最新の観てきた!クチコミ一覧

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歌姫・ネバーダイ! in deep

歌姫・ネバーダイ! in deep

ライオン・パーマ

萬劇場(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

劇場前の「手洗い」。そういえば以前から水道の栓っぽいのが備えられていたが、この活用法があったとは!そして、いざ席に座ると、そこは光触媒でシールドされた空間で覆われている。「ここまでやるか!」、いや、生命と演劇を一義に考える日本で最も安全だろう萬劇場というやつである。
ライオンパーマといえば、前回は訪れた客が予約名を紙に書く無音受付の試みがみられたが、我々の予想を五段階くらい飛び越えていく鉄壁ぶりは健在だ。もう一度述べる。ライオンパーマを観ることは自宅の次くらいに安心だ。


「ネバーダイ!」。パッと聴いた感覚だと方言である。妙訳は「ずっとずっとだい」。たしかに、このご時世、ライオンパーマの女性(※役の設定上)に対する扱い方は九州男児なところがある。けれど、「歌姫」の物語を観れば、そういう性の分担の中だからこそ輝く讃美があったってよいのだと改めて思う。みな、たくましい。
滝村千歌役の彩香はシンガーだ。何曲か生歌を披露してくれるのだが、話の流れと見事に連動している。違和感がない。ミュージカルなどでは「プツン」と途切れてしまいがちだが、なんとなく、彩香の場合は精神世界に惹きつける。
意外だったのは加藤だ。ボケない加藤にかっこよさを、凛々しいシルエットを、その目で目撃した私たちは幸運者であろう。

さて、上野ストアハウスにおける公演時の感想は移ろい巡り合う群像的な「縁の再生」だったが、今回は千歌をめぐる同時代人の「変わらぬ絆」がメインだったようだ。もちろん、通常営業のハードボイルドは影を薄め、コメディも控えめであったものの、だからこそ時折のぞくコンセプトは調和していた。おそらく、月に何回か、ふと、あの光景を遡ることだろう。笑いと感動が同居して。

※追記あり

カムカムバイバイ

カムカムバイバイ

U-33project

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

役者の皆さんの元気と熱演は、良かったです。内容はいろいろ解釈できそう。少し難しかった気がしますけど。面白かったと思います。同じ現象、出来事でも見方、見る方向で違うんでしょうね。次回も期待してますね。こんな時期にありがとうございました。

ゲンチアナ

ゲンチアナ

フェルフェン

シアター風姿花伝(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

二時間ドラマを見るような感じで、とても良くできていました。面白かったです。サスペンス要素もしっかりで役者の皆さんも熱演でした。最後の方、ちょっと説明が多くなった気がしましたが…探偵さんどうなったのか気になります。

不足!

不足!

東北学院大学演劇部

東北学院大学・泉キャンパス・コミュニティセンター2F 多目的ホール(宮城県)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/24 (金)公演終了

映像鑑賞

満足度★★★

公演情報ページには上演時間30分とあったが、実際は20分足らずの短編というか、コントのような一景。物足りなさもあるけど、それを感じる前に終わっちゃったというのが実際のところ。笑いが起きそうな箇所も多かっただけに、無観客の収録映像なのが残念。

熱海殺人事件「売春捜査官」

熱海殺人事件「売春捜査官」

salty rock

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/09/11 (土)

価格2,500円

11日19時開演回を拝見(90分)。

開演と同時に、真横の花道を駆けていった、思いがけない華奢な背中に驚く!
あの後ろ姿…2010年に初めて舞台で観た時の、伊織夏生さんなんだよなぁ。
でっ、それからの上演時間90分、出演者4名の目の前で展開された壮絶な運動量で、”華奢な背中”の理由が納得させられた。

しかし、それにしても、アノ絶叫芝居を、コロナ禍の今、客席とのソーシャル・ディスタンスを確保した上で、会場の手狭な空間で果たしてやれるの?という事前に抱いた疑念も瞬殺!
ボクシングのタイトルマッチじゃないが、ほぼ終始、コーナーサイドでの台詞の応酬は、小道具の配置(ぶら下がり戦法?!)、アクティングエリアの狭さを逆手にとった崖での李大全と大山金太郎の取っ組み合いの描写、等を含めて、密な空間での・濃密な芝居を創出させる、実に見事な着想だった。

ネタバレBOX

演技陣は皆さん大熱演だったが、今回は役柄の中で、長瀬巧さん演ずる「李大全」が
ひときわ印象に残った。

【配役】
木村伝兵衛部長刑事/山口アイ子…伊織夏生さん
熊田留吉刑事…フジタタイセイさん
戸田禎幸刑事/李大全…長瀬巧さん
容疑者・大山金太郎…今村貴登さん
歌姫・ネバーダイ! in deep

歌姫・ネバーダイ! in deep

ライオン・パーマ

萬劇場(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

笑いを織り交ぜながら、個々の場面が繋がれて行く。歴史は人で作られていく。壮大であり楽しく、また深い。よく練られていて感心し、感動した。2時間があっという間に過ぎた。最高におもしろかった!

歌姫・ネバーダイ! in deep

歌姫・ネバーダイ! in deep

ライオン・パーマ

萬劇場(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

とても面白かったです。
ストーリーも面白く、笑いの中に、切なさあり感動ありの大作でした。人の繋がり、命が紡がれていく事、人によって歴史は作られるんだと考えさせられる事も多々ありました。そして、劇団特有の雰囲気と笑いが心地良かったです。
優しい時間を過ごせました。大満足でした!

ひとよひとよに呱々の声

ひとよひとよに呱々の声

世界劇団

AI・HALL(兵庫県)

2021/09/11 (土) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

満足度★★★★

竹取物語をベースにしてるだけに、竹薮をイメージした舞台。竹が目の前に有り、しまったと思ったが特に問題なし。内容は良かったし、満足🈵😃✨。人権(緑子含め)の考え方が、変わるかも。

ざらば

ざらば

新宿公社

劇場MOMO(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/14 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

#ざらば
#新宿公社
時間・時代と場所が入り交じり、ほとんどのキャストが複数の役を演じる。頭をクリアにして臨むべき作品。
#石田迪子 さんが後半にイキイキとして魅了される。黒服の二人の妾は、全くカラーの違う女性に立ち上げ、白服の元カメラマンは不運を跳ね飛ばす程のクールでサバサバした女性に仕上げ、演技の振り幅を見せつけた。最初の黒服には嫉妬心の闇を持たせ、蔑む視線に宿らせた。二人目の黒服が圧巻で、公私の立場の違いを朗らかに超越させ、明朗な口調に誠実な人柄を確立した。小柄ながらしっかりして見えた二人目とは逆に、失明した白服の元カメラマンはスラッとして見えたことに、俳優が作り出す役の雰囲気というもののマジックに敬服するばかり。
花屋のお姉さま #袋小路林檎 さん #杉山薫 さんがイイ。ヒリヒリする作品にほっこりを生み出してくれる安定剤。
今回の発見は #益子有輝 さん。目を引く綺麗な顔立ちなのはもちろんなのだが、卑屈とも見えるお手伝いと色気がダダ漏れのOL、対等な立場でサポートする移動介護従事者を演じ分けた彼女の次回出演作はぜひ観てみたい。
壮大なスケールの作品を、このサイズの劇場でこの時間に収めるのはなかなかたいへんだろうし、理解するのもたいへん。可能なら復習したい作品。

風見鶏のトートロジー

風見鶏のトートロジー

劇団ちゃうかちゃわん

大阪市立芸術創造館(大阪府)

2021/09/11 (土) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

満足度★★★★

学生演劇らしさの元気と発想力が良かった‼️学生劇団でも規模が大きいので、団体で見せるといったまとまり感は関西一番。個性もでているが、もっと個性を伸ばせたらより良いと思います‼️

カムカムバイバイ

カムカムバイバイ

U-33project

アトリエファンファーレ東池袋(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

チョット変わったオムニバス風群像劇?笑えるようで笑えない、心が病んでる時だと、引きずり込まれそうなカンジかな。

ざらば

ざらば

新宿公社

劇場MOMO(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/14 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

パンフレットの配役を見た時、兼役があまりに多く「ワーオこれは難しいかも」と思いましたが、芝居の流れを追っていくと自然と入ってくるものだし、根底にある点と点のつながりがわかってくるとドラマの中にぐいぐいと引き込まれて面白かったです。
シーンそれぞれの見せ方が映画的というか映像化されても大丈夫なように作られているなという印象で、舞台よりも更に広い空間がイメージしやすい仕上がりで、素人目線ながらもよくできてるなと思いました。

全体的に花屋なシーンが全て好きでした。上手いし、明るいし、ほっこりしました。

沙也可

沙也可

(株)フリーハンド/(有)Yプロジェクト

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

史実(豊臣秀吉の朝鮮出兵)に恋愛物語を織り交ぜた壮大な歴史絵巻。主人公・沙也可はもともと日本人であったが、生きるため、愛する人のために終の棲家を朝鮮に求め、子孫(遺伝)を絶やさなかった。
終演後、その末裔に当たる方が舞台挨拶に立った。沙也可は韓国の歴史教科書にも載るほどの有名人物で、鹿洞書院に奉られ、その隣に友好記念館が建てられているという。

遺伝と言えば、主人公を演じた田村幸士さんは、祖父が阪東妻三郎、伯父が田村高廣・田村正和、そして父は田村亮という役者一家。やはり血は争えない見事な熱演であった。

(上演時間2時間30分 途中休憩10分)

ネタバレBOX

高さの違う平行舞台。そこに分割・可動できる階段をかけ、情景や殺陣シーンに応じて左右等に動かす。階段の昇降によって躍動感が生まれ臨場感が増し、同時に殺陣空間の確保もする。後景には荒海の映像や旋風イメージの照明が色彩豊かに映し出される。衣装は日本武士は武具を身に着け、朝鮮女性は色鮮やかなチマチョゴリで照明に映える。

物語は豊臣秀吉の朝鮮出兵(日本では文禄・慶長の役)に加わり、後に沙也可(日本名は雑賀孫六)と名乗る男がこの戦いへの大義の疑問、彼の地における朝鮮人との恋愛や親交を通じて朝鮮人として日本側(同胞)と戦う決意をするもの。民族とは?悲しみの先にある負の連鎖、その(思考)過程における苦悩や葛藤を情感豊かに紡いでいくのだが…。まさしく「海峡を越えた愛と慟哭の壮大なドラマ」だ。

朝鮮の人になる過程(描き方)の多くが、朝鮮人女性・金美姫(夕貴まおサン)を助けた時に負った傷を治すため留まった村の人々との触れ合いによって心が動かされた(恋愛中心)もの。結末はタイトルから そうなるんだろうな と いう予定調和であるが観(魅)せるような美しさはある。
当時、日本の出兵事情は秀吉と家康の会話から、天下平定後の論功行賞としての知行地がないことから、明(中国)攻めを考えた。手始めに朝鮮出兵をするということが、台詞でサラッと語られるだけ。

登場しない人々を想像してしまう。雑賀孫六は雑賀衆の統領(近畿圏出?)で この出兵した武士以外、日本に老人、女、子供が残っているのではないか。出兵した男たちは朝鮮人女性との幸せが待っているようだが、残された者は秀吉の怒りにふれ残党狩りされそうな…。冒頭で、信長の命により侵攻した秀吉軍に抗し敗れ、長い年月を経て流れ着いたのが九州肥後の国(今の熊本県)と説明。朝鮮出兵に加わったのも、一族の再興を図るため。苦難を共にしてきた一族郎党との決別、その苦悩・葛藤がもっと深く描かれても良いのではないか。苦悩はあるが、それは一緒に出兵した者たちとの関係がほとんどだ。朝鮮人として生きるための決意をもっと強く描きこむ必要があった。

ただ、上演時間が2時間30分と長丁場であるから、どこかの場面を割愛する必要があるかも。であれば、この男が寝返った時に秀吉と家康が相談するところ、または小西行長と加藤清正が城攻めの先陣争いの諍いをするところかな~。いずれにしても少し整理をして日本側との関りを丁寧に描く必要があるのではないか。
次回公演を楽しみにしております。
ぼくらが非情の大河をくだる時

ぼくらが非情の大河をくだる時

オフィスリコプロダクション株式会社

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

半世紀ほど前に書かれた戯曲…「岸田戯曲賞受賞」(1974年度)
社会情勢・世相を陰影のように漂わせながら、人の生と死 さらに生者の心の深淵を覗き込むような物語。抽象度が高いから難解とも思えるが…。
公演で注目すべきは演出である。説明でも「銀ゲンタの新たな演出で旋風を巻き起こす」とあったが、その意気込みは十分感じられた。少なくとも自分は好きである。

(上演時間70分)

ネタバレBOX

舞台美術、上演前の上手・下手側にあったブルーシートを捲ると、そこには男便所の便房と汚れた小便器2つと手洗い場。

物語(説明参照)…深夜、公衆便所は男が男を求めて集まる場所となる。その猥雑な場に詩人が現れ、便所の壁や柱を愛撫し始める。彼は夢なのか愛なのか、いずれにしても朽ち敗(破)れた無名戦士たちが公衆便所の下に埋められていると信じ、毎夜探し歩く。父と兄は白木の棺桶を持ってその気狂いの弟を追う。2人は何度も彼を見捨てようとする。しかし兄はかつて弟を裏切ったことを悔やみ、弟の描く兄の役を演じ続ける。その偶像が壊れたとき、詩人は兄の持つナイフで自らの命を絶つ。兄は父を見捨て、背に荒縄で詩人の死体を括り付け、夜の町に消えてゆく。公衆便所に渦巻くそれぞれの思いと淫猥な男たちの終わりなき彷徨と咆哮。詩人は名も無き戦士を象徴し、父と兄はそれぞれの観点から冷徹に見詰めているようだ。

上演(一応 暗転を目安)前、すでに舞台上では上下黒服(Tシャツ、ポロシャツの違いあり)の男たちが、エアカードゲーム、スケッチ、談笑等をしており明るい雰囲気。暗転時には街中の雑踏、人の会話といった効果音が流れる。それが明転後、雰囲気が一転する。そしてラスト近くで、冒頭の男たちが白塗顔にブリーフだけの裸体で現れた時に、上演前の光景の意図が氷解した。因みに詩人は白シャツで次元の違いを表す。

書かれた当時の社会情勢、その下敷きになっているのが学生運動。今の時代とは比較にならない過激さがあり、それが らしい風潮でもあった。そんな時代背景を現代において描き出すのは難しい。しかし公演では戯曲の真(芯)を損なわず、描かれている「名もなき戦士」を70年代から、なるべく現代に引き寄せて描いていた。自分が何者なのか、そして何が出来るのか、そんな曖昧、悶々とした感情はいつの時代でも持っている。その何者でもない人々が、例えば経済成長期(バブルという幻もあった)に企業戦士となり過労死していく。この世は、名もなき人々の無念も含め色々な屍の上に成り立っている。

詩人の意識は社会という見えざる敵に対し、人(老若男女)という戦士が必死に戦い、やがて死んでいく。訳が分かったような分からない混沌とした世界の中にある。公演では若者(詩人)だけでなく幅広い世代に問題を負わせ、生きることの困難さを格調高く描いている。
時代を半世紀遡れば、赤い薔薇は死のイメージかも知れない。しかし生死は表裏の関係のように、見方を変えれば薔薇の花言葉は「愛」であり、人間の愛おしさを噛みしめた表現とも言える。だから(見)捨てたくても出来ないのだ。上演前が生の世界であれば、上演後は死の淵、もしくは死そのものである。男たちが白塗顔で彷徨う姿は、見た目は滑稽だが不気味な情景だ。

雰囲気は、男だけの出演だが不思議と美しく妖しげ。そして退廃・虚無といった感じが漂い始める。それは単色照明をスポットまたは広角度から照射し協調を拒んでいるからのようだ。ラスト…詩人が兄に背負われている時に流れる音楽が良く、思わず終演後に曲名「PRAY~あなたがいるから」を聞いてしまった。演出の拘りであろうか、変形様式美と言うか ある統一性(黒服や裸体パフォーマンス)と歪さ(棺桶の傾斜置き)のアンバランス(=とらわれない自由)を意識・強調した観せ方のよう。それによって魂が思い思いに昇華していくイメージ。
脚本が書かれた時代状況等、そこに描かれた内容が理解しにくく小難しいと思えても、演出はそれを補って余りある見事なもの。
一言いえば、冒頭の衣装は黒統一ではなく、自由(普段着、スーツなど)にし、生を象徴。後に黒服(死の淵)、裸(死)とメリハリがあっても良かった(ネタバレが早くなるが、今の時代には分かり易いかも)

初日終演後でお疲れのところ、社長の北田万里子さんに挨拶、銀ゲンタ氏とは話をさせていただいた。感謝。
次回公演も楽しみにしております。
ぼくらが非情の大河をくだる時

ぼくらが非情の大河をくだる時

オフィスリコプロダクション株式会社

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 今作を舞台として拝見するのは初めてだが、脚本は数十年前に読んでおり、その時受けた印象と隔世の感がある。(追記2021.9.13)

ネタバレBOX

これが第1印象だ。清水作品を良く読んでいたのは学生運動が盛んな時代であり、今作のトーンにもその雰囲気が分からなければ何故、そこにそのような台詞が出て来るのか? その繋がりが見え難いことがあろう、自分が隔世の感を抱くのも当にこの事情からである。何れにせよ、近代国家の前提となるのは、国家による暴力装置の基本的占有であり、その合法的使用である。そのような強固な支配機構に対し、毛沢東の「革命は銃口から生まれる」発言を真に受け実際の戦闘が如何なるものかについては殆どド素人の学生が立ち上がって‟革命“を叫ぶこと自体、余りにも幼稚で無理がある。少なくとも様々な重火器に精通し、最低限安価で効果的而も使い勝手の良い爆弾製造を自ら為し得るだけの技術を持ち、敵情の把握にスパイを送り込み、敵組織中枢を攪乱できるだけのインテリジェンスを組織運営でき、情報操作や実働部隊管理、民衆対策をキチンと行使出来る所迄行かないと革命等遠い夢に終わるは必定。今作はこのような前提を一切欠き而も革命為すべしとの思い込みのみ強い必敗必至の状況を居直りとデュアリズムによって乗り越えようとした愚かな試みの記録と見ることができよう。そもそも20世紀の独立運動や革命は弁証法的思考によって裏打ちされてきた。今作で詩人(理論家)の主張は基本的にデュアリズムの域を出て居ない。一見、ラディカルなその物言いは、決意一般を語るのみの空しい表象に過ぎない。それでも彼が真の狂気に陥るのは、終盤に差し掛かる辺りからである。M.フーコーによれば”狂気とは純粋な錯誤である”が弟は、何とか衆愚に紛れ込もうと努力してきた。然し彼の偏狭でエキセントリックな論理は衆愚に認められることは無い。衆愚の衆愚たる所以は、異質性を嫌い同化することによって総ての擬態に自らの精神を合わせることにある。一方、弟は自らを特別な存在と自己規定することに逸り真にアイデンティファイすることも甘えを自ら排除することもなく、デュアリズムを用いて世界に対抗しようとする。ところで論理というものの唯一の展開は、オーダーを決めてしまえば先鋭化することでしか無い。上記の複合的状況が彼を苛み追い詰めてしまった。後は孤立の深い陥穽に只管落ち行くのみである。この時点で薔薇の花びらが撒かれるのは無論葬送の意味を持つ。即ち詩人を語る弟の真の姿・愚か者の深層も暴かれたのである。この状況をもっと分かり易い言葉で記せば、日本の鵺社会に剥き身の貝のような裸形でどっぷり浸かりつつ、正鵠を得る方法もなしに彼の目に映じた世界を解明しようと蟷螂之斧を振りかざしたものの、その未熟で現実分析に乏しい論理もまた鵺の海に漂う泡沫の憂き目を見たということである。その狂おしい苦悩のうちに、憧れであり唯一の盾であったボクサーの兄を殴り倒してしまったことを契機として大衆の悍ましい裸形を一瞬見てしまったことは、第三者性の容赦ない楔を彼の精神に打ち込み、その結果が発狂であろう。
 蛇足ながら、薔薇のテーゼが出て来るので、少し薔薇についても論じておこう。薔薇は数多くの花言葉を持ち、品種によっても本数によっても花言葉の内容が異なる。一般的に棘は罪を表し、赤い薔薇は愛を表すが時には葬送にも用いられる。何れにせよ換骨奪胎が激しいので破瓜やBLでのネコの初体験等を意味してもおかしくない。物語が展開するのはデザインされた壁の隙間から、雑草の蔓が便所内に迄延びた壊れかけた公衆便所のある一角である。どこの盛り場でもこのような公衆便所には同性愛者が屯していた。
 さて、弟を死に至らしめた後、兄は遺体を担いで新たな旅立ちをしようとするのであるが、このシーンでは、詩の好きな清水が思い浮かべていたであろう、有名なRimbaudの“Lettre du voyant”及び“Bateau ivre”を想起すべきであろう。興味のある方は当たってみると良い。前者は“見者の手紙”後者は“酔いどれ船”という日本語に訳されている。
 最後に息子たちから虚仮にされる父の姿、台詞に最もリアルな現実が描かれている点にも注意を喚起しておきたい。
ランナウェイ

ランナウェイ

壁ノ花団

THEATRE E9 KYOTO(京都府)

2021/09/09 (木) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

満足度★★

うーん😔…。内容もさながら、コスパも…。次梯子した、京都学生演劇祭の方が断然良かった。残念😢。次回に期待。

沙也可

沙也可

(株)フリーハンド/(有)Yプロジェクト

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイゼツ、 ベシミル!! 華5つ☆

ネタバレBOX

 文禄・慶長の役のことは歴史に出て来たから皆さんご存知だろう。秀吉の命によって2度に亘り朝鮮出兵をした歴史的事実を指す。今作は、この時代に実際に起こったことをベースに創られた物語である。日本も戦国時代勝敗は敵の首級をあげることによってその証としたが、文禄・慶長の役では耳・鼻を削いでその証とした事実等も織り交ぜリアリティーを細部に於いても表現している。が、大局を判断する為政者としての目論見がオープニング早々、秀吉と家康の対話で示されている点でも極めて筋の通った脚本であり、その後何度か出て来る秀吉・家康の対話でも各々の性格が見事に対比され関ケ原から豊臣滅亡迄の将来を見事に織り込んでいる。
 戦記物の側面がある舞台だから殺陣のシーンも多いが分割・可動型の階段を上手く移動させ実に合理的に殺陣のスペースを確保している舞台美術も素晴らしい。無論、極めて機能的に創られた舞台美術だから、シーンに応じて照明・音響がその場の雰囲気を見事に醸しだす。殺陣を演じる役者陣の体捌きもスピード感、切れがあってグー。居合の達人も登場するが、この居合術も中々のものであり、沙也可を含め傑物が意気投合するシーンにその後の因縁の対決に連なるシーンがキチンと埋め込まれている点等もこの脚本が極めて高いレベルで練られていることが良く分かる。
 この時の因縁こそ、沙也可が朝鮮族として生きる道への布石になっている訳だが、これに恋が絡み、敵対する民族の殺し合いが負わせた人々の無念、取返しのつかない大切な人々を失って行き所の無い怒りや悔しさ、断ち切れない未練が日本に襲われた村の多くの人々の魂を苛み続けることからくる敵との恋に落ちた村人への非難となって、村の娘の命の恩人ではあるものの、敵である日本人との間に成立した恋に対してアンヴィヴァレンツの苦しみを担わせる。このリアリティーが観客の心を実に深い所から撃つ。
 また実際付き合ってみれば分かるが、未だに朝鮮族の情の厚さは本当に深く、今作に描かれた通りであると実感させられた。恩に対してはキチンと恩返しをする義理堅さも彼らの民族的美質である。
 終演後、舞台上の挨拶に沙也可の末裔の方が登場して挨拶をなさった点、韓国では教科書に載る程沙也可が評価され記念博物館も存在しているなどの話をしてくださった。キチンと架け橋になって下さっていることに心からお礼を申し上げる。
ズベズダー荒野より宙へ‐

ズベズダー荒野より宙へ‐

劇団青年座

シアタートラム(東京都)

2021/09/10 (金) ~ 2021/09/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

死ぬまで名前が伏せられていたというソ連のロケット科学者にスポットライトを当てた硬派なストーリーが粛々と進んでいくという印象。作家は、ロケット技術や当時のソ連の科学者と政治状況の関わりなど、かなり考証しているのだろう。何だか難しそうな言葉が並んだセリフを、ほとんど噛まずにまくしたてられる俳優たちの技量にも感心させられる。硬派なストーリーゆえにフルシチョフのユーモラスさが目立って面白い。

友達

友達

シス・カンパニー

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2021/09/03 (金) ~ 2021/09/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

久しぶりに観客がワクワクする演劇界の対決上演である。
この一月の間に安部公房の代表作、「砂の女」と「友達」の意欲的な再演を見ることができた。「砂の女」(1962)は今や、日本演劇界の顔となったケラリーノ・サンドロヴィッチの台本・演出。片や「友達」(1967)の台本・演出は弱冠まだ二十代の俊英・加藤拓也。この公演のネット動画広告では、出てもいない人気俳優が次々に登場して、稽古場で「友達!」と叫ぶ。フェイスブックをもじった駄洒落だ。出演者の自己紹介の最後には童顔の加藤拓也が登場して「加藤拓也でーす、演出やりまーす」という。30年前のケラならやりそうな秀逸なプロモーション(CMグランプリ!!)で舞台への期待も高まる。シスカンパニーの制作。劇場は新国立のピット。トラムに負けない満席である。
結果は、随分肌合いの違う安部公房が出来上がったが、演出者がそれぞれの視点から原作を現代に引き寄せた再演にしていて、ともに当年屈指の舞台になった。大家に挑んだ加藤拓也も負けていない。
甲乙つけるのは野暮と言うものだから、感想を列記する。
安部公房と言う作家について。現代社会の不条理を抽象的に把握していく戦後作家の世界が、今や、現実化してしまったことが、今回の新しい上演でよくわかった。これで、安部公房は現代に生命をもって再臨することになった.もちろん、砂の女の家も、闖入してくる家族も、抽象的な存在ではあるが、観客は現実社会と同じ水平でみて共感している。安部公房は、古典の位置を確かにしたとでもいおうか。
「友達」の上演台本は、スマホも登場するし、生活環境も現代にしているが全く違和感がない。その点では、慎重に昭和三十年代の時代設定にこだわったケラの「砂の女」よりも軽やかに現代のドラマになっている。「民主主義」の空洞化は書かれた時代よりも進んでいるのでリアリティもある。
「砂の女」の上演時間はほぼ3時間。映画よりも長い。「友達」はもともと二幕13場の舞台を数回の暗転で休憩なしの1時間半にまとめている。テンポも速い。時代に合わせたアダプテーションが成功している。(勝手な感想になるが)しかし、この台本だと、原作のラストを踏襲していいのだろうか。それはケラの時にも感じたが、その辺に安部公房の時代性があるのかもしれない。
演出。この演出家は若いのにステージングがやたらにうまい!平面の板の中央に上下に出入りを作って効果的に使うのは以前も見た記憶があるが、この舞台でも孤独でガランとした主人公(鈴木浩介)の部屋に闖入者が地面から湧き出すように板の中央に作られたドアからドカドカと現れる。ここで芝居の構造がはっきりわかる。ほとんどの時間舞台の上には十人の登場人物がいる。一人一人芝居がついていてその集団が息をするように膨らんだり、締まったりする。セリフのあるところはほぼ、舞台中央で処理される。舞台演出の基本と言えば基本なのだが、このリズム感がいい。
俳優。キャステキングがうまい。家族の山崎一(父)キムラ緑子(母)男女三人づつの兄弟姉妹たちもバランスがいい。客寄せも考えて(有村架純(次女)あるし、浅野和之(祖母)鷲尾真知子(管理人)大窪人衛(三男)の、普段は飛び道具の人たちもうまくはまっている。もっと面白くなりそうなのは、西尾まり(婚約者)内藤裕志(弁護士)。皆好演である。
スタッフでは美術(伊藤雅子)。後半、遠見に街のシルエットが出てくるが、これが観客を和ませる。この奇妙な寓話劇に巧みに情感を残している。音響効果は電子音のノイズを軸として、ここは、昔の阿部公房風だ。
この新国立の劇場へ来たから言うのではないが、こういう演劇界の刺激になる企画は新国立劇場が試みるべきではないか。普段、この劇場で見る日本の演劇は毒にも薬にもならないものがほとんどで、意味のある企画は、ここのところほとんどシスカンパニーの手で行われている。今の時代に「友達」を上演するという企画力、加藤拓也と言う若い演出者を起用して、地方も含めて長期の公演を成功させる(前売りは完売していた)興行力、演劇界を知り尽くした広範な分野からの的確な配役力、スタフィング。どれをとっても、この芝居をどう作るかと言う意図がはっきりわかる。流行の言葉で言えば「説明責任を果たしている」。そこが素晴らしい。



タージマハルの衛兵

タージマハルの衛兵

東京演劇アンサンブル

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/09/08 (水) ~ 2021/09/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

優れた作品のライブに立ち会う悦びが序盤から血流になって体を巡った。戯曲の良さとこれを料理した演劇アンサンブルの攻めた演出に深く納得(時々演出イスに座る三木元太の『クラカチット』の鮮やかさもまだ記憶に新しい)。
二人芝居のダブルキャスト組合せ4通り(黒子的役割は該当でない方が顔の装飾をして行う)、いずれも2011~2013入団の中堅男優。他の組も観たい(無理だが)。

タージマハル建設は歴史上存在した点だが、人の寄り付かない場所での二人の衛兵が職務の合間の暇つぶしに交わされる会話の中に飛行機やロケット、タイムマシンといった現代のアイテムに相当する代物が(空想上の発明品として)登場し、それだけで現代性を帯びる。世界一美しい宮殿タージマハルを作った者二万人の処遇について、王から下されたのは「二度と同じものを作らせない」理由で職人らの両手を切り落とす命令であった。・・

ネタバレBOX

劇団内的には登場人物2名、ダブルでも4名のみの演目が秋の目玉公演に。風当りが強かったのでは、と勝手に想像するが、本公演の「常連」でない男優の名前が並ぶ本企画は外野の目には嬉しく、はっきり言って当たりではないか。
一点、あの小さな劇場で席を市松に固定するのはどうだろうか..。カップル親子連れは連席、他との間に一席あける、で良いのでは。

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