舞台芸術まつり!2022春

理性的な変人たち

理性的な変人たち(東京都)

作品タイトル「オロイカソング

平均合計点:23.6
大川智史
河野桃子
鈴木理映子
關智子
深沢祐一

大川智史

満足度★★★★

 とても重いテーマを取り扱った作品ですが、演出としてはできる限りポップなタッチで、もしくは前向きに描こうという意志も感じられつつ、でもシリアスに描くべきところは外さないという姿勢が徹底されていたと思います。描かれる問題の大きさに胸が苦しくなりました。それだけ心を動かされた作品だと言えると思います。

ネタバレBOX

 性暴力に遭った女性の苦しみや、日本社会における女性の生きづらさを主題に描かれた本作は、裏を返せば男性や男性中心社会の罪が現前していたように思います。男性という性自認で日本社会に生きる者として、実際に自分自身も作中の女性たちの苦悩やこういう社会に加担しているのではないかという気持ち、申し訳なさで、鑑賞しながらもずっと苦しくなりましたが、同時にここから目を背けずに受け止めなくてはならないということも強く感じました。

 1970年代から2020年まで、時代を行き来しながら描写する戯曲の完成度は高く、男性優位社会の中で、いかに女性が社会の中で排除され不利な立場に追いやられているか、そして暴力の被害に晒されているかを描き出し、性被害に苦しむ女性の苦悩や、周囲の人々の反応も丁寧に描写されていました。

 キャスト陣もそれに応えるような熱演でした。特に双子の姉妹を演じた西岡未央さん、滝沢花野さんの2人が、20数年の関係性や想いの変化をうまく演じ分けており、おふたりのアンサンブルがとても良かったです。特に、幼少期に受けた性暴力に苦しむ姉の役を演じた西岡さんは、様々な感情や苦悩を抱えた難しい役だったと思いますが、その変化の過程をとても丁寧に演じていたように思います。

 反面、俳優たちひとりひとりの技術が高いからこそ、演出でもう少し引き算をして見せてもいいのではと感じました。広いとは言い難いアトリエ第Q藝術の空間で、かなり声を張った演技が多かったのも、ぶつかりあってしまっているように感じ、演出でもう少し調整して抑えて欲しいと思いました。

 これだけの力のあるキャストさんたちならば、もう少し広い劇場の方があっているのでは?とも思ったのですが、この作品は基本的に家の中が舞台となっています。家は本来的には親密空間ですが、時に外の世界から隔絶された、閉じ込められたように感じる空間にもなり得ます。その点で、出ハケもなくほぼ全てが剥き出しになっているアトリエ第Q藝術の空間は、親密さと逃げ道のない雰囲気が同居し得る家の中のように感じられ、その点ではこの作品にあっていると感じました。

 全体に荒削りなところもありましたが、それでもこの作品に込められた想いは十全に体現できていたように感じられ、強く心を動かされました。

 最後に、小道具として登場するコンドームを、協賛をとってメーカーから提供してもらい、観客にも無料配布するという試みはとても良かったと思います。また、オンラインコミュニティをつくって、そこでコンテンツを発信していたり、本作の関連映像作品を製作して、セット券や鑑賞者割引などもつけながら販売したりと、制作面での工夫が非常に優れていることには、私自身がひとりの制作者として見習うべきところがたくさんありました。

河野桃子

満足度★★★

 女の身体を持つ者たちによる、三世代の女たちの物語。私も女の身体を持ち女として生きる性だからなのか、私のパーソナリティなのか、女を描く物語や設定には、これまで親しんだ違和感のない手触りが多かったです。そういう意味では真新しさはなかった一方、丁寧に率直に真摯に、女が生きる世界を描こうという姿勢を感じました。

ネタバレBOX

 年齢の違う三世代ですが、それぞれシングルマザーであったり性被害を受けたりと、女の生きづらさに遭遇しています。三世代を描くのであれば、世代間による違いはもっと感じられてもよいなとは思いました。あるいはどこかの世代にもっとフォーカスを当てて、観客の視点をもうすこし強く誘導しても良い気もしました(おもに現代の孫世代に焦点があたっていましたが、もっとそこを軸に過去を振り返る趣を強くするか、また個人的には二代目のお母さんを中心に据えても芯が立つと思いました)。

 劇中で異彩を放っていたのが、戦隊モノのシーンでした。近年の女児主人公の戦隊モノ……とくに『プリキュア』の新作などは既存の価値観にクエスチョンを出す展開が多いです。「私達はこれでいいのか?」「世界はこれでいいのか?」「もっとこういう世界がいいんじゃないのか?」と問いかける戦士になって戦う──けれどもそれはまだ残念ながらフィクションである──という現代の女児主人公の戦隊モノを彷彿とさせるシーンは、まさにこの世界の女性達が置かれている現状でもありました。また、現実と戦うために、フィクションの力を借りて生き延びることにはリアリティがあると思います(そもそも近年の『プリキュア』がベースじゃなかったらすみません)。

 空間の広さに対して俳優の演技が大き目なので、客席での居方を少し迷いました。慣れてくると受け入れられましたが、もう少し狭い空間における演技体でも良い気がします。俳優それぞれの演技がしっかりと太く、芯があるからこそよけいに空間に対して強く感じたのかもしれません。この作品をこれほどの狭さで上演するという、戯曲と空間はマッチしていると思いました。

 また、提供のコンドームや特別映像など制作面と上演が関連しており、作品の厚みをうむ相乗効果をもたらしていました。オンライン裏話とのセット券もふくめ、上演以外にも興味を持ち世界が広がっていく工夫が凝らされていました。

鈴木理映子

満足度★★★★

 亡くなった姉の子を育てた祖母、シングルマザーとして奮闘する母、性暴力事件をきっかけに溝が生まれてしまった双子。女性だけの三世代の家庭を舞台に、性暴力が残し続ける傷、その深さにいかに向き合い、寄り添うかが描かれます。当事者の哀しみ痛みだけでなく、周囲の戸惑いや過ちも静かに見つめ、解きほぐしていく手つき、プロセスが印象的な作品でした。

 とりわけ、音信不通となった姉・倫子(西岡未央)と、その心を追って旅することになる妹・結子(滝沢花野)の関係は、少女期の二人のアンサンブルの良さも手伝って、直接の被害者ではない(と思っている)人間が、どのように、性暴力や差別と向き合っていくかというヒントを示しているようにも思えました。

ネタバレBOX

 会場の割には、やや声を張った芝居が多く、そのことが演じるキャラクターを「典型」に見せてしまうところはもったいなかったなと感じています。また、母、祖母の世代が何を感じ、考えていたのかはそれほど語られず、双子だけでない家族(母から娘)の肖像はやや薄いように感じました。ただ、二人のキャラクターをそれぞれが生きた時代の肖像としてとらえ、想像を膨らますことはできましたし、それもこの物語の背景には欠かせないものだったと振り返っています。

關智子

満足度★★★

 性犯罪の影響を、被害者だけではなくその周辺も含めて描いた、時宜を得た作品である。

ネタバレBOX

 #MeToo運動をはじめ、性犯罪の告発が急増する現在において、本作のテーマが重要であることは自明である。したがって、そのテーマを「いかに」描いているかが評価の際に重要な要素となる。だが、本作品は描き方としては比較的ドラマであり、オーソドックスなやり方だった。主人公をはじめとして登場人物への感情移入を促す展開、演出がしばしば見られ、性犯罪の被害者である登場人物が葛藤する様は確かに心が動かされた。しかし、思考よりも感情の方が刺激されることにより、性犯罪というテーマを消費する方向に行ってしまっていたのではないかと懸念される。

 興味深い演出は各所に散見された。例えば、人形を用いたり少女戦隊モノの演出にしたりという工夫で、被害者の抱える自責の念やそれを利用した二次加害、それらの克服方法を説明しており、いわゆる「お勉強」的にはならないよう上手く回避していた。だが、工夫止まりでありテーマと深く結びついていた訳ではない。作中で最もノリの良い、楽しかった演出が小道具に過ぎなかったのがやや残念だった。俳優は全員高い演技力が認められたものの、劇場の広さと演技の質が合っていなかったのが惜しかった。中でも梅村綾子は技術の幅広さを感じさせた。別の劇場であれば、あるいは劇場の狭さに合わせられれば、高い評価を得られたのではないかと思う。

 結果として本作は、(恐らく本来は意図していなかったことだろうが)社会に向けたメッセージを伝えるメディアとして演劇が持つ特徴について再考する機会となった。SNSを含む多くのメディアが氾濫する現代において、演劇はどのようなメディアとなり得るのか。その可能性について改めて検討する必要があるだろう。

深沢祐一

満足度★★★★

三世代の女性が男性中心社会につきつけるもの

ネタバレBOX

 「根っこから切り離されているのにしぶとく生き延びて、ゆっくり萎びていく…うちの家の匂いです。祖母にも母にも私にも、染みついている匂い」

 切り花の匂いが苦手であるという理由について斉木結子(滝沢花野)はこのように語る。植物の品質管理の仕事をしている結子は、失踪した双子の姉・倫子(西岡未央)を探し、倫子の元ルームメイトであるライター兼カメラマンのルーシー・マグナム(万里紗)の元へ来ているのだ。気がつくと二人の回りには花瓶に生けられたたくさんの花々が置かれている。祖母が生きていた頃の実家の思い出をルーシーに語る結子が、我々観客にこれまでの来し方を披露していく。

 双子の母の弥生(佐藤千夏)は貿易会社で働きながら、介護施設で働く祖母のオト(梅村綾子)と一緒に子育てをしてきた。弥生は未婚の母であり子どもたちの父親からの認知は得られていない。そして弥生の実母は早逝しているため叔母にあたるオトに女手一人で育てられたという経緯がある。女性だけで支え合ってきた斉木家だが、倫子の失踪の原因たるトラウマティックな出来事が詳らかになるにつれ、ゆっくりとほころびが生じていきーー1970年代から2000年代にかけてたくましく生きる女性たちの姿が、男性中心社会へ鋭い問いをつきつける。

 私がまず感心したのは作劇の巧みさである。母子三世代の歴史劇にはリアリティが感じられた。たとえばカレーや味噌汁にウインナーを入れる家庭の習慣が、祖母にとっての「ごちそう」、母にとっての「憧れ」に由来し、背景に母子家庭の辛さやささやかな喜びが見え隠れするという描き方が秀逸だった。結子が倫子の失踪の原因を追うというミステリ仕立ての展開と、とかくシリアス一辺倒になりがちな題材をコメディ要素を混じえながら描いている点に親しみを覚えた。終盤にかけてやや詰め込み過ぎな感はあったものの、ここまで骨太の作品を編んだ鎌田エリカの手腕に唸った。ただ一点、さぞ切り詰めているだろうと思われるわりに家計の話があまり出てこなかった点は気になった。

 戯曲に応えるかたちで生田みゆきの演出も手が込んでいる。当初は明晰な台詞と音響効果の写術性(蝉の鳴き声や蛇口をひねる音など)が目につく印象だったが、次第に軽やかな身体性や時間軸の大胆な飛躍など、演出のトーンが目まぐるしく変転していった。しかも周到に計算されている。先述したウインナーの世代間比較であるとか、テレビアニメ「サザエさん」を観ながら自分たちの家族について考えを巡らす90年代の双子姉妹と、70年代のオト・弥生母子の家族観の差異を、同時に舞台上に上げながら展開させていた場面はうまいと感じた。極めつけは中盤、倫子がインターネットで性暴力被害支援のNPOに出合い、その思想に共感して胸高ぶる様子をショー仕立てで描いた場面は忘れがたい。性暴力被害者が世間のいわれなき偏見に立ち向かう様を、黒づくめの「怪物」とキラキラしたコスチュームの「戦士たち」の対決として戯画化した点に度肝を抜かれた。

 作劇・演出が設定した高いハードルに対して俳優陣は大健闘したと言えるだろう。袖のないアトリエ第Q藝術の構造上、一杯飾りのなか2時間出ずっぱりで、時間軸が入れ替わるごとに異なる年齢を演じ分ける必要もある。にもかかわらず場面ごとの切り替えが達者でグイグイ物語の世界に引っ張られたのである。ちいさな空間のため大仰に見える動作や台詞の音量をもう少し抑えたほうがいいようにも感じたが、作品にかける強い意気込みは伝わってきた。特に倫子を演じた西岡未央は、快活を装ってはいるものの徐々に精神のバランスを崩していく様子を、表情豊かに高い身体能力で演じきって圧巻であった。七歳のときに受けた傷を結子にだけ打ち明ける様子や、初体験を終えて高ぶる感情をジャンプしながら全身で表現したくだり、真実が明るみになり感情を洗いざらいぶちまける場面など、さまざまな魅力を見せてくれた。

 終盤、オトの故郷である天草の海辺で、ようやく結子は倫子に再会する。倫子は「この場所で/私は歌う/オロイカの歌」(「オロイカ」は天草の方言で「疵物」の意)と謳い上げる。そして倫子が離れオトを亡くした弥生は、花を育てたいと結子に相談する。バラバラになった家族それぞれの再生に向けた取り組みは、映画『ショーシャンクの空に』のラストシーンのような幻の光景なのかもしれない。しかしこの詩情豊かな幕切れが目に焼き付いた。

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