満足度★★★
わかったフリをしたいけれど
残念ながら…わかったフリができず。敗北。
光子って不思議なモノだということはわかった。
いやいやムリ、、ですね、理解不能。
自分がおもいっきり理系じゃないコトを再確認。
でもでも不思議と、、
良くわからないけれどおもしろい部分もあった。
アフタートークで研究者の方の話を聞いていたら、
ちょっとだけどいろいろ知りたくはなった。
満足度★★★★★
難解な舞台
難解な舞台といっても前衛劇のような難しさではなく純粋に量子力学というものの難しさである。しかしこれはすごい舞台になるかもしれない。なにしろ原作が朝永振一郎博士。いったい何十年前の戯曲なのだろうか。それをそのまま40分で上演するのではなく、現代の物理学者と現代の劇作家がタッグを組んで、観た者がそれなりに理解できる「新・光子の裁判」を上演してほしいものだ。希望を言えば、ぜひタイトルどおりの裁判劇で。
観測に近い。役者も素材。
戯曲構造がどうとかではなくワンアイデアを演出で見せていくやり方。それだけに追える何かが欲しかった。冒頭の客席の緊張感は「何が起きているか分からないからちゃんと観なきゃ」が根源で、それは流石に何処かで尽きてしまう。それが尽きる前に劇中の何かがどうにかなる事を期待させるほうに目を向けさせる必要があった。つまりは変化。関係性とか感情とか状況とか。それがこの演目の場合、
以上、プレビューでの感想なのでそれ以降どうなったか。
満足度★★★★
みつこ
数学の論題を解くような揺るぎなく明快な検証と実験。観客が疑問を抱くタイミングで舞台でも疑問としてフィードバックされ、スタイルで進めずに着実な速度で進行されるのがよかった。量子力学の池上解説といった趣で、よい授業を受けた気分。
量子力学はどうも「解釈」を通して理解しないとやってけないものらしく、その解釈を巡って色々るようだが、この芝居はその中でも確率解釈寄りになってるらしい。元々知っていた形がおそらくパラレルワールド的な解釈だったので、ちょっと混乱。
あと青年団系の自己同一性が保たれない演出が量子力学の理論と矛盾なく成立すると実証されたのは自分にとってかなり大きな収穫だったかも。
満足度★★★
科学的不条理劇
科学と社会や倫理の関係を描いた作品はたまにありますが、学術的な内容そのものを扱った作品は珍しいと思います。想像していたよりも、ちゃんと演劇作品になっていました。
粒子であり波でもあるという特徴を持つ光子を擬人化し、不条理劇的な話になっていました。
登場する5人の役者一応役があるのですが、完全には固定されておらず、1人の役の台詞が少しいびつなイントネーションを伴って次々に受け渡されながら、または同時に語られ、不確定性とリンクしたような表現になっていました。
ポストパフォーマンストークの島田先生の話も興味深く、普段使わない頭の部分が刺激されて、楽しかったです。
床に固定された箱が35個だったのは、「光子→みつこ→35」の言葉遊びだったのでしょうか?
満足度★
観ることが育てること
なんつー青年団特有のキャッチフレーズを見ると「ごもっとも!」なんつって観劇者もそれなりに寛大に幼子をあやすみたいな心持になるわけだけれど・・。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★★
量子力学祭りは、不条理祭り(わかんないことだらけで笑っちゃう)
不思議な感じ。
「光子とはなんぞや」ということを、光子を擬人化して裁判スタイルで説こうとした舞台。
で、観劇後「光子とはなんぞや」と問われれば「よくわからん」と答えるのが、どうやら正しいようだ。
にしても、「量子力学演劇」というタイトルは、面白すぎる。
満足度★★★
難しい・・・
量子力学を分かりやすく書いた原作を舞台化した、という作品。
興味深々で鑑劇しました。
物理の世界をなんとか描こうと、試行錯誤している作品だけど、終演後のアフタートークで専門家の先生に質問されると演出家は言葉を詰まらせてしまう辺り、この作品を舞台化するにはまだまだ勉強の余地があるのかもしれません。
というか、専門に勉強している学生でも答えられなさそうな意地の悪い質問をしていたのも確かですけど・・・。
学者さんが語りだすと段々禅問答的になってしまうのが面白かったです。
役者さんのレベルも高くて、他の作品も見たくなりました。
満足度★★★
講義のような
前半はまあ演劇風、後半は講義風。ストーリー性としては物足りないが、原作によるところが大きい。その上で、現実なのに不可思議感があるという、ほかの作品ではあまり味わえない感覚が残るところが面白い。