満足度★★★★
自分の「ものさし」を持たない若者達に贈りたい演劇
先日とあるテレビ番組で、新成人の悩みや質問に、人生経験
豊富なコメンテーター達が答えるという企画をやっていた。
最高学府T大生のA君は「将来自分が何をやりたいのか
分からない」と言う。
自分の行動や将来への指針となる確固とした
「ものさし」を持っている若者なら20歳にもなれば、
例え世の中が不安定でも、将来自分が歩むべき道を
決める事が出来るだろう。
が、A君のように「ものさし」を持っていない
若者も多いように見受けられる。
いや若者に限らず、いい歳した大人のくせに確固たる
「ものさし」を持たず、人の意見や世の中の流れの変化に
一喜一憂し、就職や結婚等の人生の大きな問題の前で
右往左往する人もかなりいる。恥ずかしながら
拙者もそんな大人の一人。「ものさし」の重要さに
遅れ馳せながら気付いた。
「ものさし」作りは若ければ若いほど良い。
なぜなら歳をとってそれを持っていないと、人生の大きな
問題に対し不安も対処する労力も大きくなってしまうから。
その「ものさし」作りに大いに力を貸してくれるのが
劇作家の鴻上尚史さんであり、彼の最新作が
「深呼吸する惑星」というお芝居だ。
このお芝居も「ものさし」作りには非常に役に立つ。
拙者独自の分析だが、鴻上さんの作品の魅力は、
現在という時代とそこに生きる人々の心の中を俯瞰でとらえ、
社会と人々の心の中を蝕む問題を「笑い」をもって
浮かび上がらせ、激しさと厳しさを合わせ持つ「優しさ」で
その問題の解決に繋がるヒントを提示してくれる。
あくまでもヒントまで。それが鴻上さんの優しさ。
答えを観客に考えさせてくれる事で、より観客の
想像力を刺激してくれる。それが「ものさし」作りの
大きな力となる。このお芝居もこのような魅力満載の
作品となっている。
場面はお葬式から始る。故人の死因は自殺。作家志望の
故人は生前ブログを書いていて、参列者から
「死後そのブログはどうなるのだろう」という疑問がわく。
そのブログには故人が書いた小説がいくつか掲載されており、
参列者は死の直前に書かれた作品に目が留まる。
物語は葬式から、故人の最後の作品へと場面が移る。
その小説の舞台は、地球から遠く離れた惑星。登場人物は
その惑星に住む人々と、その惑星を支配する地球人達。
設定はSFだが、観客は直ぐにそれが今の日本の現状を
置き換えたものだと気付く。役立たずの民主党政権、
外交問題、差別、偏見、そして放射能・・。
鴻上さんは、現在の日本が抱えている問題を
観客に笑いをもって問いかけている。
それらは故人が生前不安に思っていた事である。しかし、
それらが自殺の原因ではない。
物語が進むにつれ、登場人物の中に故人を投影した者が
いるのに気付く。その人物の言動から、この
小説は不特定多数の人ではなく、ある特定の人物達に
宛てられたものだと分かってくる。そして何と
その特定人物達とは、故人の自殺の原因を作った者達だと
分かるである。という事は、小説の中に、その者達を
投影した人物も登場しているのである。その者達は
完全な悪人ではない。どんな人も直面してしまう
悩みや苦しみに勝てなかった普通の人間なのだ。
その小説からは故人がその者達に言えなかった言葉を
何とかして届けたいという思いが痛いほど伝わってくる。
何年経ってもいい、いつかその者達にこれを
読んでもらいたい。そして、読んだ後こうしてもらいたい、
と。まさに遺書だ。
この小説を読んで、その者達が何を思い、何を行うのか?!
それがこのお芝居の最大の問いなのだ。その者達とは、
つまり今という時代を生きている私達そのものを投影しているのだ。
その者達を投影した登場人物達は、答えを出しているが、
それはあくまでも答えの一つの例で、ヒントにしか過ぎない。
答えは何通りとある。
現実では、このように答えが非常に難しい問題がいつ自分の
身に襲い掛かってくるか分からない。親類や知人・専門家に
助けを求めたとして、表面的な事は解決できても、深い部分・
心理的な部分まで解決してくれる可能性はかなり低い。
人の意見を聞き力を借りたとしても、最後は自分だけで
問題の本質を解決しなければならない。そのためには
「ものさし」が必要だ。小説の登場人物を自分に置き換えて、
そもそも自殺される原因を作らないという確固たる「ものさし」、
それとは正反対に、悩みや苦しみに負けた事を一生背負い続ける
「ものさし」もあっていいと思う。「ものさし」は人の数だけある。
その「ものさし」を最終的に作り上げるのは、親でも友でも
先生でもマスコミでもネットでもなく、自分ただ
一人だけなのだ、という大きなヒントを鴻上さんはこの作品でも
掲示してくれたのである。