ラ・マンチャの男 公演情報 ラ・マンチャの男」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
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  • 満足度★★★★

    2012年8月19日、帝国劇場。通算上演1200回を迎えた日。

    今日の舞台自体は、アントニアの声の調子が悪くてハラハラしたり、床屋役が余計な小ネタを入れたり、今ひとつだったように思うが、やはり終盤はぐっとくる。

    特別カーテンコールで脚本のデイル・ワッサーマンの未亡人から、夫の「これを一番ふさわしい人に渡せ」という遺言に従い、本国でトニー賞を受賞した際のトロフィーが渡され、涙をこらえながら挨拶する幸四郎さんにもうるっときた。

    ただ、最後に皆さんも一緒にと「見果てぬ夢」が歌われたけど、エンディングのサビなしでやたら転調するアレンジの方というのは、無理があったのでは?これで終わるのはちょっとなあと思ったら、最後に原語での独唱で締めてくれてホッとした。

  • 満足度★★★★★

    言葉にできない
    本当に素晴らしかったから、言葉にできないです。
    ただただ『ラ・マンチャの男』に出会えたことに感謝。

    夢は稔り難く敵は数多なりとも、私はその見果てぬ夢を追い続けます。
    勇気を、力を、ありがとうございました。

  • 満足度★★★★★

    千秋楽!劇場全体が一体となった最高の公演でした!!
    「素晴らしかった!」の一語に尽きます。

    3年ぶりの再演、もう前回初めて観てから3年お経ちました。
    幸四郎さんの熱演は、ポイントになる部分だけでなく、
    ちょっとしたユーモラスな部分も的確で、わかりやすく。
    松たか子さんの体当たりの演技、声量も、歌声もいい。
    駒田さんもサンチョそのまま、仕える喜びが伝わります。
    牢名主役、上條恒彦さんは、宿屋の主人同様に温かい。
    (前回観劇時にはご病気で、瑳川哲朗さんでした)

    この日は千秋楽!
    終盤、名セリフでは拍手が起きて、エンディングに向けて、
    舞台上の役者と観客、劇場全体が一体となって、自然と拍手が起き、
    劇場内の空気が沸き上がってくるのがわかります。

    カーテンコールでは、再び全員による合唱と、
    幸四郎さんによる英語歌詞の「見果てぬ夢」が歌われて、
    最高の公演でした。

    こんなに劇場が一体になって盛り上がったのは、
    人生で(おおげさですが)初めてのことでした。

  • 満足度★★★

    たまたま1200回記念と松本幸四郎の誕生日
    お芝居より、1200回を迎えた幸四郎の涙ながらの挨拶が良かったです。
    松たか子、染五郎とか家族勢揃いで、小泉元首相も来てました。

    芝居は~、幸四郎さん、いつも棒読みで、単語の途中で息継ぎが入ってしまうので、あれは誰か注意しないのだろうかと思ってしまいました。
    歌はうまいと思います。
    松たか子はあばずれの役で、お父さんの前でよく胸の谷間見せてあんな演技できるなあ、という妙な関心をひきます。

    切なくていい話なのですが、台本に問題ありかも。
    裁判のシーンと、ドンキホーテの冒険とが入れ代わり立ち代わり場面展開するので、入り込みにくいです。
    TVとかにありがちな回想シーンが繰り返し挿入される構成です。

    これは幸四郎親子を見る事に価値がある感じ。
    休憩はなしです。

  • 満足度★★★★★

    退屈の先
    役者の表情がオペラグラス使わず見える、ゼイタクな席で観劇っっ!!でも予備知識全く無しで観劇したので、前半1時間は退屈で。この退屈さはとても重要だと思いました。そしてこの退屈さが反転したときに、作品の主題がありありと浮かび上がるなと思いました。松本幸四郎と松たか子の共演は本当に豪華で、それだけでも大満足です。

    ネタバレBOX

    劇中「最も憎むことはありのままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ」という台詞が出てくるが、これが主題かな、という実感を持ちました。

    観客が主観的に見ると、寂れたハタゴ(宿)に集まった、食い詰めた男女はどう見てもみすぼらしい姿。それを劇中のドンキホーテは、素晴らしい城と、紳士淑女だと言い、ハタゴで働く女アルドンサを姫だといい続ける。この一貫したギャップに観客は笑うし、戸惑う。何しろずーーーっと、言い続けるのでドンキホーテは本当に頭がおかしいのかなと思う。退屈だ。でも、徐々に世界が反転していく。ドンキホーテの周囲の人達が戦ってないだけで、この世界は見方を変えると素晴らしく映るのかもしれない、と。アルドンサの置かれた境遇や社会的な立場は悲惨だ。そして彼女自身「最大の罪は生まれてきたことだ」と言い放つほど、自己肯定感を損なっている。暴行を受けて、ボロボロの彼女が「私の本当の姿を見て」と迫っても、ドンキホーテは「姫」と言い続ける。誰にも承認されてこなったアルドンサはそこで世界を反転したのではないか。

    その世界の反転は、「21世紀の日本で3次元ではうだつが挙がらない(非正規雇用で異性にモテず自分に自信を持てない)が2次元の世界(ネトゲとか)では神なんだ」みたいな現実逃避ではないと思う。そうではなく、自分の置かれた境遇や立場と、自分自身の尊厳は独立した別々のもので、アルドンサは世界と自分を肯定的に捉えなおしたんだと思う。人間はどんなに過酷な環境や境遇でもそこに希望を見出して生きれば、幸福を追求し続けられる。でもその戦いは、あまりに孤独で、あまりに過酷だ。サンチョも劇中に「ゾウがネズミをかじっても、ネズミがゾウをかじっても、どちらも痛いのはネズミだ。」みたいな台詞があったが、大きなものと闘う個人は勝ち目がない。それでもそんな戦いをし続けるドンキホーテは、何だかとても神々しく見えるのだ。そして観劇していて物語の序盤にドンキホーテに感じていた退屈さは、そのまま自分の生き方へと跳ね返ってきて、自分の人生の退屈さを思い知らされる。ありのままの人生に折り合いとつけてるなぁ、と。

    いつの時代もこの世界は不平等で不完全なものだという指摘は正しいかもしれないが、指摘したあなたはその事実をどう変えるのか?ドンキホーテは、その問いにドンキホーテは1つの答えを示しているなと思う。

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