ザ・キャラクター 公演情報 NODA・MAP「ザ・キャラクター」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    「マボロシ」と「マドロミ」
    とみに最近色々と個人的に思う事があったのですが、そんな中野田さんの
    「感じる=信じる」の話には頷ける点が多く。

    雑誌「+act」でチョウ・ソンハ他が「野田さんは本気云々」という話を
    していましたが、この時期にこの作品は相当リスクが高過ぎると思うのです。

    1. 猛烈に現実に寄った作品なのでお客が逆に白けたり、引いてしまうリスク
    2. 「眠っている人」に冷や水を浴びせかければ、当然猛反撃を返されるリスク

    個人的には「よくやってくれた!!!」「よく言ってくれた!!!」と思う。 
    ますます「深い眠りに包まれ続けていく」日本で、空気読むどころか
    意図的にぶち壊した氏の、反発恐れず、爆死覚悟で強烈な一撃を放った勇気と
    暑苦しいほどの真面目さに心から称賛を贈りたいと思います。

    ネタバレBOX

    相当ダークで残酷なこの作品。
    相当難産だっただけあって、後で振り返るとちょっとしたシーンが後での
    伏線になっていたりすることに気がつく。 

    「人間を(窓から)投げ捨てた」がそのまま「人間(の心を窓から)投げ捨てた」、
    「セイレーンの歌声」が最後の終幕での「サイレーンの唸り声」と結び付き。
    今覚えているのはその二つだけど、他にも色々。

    思ったけど、後半に進むに従ってメッセージ色はどんどん強くなっていくけど
    逆に作品自体の温度はだんだん醒めてくるというか、冷静さが増していくような。
    感情に流されない、を念頭に相当考え抜かれ書き直されたことが分かりました。

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    「マボロシ」は見果てない「ファンタジー」を見続け、そこから抜けられない人。

    「マドロミ」はそんな「マボロシ」の危なさ、おかしさに気付きつつも
    信じてすがって見ないようにして眠り続ける人。

    今回、たまたま「あの事件」がモチーフだったわけですけど、
    二人のような人は「あの事件」の中だけじゃなく、今でも
    「ネット」の中、「テレビ」の中…沢山溢れるほどいますね。
    みんな冷蔵庫に、扉の中にこもったまま出てこれない。 

    正直、終盤まで「マドロミ」が好きになれなかった。
    無実で被害者の弟と綺麗なままの自分とを照らし合わせ、重ねている、
    そんな距離の取れていない危なさがあったので。 

    教団側との底知れない親和性を感じたので。

    現実社会で「私は純粋なんです」と言っちゃったり、ネットに書き出す人に
    表だって言わないけど内心ドン引きしてしまう感覚ですね。 アレに近い。
    本筋とはズレますが「純粋で傷つき易い」って今若干肯定されている感があるけど
    自分としては本当はとてつもなくヤバいと思っている。
    教団の信者が、「みんな変身しています!!!」という大家の言葉に
    導かれてみせた、ニンマリして空っぽなスマイルと何かオーバーラップするのです。

    「マドロミ」の印象が変わったのは自分の弟が殺人者であることを知り、
    弟の背中に「幼」と書きつけたところ。

    私にはあれが弟との、直視出来なかったもう一人の自分との決別宣言のような気がして
    ただ逃げ回ってるだけ、「探し回っているだけ」の人だと思っていたのが
    その後の長い独白も含め今でも脳裏に浮かびます。

    「眠り」から醒められる人は傷つくことを恐れない、勇気のある人と感じる。
    その姿は本当に生々しくて胸打たれる。 今では希少なものとなったけど。

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    個人的にヤバい、と思ったのは中盤の、みんなで一心不乱に四つん這いになって
    無言でシャカシャカと音が出そうな勢いで「信」の字を書き殴って、それを掲げ持ち、
    ビシッ!ビシッ!ビシッ!とポーズを決めちゃうシーン。

    何かもう…人じゃない、虫かなんかに見えちゃって。
    本人達は真面目にやっているのが分っている分、かえって滑稽に見えて
    笑いそうだったけど、客席からは嘲笑も含めて何も無し。 沈黙。

    その後も文字の敵だということで秋葉原のPCを破壊して回ったりと、
    第三者的にはぶっ飛んでいる発想だけど、客席誰も笑わないのは
    それがぶっ飛んでいるのしろ、その集団の行動原理、論理であることを
    みんなが認めているから。 この集団は「こういうもの」だとそれまでの
    流れで観客が知っているから。

    でも、どの集団も皆同じ。行動原理に則ってそれを疑わないのは
    皆同じ。そう考え、自分の周りに目を向けるとゾッとしますね。

    ギリシャ神話ではゼウスは色んな姿に身を変え、人間の前に
    姿を現すそうです。

    今回はたまたま「家元」「教祖」の姿だっただけに過ぎない。

    ゼウスは忘れた頃に変身してまた何度でも世に現れる。

    でもどんなに姿が変わっても、その本性は変わらない。

    でも、また別の変身した姿で世に出ても誰ひとりとして
    気がつかないと。 そう確信します。

    みんな「物忘れ」、なので。
      
    最後に。

    「ザ・キャラクター」のモチーフの「あの事件」、当時私は小学生くらい
    だったのだけど思ったのは「犯罪ってこんなふつーの感じの人も
    でっかいのなの起こせるんだ。なんかすごい」と。

    その時まで「犯罪=いかにもな人がいきなりやっちゃう」という
    イメージがあったので隣家にいそうな人が何かよく分からない
    事件を起こして、それがテレビになるなんて単純にビックリでしたね。

    今に至る「動機のはっきりしない、"透明"な凶悪事件」のはしりで
    やっぱりその意味では分水嶺だったな、と振り返って思います。

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    2010/08/08 07:00

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