イヨネスコ『授業』 公演情報 楽園王「イヨネスコ『授業』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    イヨネスコ「授業」は、楽園王を始め いくつかの劇団 公演で観ている。不条理をいかに不条理劇として観せるか、それをどう味わい深く伝えるかは、相当難しいのではないか。本公演も説明にあるように、構成を大きく分断し 戯曲の後半部分を先に、前半部分を後に上演して不条理劇の不条理を倍増させる工夫をしている。

    自分では、難解?もしくは自由過ぎると敬遠しがちだった不条理劇の魅力を感じることが出来た。今作は、不突合・不調和といった状況下における可笑しみ、同時に恐怖を感じた。また後半部分を先に表現することによって、不条理の(本)質というよりは、ループすることで不条理の連鎖なり重層、その量を意識させられた。まさに この世は不条理で満ち満ちているといった印象である。

    演出が好い。出演者の衣裳や行為(動き)、そして音楽の雰囲気が前半(最初の生徒)と後半(二番目の生徒)とでは違って、同じ不条理の光景(場景)でも その印象が異なる。この外観的な中に、不安・不穏もしくは苛立ち・怒り といった表現し難い感情が透けて見えてくる。勿論 生徒が鎖の付いた手錠をしていることは奇異であるが、教授と生徒という立場の違いを表しているのだろう。
    (上演時間65分) 12.23追記

    ネタバレBOX

    演劇を観る楽しみ 面白さは、表現し難いモヤモヤした気持を的確に表現してくれるところ。この得も言われぬ研ぎ澄まされた感覚が心に刻み込まれる。この公演もそんな1つ。

    舞台美術は 真ん中に白線、その両側にテーブルと椅子2つ。ほぼ対称であるが、一方のテーブルの上にテキストとナイフが置かれているのが違うところ。物語は、教授が言語学の講義をしているが、女生徒は歯痛を訴えている。それでも教授は授業を続けるが…。後半は別女生徒が教授に教えを乞うており、算術から始まる。足し算は出来るが、引き算が出来ない。数字という概念の理解が疑わしい。存在しているものを合わすことは出来るが、存在そのものを無(引)くすという思考はない。そこで数の概念 つまり言語学から教えること、それが先の場面(前半と後半が逆)へ ループしていく。女生徒が2人登場するが、同一人物として解釈するのか。

    教授と女生徒の感情は離れ、教授の苛立ちは怒りへ 女生徒のそれは苦痛に変わる。人間の心ほど読み取れないものはなく、感情のもつれが悲劇を生む。解らないことを無理やり講義(聞か)される苦痛、それが歯痛になるのか。自分では形容し難い思い、それを巧く観せてくれる。

    登場人物の衣裳…教授はワイシャツに黒ズボン、女生徒2人は上下 白、女中は黒服に白いエプロンで、薄暗い中でモノトーンが怪しく動く。動くと言えば、女中は直線的に歩くだけで応用が利かない、そんな不自由さを感じる。そこに常識に囚われた世界を連想する。音楽は最初の女生徒の時は、勇ましく煽るような、2人目は不安・不穏、そんな印象を受けた。この音(楽)にも拘りがあったのだろうか。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2024/12/21 21:45

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