旗森の観てきた!クチコミ一覧

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プライベート・ジョーク

プライベート・ジョーク

パラドックス定数

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2020/12/04 (金) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

満足度★★★★

昨年、コロナ騒ぎはまだ影も見えぬ中で、大手町の大きな新しい劇場で「ピカソとアインシュタイン―星降る夜の奇跡」という、舞台の上で二巨人を出会わせるいかにもアメリカ的な趣向の芝居を見たが、この舞台はそれをもっと拡大、二十世紀に前衛を走り抜けた巨人たちが青春期に学生寮で共に過ごし、生涯その関係を続けた、と言う設定でドラマにしている。架空の設定にして実名はないが、それぞれ、科学者ではアインシュタイン(加藤敦)、画家ではピカソ(西原誠吾)とダリ(小野ゆたか)、詩人で劇作家でもあるロルカ(植村宏司)、映画監督のブニエル(井内勇希)、の5人のそれらしき人物が登場する。プライベイト・ジョークというタイトルをどのように解釈すればいいかも謎で、この構成そのものがジョークで、プライベイトは作者が考えた私の巨人たち、という意味なのか、作中人物はそれぞれの人物の本人あるいは評伝からの引用が多いようで、ここにそれぞれの巨人たちのプライベート・ジョークがあるという意味なのか、よくわからない。
その解釈は見る側の勝手でどうでもいいとして、芝居のテーマはジョークではない、全然。芸術、科学それぞれの分野で時代を画する仕事をした人たちが時代の抑圧と、いかに戦ったか、その原点が、青春時代の架空の学生寮でのまるで日本の旧制高校のような共同生活だ、と言うところにテーマが置かれていて、解りやすいユダヤ人追放や、官憲の脚本検閲などの抑圧と、一方では時流に媚びざるを得ない立場との矛盾、そこからの自由への解放が軸となている。二十世紀前半の三つの時代、学生時代、そこから十年後、二十年後、と時代は暗くなっていき、のびやかな青春時代は遠くなっていく。
この作品は07年初演の作品の書き直しという事だが、初演は見ていない。劇場パンフによると、作者は前回は全く物が見えていなかったと書いている。野木萌葱のパラドクス定数の舞台を観るのはほぼ、二年ぶりだが、その間に作者は新国立劇場の気まぐれ発注に巻き込まれて疲れ果てたのだろう。「骨と十字架」はこの作者らしからぬ作品だった。唯一の現代劇の税金劇場の新国立が気まぐれにあまり経験のない作者をつぶしてどうする!という憤りはまた別のテーマになるが、この舞台で繰り返し語られる抑圧への批判、自由への渇仰は切実である。
しかし、観客としては、もう新国立で挫折する演劇人をこれ以上出してほしくない。永井愛だって新国立事件がなければ、もっと観客が楽しめる含蓄のある生活劇が書けただろうに。
舞台で挨拶する野木萌葱には、以前のおおらかさが消えていた。もう競馬馬が語り合うような愉快で独創的な芝居は書けないかもしれない。それは本当に残念だ。

ミセス・クライン Mrs KLEIN

ミセス・クライン Mrs KLEIN

風姿花伝プロデュース

シアター風姿花伝(東京都)

2020/12/04 (金) ~ 2020/12/20 (日)公演終了

満足度★★★★★

女優三人の格闘技のような舞台で、芝居のだいご味をたっぷり味わえる本年屈指の舞台・2時間45分である。イギリスのニコラス・ライトの三十年ほど前の本で、中身は三十年代の終わりにナチに追われてロンドンに逃げ延びてきた精神分析医療の女性研究者の物語である。その精神医療を使っての物語は、時代相と相まってさすがに古めかしく、新聞の片隅の身の上相談レベルだが、その物語に上乗せされた女三人の相克の芝居が見所である。
自らの生き方を科学に託し、わが子の成長すら研究対象とするが、現実には子供たちから離反されていく母・ミセス・クラインを那須佐代子、その娘で、やはり同じ研究者の道に進むが母に反抗しながらも逃れられない娘を伊勢佳世、ドイツから逃れてきたばかりで、生活のためにクラインの助手の仕事を求めるポーラに占部房子。
ミセス・クラインのもとに、息子がハンガリーで落命したという知らせが届く二昼夜の物語である。ストーリーは息子の死因の真相をサスペンス風に追って進むが、芝居の核心はそこにはない。
母国を逃れたユダヤ人の話は数多く書かれているが、この戯曲が面白いのは、登場人物がいずれも科学者で、事件の中で揺れ動く、科学と女の生き方の間のジレンマが克明に描かれることである。登場人物は三人だけとなれば、これはもう役者と演出が勝負どころになるが、細かい演出、無駄のない新鮮な演技で、期待に応えてくれる。学者としても、親としても自尊心を捨てられない那須賀世子、親に反抗するように我が道を行く伊勢佳世。一方ではその人生に疑いを持ち、時に原初的な母と子に戻りながらも、異邦人として異国に生きなければならない人々のある種突っ張った女たちを型通りにならず演じ切る。その親子の鏡になる占部房子もよく物語を支え、最後にミセス・クラインに爆発するところなど見事であった。細かい動きとセリフに埋め尽くされた舞台を演じ切った小劇場の女王たちに拍手。
風姿花伝の小さな舞台だが美術も、衣装もいい。控えめな音楽の選曲も良い。よくわからなかったのは潮騒と海鳥の声らしい音響効果で、舞台がロンドンのハムステッドとなれば、海岸からは遠い。母国からは遠く、との意味かもしれないがそれは少しうがちすぎだろう。。

ネタバレBOX

前年の「終夜」に続く風姿花伝の翻訳劇シリーズだが、座主の那須佐代子と演出の上村総史以外の俳優を変えて、素材に偏らない現代劇を上演しているのには敬意を表する。ことに日本の新劇にありがちな政治劇や、フォーマット(喜劇、とか推理劇とか)優先にならないで、舞台の上で演じられる「現代の」人間像が面白い戯曲を選んでいるのがいい。昨晩はこの事態の中で、小劇場では高めの値段設定だがほぼ満席だった。こういう芝居を観たい客は確実にいる。
PANCETTA special performance “un”

PANCETTA special performance “un”

PANCETTA

シアタートラム(東京都)

2020/11/19 (木) ~ 2020/11/22 (日)公演終了

新人のコンクールをやるには難しい時期ではないか。
今年の世田谷区の新人芸術家育成プロジェクトの受賞者pancetta の公演だが、あまり、作品を練る時間もなかったことが歴然とした出来で90分、形だけは演劇的だが、内容が成熟していかない。前川知大のようなちょっと面白いシュールなテーマなのだが見せるという事では、戯曲も演出も俳優もセットもトラムの観客に見せるには苦しい。こういう試みは、公立で予算があるからやる、という事では傷つく人を出すだけだと思う。休む勇気も必要だ.

フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

フリムンシスターズ【12月1日(火)と12月2日(水)の大阪公演中止】

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/10/24 (土) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★★

劇場で芝居を観る愉快を、本当に久しぶりに味わった。
松尾スズキのコクーン芸術監督就任第一作。「キレイ」で当てたのはもう二十年も前か。それとは全く違うテイストで、かつての松尾大人計画の味を残しながらも、新しいコクーンの出発を期待させる新作ミュージカルの登場である。新しく、若々しく、心弾む。
何よりもいいのは、現在の状況の中でまったく委縮していない。「いい加減な指示なんかには従わないで自由でいよう」という趣旨の曲もあるが、スタッフもキャストも舞台の上でのびのびとはじけている。そこが今の時期には素晴らしい劇場からの贈り物になった。
舞台の大枠はゲイの信長(皆川猿時)が仕切るショーパブになっていて、物語や人物紹介はほとんど、彼によってされる。正面に舞台に当たる空間があって、そこで芝居もあるし、歌もある。よくある構成舞台なのだが、舞台の色使いや枠取りの美術が素晴らしい。その上の二重にバンド(6名編成)がいる。物語は西新宿の地方の若者が集う吹き溜まりのような地区にあるコンビニとその二階にある従業員の部屋から始まる。そこに住んで、禿のコンビニ店長(オクイジョージ)との情事にふける沖縄出身の売り子(長澤まさみ)、10年前の妹への交通事故でスターの座を追われたかつての大女優(秋山奈津子)と、そのゲイのマネージャー(阿部サダオ)が久しぶりの出演の稽古に臨む話を軸に展開する。物語は一日半なのだが、その間に、登場人物たちの過去がほとんどクライマックスの連続のように歌と芝居で、挿入されるので、展開は波乱万丈、それを追ってもあまり意味はないが、要するに、この三人と彼らを取り巻く現在の社会からこぼれおちたひとびとたちは沖縄言葉で「フリムン」(狂う)にならなければ生きていけないのである。
そのフリムンぶりは、踊りであったり、音楽であったり、時には「後ろからズドン」という曲の物騒な歌の警官の上司殺人だったり、コンビニで売っているコンドームを盗む奴隷労働の現場とか、後ろからやって、と下ネタだったり、伊勢丹のパッケージを衣装にした伊勢丹の上品さを守る会を名乗るやくざ集団だったり、ユタのお告げが現実になったり、半端ないのだが、でたらめに見えながら今の空気をはらんだ統一感があって、素直に観客は乗っていけるのだ。暗くなりがちの話で、松尾スズキの過去の小劇場作品は暗さに居直ったような凄みがあったが今回は、暗さを笑い飛ばして前へ進んでいく。俳優もみな適役。主演の三人は、それぞれ出身は違うが、うまいことでは定評がある何でもできる人たちでその力を十分発揮している。観客も巻き込まれて陽気になる。
それは、脚本だけではない。
この舞台のスタッフはあまり知らない人たちだ。私が記憶していたのは振付の井出茂太くらいで、美術の池田ともゆきも音楽の渡邊祟も知らなかったが、立派に大劇場をこなす。キャストは脇は大人計画が固めているがそれでも中には歌唱力で客席がどよめく妹役の笠松はるのような新星がいる。細部に至るまで華々しいのだ。
私は、オンシアター自由劇場が初めて「上海バンスキング」で博品館劇場へ進出した公演の劇場の熱狂を思い出した。この舞台には劇場とともに時代が動いていく感じがある。なるべく早い機会に再演を期待している。

拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿

拝啓天皇陛下様 前略総理大臣殿

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2020/11/13 (金) ~ 2020/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★

右、左、とはっきり色分けされたドラマで覇を競った政治劇と言うジャンルが盛んだったのは、もう半世紀余も昔なる。いま政治にドラマを設定するには難しい時代である。
新劇と色分けされている新劇団はもっぱら左だったが、ここの劇のテーマは画一的で、ファンが気炎を上げるにはいいが、一般観客には退屈で次第に支持を失っていった。
このドラマでは、現代の国民主権の民主主義に殉じた役人が描かれ、その対比に天皇制に殉じた戦前の徴兵対象になった国民全員が置かれている。国家権力が天皇から国民の民主的な選挙による総理大臣になっただけで、政府の全体主義志向は収まらず、国民は民主主義の中で生きる自由を脅かされている、という主張なのだが、それは国民にはよくわかっている。それは反対!といくら言っても解決しないからいら立っているのだ。
新劇の作者たちはおおむね左だったが、その陣営が広く支持を集められるような作品は多くはできなかった。例えば、亡くなった斎藤憐は政治劇をそれこそ山のように書いたが、打率は高くない。しかし、「上海バンスキング」と「グレイクリスマス」という時代を超えられる作品を残した。ともに政治に人生を狂わされた人々を描いているが直接的な主張は背景に退いている。単純に右左と言っていてはドラマにもならなければ観客も集まらない。今の世界を生きている人々の細かい心のひだに触れなければ折角のドラマを作る意味がない。大きすぎて漠然としている徴兵制や公務員のコードよりも、天皇制を扱うなら、不遇の大正天皇の夫婦生活を描いた「治天の君」の方が腑に落ちる。素材の選び方も、それを扱う手つきも、上からでは物事を掴み切れない難しい時代になった。
ア―フタトークに前川元文部次官が出てきて、安部よりも菅の方が組織として全体主義的権力を貫く志向が強いから危険だという話をした。本当に危ない、と二度も言ったのでいまわれわれのいる場所の難しさはよく解った。坂手洋二も多作の人だが、自らが権威になることなくいい作品が残るよう期待している。

令和2年11月歌舞伎公演【11月22日~11月25日の第二部のみ公演中止】

令和2年11月歌舞伎公演【11月22日~11月25日の第二部のみ公演中止】

国立劇場

国立劇場 大劇場(東京都)

2020/11/02 (月) ~ 2020/11/25 (水)公演終了


この芝居、歌舞伎で見るのはもう何十年ぶりだろうが、見たばかりのような気がするのは昨年、野田秀樹の「Q]が本歌取りをしていたからだろう。流人の帰郷願望のドラマなのだが、こうしてみると、改めて、すべてに人にも共通する「結局はひとりである」という現代人にも共通する人情に触れていると感じる。いつものことだが歌舞伎評は渡辺保さんの詳細な歌舞伎劇評がタダで、ネット公開されているからお任せするとして、(ありがたい。さすが学士院賞である。学術会議もこのような方の集まりだったら、もっと世論の支持が強いだろうに)。野田秀樹のQが引用しているわけはよくわかった。
幕切れ、岩上の松の枝を折って、岩頭で流人船を何もしないで見送るだけの吉右衛門はなかなか深くてよかった。それにしても、その前のアマをつれていく、行かない、人数で検問が通るか通らないかで殺陣になるくだりは、そのあとの話の展開に比べると下世話で冗長に感じた。吉右衛門、この日はあまり体調良くない気配でいつもの迫力に乏しかった。客の入りも市松模様で、掛け声禁止では気が乗らないのも無理はない。拍手というのは歌舞伎見物の作法にはないものだから、かえってだらけて場の興趣を削ぐ。

嘘 ウソ

嘘 ウソ

俳優座劇場

俳優座劇場(東京都)

2020/11/07 (土) ~ 2020/11/15 (日)公演終了

満足度★★★★

舞台の上は二組の夫婦だけ、夫たちは親友同士、その夫の何やら怪しい浮気現場をもう一人の妻が見たばっかりに…親友同士の真実が、お互いの嘘によって暴かれていく…フランスのコメディと言えば、もう話の筋書きは決まっているようなものだが、それを面白おかしく、飽きずに見せてしまうのは、練達の本の腕前である。テンポもいいし、謎解きの伏線も、その解き方の洒脱さも、肝心の謎の中核のシーンを最後に反復して見せてくれるあたりも心憎い。人気作者らしい細かい芸である。世間の風などどこ吹く風、と言うところもいい。
俳優座のプロデュースだが、新劇団から文学座の清水明彦が主役、その妻が俳優座の岩井なおみ、親友の編集者が円の井上倫宏、その妻が昴の米倉紀之子。各劇団中核の役者がそろっているが、これだけ揃うと、短期公演ではその日の体調が影響する。私が見た回は清水が絶好調、岩井が珍しく不調、井上は出場が少ないのに、少し抑えすぎた感じ。これはオーソドックスな西川信広演出のせいかもしれない。しかし、これだけ。本がおもしろいと、すぐなにかとやりたがってしらけるものだが、そういうところがないのも新劇ベテランのいいところだ。
俳優座は劇場で「嘘」をやり、上の稽古場では古川健の本で高橋是清伝を上演する大車輪。老舗劇団、息切れしないように頑張れ! 役者は劇団の財産だ。
折角六本木に出てきたので、交差点角に昔からある蕎麦屋で軽くそばでもと、と思っていたらコロナで八月いっぱいで閉店したと張り紙。六本木のただなかにも冷たい風が吹いていた。1時間55分。

プレッシャー

プレッシャー

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2020/11/11 (水) ~ 2020/11/23 (月)公演終了

満足度★★★★

第二次大戦終盤の天王山・Dデイの戦争秘話である。もっともこの話は映画でもエピソードとしてよく描かれるし、19年にはトランプ訪英の際に女王と並んで抜粋を見た、という事なので(英文ウイキペディア)、英米ではだれもがよく知っている日本で言えば、日本海海戦の大転回作戦のような話なのだろう。要するにノルマンディの反攻上陸作戦を成功させるためには当日の天候が重要で、英米の気象将校がそれぞれの論拠から自説を立てて譲らない。
この頃の天気予報はよく当たるし解らないときは許容範囲も正直に言うが、ついこの間までは結論は出すがあまり当たらなかった。だからその成否がドラマにもなるわけだが、この作品、戯曲としてはあまり出来がよくない。英米将校の対立も論拠が専門的なので、丁寧にやってはいるが、それがかえって。退屈になったりする。実話なのであまり作りすぎるのもはばかられるのか、英米将校の対立も人間味が乏しい。そこは作者も承知らしく、英将校には妻の難産、アイゼンハワーには戦場妻のような秘書、などの挿話を用意しているが、それも何かおざなりだ。客は戦争の行方を知っているから舞台に予想が当たる当たらないのサスペンスや緊張感がない。やはりこれは、今もいつも天候不順に振り回される風土に生きるイギリスならではの芝居だろう。休憩15分を入れて3時間は長い。
こういう実話を素材に、選べばこういう芝居になるだろうが、折角実名で出てくるアイゼンハワーなどは、オモテだって将たる柄が欲しいし、取り巻きがファミリーと言うなら、そういうところをもっと丁寧にやれば、難産の妻を抱えて孤軍奮闘の英将校との家族モノの英米ドラマにもなったかと思う。
カトケン事務所は今年はこれ一本で寂しい限りと本人がアンコールで語っていたが、ここでしか見られない欧米のちょっとしたエンタテイメント小芝居はいままでもいくつかあった。来年のノーマルな舞台環境で楽しい芝居を見せてくれることを期待している。

女の一生【京都公演中止/東京公演初日延期】

女の一生【京都公演中止/東京公演初日延期】

松竹

新橋演舞場(東京都)

2020/11/02 (月) ~ 2020/11/26 (木)公演終了

満足度★★★★

観劇後の感想は複雑である。
大体こんな大劇場でこの演目を見たことがない。最後に見たのも杉村春子だったから、もう五十年も前か。その頃はこの舞台は確かに現代劇の秀作だった。役者もよかった。舞台に華があって、観客も酔えた。東横劇場だったか、紀伊国屋だったか忘れたが、演舞場のような本来は和服のお姐さんたちの賑わいが似合う大劇場ではなかった。それが、市松模様のコロナ客席。桟敷席にはだれもいない。いま「女の一生」を松竹がガラリ、スタッフ・キャストを変えて公演するには、時期が悪すぎるのではないか。
久しぶりに見た感想。戯曲。古典化しているが、意外にそれほど腰は強くないのではないかと思った。今見ると、主人公の布引けいに現代人を引っ張っていく人間性がない。自分の行動を自分の選んだ道だからと、言うが、現代女性に同感されるだろうか。やはり、これはちょっと明かりが見えていた昭和初期のはかない希望の時代に裏打ちされた風俗劇なのではないか。それならよく出来ていて、老年の私は今回の上演でも同感できたが、世代を超えていけるとは感じなかった。さらにいえば、周囲の人物が単純に役割付けされていて、風俗劇になら、十分通用するが、古典として様々な角度から切り込んでいける余地が少ないとも感じた。今回は脚本を戌井市郎補綴版を使っていて、昔見たものと変わっていなかったからそう感じたのかもしれない。しかし、なじんでいた幕切れのカリドールは完全に浮いていた。
演出。段田安則が自分も、堤家の長男役を演じながらの演出である。特に新しい趣向があるわけでもなく、殊勝に戯曲を追っている感じなのだが、良くも悪くもない。困ったのかもしれない。その点でも、板の上を委縮させる悪い時期だった。
俳優。つい、宮口精二は・・と思い出してしまうのだが、文学座と比較するのは意味がない。現代にパンチがあればいいのだが、現代劇にもなり切れず、また時代劇にもなり切れずの中途半端さが残る。大胆になることをためらわせる空気がある。その中でやった俳優諸氏にはご苦労様というねぎらい以上の批評はできないだろう。
弁当も禁止、食堂も細々としているのでは時間を持て余す休憩30分を含んで3時間。劇場内でしゃべるな。と言うコロナ対策は劇場を殺す。劇場でのおしゃべりを楽しみに来る懐の温かい老女の客は結構多いのだから。客のおしゃべりは小屋の賑わい。これでは客の戻りは遅い。全興連は劇場の特性をいい加減な責任逃ればかりの政府に言うべきだ。プロ野球はちゃんとやっている。

ネタバレBOX

キャストの大目玉、布引けいを演じた大竹しのぶ。この女、下町で叔母に育てられ、山手の家に拾われた明治から昭和への東京の機転の利く女という感じがまるでしない。セリフ足の問題ではない。杉村春子は地方出身なのに、そこの空気感は絶妙だった、とつい比べてしまうのだが、この芝居を風俗劇と見た場合、そこは最も肝心なところだろうと思う。まだ幕が開いてから、日が浅くつかみかねているのかもしれないが、新しい女というわけでもなく、性格で掴んでいるわけでもない。五幕の空襲下で亭主が死ぬところなど、芝居場ではないか。全体にあざとくないのはいいが、あっさりし過ぎでもいる。
The last night recipe

The last night recipe

iaku

座・高円寺1(東京都)

2020/10/28 (水) ~ 2020/11/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ここ数年、見るたびに期待を裏切られなかったiaku横山拓也の新作。市松客席での公演だが満席。もう入れてもいいじゃないか。当日券なしでは客いじめも極まれりである。
今回は突如内容を、コロナものに変更した由で、底が浅くなった。リアルを追求したい若い女性ライターが、実生活でもリアルを体験したいと結婚までしてみる、という話である。コロナで頻発した突然死を将来のワクチンに絡ませて枠取りにしているが、この二つの趣向が練れていない。時事ネタをとりました、と言うだけに終わっている。
芝居のつくりは例によってうまいもので、最初のいかにも大阪らしい会話(東京の客席はあまり笑わないが)や、女性ライター同士のやり取り、一人娘と一人息子という設定や、親のキャラなど手慣れたものだが、上滑りしていてつまらない。一番の問題はラーメン屋の息子で、このキャラが今一つはっきりしないので、周囲がくっきりしない。今問題の80‐50問題などもうまくやればもっと面白く仕組めるのに、と残念。うまいと言ってもいつもいい作品ができるわけではない。そんなことになったら芝居ものは皆めしの食い上げ、客も今度はどうだろうという興味を失くす。この作者、劇団は超高打率だったのだから、自戒を大いに期待しよう。今回は話が無理筋だった。

ボノボたち

ボノボたち

株式会社NLT

シアターX(東京都)

2020/10/17 (土) ~ 2020/10/25 (日)公演終了

満足度★★★★

上演されることの少ないフランス艶笑ドタバタ喜劇である。身体障碍者の性処理が素材になっているから、今どきの言上げ好きの手にかかれば、たちまち、ネットは炎上、お詫びを張り出し、という事になりかねない話なのに、平然と上演するところ、さすが、賀原夏子仕こみの根性のある喜劇劇団の公演である。安易で定見のない正義派に敢然と喜劇で戦いを挑んだところは大いに評価したいのだが、このフランス喜劇になれているはずのこの劇団でも、日本とは異質の倫理観を持つフランス喜劇は手に余った。
こういう倫理を逆手に取ったような喜劇は、ドライに笑いの中に話を展開しないとくだらない正義の声に負ける。俳優のセリフの受け渡しも、稽古ができなかったのかもしれないし、技量及ばず、というところかもしれないが、動きもテンポもかみ合わず(ほとんど動きだけで笑わせなければいけないところがもたもたしているので内容で笑えなくなってしまう)残念な出来だった。ことに、客演の方々、もっとシャンとやらなければ。

ネタバレBOX

女性の一人が義足だったという落ちはうまいものなのだが、ここは、一瞬ぎょっとして、どっと笑いが来るようにやらなければ。ここでシーンとするようでは喜劇劇団とは言えない。
真夏の夜の夢

真夏の夜の夢

東京芸術劇場

東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)

2020/10/15 (木) ~ 2020/11/01 (日)公演終了

満足度★★★★

異才を組み合わせれば、傑作ができるというものでもないだろう。
ルーマニアのブルカレーテは、「ルル」を見た時は偉いのがいる、と大いに感心したし、異色の感能性にも触れることができたが、野田とは肌合いも違う。さらにおおもとの原作がシェイクスピアの祝祭劇である。これにドイツ系のファウストや英語圏の「ピーターパン」まで組み込んである。舞台も、野田の場合はかなり手が込んでいても手づくり感がどこまでも残るが。今回は映像処理も大活躍で、言って見れば、ひっちゃかめっちゃかのごった煮「夏の夜の夢」である。野田流にふざければ「夏の世の夢」。夢だからいいじゃないかと言われれば、そうかもしれないが、自然破壊へのプロテストまであるところを見ると、結構まじめに現代批評も意図している。まぁこういうのもありカナ。国際的な才能激突のコロナ憂さ晴らし祝祭劇を期待していた小生はあてが外れた。

君の庭

君の庭

地点

KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

2020/10/01 (木) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★

17年に見た「忘れる日本人」がなかなか良かったので、期待して見に行った。劇団の全ての公演がいいという事は、人間がやっている限りあり得ないのだからしょうがないが、今回はがっかりの出来だった。やはり、素材が難しすぎるのである。
前回は、愉快なおみこし担ぎ日本人論で、みこし代わりに船を担ぐ、という寓意が成功したが、今回は天皇制。赤と黒の漆張り(に見える)ひな壇に乗った天皇一家(と言っても4人だが)が、舞台中央をぐるぐる回る間に松原俊太郎の天皇本人や、周囲のコメントの断片がコラージュされる。大要は戦後、天皇を空気みたいな存在にして、国民統合に利用した、実態ないのにこれ如何に?、という程度の「ザ・ニュースペーパー」の高級版.実態がないというのだから攻めようがない。折角新政権が「包括的、総合的」などという珍答弁をして、天皇の総合的統合の象徴みたいなことと相応して、解りやすく、撃つ的が絞れたのに、間に合わなかった。皇室の男系相続とか、歴史継承とか、話題は色々出てくるが、女性週刊誌並みである。また、例によって言葉遊びがあるが、こういうのはスタイルとして出来上がってしまうと煩わしいだけになる。
今回はコロナで半席にした上に入りは悪かった。劇場への客離れのような寂しさでもあった。

たむらさん

たむらさん

シス・カンパニー

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2020/10/09 (金) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★

きっと、いまに気骨のある団体が現れると信じていた。
劇場自粛警察には、ほとほと、参っていたが、この公演は無駄な対策を止めている。滑稽でしかなかった切符のもぎり、場内マスクの強制、たけだけしい場内ご注意アナウンス、何よりよかったのは馬鹿々々しいとしか言いようのない席の一席明けを辞めたことだ。感染医学者がほとんど役立たないといっていることばかりだ。感染防止を言い訳にこんな愚行を重ねれば観客席は死ぬ。それが分かっている制作者がいたのだ。いや、演劇に関わるものは内心みなそう思っていただろう。さすが、シスカンパニー。5☆。
久しぶりの満席の客席。京王線の事故で途中入場者も多かったが、それもおおらかに許せる、小屋の客席の空気が戻っていた。観客は半年ぶりに演劇を心から楽しんだ。

さて、芝居の中身。先日、日生で同じような二人芝居「真夏の死」を見て、作者の切れ者ぶりはわかっていた。今回は現代劇。1時間足らずの短編だ。作品的には、三島のような線の太さはないが、作りはうまい。ことに後半の意外な展開には驚くが、人間関係が風俗的なので、三島の場合のような強靭な舞台を支える力がない。俳優も、現代風を意識したのか青年団張りのナチュラル志向で前から12列目くらいの席だったがセリフが届かない。残念。
政権が支配をあらわにしている牙城の新国の地下の貸し小屋でこの快挙に拍手。

ネタバレBOX

意外な花嫁自殺は、ドラマの運びとしては無理がある。才人才におぼれたか。ここまで、妻に何も語らせないのは、手としてはこの手しかないだろうが、父親、両親の方はもっと手がある。「語れない」というのは非常のドラマチックで、いい芝居はよく使う手だから参考例はたくさんある。私のおすすめは、グザビエ・ドランが映画にして成功した「たかが世界の終わり」。今の人々らしい忖度満載。
ブカブカジョーシブカジョーシ

ブカブカジョーシブカジョーシ

オフィスコットーネ

小劇場B1(東京都)

2020/11/12 (木) ~ 2020/12/10 (木)公演終了

満足度★★★★

「部下と上司」のブラック・コメディだが、面白いのにあまり笑えない。
芝居は常に上演されたその時の影響を受ける。この中身では90年代初演かとも思うが、そのは時にはタイムリーで、客も大いに笑ったのではないか。カレント・トピックスが多い。今は常識化したエピソードが多くパンチがない。
しかし、上司と部下という現代会社社会の中の構造喜劇としては結構よくできている。二人芝居に組みなおした佃典彦の演出も緩急ところを得て中身の古さを補ってダレさせない。よく出来ているのに、さほど受けていないのは時代のせいのような気もする。今、岸田國士は復活したが、ひところはだれもやらない惨憺たる評価だった。大竹野の本にはそういう古典性もある。
今回の出演者では野坂弘が好演。この現代的な、ある種の不気味なキャラクターを演じて、この本のフルさを掬った。受けの高田恵篤はベテランの安定感。

『浦島さん』『カチカチ山』 

『浦島さん』『カチカチ山』 

ヴィレッヂ

東京建物 Brillia HALL(東京都)

2020/10/04 (日) ~ 2020/10/17 (土)公演終了

満足度★★★★

太宰の作品の中ではなじみのある「カチカチ山」。読んでも面白い作品で、朗読作品としても人気がある。その本文に大枠として、執筆当時の太宰本人と、弟子との葛藤、出演者を見て歌を四曲入れた構成(青木豪)は原作を程よく生かして1時間半の舞台にしている。いのうえひでのりの演出もこの欄の「浦島さん」の評とはだいぶ変わって、よく動き、にぎやかで飽きさせない。出演者も狸を演じる宮野真守。ウサギを演じる井上小百合、それぞれ歌にモノローグに、芝居にと、音との絡みがあるので、気が抜けず大車輪だが、とにかく走り抜ける。
コロナ騒ぎで、人数も少なくてできるものと考えたもののようだが、企画そのものはあまりビレッジらしくない。いのうえ演出は、この程度の舞台ではもったいない。もっとダイナミックで面白い舞台を用意してもらいたいものだ。2.5ディメンションと新感線やミュージカルをつないで、新しい時代のエンタティメントを期待している。

ネタバレBOX

一夜楽しく見るには、こわばったコロナ対策で、ここも例によってうんざりする。厚生省もあまり役に立たないと認めているマスクの強制(要請ではない。平然とケン高く強制する)や、手指消毒。チケットを客に切らせる、などといういやみな対策はやめたらどうか。
All My Sons

All My Sons

serial number(風琴工房改め)

シアタートラム(東京都)

2020/10/01 (木) ~ 2020/10/11 (日)公演終了

満足度★★★★

アーサーミラーの1947年のデビュー作だからさすがに古い。アメリカ演劇が注目を浴び、勢いのある時代の気合の入った作品ではある。三位一体古典劇のしっかりしたつくりだが、芝居の中身はイプセン風の古めかしい社会倫理ドラマである。確か民藝が数十年前にやった、いかにもそういう作品だ。
アメリカンドリームに乗った起業家の製造責任を、その起業家の家庭劇の上にのせている。起業家は金物製造業で戦時中に戦闘機のキャブレーターを作っていたが、不良品を納品してそのために21機の墜落があった。それの責任を共同経営者に押し付けて、工場はうまくいっているように見えるが、裏ではそしられている。その起業家と二人の息子の運命の一日を描いている。ニューヨークから列車で二三時間という地方都市の起業家のポプラの大木がある家のオモテの一杯舞台の装置が、小劇場としては東京随一の天井の高い、奥の深い劇場の特性を生かしてよく出来ている。
俳優は神野三鈴、大谷亮介、に脚本・演出の詩森ろぼの劇団シリアルナンバーから田島亮など。意外に皆神妙な新劇風で、戯曲解釈も舞台作りもオーソドックスと言えば聞こえはいいが、どうにもいじりようがなかったのではないか。今この作品を取り上げる意味も伝わってこなかった。
今月はアメリカ演劇を十二人から始まって、心の嘘、みんな我が子と名作ばかり見たが、改めてアメリカという国に生きる難しさを感じた。また、いずれも日本人にとっては、ホントのところはよくわからない、隔靴搔痒というところも、どの舞台からも感じられた。

ネタバレBOX

この小屋の劇場警察は殊に元気がよく、ご注意の数々も、くどく不愉快。ことに客に対しアンタの為にやってんだ的な言い回しには閉口する。公共劇場を抑えると意外に政府の思想統制もできてしまいそうなコロナ実験である。
MISHIMA2020

MISHIMA2020

梅田芸術劇場

日生劇場(東京都)

2020/09/21 (月) ~ 2020/09/27 (日)公演終了

満足度★★★★

なぜ、いま三島没後50年でこの4編を上演するのか、解らないが、今回上演の一編「真夏の死」は面白く見た。演出は「た組」の加藤拓也。出演は中村ゆりと平原テツ。三島存命中、その後しばらくは一切原作に手を入れられなかったが、今回はかなり原作へのリスペクトはありながらも、切り込んでいる。班女と違ってこちらはもともとが小説である。この脚色が非常にうまくいっている。
日生劇場の大きな舞台に椅子が二脚、そこの男女二人の役者が腰を下ろし、夫婦のモノローグ風に物語を語っていく。始まった途端、失礼ながら、あまり大劇場の経験のない演出・俳優で、いくら1時間の短編とはいえ、これで大丈夫か、と思ったが、どうしてどうして、小さな舞台から少しづつシーンを広げていく段取りなどうまいもので、最後には広い海浜まで目に見えるような気がする。椅子にちょっとした仕掛け(椅子の足だけ延ばして高くなる)があるだけで、こういう構成ができるのは大したもので、俳優二人も大健闘。ことに中村ゆりは、ナレーション風の読みの緩急もうまいし、後段変化していくところもそつがない。
班女は近代能楽集で、麻美れい、中村蒼、橋本愛、演出は熊林弘高、興行側としてはこちらがメインだろうが、三公演では気が乗らないのか、装置は埋めようと考えているのに大きな舞台を持て余し気味で、やはりこの戯曲は紀伊国屋ホールあたりが適度な大きさだと思った。その点でも、「真夏の死」は結局大劇場に負けていない。拾いものの良さであった。
それにしても、コロナ自粛もそろそろ終わりだろうが、ほんとにしらける。こんなことを劇場側が得意そうにやっているようでは、劇場に客なんか戻らないぞ。全興連も政府に唯々諾々としたがっていると肝心の客を逃がしてしまう。

十二人の怒れる男

十二人の怒れる男

Bunkamura

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2020/09/11 (金) ~ 2020/10/04 (日)公演終了

満足度★★★★

おなじみのディスカッション劇である。もう何度も見たが、何度見ても面白い。陪審員が十二人。問われた裁判は、少年の父親殺し。ニューヨーク下町の貧しい家庭の犯罪である。有罪対無罪の比率が最初は11対1.これが話し合ううちに次第に無罪へ変わっていく。陪審員番号8号、映画ではヘンリーフォンダが演じたおいしい役を堤真一が演じる。今回のキャスティングは、いろいろなところから面白い俳優を集めている。山崎一のような意外な役柄もあるし、絵で書いたようにハマった石丸幹二、溝渕淳平。柄で説明しきったような青山達三、永山絢斗,それぞれ役の味に本人のガラも加えて健闘しているのだが、どこか物足りない。演出が英国人の為かと紹介文を見ると、コロナ騒ぎで来日せず、リモートで、映像を見ての演出だった由。これでは、演出側も、俳優側も一応の動きになってしまって。行き届かない。生身の人間で切り結ばないと、お互い豆腐を切っているようで歯がゆかったに違いない。言葉が分かる、解らないの問題ではない。舞台に肉感が乏しくなってしまう。それでも、おもしろいのは脚本の功だろうが、今回は50年代のニューヨーク下町の陪審員の生活感覚はかなり切られていて、話し合わなければならない、という事と、被疑者への偏見が、クローズアップされている。(戯曲を手にして見たわけではないので間違っていたら後免)今までの公演では、幕開きはニューヨークの下町のグランドノイズだったと思うが、今回は優しい音楽から入る。そういうところにも時代を感じた。休憩なしの2時間。


心の嘘

心の嘘

劇団俳優座

俳優座スタジオ(東京都)

2020/09/04 (金) ~ 2020/09/20 (日)公演終了

満足度★★★★

ひさしぶりに新劇らしい翻訳劇を見た。それも、アメリカンドリームの妄執の中に生きる人々群像の生粋のアメリカ演劇。1985年の作品というから、今のアメリカではないが、ギスギスが極まり始めたころの二組のホーム・ドラマが舞台で交錯する。トランプ社会の原点を見る感じがする。筋を追っても仕方がないところもあるので、感想を列記すると、
40年近く前といっても、アメリカの妄執のドライぶりは半端ない。下流社会で生きているだけのような人生に時代を重ねる物語だ。しかし、それを、日本語で日本の役者がやると、湿気が多くなってしまう。親子兄弟夫婦という日本的関係が抜きがたい。それが悪いか、と言うとそんなことはない。芝居は、そこで生きている役者しか登場できないし、差配する演出者も同じ環境にあるわけだから、もととは違うことを承知の上で見なければなるまい。それでもアメリカが透けて見えるし、翻ってわが姿も見える。痛烈な時代批評である。こういう芝居は公共劇場でやると、昨年の新国立の「1984」みたいに、文部省への恐れながらやらせていただきます的な過剰なヒラメの配慮が出て惨憺たることになるから、劇団主催のよさが出た。翻訳も演出もテンポがいい。
二つ目。俳優座は役者の層も厚いし、皆上手いという事がよく分かった。。
主演の志村史人も、飯見沙織も知らなかった。斎藤深雪は、地味な脇役で目立たない人だったのに、なんと、ものすごくうまいではないか。役の難しい安藤みどり。演出者が注文したことをちゃんと演じていることが分かる。
ことにみなセリフがいい。上手下手を言う前に、とにかくはっきり聞こえ、ニュアンスが受け取れるセリフになっている。
三つ目。自粛劇場警察も後二週間。あのイヤーな雰囲気は早く払しょくして芝居を観たい。「心の嘘」のような芝居は自粛劇場で公演成果50%引き。客も席を減らしてもいっぱいではなかった。しかし、苦しいのはわかるが、だからと言って来た客に寄付せよ、というのは観客の共感を呼ばないだろう。客はタニマチじゃない。
最後に、俳優座もようやく上演作品が意欲的になって文学座の後ろ姿が見えてきた。あと奮起を望むのはいつまでも低調の民藝。三劇団でなければ見られない芝居はあるのだから。

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