メモリーがいっぱい 公演情報 ラゾーナ川崎プラザソル「メモリーがいっぱい」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    この公演は、川崎市市制100周年記念事業として「若手演劇人によるプラザソル演劇公演」と銘打っている。多くの人に観てもらいたい といった思いからなのだろう、分かり易い物語で 観劇歴が浅い人でも十分楽しむことが出来る。見所は、親子の愛情と地域コミュニティの大切さ、そこに父親がロボットという奇知で興味を惹くところ。その物語を役者陣の確かな演技力で観せていく。まさに演劇による まちづくりに相応しい心温まる公演(物語)である。

    説明にもあるが、離島・ロボットの父親・優しく見守る島の人々、それを30年の時間軸の中で純熟するように展開させる。出会いがあれば別れもある、たとえロボットであっても…。偏見かも知れないが、離島の人々にとっては 見知らぬ家族、しかも父親がロボットだから好奇心と警戒心を抱く。それがどう受け入れられていくのか。いろいろなエピソードを回顧するように紡ぎ、じんわりと納得と共感を呼ぶ。

    子(娘)の幸せを 願わない親はいないだろう。さてロボットは、その答えのようなものを 娘が連れてきた男を殴ってしまう という行為で表わした。人間と変わらぬ愛情を娘に注ぐ、そんな普遍的な思いが切ない。
    (上演時間2時間 休憩なし) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は上手と下手に大きさの違う平台、その中間に小さい平台を重ね合わせ階段状の段差を設える。そこに木椅子3つ。壁は平板模様だが、上手は横向き、下手は縦向きになっており微妙に異なる。そして平台の行き来や段差の上り下りが 場所(空間)や時間そして状況の違いを表す。同時に生きている、動いているといった躍動感を現す。

    物語は りつ と登志夫が結婚するため離島の父 大地へ挨拶に行くところから始まる。りつは事前に父親がロボットであることを伝えていない。戸惑う登志夫と大地の行為が波紋と呼ぶ。登志夫は、なぜ父親がロボットなのか、島の人々はどうして不思議がらないのかといった疑問が…それを ばあさんのキヌが回想を交え順々と説明していく。このエピソードが人間とロボットの違いを際立たせ、いかに大地が りつ を大切に育てたか、そして大地が島の人々にとって 役立っているかを点描していく。

    大地と りくを この地(離島)へ連れてきたのは翔太、自分で子は育てられない。そこで大地に子育てを。プログラミングされたとは言え、その愛情の注ぎぶりは微笑ましく、実に心温まる。それは りく だけではなく友達に対しても同様。また缶蹴り遊びで 缶を圧し潰したり、運動会の綱引きでは怪力を といった面白可笑しいシーンで笑わせる。その飽きさせない演出が上手い。登場人物は善人ばかり、1人ひとりの見せ場を作り その性格や立場をしっかり立ち上げる。またロボットらしい動きをした大地(豊田豪サン)、物語の語り手でもあるキヌおばあちゃん(内野詩野サン)の演技は秀逸。勿論 音響・照明といった舞台技術も印象的な効果を発揮していた。

    人間はいずれ死ぬ、ロボットは永遠かといえば メンテナンスが必要。身近な機器類でも故障すれば修理が必要になるが、型落ち品で部品がなければ廃棄へ。大地もメンテ=バージョンアップが必要になるが、その結果 いままでの大地ではなくなる。その苦渋の選択を翔太が行うが、大地は大地であって他(バージョンアップすることで大地とは違うロボット)に代替が利かないといった悲哀。そこには単なるロボットではなく<大地>という存在が既に認識されている。りつや翔太そして離島の人々との別れ、その後のホッとさせるなようなラストは名場面といっても過言ではないだろう。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2025/01/28 18:20

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