満足度★★★★
昨年ハツビロコウがやった緊迫の同舞台を観た際、既に文学座の速報が折込に入っており、とても楽しみにしていた。が、会場がサザンシアターと知って躊躇した。文学座はアトリエ公演は大変良いが(「寒花」の初演もアトリエだった)、ホールに出ると途端に「新劇」の典型のような舞台になる。今回もその範疇になった。
もっともハツビロコウのが全てにおいて優れていた訳ではなく、旅順の監獄での日本人同士の対立の中でも、若い外務官僚が日本の侵略の正当性を激しく訴える場面は文学座は「正しく」(皮相的に)作っていたのに対し、ハツビロコウでは「彼の主張こそ真実」と見えかねない響きを持った(反論が台詞で書かれていないし)。激しい議論の格好良さ・熱さを追求した結果だろうが、トゥルースを脇へ置いたわけである(それにより両論併記が成立し、事実性を疑う主張が両論併記で同格扱いになればどんな事実も事実の座を奪われて行く)。
文学座のほうは台詞をヒロイックに吐かせたりはしないが、「そうしない」だけで長所と言えるかどうか・・。演技態が全体にコメディ向きで、この戯曲にこの形では(本人達の主観はともかく)表現者として高飛車に見えてしまう。演出の西川氏がパンフに書いていた初演時の(鐘下氏に執筆依頼した際の)懸念通りの舞台に、サザンシアターという会場向けの舞台にした時点で、恐らくなった。
テキストを受け止める観劇にはなっただろうが、私が描く鐘下戯曲の世界には遠くなった。