満足度★★★★★
鑑賞日2020/02/25 (火) 19:00
座席E列1番
「帽子と予言者」
「不条理」というと、何かそれだけで何か分かった風な気分にさせられる。では、この舞台は、不条理かと言われると、そうかしらと思う。主人公の男、その男の子を宿した女、その女の母親、そして、宇宙から来たらしい生物を殺してしまった男を裁こうとしている検事(あるいは裁判官)。彼らがどういう存在なのかといえば謎多く、判然としない。この話自体、寓話なのかSFなのか、現実にはなさそうな話ではある。
パレスチナの作品と聞けば、「帽子」はユダヤ教のラビを、「預言者」といえばイスラム教のナビーを思い起こさせる。母親は宇宙生物を帽子だと言って、頭に被る。主人公はそれに倣い、帽子としてその生物を被るが、一方では彼らを大事な友人と呼び、自らに裁きを加えようとする検事たちに、死の不可抗力性と自分が殺していないことの正当性を述べる。主人公が聞く生物たちの言葉は、周囲には聞こえず、彼はまさに神(=宇宙生物)の声を伝える預言者とも言える。つまり、主人公はイスラム教の預言者(もちろん彼も、高額な金品で生物を売ることに関心がないわけではない)で、生物を売り払い多額な金品をせしめようという母親は、ユダヤ人だ。
彼らは、自らの私利私欲のために生物をうまく利用しようとしているに過ぎない。生物は同じものなのに解釈自体でいかにようにも扱われる。ユダヤ教徒もイスラム教徒も、同じ穴のムジナに過ぎない。そんな彼らを嘲笑し、見放していく検事や裁判官たちは、愛想を尽かせた理性の権化かもしれない。
「鳥が鳴き止む時-占領下のラマッラ-」
突如として訪れた占領軍蹂躪されたラマッラ-に住む作家の独白劇。秀逸。日々の生活風景が、淡々と描かれる。それは戦時下という日常。作家の言葉の陰に埋もれた悲惨に、どれだけ想像力が喚起されるかが問われる作品。それでも、人は日々生きていかなくてはならない。田代隆秀氏の明るく、しかも時々戸惑う口調が、生きるということの切実さと楽しさを同時に醸し出している。
こういう作品こそ、アフタートークのある回を観るべきだった。