食べる。 公演情報 食べる。」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.2
1-7件 / 7件中
  • ありがとうございました
    人生二回目の舞台をみて,
    ちょっとストーリーが思いとおもいました。
    人間模様は難しとおもいました。

  • 満足度★★★

    う~ん
    もっとドロドロとした猟奇的なエロい話かと思っていましたが、意外にシンプルでちょっと中途半端な感じ。この設定ではいかにもありがちなストーリーだし、もうひとひねりして欲しい。正直しんどさがあまり伝わってこない。でも結構楽しめましたし、次回作期待します。ところでカルト教団にしては目標がえらくドメスティック。せかいせーふくくらいいって欲しい(笑)。

  • 満足度★★★

    問題提起?
    欲望、理性、願望、本能、考えてしまいました。
    OL役のかたが熱演されてましたが、もうひとつ「艶」を出せたらよかったです。

  • 29日マチネと31日ソワレを観劇
    最初に観たときには判りづらかったけど、千秋楽を観劇して、作者の見せたかった”画のイメージ”は感じとる事が出来た。

    とはいえ、まずショッキングな事象(カリバニズム、新興宗教など)ありきで、テーマやストーリー、登場人物などが後付けになってしまっている感は否めない。
    ストーリー自体も伏線があまり張られておらず、単調(シンプル)な印象を受けてしまう。

    4D(3D+嗅覚?)という試みなど、作り手の”見せる”ことに対するこだわりは非常に感じられるし、とても良いと思う。

    それだけに次回は観客を納得させるだけの”テーマ”と”脚本”で勝負してほしい。

  • 満足度★★

    青年の主張?
    僕たちは本当に困ったら何を頼りにしたら良いのか。テーマは普遍的だし答えの出ないテーマなのだが、終わり方が未消化で気持ち悪い。作り手の方では完結しているのなら説明が足りないし、見たままならば何の救いも無い。物語だとしても、それを見ている観客には自身の生きる現実がある。「ほらあなたの生きる、人間って、現実ってこんなに残酷でしょう。」って迫るだけの物語は、もう時代遅れだと思う。

    ネタバレBOX

    家族も友達も国も頼りにならないならば、神に頼るしかないのか。でも日本は神様だって資本主義の影響からは逃れられず欲深い。「自己肯定して自分の欲求に素直になれ」と諭す教祖と、その教えを乞う信者の話。満たされない思いを募らせた信者は教えに従い暴食やセックスといった短絡的な欲求解消に走り、事後自己嫌悪する。隠しているが教祖は自分の子供を殺し食べたいという欲求を押さえられない。食べる事で自分の大事な子供を、体内で吸収して自分自身と同一化したいと思っている。そして、信者の中には教えに従い欲求を解放すれば、自分と同じ考えの人間が現れると信じ、理性を失う薬を飲ませながら信者に迫り続ける。やがて信者の一人が死ぬが、盲目的な残りの信者達は見て見ぬふりで世界から目を閉ざす。

    こんなご時世だから、不安や閉塞感を煽るのは簡単だ。そして不安を忘れるために短絡的に自堕落な、楽な方へ逃げるのはとても人間らしい。でもその先が見たいと思ってしまう。客観的に見ると物語に出てくる人物の欲望は短絡的で、絶望も軽い。でも、幸せは自分自身のもので相対化なんて出来ない。登場人物達は絶対的な幸せを求めて絶望して諦める。停滞は決してわるいことじゃない。でも、このラストでは登場人物自体は盲目的な幸せを得ても観客は救われない。カルト宗教へ倒錯せざるを得ず積極的停滞するのならば説明が足りないし、見たままならば何の救いも無い。観客は現実を生きている。同時代を生きる人達に現実以外の何かを提示しなければ、伝えたい何かがないのなら、演劇である必要はないと思う。その先が見たい。そして個人的な心情としては、ベタかもしれないが宗教を乗り越えて自立する、物語としての救いが見たかった。
  • 劇団初見!
    開場して席に着くなり、何かを焼く(炒める)音と共に匂いが充満してくる。ソワレ観劇だったのでお腹にきたこれが4Dって事か。匂いの元がちょっと恐いことになるとはこの時点では解らない。食材の欲に駆られた人の集団の方が観易かったかも。心寂しい人、心の隙間を埋めたいと泣かれても今一伝わらない感じ。


    ネタバレBOX

    教祖が弱いかなあ。
    人間牧場で食材調達のセックスだったらあの匂いは吐き気をもよおすかも。
  • 満足度

    食べる??
    今回、フライヤーがとても魅力的で、「食べる。」というそのテーマをどこまで追求できているのか楽しみだったのですが、結果的には、演劇として成り立っていないレベルに終始してしまったのが残念です。

    まず、「食べる。」という所に焦点を当てたのなら、食べるということの範囲内で話しを展開すべきだったのに、食べるということがいつの間にか本能というテーマに置き換わり、セックスやらなんやらに焦点が散らばってしまって、結局、観客からしたら目の前の人たちは何をしたいのだか全くわからない状態になっていた。

    次に、脚本が演劇の基本ルールを成していなかった。
    例えば、登場人物のサラリーマンが常に寂しさを強く感じながら生きていて、でもその人に舞台上で「さびしい」というセリフを言わせたら、もうそれで終わってしまう。
    唐十郎の戯曲並みに特別な構成ができていない限り、遠いイメージから入り徐々に中心的な想いへと近づいていくという方法をとらないと、観ている方としては嘘くささしか感じない。

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