舞台芸術まつり!2023春

ダダ・センプチータ

ダダ・センプチータ(東京都)

作品タイトル「半魚人たちの戯れ

平均合計点:00.0
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

 新曲が作れなくなったあるバンドの存続と、未来が約束されなくなった世界の存続が並行し、時に一体化して進む物語。その行方は終わりか始まりか。はたまた終わりの始まりか。

ネタバレBOX

 終末を想起させるような黒一色の舞台美術の中、バンドの話でもあるにも関わらず目立った音楽的効果や大仰な演出も使わないことを選んだ意欲作。ほぼほぼ俳優の身体のみに託される言葉と物語は、おそらく意図的にとっ散らかり、その裾と裾が重なることはあっても、わかりやすい結合を果たさぬまま一人一人が「断片」のまま最後まで行く。

 そのあまりの潔い世界の手放し方や異世界然とした世界観に最初は困惑してしまい、「このままいってしまうのか」と不安を覚えたけれど、舞台上で描かれるディストピア的風景がその実予見的なまなざしに溢れていることが示されてきたあたりから、突如現実味が増してくる不思議な魅力のある作品でした。どこのいつの話かわからないものが、いつかくるかもしれない話に成り代わるまで。そんな示唆的な導線がシームレスにも着実に敷かれていたことに後々振り返って気付かされました。霊魂や夢という不確かなものが、災害や人災という確かな災いを呼び込んでいくような物語の構造には、作家の「全ての事象は何かへのサジェスチョンなのではないか」「見えぬものこそ見なくてはならない」という魂が忍ばされていたような気がします。

 ディストピアを描く一方でバンドやその周囲の人間模様には、表現者特有の売れる/売れないという葛藤や、他者の才能への嫉妬や焦燥、芸術と商業における価値の違い、メンバー間の恋愛などの現実的な心の揺れも要所要所で描かれていたのですが、終末とそれらを掛け合わせることが興味深かった分、その混ざり合いや昇華をもう少し見たかったという心残りもありました。

 とりわけ「バンドの亡きメンバーであり、自分よりも才能ある恋人が作った歌『半魚人たちの戯れ』が死後にバズる」という一つの結末からは、そこから描き出される物語の面白みや深みがまだある気がして、また作家である吉田有希さんご自身が芸術や表現を題材にオリジナルの物語を紡ぐ腕を持っているのではないかという期待もあって、もう一歩先の世界を見てみたかったという体感が残りました。

 陸で生きられなくなった人間が海で生きられるわけが到底ないように、音楽をやめた人間が音楽家であれるはずもない。終末に向かって何かを少しずつ失って、かつての形状をとどめていられなくなることが「半魚人」を指していたのか。それとも、どちらでも生きていけるように、むしろ自らすすんでかつての形状を放棄していくことが「半魚人」を指していたのか。いずれにしてもそれが「戯れ」=「本気ではない遊び」であることに、本作は世界に対する皮肉を忍ばせていたのではないかと想像しました。

 カンパニー全体の取り組みにおいては、制作面の配慮が素晴らしく、核兵器や災害の描写があることを事前のSNSや当日アナウンスでも言及していたほか、上演時間、残席数、当日券状況、出演俳優陣の紹介などが繰り返しこまめに発信されていて、欲しい情報にリーチしやすい環境がとても助かりました。観客が劇場に足を運びやすくなるような配慮だけでなく、創作に参加する俳優への敬意も感じました。そのことは舞台芸術全般において今とても必要なことだと感じます。

關智子

満足度

 実は当該団体のコンセプトを読み、「不条理の笑い」という言葉に惹かれて期待していたのだが、非常に残念ながらあまり笑えなかったというのが正直な感想である。

ネタバレBOX

 災害や死というテーマが作品の転換点に据えられているせいもあるだろう。類似のテーマで突き抜けた不条理的笑いを提供できている作品が(当該団体自身がその名を挙げている別役実を筆頭に)演劇史上に既に存在しているため、新たなアプローチが期待されたが、残念ながら斬新さも馴染み深さもなく、驚きと共感において中途半端になってしまっていたと言わざるを得ない。テーマと手法に対してやや雑な印象を持ってしまった。

 また、俳優の演技にばらつきがあることも気になった。演技の質に統一感がなく、しかもそのばらつきに何か意味があるわけではなさそうなので、せめて声の大きさなど基本的な点においてはもう少し揃えられた方が良かったのではないだろうか。

 脱力感の伴うやり取りや、詩情に躊躇いを感じる台詞などは特徴的であり、確かに笑いどころと思われる部分は散見されたが、今ひとつ笑うことができなかったのが悔しかった。

園田喬し

満足度★★

 直感的に浮かんだのは「かけ蕎麦みたいな上演」という感想でした。戯曲(物語や詩など)×俳優というシンプルな要素で構築する作品世界。セットらしいセットもなく、ほぼ素舞台と言えるでしょう。ある意味で「気」の魅力が求められるため、潔い方法を選択したと思います。言葉にウエイトを置く一作と言えますが、ストーリー性より、言葉の響き方や詩のような機能性を重視した作風なのかも。シーンひとつひとつは輝くものの、全編を通してややまとまりのない印象が残りました。ただ、どこか沸点の低い会話を基調とした現代口語劇は、若い団体の世代感覚を反映している気がして、妙に心に残りました。

深沢祐一

満足度★★★

 倫理的な問いかけを放つ近未来の群像劇

 青年期を終え壮年期に移行する人生のひととき、10人の男女がそれぞれの人生に落とし前をつけようともがく人間模様のなかから、近未来の国家統治や科学技術の有り様が浮かび上がる異色の群像劇である。

ネタバレBOX

 バンド「シャムフィッシュ」ボーカルでソングライティングを担う瑠璃(サトモリサトル)は、ベースのかえで(山岡よしき)とともに新しいドラム担当の候補である近藤(大村早紀)とセッションしたものの浮かない顔をしている。前ドラマーであり瑠璃の彼女だったちさ(横室彩紀)を自殺で失ってからというもの、彼はスランプ状態にあった。音楽活動に反対している母とは距離ができてしまい、姉の裕子(梁瀬えみ)に世話を任せきりにしている。物語は瑠璃の家族や音楽活動、バイト先の人間関係などの小景を積み重ねながら展開していく。

 瑠璃の学生時代の音楽仲間のアヤネ(増山紗弓)は、同じく瑠璃の音楽仲間であった平井(小林和葉)が働くレコード会社に所属してヒットを放ち、瑠璃に羨ましがられている。しかし自作と称した作品の多くはすべてゴーストライターが書いたものであるため、彼女は常にやりきれない思いを抱えていた。アヤネは平井にレコード会社を辞めたいと申し出るが、平井は「そうするとお前を潰す。うちの会社はそれができるだけの力がある」と笑わない目で静かに恫喝する。

 瑠璃のバイト先では舞(安齋彩音)が社員の色森(宇都有里紗)の後押しを受け、同棲中の柳楽(志賀耕太郎)にプロポーズする。しかし小説家志望の柳楽は待ってほしいと願い出る。舞は柳楽の小説がディストピアを描き現実に起こってしまっていることを怖がっているため、自分に隠れて小説を書いていた柳楽を咎めるのだが、柳楽は飄々として意に介さない。

 ある日瑠璃の前だけに成仏できないちさの幽霊が現れてからというもの、彼の周囲では不可思議な現象が起こりはじめる。ちさが遺した詞「半魚人たちの戯れ」に曲をつけバンドで演奏した動画はバズり、平井から誘いの声がかかった。ちさは柳楽について瑠璃に「彼は本物だよ」と微笑む。バイト先で旅行の計画をしていた際「海はやめたほうがいい」と瑠璃に忠告したちさの予言どおり、山を選んだ瑠璃と舞、色森の3名と、海を選び旅行に参加しなかった舞の彼氏の柳楽とでは運命が分かれてしまう。

 上述を大枠として、物語はシンプルな漆黒の舞台美術を背景に登場人物たちが対話を重ねつつ、時折なにかに取り憑かれたようにして皆で「ボトンベルトのおかげ」「ムーンショット目標」などと謎めいた文言を群読する場面を挟み進行していく。この場面になると出番のない俳優たちも現れる。それがまるでギリシャ悲劇のコロスのようにも、能の地謡のようにも見えてくる。こうした近未来の不穏な空気感を説明的なセリフを使わずに舞台上にあげようとした作・演出の吉田有希の企みが面白い。

 しかしながら、登場人物たちの芝居が細切れになって進行していくことや、一度にあまりにたくさんの情報が入ってくるため、物語の世界観に馴染むのに時間がかかり芝居を堪能するまでには至らなかった。私が観たのが初日ゆえか俳優たちの芝居がかたく、バイト先でのわんこそばの話題をめぐる瑠璃と舞のノリツッコミや、皆で色森の子供の名前を考えるうちどんどん荒唐無稽なものになってしまうくだりなど、本来であれば会場を湧かせる場面が上滑りしていて残念だった。

 後半になると平井が働くレコード会社が国家権力に近いことや、大やけどを負った柳楽の治療に使われたロボット技術、流産した色森が子宮に残った赤ん坊の細胞を再生させる「受肉サービス」、亡くなった瑠璃と裕子の母親の意識を残す「メタバース」などといった科学技術の設定を通し、全体主義的で軍事的な統治体制にあり、高度に科学技術が発展した日本の姿がむっくりと頭をもたげる。観劇後に「ムーンショット目標」が、実際に内閣府が標榜している科学技術を用いた大胆な課題解決の指針であると知り驚きを覚えた。倫理的な問いかけを通しカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のような問題提起を狙ったのかもしれないが、こうした設定が音楽仲間の嫉妬と羨望、婚期をめぐる男女の葛藤、成仏できない幽霊などというような話題と有機的に噛み合っているとは思えなかった。試みとしては興味深いので、登場人物や設定を絞ったうえで劇化したほうがよかったように思う。

松岡大貴

満足度★★

 バンドと、少し先の未来を想定した群像劇

ネタバレBOX

 ある売れないバンドのボーカルとそのメンバー、そのボーカルの売れた音楽仲間、そのボーカルのバイト仲間、そのボーカルの死んだ彼女、といった人々の群像劇。死んだ彼女が遺した詩が「半魚人たちの戯れ」であり、ボーカルはそれに曲をつけて成功の兆しを見せる。

 舞台は素舞台で、地明かりの照明もそれほど作り込まれてはおらずさながら王子小劇場そのものであった。音楽が重要なモチーフとなるため音響も意識していたが工夫は見られず、スタッフワークに少々疑問が残った。

 脚本は近未来を思わせる用語が含まれている一方場面は断続的で、焦点を絞るのが難しかった。

 とはいえ自分が見たのは初日であり、展開がスムーズになれば、例えばセリフのやりとりの上では笑いが起き、それを手掛かりに見えてくる部分もあったのでは無いかとも思う。作中言及のあった再生医療や「ムーンショット目標」は現実に存在、あるいは存在しうる物だけに描き方によってはより切実に「死」の曖昧さを描けたのでは無いかとも思う。これから間違いなく「生」と「死」は揺らいでいくのだから。

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