タッキーの観てきた!クチコミ一覧

1581-1600件 / 2291件中
ユーカリ園の桜

ユーカリ園の桜

BuzzFestTheater

ウッディシアター中目黒(東京都)

2016/03/09 (水) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★★

演劇という文化の中に社会問題を取り込み
「さしのべた その手がこどもの命綱」...その標語が見えるポスターが舞台中央に貼られている。この公演は、前半の軽妙、コメディという観せ方から、後半は重厚、シリアスな展開へ大きく転換する。その落差は大きく印象付ける物語。もっとも前身のTEAM BUZZから得意としているコメディ路線とシリアス路線を融合した作風を追及することにしているのだから、当たり前の脚本・演出なのかもしれない。

さて、この劇場は座席が列間および隣席とが密接であるため、仮に中央に座った場合、身動きが取れない。前作の「ストリッパー薫子」でもそうであったが、開演ぎりぎりまで集客する(劇団とすれば当たり前)。当日券でも観たい客には嬉しいが...。「ストリッパー薫子」の時は、舞台ぎりぎりに座布団を敷いたが、今回は両サイドに増席していた。開演時間遅延に関するお詫びも前作と同様...何か工夫できると良いと思うが(人気劇団の悩みといったところか)。

それでも観客に対する対応は親切・丁寧である。座席への誘導はもちろん、座席下に桜型の敷物があり荷物汚れへの配慮、トイレから出てくる人へのハンカチ提供等々。この気配りが観客(自分)にしてみれば、気持ち良い。

ネタバレBOX

公演は、ドキュメンタリー映画「隣る人」(2011年制作)を観るようで、心が痛んだ。もっとも映画のように日常の生活を坦々と切り取るのではなく、芝居らしいメリハリのある小挿話、サイドストーリーを絡ませ牽引する。それだけにどのシーンを見せ場とするか腐心したと思う。その現れが山場の連続のようである。

この公演は児童養護施設「ユーカリ園」が舞台である。セットは中央に事務机、その奥はベランダ(テラス?蔦も絡まる)へ出るガラス扉、上手には洗面台、応接セット、下手には、ローキャビネット、掲示板。

梗概は、チラシ(封筒)から抜粋し「この春、児童養護施設『ユーカリ園』には、施設を退所する3人の若者達がいた。 それぞれ、将来に対する不安、悩み、葛藤を抱え生きている。 自らも孤児院で育った過去を持つ、戸高陽平ら職員は、そんな若者達の抱える問題に真正面から向き合って行く。 ユーカリ園で巻き起こる、悲しくも心温まる人間模様」である。

この児童養護施設における様々な問題は、現代社会が抱える問題そのものである。その縮図を芝居らしくデフォルメして問題をしっかり浮き彫りにする。その凝縮した思いが観客の心に響く。例えば、18歳でこの園を卒園し、社会(就職)などへ出なくてはならない。親がいない子の就職の難しさ。進学したくても経済的な面で断念しなければならない。(父)親の身勝手で、この園に入所した子を引き取りに来る。さらには、この児童施設ではないが、ここで働く女性職員が、自分が育った児童施設(そこの職員)で性的被害にあったことなど、広範な問題を次々に明らかにする。話しは無理なく展開するが、その問題(山場)がインパクトある演出で描かれることから、衝撃が大きい。先に記したコメディタッチとのギャップが大きいだけによけいその感がある。
ラストの桜が舞い落ちるシーンは感動的であり余韻大。観客席中央を中心に降り注ぎ...素晴らしい演出であった(桜色で花びらを形取るなど細かい)。

この物語の先見性と記したのは、3月9日に観劇したが、10日には児童虐待対策や社会的養護に関する厚生労働省の専門委員会(有識者委員会)が児童養護施設の入所者は原則18歳で退所する必要があったが、22歳までの入居継続(支援)を可能にする報告書をまとめている。ちなみに18歳退所を撤廃出来なかったのは民法改正(成人18歳)の動向が影響した。

現代における社会問題を演劇という文化の中に取り込み、しっかり問題提起する。それは倫理、教訓という教科書的なことではなく、あくまで観て感じさせるというもの。お仕着せと感じる向きもいるかもしれないが、現実にある施設であることも事実。新聞では養護施設にいた人が、同じ境遇の子供を救おうと、施設職員になることを決意した、とあったが、まさにそれを地で行くような公演であった。

次回公演を楽しみにしております。
負け犬ポワロの事件簿

負け犬ポワロの事件簿

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2016/03/04 (金) ~ 2016/03/13 (日)公演終了

満足度★★★★

長い謳い文句...ノンストップ痛快ドラマチック・シチュエーション・コメディ
推理小説でいえば、後出しジャンケンのように終盤になって次々と色々なことがわかる。自分では、伏線のようなものがあったか判然としないが、突然にタネ明かしされるような気がした。まぁ、そこはコメディなのだろう。些細なことに拘らなければ問題なし。逆に辻褄を合わせようとしても、それは難しいかもしれない。物語(ストーリー)の面白さというよりは、漫画・漫才的な演出と個性豊かな役者陣の演技が楽しめた。娯楽に徹底した芝居は分かり易いが...。

ネタバレBOX

劇中劇の構成...長野県にある某温泉宿、そこに映画の撮影隊が訪れている。この公演では、宿の娯楽室が舞台になる。一時、温泉宿といえば浴衣で卓球という姿が見られたが、この舞台でも真ん中に卓球台を置いて”ピンポン”を行っているところから始まる。そしてTV番組にもあるような湯けむり殺人事件が...。

映画制作に携わる人々、その撮影場所となる宿の女将、さらにラジオ番組制作者が絡み、それぞれの立場を主張するドタバタ。そのうち映画俳優にしてラジオ番組の出演者である男が殺され、その取り扱いをめぐり喧々諤々。また面白半分に犯人捜しを始める人達の勝手な想像。この立場をデフォルメするような観せ方...女性プロデューサー、スポンサー御曹司(その立場を利用した俳優)とその付き人、映画監督・助監督・AD、俳優陣、エキストラ、ラジオ番組制作者(ディレクター、アナウンサー)が映画撮影やラジオ番組の相互協力・牽制などに絡んでくる。
殺人事件、その動機が明らかにされないが、唯一それが伏線であり事件解決の手がかりであったか(もともと殺人事件ではなく、その理由は明らかにされる)?

コメディとして笑わせるという姿勢は見受けられたが、自分は心から笑えたかというとワザとらしさが先に立ち(客観的)眺めただけになった。

次回公演を楽しみにしております。
ストアハウスカンパニー『Remains』

ストアハウスカンパニー『Remains』

ストアハウス

上野ストアハウス(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★

見巧者向けか...とりあえず感性で
タイ:B-floor 『Red Tanks』 、Democrazy Theatre Studio 『Hipster The King』
日本:ストアハウスカンパニー『Remains』 の3つのカンパニーの公演のうち、2本立。自分は日本:ストアハウスカンパニー、タイ:B-floor を観賞。

両方の公演は、その伝えたい枠組のみを提示し、外形の作り込みは観客に委ねる、そんな抽象的なものを感じた。その意味するところを正確に受け止めているか、その意を汲み取っているか、ということを考えた場合、随分と息苦しさを感じてしまう。観ている内容はそのまま無条件に受け入れる、という情報の垂れ流し的な思いで観るのも嫌になる。
人間の五感の演劇を見ているが、その大部分が視覚に頼っている。その(自由)に感じることの面白さは伝わる。

映画「イヌジニ」のコピーで、首輪をはめられることによって「自由」になれた、と言った趣旨のことがあったが、まさしく視覚に頼るだけ(それも大切)、そんなことを感じさせる深いイベント公演。

ネタバレBOX

日本:ストアハウスカンパニー『Remains』… 複数の登場者(キャスト)は、パンストのようなものを頭から被り全身を被っている。そして始めは全員が繋がり、前後・左右に歪になったりして形を変えながら進む。そのうち、その被りものを破き姿を現す。その後、舞台奥に積んである多くの衣類を散乱させ、または包まったり、高く投げたりする行為。登場者はそれらの動作を行うが、必ずしも揃っていない。基本的な動作であるが、その形容は自由。自分は、多くの卵の産卵、ふ化し、自由を謳歌するというイメージを持った。

タイ:B-floor 『Red Tanks』 … 一人の登場人物は、ランダムに置かれている赤いタンクの一つから出てくる。そのうち、タンクを並べたり、転がしたりして遊びだす。嬉しそうであるが、その行為は何時までたっても一人のまま。自分は孤独・断念・追想・死(赤=血)のイメージを持った。

日本、タイ両国の演技はどちらも表意があることは感じられるが、その表現は抽象的であり、自分には真意を汲み取ることは難しかった。

人の五感...風景は目で見、音は耳で聞く、鼻は匂いを嗅ぎ、舌で食事を味わう。そして物を触り感じる。五感は個別化して機能するのではなく、相互に密接な関わりを持ち外界と接している。

この公演は、それらの要素を超えた第六感、またはもっと違う何かで思い感じるもののようだ。その意味で無意識の”慣性”で観ている公演(芝居)とは一線を画し”感性”を豊かにして観るべきものかもしれない。

ちなみに、当日パンフの説明抜粋すると、
日本:「Remainsには、いわゆる一般的な演劇においていわれている「役」がありません。:Remainsは役を放棄し、あるいは奪われ、人間を徹底的に固体としてみることを強要します。それは自らを家畜化してしまった人間の感覚、感情ではなく、動物としての人間の感覚、感情を感じてみたいというRemainsの欲望に他なりません。Remainsの虚構の水準はそこにあります。」と結んでいる。

タイ:男はRed Tankに入れられた後、生き延び、忘れられない記憶と共に目を覚ました。Red Tanksは、違法であると当局に判断された犠牲者の物語である。これは40年前にタイ南部で実際に起こったできごとに触発されている。

次回公演を楽しみにしております。
  
クラッシュ・ワルツ

クラッシュ・ワルツ

刈馬演劇設計社

こまばアゴラ劇場(東京都)

2016/02/26 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ありふれた日常から...切ない
舞台セットから、これから先に描かれる内容が想像できるような丁寧な作り。開演までに流れる、微かな波の音、船の音、その静寂な雰囲気が突然ドタバタと...冒頭演技はそれまでのしじまを破る。そのギャップは計算の内なのだろう、すぐに物語に引き込まれた。物語はどこにでもある(海辺)街角、3年前にそこは運命の十字路になったという。これからの話は、それこそ初演時の前に起こった出来事を意識していることは容易に想像できる。
(上演時間90分)

ネタバレBOX

舞台セット...和室内、その壁は鯨幕のような白と黒を基調にし、真ん中に長座卓が置かれている。これまた青幕をイメージした座布団。部屋の周りに白い花が咲いている花壇(供花イメージか)。物語は交通事故の加害者、被害者元夫婦、事故現場に住む夫婦(第三者)という立場が異なる大人のそれぞれの思いと思惑が絡んだ濃密な会話で進む。通常であれば、第三者は入り込まないのであるが、直接事故に関係ない人たち(夫婦)を登場させ、その会話の中で東日本大震災を想起させる。加害者女性が十字路に供花しているが、そのために売却を予定しているこの家が事故物件扱い(縁起が悪い)になり、売却価格が下がるという。この金銭的問題と併せてこの家の主婦が自責の念に苛まれる。そぅ、近所にいるからこそ交通事故の予見可能性を感じ取る。それにも関わらずどこにも相談しなかったと嘆く。直接事故に関係しないが、風評被害、二次被害、三次被害という言葉で表す。普通の日常会話ではなかなか出てこないだろう。

登場人物たちの思いは直接に、捻じれて、揺れる様相...その漂流するような展開になるが、事故から3年、前に進んでいないことに対する被害者女性の決意。その行動として、被害者が気になり尾行まがいのことを始める。そして被害者の女性は夫と離婚しているが、その元夫が加害者女性の弱みに付け込み性的関係を強要していることを知る。一身に贖罪する加害者、それが一転して被害者女性に一度も供花しないことを詰め寄る。その反論として加害者は供花することで贖罪(責任)の充足を感じているとも。5歳時の子の”死”を日々弔う加害者、5年間の”生”を見続けた母としての被害者、その激情した会話の応酬に心震える。それでも被害者の母親は前に進むために加害者に供花を止めて自分のために生きてほしいと諭す。

隣家から聞こえるたどたどしいピアノの練習は、この家に住む夫婦がワルツをぎこちなく踊る姿にシンクロする。それでも少しずつ進んでいるのだから...。復興を意識していることだろう。ただ少し震災を盛り込み過ぎかも。

なお、気になったところ、加害者が妊娠しており、それに気が付いている被害者女(母)が祝福する。加害者が既婚者か恋人がいるか定かではないが、話の流れからすると、元夫の子を宿したとも思える。それでもわが子を事故死させた加害者を許せるものか?激高する感情を押し殺したような結末に疑問が残る。

表層的には交通事故を題材にした「クラッシュ・ワルツ」、その内容はヘヴィで濃密な会話、息詰まるような緊張感。それでも後味は決して悪くはないヒューマンドラマとして楽しめた。

次回公演を楽しみにしております。
結婚プレイ2016

結婚プレイ2016

シアタージャパンプロダクションズ

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2016/02/26 (金) ~ 2016/02/27 (土)公演終了

満足度★★★★

贅沢で 新鮮で
ダンス・パフォーマンスと朗読劇の調和...どちらも男女というペアになっており、夫婦という設定でシンクロするような身体表現と朗読内容が面白い。同調する臨場感ある雰囲気は、さらにバイオリンの生演奏で引き立てられる。

ネタバレBOX

長方形の舞台にダンサー2人が対極に立つ。装置は背景の壁のみ。その壁の前に客席に向かって左右に一定の距離をおいて並ぶように椅子に座る朗読者。ダンスは、小気味よい動き、それに応じた表情の変化、視線の交差、直接的な日常動作(生活)をイメージさせる要素が含まれる。それはこれから始まる朗読と相まって場を変容させていく。ダンスと朗読のそれぞれの特長を活かし、互いに排除(ジャマ)しないところが巧い。

朗読は、夫婦の交換日記ならぬ妻の性交日記を読み進めるという形で展開する。性交した回数は約3000回、その成果、いや性果は夫婦という日常の生活のうち、極めて人間の本能に近いところを抉り出す。人間の本来性は肉体ではなく、精神にあるなどという建前論ではない。だだ、この性交の先が見えてこない。人の営みそのものに焦点をあて、その結果、子の姿が見えてこない。その形容は、夫婦で紡いで来た30年間を振り返り、その出来事を感情豊か、というよりは激情・哀切・憤怒・平静などの感情を操り、過ぎ去りし日々を分析する。追憶などという甘美さはない。夫、妻という性別が同じように体感した出来事であっても見方が違う。座っているだけだが、圧倒的な迫力、纏わり付くような空気、その口調…妻はエキセントリックでハイテンション、早口でまくし立てる。一方、夫もハイテンションで挑発するかのような台詞。この丁々発止のような声・声...それをダンサーの不断の鍛錬で鍛えたであろう肉体を通して聞こえてくる。

そして、生演奏の素晴らしさはもちろん、音響での雰囲気作り、照明での印象付けという舞台技術も良かった。だだ、この絵空箱という空間では、Barスペースと区切っていなかったこともあり、音・光が拡散するようで効果という点では弱くなったと思われた。この会場には何回か来ているが、出来れば客席後方とBarとの間に暗幕で仕切りを作り、もう少し密室空間を作り上げればと思えただけに、少し勿体ない気がした。

次回公演を楽しみにしております。
キミが読む物語2016

キミが読む物語2016

ナイスコンプレックス

あうるすぽっと(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★

命の重さと愛の深さを思う
本は、昨今のネットや電子書籍の普及でその接し方も多様化してきている。通勤、通学の電車の中は、多くの人に囲まれていても、一人で過ごす場所でもある。ボッーとすることも出来る(ラッシュ時は大変)が、集中して何かを感じ取ったりすることに向いている場所と時間であろう。本公演は、同じ一人と言っても、その人を想って書かれた本が中心に物語が展開する。観客層は幅広い世代が見ていたようだが、あちらこちらですすり泣きの声が聞こえた。瞼という堤防を簡単に乗り越えて洪水するが、そんな降水なら歓迎であろう。
なお、一部キャストの声が聞き取りにくいところがあったのが残念。

ネタバレBOX

映画「あなたはいい子」(2015年・呉美保 監督)では、小さい時のトラウマで外面は良いが、内面は葛藤の日々、というものであったが、この公演も自分のことが真に理解されず、勝手(虚像)に作り上げられる不自由、窮屈さというジレンマがよく表されていた。

舞台セットは、紗幕に開いた厚手の本が描かれており、場面によって舞台の前後(奥)が仕切られる。基本的には奥スペースでのシーンは、主人公女性・水葉(田上真里奈サン)の母親の入院(癌闘病)生活・妊娠し産む決心ををするシーン。

客席側は、紗幕前のメイン舞台では、生まれた水葉が周りの目を気にしている自暴自棄の姿。そして亡き母が子への想いを綴った本をゴーストライター・佐藤秀雄(末原拓馬サン)が執筆しているが、こちらも訳ありの人生を送っていた。こちらは、小学生の時に父親が病死し、約束したことが果たされなかったことへの拘り・憤りという感情が整理できない。その思いと仕事で書いた記事へのトラウマ。

プロローグで先の母親が娘・水葉を想って書いた本を求めにやってきた少年。この重層したような話が本筋である。一見複雑そうな展開に思えたが、その演出は、物語を分かり易く観せるために紗幕を使用している。

母親の想いはベストセラー小説になるが、その描かれた少女は逆に”いい子を演じなければ”という世間体、自分という人間が理解されないという悩み、その悩みに同化するようなゴーストライターの執筆姿勢。本当の自分とは、その向き合うまでに成長する姿の感動する。

次回公演を楽しみにしております。
フェードル

フェードル

劇団キンダースペース

シアターX(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★

分割劇のようで...
現代的にみれば、不義・不倫は芸能界や不適切恋愛の国会議員の行動を指して、下衆な行いとして糾弾されている。
この公演にあるのは、王妃が義理の息子への狂おしいほどの恋慕を抱いているが、その息子は他の女性を愛していることを知り、嫉妬するという、典型的な昼メロドラマ。しかし、この下衆のような行為も悠久の時を経ることによって、芸術的、文学的な価値が生まれるらしい。時間という何物にも変えがたいフィルターによって観るべきもの、感動すべきものへ変化する。この根底にあるのが、男女の愛(愛欲・純愛など様々)であろう。これは古今東西変らぬテーマ性を秘めていると思う。当人だけの関係であれば問題ないが、そこに第三者が絡むと喜劇になり、または悲劇に変る。

本公演は、古代西欧と現代東洋(日本)の異なる次元における恋愛模様を同空間で演出しているが...。

ネタバレBOX

舞台セットは、古代神殿をイメージさせるような重厚感ある造作。中央が祭壇への階段、神殿柱…舞台奥には大型スクリーンがあり、海をイメージさせる映像と音響。舞台下手、神殿の一部に現代のOL一人住まいの部屋を切り出す。そこにメインルーム、シャワールーム、TVなどがある。フランス戯曲(初演は1677年1月)を題材にしたフェードルは、表層的には男女の愛憎、当時の権力志向と結びつけて観応えがあったが、現在OL篇は何を描こうとしたのか?

梗概は、説明文から「ペロポネソス半島トレゼーヌにあるテゼーの宮廷。王テゼーの後妻フェードルは生まれながらにヴィーナスの呪いを受け、そのためになさぬ恋の虜になることが運命づけられている。義理の息子イポリットに恋をした彼女はその苦しさから死を思う。イポリットも又、生みの母の血筋を持つ捕虜の娘アリシーに恋をするが...。」

日本も85年ほど前、1930年に谷崎潤一郎は最初の夫人と離婚したが、その夫人は谷崎の友人・佐藤春夫と結婚することになり、3人連名の挨拶状を新聞に発表した。妻譲渡事件は有名であるが、その1年前に新聞小説「蓼喰う虫」で、その状況を同時進行形で小説に仕上げた。流行作家や詩人が今では下衆と言われるような、非常識で淫らな恋愛沙汰を起こしている。芸術(家)というものは、ひかれた軌道をまっすぐ歩めないような情熱と野心がなければ大成しないのであろうか。なにしろ堕落の軌跡を描いた私小説にして耽美的でマニアックな描写で注目されたのだから。

このフランス、日本の歪な恋愛物語に関連性なりが垣間見えれば面白かったのだが...。そして、当日パンフで構成・演出の原田一樹 氏が「『言葉』によって、恋は『生贄』にされる。彼女は『恋』を、『恋』のままに引き受けたかった。もちろん私たちは、その悲劇の中に、あらゆる『言葉』に踊らされる私たち自身を感じなければならない。」(真意が伝わる抜粋か心配であるが)と。それに呼応するか分からないが、「言葉」中心で生きているようだが、その事(物)と一緒に生きており、人と人、そして事(政治・権力)が感情をも左右する。それが恋愛以外の人間ドラマとして観られて面白かったが、繰り返しになるがOL物語のほうが...。

次回公演を楽しみにしております。
Scoreless

Scoreless

劇団SUNS

新宿村LIVE(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

見事!!
これが第2回公演、正直驚いた。正面から捉えた重たいテーマ、それを端正で丁寧に観せる演出、それをしっかり体現した演技は見事であった。上演後の舞台挨拶で、当時の衣装・小物の収集に苦労したことを述べているが、その細部にも拘ろうとする真摯な姿勢。2015年は戦後70年という節目の年で、多くの劇団でそのテーマを取り上げていた。
上演時間2時間50分(休憩10分)の力作。
ただ、その演出は丁寧であることは間違いないが、その一方で気になることが...。

ネタバレBOX

あまりに状況描写を舞台セットに頼るため、その都度、暗転とその間に舞台セットの変更を行う。そのため、人間ドラマというよりはドキュメンタリー風になり、当時の状況記録を観ているような錯覚に陥る。そこには観客(少なくとも自分)との受け止め方に違いが生まれ、状況だけを追うようになる。それは案外集中力を保つのが大変なのであるが...。

時代背景は、第二次世界大戦最中のこと。冒頭はウエスト・サイド・ダンスのような、その当時のモダンなスィング・ダンスまたはジャズ・ダンスのような魅せる場面からスタート。ここで、客席の一部に張出舞台を設営し、生演奏で歌を聴かせる。これが素晴らしい、JAZZVocalは中本マリさん、JAZZ Pianistは和田慎治さんである。
その華やかさから一転、第二次世界大戦の非人間的な物語へ、その状況変化の大きさが印象的である。戦時中のトピックを挿話として織り込み、マメ知識が増えてくるが、その集積の先には「自由」や「権利」もなく、人間としての尊厳さえ奪うことを教えてくれる。音楽、それもジャズなどは敵国音楽として禁止(レコード、蓄音機は没収)するという。

観ていて辛く悲しい場面が登場する。大きくは2つの非人間的シーン。それは「玉砕」と「特攻」である。この2つを人間ドラマとして繋げる巧みさ。表現は適切ではないが、その醜美の対比した構成が際立つ。
エリート軍官僚を中核にして作り上げた軍隊が国の命運を握る。そして異常な作戦「玉砕」と「特攻」に極まる。まったく見込みのない戦況でも降伏は許さず、そのことを美化した玉砕。作戦とは言えない特攻。これらが軍の正式の作戦として実施された異常さ。

本公演でも、ガダルカナル作戦の異常さを克明に描いた。日本軍はアメリカ軍の本格的な反攻を見誤り、劣勢の部隊を小出しに投入して島の奪還を図るが、圧倒的な火力の前に敗退を繰り返した。味方の拠点から相当遠い場所での戦闘ゆえ補給が難しく、飢えや病気で苦しみ多くの死者がでた。特攻は、「十死零生」として、飛び立ったら帰ることがない。機動性を優先し防御が薄い戦闘機で体当たりする。極端な精神主義の横行、主観的願望の客観的事実へのすり替えなど、そこには”人”が考えられていない。この異常な状況をしっかり捉えている。同時に国内での軍事統制、家族愛も描き、多方面からの切り取りをしている。その細密を観せようとする工夫は素晴らしいが、状況説明に力が入り、芝居に通う血のような温かみ、感情が置き去りにされるようになる。

全体的に硬質な骨太作品であるが、演技、そしてダンス(空中戦闘シーンも含め)という視覚で観せるシーンも魅力的であった。もちろん、先に記した衣装。小物(当時ではないから全部リアルは無理)への気配りも好感が持てる。

次回公演を楽しみにしております。
星の果てまで7人で

星の果てまで7人で

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2016/02/24 (水) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

宇宙空間における人間ドラマの秀作
会場入り口にアーチ型の電飾があり、スタッフに聞いたところゲートだという。細かいというか遊び心のある演出である。場内はもちろん宇宙をイメージするような暗幕が...。

観劇した2016年2月24日の某新聞に油井亀美也 氏の国際宇宙ステーションから帰還した記事が掲載されていた。その滞在日数は142日だったようだが、本公演のホームシックになった宇宙飛行士たちは...
(上演時間95分)

ネタバレBOX

地球を発って4年になる。そのクルーたちの登場は一人ひとり箱を持ち、下手から上手に一列に進む。暗幕で囲った素舞台、暗転すると暗幕にある電飾が光り宇宙空間が出現する。その幻想的な雰囲気の中で、クルーの一人・マリナ(佐竹リサ サン)の「地球へ帰りたい」という禁句がもれる。理由は単純...地球にいる彼氏に逢いたいという。忘れていないか心配だという。この思いが公演の機微に触れ重要なところ。ラストの感動シーンに繋がる伏線にしており見事な演出であった。宇宙というSFをイメージさせるタイトルであるが、根幹は人間ドラマである。

クルーと地球(基地)との交信は「新年」と「誕生日」の年2回のみ。そこへ不思議な交信が...それを契機に東西南北の各国からの代表という自国(民族)意識が目覚める。地球を俯瞰しながらも、国の代表という自覚に捉われるところが人間くさい。祖国に何かあったのでは、という疑心暗鬼がホームシックに結びついて、帰還するか会議することになる。この決議は全会一致がルールであるが、会議の都度、賛否票が分かれる。このドタバタを通して、過去から現在まで、世界のいずれかで起こっている紛争を考えさせ、将来にあってはその愚かしさを警鐘する。まさに宇宙的規模の考え方に収斂していく。

冒頭の箱は衛星機(基)という設定であり、クルーは意識人格という非実在性、地球には実在する本人がいる、という不思議なもの。地球に帰還すれば心身一体になるのだろうか?クルーの一人・さくら(前田綾香サン)は地球を発つ時には末期癌に侵され余命わずか。今はもう亡くなっており、帰る場所(体)がない。それでも残された家族は彼女のことを忘れず、いつも想っているだろうと...。結局、7機(基)の衛星基は永久の宇宙探索を続けることになるのだが、8人目は時折意識下に入ってくる”おばちゃん”、その正体は如何に(エイリアンか?)

この宇宙における人間ドラマ、キャラクターをしっかり立ち上げ観せる公演になっている。先に記した油井氏が帰還して思ったのは、宇宙ステーションでは意識しなかった重力を感じた時、「地球に抱きとめられているような気がした」と。その言を借りれば、この公演は「温かで大きな心に抱かれているような気がした」である。ただ一つ、自分的には大きな盛り上がり、インパクトという印象付けが弱かったような気がしたのが残念であるが。

次回公演を楽しみにしております。
Stay of Execution

Stay of Execution

メガバックスコレクション

錦糸町SIM STUDIO 4F C-studio(東京都)

2016/02/20 (土) ~ 2016/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

慟哭...心魂震える秀作【Bチーム】
「神は細部に宿る」という言葉を聞く。少しネタバレになるが、地下鉄・渋谷駅構内と車両が舞台セットになっている。車両のドアや窓ガラスは既に無くなっている。その枠を額縁にしてみれば、その中には細密で実にリアルな空間が出現していた。その造作はキャスト、スタッフによる手作りだというから驚きである。今回はSIM STUDIO(自分は初めてのスタジオ)での上演であり、地上4階スタジオがいつの間にか崩落した地下40mへ。そして駅構内には、さり気なく過去公演(HOTEL CALL AT)のポスター等が貼られているのが見える。
この公演、神に召されるのか、生きるこことは、心魂震える内容であり、7か月ぶりの新作公演は観応えがあった。
3・11東日本大震災の鎮魂歌のような…。

ネタバレBOX

梗概は説明を一部引用し「崩壊した地下鉄の 限られた空間でいくつかの魂が目を覚ました。 やがて 彼らの前に来世からの使者が現れ 無の世界へと誘う 現世への未練を残し、 新たなる旅立ちを強く拒む弱き者達 「Stay of Execution」 使者が宣言し、旅立ちに101日間の猶予が与えられた 限られた時間と空間 偽りの肉体と薄れゆく感覚 自由は虚像、希望は幻影 望んだはずの猶予の時は、 次第に耐えるだけの驚愕の時間へと変っていった」と。

この公演の最大の見せ場は、黒木(川井記章さん)の長台詞の慟哭シーンであろう。失って初めて気づく大切なこと。自分たちは既に亡くなっており、その生ける屍はまだ死を受け入れられない。生きている時には真剣に考えなかった、大事に思わなかった出来事が、失って気づく。失敗・悔悟・苦悩など愚かしいことの繰り返し。そのつど露になる感情、それを持て余すこともあるが、それが人間であり生きている証でもある。限りある時間や命だから大切にする、そんな当たり前のことが日常生活の中に埋没し忘れてしまっている。そんな長台詞が身も心も震えさせながら響きわたる。映画でいえばワン・シーンであり、それまでに多くのフィルムを回したと思うが、この芝居もこのシ-ンを効果的に観せるための過酷 な状況の数々。状況が外形だとすれば、それを介して人間の在り様を知ることになる。そして人と人の関係(親子、恋人など)も顕著になる。

地下という時間や月日、天気なども分からない。外界と遮断された閉鎖環境の中で、キャスト一人ひとりが言う…どう生きるか。何をしたいのか、また、したかったのかの輪言辞。絶望の淵に立って思うこと...「人間とは?」をワイス(井上正樹さん)へ激白し、無の世界へ...感動した。
今回は、大里冬子さんの演技を観るため、Bチーム観劇。他劇団の公演を観ているが、やはり所属劇団では生き活き、いや芝居では死んでいるけど上手い。

閉鎖空間での緊張感と濃密な会話は圧巻である。それを体現するキャストの演技も素晴らしかった。冒頭は声も小さく聞き取りにくいところもあったが、ストーリーが進むにつれ解消する。

舞台セットは細密であるが、車両の外から俯瞰するような演出であるため、駅構内部分が無くなったドアや窓からしか観えない。そのため座ったり、また上手、下手に寄ったシーンは観えない、観にくくなるのが勿体ない(客席、特に最前列は舞台より低い位置)。優れた公演は細部まで鑑(観)賞したいものである。

次回公演を楽しみにしております。
カゲキ・浅草カルメン

カゲキ・浅草カルメン

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

元気でた~
軽女(カルメン)を中心として物語を引っ張る三義兄弟は、幕末という時代に翻弄された傾奇者もしくは弱き立場の者。この者たちが実に魅力溢れるように描かれる。それを更に引き立てる周りの人々。

少しネタバレだが、ここ浅草東洋館は浅草弾左衛門が仕切っている。日が当たらないような立場の人々から見た幕末という時代。そこには、今までの常識が非常識になり、非常識が常識に変わるという不条理がまかり通るが、それでも逞しく生きる。そして単なる”愛”という言葉では片付けられない、耽溺、愛欲から肉欲まで激しさを増していく男女の仲。破滅的で救われないような恋々、それでも軽女のしたたかで芯の強さの先に希望が見えたが...。

ネタバレBOX

幕末時代、国内外の社 会情勢(黒船来航、清国・アヘン戦争など)を背景に、江戸市井、いやもっと場末での人々の生き様、さらには破天荒な耽溺(薬物)愛。その結末は、小説やビゼーの歌劇「カルメン」を準えるもので哀切を感じる。「人を憎んでいる時が幸せ、亭主より”色”」、その刹那的な台詞が心にしみる。

吹き溜まりのような場所で、もがき苦しむ、それでも生きる者達の奇想群像劇。その観せ方が、世情に疎い人々にも言い聞かせる、そんな場面(禁制の肉なべ)をさりげなく織り込んで、いつの間にか絢爛豪華な物語を紡ぎあげる。極彩色に相当するのが、劇団の特長である優美・耽美・エロチシズムが漂うダンス・パフォーマンスである。

その舞台セットは、昔写真で見た遊郭の花街、色街にあったよ うな家屋、その建築様式は唐破風の曲がりがある。こうした屋根は、ここから先は「極楽浄土」(他に銭湯、霊柩車にも見られる)の世界か。その夢(ユメ)か現(ウツツ)の不思議感覚が芝居内容と相まって脳裏に刻まれる。他の公演同様、上手に螺旋階段や客席側から登場・退場するという臨機応変なスタイルが躍動感を生み出す。もちろん、歌、ダンスの時の音響・照明技術は効果的である。

最後に演技、特に軽女カルメン(ゆうき梨菜サン)の妖艶、獏連(バクレン)振りは迫力あるが、それでもチャーミング、千愚鈍=ドン・ホセ(的場司サン)の薬物に侵されながらも一途な恋慕、浅草弾左座衛門(小玉久仁子サン)の強欲・慈悲という両面を持つ、その3人三様のキャラクターの立ち上げ、その演技は圧巻であった。

次回公演を楽しみにし ております。
何様の楽園【東京公演】

何様の楽園【東京公演】

冗談だからね。

RAFT(東京都)

2016/02/19 (金) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★

首振りは疲れる
チラシの説明と違うシチュエーション...劇団名「冗談だからね。」の通りということか。この公演の第一印象は観劇するのに疲れたということ。劇場内の設営に無理があること、それに輪をかけて超過集客している。

物語は面白いが、この内容であれば、もう少し舞台セットに工夫が出来そうである。キャストの等身大が描かれるようで、親近感が持てるだけに身体的疲労は残念である。

ネタバレBOX

舞台セットは三面構成で、本当は回り舞台にしたかったそうだ。それから先の説明はほとんどがジョーク。舞台は連れ込み旅館という設定のようだ。窓を開ければ(パントマイム)、まわりはラブホテルばかり。その旅館の3部屋を描いている。正面に障子の衝立の奥に「独特の間」(イメージのみ)、上手は「欄の間」下手は「椿の間」であり、その和室は基本的に同じ作り。布団、卓袱台、テレビなど。
この旅館で六本本高校演劇部(役者のジャージは六本木名)の卒業公演合宿をする。そして部内恋愛禁止を破り、男と女が その想いを伝えようと必死になる姿。その話を本筋にしながら高校生らしい馬鹿馬鹿しい小ネタを挟み込む。想っている相手とは違う相手から告白され、小さい世界だが思うように事は進まない。そして両方の部屋でその告白をしている様子がシンクロする、演出としては定番のようであるが、けっこう楽しめる。ラスト、舞台外から「こんにちは。こちらで働かせてほしいんですけど~」という回想を思わせる台詞で終幕。

この舞台セットが、客席(基本は丸クッション、最後列のみベンチ席か?)を中央に設け、上手・下手に和室を作る。正面の障子衝立まで数センチ。そこには舞台との境界を示すテープが貼ってあるが、既に席はテープに掛り、足場が確保できない。そして隣席とはピッタリ密着している。しかし、障子衝立の前にいる女性役者はほとんど動かない。演出上、何の意味があっているのか分からない。狭隘状態を少しでも緩和させる工夫が必要であろう。

次回公演を期待しております。
『月花抄』

『月花抄』

演劇ユニット 金の蜥蜴

ブディストホール(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

古今東西の女性の嫉妬と悲しみ
最近は不倫、二股という話題が世間を沸かせている。女であることに泣く人もいれば、それを利用して名前を売るような...現代は女性も社会で活躍してきている。この公演は能楽としての「野宮」「葵上」「夕顔」をモチーフにしており、その原作となるのは「源氏物語」である。

ところで、この有名な物語は何人かの現代作家が現代語訳(小説)にしているが、残念ながら自分は通読したことがない。今回、源氏物語の主人公である”光源氏”の若かりし頃を中心に描いているという。その恋愛模様と共に、その当時(平安時代)の貴族の生活振りも垣間見えて面白く拝見した。

当日パンフに「月花抄」で取り上げた「能のあらすじ」、「謡」と「現代語訳」が記されていた。そこには詳しい説明・注釈がある。
なお、この能演目を副題にしているが、演出の幸田友見 氏の挨拶文によれば”現代劇”であるという。それでも当時の雰囲気をいかに分かり易く表現するか工夫(現代に通じる所作、台詞使いなど)していたようだ。その但書が「この作品は時代・原作考証等を行っておりますが、作品の性質・演出上、敢えて考慮せずにいるところがある」と注釈がある。

ネタバレBOX

舞台セットは、御屋敷をイメージした造作..そこに御簾、紗幕が掛けられ、それが上下して内部が見え隠れする。また簀子があり、内・外の遠近場面が楽しめる。

物語は、晩秋の嵯峨野の野宮。この地を訪れた僧の前に六条御息所が光源氏の愛を失い斎宮となった娘と伊勢へ下る。この野宮に籠って光源氏が訪れるが、薄くなった愛情に失望する。この亡霊が語りだして...。僧は見ているだけ、として下手側の岩と思しきところに腰掛ける。

登場する女性人物は、六条御息所、葵上、夕顔、若紫が主要なところ。また絡みはないが重要な役所として藤壺がいる。光源氏が臣下になることで、奔放な恋の遍歴が可能になる。六条御息所は桐壺帝の前の東宮の妃で今は未亡人。光源氏の正妻葵上への嫉妬と怨念がすさまじく生霊となって取り憑き苦しめる。葵上は光源氏の正妻。男の子を出産後変死する。若紫は藤壺の姪で、小さい頃から理想の女性に育て...後妻として迎える。夕顔は、光源氏にひたすら身をまかせる従順な女性。多くの女性遍歴をする中で異なったタイプの女性を登場させ、さらに物語を展開させる妙。
光源氏が大将のお披露目の際の車争いの状況は見事。この場面は「野宮」と「葵上」のシーンで出現するという。その辱め悔しさが怨霊となる。

今の恋愛事情・結婚生活とは異なるが、相手を思いやる気持は必要で、その必要性の上に出来上がった日本語は、曖昧な感情を繊細に表現する言葉になり、それが和歌を生んだ。平安貴族の男は和歌を詠めることが女性から認められる条件になり、源氏物語が生まれた。その手紙の受け渡し(「恋文」は側近を介して届けられ、先方の女房(仕える女)を通じて姫君に恋文が渡る)など、時代を感じさせる。一方、台詞はいかにも直接(現代)的である。この敢えての演出も観客が観やすいようにとの配慮だろう。

原作モチーフの練り込み、魅力的に観せる演出、それをビジュアル的にしている舞台セット、衣装、音響・照明の技術も素晴らしい。役者の演技も良かったが、光源氏と頭の中将の会話は雑という印象。

最後に海外公演を予定しているというが、今回のような時代を描くのであれば、日本らしさが感じられる公演...直接伝える台詞は現代的に、視覚で観せる所作等」(但し性交などは”見る”であるが、それでは状況が曖昧)は時代雰囲気を醸し出して成功してほしい。

次回、凱旋公演を期待しております。
草莽の果て

草莽の果て

劇団HumanDustUnion

サンモールスタジオ(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★

着眼点の良、体現の力不足が勿体ない
本公演の時代背景は幕末...多くの公演で取り上げられるのが、倒幕側では坂本龍馬を始め勤王志士、佐幕側では新撰組、描かれ方が微妙であるが勝海舟といった日本史の教科書に載っている人物が多いと思う。もちろんエピソードが残り創られ、芝居として制作しやすい面もあろう。今回登場する赤報隊(自分は、存在は知っていたが、史実面は不知)は、官軍であって官軍でなくなる、という混迷した時期に生じた悲劇でもあろう。時の為政者といっても主導したのが誰か判然としない。それにも関わらず偽官軍としての汚名をきせ歴史の闇に葬られそうになる。この公演は、そういう意味(在野)の一団に光をあて、新たな視点を提供したといえる。

その着眼点の面白さはあるが、その体現する芝居としては少し残念であり、勿体無い公演になった。(実際 2時間20分 休憩なし)

ネタバレBOX

舞台は、進軍している赤報隊(一番隊)が碓氷峠を前に布陣しているという状況。その舞台セットは、中央に段差のある奥舞台、その左右から斜めに下りるような傾斜がある。イメージとしては山間部を表しているようだ。上手には少し大きい直衝立、下手には屏風状の衝立があり、白い粉模様のような...雪景色であろうか。不思議な造形であるが、”和風”空間を感じる。

そこは史実に創作を織り交ぜ、独自の物語を紡ぐ。物語の前半と後半とでは、そのテンポ・趣きが違う。前半は冗長で退屈するが、岩倉卿と対峙する場面あたりから緊迫感を増す。始めからしっかり緊密性をもって描いていれば、骨太作品になったかもしれない。

この公演での登場人物は、どちらかと言えば歴史に大きな名を残した人物の陰にいた人に注目している。例えば、桂小五郎(維新の立役者であるが、坂本龍馬等と比べると知名度、エピソード等の魅力が乏しい)、新撰組の2人(永倉新八、原田左之助は近藤勇、土方歳三と比較)など、強い光があたらない人々を対象に描き出す。公演の底流にある、名もなき人々も歴史を作っている。それは男だけではない。芝居の台詞を借りれば「オナゴにしか出来ないたたかいがある」という。その思いの先...明るい日本を築く礎になること。

この芝居を体現する役者の外形、演技(殺陣も含む)に違和感と物足りなさを感じる。多少細かくなるが、多くの男性キャストが長髪(少しの整髪で印象が違うのでは)、軍服を開けだらしがない。一方、女性キャストは髪を結い、着物・(恋仲)道行などでイメージを作っていた。舞も良かった。
殺陣は、場内スペースを考えれば十分に力を発揮出来ていないかもしれない。それでも技術も迫力不足。刃を交じえ鎬を削る時の発止(ハッシ)音を演出していたが、場面とズレることもあり、効果音としては今一つ。

登場した人物が、史実では顔を合わせたとは思えない。そこは作・演出の大和鳴海氏の私実に基づいて、大胆に発想した物語。激動の時代に翻弄されながらもその志を貫く、その”志実”はあったと思う。

次回公演を楽しみにしております。
長い夜の後に

長い夜の後に

演劇集団SMILE JACK

ワーサルシアター(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

長い夜が始まると共に…楽しめる公演【Aチーム】
第2回公演...3場面から成るオムニバス・ストーリーで、文章でいうところの「起・承・転・結」のある構成。その場面違いの差が大きく、その観せる牽引力は見事であった。当日パンフの挨拶文に、大杉篤史 氏がドラマチックなコメディと記しているが、その取り上げたテーマの重みに対し、少し斜に構えたような演出であったと思う。演技は、「劇団ひまわり」の後援を得ているようで、キャストのうち5名(ダブルキャストであるから、1公演としては4名)がその所属になっている。全体的に演技は安定しており、他のキャストの演技も合わせバランスが良かったと思う。

公演は自分の好みなところもあり、楽しめたが...。(上演時間2時間15分 休憩なし)

制作サイドへ
①前説…演出かもしれないが、案内(依頼)する内容を忘れた? とのことで、その内容を観客に振るのはどうか。特に、非常時の対応を忘れてどうするのか、いくらGUESTとはいえ、不安に思ってしまう。

②途中入場者の対応…30分近く遅れてきた客を、場内真ん中(中央段)までペンライト照らして案内し、観劇中の客の前を遮って席に誘導する必要があったのだろうか。事前に最後列に予備席を設けるなどの工夫があってもよかったと思う。

ネタバレBOX

3場面と書いたが、括りは2場面で、1場面と3場面(同一の舞台セット)は帰結するというストーリー展開である。
時間経過を表す照明は巧い(正面がスクリーンのようで照明の色彩光を反映)。またテンポは良く心地よい。但し、序盤はループするようで冗長な...劇中の台詞で言えば、しつこい。上演時間を考えれば、もう少しコンパクトにまとめてほしいところ。

テーマとしての「自殺」。その統計資料が新聞紙面に掲載される時期がある。その内容は自死する時期・年代・理由などが書かれている。今回公演は、ゴースト・男(渡部 新 サン…役名はあったが、当日パンフでは「男」)は会社という組織の中の競争・軋轢・パワハラが原因だったようだ。本筋の自殺しようとしている女(池田あやこサン)の理由は失恋か?

ゴーストと透明人間は違うが、見えないという共通項でみれば、他人から注目されない。無視された存在になる。それは生きている時に比べてどうか?その死後世界がイメージできるだろうか。

(起)マンション屋上から飛び降り自殺を考えている女、その前にゴースト(初めのうちはゴーストと認識できない)が現れ、死生観についての問答が繰り広げられる。男は直接的な言葉で自殺を止めない。男の願いは「どうせ死ぬならHさせろ!」と。マンション下から眺めているとスカートの中の”下着”が見えて...このシーンが長くくどい。その舞台セットは、屋上をイメージさせるフェンス、中央にベンチ、上手に隣ビル(引窓あり)、下手は屋上へのドア(出入り口)。また、ファーストフードの店内も現出させる。

(承)場面は転換し、パブ(説明では、閑古鳥鳴くキャバレーとあった。劇中での店名「イエローポップ」)店内がセットされる。殺風景なマンション屋上から瀟洒な内装...赤いL字型ソファー、テーブル、飾り付け、石膏のビーナス像などが置かれる。暗転時間が短い割にしっかり対応する。ここでの登場人物は、店側と客側に分かれ、それを二分割で演じる。店では店長、人気ナンバー1、2の女性2名と体験入店の1名。アフターに連れ出そうとする客への対応協議と”ある秘密”が…。客側(上司・部下)は店の女性を連れ出すためのミッション・シミュレーション。

(転)ラストは、マンション屋上へ回帰し、自殺しようとした女が興信所(実は体験入店の女)を使い、男が自殺した理由を調査。その結果、客は男の元同僚で自殺に追い込んだことが判明した。一矢報いる行動が、店キャスト全員を巻き込み実行する。いつの間にか女にはゴーストが見えなくなる。その意味するところは…。

(結)本当にラスト、女がマンションのドア内で転び倒れ、男が叫ぶ「あぁ!パンツが~」。そうであれば、冒頭書いた「起承転結」は、正確には「起・笑・転・尻(ケツ)」が適切な表現だろう。文章にすると下品(自分が稚拙なため)になるが、芝居は面白い。
この公演、「結語」ならぬ「尻娯(ケツゴ)」での締め括りであった。

次回公演を楽しみにしております。
sanari

sanari

SPINNIN RONIN

シアターX(東京都)

2016/02/17 (水) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★

アクションの魅力
全編を通してアクション、それも剣舞ならぬ槍をイメージした棒術舞といった表現が相応しいだろう。この公演の背景は、18世紀…日本とは別の南海にある島での民族紛争というもの。

少しネタバレするかもしれないが、物語の展開には、現在放映中の大河ドラマを、そしてテーマと思しき主張が垣間見えるのが、或る韓国映画である。平和への希求が描かれているが、その捉え方が表層的で深みが感じられないのが残念であった。現状を鑑みると、その主張は継続させなければという思いは共感できる。

公演としては、脚本(物語)はわかり易く、どちらかと言えば演出・演技で観(魅)せているという印象である。(上演時間1時間50分)




ネタバレBOX

梗概は、チラシ説明を引用し...「卑しい者として扱われる忍びがいた 。 忍者サナリは、隠密として使命をまっとうする毎日であった。 しかしある日、姫より直々にとある密命を帯びる」。争っている両家の政略結婚。輿入れ途中で、姫が襲撃され亡くなり、その身代わりとしてサナリが偽って...。
その両家(多賀家・風見家)の政略結婚以降、輿入れした先の多賀家が滅亡する件は、大阪夏の陣(豊臣秀頼に千姫が輿入れしている)を想起させる。今大河ドラマ「真田丸」のクライマックスシーンになるであろう。最後は徳川家が主君筋にあたる豊臣家を滅ぼす。その口実は何でもよかった(方広寺の梵鐘字「国家安康」の言いがかり)。本公演でも偽姫との婚姻という口実であった。

平和を希求するシーンに両家の領土境界における兵士の和解...実は韓国映画「JSA」を想起した。(韓国軍)を筆頭とした国連軍と、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の兵士が共同で警備に当たるJSAにおいて、あるきっかけから許されざる友情を育む事になった南北の兵士達の交流と顛末を描いたフィクション映画。
この公演でも多賀城主が(偽)姫と城を抜け出し、両軍の兵士の交流を図るシーンがある。

舞台は、素舞台…そこを体操経験者であろうキャストが、走り回り・飛び跳ね・回転舞いをする。熱演であるが、殺陣と言うには少し緩い。それでも状況を描き出す力は見事。併せてスポット照明が美しく、印象的であった。

平和とは簡単に手に入れることは出来ないと...最後は風見家が多賀家を攻め滅ぼす。その際、偽姫(サナリ)が一族郎党の力を借り、多賀城主(偽った夫婦になった夫)を助け、日ノ本(ジパング)へ逃亡する。夫婦になっただけでは平和は維持できない。無作為は無策より始末に悪い。折角、偽りでも夫婦になり、夫と力を合わせ、何らかの取り組みが見られたら。現在の日本(ここでは「日ノ本」)の現状を考えると、もう少し突っ込んだ描き方があっても良かったと思う。

ラストシーン...城主だった人物が、市井の中で特定の女性しか描けない絵師として生きる、そこに人としての気概と希望も見えるようである。
最後に印象的な台詞…「岩に突き刺した剣」。剣が必要ない平和な世界。それは場所・時代を問わず願わずにいられない。

次回公演も楽しみにしております。
アカシック レコード

アカシック レコード

アロック・DD・C

アロック新宿スタジオ(東京都)

2016/02/08 (月) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★★

なかなか魅力的であったが...
”アカシック レコード”とは、当日パンフによれば、「元始からのすべての事象、想念、感情が記憶されているという世界記録の概念。そこには全宇宙はもちろん個々の人間の過去から未来までが記憶されている」ということらしい。そのタイトル内容を”シュールかつコミカルな感覚ストーリーダンスパフォーマンス”という謳い文句が、何とも魅力的であった。

その印象は、たしかに元始からの行為を千一夜物語のようにして表現していたようだが、その観せ方はストーリーにダンスを当てはめた感じである。ダンスはスタイリッシュで面白いと思ったが、そのダンサーにレベル差があったように思うが...。

この公演はALOKアトリエで行ったが、自分は初めて行くため場所が不案内であった。しかし、事前に道順リンクのメールが送信され、また当日は荷物預かりを行うなど、気配りが感じられた。
会場はアトリエだからやむを得ないのかもしれないが、ひな壇で背もたれなしのベンチシート(多少クッション有)。前席との間に余裕(最前列は舞台枠まで20cm程)がないため、上演時間90分は腰痛、膝が悪い観客には辛いかも。

ネタバレBOX

場内は暗幕囲い、正面には枝、蔦がイメージできるような曲線に反射テープのようなものが付着している。素舞台で、シーンによって小物が持ち込まれる。座席は先に記したようにひな壇(三段)ベンチシート。

冒頭は、暗照明下での群舞から始まる。実はダンスで印象に残っているのが、このシーンと中盤にあったスタイリッシュダンスを想起するシーンのみ。それ以外はストーリーに追随したパフォーマンスで、ダンスの魅力が感じられなかった。

物語は、食事シーンに観られる生と他(生き物)の犠牲、そこに用いるナイフとフォークが別のシーンでは抗し難い運命(「マスク・マン」「拘束縄紐」など)に操られ、その道具が大きさを変えて...。また、リンゴというアダム&イブをイメージするものを用いて人類史を意識させる。芝居と違い直截的ではないが、相応にイメージできる内容で興味深い。しかし、逆にイメージし易いほど”物語”にダンスがより過ぎたようだ。またコミカルを意識してか「食事」「黒ひげ危機一髪」などのシーンは違和感があった。もっとシュールにシャープに描いても良かったと思う。最後はキャスト全員が文庫本を持ち、床に寝そべる。さも千一夜物語から目覚めるような...。

次回公演を楽しみにしております。
「ミニマムエチケット~グリーン~」

「ミニマムエチケット~グリーン~」

劇団メリケンギョウル

荻窪小劇場(東京都)

2016/02/12 (金) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★

作品のレベル差が気になった
全体(7小作品)を通して楽しめたが、その作品のレベルに差があった。その出来栄えの違いは、上演ごとに、制作ポイントを映し出す説明で明らかになるようだ。何となく身内発表会、ワークショップのような感じもしたが...。

さて、最近「ゲス」という言葉を聞くことが多くなった。この言葉を冠にした音楽バンドの一人が芸能ネタになっている。また育休宣言した国会議員が妻の妊娠中に別女性と恋愛疑惑を招き、辞職を表明した。この言葉を漢字で表すと「下種」「下衆」と書き、意味は身分が低く品位がないことらしい。

本公演もAVメーカー「SOD」や「エロくないのにエロいコトバ」など下ネタをイメージするタイトルがあり、実際「下ネタ」も入っている。しかしこちらは「クス」という表現が合っている。漢字にすると「擽る」が変形した表現だと思うが、直に体をくすぐられなくても、その演技や台詞で”クスッ”と笑みが...。案外こういうコメディが「不倫は文化」より「芸術は文化」になるのかも...言い過ぎか?

ネタバレBOX

舞台は、ほぼ素舞台。あるのは白いBOXが4つ。

公演タイトルは、次のとおり...「①オトナビジネス会話」「②S・O・D」「③たかそう先生のナヤミ」「④怪異!バッタ男」「⑤エロくないのにエロいコトバ」「⑥アイツINワンダーランド」「⑦そこつ・ながや」、以上7作品。

上演に際し、台本がある、もしくは緩い台本があると説明文が映し出される。その説明を信じるとして、台本作品と即興的な作品では出来栄えが違う(自分の趣向として)。やはりインプロ前提でない限り、脚本の力は大きいと改めて思った。

特に印象に残ったのは、「①オトナビジネス会話」...会話シチュエーションの妙。 「②S・O・D」...日本・水道橋とドイツ・ベルリンという遠距離結合。語音の錯覚による勘違いの妙、そして長台詞が聞き所。 「⑥アイツINワンダーランド」...児童小説(不思議の国のアリス)の中に別小説の主人公(オズの魔法少女ドロシー)が紛れ込むというシュールさ。

他の作品はその場では笑えたと思うが、印象薄いのが残念。

次回公演を楽しみにしております。
Revenge of Reversi

Revenge of Reversi

PocketSheepS

萬劇場(東京都)

2016/02/11 (木) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★★

もう少し視座というか...
この劇団...PocketSheepsは、「あの日はライオンが咲いていた」という作品で、第27回(2015年)池袋演劇祭で豊島区町会連合会会長賞を受賞している。この萬劇場のラックにその演劇祭記録「演劇人vol.22」があったので、受賞団体コメントを見た。そこには代表・太田友和 氏が「『演劇に興味ない人でも、それを観たら演劇が好きになってしまう程のお芝居』というのを1つの指標としています。しかし、理想はあっても実現させるのは難しい。」と...。

本公演は、そのチラシから復讐劇であることは容易に想像がつくが、どう行うかというその過程・手法に興味を持たせる。しかし、それは場面展開を凝らし過ぎた、または輻輳構成のためわかり難いように感じた。



ネタバレBOX

時空移動(5年間)して復讐を遂げるという内容であるが、その場面構成が現代なのか、未来なのか判然としないところがある。もともと視座はどちらにあるのかということ。芝居はフィクションであるから、それをいかに面白く観せるかということが大切であろう。そんなことは、作者は当然意識しているだろう。

フィクションであっても「現実味のある」と「仮定でのある」という2つの面があるとすれば、前者はリアリズム、後者はファンタジーの世界ではないだろうか。そこにはリアリズムが際立つためにはフィクショナルな作り込みが必要で、ファンタジーが魅力的になるのは奇想に満ちた世界観がリアルな厚みと手触りを持って現れる必要があると思う。この両者は相互に補完するようなもので、その仲介をするのが創作という手工業の技術であろう。その技術がどれだけ巧みに作られ、観客の機微に触れるか。

その意味で、復讐するために5年前に時空移動し、自分を陥れた人物(親友)を殺害すること。また、”タイムリアクター”と言っていたが、その研究成果を横取りされた女性研究者の復讐...研究成果の取り戻しという2つの動機が発端になっている。そこに近未来警察...時空管理警察が取り締まりのため活動を開始。さらにその研究を使用し悪事を企てる政治家、悪徳弁護士、さらにはそのネタをスクープしようとする三流雑誌の記者・カメラマンが絡むもの。過去を変えては現在、未来に影響が出るという”お決まりのルール”も説明されるが...それでも過去へ遡り復讐するという。

本公演の時空間移動は、未来(2021年)から現在(2016年)か、現在から過去(2011年)へなのか。いずれにしても、時間の流れは一方方向で、相互に行き来はないと思っている。逆方向の時間を表したのが、スロームーブメントであろうか。その動作・表情から、驚きや悲しみが見てとれることから、流れてきた時間の中にあった喜怒哀楽を時間の逆回転の中に描いたのであろうか。過ぎ去った先の時間から観た場合、過去は回想シーンになり、その転換にメリハリがない。時間・場面が錯綜もしくは混乱が生じる。テンポが良いだけに尚更だ。また、どの時間・世界にも当てはまらない状況として、無機質な迷路をイメージした舞台セットであろうか。ここで観客(自分)は置き去りにされたように感じた。やはり芝居の醍醐味は、”心を奪われる”ということだと思っている。

先の太田氏の文章の続き...「来年(2016年)は、劇団旗揚げから10周年だというのに未だに明確な正解を見い出せず、毎度試行錯誤を繰り返し、少しでも面白くしなくてはと頭を悩ませ続けています。」と...

次回公演、楽しませていただきますよう期待しております。

この胸のときめきを

この胸のときめきを

演劇企画アクタージュ

参宮橋TRANCE MISSION(東京都)

2016/02/11 (木) ~ 2016/02/14 (日)公演終了

満足度★★

物語に広がりと深みがあれば...
2月14日のバレンタインデーに因んで描いた「この胸のときめきを」...この甘美な響きが心をくすぐったが、その物語はあまり広がりも深みも感じられなかったのが残念である。

この舞台の背景には、東京近郊の或るローカル線が関係していると、前説で作・演出の大関雄一 氏が語っていた。しかし、その問題提起になるような場面があったのか、実は描かれていたのかもしれないが、自分にはその印象がない。劇団の真摯さは伝わる。
舞台セットは見事である。参宮橋トランスミッションという小空間に駅舎の一部がしっかり造られている。この美術(ローカル線というシチュエーション)を活かした物語が展開していれば面白い公演になったと思えるだけに本当に勿体ない。



ネタバレBOX

千葉県・成田空港施設内にある芝山鉄道・大台駅が舞台になっている。芝山鉄道は実在するが、この大台駅は架空である。駅待合室がけっこうリアルで、板張上にベンチ、分別ゴミ箱、観葉鉢が置かれている。壁には時刻表、広告掲示板、行政用ポスター、丸時計の小物がある。音響も電車発車案内、飛行機の轟音なども聞こえる、という細かい演出は効果的であった。
しかし、物語は、バレンタインデーを口実にしているが、単に軽薄・女たらし男が二股(それも幼馴染か同級生)しているドタバタと、女性探偵とそのパートナーがこの街で暮らすことにした。さらにネットで知り合った男と待ち合わせをする(女性が上京費用を出したことから、一時詐欺かと)。この三話は直接的に繋がることはなく、登場人物が同級生で顔見知りということ、その待ち合わせ場所がこの駅ということが、なんとなくの接点である。

最近の芸能、スポーツ界の小ネタが散りばめられている。例えば不倫は芸名で、不倫は「文化」と言った人まで出す。薬物は”麻薬犬ナメんなよ”というポスターが掲示されている。そのネタも無理矢理に突っ込むようで笑えない。

物語全体を貫く主張(幹)と、そこから派生する枝を上手く観せて欲しかった。また物語を体現する役者の演技がチョコのように甘いようだ。
先にも記したが、この沿線に関する問題提起(東京近郊にありながら過疎化、その対策としての同性婚か、純粋にマイノリティなど)が垣間見えるだけに、それを上手く取り込んで広がりと深みのある公演が...。

次回公演に期待しております。

このページのQRコードです。

拡大