道を誤ったのだと思わざるを得ない。

    一方真実を知って、それならと前へ進もうとするのは若いレギーネだ。
    医師からもう長くないと告げられて絶望の淵にあるオスヴァルが、最後にすがったのが
    レギーネの愛情だったが、「こんな田舎で病人の面倒を見るつもりはない」と素晴らしい一撃で屋敷を出て行く。野心も金銭欲も旺盛で牧師様の言うことなど歯牙にもかけない言動には
    爽快感すら覚える。

    アルヴィング夫人は古い因習に真っ向から立ち向かった。
    敵だらけの中、正攻法でぶつかったので傷も喪った物も大きかった。
    これに対してしたたかなのは大工のエングストランだ。
    常に利害を見て姑息に立ち回る彼は、開所式前日に孤児院が全焼してしまうという事件を
    得て、出火の原因を”牧師がミサの火をちゃんと消さなかったからだ”と指摘する。
    身に覚えがないまま自信を失って「牧師の資格をはく奪されるかもしれない」と意気消沈する
    牧師に、私がお助けいたします、と言葉巧みに自身の事業用寄付金集めの片棒を担がせる。
    日頃のご立派な説教はどこへやら、ホイホイそれに乗っかる牧師の情けない倫理観。

    「太陽、太陽」と力なく呟いて意識が遠のいていく哀れな”依存心の塊息子”に、モルヒネを
    託されて苦悩するアルヴィング夫人・・・。

    物語はここで終わるのだが、一人ぽっちになったアルヴィング夫人はどうするのだろう。
    息子も、使用人も、かつて心を寄せた牧師も、皆行ってしまった・・・。
    これほどの代償を払わなければ、人は幽霊から脱却することが出来ないのか。

    レギーネ やエングストランのように、庶民の方はとうの昔に幽霊から脱却している。
    牧師の説教より日々の生活が優先されるのだから。
    たぶんアルヴィング夫人はわが子にモルヒネを投与するだろう。
    そしてひとりで初めての自由をかみしめるだろう。
    孤独ならとっくに連れ添っている。
    その表情は清々しく、昂然と顔を上げて生きていくのだと思う。

    アルヴィング夫人役の千賀由紀子さん、ダメ夫に代わって事業を成功させるほどの頭脳と
    強い意思を持つ女性を、くっきりした口跡と声で魅力的に演じて素晴らしかった。
    エングストラン役の高田賢一さん、下手に出ながら牧師様をも操る卑しさとたくましさの両面を持つ、庶民のリアルさに惹きこまれた。
    コンパクトになったこの「幽霊」は、私たちの今と見事に重なる普遍性を抽出して見せた。
    イプセンが140年前に書いた物語は、現代と何ら変わらない様相を呈している。
    タブーに切り込めば説教されて、伝統を押し付けられて、異端児扱いされる。
    今イプセンが生きていたら、どんな賛否両論を巻き起こす作品を書くだろう。
    ただ、現代ならば多くの劇場がこぞって上演したがるはずだ。中でもハツビロコウは。
    そう願って止まない。

  • 実演鑑賞

    ハツビロコウは松本光生の主宰で、よく西洋名作を上演する。今回はイプセンの「幽霊」である。あの超大作をどのように上演するかと見てみると、いはば、サワリ集である。元戯曲が時代の風潮にあわせて時間制限の中で終了するように出来ている〔三一致〕だから、かなり強引にカットしても話がつながる。それで1時間45分。登場人物は僅かに五人。セットは一つ。これだけ切ってしまっても話は通じるが、サワリの主張を立てると、登場人物がみな勝手に自分の言い分をのべ立てるような感じになってしまうのはやむを得ない。
    この劇団はかつて、チャペックとか、あまりやっていないホンを発掘して欧米諸国の劇をやってきた。面白い路線だが、アイルランド劇に日が当たって、昨今では選択の幅が狭くなっている。だが、まだ北欧、東欧、南欧作品には我が国で見逃されている作品も数多くありそうだ。
    役者は、千賀・高田以外は経験も少ない様子だが、ガラは悪くない。若い二人〔田村・岡田〕も、本だけで言えばはまり役である。しかし、上手くなるばっかりがいいとも限らないがナマ必至の演劇は台詞だけはもう少しきちんと決まらないと芝居にならない。小劇場の悩ましいところである。
    席数は40ほど、満席になっても赤字必至とみえる舞台作品に、あれこれ言うのは失礼な気がする。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    松本光生編「幽霊」といえるが、むしろ原作のエッセンスを凝縮したような台本・演出になっていて、偽善や欺瞞、狡猾さ、身勝手さの表現は全体的に抑制され(省略され)、古い因襲など個人を縛る諸々からの自由というイプセンの本質的なところにより注意が向けられているように感じられた。牧師との会話中、未亡人がオスヴァルとレギーネの関係を自由を理由に容認するかのようなことを一瞬言ったように聞こえたが(はっきり覚えていない)、だとすれば原作よりさらに踏み込んでいるのかもしれない。それにしても、普遍的な作品というものは時代や国を問わず通用するものだな(翻訳や演出次第なのかもしれないが)とあらためて気付かされる。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い。
    ハツビロコウらしい重厚にして骨太作品。しかし 今まで観てきた公演、例えば 同じイプセンの前作「ヘッダ・ガブラー」のような重苦しい緊張感はあまりない。逆に この公演の魅力は、テーマ性というか物語性が鮮明で分かり易いところ。当日パンフに代表の松本光生 氏が、イプセンの戯曲をもとに複数の翻訳本やグーグル翻訳を参考に上演台本を書いたとある。そしてタイトルにある「幽霊」、それは現代に生きる我々にとって何なのか、どのような影響を与えているのかを意識したとある。

    1881年、イプセンによって書かれた戯曲が 現代日本によみがえり 何を伝えようとしているのか。観客それぞれ思い抱くことは違うであろうが、少なくとも因習や慣習に囚われた閉塞感、不自由さはしっかり描かれていた と思う。また人間が抱いている思い、その願望が封じ込められた時、大きな反動が狂気を生む。それは 本人だけではなく、その家族をも巻き込んで…。

    旧弊的な道徳観・価値観は崩壊し、同時に正当な倫理観も失われつつある。それは自己中心的な思考と行動、そこには欺瞞や強欲が潜み それが社会に蔓延していく怖さ。公演では宗教(牧師)を以って倫理観を説き、その建前に人の希望や願望が抑制されるといった矛盾。舞台という虚構(俯瞰)の世界、しかし現実における世相・世情を見れば、今でも言われ続けていることに気づく。その意味では現代においても色褪せない、根本的な問題を孕んでいる。さらに 少しネタバレするが、近親相姦や安楽死などのセンセーショナルな出来事も描かれている。それが140年ほど前に書かれた戯曲ということに驚かされる。
    (上演時間1時間45分 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は 中央にテーブルと椅子、上手にベンチのような椅子、下手奥に机のような置台と壁に大きな鏡。上演前から男が俯いている。そして波の音や船汽笛が聞こえる。全体的に昏く重厚感が漂っている。

    舞台は 峡湾に臨むアルヴィング夫人の屋敷。彼女は愛のない結婚生活を否定しつつも、因習的な固定観念に縛られて放縦な夫から離れらずにいた。夫が亡くなり10年、彼の名を冠した孤児院の開院式の前日から物語は始まる。夫の偽りの名誉を称える記念式典を前に一人息子オルヴァルがパリから帰ってくるが、因習の幽霊がふたたび夫人の前に現れる。勿論「幽霊」は比喩であり、公演では2つを示唆しているよう。

    1つは、この地での因習や慣習といった前例踏襲といった目に見えない仕来り。かつて夫の放縦に耐えかねて牧師 マンデルスの元へ逃げたが、夫に使えるのが妻の役目と突き放された。夫は召使の女を犯し、それを目撃したアルヴィング夫人は 悪影響を心配し 7歳の息子をパリへ。そして召使が産んだ子が、今 使用人として働いているレギーネ。つまりオルヴァルとレギーネは異母兄妹、何も知らず 悪病に侵された兄は妹に好意を抱き一緒に暮らそうとするが…。もう1つの「幽霊」は 遺伝ー父の放縦は息子に受け継がれ、パリで放蕩な生活を送った。それを共同生活で多くの交友関係といった事から におわせる。放縦な夫は亡くなったが、愛息が忌まわしい「幽霊」を受け継いでいたという皮肉。

    この劇は「過去」が起点になっており、それを明らかにするだけではなく物語の回転軸になっている。「幽霊」という目に見えない因習等から逃れようと足掻くアルヴィング夫人、しかし感情はその環境から抜け出せないといった奇妙さ。フランス古典劇の「三一致」の時空の中に回顧という「過去」の目に見えない「幽霊」を見事に立ち上げた。自由を奪われた閉塞感、そんな環境下では能力を発揮出来ない という悪循環に陥る。一方では因習、建前という鎧で身を固めた自己保身、それが宗教(牧師)の言葉となる。

    照明は状況を効果的に表す。例えば孤児院が火事になる朱色、時間の経過を表す諧調、そして最後 アルヴィング夫人が愛息オルヴァルを抱きかかえ、日が昇り その陽の中で2人はシルエットといった余韻付けは見事。
    次回公演も楽しみにしております。

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