ラ・ボエーム
新国立劇場
新国立劇場 オペラ劇場(東京都)
2020/01/24 (金) ~ 2020/02/02 (日)公演終了
満足度★★★★
ミミのソプラノ(ミーノ・マチャイゼ)といい、テノールのロドルフォ(マッテオ・リッピ)といい、素晴らしかった。2016年にも新国立で同じ演目をみたが、そのときより、はるかによかった。私がオペラに馴染んできたせいもあるだろうが、特にテノールが今回、声に張りと艶があって、高音も見事だった。
からゆきさん
劇団青年座
本多劇場(東京都)
2020/01/16 (木) ~ 2020/01/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
明治時代のシンガポールの日本人娼館の物語。女主人のお紋(安藤瞳)がきりっと美しい。女たちの中で稼ぎ頭のミユキ(佐野美幸)は、社会主義者崩れの元学生・七之助(石母田史朗)に思いを寄せる。その恋情が切なく、彼が日露戦争で不具になって帰ってきても支え続ける姿が哀れである。
新劇の代表作らしく、ねりあげられた台詞の美しい芝居である。ミユキと七之助の丘の上の逢瀬の場面など特に美しい。ミユキ「あなたがいて私がいて、日は暖かいのに、あなたは戦争へ行くのね。世間には体は売らないが、心を売っている奴がごまんといる。私たちの仕事はそれより美しか仕事たい」七之助「ロシアは打たなければなりません。理屈です。でも理屈で生きてきましたし、男ですから多少の意地ってものがあります」
女たちが身を売る背景にある農漁村の貧困と、戦争と、彼女たちを最後は安住の地から追い出す国家の横暴。批判するものが明確だった時代はいいとも思った。そういう意味でも戦後新劇の代表作である。
女衒の多賀次郎は意外と影が薄い。様々な過去を持った女たちの群像劇である。その一人ひとりの出自と個性が戯曲でも演技でも、説明的でなくきちっと描き分け、演じ分けられている。お紋、ミユキの出自ははっきりしないなど、無理に埋めない隙間もあって、そこがいい。女たちに最後は捨てられる多賀次郎は無様で滑稽。そこに女たちが「捨てられたふりして、逆に捨ててやった」国家も重ねられている。
切なく美しい群像劇を、常に背景に広がる海が見守っている。冒頭の天草からシンガポールまでつながるその海は、「海、美しいのね」という最初のセリフとは裏腹にどんよりと灰色で、時代の暗い荒波を象徴しているようだ。
2時間20分(休憩15分込み)。私の見たときはアフタートークがあり、演出の伊藤大氏が出て、毎日新聞の濱田元子氏の司会であった。
『どんとゆけ』
渡辺源四郎商店
こまばアゴラ劇場(東京都)
2020/01/25 (土) ~ 2020/01/26 (日)公演終了
満足度★★★★
手錠で腰縄で茶の間に連れてこられた若い死刑囚に、目のギラギラした美人が「似合ってる!」と嬉しそうにいう。そんなブラックユーモアからはじまって、死刑員制度で被害者の老父と若い妻と、見守りの刑務官が死刑執行までの1時間を、一緒に過ごす。かつて死刑を執行していた刑務官の、死刑執行の、踏み板の開いて、落ちる音が耳をついて離れない、のセリフが良かった。
被告と文通し獄中結婚したという女性(最初から出た美人)がいることで、演劇になったと言える。出ないと、死刑囚と被害者家族のぶつかり合いだけになる。刑務官がいるだけでは、この単純な構図は破れないが、この変な女性の存在で、人物たちの関係が複線的立体的になり、バランスも取れる。
俳優はみな好演。死刑囚の嗚咽や、腰の立たないほどの恐怖などなど、言葉にならない感情をみなぎらせて、特に良かった。
80分休憩なし。2008年初演の三演目だという。
悪霊
CEDAR
シアター風姿花伝(東京都)
2020/01/23 (木) ~ 2020/01/29 (水)公演終了
満足度★★★★
「悪霊」は20数年前に読んで、なかなか怖い小説だった。今回、舞台を見て、かなり忘れていたことを思い知らされた。改めて発見することも多かった。冒頭の語り手役が言ったように、西洋の自由主義思想家のステパンという人物がいたこと、その影響下の青年たちの起こした事件だということ、全く忘れていた。それとも、これはカミュの脚色なのか? いずれにしても、ドストエフスキーによる革命思想・社会主義運動の批判である本作の思想的構図が、はっきりする設定である。
休憩10分込みで3時間半の長丁場の劇。マリア兄妹は「カラマーゾフの兄弟」のように、醜い第三の男によって殺されるし、悩めるスタヴローギンは、ラスコーリニコフのように聖女によって信仰を取り戻す(ただ、その結果は真逆)。というように、ドストエフスキー的世界をたっぷり堪能できた。
個々の人物像もわかりやすいし、生き生きしていた。戯曲と演技、演出の総合的な成果であろう。余計者インテリのステパン、内気な聖女・ダーシャ、奔放な女リーザ、陰謀的革命家ピョートルなど。「悪霊」ではスタヴローギンが著名なキャラクターだが、ピョートルのことをすっかり忘れていた。キリーロフを思想的自殺に追い詰めるのもスタヴローギンと思い込んでいたが、実はピョートルだったとは。西欧自由主義思想の実践者をこの二人に、性格を分けたところが、この作品に一層の深みをもたらしたと言える。
殴る蹴る、倒れる、転がる、泣く叫ぶ、嘆く怒鳴る…。登場人物のぶつかり合い、喜怒哀楽の振幅が大きくて、大変な迫力だった。これぞまさにドストエフスキー的。秘密結社の青年たちの「奴隷の平等」思想とリンチ殺人の論理は、スターリン体制から連合赤軍事件・オウム事件までも予見したかのようだった。身につまされる、とは言わないけれど、ドストエフスキー世界の深淵にふれることができる貴重な舞台だった。
先日のシアターコクーンの舞台「罪と罰」より、ずっと登場人物もリアルで、苦悩と葛藤に迫力があったし、重層的なプロットで飽きさせないし、思想的にも突き刺さるものがあった。
FORTUNE(フォーチュン)【北九州公演中止(2月28日~3月1日)】
パルコ・プロデュース
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2020/01/13 (月) ~ 2020/02/02 (日)公演終了
満足度★★★
いいところもあるのだけれど、一言で言えば「なんか盛り上がらない」。これは劇作教本的に言うと、起承転結の、「転」における直前と最高点の落差が小さいということになる。一番盛り上がるのが「承」にあたる1幕の終わりの米国西海岸のビーチ場面。悪魔(田畑智子)と契約したフォーチュン監督(森田剛)が、なんでも思いのままにできるからと、嫌味な映画プロデューサーをヤギに変えたりして、相手を震え上がらせるところ。
その後、2幕では、契約してまで手に入れた恋人マギー(吉岡里帆)が去っていく(フォーチュンはなんでもできるのに、あえて止めない)など、あとは破滅へ一歩一歩進むだけで、展開が一本調子。
さらに言えば、動きが小さくて、大劇場の広い舞台を埋められていないのも、印象を弱くする。
田畑智子の悪魔は、蠱惑的で、妙な明るさの裏に荒みがあって、素晴らしかった。
スティングガールズ
首都演劇部
ザムザ阿佐谷(東京都)
2020/01/10 (金) ~ 2020/01/19 (日)公演終了
満足度★★★
基本的には良かった。満開間近のアイドルたちを間近に見られたし、とくに荒井レイラが美しかったし、演技もよかった。工藤美桜はしゃしんでみるのとちがって、スポイルされた性格ワル女のヤサグレ感が出ていた。
結局女性4人が、みんなのアイドルだった野良ミケ猫をひいた犯人を探し出すのだが、そのラストのひねりでが良かった。全体は子供っぽい中、岩谷健司にオトナの存在感があったし、野村啓介のヤクザ青年の演技も、その後の気弱青年との落差で面白かった。見事なヤクザぶりには、女性出演者たちも笑いを抑えるのに大変そうで、こちらも笑えた。
『国府台ダブルス』
filamentz
新宿村LIVE(東京都)
2020/01/22 (水) ~ 2020/01/27 (月)公演終了
満足度★★★★★
笑えた、笑えた。卒業式の「日の丸」「君が代」をめぐるシチュエーション・コメディー。今の日本のどこにでもありそうで、ここまでのしっちゃかめっちゃかはない。最初は「わざとら」や一本調子に思えたが、一癖も二癖もある脇役が次から次へと乱入してきて、笑いが弾けるようになる。
全く初めての集団だったが、この笑いのセンス、タイミングはなかなかのもの。周りみんながジコチューだったりちょっとネジの外れたボケ役の中、一人ツッコミ続ける津和野諒(宣言美術も担当の才人)が笑いをもたらす。なるほど、ツッコミの効果はこういうことか、と改めて発見した。クライマックスの彼の告白も爆笑。
役に立ちそうで全く立たない自己陶酔型美術教師の中田顕史郎、お節介サヨク保護者の前田綾香、前任校の卒業式が気になって本校では全く自己というもののない教師・矢吹ジャンプなど、など。ひとりひとりの登場人物にリアリティーと説得力があった。生徒の役よりオトナの役にそれはいえる。
模造紙に立派な式次第を書くたびに、簡単に破いて捨てるという、潔い演出も、盛り上げに大いに一役買った。情けない美術部員の土橋銘菓、「ミュージシャンですから」が口癖の吹奏楽部長・淺越岳人も笑わせてくれた。
こう書くと、主役が脇役に食われたかのようだが、そんなことない。国旗・国家実施派の校長と女性英語教師、反対派の生徒会長・熊谷有芳(衣装もやっていてびっくり)、そしてなにより、板ばさみになる卒実委員長の榎並夕起が、しっかり舞台の柱になっていた。アイドル役の雛形羽衣もよく目立っていた。
ずっと卒業式のステージ裏だった舞台が、最後の方で、ステージ正面の演壇もバックに現れるという方法もよかった。放送室がすっと現れる装置も、いいアイデアだった。終盤に二転三転するプロットも見事。作・演出の富坂友も抜群のセンスの持ち主である。
阿呆浪士
パルコ・プロデュース
新国立劇場 中劇場(東京都)
2020/01/08 (水) ~ 2020/01/24 (金)公演終了
満足度★★★★
赤穂浪士の「忠臣蔵」を、阿呆浪士の「おまつり蔵」に換骨奪胎する。八(戸塚祥太)が、長町小町のお直(南沢奈央)の樹をひきたいばかりに、「俺は赤穂浪士だ」と名乗るのがきっかけだが、そのまま突っ走るほど科単細胞ではなく、何度も引き返そうとするのに、そのたびに、いろんな見栄や反発からかたき討ちへと突っ走っていく。緩急と名セリフをちりばめた戯曲がよくできている。
演出と役者も笑いのツボをよく抑えていて、楽しめた。
討ち入り場面の立ち回りも見ごたえ=「聞きごたえ」があった。というのは、刀と刀が打ち合う効果音を流すことで、実際には刀がぶつかっていないのに、斬り合っているように見えたから。なかなかの迫力だった。ただ、最後はみんな切腹して死んでしまうので(そこは忠臣蔵ですから)寂しかった。無言劇も切なかった。
アルトゥロ・ウイの興隆
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2020/01/11 (土) ~ 2020/02/02 (日)公演終了
満足度★★★★
かなりハードルの高い戯曲で、へたをすると歴史の解説やあらすじを追いかけるだけになってもおかしくない。上演時間は今回だって休憩込み3時間5分と長い。そこを、草彅剛というオーラをまとった俳優と、ギンギラの大音量ソウルミュージック(ボーカルは大阪弁)を前面に、コンサートのようなノリで、この歴史アイロニー劇をくるんだところがみそ。薬でトリップさせた替え玉を犯人にさせてしまう放火事件裁判、ローマ(レーム)の粛清、等々、見どころもたっぷりあった。
最初はシカゴのギャングの話(補助金詐欺、商人シートの自殺とか)に、初期のヒットラーのどういう史実が重なるのかわからず、(字幕で理解するものだから)理屈っぽいように、説明っぽいように感じたが、後半は、国会放火事件、オーストリア併合とよく知っている史実を踏まえたものなので、すんなりブレヒトの皮肉や舞台の盛り上がりを楽しむことができた。
こんな怖いウイを支持するか、観客に問いかけ、マシンガンをぶっ放しておどす。最前列の観客は演出の狙い通り、支持の手を挙げていたが、そのより後の反応はちらほらだった。いつものことだが、日本の観客はちょっとおとなしいところが残念。これが本当に観客が熱狂したら、見事なアイロニー劇になるのだけれど。アメリカやドイツではうまくいくのだろうか?
「明日の幸福」「神田祭」
松竹
三越劇場(東京都)
2020/01/02 (木) ~ 2020/01/20 (月)公演終了
満足度★★★★
初めての新派体験。「明日の幸福」、1954年初演の政治家の三代が同居するホームドラマです。意外と(失礼!)今日的な内容で、すっかり見直しました。やはり現代のお客さんを呼ぶ舞台ですから、古臭いものでは通用しません。
騒動のタネとなる家宝の埴輪は、古い家父長制と女を縛る因習の象徴なんです。それに振り回される、女たちのあれやこれやが笑いを誘い、最後には、民主主義の時代の新しい生き方が浮かび上がるみごとなエンディングでした。
波乃さんの時折見せるコミカルさと、水谷八重子のガラガラ声の迫力が印象的でした。
面白くてためになる。いい意味での大衆性と啓発性を兼ね備えた舞台でした。
雉はじめて鳴く
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2020/01/10 (金) ~ 2020/01/19 (日)公演終了
満足度★★★★
人間関係の微妙な距離、甘酸っぱい三角関係、愛情一歩手前の親密さを巧みに描く横山拓也らしい舞台。小劇場とは違って、広い舞台を、効果的に使った演出もよかった。
高校の女性教師ウラカワ(若井なおみ)を避難所にする男子生徒ケン(深堀啓太朗)。サッカー部の新キャプテンになった彼の家は、母親(清水直子)が夜勤に疲れ、酒に頼って家事はできず、ケンが主婦代わりである。いわゆるヤングケアラーとして、健気に母を支えているが、もう限界になっている。父親は母親を見捨てて家を出たまま、2年以上帰ってこない。
一方、新しく学校に赴任してきたカウンセラーのトモエ(保亜美)に、ケンに思いを寄せる女子マネージャー(後藤佑里奈)が、ケンとウラカワが抱き合っていたのを見たと相談を持ち込む。はたしてケンとウラカワは教師と生徒の一線を超えてしまったのか。独身のウラカワは、不倫関係にあるトガワ先生(宮川崇)との関係も終わらせたい。シリアスなドラマに、空気の読めないおせっかいな教頭(河内浩)が笑いをおりこみ、スピーディーで緩急のある舞台は、非常に濃密な時間を作り出す。
俳優は母親役の清水直子や教頭役の河内浩の脇役がしっかりと要所を締め、ウラカワの若井なおみとケンの深堀啓太朗の主役は、落ち着いた抑制的な演技でよかった。カウンセラー役の保亜美が教頭に次ぐ、第二のトリックスターで、洒脱な演技で笑いを誘っていた。
『荒れ野』
穂の国とよはし芸術劇場PLAT【指定管理者:(公財)豊橋文化振興財団】
ザ・スズナリ(東京都)
2019/12/18 (水) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
中年以降の夫婦で、夫(あるいは妻)と異性の友人との親しい関係が、妻(夫)の苛立ちをよぶという話は、よくあることなのだろう。親しい関係というのは友人としてで、不倫未満のものだ。劇作家にとっても観客にとても切実な問題なのか、昨年から見た新作の中でも、蓬莱竜太「消えていくなら朝」、横山拓也「逢いに行くの、雨だけど」など、秀作ぞろいだ。ちなみに、「男はつらいよ お帰り寅さん」も、吉岡秀隆と後藤久美子のそういうビミョーな関係がメインテーマである。今作「荒れ野」も、素晴らしい傑作。笑いと、切なさに満ち満ちていて、感情を大きく揺すぶられた。本当に夫婦関係は奥が深い。演劇のネタの宝庫だ。
大火にあうショッピングセンターが「ウエストランド」で、のばすと「ウエ―ストランド」=荒れ地になるという、タイトルの解題は面白かった。セリフで堂々と解説してみせるなんて、やられた。「私たちはみんな荒れ地の住民」という小林勝也演じる老人の言葉に、なるほど、とうなずかされた。
常陸坊海尊
KAAT神奈川芸術劇場
KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)
2019/12/07 (土) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
現代(戯曲の初演時で言えば、1945年から1961年は現代そのもの)の時間軸に、750年前の源義経伝説をないあわせた、時空を超えた物語。初演当時は、近代リアリズムの枠を破壊する画期的な発想だったらしい。いまでいえば野田秀樹流作劇術の元祖とも言える。
戦争中の忠君愛国、一億火の玉精神から、高度経済成長期の疲労感と、どこか上滑りで虚ろな「幸福感」への批評が、戯曲の背中に張り付いている。
衣川の戦場で主君源義経をおいて逃げた裏切り者の海尊が、琵琶法師となって、自らの罪の懺悔を語る。ここに私は、鶴見俊輔と同じ精神を見出した。とくに敗残兵となって現れた二幕の終わり。鶴見は「不良少年」を自称し、常に自分は悪人だという自虐意識を、ベ平連やハンセン病元患者支援等すべての活動の根に据え続けた人だ。海尊の敵前逃亡を、鶴見俊輔を手がかりに現代で置き直せば、戦争を止めなかった不行動の罪であり、長いものに巻かれ続ける民衆の弱さ、ずるさではないか。もちろんそこに「転向」という問題も重なる。「転向」をわが身可愛さの卑怯な行為と切って捨てるだけではなく、その誤りから何かをくみ取ろうとする姿勢において。
鶴見が日本人の土俗的な思考形態を取り出し、そこに欧米由来とは違う思想の可能性をみようとしたのと同じように、海尊伝説のような古い伝承に、日本の民の連綿たる何かを託したのではないだろうか。「なにか」というと、あいまいだが、そこが言葉にしにくい。後進性、因習くささともいえるし、頑固さ、しぶとさ、ともいえる。近代になり、科学技術と中央集権国家の世になっても、経済優先の戦後になっても、変わらない何かである。
白石加代子のおばばは出色の出来。彼女があってこそのこの舞台であることは衆目の一致するところだろう。
二幕、疎開先の寒村の囲炉裏端の後ろで、静かに雪が降り続ける演出が素晴らしい。その後で、背後の桜の花で、季節の変化がわかる。子どもが重要な役割を果たすが、子役も頑張っていた。本物のようなミイラ、津軽の義経伝説のある寺の境内など、美術もよかった。
タージマハルの衛兵
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2019/12/02 (月) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★
シンプルな二人芝居。タージ・マハルを作ったムガール帝国の王が、同じ美しい建築が二度と作られないように、建設に携わった2万人の手首を切り落とすように、二人の衛兵に命じた…という、事前のあらすじ紹介だった。その命令に従うかどうかの葛藤が描かれるのかと思ったら、もう二万人の手首を切り落としたあとから問題が始まるというのは、予想外だった。しかし、この方が、絵になるし、行為の重みがずっしりくる。なるほど「後で説明」のパターンではないが、まず葛藤から始める。作劇としてはうまい。
しかも、最後にこのふたりがまた大きな試練に直面する。残酷である以上に、切ない芝居だと思った。
芝居の語る思想的意味については、公演プログラムに内田樹、岩城京子がこれ以上ないほどスッキリ解説している。権力を支えるのは権力に従うものだという逆説や、ふたりの衛兵の対立のドラマツルギーはわかりやすい。
それ以上に、この舞台の見どころは、成河と亀田佳明のふたりの熱演、好演にある。掛け合いも見事。思想の図解になっていない。血の通った悩める人間、弱い人間の、ささやかな夢と大きな愚行を、笑いとメリハリのある見事な劇に仕上げていた。
戯曲は『悲劇喜劇』1月号に掲載。
私たちは何も知らない
ニ兎社
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2019/11/29 (金) ~ 2019/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
「青鞜」は「元始女性は太陽であった」だけではない。そのことを全然知らなかったと気づかされた。なにより出てくるキャラが面白い。場面転換の工夫でテンポもよい。
劇評で、背景のギロチンの刃のような影が次第におりてきて、時代が戦争と弾圧へ進んでいくことを暗示していると書いてあった。背景は確かにギロチンのようだったが、その隙間がだんだん狭くなっていたとは気づかなかった。本当だろうか。
風の谷のナウシカ
松竹
新橋演舞場(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/25 (水)公演終了
満足度★★★★
夜の部を観劇。昼に比べると、おとなしくなった印象。ナウシカたちはオームを追ってドルク帝国の奥へ奥へ、腐海の中へ中へと旅する。ロードムービー化するのだけれど、途中、大きな見せ場がクシャナの軍が虫に襲われるところしかない。皇弟ミラルパとナウシカのたたかう場面が、けがのせいでカットされていることも影響していよう。
「ワンピース」が歌舞伎になってヒットしているように、ロードムービーが悪いわけではない。実は、この後半は「腐海の謎を解く」ことがテーマであり、理屈っぽくなるのである。それが、やはり歌舞伎でも少しイメージを縛ってしまった感がある。
泰山木の木の下で
劇団民藝
三越劇場(東京都)
2019/12/06 (金) ~ 2019/12/18 (水)公演終了
満足度★★★★
友人が「久しぶりに新劇らしい新劇を見た」と言っていた。私にとっても「新劇」についていろいろ考えさせられる舞台だった。広島の原爆がその後の被爆者の人生にもたらした数々の悲劇、とくに子供に奇形児が生まれる不安、差別が主題である。それを今日改めて芝居で見て感動を得られることは、残念ながら私にはなかった。
井上ひさし「父と暮せば」は、被爆者のサバイバーズギルト(「生き残ってしまって申し訳にゃあ症候群」)を打ち破り、自ら幸せをつかもうと前向きに生きていくところに感動があった。「泰山木…」の場合、被爆がもたらす不安から抜け出すのではなく、登場人物はそれを抱えて生きている。こういう姿勢が、自分の問題としては響いてこなかった。
かつては被爆者の苦しみを、国民全体の苦しみと共感する同時代体験が日本人にあったのだろう。時代が変わった。あるいは世代は変わった。私の見た昼の回でも高齢者の多い客席からは、すすり泣きが漏れていたので、こういう問題をわが事と感じる世代が確かにいるのだと思う。
私が「新劇」について考えさせられたというのは、まず、戯曲のセリフ。冒頭から「ここだ、ここだ、泰山木の下の古ぼけた一軒家。神部ハナ、と表札にある」と、木下刑事が一人で、状況を説明するところ。誰に聞かせているのか、というと観客に聴かせるセリフだからだ。ハナのセリフも、必要以上に情報量が多い。(おしゃべり、という性格も示しているが)セリフですべてわかるように書いてある。観客の想像力にゆだねる「余白」がない、あるいは少ない。
これがかつては日本の現代演劇の当たり前だった。俳優の演技も、ゆっくりと明瞭にセリフを聴かせることに重点を置いている。ここを壊すところから、唐十郎も、つかこうへいも、野田秀樹も、永井愛も始まったのだとわかる。
場面転換も、小島のハナの家、本土に渡る船の上、町の警察署の取調室、刑事の馴染みの女の部屋、ハナの病室と、きちんとそれらしいセットを交換する。今なら、ほとんど何もない舞台で、場面の背景は観客の想像力にゆだねるのが主流であるが、それとは違う。8場~9場という構成の数、転換のテンポをみると、そういう演劇スタイルに合わせて戯曲が書かれている事がわかる。
でも、狂言や歌舞伎がないと、そうした「旧劇」と「新劇」は何が違ったのかわからなくなるように、オーソドックスな「新劇」も、現代演劇が何をめざしたのかがわかるために、こうした現代の古典の上演を絶やしてはいけないと思う。
2時間35分(前半1時間25分、休憩20分、後半50分)
五稜郭残党伝
温泉ドラゴン
サンモールスタジオ(東京都)
2019/12/11 (水) ~ 2019/12/19 (木)公演終了
満足度★★★★★
戊辰戦争で五稜郭後も降伏を拒み、蝦夷地を奥へ奥へ逃げ続けた二人のサムライと、連れになった一人のアイヌ男。「俺たちに明日はない」的な、彼らのロマンとニヒルと人情が温かい。和人のアイヌをしいたげる非道への怒りが舞台を熱くにえたぎらせる。
追う側の政府軍の上官の非情さには恐怖を覚える。薩摩に押さえ込まれた長州の人間で、手柄を焦る気持ちが、その無慈悲な執念に説得力を与える。阪本篤が現実味のある悪役を好演。その執念深さはレミゼラブルのジャベール警部のようだった。
ロードムービーならぬ、ロードプレイ。テンポ、ホンの人物像の具体性、場面と出入りの整理、衣装、日本刀などの小道具、和太鼓の細撥の乱れ打ちなどを使った大音響の暗転の迫力など、総合的な舞台づくりも良かった。
最後の決闘の殺陣も見事。2時間5分休憩なし。佐々木譲の原作を読みたくなった。
月の獣
パソナグループ
紀伊國屋ホール(東京都)
2019/12/07 (土) ~ 2019/12/23 (月)公演終了
満足度★★★★★
非常に簡潔だが奥深い舞台だった。家族の絆という普遍的テーマが、静かに静かに浮かび上がる秀作だ。ほとんどは夫(真島秀和)と、彼が写真だけで故郷の孤児院から選んで呼び寄せた15歳の妻セタ(岸井ゆきの)の二人芝居。舞台は1921年のアメリカ・ミルウォーキー。質素なアパートの一室で、時間は経過するが、場所が変わることはない。
時々、語り手(久保酎吉)があらわれて背景を補足説明する。「アルメニアの男は子どもを持つことを何よりも大事にしていた」とか。休憩後の後半になると、もう一人、孤児の少年ヴィンセント(升水柚希)が、時々、二人(3人)に絡み、二人の関係を変えていく。
夫婦の二人はトルコの迫害から逃れてアメリカにきたアルメニア人ということで、事前の宣伝でもそこが強調されていたが、実際の舞台では迫害の話は二人の記憶の奥底にあるもので(特に夫)、前半には全く出てこない。後半になって、夫が封印していた、自分の家族の最期を語ることがいつまでもしっくりこなかった二人の「新しい結合」の一歩となる。が、それにしても迫害の問題、民族の問題は事前に思ったより比重は低く、このドラマは夫婦、家族の物語である。
舞台には、最初からずっと、顔をくりぬかれた5人の家族写真があり、写真屋である夫は、その穴に自分の顔、妻の顔と、新しい顔を張って埋めていく。残った3人の子供の顔も新しい写真で埋めたいのだが、妻に子どもができない。そこに彼の重いトラウマと、何よりこだわる願望託されている
前半は夫が子供を求めても、それにこたえられない妻との融け合えない関係がずっと続く。最初は過去のトラウマで、新床にも入れない妻だが、それを超えて1年経ち、二年たっても妊娠しない。夫はそのためにいら立ち、妻につらく当たる。ここら辺は、今では考えられない、妻は「産む機械」的発想の夫で、何のためにこれを今やるのかと考えてしまった。
そうした発想の根元にあるのが「聖書」で、夫は食卓でいつも聖書を朗読する。しかも、妻は夫に従え、いつもつつましくあれ、と言った保守的な部分ばかり。セタは実は弁護士の娘で、教養も芸術を愛する心もあり、聖書の開明的な部分を暗誦して対抗する場面もある。「聖書」は矛盾したことが平気で共存しているので、ここは面白かった。
2時間25分(休憩15分含む)。戯曲は『悲劇喜劇』1月号に掲載。世界20国で上演されたというが、確かに、
獣唄
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2019/12/03 (火) ~ 2019/12/15 (日)公演終了
満足度★★★★
日中戦争の時代、九州の山深い村で「花人(はなと)」(山の断崖に咲くランをとる仕事)の父と娘たちの物語。ハナトというものになじみがなく、想像もしにくく、なかなかしっくりこなかった。父(原口健太郎)は花のことばかりで、家を顧ず、妻も自己で山で死んだ。その父に、娘3人は反発していたが、ハナトになりたくて長女・トキワ(板垣桃子)が頭を下げたのを皮切りに、父子関係は好転する。
ところが不幸が村と親子を次々襲う。戦争による緊縮政策による「花禁止令」、三女のしたう都会の青年に赤紙、徴兵逃れを指南したために憲兵隊に呼び出された長女の恋人・山浦(三村晃弘)……。
村落共同体の土俗的な暮らしと人間関係をベースに、見えない赤い糸にがんじがらめになるようにして、次第次第に主人公たちが追い詰められていく。それは桟敷童子の十八番。今回は3人の女性(娘たち)が次第に追い詰めあっれていくのは、私のお気に入りの作「その恋、覚え無し」と似ている。