対岸の永遠 公演情報 てがみ座「対岸の永遠」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    海外を舞台とした他国人の芝居を日本で観る・・難しい課題に挑んだ成果は。
    久々のてがみ座観劇だったが、長田戯曲の感触は多分刻まれており、それを思い出させられた気がした。 文学的、というのが印象を言い当てる一つの言い方だが、その要点は何か・・。 台詞が、ある範囲というか、枠から飛び出ることがなさそうに感じる、そういう台詞の連なり、書き手にとって心地よい響き、所謂「文学的」=詩的、と言ってよいかも知れないが、素な日常言葉が混じる、のでなく、詩のほうに寄った表現が、混じる。生身の人間から発したことを確信させる言葉が、「文学的」の範疇を逸脱してでも飛び出てくる可能性、予感がない、ということなのだと思う。 とても微妙な部分について言っていてそんなのは芝居の本質に関わらない、という意見もありそうだが・・・私にはその部分が、「こちらか、あちらか」の境界を揺れており、どちらに立つのかは重要なのだ、という感じを持っている、今のところ。

    ネタバレBOX

     問題は戯曲にもありそうだが、まず見えるのは俳優だ。もう少し切実に、「そこに居る」リアリティを持てないのか・・・確かに、ロシアという土地の、庶民の感覚を身体ごと立ち上げることは難しい課題だろうけれど。 戯曲に対する確信が、持てていない? 演出はどうか・・・
     シアター風姿花伝のゆかりの演出家である事は今回知ったが、上村聡史演出+風姿花伝の秀作を頭に過ぎらせないでは行かない。戯曲をどう解釈し、何を生かそうとしたか・・ 美術や音響など「お膳立て」は期待感を駆り立てるが・・・
     亡命者である「父」を演じた俳優の佇まいはユニークだったが、彼がいったいどういう詩人であったのか・・そこが分からなかった。作者はどう描きたかったのか、も。彼自身が「逃亡」の途上で体験したものや、祖国に住む娘が(現代)出会うチェチェン出身者のこと、など「悩ましいテーマ」を想起させるが、その事と出会ったがゆえに彼らがどう変わったのかが分からないし、詩人の思想そのものとの関係も、結びつけづらかった。
     何より、娘にとって「父」を許せない決定的な理由があったが、それならば嫌悪や恨みを通り越して、無視の段階に至っていておかしくない。その彼女が、何をきっかけに父を受け入れるのか、そこも分からなかった。最後は歩み寄る、ということが物語りを一歩進めたようだが、結果先にありき、と見えなくない。役者自身が、その理由を見出していないと見えた(戯曲に書かれていないからだが、彼女はどう納得しているのだろう)。
     夫が改心する理由も分からない。爆撃音を聞いたことで、一時的に、日本での震災直後のように、何か真っ当な生き方をしなきゃと、テロを間近に見てそんな気になったのか。他に見当たらないのは私の鈍感な感性ゆえか。
     ヨシフ・ブロツキーという詩人(劇作もあり)を題材に書いたのだという。評伝に近い(史実を踏まえた)物語か、フィクションか。後者だという気がしたが、それにしては、実在した人物の威光というか、事実性(重さ)に依拠した作りに見える。
     一番困ったのは恐らく、この芝居をどう自分の場所に引き付け、重ねればよいのか、だろうと思う。 頭の悪い自分には、当たりも付けられない。

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    2016/03/19 04:12

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