舞台芸術まつり!2023春

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク
平均合計点:19.4
丘田ミイ子
關智子
園田喬し
深沢祐一
松岡大貴

丘田ミイ子

満足度★★★

 物語と言葉、言葉と演劇、演劇と空間、空間と観客……舞台芸術というパフォーマンスにおける関係性/コミュニケーションというものに着目し、「既存」や「従来」への疑いを持ち、ここまでの分析・探究を行なっているカンパニーが他にあるだろうか。

ネタバレBOX

 芸術や表現以前の「行為」としての演劇をあらゆる観点から解体・縫合し、そこに生じる関係性を剥き身の状態まで露呈させる。そんな試みを創作として行っている小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクが「コロナ禍の時代の上演」を前提として2020年に立ち上げた『本人たち』プロジェクト。その待望の上演が本作『本人たち』です。  正直なところ、それらの全く新しく、高度で、複雑な取り組みの様子を見るにつけては「果たして私の理解力は追いつけるだろうか」「観る側にも相当な素養が必要なのではないか」といったある種の緊張があり、実際に観終えた今もカンパニーが提示したものや手渡そうとしていたことをどれだけ自分が受け取れたかは分かりません。しかしながら劇場を出た後もいついつまでも理解を探ってしまうようなこの体感こそが本作において結ばれた私と作品との関係性だったのかもしれないとも感じています。そして、そんな観客の行為もまた「観劇」というよりは「観測」に近い趣があり、俳優の身体や声を通して、自分と彼や彼女との関係性とは果たしてなんぞやということを握らされたような気がしています。

 物語も言葉も演劇も空間も観客も当然のようにそこに在り、当然のように繋がれていくものだというような、ある種の前提の上で多くの演劇が公演を行なっているけれど、それらを諸共覆すような手つきで進められた『本人たち』というパフォーマンスを通して、私はともすれば当然とされるものに追従していただけだったのではないか、そこにどんな関係性が在ったのだろうか、もう一歩その関係性を見つめることができていたならばこれまで観た他の演劇からも別の何かを受け取っていたかもしれない、という体感を手にした心持ちもありました。そして、そのことによって、スペースノットブランクが分析・探求しているのは「ディスコミュニケーション」を含む関係性/コミュニケーションであるということに遅ればせながら気付きました。

 第一部「共有するビヘイビア」(出演:古賀友樹 メタ出演:鈴鹿通儀)、第二部「また会いましょう」(出演:渚まな美、西井裕美 メタ出演:近藤千紘)の二部からなる『本人たち』でしたが、第一部では前説と開演がシームレスに接着しており、俳優という存在をよりフラットに観測することが叶ったのではないかと思っています。なにしろ観客からの視聴率100%を背負った俳優・古賀友樹さんの舞台での居方や身体性が素晴らしく、その技を堪能するといった点でも豊かな体験でした。

 一方で、二部で舞台上の俳優が二人になった途端に観測がより複雑になり、理解は難しくなり、その反応や関係に興味深さを感じるとともに、やはり体感の言語化に辿りはつけず、もう少し理解したかったという心残りもありました。もう少し踏み込んで言うと、行なっていることがかなり高度であるが故に、自分の理解が追いついてないのか、差し出されているものに不足があるのかが分からなくなってしまうところもありました。おそらくは前者だと思いつつ、この点においては繰り返しスペースノットブランクの公演に足を運ぶことで理解が追いつき、少しのタイムラグの後新たに得る実感があるのかもしれないという期待もあります。

 実験的な試みに溢れるスペースノットブランクですが、そのトライは公演前後にも其処彼処で観測することができました。「本人たちを見た本人たちによる本人たちのレビュー」と銘打ち、肩書き問わず書き手を公募していたこと、そして上演後に合計7本のレビューが公開されていたことには「公演が終わってもなお探求は続く」というカンパニーのあくなき探究心を感じるとともに、観た人にとってもまた理解や再発見の手助けになるような良企画だと感じました。今後も目を開かれる思いのする、どこもやっていない新たな試みに期待を寄せています。

關智子

満足度

 「演劇」や「上演」、およびそれらに対する観客の一般認識を覆す(あるいは少なくとも問題化する)であろうことが期待された本作だが、残念ながら独りよがりの印象が強い作品だったと言わざるを得ない。

ネタバレBOX

 本作は二部構成だったが、そのいずれもが筆者には響かなかった。というのも、ほとんど行っていることの違いがわからなかったからである。第一部「共有するビヘイビア」では俳優・古賀友樹が客席に向かって一人語りを行い、第二部「また会いましょう」では渚まな美と西井裕美がそれぞれ話しているのだが、それが会話に聞こえたり聞こえなかったりする。発話のアドレスが客席かそうでないかという違いはあるものの、どちらも観客がいなくてもあまり変わりがなさそうであるという点において演劇的な面白みを欠いていた。

 いずれも、演劇的発話の特異性を炙り出せそうな可能性は感じられた。例えば、会話になりそうでならない渚と西井のやりとりは観客の想像力を刺激し、両者が街中で出会っていたりそうでなかったりする情景を想像の中で遊ぶことはできるかもしれない。しかし、そこまでの想像意欲が掻き立てられなかった。

 演劇や俳優の存在、舞台上での発話行為、現代におけるリアリズムなどを遊戯している(と類推される)という点において本企画は挑戦的であり特異だと言える。その着想は評価に値するものの、その先の議論へ展開されないことにフラストレーションを感じる。演劇に対してメタシアトリカルあるいはパラフィクション的な試みは時折刺激的だが、その試みの本質すなわち問題の核が見えないことには始まらない。残念ながら筆者にはそれが伝わってこなかった。

園田喬し

満足度★★

 これまで過去上演を何作か観劇してきて、その飽くなき実験精神をひしひしと感じてきた団体です。「舞台芸術とは何か?」について、ストイックに解体・再構築を試みる姿(僕にはそう見えます)は傍から見ても刺激的です。今作にもその精神を感じつつ、でも同時に、観客への依存度がやや高い印象も受けました。乱暴な言い方をすれば「観客の心持ち次第」というか、観客の積極的な作品没入・作品解釈を必要とする一作だと思います。上演会場で体験した諸々を観客自身が持ち帰り、各々の解釈で時間をかけて自身の血肉とする。そういう積極性が問われる作品と言えるでしょう。第一部、第二部と分かれており、その双方に多くの「言葉」が登場します。その言葉の海を漂い、脳内で反芻する心地良さも感じました。

深沢祐一

満足度★★★

 言語の仕組みに対する意欲的な考察

 「コロナ禍の時代の上演」を前提として2020年に始動し、何度か上演されてきたプロジェクトの現時点での到達点を示す二本立て公演である。

ネタバレBOX

 第一部「共有するビヘイビア」は出演者である古賀友樹から聞き取りを行ったテキストで上演された。古賀は客席に向けひとり語りを続けるが、なにか意味のある内容を話しているというよりは、心に留まった言葉をダジャレや連想を交えてリズミカルに紡いでいく。客席に向けて「ようこそいらっしゃいました」と語りかけ、観客とじゃんけんに興じたりと終始客席に注意を向けていた。膨大なセリフをよどみなく発しながらなめらかに動いていく様子は達者であり、作・演出が課した高い要求に応えていたことは見事だったが、舞台と客席の間に見えない壁があるように感じた。むしろひとり語りの場面よりはコンピュータの音声と対話するくだりのほうがイキイキしているように見えた。終盤になると場がほぐれてくるからか、照明が点灯したままの状態で観客に目を閉じろと促す「念力暗転」のくだりは面白いと感じた。

 第二部「また会いましょう」では二人の女性(渚まな美、西井裕美)が思い思いに発話を続け舞台上を所狭しと歩き廻る。こちらもまた客席に向け話しかけたかと思えば相手に対し好きな映画について問いかけたり犬を見つけた話をしたりする。しかし対話が成立することはごく稀で噛み合いそうで噛み合わず、基本的には延々と好き勝手にひとり語りを続けているように見える。語りの切り替えはとてもスムーズで聞いていて心地が良い。まるで発話という音楽に合わせたダンス作品を観ているような心地になった。話が袋小路に行く場面がおかしみにまで至ればなお良いのにと思った。

 本公演に貫かれているのはセリフに込められたリアルな感情の再現ではなく、どこまでも醒めてシステマティックな言語の仕組みに対する考察であると私には感じられた。第一部の雑念まみれの客席への語りかけは、人間が発話するまでに交錯する感情の流れを追体験するように感じられたし、雑念が言葉になり発話したところで他者がそのまま受け止められるとは限らない、むしろ誤解されることの方が多いということを第二部で表明していたように思う。言語でしか世界を把握できない人間の哀しさを舞台で観られたのは、他では得難い体験であった。

 ただこの試みは満場の客席を湧かせる大きなうねりのようなものにまで至っていなかったように思う。加えて、第一部で自己開示をしている割に古賀が客席に対し恐れを抱いているかのような目をしていた様子であるとか、第二部で俳優が互いにマスクを外し素顔を見せたときの恥じらいなどのリアルな表現はいかにもナマっぽく、この作品の乾いた感触からは浮いているように見えた。

松岡大貴

満足度★★★

 小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクの実験室

ネタバレBOX

 『本人たち』は第一部「共有するビヘイビア」と第二部「また会いましょう」からなる連作。「共有するビヘイビア」ではただ1人の出演者-古賀友樹を観客は眺め続ける。スペースノットブランクの言う「聞き取り」の、さながら調査結果を聞いているよう。被験者-古賀友樹の本人性を元に抽出したテキストと発話、行動様式=ビヘイビアを報告しますと言われれば、そのようにも捉えられる。ただそれを語る古賀の赤らんだ顔や時たま見開く瞳がある種の物語を想起するのだが、それはそれまでの舞台観劇体験を元にした鑑賞をしようとする観客に起こるバグなのかもしれない。一方で第二部「また会いましょう」では登場人物は2人に増え、その発話内容も少し意味をもつようにも感じる。同時に2人になることで起こるある種のリズムが感覚的に心地よくなってしまう部分もあり、2人の発話が、言語なのか、音楽なのか、はたまたそれとも違う振動その他と捉えて良いのか迷う。それらが獲得するものはある種の多声性なのか、あるいはノイズなのか。実験的取り組みとその言語化を為さんとする試みの両方が試されている。

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