ほたえな 胸中が猿
グワィニャオン
萬劇場(東京都)
2015/12/16 (水) ~ 2015/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
魅せてくれた
近江屋における坂本龍馬暗殺事件の現場検証を行っている感じ。その手法はプロファイルし、いろいろな角度から検証する挿話が面白い。
「2009年、ソラトビヨst.の舞台に書き下ろした戯曲をグワィニャオンで大胆に味付け!」は、ラストの驚きも含め見事であった。
ネタバレBOX
この公演、基本的にはコメディの類であろうか。軽妙、洒脱という印象である。
舞台セットは、暗殺された近江屋二階の二部屋の断面を観るようである。ほぼ中央で二分割し上手は龍馬の四十九日、下手は暗殺時の状況検分、見聞している様子である。この二分割することで、龍馬の人柄、当時の不穏な状況の二つの事柄を浮き彫りにする。
まず、四十九日法要には、龍馬の妻・龍と許婚の千葉さな が鉢合わせをし、互いに思慕を募らせた思い出話をしている。一方、下手では殺害した犯人は誰か、その詮索を通して当時の世相を描いている。この観せ方は龍馬個人の魅力と幕末時における龍馬の存在、その果たした役割という、公私の描き方が面白い。
特に、龍馬暗殺の状況を、TVで観る刑事ドラマのような現場検証・検分、プロファイリングの捜査のようで、分かり易く新鮮でもあった。その再現シーンのように挿話する殺陣も見事。観(魅)せる公演は、劇団グワィニャオンらしく素晴らしい。ラストシーン...舞台セットの件であるが、再演するかもしれないため、ここではその驚きは伏せておく。
次回公演を楽しみにしております。
わからなければモモエさんに聞け
劇団青い鳥
小劇場B1(東京都)
2015/12/15 (火) ~ 2015/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★
可笑しさと切なさ
私の人生、やり残したことがない? 当日パンフにも各キャストが子供の時になりたかったのは、という自問自答が記されている。
さて、1970年代の歌謡界...当時あった「スター誕生!」でデビューした中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)は、今それぞれの途を歩いている。ところで、タイトルにある“モモエさんに聞け”は、人気絶頂期にあった彼女に対して、やり残したことはない?という比喩的な問いかけでもあろうか。
ネタバレBOX
主人公(天光眞弓サン)は、タンタン(坦々or淡々?)デパートのエレベーターガールの募集チラシを手にし、応募するか否か思案している。何しろ年齢不問(自分は孫がいる年齢)なのだから、その気にもなる。さぁ、ここから彼女の心の彷徨が始まるのだが...。このデパート名の(音)韻が、それまでの人生の平凡さを物語るような響きがある。
舞台セットは、ほぼ素舞台。場面に応じて子供用の椅子が数脚あるのみ。全体的にモノトーンであるが、場面に応じて照明照度、照射角度を変え、演出効果を高めていた。音楽も同年代であれば懐かしく、知らない世代でも楽しめると思う。
心の旅は、占い師(葛西佐紀サン)による恍けた占い。その先には全てが見えるとか。
心療内科医師(天衣織女サン)では、応募する動機と不安を相談するが、ズレた方向へ。
インストラクター(近内仁子サン)のもとでは、自分の高所恐怖症・閉所恐怖症という課題を克服する訓練。その特異ある動きが魅力的。
訪ね歩く先(シーン)の主役は入れ替わり、その場面をそれぞれ違った観せ方(コメディ風、ミュージカル風など)で牽引する。登場人物5名のうち4名が劇団員であり、そのチームワークの良さが十分観て取れる。
全体としてはコミカルであるが、その仕草には愛嬌と哀切が同居しているようだ。
ラストは、冒頭のシーンへ邂逅するような繋がりで印象に残る...お見事!
次回公演を楽しみにしております。
ビーイング・アライブ
ワンツーワークス
赤坂RED/THEATER(東京都)
2015/12/11 (金) ~ 2015/12/20 (日)公演終了
満足度★★★★★
生きていくこと
多くの家族が抱える現実。独居老人と最近問題になっているマンションの手抜き建築を絡めた物語である。もっとも殆どが(超)高齢社会における当人とその家族または周囲にいる人々との関わりが中心に描かれる。それを観せる舞台セットと演出手法はこの劇団の特徴。観客(自分)が楽しめるよう工夫されている。
例えば、舞台セットは客席側に向かって前面斜め下に傾けている。当然、欠陥住宅をイメージすることができる。
役者(動き)は、ムーブメントでその瞬間々々を切り取り、日常の暮らしの中や表情を断片的に表現する。その動きは観(魅)せて印象付ける巧みさ。
ネタバレBOX
いわゆる八百屋舞台...それも三分割で、上手は寝室(ベッド)、中央奥がダイニングキッチン、客席側がリビング(テーブル・椅子)下手は和室(仏間か)、舞台が斜めになっていることから俯瞰しているような感覚になる。
さらに舞台構造が役者の老人演技(身体の負荷)へ繋げる、という演出が見事である。
同一空間で男女の老人がいるため、始めは夫婦かと思ったが、実はマンション(間取りが同じ)の階違いの部屋を現している。上階の老男の部屋床と下階の老女の天井に穴が開く(「空く」の感覚)という抽象的な現象での老・老交流が面白い。
其々の家族との関係は、現代の家族関係・状況を端的に現している。その昔、家制度に見られた大家族から核家族へ変化したこと、それに伴う一人暮らしの老親との関わりが切実。
大きな出来事が起きるわけでもなく、日常の暮らしに堆積していく不安と寂寥に心が痛む。
この公演は、むしろ大きな出来事より、静かな時間の感覚にこそ、時代や社会の本質があることを示している。そこを鋭くも温かく観せているのが、この劇団の特徴であり真骨頂であろう。もっとも本公演は、明るく生きいていく、という未来も...。
次回公演も楽しみにしております。
イルクーツク物語
劇団俳小
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2015/12/09 (水) ~ 2015/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
丁寧な描き
旧ソビエト時代、バイカル湖の南、イルクーツク近郊を流れるアンガラ川にある発電所の建設現場で働く者とその恋人が織り成す話。脚本が書かれた時代状況や、日本での初演(劇団民藝)のことは、当日パンフに記載されている。
その内容は、女性主人公ワーリャ(舞山裕子サン)が苦難を乗り越え成長する様と、それを温かく見守る人々の交流が感動的に描かれる。二部構成2時間30分(途中休憩 10分)は“生きるため”を中心に、友情・恋愛・誕生・自立といった個々のテーマが織り込まれ、見事な絵柄を仕立て上げた。
さて、ワーリャは、劇中で披露されるカルメンと姿を重ね合わせることができるが、そのラストは...。
ネタバレBOX
梗概は、発電所の近くにある売店で働く人気者ワーリャ... 「安売り女」と陰口を叩かれながらも自由奔放に振舞う。建設現場で働く男2人(親友同士)からも好意を寄せられるが、その悪い噂にも関わらず誠意を貫いた男と結婚した。双子の子供も生まれて幸せな生活も夫が事故死(近所の子供を助けるため溺死)するという不幸が襲う。失意にある彼女を建設現場の人達が助ける。その場面は、国情や時代といった背景を理解しないと感じ難いところもある。例えば、現代日本・資本主義における金銭感覚からすれば、5人分の労働を4人で行い、1人分を...。 富の再分配をイメージするような発想が出来るだろうか。その当時の国家体制だからこそなし得るような気もする。
ワーリャの生き方は、一部と二部とでは異なる。特に二部は、結婚・妊娠・出産・死別を経て、発電所で働き子供達を育てていく、そんな力強さが感じられる。
雰囲気も一部の若者らしい溌刺(はつらつ)、瑞々しさから、二部では落ち着いた大人、そして生活感が出ている。その演技は安定しており、キャストのバランスもよく安心して観ていられる。
日本で女性の自立や自由が声高に語られるようになったのは1970年代になってからだという。この物語は1950年代のことが書かれており、青春群像劇でありつつ、自立していくという、当時としては新しい女性像を描いている。その意味できわめて先見性のある公演(脚本)だと思う。今、その物語を上演するということは、政府の成長戦略の主要施策“すべての女性が輝く社会づくり”を打ち出していることに呼応するのだろうか(取り合えず、その運用の善し悪しは別)。
物語の展開は丁寧で、その心情描写も繊細である。公演全体は、細部を描くというミニマニズムを感じるが、その底流にある“逞しく生きる”という姿は、現代日本の女性へのエールにも見える。
次回公演を楽しみにしております。
MID騎士(KNIGHT)ミラージュ
無頼組合
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2015/12/11 (金) ~ 2015/12/14 (月)公演終了
満足度★★★★
失踪を疾走する...面白い!
探偵物語...と言ってもハードボイルドではなく、緩い笑いを織り込みながら底流には鋭い社会批判・混沌とした国際情勢がしっかり見える話。特に国際情勢についての部分は、当該国に問題があっても、内国干渉になってはいけない(国際連合憲章における友好関係原則宣言を持ち出す)。例外として、自国の問題に対して国際機関が介入できる事項、それがこの公演の本筋であり探偵が登場する理由にもなっている。
その理由とは...。
ネタバレBOX
日本にいる外国人カメラマン...自国で撮影した人権侵害の写真を国際社会へ公表する、それを阻止しようとする集団・グループからの逃亡。それを結果的に助けることになる探偵。
梗概は、街に不穏な空気が漂い始める中、探偵は、失踪者の探索を依頼された。しかし、早く探し出さないと手にはめられたブレスレット型爆弾が爆発する。死へのカウントダウンが迫る中、調査を始めた。そして失踪者を見つけたまでは良かったが、そこからが本当の意味での命をかけた〝バトル・ラン〟が始まる。
基本はブラックコメディで、その構成はバラバラに展開している話が段々と収束する巧みさ。そのシーン毎のコミカルにして洒脱な会話に心地よく身を委ねていると、いつの間にか緊迫した国際情勢を突き付けられるという驚き。その構成・展開に感心させられる。この観せ方とテーマに潜む重大さのギャップの見事さは秀逸である。
人間一人の時は、その異常さは隠されているが、集団化し何かのキッカケで残虐さが暴走する。それを国際社会から隠す、自国の恥は晒さない。そこにある理不尽...芝居の中では視覚として具体的に表現されないが、その事実があることを主張する。その直接見えない出来事を観客自らが想像し考えさせる、その導き方が素晴らしい。
次回公演を楽しみにしております。
【『比丘尼』全公演終了しました。御来場、誠にありがとうございました!】
殺陣集団 伽羅牡丹
調布市せんがわ劇場(東京都)
2015/12/11 (金) ~ 2015/12/13 (日)公演終了
満足度★★★
矛盾願望の物語
人間の願望である「不老不死」、そうなったが故に悩む「死にたい」という矛盾した願望が生まれる。限りある命だからこそ、愛しく尊いと感じることが出来る。物語としては、細部を描くことに流されることなく、大きく普遍的なテーマについて伝説も絡めて描くなど創意が感じられる。
一方、ストーリーを重視しているため、光景にみる不思議な雰囲気を表しきれていないのが残念であった。
ネタバレBOX
鎌倉時代末期。白拍子の中に椿という名の女が一人。 ある日、貴族の屋敷で舞い褒美として人魚の肉(不老不死)を馳走になった。 それは呪いの始まりで、 傷ができてもすぐに癒え、雨が降る度人魚が仲間にするため襲いに来る。 人魚を避けての生活が何十年。 老いることなく生きる女の願い、それは 「人として死にたい」と...。延暦寺・不動明王の剣で呪詛を断ち切れか。
公演は丁寧な制作であるが、上手くまとまりをつけるような面も見受けられる。脚本は、各地にある伝説をうまく取り入れ、細かい時代考証がし難い鎌倉時代に設定し、フィクションとしての物語に引き込むよう工夫している。
殺陣集団を標榜していることから、その演技・技術は高いレベルが求められる。また人の矛盾した内面表現に腐心していたようだ。公演に対する真摯な姿勢に好意を持つが、その描きこみが表層的であったと思う。
具体的には椿(伊藤愛サン)の心の葛藤が観えないのが惜しい。もう一つ、殺陣シーン...「人魚」が襲う意味が芝居の中では説明不足。人魚の”肉片”を食べたことに対する報復にもとれる。一応仲間にするという同化のようであるが...。
最後に、自分が観た回は、椿・伊藤愛さんの声がかすれ、最前列にいたにもかかわらず聞き取り難くなったのは残念であり、気の毒でもあった。
次回公演を楽しみにしております。
その王国の夜は明けない
シアターノーチラス
シアター711(東京都)
2015/12/09 (水) ~ 2015/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★
働くとは...問い直し
”働くことは”を命題にしたような喫茶店の話。この喫茶店を王国になぞらえて動く群像劇のような...なぜか某国の経済危機を想起するようなシュールな展開は、日々の仕事の中で、いつも何のために誰のために働くなど強く意識していないと思う。意識の確認は、何らかのキッカケがあって行うと思う。その契機が...。
ネタバレBOX
いつもある職場が無くなるという衝撃宣言。今まで”働く”を通じて自分自身の生きがい、生活のあり様を顧みる。働くは、人の暮らしの糧を得ると同時に、その存在の意義でもあろう。日々変わらぬ日常が、一瞬にして非日常に追いやられる恐怖と滑稽さがしっかり描かれる。人は過酷な状況に直面すると理性より感情が勝るようだ。
梗概は、従業員全員に対し早朝出勤するよう連絡があり、オーナーからこの喫茶店を2週間後に閉店する旨告げられる。働き場所を失うことになった従業員...その途端、各自が抱えている状況が次々明らかになり、また人間関係の蟠りや桎梏が吐露され右往左往する。当たり前にあった場所(職場)がなくなる。多少デフォルメしているが、どこにでも居そうな人々。そして世間的には大した事件でもなく、という日常空間・時間の綻びであるが、その行間の中で必死に生きている人々の呻きがコミカルに描かれる。この個々人のキャラクターの確立、生活環境・状況を明確にしているから面白い。
なぜか、ギリシャ経済危機(2009年10月以降に始まる一連の危機)を想起した。ギリシャは、緊縮財政等の厳しい改善に努めてきたが、一方で景気は落ち込み、国民の生活はさらに苦しくなり、大規模なデモや暴動が頻発した。公演にもあった蜂起騒動がその状況を連想させる。国家でさえ危機に陥る時代、働かされているという受動的姿勢では生きられないという教えと、自立しての夢追いの両方を問いかける。教訓臭ではなく、あくまでドタバタコメディという観せ方の中にしっかり主張する、見事な公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
わかれ道のリテラシー
9-States
小劇場B1(東京都)
2015/12/09 (水) ~ 2015/12/13 (日)公演終了
満足度★★★★
過去と現在の相互俯瞰
過去と現在が交錯する「ホテル・ラポール」での出来事。人生には転機となるような分かれ道がある。何を持って成功・失敗と決めつけるか、その時の判断の良し悪しは、その後の結果に現れる。ifのタラ・レバを引きずるようであれば、自分は回顧の日々に埋没してしまいそう。
真面目に生きてきたと思っていても理不尽な目にあう。悔しさを飲み込みこめない人々。それでも不器用に今を生きる人々を静かに見守るホテル・ラポールとその主人(斜に構えた)の雰囲気がよい。
ネタバレBOX
舞台セットは、ホテルのBarカウンター(ボトルが何本か見える)であろう。少し暗く寂れた感じがする。市松模様の絨毯、そこにアンティークランプのような照明…その雰囲気が灰の底で輝くダイヤモンドのようで、その先に希望が...。
終盤の台詞~「今と未来のボクを覗けたら」「死ぬ間際に見る夢という走馬灯」が印象的だった。
そこに宿泊している人々、なぜか本名ではなく通称で呼び合う。その様子や雰囲気が、人を拒み不器用に今までを何となく生きてきた、そんな惰性・妥協を感じさせる。
そこでの会話、生きる理由は何か? その観念的とも思える問いかけは、もちろん物語の展開でもあるが、観客への問いかけでもあろう。その描き方があまり現実的にならないよう、少し“ズレ”や“歪み”を加えることで面白みを出している。物語の軸は、話をする人の間で移り、緩く揺れながら大きな渦を形成していく。
そして、物語の中に織り込まれていた偏執的な愛、その先にあるストーカー行為とその結末に繋がる。無関心な人達と異常に興味を持った男の対比は、生きて死しているか、殺してまで...。シュールにして慈愛に満ちた物語。
役者の演技も安定しバランスも良く、思わず観入ってしまう素晴らしさ。
次回公演も楽しみにしております。
弥次喜多
ハイリンド
d-倉庫(東京都)
2015/12/09 (水) ~ 2015/12/15 (火)公演終了
満足度★★★★
至福のコメディ
初見の劇団...結成10年目の公演「弥次喜多」は1時間50分(途中休憩1分)で江戸から京都までテンポ良く疾走する。
舞台上に傾斜のある台を舞台として設営し、場面に応じて情景張りぼて(富士山、老松、月 など)が配置される。また障子2枚を上辺に立て、座敷を演出するなど雰囲気作りを大切にしている。傾斜させていることから、その上り下りの動きは躍動感にあふれ、役者の演技と相まって活きた人物像が立ち上がる。弥次喜多コンビの人間味ある描写は、江戸っ子の心意気を十分観(魅)せてくれた。
ネタバレBOX
物語は、十返舎一九が「東海道中膝栗毛」を執筆しているという作中劇であり、同時にストーリーテラーの役割を果たしている。お馴染み弥次(はざまみゆき サン) 喜多(枝元萌 サン)の珍道中...もちろんコメディである。先に記した傾斜した台は、劇中劇としての演出であろう。物語だけではなく、セットにもその意味合いを持たせる。
この公演の良いところは、鬘を始め小物などが三文芝居のような玩具仕様のようであるが、あくまでナンセンスな笑いと馬鹿馬鹿しいエピソードの繰り返しを観せるため。その脚本・演出のコメディという一貫性の表現…揺るぎない自信のようなものが感じられる。中途半端ではない拘りが、楽しい旅の道連れに観客を誘ってくれるようだ。
この江戸情緒という和テイストに現代の歌謡曲、悪くはないが、和楽器による選曲があっても良かった。心地よいテンポであるから鳴り物でも風情が感じられるだろう。平面的になりがちなコメディに、もう少し技術面での彩りが出せたらと思った(自分の好みである)。
次回公演も楽しみにしております。
全段通し「仮名手本忠臣蔵」
遊戯空間
浅草木馬亭(東京都)
2015/12/08 (火) ~ 2015/12/10 (木)公演終了
満足度★★★★
言葉の力
「元禄忠臣蔵」は毎年12月になると映画やテレビで(再)放映が多くなるが、それだけ日本人の心を捉えた出来事(事件)であると言えよう。その史実を受けて47年後(1748年)に人形浄瑠璃として上演されたのが「仮名手本忠臣蔵」である。一般的に知られている「大石内蔵助」が「大星由良助」のように「浅野」が「塩谷」、「吉良」が「高」へ「太平記」の人物を借りて置換えており、場所も江戸城内から鎌倉になっている。もともとは武家社会の不条理のような物語...しかし当時としては表立って武家社会の批判は出来ない。そこで登場人物、場所等のシチュエーションは変更しているが、そのモデルとなった出来事は容易に想像できただろう。
本公演は「全11段(大序から討ち入り迄)」を2時間50分(途中休憩10分)であるが、観(聞き)応えがあった。
ネタバレBOX
「元禄忠臣蔵」と「仮名手本忠臣蔵」は、本筋は同じ展開であるが、脇筋の膨らませる観点が違うため新たな楽しみがあった。ただ、「元禄忠臣蔵」は人間ドラマであると同時に社会ドラマの要素(封建制度に対する批判)があるのに対し、「仮名手本忠臣蔵」は人間ドラマを中心(重き)で、その心情描写に優れているように感じた。今回からリ-ディングという冠を外したが、芝居のような身体表現が殆どない公演では、本筋に絡みながら「11段」それぞれに趣きのある脇筋・挿話の方が親しみやすいと思う。
それぞれの場面では、嫉妬・強欲・激高・悔悟・悲恋・試練など、人間のあらゆる心の様態が巧く表現されている。その表現をする役者は、黒服上下に台本を持つだけ。人によって黒Box(椅子代わり)に座るが、基本はその場での立座動作のみ。そのシンプルな演出は、役者が発する言葉と鳴り物の効果音の向こうに、情景や状況が見てとれるような臨場感があった。
この言葉(台詞)は独特な節回しであり、始めこそ聞き取り難いが、慣れてくると、逆に余韻が残るような味わいがある。視覚での表現力とは違い、自分(観客)の感性・想像力の違いによって受け止め方(幅と奥)が違う。その意味で何回聞いても飽きることなく新鮮に感じことが出来ると思う。
次回公演も楽しみにしております。
宮地真緒主演 「モーツアルトとマリー・アントワネット」
劇団東京イボンヌ
スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)
2015/12/08 (火) ~ 2015/12/10 (木)公演終了
満足度★★★★★
観せて、聴かせて...
歌劇ではなく、芝居とクラシック音楽を楽しむ公演...時は、18世紀中頃のフランスが舞台で、登場人物は音楽史、世界史で有名な二人が主人公である。フィクションであるから、自由に物語を展開することができる。この出会い、モーツァルトが神童と呼ばれていたことから、その存在を「神」として人間界へ降臨(憑依)させる。一方、マリー・アントワネットは通史の通り。
この虚実綯い交ぜを上手く描き、さらにお馴染みのモーツァルトの曲が聴ける至福、素晴らしかった。
ネタバレBOX
舞台はセットは、宮殿をイメージするような左右非対象の変形階段で、その上辺の中央から上手側に演奏者が並ぶ。ピアノだけが劇中でも使用するため通常の舞台上にある。そのピアノ(演奏者:音楽監督の小松真理 女史)も含めると14名の演奏者であったが、選曲した楽曲からすると演奏人数はぎりぎりであろう。先にも記したが、本公演は音楽に特化したジャンルではないため、フルオーケストラでも、その配置でもない。例えば、劇中劇のようにして「フィガロの結婚」を演奏しているが、本来であれば、その歌劇の「音楽」と「劇」であるから、そのジャンルに興味を持っている方には好まれない。しかし、この公演は「モーツァルトとマリー・アントワネット」という”フィクション劇”に合わせて、劇中の彼が作曲した音楽を場面に応じて演奏している。そして、場面に応じた選曲が見事であった。「フィガロの結婚」の「序曲」「誰の作曲?~恋とはどんなものかしら」からバリー夫人との確執から「伯爵夫人、私を許して下さい」(通史とは違うかも)などがその例である。ここは音楽監督の手腕の見せ所であった。また「フィガロの結婚」は、贅沢する王妃に対する非難(貴族社会への痛烈な批判)が込められている、ということを説明した上で演奏しているが、まさに舞台上の進行形の中で描いている。コメディでの展開だと言うが、権力者に対する反発であるが、それを笑いとユーモアで包みこんで、最終的には人類愛へ向かう。さらに好いのは、多くの(クラシックファンではない)方も聞き覚えのある曲を演奏することで興味を惹かせる。彼没後も演奏され続けていることは、(曲の趣向はあろうが)それだけ愛されている証であろう。今回は、芝居の観(魅)せるという面でもダンス(群舞)を取り入れ楽しませてくれた。
さて、自分が気になったところは、物語としての二人の距離感である。「神」と「人」というよって立つ存在が違うことを前提にしていることから、心魂の交流や深淵が観えないこと。もう一つは、フランス革命前後の不穏な雰囲気が感じられないこと(物語性の重視)。舞台セットや合唱団、ダンサーの衣装がホワイト基調であり、淡色・浮遊感があることが影響していると思う。しかし、逆に照明色彩によって、状況変化が演出できる工夫もしている。いずれにしても新しいジャンルを目指している中で試行錯誤している、その真摯な姿勢に共感を覚える。
この劇団の好ましいところは、芝居、生演奏を観(聴か)せる工夫(演奏者数も含め)をし、大劇場のみならず、中規模劇場でも上演できるような試みをしている。その結果、演劇の裾野拡大を図っているところ(企業メセナもあった?)。
次回公演も期待しております。
泳ぐ機関車
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2015/12/05 (土) ~ 2015/12/15 (火)公演終了
満足度★★★★★
心魂震えて
赤堀炭鉱の社長宅に「石炭は命の石」と書かれた掛け軸が見える。石炭採掘は暮らしの糧を得るためであるが、そこはいつも命の危険が隣り合わせにある。澄んだ水は冷たく、それは人の涙。その冷たい海を(石炭を食べる)機関車の蒸気で ぽかぽか にする、そんな純真な気持ちが心に響く。
2015年炭鉱三部作の最後を飾る「泳ぐ機関車」は、流れる涙を象徴するかのような”水”による演出が印象的であった。三部作共通のラストシーンは力強い歩み...そこに未来を感じる。その胸の内には、いつも向日葵を咲かせ、笑顔を絶やさないこと。
観劇した日は、上演後バックステージツアーが実施された。その対応は水を使用しただけに丁寧な拭き取り、キャストの親切な誘導でスムーズに見学することが出来た。
このイベントも含め、素晴らしい公演であった。
ネタバレBOX
赤堀炭鉱は、筑豊のみならず日本一働きやすい炭鉱の街へ...その壮大な夢が、事故で潰える。その炭鉱主とその家族の栄枯盛衰の物語である。冒頭から悲しい...炭鉱主の息子ハジメ(大手忍サン)は、産まれた時に母が亡くなり、誕生日が母の命日という。それでも姉二人と不自由なく暮らしていた。炭鉱労働者やお手伝いの人たちに囲まれ、恵まれた生活が一転して非難を浴びる生活に変貌する。その落差ある状況変化に、人の優しさと浅ましさが滲み出る。約2時間の中で戦後混乱期、炭鉱という日本経済復興を象徴する産業を背景に、人の喜怒哀楽を描き出した骨太作品。
炭鉱労働者・労働運動と炭鉱主・資本家という垣根を低く、その理想を掲げた事業活動、一方、父親・家族という人間ドラマ、その両面からのアプローチは幅広い世代に共感される。
やはり浮浪者とハジメの交流、どん底生活を余儀なくされる人々への温かな眼差しが、逞しく生きていく姿を後押しするようだ。ラスト...機関車「HAJIME100」は、既に上演された第二部「オバケの太陽」第三部「泥花」(時代背景は遡る」へ力強く牽引するようだ。
次回公演を楽しみにしております。
鳥の本
ゲッコーパレード
新宿眼科画廊(東京都)
2015/12/04 (金) ~ 2015/12/08 (火)公演終了
満足度★★
物語が…
旗揚げ公演…この物語のテーマは、そして何を伝えたいのか、ということが分り難い。当日パンフによれば、当初メーテルリンクの「青い鳥」を上演することにしていたが、それを解体し残ったのが「鳥」と「本」だったという。そして関連した参考文献が31冊記されている。
文献の内容が少しずつ観てとれるが、そのイメージはアンダープロットまたはインシデントといった本筋がない挿話の寄せ集めのような感じである。劇団名「ゲッコーパレード」ならぬ、「結構パレード」として少し“目的”のある物語も作ってほしい。劇団名は「目的ではなく人の集まりこそがパレードのように活動や表現を形成していく」という信条に基づくという。しかし芝居は、演じる側と観客のキャッチボール(場の雰囲気も含め)であり、相手のミット(心)に響かせることが大切ではないだろうか。
ネタバレBOX
素舞台、衣装は普段着のようであり自然体のような雰囲気である。舞台は出入り口側にスペースを設けて、劇場奥側が客席である。座クッション、丸椅子(どちらも背もたれなし)であり、長時間の観劇には不向き(本作は約70分)。客席両側の通路も使用し演劇空間を広げる。
挿話のよう…参考文献の中から、例えば「青い鳥」や「文鳥」はその登場人物の名前を使用しているから、外国人・日本人の名前が混在し、その時点で物語の一貫性は見えない。
あくまでプロットの参考程度にし、劇団としてのオリジナル作品を作り上げて欲しい。
役者の演技について、身体的表現は面白く観応えがあったが、台詞は噛むシーンが何ヶ所かあり、今後の課題も見えたのではないか。
全体的に、表現は安定し魅力もあることから、もう少し本筋(物語)を明確にすれば面白いと思う。
今後、楽しみな劇団であると思う。次回公演に期待しております。
the Code
FUTURE EMOTION
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★
物語は難しくないが…
今回が旗揚げ公演...当日パンフで、主宰の酒谷一志氏が「量子コンピューター」と「暗号」という2つのキーワードをモチーフに脚本を依頼したことを記している。その興味を持ったという、最先端技術研究所“量子コンピューター”の有用性と重要性が今一つピンとこない。その状況がもう少し明確に伝わればもっと面白い。また演出は、インターカットのように映像挿入するなど、機密性・秘匿性のイメージ表現で興味を惹く工夫があってもよかった。
ネタバレBOX
多くの専門用語...その意味が理解できなくても、物語は十分楽しめる。ストーリーはそれほど複雑ではないが、そのサスペンス・ミステリー風の展開は飽きない、そういう意味では、エンターテイメント性に優れていると思う(ラストは違う方向だが)。
先にも記したが、量子コンピューターが人間・社会などにどのような影響を及ぼすのか。行政機関(内閣情報調査室)の関わり、産業スパイ、ハッキングなどが現れることから、その内容を、例えばという事例のいくつかが説明されると具体的になり切迫感が増す。
本公演は、暗号解読に力点があったようで、なぜ暗号にしなければならない重要な“事柄”が身近なこととして浮かび上がらない。
舞台セットは、オペレーションルームと言ったところ。中央と下手2ヶ所(客席側とその奥)に机・パソコン、上手にはホワイトボードが配置されている。そして室内は白基調。
演技はシリアス、コミカルなど状況・場面に応じて演じ分け、全体としてはポップな感じである。
脚本にもう少し具体性を持たせれば...少し勿体ない公演であった。
次回公演を楽しみにしております。
売春捜査官
EgHOST
高田馬場ラビネスト(東京都)
2015/12/05 (土) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★★
若い熱演で…
脚本の物語性に重きをなした公演であった。キャストは女性中心であるが、キャラクターはしっかり確立したように思った。しかし、この芝居にある時代、環境などの状況描写に深みがなく、表層的になっている。また心情描写が端的に表現されている場面がほとんど割愛されるなど、この芝居の持つ魅力... 社会性への切り込み、人間性の掘り下げが甘いかもしれない。
全体を通して、先に記した点は勿体ないが、それでも若い女優陣が熱演し約2時間の芝居を観(魅)せてくれた。またEgHOSTらしい身体表現も見られ、物語に魅力付をしたようだ。
ネタバレBOX
梗概は、東京警視庁捜査1課きっての敏腕女性捜査官・木村伝兵衛部長刑事は、赴任してきた元恋人・熊田刑事、同性愛者の部下・鳥居刑事と共に、熱海で起きた平凡な殺人事件の捜査にあたる。やがて、事件の背後から浮かび上がる狂おしい程の愛情と劣情が、彼女の歪んだ青春の日々に決着を付けようと...奇天烈な捜査、取り調べが展開する。
次の点が気になるところ。
浜辺で殺害する場面がないため、心情に迫るという見せ場が...。また、そうせざるを得ない時代や環境の状況説明が不十分であり、観客が共感し泣けるシーンが観られなかったのが残念である。島の閉塞感、集団就職による見知らぬ土地での生活不安等。頼るは郷土先輩、そこに在日朝鮮人の存在を絡む物語であるが、その描きが上辺だけのように感じた。
また警察の現場中枢にいる部長刑事が、男性中心で縦社会と言われる警察機構において、上司(警視総監という設定)に対しても反骨精神を持っているという、この人物の魅力が描ききれていない(通話による恫喝のような迫力不足)。
しかし、まくしたてるような台詞、辛辣な言葉(差別用語に注意していたのが迫力不足の原因か?)、大きな身体表現は魅力的であった。脚本(テーマ)をなぞるだけでも大変であろうが、そこに観せる独自性を付加したところが素晴らしい。
次回公演を楽しみにしております。
わたしのゆめ
ガラス玉遊戯
小劇場 楽園(東京都)
2015/12/02 (水) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★★
途中からの展開が…
初見の劇団、この公演は再演とのことであるが観応えがあった。挑戦的なチラシのキャッチフレーズ...その言葉を巡り立場を主柱とした人生観の違いから論争。その応酬劇は、緊迫感あふれグイグイと劇中に引き込む。しかし、途中で発覚した事実以降の展開が...。
残念というか勿体ない。
ネタバレBOX
舞台は、小学校の教室で行われている課外授業(4年生10歳)の次回講師の選任。保護者の中から、その仕事(職業)を聞くというものであるが、適任者がいない。スチール机(椅子)6台(脚)が舞台に相対して変形L字型に配置されている。議論しながら座る位置を変え、その演技を観せるのは定石通り。将来なりたい職業...アンケート結果はキャバ嬢が一位になり、その子供の意見をどう扱うか(尊重するか)。キャバ嬢が人気なのは、テレビ番組、マンガ連載でカッコよく描かれているため。その外見的イメージが先行したようである。友達の母親がキャバ嬢であることも身近な理由になっている。
講師を依頼するか否かは、キャバクラが風俗とは違うことが争点だったようだ。風俗営業法を云々するよりも、職業の一般的に持っているイメージ...社会性、倫理観のようなもの、さらに男・女の違いによっても意識は違う。この保護者会の中で会計事務所に勤務している母親(公認会計士等の資格保有者ではなり)とキャバクラ勤務の母親との息詰まる議論は圧巻。一瞬、寓話「アリとキリギリス」を想起した。資格試験に臨むが合格しない努力の人、片や日銭を稼ぎ...その良し悪しではなく、その職業に就いていること、生きていること、子供を育てていること、共通した自信に裏打ちされた議論に圧倒される。しかし、キャバクラだけでなく、他の風俗も行っていることが発覚してからは、一方的な展開になり、教室から退室してしまう。
イメージ先行で形成されてしまう常識と非常識...教訓にならない程度の柔軟さで、もう少し先の議論を聞いてみたかった。その意味で残念であり勿体ない気がする。
次回公演を楽しみにしております。
ヴァギナ・デンタータ
芸術集団れんこんきすた
ART THEATER かもめ座(東京都)
2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★
女性視点の…
舞台セット、その雰囲気が妖艶、耽美そして幻想という印象である。そして枠囲いのある前面ガラス部屋...額縁内のショーを見るようである。タイトルから意味深であり、しっかりその意味するところが明かされる。しかし直截的で共感し難い。女性の“性”を中心とした体・心の苦悩が描かれるが、その痛切さが今一つ伝わらない(自分が男だからか)。
このシチュエーションになった経緯、理由のようなものが漠然としている。逆にそれが説明できれば謎解きの納得性が得られるが、神秘性が損なわれる。本公演では、状況説明は敢えて割愛したのだろう。
さて、女性6名が繰り広げる世紀(セイキ)の晒し話とは...。
ネタバレBOX
舞台は、段差を設けて中央奥にファッションソファー、クッション、上手・下手に椅子2脚ずつ配置。その真ん中にテーブル、その上に観賞花が置いてあり、(日時)経過で取り替えられる。床には赤いファッション絨毯が敷かれている。
出入り口のない一室に閉じ込められた女性、その状況・経過が分からず不安と恐怖を募らす。そのうち、他人ということを前提に一般的な心情(職業等)を話すうちに、性癖に関することまで激白する。30歳過ぎで処女、“性”質の悪さ、同性への愛などが切々。キャラクタ(化粧も含め)の濃淡があり過ぎて、特定の人物(女優役)にフォーカスしがちに感じた。
最後になって静観していた女子大生がタイトルを...「ヴァギナ・デンタータ」とは陰部に歯が生えている、ということ。魅力的な仕草で男を誘惑し交りの後、陽根を噛み切り殺す。強姦等に対する戒め、教訓のような俗説。そしてギザギザ葉が象徴...。それゆえテーブルの上の花...ハーブという台詞が活きてくる。
刺激ある雰囲気、女優陣の魅惑な演技は良かったが、それを収める物語という器がはっきりしない。伸縮自在な迷路にいるようで...手応えがもう少しあればと残念に思った。
次回公演を楽しみにしております。
てくてく。
Nuts Grooove!
シアター711(東京都)
2015/12/03 (木) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★★
心温まる
本公演は約20年ぶりの第2回公演、そして再演である。雰囲気は昭和テイストであるが、物語は平成28(2016)年8月中の一週間という設定(掲示しているカレンダーに山の日が既に祝日)であろう。
一軒家(夢見荘)...大家、猫(♀)一匹、住人(男2人、女1人)のシェアハウスに、5年ぶりに新しい入居者が来ることになり盛り上がる人々。そして舞台セットは物語にピッタリ。その新人と住人達の交流を通して描かれる人情ドラマは秀逸。
ネタバレBOX
この家に住んでいる人達は、みんな心に様々な苦悩を抱えている。しかし、新入居者の拒絶した態度と住人達の交流を通して改めて心の深淵を覗き込み、一方新しい住人は心を氷解させていく。その過程が擬人化の猫・ナナ(田中優希子サン)を緩衝としてゆっくり変化していく。
舞台セットは和室。上手寄りに共用部屋、そこに丸卓袱台・茶箪笥など、下手が新入居者の部屋。その間には仕切りがないため、パントマイムによるドア開閉。できれば開け閉めの音があると効果的だと思う。
さて、登場人物・動物は、5人と1匹であり、そのキャラクターと心に闇を丁寧に描き出す。大家さん(かとうずんこ サン)は、夫の浮気相手の女性にコンプレックスを持ち、女性恐怖症になる。住人男(40歳過ぎ)・タカヤマ(山崎いさおサン)は、男色で未婚、親に嫌われたくない。住人女・リョウコ(黒崎雅サン)は浮気し、不毛な愛に嫌気がさしている。男(23歳)・ミナミ(イワム サン)は、親と喧嘩し18歳で家出した。この新人(23歳)・アイ(石井玲歌サン)との会話を通して、心情を吐露し、逆に新人が住人達の心の痛みを知ることで、自分を曝け出す。この坦々とした暮らしの中に台風が急襲し、その後には青空が...。そんな清々しい気持ちにさせてくれる。
アイは、父が浮気をし両親が離婚。母は父に徐々に似てくるアイにその面影を見て苦しむ。 慟哭“母がだんだん女になってくる”は印象的な一言。会話が途切れた時の雑踏、路面電車の音など、日本の原風景がその先に見えるようだ。
当日パンフに役名が記載されているとうれしい。
次回公演を楽しみにしております。。
やさしい森の雨
立体再生ロロネッツ
参宮橋TRANCE MISSION(東京都)
2015/12/02 (水) ~ 2015/12/06 (日)公演終了
満足度★★★★
ブラックジョーク
常道、常套のようなプロローグ、エピローグで繋げる公演…15人が登場する群像劇であるが、主人公に当たる人物の描き方は、最近多く観る手法のようだ。
チラシには、昭和30年代、東南アジアのジャングル、サラリーマン達という抒情的な文字が記してある。もっともその内容は現代社会に通ずるものであり、多くの示唆が…。
この公演の見所は、物語性とそれを展開するテンポの良さであろう。
舞台セットは暗幕に素舞台である。その中に劇団名にもある立体した世界観(思い、ジャングル風景、追跡時間)を築いていく。
ネタバレBOX
梗概は、親会社から関連(子)会社へ研修という名目で派遣されたサラリーマンが、研修で見る映像。社畜から社遂されるような感じ。それは昭和30年代に会社の機密資料を持ち逃げした同僚を探すため会社から派遣されたサラリーマン達の冒険物語。サラリーマン達の同行者…東南アジア某国高官による軍人とガイドの同行、別に不正のスクープを狙うジャーナリスト、更にはジャングルに住む先住民、この三辣みのグループが逃走した男と機密情報を追うというもの。機密資料にはODA(政府開発援助)に絡む利権の不正処理が書かれているという。グループのうち軍人とガイド、及びジャーナリストには各々思惑がある。表層的には、癒着・不正の隠ぺい、貧困からの脱出(金品取引)、抜駆けの偽正義が見える。この公演の主人公は逃走したサラリーマンであるが、その人物は登場しない。主人公不在であるが、その概形は徐々に印象づける巧さ。
現代、企業本位によるリストラ、そこにはブラック企業の姿も見え隠れする。最近やっと購入したマンションが傾くという事件があった。原因は不十分な杭打ち。想像もしない不意打ちにあった購入者は、補償云々の話しがあっても “土台” 納得できないだろう。
この公演に出てくるODA…昨年(2014年)で60周年を迎えたが、国民の血税で行うため、その健全にしてその有用性が問われる。国家間の信用は、それを担う人と人の信頼関係が基本。この公演でもラスト…こんなこと(無意味なリストラ推進)して何とも思わないのか、という痛烈な批判を込めた台詞があった。「砂上の楼閣」という言葉があるが、人も企業も土台を疎かにすれば、傾くのは時間の問題である。
内容的には緊密性が感じられるが、演出は緩い関係性と軽妙なダンスで視覚で観(魅)せる。このバランス感覚が良い。
なお初日のためであろうか、演技が硬く、また短時間だが舞台上が空白になるシーンがあったのが気になった。
次回公演を楽しみにしております。
田中さんの青空
劇団CANプロ
銀座みゆき館劇場(東京都)
2015/11/27 (金) ~ 2015/11/29 (日)公演終了
満足度★★★★
労作…脚本・演出の妙あり
タイトル「田中さんの青空」とは意味深であり、物語の世界に引き込むネーミングだ。その”田中さん“が気になったら既に物語の中にいる。始めは分割シーンばかりと思ったが、中盤以降にその意図が分かり驚いた。しっかり台割を行った上での脚本であり、観客の意識を刺激する。また演出は、カット・バックし取捨選択したシーンであることが分かる。映画と違い採用数が限定されていることから、脚本と演出は相当練り上げないと物語が伝わらないし、その面白さを組み取ってもらえないと思う。その点について、本作品は成功したと思う。
さて田中さんは、徐々に姿が立ち上ってくるが、そこへの誘導が見事であった。さらに社会性も絡ませるが、そこにタイトルとの関連が…。
ネタバレBOX
約20年の歳月が流れるが、その経過はあまり感じない。映画におけるカット・バックを多用したようで、一瞬での場面転換を繰り返すため時間の流れを体感し難い。その代わり場面の繋がりは、断片的になるがその間は、観客の想像力をたくましくさせる。そのことは観客の受け止め方の違いだけ、想像力の幅が広がると思う。
それゆえ、素舞台に近く、場面によって数個の整理箱が持ち込まれ、テーブル等に見立てたりするだけ。固定したイメージを持たせない演出である。また1場面に登場する人物も基本的には1名であるが、シ-ンによっては2名である。
物語は、上演場面の順番を無視すれば、仲良し3人の女性が子連れでピクニック。その内の2組の夫婦の夫と妻が男女の仲になる。浮気している女が貴方の夫は浮気しそう...とその妻(妊娠中)に親切ごかしに言う。逆に浮気をされていた妻が浮気女を追い詰めて自殺させる。残された女の子(3歳)が冒頭シーンの偽痴漢騒ぎの女。田中さんは仲良しだったころに住んでいた町の(田中)洋装店の名前が通称になったようだ。本当の名前とその後の消息は不明。
時代が流れ、痴漢呼ばわりされた男は会社を解雇され、今はカラオケ店のバイト。その店に毎週通いグループルームを借り一人カラオケに興じる女が痴漢騒ぎの本人。この女が「田中さん」を連呼する件から、田中さんに育てられたのかも...。エピローグとプロローグが逆転して邂逅するような繋がりは見事。
田中さん自身を直接説明するのではなく、周囲の状況から人物像が浮かび上がるような手法は最近よく観かける。見え隠れする姿や場面転換による状況変化を想像する楽しさは演出の妙と言える。元脚本を分解(分割)し、再構築するという、印刷の台割のようであるが、どのように順序立てるか。そこがこの公演が面白くなるか否かの要諦であったと思う。その意味では巧く処理していたと思う。
さてメッセージ...洋装店のマネキンが裸のまま、そして右腕がない、など差別・貧困や平和をイメージさせていることは明白であろう。その社会性を連想(政治関連に興味を持つ方は想像を膨らませるだろう)させる巧みさもある。案外、田中さんは傍にいて色々な事を見ている…明日も含め。
チラシに「右腕がない絵柄」と黒人の子供の写真」などを一緒に掲載しているのはなぜか(劇中の台詞もあった)。驕りが透けて見えるようで気になるが...。
次回公演を楽しみにしております。