各団体の採点
明転した瞬間から引きこまれた久々の作品!テーマは重苦しいのに、「欲望」「理性」「正義」のせめぎ合いという頭脳戦が楽しくて、終始ニヤニヤしながら見てしまった。まるで明確なテーマが先にあって物語で肉付けされたかのような面白さだ(そういう作風の作家なのかもしれないが)。1956年に書かれた原作だというが、西沢さんにはこういった作品をどんどん掘り起こし、現代によみがえらせてほしいと思った。物語の展開によって(視点が変わることによって)、どういう結末を迎えてほしいかという私自身の正義がコロコロ変わるのも怖かったが、この、永遠に答えの出ない感じは何だろう?と思えば、遺族感情や世論に重きを置いた今の日本の死刑制度に似ているのだ、と思い至った。クレーレは、「復讐」をキーワードに容疑者に対して声高に死刑を叫ぶ遺族のようにも見える。もちろんこの作品にはそれに「金」の要素が加わっているので、そのままとは言えないが、来年以降、同じような選択を迫られる裁判員たちが確実に生まれるのだなあ、と思うと、後味の良さ、悪さは問題ではない、これは一筋縄ではいかないぞ、と何故か覚悟を決めたり…。ずっと後まで影響を与える作品だった。そんな知的な作業をしているだけに、もう少し宣伝ビジュアルを洗練させて、演劇玄人たちを味方につけてほしいと思った。
ほぼ何もない八百屋舞台で、小道具、大道具も最小限。役者さんの身体を使って劇的なうねりを生み出して行きます。走って、叫んで、スピード感に満ちたエネルギッシュな舞台でした。情熱を持って、ストイックに演劇に立ち向かう姿勢を感じました。
ただ、初日だったのもあって、役者さんは全体的に段取りを守ることで精一杯のように見えました。どうしても許容できないミスがあり、ラストの盛り上がりを信じづらくなったのが残念。あと、選曲も少々奇抜すぎる気がしました。
1990年代に入ってから、価値観がひっくり返るような事件が沢山起こっています。何を頼りに生きていけばいいのかを、誰もがはっきりとは答えられない世界になっている気がします。そんな中、資本主義社会において不可欠な「お金」に、興味や欲求が集中するのは自然なことだと思います。でも「お金」を中心にした(全てを金に換算していく)生活って、人間には合っていないと思うんですよね。お金と違って命は割り切れないことだらけですから。
約50年前にスイス人が書いた『億万長者・・・』は、どちらかというと今の日本人にとっては縁遠い作品だと思います。でも、お金で正義が買えるのか、お金と命はどちらが大事なのかという命題をテーマにした今作は、今の日本で上演することに大いに意義があると思いました。
ほとんど素舞台で、凝った装置も使うことなく、古典と真正面からぶつかり合う、今どき珍しいタイプの芝居でした。古典の再演というと、「現代的なアレンジを加えて」とか言ってはいろいろ趣向を凝らした挙句に、演出家が戯曲をどう捉えて今上演するのかがさっぱり見えないことが多い中で、素朴な演出にこだわることで、かえって戯曲の核が見えてきたように思いました。「金か倫理か」、なかなか現代では問い詰められることがない選択のように思いますが、判断を迫られた時にはもう悲劇が目の前にある……そう考えるとゾっとしますね。それはともあれ、こういう芝居づくりは続ければ続けるほど、鍛えられ、磨かれる要素も多いと思うので、ぜひこだわり続けてほしいと思います。
翻訳物を劇的にひっぱっていくパワーは感じられましたが、ギュレンの景色や人々の空気がもう少し見たかったなというのが本音です。駅や、森や、店など、一つ一つの場面もそうですが、なによりお金の単位がいまいちピンと来ないため、ギュレンという街そのものがぼんやりとしてしまい残念でした。 コミカルな演出はわかりやすくはありますが、人々が豊かになっていくコワさを、じわじわと魅せることも「劇」小劇場の空間であればできた気がします。 家族を通して描かれていることもあり、そのコワさと悲しさを、そのまま感じ取ることができるドライブのシーンが印象的でした。
最初の電車が街を通過していくシーンは、表現方法にグッと引き付けられました。役者さんの演技も上手だったと思います。ただ、外国のものということもあるのでしょうかストーリーに共感できなかったのが残念でした。もう少し共感できる点が欲しかったです。