砂と兵隊/Sables & Soldats
青年団
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/09/16 (木) ~ 2010/10/06 (水)公演終了
満足度★★★★★
終わらない歩み…。
この作品、結構好きかも、と観終わった後思う自分がいました。
不条理劇は結構好きなんですけど、それに加えて結構笑わせる
ところもあり、あっという間の観劇タイムでした。
将校の「岩本」を演じた山内健司の、飄々として若干おとぼけな
隊を率いる軍人らしからぬ佇まいが、逆に強く印象に残りました。
「西川」演じる石橋亜希子の笑いの取りっぷりも良かった。
ネタバレBOX
オリザさんの「上演にあたって」、ものすごい作品のネタバレなので
最初から伏せておいた方が良かったのでは…。 皆、普通は
一番最初に読むだろうし。
「戦わない軍隊」「敵に遭遇したことの無い軍隊」…。
暗に「自衛隊」のことを指しているんだろうなぁ、と感じても
表だって言われるのと言われないのとではやっぱり感じ方の
強度が違ってくるし…。
それでも些細な台詞、だべりの応酬からいきなり核心を突いてくる
脚本は凄かった。
母親を探して砂漠を彷徨う一家の会話で、長女が父親に、
「涙を拭いて無理に笑顔を造って走って戻ってきた
かもしれないじゃんか!!!!」
は痛烈だったね。 長女の今に至るまでの寂しさ、理解されにくさが
あの台詞に思いっきり凝縮されているように感じられました。
最後、一番最初のシーンと同じように出てきた軍の一隊が
最初のとは若干ヴァリエーションの異なった会話を交わして
去っていくシーンで終わったのに上手いと思い、さらに登場人物達の
彷徨が順々に永遠に続く(脚本には「観客が全員去るまでこの動作を
繰り返す」と指定あり)演出の執拗さに思いっきりビックリ。
とまれ、上質の不条理劇でした。 またいつか広い所で観てみたい。
表に出ろいっ!
NODA・MAP
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2010/09/05 (日) ~ 2010/09/28 (火)公演終了
満足度★★★
裏「ザ・キャラクター」
中村勘三郎ファンが多かったのか、一挙手一投足に観客大ウケ。
でも、勘三郎さんはサービス精神旺盛でした。 歌舞伎パロディやって
笑わせてたり、他ではしないようなぶっ飛んだ動きしてたり。
その捨身のパフォーマンスがすごく面白かった(笑
若手女優さんも溶け込んでた、というより溶け込み過ぎてた(笑
特に序盤の、若干引きそうになる程の高テンションについてこられるかで
結構決まってくるかな、と思います。
しっかし最後の台詞、相当キツい皮肉だねぇ…。
ネタバレBOX
内容は、まんま上の「説明」に書いてある通りです。
母親はいい歳して若年アイドルグループ、父親はアトラクション、
娘は… あの「書道教室」にモノの見事にどっぷりハマってしまっている。
前半は「ザ・キャラクター」と同じく三者間のドタバタで進行していくけど
ひょんなことで娘の行き先がバーガーショップのおまけ目当ての行列ではなく
「書道教室」ということが発覚してから、舞台に何ともいえない黒い雰囲気が
立ち込めてくる。
家元のいう、「世界の終り」を信じる娘は、それゆえにそれを信じない
両親と対立、家元から授かったという「人魚の粉」を飲むといい出す。
なんでもこの「人魚の粉」を飲むことで人は生まれ変われるらしい。
…「ザ・キャラクター」を観た人は、ここでこの場面の雰囲気が
あの「地下室」でのやり取りと被ることに気がつかされます。
実際照明も、あのシーンと全く同じものにされててぞくっとした。
三人が互いを鎖でつなぎ合ってるのもまるで同じ。
三人を外に行かせない為につけられた鎖はそもそも三人が
自分の信じるものを強硬に捨てられないことの結果。
それなのに、それに呪縛され自分ではその鎖を脱して外に
脱出することが出来ない。
結果的に自分で招いた鎖を外すことことすら他人に期待する、その滑稽さ。
でも、決して三人を笑えない。
ここで「演劇」をレビューしている私が鎖につながれている、それを自分で
外せないでいる、そのことに気がつかないでいるかもしれないし。。
ちなみに、最後勘三郎さんが演じる能楽師の
「神様でも泥棒でもいいから水を飲ませてくれ!!!」
はキツかった。
結局窮地に陥った時には、自分の全てを賭けると言い張ってた趣味嗜好も
水以下、張り子の虎だったわけで、じゃ、そんなの今まで信じちゃってた
貴方って一体何なんですか? という皮肉な一撃をくらった感じ。
聖地
さいたまゴールド・シアター
彩の国さいたま芸術劇場 小ホール(埼玉県)
2010/09/14 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★
地続きの「境界線」
9月は、「自慢の息子」、そして「聖地」と松井ファンにとっては狂喜乱舞な
月となったわけですけど。 それ、私にいえることなんですけど。
「聖地」は「自慢の息子」と若干テーマを共有しつつも、結末は全く正反対の
印象でしたね。 向こうが「冷」なら、こっちは「暖」みたいな。
正直、松井氏の作品から「暖色」の印象を受けるとは思わなかったので
何か別の作者の作品を見てるような気持でした。
作品全体を通じて松井氏の意外な振幅の広さ、そしてそれに対する
演出の力を感じました。
勝手が違う作品を前に健闘以上の調理を見せた蜷川氏、そして
長丁場の舞台に耐え切った劇団員の皆様には本当に感謝。
ネタバレBOX
場内に入って、陽光を模した照明に照らされた瞬間から、もうお手上げでした。
窓の隙間から差し込む眩しくて心地よい陽光、白を基調とした調度品の数々…。
サンプルの薄暗くて風通しの悪そうな、カビ、蒸れてすえた匂いで
充満してそうな雰囲気の舞台との余りの違いにショックを受けますね。。
個人的には自分も年取ったらここに住みたい…って何十年先の話だ(苦笑
ストーリーは、チラシにもあるように老人達がホームを占拠して
「聖地」を築き上げる第一部までは割とオーソドックスに、しかも結構
良い話な感じで進行するものの、地ならしを終えた第二部からは徐々に
松井色が舞台を覆い始めます。
さながら、普通の絵の上に徐々に歪んだレイヤーをかけていき、
別の絵にすげかえてしまうように。
第二部では、入居者の一人、認知症患者の瀬田さんにかつてのアイドル
キノコちゃんが憑依、「聖地」の共同体の中心にいつの間にか入り込む。
それとともに、「聖地」設立の目的、老人達が安心して過ごせる共同体、
という触れ込みも徐々にキノコちゃんを中心とした、その体制保持の為の
集まり、というものに侵食され、変質していく。
ここで怖いのは、別にキノコちゃんが絶対的な権力者として君臨している
わけではないんですね。 キノコちゃんを絶対視しているものもいれば、
全然お構いなしにそれまでの生活を営んでいて気にしないものもいる。
なんかリアル過ぎる組織図なので、逆に笑えてくる。
徐々に話は進行し、本当にキノコちゃんが瀬田さんに憑依しているのか
それとも認知症で生前のキノコちゃんと仲が良かった瀬田さんの狂言に
みんな乗せられているのか、だんだん分からなくなってくる。
その疑念が頂点に達した時、警察が踏み込んできてこの物語は幕を閉じる…。
最後、その一連の物語でさえも、ある一人の老婆の死に際の夢で
あるかのような描写がなされ(この女性が本物のキノコちゃんである可能性も
あり、その死に際の願望・妄想が今作、という解釈もできそうだけど、本編では
明示は無し)、静かに美しく暗転。
結局、何が本当で何が偽りなのか分らないままですが、「自慢の息子」と
違い、音楽や照明が暖かいんですね。 慈しみに満ちているというか。
実際の蜷川さんは、暖かくて真摯な人だ、といわれているけどそれは十二分に。
舞台の雰囲気も含めて、そこは松井氏との演出手法の違いをひしひしと
感じました。
全く性質が違う、しかも世代も違い過ぎる作家の作品をここまで
自分の作品にした蜷川さんはやっぱり凄い人だ、と感じます。
なにより、その新しいことをしようという勇気に惚れるし、尊敬。
…けど、公演のチケット、毎回高いので何とかして欲しい(苦笑
今作はその意味でも感謝。
THE OLD CLOCK
劇団PEOPLE PURPLE
SPACE107(東京都)
2010/09/15 (水) ~ 2010/09/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
美しい「大きなのっぽの古時計」誕生秘話
とにかく凄く混んでましたね。
大入り満員過ぎて桟敷席が現れ、それでも足りず若干の立ち見まで。
キャラメルボックスの方も客演していたりと、綺麗で切なく、でも最後には
希望に溢れた、観終わった後素直に良かったと思える舞台でした。
体調悪かったけど、観に行って本当に良かった。
余談。
鑑賞後、気になって「大きなのっぽの古時計」について調べてみたら
登場人物のヘンリーは実在の人物みたいで。 奴隷解放運動の賛同者で
ホテルの人間から聞き取った話を元にこの名曲を創ったというのも事実みたい。
ネタバレBOX
スティーブンが生まれた日にジョージホテルにやってきた大時計。
その時計の精霊であるアリーシアとスティーブンは、ホテルの歴史と共に
一緒の時を過ごす。 星座の話を聞いたり、共に遊んだり。
時は経ち、母が、古くから仕えていたリッチが、そして弟のリチャードが
次々に世を去り、あとにはスティーブンとアリーシア等モノの精霊達、
そしてスティーブンにほのかな恋心を寄せ続けた使用人の
ウィンスレットだけが残される。 否が応にも孤独、そして老いを感じる
スティーブン。
そしてやがてスティーブンにも死の手が訪れる。
死に瀕した彼の願いを受け、精霊達は彼の愛した「パッフェルベルのカノン」を
演奏する。 その演奏に導かれるように昇天していくスティーブン。
精霊は年を取らない。 しかし、たった一つだけ願いを叶えることが出来る。
スティーブンの死を見届けた後、アリーシアは渾身の想いで願う。
――スティーブンの魂と天国へ
と。 かくして大時計は永遠に時を刻むことが無くなった。
その話を今は年老いた(しかし、昔の可憐さはなくバイタリティのある
おばあちゃんに(笑))ウィンスレットから聞いたヘンリー。
彼は奴隷解放運動に共鳴し、南北戦争にも関与していたが戦争の
真実の姿を目の当たりにし、曲を書くことが出来なくなっている。
その彼が一晩で書きあげたのが「大きなのっぽの古時計」。
スティーブンを愛しつつも、結局結ばれることの無かったウィンスレットの
想いを歌に織り込んでの「My grandfather's clock」をヘンリーが披露する中、
精霊達、そして今は天国にいるスティーブンとアリーシアが高らかに合唱し幕。
バッハ遠縁のブッファ氏等にぎやかなオモロキャラを配して上手く笑いを
とりながらも、基本はスティーブンとアリーシアの物語です。
自分のこれまでを振り返りながら観ると感動が倍加しますね。
相変わらず地に足のついた、浮つかない骨太な作品でした。
正直、ファンタジーとか嫌いなんだけど何故だろう、すごく素直に
観ていられた、な。 設定に逃げず人間がちゃんと書かれてたからかな。。
すごく共感し易い台詞の数々。
メインのスティーブンを演じた植村氏には脱帽。
38歳、45歳、老年のスティーブンを変化をつけつつ、純真な心を持ち続けた
地に足のついた一人の男として演じた、その存在感はやっぱり凄い。
あと、脚本・演出で、今回「のっぽの古時計」を作曲したヘンリーを
演じた宇田学氏の演技も、実は相当良いのではと感じます。
「ORANGE」の時の頼れる兄貴分消防士とはまた違った、落ち着いた感じの
演技で、なんというのだろう、懐が広いというのか、滋味のある動きをしますね。
今後は役者としての宇田氏をもっと観てみたいですね。
エゴ・サーチ
虚構の劇団
紀伊國屋ホール(東京都)
2010/09/10 (金) ~ 2010/09/19 (日)公演終了
満足度★★★★
活気にあふれた好作品
とにかく役者が騒ぐ、動く、そして笑わせる!!!!!
ホントは事前のチラシとか見てて、もっと深刻な話なのかな?と
思っていたけど、結構アッパーで若々しくて楽しかった!!!!
それでいて、最後はしんみりさせられる良く出来たお話でした。
しかし、 小野川晶の笑いのとりにいきっぷりは凄かったね。
相当舞台の雰囲気を明るくすることに貢献してたと感じます。
ネタバレBOX
話は面白かったけど、タイトルの「エゴ・サーチ」、あんま本筋に
関係なかったかも。。 二つの話を強引につなげた感があって
序盤~中盤までごちゃごちゃしてて理解がちょい大変でした。
ギジムナーの登場も少し無理あったし。。。 複雑過ぎ?
そこまで入り組んだ構造にする理由がよく分かんなかった。
これだったら、最初から舞台沖縄方面にして、「男女○人夏物語」
みたいにした方が合ってると思うけど、そんな単純なのは
やりたくなかったのかな?
↑で色々言っちゃったけどそれを遥かに上回って舞台の雰囲気が面白い!!!
稽古の場で出たアドリブやアイデアがそのまま本番に
採用されたのでは? と思えるような動きや台詞もふんだんにあって
かなり良い意味で「勢い」がありました。
つーか、あの、路上で一杯いそうなバンド「骨なしチキン」の、
フル・オブ・フラワー(後半「レインボー」に変わる)~♪
の歌が頭から離れない(笑) というか、あの歌、何気に結構良曲だと
思うんだけど、他の人はどうなんだろう?
緩急付いた、明るい雰囲気の劇が好きな人にはお勧めですね。
小野川晶も超楽しかったけど、大久保綾乃の、「スターウオーズ6本
ぶっ通しで観て~」の件は、なんかツボにはまって笑ってしまった。
そういうことありますねー。
というわけで、次回作は近未来ドタバタSFコメディ(歌踊りあり)を希望!!
自慢の息子
サンプル
アトリエヘリコプター(東京都)
2010/09/15 (水) ~ 2010/09/21 (火)公演終了
満足度★★★★
王のいない「王国」
ストレートに分り易くなったなー、というのが第一印象。
一癖も二癖もある人物達を今回も配しながら、相変わらず巧みに
舞台装置を用いながら、台詞もメッセージ性も「ハコブネ」の時以上に
一直線に観客に伝わってくるのが今作。
逆に、何が起こるのか分らない、その予測出来無さを楽しみに
サンプル、松井作品を観に来ている人は、今作は結構想定出来る
感じなので物足りないかもしれません。
ただ…ラストシーンのある台詞には背筋が凍った。
アレって…暗示してるの一つだけだよね。。。
ネタバレBOX
世界を正しく導くために、父親に「正」と名付けられた男。
彼がアパートの一室を「王国」と名付けることから、この話は始まる。。
といっても、部屋の一室が便宜的に「王国」となっても何も変わらない。
通貨も無ければ、言葉もロクに考えられてない、そもそも王しかいない
王国は果たして王国といえるのか??
亡命者の兄弟は所謂「危険な関係」にあり、それを隠すために
この新国家に亡命してきている。
しかも、兄の方はいつも懐にナイフを忍ばせているような
強迫観念に駆られている男で、物語では明示はされないが
本当に二、三人は思わず殺ってしまっちゃってるんじゃないだろうか?
隣室に住んでいる女は、いもしない「陽」という自分の息子の幻影を見、
必要のない洗濯を日がな何度も繰り返す。。
そしてこの国の王たる正は…部屋に引きこもってはぬいぐるみのミニ
人形と専ら戯れているだけの、女性経験全く無し、職歴も全く無しの
もう絵にかいたような典型的な生活不能者…ですな。
そのような現実から「亡命」してきた人間達が便宜的につつけばすぐに
破れるようなベッドやらカーテンやらのシーツの塊でこねくりだしたのが
この王国の正体。 つまり、すぐにでも破綻することは必定。
「国民」や「王」も必要があるから共犯よろしく、この抜け殻の王国を
持ち上げているだけで、意味がなくなればすぐにベッドからシーツが
はぎとられるように消えてなくしてしまおうと、新しく創っちゃえばいいじゃん?
位に考えている。
この作品,観ていてNODA MAP「ザ・キャラクター」を思い出しました。
現実の中に架空の、偽りのコミュニティを造り出して、そこで醒めない
夢を見続けるんだろうな、という点で…。
最後、二代目「陽」になった兄が妹に向かって放った言葉、
「陽は土の中で眠っているーーー!!!!」
「やがて脱皮して新しく生まれ変わるまでーーーー!!!!」
「土の下でお前を支える支えになるからなーーー!!!!」
に、心底背筋が凍った。 コレ、陽って子は既に母親に虐待を受けて…
で、土の下で「眠っている」ってことでしょ? 瞬時に想像してすんごく怖かった。
最後、みんなしてシーツを掲げたあの光景、アフタートークで松井さんは
ドームって表現していたけど、私には今まで、そして未来永劫漂流し続ける
ヨットの帆にしか見えなかった。 そして、ナイフを自動人形よろしく
掲げ続ける妹の姿に本気でびびった。
変態度も、意味わからなさも若干後退気味で、その分上記に書いたような
テーマ的な部分は大きくクローズアップされているので、この劇団に
興味がある人にはリトマス試験紙的な意味で良いかも。
ハーパー・リーガン
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2010/09/04 (土) ~ 2010/09/26 (日)公演終了
満足度★★★★
認め合う
端的にいうと、母娘三代の衝突、そこに血を分けた人達でありながら
容易には埋められない「壁」を感じつつも、
本気で本音をぶつけ合う事でうっすらと見えてくる共通点に少し安堵し
最後には互いを、ほんの数センチだけど確かに「認め合う」。
そんな、微かに希望がのぞけるような、観終わった後には色々なことへの
ためらいがしゅんと消えていくような懐の広い劇でした。
ネタバレに書きますが、公演前のインタビューで小林さんが言及していた
最後のシーン、あそこはホントに良いね。 結構響いた。
話全体は女性にささげられているものと感じたけど、最後の場面は
男はじんとするんじゃないかと思う。
ネタバレBOX
主人公ハーパーは、観た限りでは、
・相当我が強く、
・恐ろしくまじめな人で、
・またすごく頭の良く、
・最後に非常に透き通るように純粋
な女性と見受けられました。 この「ハーパー」という女性の考え、選択肢を
受け入れられるか、がこの劇を認めるかどうかの大きなポイントですね。
私は、父親の死んだ直後のハーパーの行動は結構理解出来る。
立ち寄った先の居酒屋で男をグラスで殴りつけたり、行きずりの男と
浮気してしまったり。
上記の特徴を持つ人は、自分の世界を強力に確固に造り上げている人。
人にはその内側を明かさない為、第三者(例えば、娘のサラ)的には
「変な人」に見えるけど、実際はその人だけの行動原理にしたがって
理にかなった動きをしているだけなんですね。
ハーパーの場合は、「父親の存在」が彼女を支配していた。
その父親が死んだことで、自分を支える存在を無くした彼女は
「古い自分」を捨て、「新しい自分」を見つけた。
それが自分の、自分に本当は良く似た「母親」であり、「娘」であり、
そして「家族」であった、というのが凄く感動する。
木野花の、ハーパーの母、アリソン婦人は短い登場時間だったけど
存在感がものすごかった。 何とかして自分の存在を認めてもらいたい、
自分を理解して欲しい、という切実な想いが母ではなく、女性ですらない
私にも一直線に突き刺さってきました。
そしてセス。
彼は良い。 女性が大きな存在の、この劇で私が感情移入したのは
セスでした。 いや、もしかしたら児童ポルノ撮影愛好の、変態野郎
なのかもしれないんだけど(苦笑
コミカルな中に、彼の女性二人、妻のハーパーと娘のサラへの愛情が
透けて見えるのが切ない。
この劇は、不器用で卑小な人しか出てこない、愛らしい劇ですけど
その中でも彼はダントツで好きですね。
最後、庭での家族三人そろっての朝食の席で彼が語る十年後の
未来予想図、夢、
「娘のボーイフレンドは正直者で男気があって、僕の学会の発表会にも
一緒についてきてくれるんだ」
「サリーでも、どこへでも来てくれるんだよ」
あのシーンに、脚本家の「父親」の姿が垣間見えてなんかホッとした。
何故か嬉しくなりました。
そう山崎一がしみじみとした表情で語るのを、神妙に、そしてほんの少し
安心、幸福そうに聞く二人の様子、そこに差し込んでくる明るい陽光の
シーンが、
それぞれは違う人間だけど、どこかに「自分と同じもの」を見つける
ことは出来る、それがどんなものでも許す…というより認め合おう、という
幅の広さを感じ、自分のどこかが浄化されるような思いでした。
…思ったけど、あのシーン、スパイダーズ「ACWW」の
ラストシーンと被るよねぇ。
作品のテーマも重なり合ってるし、長塚さんはこういう話が最近は
好きなんだろうなぁ。
マルチメディア
ペピン結構設計
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/08/28 (土) ~ 2010/08/31 (火)公演終了
満足度★★★
切なくなる
これは… 主人公たちと同世代、20代中盤~30代前半辺りまでの
観客はほぼ同じ体験をしているだろうし、ああ、分かる分かる!!!!と
思わず自分もそこに一瞬戻ったような感触を受けると思う。
その後、自分も、自分の周りのものも変わってしまう、ということに
思いが至って、観終わった後は少し切なくなると思いますね。
ほんの少し、自分が見てきた昔の風景、今も殆ど変わらないけど
でもやっぱりちょっと今のものとは一致しない風景を懐かしく感じました。
ネタバレBOX
酒屋がコンビニに、タバコ屋が「MULTI MEDIA」ステーション(多分、昔
少ししゃれた町の中心に設けられた科学記念館みたいなものだと思う)に
変わり、そのステーションも平成の終わりと共に閑散とし、潰されて
ユニクロに変わる運命を待つのみ。
そんな、自分のうちの近所でも当たり前にありそうな、寂れてシャッター街に
なりかけの商店街の住人達の物語。
昔は必要とされていた酒屋やタバコ屋、電気屋なんかが姿を消し、そこの
住民達は商店街を後にしていく。 それを淡々と告げる狂言回しのアサヒ。
昔の友人がやむを得ない理由で自分達のコミュニティから外れていく。
それほど悲しいことは無いんだよね。 やがて帰ってきても、もう感覚を
共有することが難しいんですね。
「この街」の、じゃなくて既に「あそこの」人になっちゃって、そこに意識が
根付いちゃってるから。
この物語には、昭和から平成へ移り変わり、否応なしに変化を求められる中
変化を拒み、時の止まった中、ただ生きる人たちもいる。
その人たちに、「時間は動いてる、変化してる」と告げてしまう事って。
果たして、良いことなのか、悪いことなのか。
序盤の、映画館がポルノとかアニメしか流さないようになった、ってエピソード、
自分の周りにも同じことがあったから、他人事とは思えなかったよ。。
主人公が自分の身の回りの人、かつての自分のように感じられてならなかった。
ログログ
キリンバズウカ
シアタートラム(東京都)
2010/08/26 (木) ~ 2010/08/29 (日)公演終了
「役者は」上手い
ただ、内容が…ちょっと。
世界観が狭い中に色々ぶち込んじゃったので、最後整理出来ずに
強引な力技でねじふせた印象。 最後の展開は個人的には「無かった」。
なんかニイムラの存在が軽くなっちゃってて、誰かに都合よく動かされる
人形みたいだ。。。
ネタバレBOX
導入部分の、ニイムラの屋上からの転落をめぐるアレコレが結局本筋と
全然絡んでこなかったり、相手の記憶を自分のものと混合する性質も
最後の最後で思い出したように使われるだけなので、最後の尻すぼみ感が
凄かった。。
何だろう、ニイムラが自分の母親に殺されかけたエピソードを語るとこは
生々しくてとっても響いたのに。 第二部に入るところから役者の演技に
反比例してホンが現実味を無くしてって没頭出来なくなりました。
割と出番の多いアズミがいかにも「男男し過ぎて」好きになれなかったのも
大きいよなぁ。 ちなみに、シマちゃんが一番好きかな、この劇の中では。
言いたいこととやってることが登場人物の中では一致してる方だと思うんで。
脚本が二十年前の話を語りたかったのか、「記憶」をテーマにしたかったのか。
見せたいものの優先順位を整理して欲しかったです。
歸國
富良野GROUP
赤坂ACTシアター(東京都)
2010/08/12 (木) ~ 2010/08/15 (日)公演終了
満足度★★★★★
「あの戦争」についての新しいクラシック
時間の流れだけは誰にも止められない。
嘆いても、叫んでも、諦めても、1年、10年、100年…と時間は平等に
人の上を通り過ぎていく。
それは悲しく辛いことばかりとも言い切れない。
自分が当事者だった時は見えなかったもの、しかし本質的なものが
時間の経過に洗い流されて顔をのぞかせることは良くあること。
倉本聰氏は、抑制され、冷静で、上品な筆で65年前の英霊を、
「造られた作者の分身」ではない本物の英霊を赤坂の舞台に生々しく蘇らせた。
川の中の石は流れに削られ、水に磨かれ、さらに端正に輝きを増す。
夏に、「忘れられず記憶される」べき新しいクラシックが誕生した、といえます。
ネタバレBOX
正直、「あの戦争は非道だった」とか「戦後の日本は間違っていた」という
メッセージを声高に叫ぶ作品だったら今、ここにレビューを書いていないと思います。
今残された記録に触れるだけでも、様々な「思い」や「記憶」がある。
そこを無視して、「戦争ハンタイ!」とか「日本の誇り」と単色で
描いてしまうのは、造り物の英霊の口だけ借りて「思想」を
語らせているだけで危険だし、かえって過去の人を侮辱しているといえる、とこの際言ってしまう。
人間を単純に見ている、ということでしょう? それは。
倉本氏はそこに与せず、性急に答えを求めず、ただ丹念に65年前の英霊達の姿を
そのままの姿で描いていく。 時間が解凍されたように、リアルな人々がいた。
うわずみだけさらった幾多の作品と異なり、書き手が当時の人間と完全に重なり合う事を
求められる分時間もかかり、先入観も一切放り捨て、いわば「無我」を必要とする、と私は
ここで氏の苦労を想い、さらに突っ込んで氏の意志を感じた。
作中、もともとドヤ街のワルだけど人情に溢れた宮本のエピソードが凄い。
浅草の劇場で働き、戦後は一人息子を苦労して育て、そして縮こまるようにして
亡くなった自分の妹について、彼は語る。
「今日妹が死にましてね…」
「あいつ腐りかけのバナナが好きだったんですよ」
「『腐りかけのが美味しいのよ』なんて言っててねぇ…」
感情を抑制した筆致で描かれる台詞の数々は表現の美しさもあって
人間的で、印象に残るものが多かった。
自分の故郷が長い年月を経てダムの底に沈んだことに慨嘆した兵士が
「変わらなかったのは木の間から見える月だけだったよ…」
兵士達の人間周りを丹念になぞっていくことで、時に現代と65年前の
戦時を交錯させるファンタジックな演出で、逆に戦争状態の悲惨さ、
そして戦後の現在を生きる人々、徐々に当時を意識しないでいくことが
宿命づけられている人々への「忘れることは仕方ない、けどふと
自分達を想い出してみてくれないか」という望みをそこにみることが出来ます。
話は深刻だけど、美しく凛とした劇作と受け取りました。
通りゃんせ
ユニークポイント
座・高円寺1(東京都)
2010/08/05 (木) ~ 2010/08/10 (火)公演終了
満足度★★★
肩の凝らない「異文化交流劇」
とりあえず、雰囲気が良かった。
「異文化交流」というと、結構「衝突」「相互理解」というところに
スポットが当たりがちで、重くなり易いきらいがあるように思うけど
凄くバランスの取り方が上手く、良い空気を保ちながらも
伝えたいところはしっかり押さえられている。
この種のテーマのものでは良作品だと思います。
ネタバレBOX
最初、時間軸と場面、登場人物が交錯して誰が誰で
どの場面なのか結構つかみづらかったです。
慣れてきて話に入り込んでくると、あー、この
キャラにはこういう背景があったのね、と腑に落ちる点もあったけど…。
個人的には、話の本筋的にも星野さん他数人の人物は削った方が
分り易さの点では良かったんじゃないかなー、と。
印象に残ったのは。
結婚相手の姉にバツイチに関わる事情を徹底追及され、苛立った
長女がふと漏らした一言、「結婚、面倒くさい!」に、
韓国人の旦那が、
「あいつ面倒くさい」「仕事面倒くさい」「生きるの、面倒くさい」
「面倒くさい、ってそういう言葉でしょ?」
「五秒以内に謝って」
「今なら忘れてあげるから。忘れるのが僕の特技だし」
って向かって、謝らせたシーンかな。
あそこに秘めた怒りを感じて、言葉がボディブローのように響いてきて。
思うに「面倒くさい」って相手をやんわりと拒絶する冷たい言葉なんですよね。
それでいて、自分は傷つかない、便利で「空気も読める」、けど厭らしい
言葉だなぁ、って恥ずかしながら、あの場面で初めてハッと気付かされました。
あと、気付かされたけど韓国語というのか、韓国人というのか。
とにかく向こうの文化は、物事をあいまいにはさせておかない、と
いうのもこの作品では巧みに描いていますね。
唯一長女のお披露目式に参加しなかった長男と、その恋人なのか
友達なのか良く分からないあいまいな立ち位置の娘との関係がまさにそう。
娘の方は韓国語で直接的に愛の告白を投げかけるけど、当の
言われている長男は曖昧な「えっと、何言ってんの」的な返ししか
出来ない。 というか、しようとしない。
この二組のカップルの、些細なやり取りに日本と韓国、双方の
違いがさりげなく描かれていて、巧いな、とうならされました。
ラストも含めて全体的には淡白でしたが、雰囲気は終始柔らかくて
クスリとさせる場面もところどころで用意されてたりするのでお勧めです。
余談。全面的に出張ってくる二人組の妖精的(?)存在の女二人のしぐさや
表情がいちいちキュート過ぎる。 この劇のMVP。
ザ・キャラクター
NODA・MAP
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2010/06/20 (日) ~ 2010/08/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
「マボロシ」と「マドロミ」
とみに最近色々と個人的に思う事があったのですが、そんな中野田さんの
「感じる=信じる」の話には頷ける点が多く。
雑誌「+act」でチョウ・ソンハ他が「野田さんは本気云々」という話を
していましたが、この時期にこの作品は相当リスクが高過ぎると思うのです。
1. 猛烈に現実に寄った作品なのでお客が逆に白けたり、引いてしまうリスク
2. 「眠っている人」に冷や水を浴びせかければ、当然猛反撃を返されるリスク
個人的には「よくやってくれた!!!」「よく言ってくれた!!!」と思う。
ますます「深い眠りに包まれ続けていく」日本で、空気読むどころか
意図的にぶち壊した氏の、反発恐れず、爆死覚悟で強烈な一撃を放った勇気と
暑苦しいほどの真面目さに心から称賛を贈りたいと思います。
ネタバレBOX
相当ダークで残酷なこの作品。
相当難産だっただけあって、後で振り返るとちょっとしたシーンが後での
伏線になっていたりすることに気がつく。
「人間を(窓から)投げ捨てた」がそのまま「人間(の心を窓から)投げ捨てた」、
「セイレーンの歌声」が最後の終幕での「サイレーンの唸り声」と結び付き。
今覚えているのはその二つだけど、他にも色々。
思ったけど、後半に進むに従ってメッセージ色はどんどん強くなっていくけど
逆に作品自体の温度はだんだん醒めてくるというか、冷静さが増していくような。
感情に流されない、を念頭に相当考え抜かれ書き直されたことが分かりました。
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「マボロシ」は見果てない「ファンタジー」を見続け、そこから抜けられない人。
「マドロミ」はそんな「マボロシ」の危なさ、おかしさに気付きつつも
信じてすがって見ないようにして眠り続ける人。
今回、たまたま「あの事件」がモチーフだったわけですけど、
二人のような人は「あの事件」の中だけじゃなく、今でも
「ネット」の中、「テレビ」の中…沢山溢れるほどいますね。
みんな冷蔵庫に、扉の中にこもったまま出てこれない。
正直、終盤まで「マドロミ」が好きになれなかった。
無実で被害者の弟と綺麗なままの自分とを照らし合わせ、重ねている、
そんな距離の取れていない危なさがあったので。
教団側との底知れない親和性を感じたので。
現実社会で「私は純粋なんです」と言っちゃったり、ネットに書き出す人に
表だって言わないけど内心ドン引きしてしまう感覚ですね。 アレに近い。
本筋とはズレますが「純粋で傷つき易い」って今若干肯定されている感があるけど
自分としては本当はとてつもなくヤバいと思っている。
教団の信者が、「みんな変身しています!!!」という大家の言葉に
導かれてみせた、ニンマリして空っぽなスマイルと何かオーバーラップするのです。
「マドロミ」の印象が変わったのは自分の弟が殺人者であることを知り、
弟の背中に「幼」と書きつけたところ。
私にはあれが弟との、直視出来なかったもう一人の自分との決別宣言のような気がして
ただ逃げ回ってるだけ、「探し回っているだけ」の人だと思っていたのが
その後の長い独白も含め今でも脳裏に浮かびます。
「眠り」から醒められる人は傷つくことを恐れない、勇気のある人と感じる。
その姿は本当に生々しくて胸打たれる。 今では希少なものとなったけど。
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個人的にヤバい、と思ったのは中盤の、みんなで一心不乱に四つん這いになって
無言でシャカシャカと音が出そうな勢いで「信」の字を書き殴って、それを掲げ持ち、
ビシッ!ビシッ!ビシッ!とポーズを決めちゃうシーン。
何かもう…人じゃない、虫かなんかに見えちゃって。
本人達は真面目にやっているのが分っている分、かえって滑稽に見えて
笑いそうだったけど、客席からは嘲笑も含めて何も無し。 沈黙。
その後も文字の敵だということで秋葉原のPCを破壊して回ったりと、
第三者的にはぶっ飛んでいる発想だけど、客席誰も笑わないのは
それがぶっ飛んでいるのしろ、その集団の行動原理、論理であることを
みんなが認めているから。 この集団は「こういうもの」だとそれまでの
流れで観客が知っているから。
でも、どの集団も皆同じ。行動原理に則ってそれを疑わないのは
皆同じ。そう考え、自分の周りに目を向けるとゾッとしますね。
ギリシャ神話ではゼウスは色んな姿に身を変え、人間の前に
姿を現すそうです。
今回はたまたま「家元」「教祖」の姿だっただけに過ぎない。
ゼウスは忘れた頃に変身してまた何度でも世に現れる。
でもどんなに姿が変わっても、その本性は変わらない。
でも、また別の変身した姿で世に出ても誰ひとりとして
気がつかないと。 そう確信します。
みんな「物忘れ」、なので。
最後に。
「ザ・キャラクター」のモチーフの「あの事件」、当時私は小学生くらい
だったのだけど思ったのは「犯罪ってこんなふつーの感じの人も
でっかいのなの起こせるんだ。なんかすごい」と。
その時まで「犯罪=いかにもな人がいきなりやっちゃう」という
イメージがあったので隣家にいそうな人が何かよく分からない
事件を起こして、それがテレビになるなんて単純にビックリでしたね。
今に至る「動機のはっきりしない、"透明"な凶悪事件」のはしりで
やっぱりその意味では分水嶺だったな、と振り返って思います。
そんなに驚くな
BeSeTo演劇祭
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/07/17 (土) ~ 2010/07/19 (月)公演終了
満足度★★★
死体をめぐ…らないブラックコメディー
結構前から、色んな演劇人のインタビューで韓国の俳優は凄い、という
話をちらほら聞いていて、気になってた矢先に本作品の案内。
どんなものか?と軽い気持ちで観に行きましたが。
とりあえず日本のと比べて、色々とあけすけ、というかズバッと
言っちゃう、核心をついちゃうことが多いと感じた。
日本の劇団だったら雰囲気に任せてはっきり口にしない、客任せな部分も
韓国のホンだとえッ?と思っちゃうほど明確に口にしますね。
本作品では、特に後半部分に顕著でしたが。。。
そして、よくも悪くもよくしゃべり、よく動きます。 日本人的感覚では
ちょっとやり過ぎじゃ?と思う動きの派手さも、慣れれば新鮮で良いですね。
劇団・本谷由希子とか楽しめる人にはぴったりかと思います。
ネタバレBOX
下の方で詳細、かつ的確なネタバレがあるので。
簡単な人物のアウトラインを。
父…序盤ですぐに首を吊ってしまうので細かいことは不明だが。
どうも自殺を図った時は情緒不安定だったようだ。
死体となった後もほとんど意識されないことから、生前も
ほとんど空気に近いような存在だったことが推測される。
長男…大物映画監督を目指すが、正直その器でない、良くて二流の人。
本人もそれに気が付いているのか、必要以上に映画にのめり込み
家庭をないがしろにして後悔も反省もしていない。
本人の言動、また自分の妻にスナックの仕事を斡旋しておきながら
その事実を全く覚えていない等、自分のことにしか関心の無い
典型的な現代人。
次男…既に自宅から一歩も出てない生活が数年来続く典型的なヒッキー。
後述の兄嫁に横恋慕し、その写真を自分の日記に貼っている、
情緒不安定なせいかモノが食べられず、常にひどい便秘に
苦しみ続ける、等自他共に認める「人間のクズ」。
義姉…夫が家庭を顧みなくなったせいで情緒不安定に陥っているばかりか
それに加えて結構重度のアル中持ちの、相当ボロボロな人。
寂しさを埋め合わせる為に、自分の店の客と頻繁に性交渉を
結んでいる様子。
以上でも分るように、個々人がバラバラでお互いの都合ばかりを叫び合う
この家庭は、父親が死んだところでどうといった変化は起こらない。
父親がぶら下がっているトイレの、扉を隔てた向こう側では、義姉が
男を連れ込み、たまに帰ってきた長男は弟相手に壮大な(でも、いつ
撮られるのか分らないような)映画の構想をぶちまけ、興奮に浸る。
父親? それは表面では悲しまれつつも、その実、各人の都合で
天井から降ろされもせず、まして葬式も挙げてもらえない、トイレに
設置されている壊れた換気扇以下の存在になってしまっている。
後半に進むにつれ、父親はほとんど忘れ去られ、義姉、そして
彼女としけこんでいた間男をめぐっての一家内バトルの様相を
呈してくる。 死人の処遇<浮気の話し合い な、この不気味な構図。
結局、最後に死んだ父親の口から一カ月経っても、まだ梁から
下ろして貰えずぶら下がったまま、との報告がされて幕。
終始、重くならず、どちらかといえば軽めの、笑いもしばしば
ちりばめられたこの作品は、それだけに黒さとエグさが高いです。
個人的には義姉のぶっ壊れたテンションの高さと、長男の、人を
小馬鹿にしたような目の演技が見事。
長男が、浮気相手から「あんたがこの女の旦那だってこと証明して
見せろよ」と迫られて返した答え、「僕と妻はずっと昔に結婚しました。
それで充分じゃないですか」はこの映画監督の、他人への関心が
いかに低いかを如実に表現した、本作品随一の名セリフだと思う。
エネミイ
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2010/07/01 (木) ~ 2010/07/18 (日)公演終了
満足度★★★
通過点
性別、年齢、家庭環境など観る人によって全く違った印象を与える
作品だと思う。 テーマがテーマなだけに、「誰が間違っている」とか
「誰が正しい」というのをひとまず置いておいて(あるいは観客に任せて)、
ストーリーだけ投げかけた作品ですが。 間口は大きく広がったと思う。
登場人物で、特に共感出来る人は残念ながらいなかったけど、
観るべき作品だと思うし、観終わった後は共感、あるいは出来ずとも
自分に近しいと思える人を舞台の上に発見出来る作品ではないかと。
ネタバレBOX
演出を蓬莱氏自身で無く、別の人、鈴木氏が手掛けたのは
正解だったと思う。
蓬莱氏は過剰というか、突き抜けてしまうのでテーマは心に
突き刺さってくるのだけど、その分ものすごく疲れるから。。。
鈴木氏の、基本大らかで〆るとこだけきちんと〆るという演出は
バランス的によいと感じます。 蓬莱演出だったら、多分重苦し過ぎて
二時間以上は耐えられなかったと思う。。
内容は…一言でいうと、「依存する人たち」の話かな。。
一家全員、来訪者の二人、山田、みんな何かに依存して、「それが
私の生きる(進む)道」って感じで生きている。
演出では相当抑えていたと思う部分だけど、結局そこが感じ取れたから
誰にも共感出来なかったのかも。
母親は明らかに父親と脱コミュニケーションなのに「お父さん仕事
頑張った!!」って言っちゃう辺り、日本人だなぁ、と。
姉。 あんま重要じゃない役回りだけど、言っていることは一番現実的で
よく理解出来る人だった。 何だろう、感覚が一番マトモだと思った。
男四人。 うん、みんな同じようなものだね。
それぞれが思うファンタジーの中、「敵」に向かって腕を振り上げて
いるけど、その拳は「敵」、ならぬ「的」には当たらない。
だっていないもん、敵なんて。
自分がいると思っているモノと闘い続けるのって何よりも辛い。
ファンタジーの中にいるから、互いが理解し合えない。 問題は
そこにあると感じました。
この中で一番礼二と歳が近いけど…
彼がシフト表の話をし出した時、凄く真面目で優しく他人想いであることは
痛いほど伝わってきたけど、正直「ふーん、それで?」と感じてしまった。
彼の自己犠牲的に匂う部分がどうしても受け入れがたかったのもあるけど
彼と、現実世界の深夜遅くまで頑張って仕事しちゃう入社したての社員とが
ものすごくオーバーラップし、そこに昔の自分を見るような気がして。
今だからいえるのだけど、↑のような感覚って結局「自分が」っていう
思いが強過ぎるんだよね。 自信過剰というか、自己本位というか、
最終的にはそこに行きつくし、やがては自分で気がついて脱却していく
べき「通過点」だと思うから。
なので、ヨーロッパ旅行に誘われた礼二が断る気持ちもよく分かる。
ヨーロッパ旅行より、今の自分にはやらなきゃいけない仕事があるから
よそに目を向けられないという想いですね。 すごく生々しかった。
でもそれは結局、自分を中心においている発想なんだよね。
余裕が無いし、「入れ込む人」というのは、まだ自分に自信が無い人の
裏返しということもよく分かっていると思うから。
でも、断言出来る。 彼は必ずヨーロッパ旅行に行くし、三里塚にも行く。
父親の、「年をとって一番辛いことは、昔のことを正確に伝えられない
ことだ」というのはすごく名台詞。 一番心に響きました。
婦人口論
財団、江本純子
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2010/07/15 (木) ~ 2010/07/25 (日)公演終了
時間、半分なら良かったかも
とりあえず、ノゾエさんの動く、というか妖しく蠢くような動きと
発言、というか、発声するだけで何か面白くなって笑ってしまう
津村さんが印象に残りました。
ノゾエさんは、ホラー系作品で舞台の片隅に黙って佇む役とか
サスペンス系作品で真犯人なのかどうか分からないグレーな人の
役とかやって欲しい。 すっごいハマリ役じゃないかと思います。
ネタバレBOX
話自体は…んー、暗闇体験アトラクションでの男女5人+1人の顛末、
ってとこ? 正直、あって無いようなストーリーでほとんど会話だけで
回してる感じ。
序盤の、唐突な話題の切り出しとそれに続く突っ込みやなんかが
終いまで続くので最初で置いてかれた人は結構しんどいかと思われます。
しかも結構ネタが重複するので一時間過ぎる辺りから流石に飽きてきます。
いっそバッサリ半分に削ってコント仕立てで強引に押し切った方が
メリハリ効かせられて、楽しく観られたかも知れないです。
バンソウコウの件から、あー、あっくん本当は…なんだろうなあ、と
思いながら観てたら、最後のオチがまんまそうだったなー。
東京ノート
BeSeTo演劇祭
新国立劇場 特設会場(東京都)
2010/07/02 (金) ~ 2010/07/17 (土)公演終了
満足度★★★★★
【青年団版】鑑賞
新国立劇場中ホールが美術館の一角へと演出され、美術館特有の
静謐な空間がそこに自然に現れたように感じました。
時折後ろで聞こえる足音さえも不自然に思えないほど、舞台と
それ以外の空間の境界が溶け合って一つになったように。
私には思えました。
この劇の一番最初、「マヨネーズ腐らせて~」の件、ピンター「帰郷」の
出だしの台詞「ハサミは~」を何故か思い出した。
そういえば、設定も、何もかも違うけど両者そんなに遠くないように感じる。 日常にある、得体の知れないモノ、を客に感じさせる、みたいな。
ネタバレBOX
静謐な空間で話されるのは、何気ない呟きのように儚く、次の瞬間には
霧散し忘れ去られるような言葉の数々。
でも。
その中に時折微かな「違和感」が混じっていく。
それはひたひたと忍び寄る戦争の影だったり、終焉を迎えそうな夫婦の
姿だったり、未だに清算されることのない慕情だったり。
その「違和」は透明に広がる水の中にほんの一滴落とされたインクの様に
最初は目立たず、でも時間が経つにつれて表面を徐々に浸食していく。
ただの普通の、何も起こらない美術館での一日のはずが。
そこでほんのわずか同じ空間を共にする人間達それぞれが、
言葉には表れない思いを抱えて生きていることが、徹底的に
選び抜かれた言葉、恐ろしく緻密に計算された構成でもって
時折鋭く私たちの心のひだを抉ってくる。
必ずしも「強い言葉」が核心を突くとは限らない。
一見、他の言葉と一緒に聞き流してしまうような微かな言葉にだって
衝撃を与えるものがたくさんある。
それに気がつくと、この「静かな演劇」の代表作がどこか不気味で
スリリングで緊迫した雰囲気の中、一瞬も台詞を聞き逃せず、
役者の動作一つもうっかり見逃せないような、恐ろしく重厚な作品となって
私の前にあるような、そんな気がしてならなかったです。
真夏の迷光とサイコ
モダンスイマーズ
青山円形劇場(東京都)
2010/07/08 (木) ~ 2010/07/18 (日)公演終了
満足度★★
いつも通り
事前では、「今までとは違ったモダンスイマーズを~」云々という話でしたが
ふたを開けてみれば、いつも通りのモダンスイマーズでした。
ただ…蓬莱さん、ひいては劇団自体が「今までとは違う」に捉われ
過ぎてるのか、演出はものすごく力が入ってたし、構成もおー、っと
驚かされたけど、なんかそれだけだった気が。。 散漫だったかも。。
詳細、ネタバレに書きますが最後の展開は正直えー、そりゃ無いよ、と
思いました。
ネタバレBOX
女主人たる姉は、自身の夫が交通事故で死んでからというもの
その過去を乗り越えられず、赤の他人を雇い、それぞれに架空の
名前を付けるに飽き足らず、その一人には自身の夫の名前を付け、
時の止まったような屋敷で心は一人孤独に暮らしている。
その弟であるところの作家はありがちな、「良くてそこそこ、悪くて稚拙の
アマチュアに毛が生えたレベル」を出ない。 出版社から一応数冊本を
出して貰えてるが、目をかけてくれていた編集者が亡くなって以来、
その活動は徐々に先細り、本人もそれに焦る様子。
…と、この二人の空間があらゆる局面で交差する、ここ数作の蓬莱
作品の構成を踏襲している作風。 「雨」が急激に作品展開を加速させる
点も含めてアル☆カンパニー「罪」を彷彿とさせます。
というか、蓬莱さんは「雨」のモチーフが好きなんでしょうか?
「凡骨タウン」でも、雨の場面が重要な展開ポイントだった記憶が…。
ただ、今回は何の前触れもなく、片方の視点がいきなり宙に浮いて
片方の数日前の行動を眺めていく、という構成になっているので
結構お客さん放り投げちゃう感があるのは否めない。
「凡骨タウン」には千葉・萩原としっかり作品の引き締め役がいたのに比べ、
今作は中心となるキーマンが不在だったのも相当痛い。
YOUさん…演技はともかく(というか、車椅子なのでほとんどその余地が
無かった)、最後の場面の一番重要な台詞全部棒読みはちょっと。。
ハッと全部が腑に落ちる場面なのに、なんか白々しくなっちゃった、かな。
それと、最後。
姉が弟に水をぶっかけて「ここは現実の世界なんだから」と喝破した場面。
でも、自分も架空の自分の世界に逃げて、そこで空虚な生活を弟が来るまで
送ってきたわけだから、全然説得力無いし。
その後、屋敷の造り物の世界をかなぐり捨てて「本当の自分を探る旅」に
出る伏線だったとしても、それだったら弟について来い、じゃなくてこの
車椅子を押すのはおまえにしか出来ない役目、と言って欲しかった。
「架空のコウジロウ」さんは、二人の過去にも現在にも全然
関係ないんだから、「現実の自分が分かって無い」のは姉妹なんだから。
これから自分を知っていく必要があるのは、この二人だけなんだから。
あそこで、自分の虚像に車椅子を押させても意味が無いと思う。
二人の問題に他の人を、自分の捨てなきゃいけない過去をもうこれ以上
介在させるべきじゃない、と感じたので強く違和感を覚えました。
蓬莱作品は「罪と許し」「現実を見つめられない人たち」が重要なテーマに
なっていると思うのですが、今作はそれも含めて全体的に弱く、
ぼんやりとした作品になってしまったのが、辛く残念です。
演出は照明の絞りに加え、実際の生演奏を導入したのが非常に功を奏し、
その時々の人物の焦り、興奮、孤独等の隠された心情を分かり易く表現
していたと思います。 本当に演出は素晴らしいです。
覇王歌行(はおうかこう)
BeSeTo演劇祭
こまばアゴラ劇場(東京都)
2010/07/08 (木) ~ 2010/07/11 (日)公演終了
満足度★★★★
中国劇の力の一端がここに…
現在の世、項羽が自身の時代を振り返り、物語る形で本作は幕を開ける…。
いや、凄かったですね。
観ようかどうか迷っている人は観た方が良いと思います。
中国という国の、演劇力の高さに「わずか」に触れた一夜でした。
項羽と虞姫。二人が初めて出逢った時に姫が見せた艶やかな舞。
ひらひらと軽やかな身のこなしに合わせてふんわりと舞っていく生地の
動きに合わせるように、音楽が鳴り響いた時にははっとさせられ、
有名な「鴻門の会」のエピソードの時の、劉邦を狙う項荘の剣舞の
身のこなしの凄まじさに目を奪われる。
中国の役者は迫力があるね。 つい食い入るように見てしまう。
惜しむらくは、もっと広いステージで上演したらさらに迫力ある舞台に
なっていたのではないかということ。
ネタバレBOX
演出も素晴らしかったけど、脚本・潘軍の項羽の解釈が素晴らしい。
野心に満ちて、なおも満ち足りることを知らず、傲岸不遜であれど
誇り高く、自分を、信を曲げることをしない男。 そして夏の空のように
大きい思慮を持ち、ロマンチックな男。
正直、憧れますね。 素直に格好良いと感じます。
対して、劉邦は人質となった祖父と妻を、項羽の計略にびびって
助けることが出来ず、果ては「二人を煮汁にするのなら、その一部を
私にも分けて下さい」と言い募る、腰ぬけ男。
計略には巧みだが、本質的にはならず者で信義を知らない。
項羽の独白にも「信を裏切るのは最大の恥知らずだ」という言葉が
あるように、この辺は中国の激動の70年代を潜り抜けた作者の
人間観がそのまんまストレートに出ていますね。
結局、項羽の悲劇は自身が「見え過ぎる」ことにあるのでしょうね。
虞姫が「将軍の悲劇は常勝であること」と喝破していましたが、
項羽自身自分の気質が天下には求められていない、故に滅ぶ運命しか
用意されていないことを見通していた節があります。 その運命を
気高い項羽は甘んじて受ける。 一種の悲劇です、これは。
最後の場面での「四面楚歌」。 一般的には、自分の周りには
もう一人として味方は無いのだ、と理解されがちだけど。
項羽は言う、
「私には隠されたある一面が見えていた。あれは漢軍の敬意の
表れなのだ」
つまり、これから滅びゆこうとしていく一人の英雄に対しての隠し切れない
万人の尊敬の念と、ある時代の葬送歌だというのです。 この解釈は
ハッとさせられましたね。 深い洞察です。
虞姫がいわれてるより、出番が少なくてそこは残念だったけど
一人の男の語る「物語」としては素晴らしく、まさに時を超えて過去に
自分を重ねるような思いがしました。
醜男
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2010/07/02 (金) ~ 2010/07/12 (月)公演終了
満足度★★★★
キモ面白かった(笑
上記タイトルが、この劇の最後の場面が終わって暗転した時に
じんわりと浮かんできた正直な感想。
マイエンブルクに関しては、過去の作品を若干ながら知ってたので
元の顔を取り戻すとか、そんなレベルでは終わんない、きっと一筋縄では
いかないんだろうなぁ、と思ったら案の定。 最高に黒い皮肉に満ちた
終わり方でした。
舞台が異様に簡素なのに、照明の使い方で場面を上手く切り替えたりと
凄くスタイリッシュだったのにうっとりしたり、序盤からレッテとその妻、
ファニーのやり取りに笑わせてもらったり、細かいとこで得した舞台でした。
入江雅人演じる、整形外科医の人を喰った態度が板に付き過ぎ。
「それは出来ない相談だ。何故なら私は医者ではない!!!
アーティストだからだ!!!」には笑った。 おまえ誰だよ(笑
ネタバレBOX
最後、自分の顔そっくりに整形したカールマン(マザコン息子の方)と
向き合い、コレが自分の顔か!と気付くレッテ。 そこでお互いに抱き合い
自分への愛情(カールマンへの愛情ではない…と信じたい)を再確認
し合ったところで、老婦人のファニーが「一緒にベッドへ行きましょう!!!
私たち、理想の自分とお金を手に入れたのだもの」と〆て幕。
…をいをい、それぶっ飛び過ぎだろう、と突っ込まずにはいられない。
「自分と寝る」気分って…いったいどんなもんなんだ??
結局、レッテは「現代人の肖像」なんでしょうね。
自分のことは本当は良く分からないのに、自意識過剰でいっつも
人とは違った形で認められたがっている。
人と違う自分。それを求め続けた結果が、最後「グロテスクな自己愛」に
帰結するのはものすごい皮肉と感じました。 こういうこと、形を変えて
結構現実でもありそうだなぁ…。
峯の雪
劇団民藝
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2010/06/22 (火) ~ 2010/07/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
ただ、ただ美しい人たち
長塚圭史氏がイギリス留学中に「胎内」をワークショップで選択、そして
翌年には仲代達矢氏が「炎の人」に出演予定、と今もなお古びない
三好十郎。 一体、何がその生命力の源なのか。
前々からその作品を観てみたい、と思っていた矢先に本作。
即決で観ましたが…。
出てくる人たちが皆凛としていますね。 佇まいから、台詞から。
仲代さんもそうなのですが、良い役者は姿を見るとただ「美しい」と
はっとさせられるのですが。 本作は皆「美しい」です。
ネタバレBOX
内藤安彦氏の演じる治平は本当に素晴らしかった。
台詞一つに、無骨でいささか不器用ではあるけど、優しさに満ちた
深みのある性格が出ていて。。 特に、娘のみきに対する複雑な
心情の表現が本当に、なんといってよいのか。
脇を固める人たちも皆レベルの高い演技。
特に新吾役の塩田氏の、きりっとした佇まいも観ててこっちが
背筋がしゃきっとしそうな、良い男っぷりでした。 最後の最後なのに
かなり良いとこもってった、かな。
戦中のいわゆる「戦意高揚モノ」に括られているらしく、三好十郎本人は
この作品を恥じていた、とパンフレットにはあったけど。
世間の片隅でひっそりと、自分のなすべきことを精一杯にやり遂げる。
そういう、なんというか、職種に限らない「人生の職人」達への尊敬と
深い愛情だけが観終わった後は心に焼きつくような作品でした。
それはとりもなおさず、きっと三好十郎本人が職人だからでしょう。
本作品は「戦時中」のものですが、混沌とする情勢の中、
「戦時体制」は今なお厳しく継続中、といわんばかりです。
現在と照らし合わせてみると、恐ろしいほど古くない上に
一つの清冽な生き方を想わされるよう。
この作品は観ないと損ですね。 観終わった後「人生」を考えます。