満足度★★
肌に合わない
この作品に関してはキャストは4人まで。そんな思い込みをずっと前から持っていたものだから、こうも多い登場人物に面食らう。
でもって、たどたどしい日本語をしゃべり、はちゅおんもちっと違うんじゃね?なんつって聞き取り難い外人のセリフに閉口してしまったのだった。
以下はネタばれBOXにて。。
満足度★★★
もともと
DCPOPでこの戯曲は知ったんですが
観れなかったので
今回楽しみにしてました。
なんというか、圧倒的な不快感と衝撃で目が離せないというか
すごかった。
でも長かった、、、
満足度★★★★★
心風景を伝えるイマジネーション
イメージを作り上げ伝えるための
作り手の手練に呑みこまれてしまいました。
観る側の感じる心が悲鳴をあげるほどの
表現の強さがあったかと思うと、
包容力と粘度のある表現がやってくる。
痛みを伴う作品ですが・・・・・・、美しかったです。
満足度★★★
サラ・ケイン
イメージ・感覚的に研ぎ澄まされている。28才の若き劇作家。その死がセンセーショナルなだけにそちらにどうしても寄ってしまうのか。作家がほんとに求めていたのは果たして・・・よく考えてみる。
満足度★★★★
内なる狂気へようこそ
良い意味で、演劇作品に名を借りた美術作品ではないかと思う。サラ・ケインの原作は前にいちど、川村毅の演出で見たことがある。あちらは映像で東京の街並みを映し出したりして、それなりに凝った演出が面白かった。それとの比較でいうと、飴屋作品の場合は字幕のほかには映像を使っていないというのが一つの特徴かもしれない。映像を使うとそれだけでけっこうスタイリッシュな感じがするものだが、この作品では映像を使っていないので、美術面ではなんとなく手作りな感じがするのがいい。遊園地のお化け屋敷を体験するような感覚で、観客は眼前に展開する鬱病患者の狂気を目の当たりにする。
脚本は鬱病の末に自殺した劇作家の遺作。会話劇といえるものではなく、作者の独白に近い内容で、普通に演じたらたぶん退屈なものになるだろう。そのぶん演出家が腕を振るう余地のあるテキストなのかもしれない。
昔、二十歳で自殺した女子大生の日記がベストセラーになったことがある。サラ・ケインの場合もそうだけど、作者が自殺したということが作品の付加価値になっていて、もし作者が健在ならそれほど特別視される内容ではないのではないか、という気がしないでもない。
変な例えで申し訳ないが、この作品の作者がサラ・ケインではなく、もしも三谷幸喜とクレジットされていたら、観客はただもう、なんてひどい作品だろうと思うのではないだろうか?
そういったことはさておいて、美術と演出は一見の価値あり。
満足度★★★★★
頭蓋骨と自我の中の、孤独の、固まり。
「驚いた」と言うべきか「震えた」と言うべきか。
言葉が可視化され、舞台のような場所の中に、緻密に組み上げられていた。
音楽のような調べが聞こえる。
言葉が刺さる。
言葉が、礫のように飛んで来る。それはまるで、錆びていたりして切れ味の悪い、とてもイヤな刃先のようなヤツで、それなのに身体に刺さる。
客席にいるので、耳も目も閉じることができないので、刺さる。痛い。
演劇って凄いなと素直に思う。2時間10分は長く感じなかった。
どうなのかな。
もの凄い鳥肌の瞬間とまったり飽きが来る時間との落差が激しい作品でした。衝撃だけでは2時間以上もたないってことなのかな。でもそれを超えての衝撃もあるんだけど。
自分を鎮めたいってのと、もういい、っておなかいっぱいなのと。
満足度★★★★★
うーん!
面白いかどうかは別にしてキました。予想以上にすごい。
谷賢一さん演出作品とあまり間をおかずに見られてよかった。
迷っているなら見た方がいいです。