食べる。 公演情報 たこ足配線企画「食べる。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    青年の主張?
    僕たちは本当に困ったら何を頼りにしたら良いのか。テーマは普遍的だし答えの出ないテーマなのだが、終わり方が未消化で気持ち悪い。作り手の方では完結しているのなら説明が足りないし、見たままならば何の救いも無い。物語だとしても、それを見ている観客には自身の生きる現実がある。「ほらあなたの生きる、人間って、現実ってこんなに残酷でしょう。」って迫るだけの物語は、もう時代遅れだと思う。

    ネタバレBOX

    家族も友達も国も頼りにならないならば、神に頼るしかないのか。でも日本は神様だって資本主義の影響からは逃れられず欲深い。「自己肯定して自分の欲求に素直になれ」と諭す教祖と、その教えを乞う信者の話。満たされない思いを募らせた信者は教えに従い暴食やセックスといった短絡的な欲求解消に走り、事後自己嫌悪する。隠しているが教祖は自分の子供を殺し食べたいという欲求を押さえられない。食べる事で自分の大事な子供を、体内で吸収して自分自身と同一化したいと思っている。そして、信者の中には教えに従い欲求を解放すれば、自分と同じ考えの人間が現れると信じ、理性を失う薬を飲ませながら信者に迫り続ける。やがて信者の一人が死ぬが、盲目的な残りの信者達は見て見ぬふりで世界から目を閉ざす。

    こんなご時世だから、不安や閉塞感を煽るのは簡単だ。そして不安を忘れるために短絡的に自堕落な、楽な方へ逃げるのはとても人間らしい。でもその先が見たいと思ってしまう。客観的に見ると物語に出てくる人物の欲望は短絡的で、絶望も軽い。でも、幸せは自分自身のもので相対化なんて出来ない。登場人物達は絶対的な幸せを求めて絶望して諦める。停滞は決してわるいことじゃない。でも、このラストでは登場人物自体は盲目的な幸せを得ても観客は救われない。カルト宗教へ倒錯せざるを得ず積極的停滞するのならば説明が足りないし、見たままならば何の救いも無い。観客は現実を生きている。同時代を生きる人達に現実以外の何かを提示しなければ、伝えたい何かがないのなら、演劇である必要はないと思う。その先が見たい。そして個人的な心情としては、ベタかもしれないが宗教を乗り越えて自立する、物語としての救いが見たかった。

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    2011/10/31 01:08

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