最新の観てきた!クチコミ一覧

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マリーバードランド

マリーバードランド

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

2021年8月12日に開催された東京都の新型コロナウイルスのモニタリング会議で、大曲先生が「自分の身は自分で守る必要がある」と発言されたのを受けて観劇を自粛していましたが、大好きなやみ・あがりシアターさんがお芝居をやると知り、久しぶりに観劇しました。

ネタバレBOX

コロナ禍で痛手を負ったブライダル業界と旅行業界の企業が、それぞれの従業員が婚約したのを機に、南極で結婚式を挙げるツアーを企画してプロモーションビデオを撮ろうとした瞬間に新婦の浮気相手が現れて、ハチャメチャになるドタバタコメディ。

金と欲が渦巻く面白い展開でしたが、誰も幸せになれないやみ・あがりらしいフィナーレでした。
奇跡を待つ人々

奇跡を待つ人々

東京夜光

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/07/24 (土) ~ 2021/08/04 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

透明感のある不条理劇という感じがしました。

ネタバレBOX

人間が電脳世界だけで生きるようになる直前の世界を描いた話。

舞台上に登場していたのはアバターなのでしょうね。人間は身体的には脳の一部だけが残り、回路を通して他人や社会と繋がっているのでした。
奇蹟 miracle one-way ticket【3月12日~3月17日公演中止】

奇蹟 miracle one-way ticket【3月12日~3月17日公演中止】

シス・カンパニー

世田谷パブリックシアター(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/04/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

演出が素晴らしく、井上さんの歌声には聞き入ってしまう。

音楽劇「夜来香(イエライシャン)ラプソディ」

音楽劇「夜来香(イエライシャン)ラプソディ」

キューブ

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

懐かしい音楽と美しい歌声が印象的

カーテンズ

カーテンズ

フジテレビジョン/キョードー東京

東京国際フォーラム ホールC(東京都)

2022/02/26 (土) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

城田優さんの舞台を観るの初。華やかな舞台だった。

ロッキー・ホラー・ショー【1月13日~16日公演中止】

ロッキー・ホラー・ショー【1月13日~16日公演中止】

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2022/02/12 (土) ~ 2022/02/28 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

一緒に踊れて感動。

石を投げる女がいて

石を投げる女がいて

ジグジグ・ストロングシープス・グランドロマン

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/23 (水) 19:00

SSチームを観劇。初見のユニットだが、作・演出はプラチナ・ペーパーズの堤泰之。ある種のジェットコースターストーリーだが、納得できない不安な気持ちが残る。さまざまな正義のあり方が示されているように思う。148分。
 寂れたリゾート地にあるロッジに集まる女性達が始めた天然石アクセサリー工房。さまざまな事情の女性が集まり、軸になる人物が次々に変わっていく展開は目まぐるしい。えっ、そんな、…と思ってる内に2時間半が経過する。終わってもすぐには納得できないし、謎も残るのだが、その不安定さこそ堤が描きたかったものではないかと思った。2年前に延期になったということだが、今のこの時代にピッタリ合う展開が驚く。タイトルは、エンディングで素晴らしく活きる。
 先日の電夏で素敵な演技を見せた小林知未を観たくて行ったが、軸になる1人を巧みに演じ、不安な気持ちをしっかり起こさせてくれた。

オロイカソング

オロイカソング

理性的な変人たち

アトリエ第Q藝術(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

今は家を出て行った双子の一人・倫子(西岡未央)。彼女が7歳の時に遭った事件。その事件のせいで、10歳の時の学校の性教育でははいてしまい、高校生になると心の傷を埋めるように、だれとでも寝るようになる。双子のもう一人の結子(滝沢花野)が、倫子の恋人(?)だった写真家のルーシー(万里沙)と語り合う32歳の現在と、過去を行ったり来たりしながら、性被害者の問題にじわじわとせまっていく。

若くてパワフルで美しい女優陣の魅力と熱量に圧倒された。狭い会場での熱演、衣装や小道具も段ボールから出したりしまったりの、手作り。幼少期の誕生会や、「サザエさん」の場面はのどかでホッとする。サザエさんを見ながら「カツオはタラちゃんのお兄さんなの?」「サザエさんちは普通じゃないね」「うちも普通じゃないね」と、この家族の事情が分かっていく。母(佐藤千夏)は未婚の母、祖母(梅村綾子)と血のつながりがない。
「引っ越しのバイトは、他人の日記をのぞくようで楽しい」など、ちょっとしたいいセリフもある。

「オロイカ」は天草方言でキズモノのことらしい。漁師のおかみさんたちが「この魚、もってけや。オロイカだ」と使う。芝居では方言もいかされてる。天草から大阪に出て大阪弁になった祖母が、東京で関西弁を直そうと、「ばあちゃんが大阪弁使ったら、10円あげる」と幼い双子にもちかけたり。1時間55分。

ネタバレBOX

性被害をなかったことにはしないと目覚めるシーンでは、倫子が、仲間たちと戦うミーレンジャー(?)に変身する。子どもっぽさにあっけにとられるが、シリアスな展開が続く中の、息抜きであるし、ご愛敬である。サザエさんの話が前半にあるのが伏線になっている。
京時雨濡れ羽双鳥/花子

京時雨濡れ羽双鳥/花子

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2022/03/16 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

「マリアの首」の作者、田中千禾夫(ちかお)による戯曲の上演を初めて観た(「マリアの首」は観ず終い)。
実はこの日は未見の若手劇団を観劇するぞと決めた矢先に初日が中止になったので、無理に出掛ける事も無いっちゃ無かったんであるが、「口が芝居の口になってた」のでこれを選んで六本木まで出掛けた。
日本の古典戯曲には惹かれるものがある。当時の人々にとってはレトロでも何でも無かっただろう木造家屋や、着物や路地や、口調が、「前時代的」ではなく「いい感じ」になっている。もっとも田中千禾夫は主に戦後活躍し注目された人だから今言った範疇から若干ズレるのかも知れぬが。
この所海外戯曲の秀作舞台を打っている俳優座、果たして今回は・・

ネタバレBOX

申し訳ないが正直を言えば、残念感が。
私としては「花子」を見せ、その後「京時雨」で真っ向勝負して欲しかった思いである。
その心は「花子」が持つ強み、詩と言い換えても良い短編劇の魅力は、喩えるなら出し物やドラマで動物か子供を使う所謂「ズルい」手。実際この劇は自然讃歌でもあり、通ずるものがある。
一方「京時雨・・」は敗戦何年後かを舞台に、橋下に棲む女の目と存在とを媒介に、人間の姿を点描する作品。残念ながら新劇団の「ちょっと演技が違う」パターンの典型という感じで、見続けたいと思えるフックが見つけられないままに芝居の終盤を迎えてしまった。二作目の「花子」は一作目のダメージをカバーするに至らずであった。

五階稽古場のL字配置の客席のちょうど角、ステージを見やすい座席からの眺めが、芝居に入り難くさせたのかな、とも考える。長方形のステージの長辺に木の橋が渡され、上手、下手の端の階段から昇り降りでき、道行が長い。橋下には野宿モノの住まいが橋の端=庇からはみ出て箪笥が置かれたりしている。人間が十分潜れる高さの橋の前面には、美術の志向だろう、くすんだ色の広い布(質感は皮革っぽい)が天井から垂れ下がり、橋を歩く者の顔が見えない。顔を出す時はその布幕を暖簾のように手で除ける。竹邊奈津子の装置だが、外観の色彩はともかく装置としての機能美が醸されて来ない。「京時雨」の冒頭、女が箪笥から舞台中央に向かって何着もの衣を乱暴に投げ出し、布が広がるのだが、これが意味不明。女は元高貴な家の出らしく、最後には盲目の帰還兵の謡いに合わせて能を舞う展開になるが、そのためか「橋」の縁の下あたりからほぼ正方形に黒い大理石か、濡れた石の設定か判らぬが黒光りする平らな面がある。それを埋め尽すようにぶん投げるのだが、装置としてそこが河原の砂利場なのか土なのか、彼女にとって住まいの中なのか外なのか、リアルに空間を想像して良いのか象徴的な空間と見るべきなのかそこからまず混迷する。四角のエリアの途切れ目からこっち、橋の詰めへ線を引いた三角のエリアには白い玉砂利を敷き詰めた風になっている。硬質で整然としたな黒とラフな白の馴染みも悪い(見た目がいまいち)。
リアルに見ようとすると、女が衣を投げる平らなエリアは雨に濡れている加工された石に見える。だから「時雨」との関係で捉えるべきかとも思うがそれにしては現代的なので単に「地面」を象徴しているのかやはり不明。衣を投げる行為は天日干しをしようというのか何か自棄になって衣に当っているのか、と想像してしまうが、そのどれでもなく、ただ芝居の冒頭をインパクトあるものにしたかったのかと勘繰れば合点の行く、装置の(床の)「見方」が観客の脳内で固まる前にそれをただ分からなくしただけの無駄な行動に見えてしまった。
また女の言葉遣い、発声がただ元気の良い健康な発声で「曰くあり気」な雰囲気が微塵もない。物語構造としては女は当面「観察者」、橋を渡る男女のエピソード、盲目の負傷兵のエピソードを言わば目撃し、彼女が幾許かの接点を持つ様子を通して観客に紹介される格好になる。後者は、妻が警官を客にとって男を養っている、その妻の「仕事」の間にこうやって河原に出てこの身を嘆いている、という形。詠嘆の謡いに女は共鳴して舞いを舞う、という訳である。
この芝居に出て来るエピソードが3でなく、2である事(女自身のを加えれば3になるのだろうが、「語られる」話の当事者の佇まいとは一線を画したただ陽性な存在は数に加えられぬ)、となれば、2である。基本情景描写が二点のみでは、作り手が見せたかった面が定まらない。社会の貧困、戦争の遺産、不条理を、ここ橋の下の住人の眼差しがとらえ、眼差しの対象らに作者の観点を語らせるには、駒がしょぼい。かといって観察の対象に過ぎぬ彼らが観察者に剣を突きつけて来る訳でもなく、身に迫って来ない。という事は、初演時にあって今はないもの、それは敗戦後の社会状況や風景という人々が共有していた感覚だろう。そうした戯曲の場合、どういう息を吹き込むか、何が新たに作られねばならないか(演出によって、役者によって)が重要に思うが、私には明確な視点が見えずその点で淋しく思えた舞台だった。
休憩を挟んで「花子」。独特な世界観は悪くなかったが、「京時雨」で必要十分性が見えなかった美術、中でも邪魔に思えた橋に掛かったボロ布が、何と「花子」のオープニングの後、ガバっと剥がされ、剥き出しのキレイな橋が現われる。これは演出上のサプライズなのだろうが、「京時雨」で人の姿を隠す邪魔をしてただけの装置だったか、と、私的には落胆。
この作品は子供から女性へと花開く蛹の季節にある娘が、さてこれから複数の男性に誘われて夜の町に繰り出す事になっている、その時間、母ののどかな方言の語りから始まる。母とのやり取り、仕事から帰った鷹揚な父とのやり取り、やがて「声」がする。「はなこさ~ん」。母から、飼っている(卵を産まない)鶏に譬えられる花子は、いつか卵を産むようになる可能性を秘めた、神秘性に満ちた「今」を生きる女性の姿として、ただただ愛でる対象として作者は描き切っている。男性に囲まれて恥じず、己を全肯定する「自然が祝福した」存在を清々しく描き、この対極にあるものを舞台上に上げて言及する事なく批評性高い、不思議な作品。
「友達の家に行った」

「友達の家に行った」

狂夏の市場

尼崎三和市場内 イベントスペース 「とらのあな」(兵庫県)

2022/03/19 (土) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

期待通りの楽しいお芝居でした☆キャストの皆さんによるかくし芸的なパフォーマンスに大いに笑わせてもらいました\(^o^)/

泣くな研修医

泣くな研修医

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/23 (水) 14:00

座席1階

自分が見たのは千秋楽。満員の客席から拍手が鳴りやまぬカーテンコールにこたえた研修医役の山形敏之のすがすがしい、充実感漂う笑顔が印象的だった。

研修医が経験するただ働き同然の劣悪な職場環境など現実的な話は出てこない。国家試験に合格して現場で経験を積む若い研修医のひたむきさや、自分が医師になろうと決めた幼いころのできごとなどを交えながら、一人前の医師に向かって成長していく物語。ハッピーエンドになっているところも素直なつくりである。銅鑼らしい優しい舞台だ。

終末期の患者に対する治療方針をめぐって先輩医師にぶつかっていったり、気管挿管は「数日延命させるだけ」とクールに(あるいは現実的に)言い放つ同僚に「やれることはまだあるはずだ」と食ってかかったり。この研修医のピュアなところが強調して描かれる。途中で挟む淡い恋愛シーンも、もどかしさ満載で微笑ましい。若くしてがんに侵され亡くなる患者と悲嘆にくれる家族の場面では、すすり泣きも漏れた。

社会派劇にあって厳しい局面を真正面から描くシライケイタの脚本とあって、医療の矛盾、残酷さや病院内部の軋轢などが研修医の目を通して描かれるのではないかと想像して劇場に足を運んだが、まったく違っていた。温かく包み込むようなムードを漂わせながら進む物語に、何だか拍子抜けした感じを受けてしまった。そう感じてしまったが最後、何となくだが「医療ファンタジー」というイメージになってきた。これが、自分の場合、登場人物への感情移入を妨げた。

そもそも、タイトルから分かるように、研修医への応援メッセージなのだ。医師の多くがこのようなピュアな部分を失わずにいてくれたら患者本位の医療に近づくのだろうに、と思ったが、どこかこの舞台が現実離れしているような印象がぬぐえず、やはり、心から楽しめなかった。見立てを間違えた自分のせいなのだが。

舞台転換が頻繁に行われる。これも気持ちが途切れる一因になった気がする。

ミュージカル「手紙」2022

ミュージカル「手紙」2022

サンライズプロモーション東京/MY Promotion/スペースポンド

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2022/03/12 (土) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

犯罪者とその家族、その周りの人達を描いた、東野圭吾さんの有名な作品。この重いテーマを、どのようにミュージカルにするのか?と気になっていましたが、とても良かったです。
生演奏に役者さん達の素晴らしい歌声、バンド演奏も加わり、贅沢な時間でした。
非常に考えさせられる内容で、答えがないように感じました。切なく、でも希望のあるラストは涙腺が緩みました・・。大満足でした。

OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2×柴田恵美×bug-depayse『椅子に座る』

OM-2

日暮里サニーホール(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/19 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

斬新というか、毎回、想像の枠から外れる演出、刺激的でした!
宮沢賢治像も含めて、興味深く楽しめました

赤き方舟

赤き方舟

風雷紡

小劇場 楽園(東京都)

2022/03/19 (土) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

観応え十分。上演時間こそ、この劇団にしては短い方だが、内容的には力作。
芝居屋風雷紡らしく歴史的事件を通して現代にも通じる問題、その理不尽を骨太に描いた作品。物語は連合赤軍の事件ー山岳ベースを外観に装いつつ、底流には不平等、特に女性蔑視を中心に鋭く指摘・糾弾する。弾丸は重く深刻、だからこそ観ている者のハートを射抜くのである。

さて、公演の外観を成す連合赤軍のことは、生半可な知識では書けないが、描きたかった芯の部分は十分伝わる。同調しなければ生き残れなかった同志・仲間、しかし 本当は他人がどうであろうと自分で考え行動する信念がなければ、いつの時代も生きられない、と思わせる。
因みに映画「実録 連合赤軍あさま山荘への道程」(若松孝二監督)は、3時間を超えるが概要は分かるかも…。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

舞台美術は、ほぼ素舞台。後方に暗幕があるだけで、演説時に箱馬が置かれる。また劇場の中央にある柱に布幕・縄が巻かれ山岳イメージと国外ーパレスチナという地理的違いを演出する。全体的に薄暗く、重苦しい雰囲気が漂い、観客に緊張感を強いる。

タイトル「赤き方舟」から「ノアの方舟」を連想するのは容易であろう。方舟には全ての番(つがい)を乗せること。その「全て」に平等性があるのだと言う。
物語は連合赤軍の足跡(そくせき)を描いているが、芯は(女性)差別を強調しており、冒頭から問題提示する。重信房子(前澤里紅サン)が生まれたときに父は女の子でガッカリした。後々分かるが、重信、遠山美枝子(吉水雪乃サン)、永田洋子(増田さくらサン)はヒジャブ(中東諸国の宗教的意味合いは別)を覆い登場する。また雑誌「an・an」を持ち、ファッションに関心があること、化粧をすること、長い髪などが、殊更 女性を表すと批判される。男性だけではなく、遠山美枝子は同志で同性である永田洋子からも嫉妬・虐め・暴力を受けることになる。それが山岳事件-総括シーンとして描かれる。その前段で永田洋子は奇麗ではないーお姫様ごっこの遊びに入れてもらえなかった悔しさ。連合赤軍の活動においても お茶汲み、雑用といった差別を描き、今の時代にも蔓延る不平等をしっかり語らせる。

山岳ベースでの残虐さ・・同調圧力によって理不尽な行為を誰も止めることが出来なくなる。歪んだ理屈が人を支配する怖さ。それは半世紀前の連合赤軍事件当時よりも現代の方が怖いかも知れない。インターネットを通し同志・仲間でもない見ず知らずの人々からバッシングされる風評・中傷の方が遥かに恐怖。例えばコロナ禍にあったこと等。

不平等・理不尽なこと、今の世の中で当たり前と思っていることが、将来の人々からどう思われるのか。1970年代ー70年安保闘争、ベトナム反戦、さらに全共闘の「東大安田講堂事件」など学生運動が盛んでテロ・ゲリラへ転戦した。現代から見た当時と同様、将来(例えば50年後)の人から見た2022年はどう見えるのだろう。「世界を変えたいと思っていた」ことは、真に正しい行動であったのか。その命題を現代人の喉元に突き付けた、と思う。
次回公演も楽しみにしております。
一枚のハガキ

一枚のハガキ

劇団昴

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2022/03/16 (水) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

当日パンフの演出ノートで北村さんは「戦争という得体の知れぬ暗夜の底に突き落とされた人間が、崩壊から再生へと必死に這い上がる生命力を賛美し、その姿を粛々と再現したいと考えています。」と書かれている。なるほど、森川友子が慟哭する場面もサラッと暗転したり、暗雲に覆われた日々にどこかカラッとした場面が現れたりと、当時のリアルな日常が再現されていた。だからこそ戦争の狂気や悲惨さが痛切に伝わってくる。もちろんそれは昴の役者さんたちの確かな演技によって裏打ちされていました。

『銀河鉄道の夜』

『銀河鉄道の夜』

楽園王

サブテレニアン(東京都)

2022/02/02 (水) ~ 2022/02/06 (日)公演終了

実演鑑賞

こじんまりとした舞台ではあるが、きちんと丁寧に作られていた。
銀河鉄道の乗客が、もっと色々な変な人が登場してきた方が面白いような気もしました。

ジャバウォック【3月2日~3月3日公演中止】

ジャバウォック【3月2日~3月3日公演中止】

劇団肋骨蜜柑同好会

小劇場 楽園(東京都)

2022/03/02 (水) ~ 2022/03/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/06 (日) 15:00

2年前に出現し悪臭を撒き散らす怪鳥対策に取り組む田瓶市職員たちだが目撃者によって怪鳥の特徴は異なり……な最近の怪生物系サスペンスの様相で始まりながら物の見方/見え方などという哲学(?)っぽい方面や民俗学・神道などに触れ、とり・みき、諸星大二郎などの伝奇系作品にも通ずるという変容を為す。それでいて終盤にはアクション(?)まで盛り込んで娯楽要素も失わないという怪作にして快作。好きだなぁ、こういうの。

耳があるなら蒼に聞け・ハンズアップ2022

耳があるなら蒼に聞け・ハンズアップ2022

企画演劇集団ボクラ団義

CBGKシブゲキ!!(東京都)

2022/03/19 (土) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

3/27(日)を持って無期限活動休止になる『ボクラ団義』の暫定最終公演、日替わり二本立て。
『ハンズアップ2022』

海辺の洋館、登場人物達は気付くとそこに居て強制的にデス・ゲームに参加させられる。全員一部の記憶に靄が懸かっており何かを忘れさせられている。落ちぶれた人気アイドル(平山空さん)とマネージャー(高橋雄一氏)、親友を殺してしまったボクサー(沖野晃司氏)、声の出なくなったヴォーカル(田中彪〈ひょうが〉氏)、リズムを刻めなくなったベーシスト(毎熊〈まいぐま〉宏介氏)・・・。少し、映画『人狼ゲーム』シリーズに似た設定。

ネタバレBOX

沖野晃司氏がボクサーの肉体に作り上げてきて精悍。平山空さんは松浦亜弥を彷彿とさせるアイドルムーヴ。片山陽加さんはベリーショートに。ヒールの外科医役友常(ともつね)勇気氏が物語を回していく。虚言癖の病に取り憑かれている緑谷紅遥(くれは)さんが可愛かった。

『ボクラ団義』、ざっと数えて今まで9本観ていた。なんだかんだ楽しませて貰ってきた。独特な設定に無理のある流れ、やたら説明口調で押し切る展開・・・、いやそれも含めて好きだった。地に足の付いた作劇では辿り着けない地平へと、思い切り跳んだダイナミズム。70年代東映のプログラム・ピクチャーを思わせるアイディア満点、出来赤点の強味。(悪口ではなく褒めている)。結局、深作欣二なんかもそうだけど狂熱のシーズンがあって、熱にうなされて闇雲に何かに手を伸ばした日々。碌な作品は残っていないのだけれどあの頃のような熱情に滾る馬鹿げた作品はもう二度と作れやしない。理性や計算で賄えるものではとてもなかった。今になってみればどうやって創ったのかも分かりゃしない。それはまるで『一瞬の夏』のような煌めき。
久保田唱氏作品へのシンパシーは、藤子・F・不二雄(藤本弘)マインドを根底に感じるからだと思う。
サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春

サヨナフーピストル連続射殺魔ノリオの青春

オフィスコットーネ

シアター711(東京都)

2022/03/11 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

秩序の縁辺に生きる生を多く描いた大竹野氏が、実在の人物を描いた本作は異色作か、代表作か・・舞台を観ての結論は「大竹野正典らしい作品」。役者、演出申し分なく、後方席からほんのり暖かい気の塊のような舞台を眺めて座席に座る感覚を忘れた。

「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

「震災演劇短編集」宮城・東京ツアー

Whiteプロジェクト

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/18 (金) 19:05

 『被災地の想いを演劇で世界へ/Whiteプロジェクト SHINSAI 10th 震災演劇短編集 宮城·東京ツアー』といういくつかの小編の劇を連続して、東京のこまばアゴラ劇場で観て来ました。
 
 私は、4つの小編、中編の劇を観ましたが、そのどれもが、劇的な展開はないものの、地味だけれども、こじんまりとして、多少笑いもありつつ、飽きさせず、東日本大震災という重い題材を扱いつつ、観客に極度な緊張を強いさせず、知らず知らずの内に津波や未だ遺骨が見つからない問題などについて想いを馳せ、深く考えさせられていて、劇の作りが非常に上手くできていると感じた。

 「イーハトーブの雪」という作品では、震災直後の遺体安置所で番号を付けられ床にモノのように置かれたご遺体に、妹の遺体を探しに来たおじさんが、赤の他人の遺体に親しげに話しかけるところから物語は始まるが、最初はちょっと風変わりなおじさんなのかなと思ったが、劇が進行していくうちに、妹の生前の思い出話を語ったりして、遺体に対して、コーヒーを生きている人に渡すかのように渡してみたりするところから、遺体が途中から起き上がって喋り始めるという幻想的で妖しい展開になるのかとも思ったが、終始遺体は動かない上に、最後の方で主人公の東北弁で喋るおじさんが、震災が起こったために、避難して妹と別れることになった話をして、後悔や自責の念から、感情が昂ぶり、声を荒げてしまう辺りから、幻想の要素はあんまりないと思いつつ、今まで静かに、親しげに遺体に対して話していたおじさんの東日本大震災で失くした妹に対する葛藤や整理しきれずにいる現実、大災害が不意に襲ってきた時に、科学技術がいくら進化しても対処しきれず、慌てふためく、人間の無力さなどが生々しく伝わってきて、東日本大震災が起こったことによって大事な人を失ったり、眼の前で津波に呑まれるのを目撃した傷はそう簡単には癒えることはないし、その衝撃は消えることはないだろうと実感し、終わったことと捉えるのではなく、東日本大震災の記憶を頭に焼き付け、私達は日々考えていくことが大事だと感じた。
「第二章」という作品では、震災後、新しくできたバス停で夫を迎えに行くためにバスを待つ地味だが、よく見ると貴婦人風な気品のある老女が主人公だが、回想する台詞の中で、夫が津波に呑み込まれ2度と帰らぬ人となっている現実は認めつつも、せめて魂だけでも帰ってきてくれるのではないだろうかとか、夫は津波に呑まれたが、今は南の島に流れ着いて幸せに楽しくやっているんだとか、考えれば考えるほど虚しくなるはずなのに、それでも微かな希望を、自分の心を支えていくために、自分を励まし、奮い立たせ、明日も生きていくために、そのような想像をするというところに深く考えさせられ、思わずグッときてしまった。
 「Prelude -天使が生まれた日-」 という震災とは直接関係のない作品では、病院の分娩室隣のロビーでもうすぐ父親になる男がビデオメッセージを録画しているところから始まる。ビデオメッセージの録画を慣れていないのか、何度も撮り直したり、動きが挙動不審であったりと、ドタバタして笑える場面も結構あるが、期日前診断で、これから産まれてくる赤ちゃんが男の子でダウン症の可能性が高いことを知らされ、中絶するか、産むかの判断をなるべく早くしてくれと言われたこと、正直迷ったことなど、不安や恐怖、焦りや喜び、迷いなどが入り混じり、まとまりがない形でビデオメッセージを録画しているのが、人間らしさや悩みが垣間見える共感できた。しかし最後は、赤ちゃんの泣き声を聞いて喜び勇んで、いても立ってもいられなくてすっ飛んでいく、もうすぐ父親になる男を見て、無性に感動してしまい、涙が出た。人間とは、赤ちゃんが産まれると、今までの悩みや怖れ、不安などはすべて吹っ飛ぶものなのだなぁと感心した。
「桜ひとひら」という作品では、震災で家族を失った人々のために依り代として仏像を彫り続けている住職が主役だが、依り代としての仏像を頼んだ小さなこどもを震災で失くした女性の依頼人の女性とのやり取りにおける、住職の良い意味でちょっとずれた思考や糖質を控えていると言いながら、饅頭を女性に勧められると、一つだけならと言って食べるあたりの図々しいが憎めない感じなど、住職の人間臭い感じなどに共感し、大いに笑えた。しかし、依頼人の女性がハキハキと押しが強い感じで話しているが小さなこどもを失くしたことを未だに気にしていて、傷が癒えてはいないが、最後のほうで完成した木彫りの地蔵を住職から渡されて、まるで震災で失くした我が子を抱くように、優しく抱き、慈しむ様子に、複雑な気持ちになり、感慨深くなった。

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