Regulation'sHigh
BLACK JAM
萬劇場(東京都)
2017/09/20 (水) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
ある種、今の教育現場に活を入れるような(体)力作。眠気など微塵も感じさせない疾走感が素晴らしい!
物語の結論はすぐには肯定できないが、清々しさを感じるのは、曖昧模糊、優柔不断など責任の所在を明らかにせず...に対し、教育は洗脳だ。と言い切る教師の存在が特異であるが、その理論展開が明快であるからだろう。不透明な時代に明確な指標を示すことが出来る。その正誤は...
(上演時間2時間)2017.10.1追記
ネタバレBOX
舞台セットは、上手側に布で覆われた物(サッカーゴール)、下手側上部にバスケットゴール、床には陸上トラックが描かれている。
この劇団の特長は、スポーツと称した運動量、その疾走感が観ていて清清しくなる。その躍動感が物語の中にグイグイと引き込んでいき、自分が同世代に戻ったかのような一体感が心地良い。
梗概…座黒高校はスポーツの名門高校、その部活は徹底したスパルタ教育が行われていた。そんな管理教育に反抗している生徒が収監されている最中、今(2017年)から1977年へタイムスリップしてしまう。40年の時を遡行して当時の座黒高校の生徒と交流することによって、今より厳しい体制・管理を経験し更に反抗・反発を覚える。1977年当時は教師に反抗的な態度を示せば体罰は当たり前。また練習と称して過度な特訓(腕立て押し車、うさぎ跳び等)で、今では効果がないと禁止されている練習も行っている。
この指導方法に疑問を持ったジャーナリストが、教師のインタビューを通じ教育現場のあり方に疑問を呈する。そして生徒に自主・自立を説き教師を辞職に追い込むが…。
教育は”洗脳”のようなもの。真の教育は人間形成を行うこと。生徒が間違っていれば叱る(体罰)という当たり前の行為。その方法と行為は、現代(2017年)では認められない。その時代間隔にある感覚の違いが鮮明であるため、分かり易い描き方になっている。
その管理教育で教育を受けた生徒が、今、座黒高校で教鞭を執っており、少し違うが管理教育という点では継承した取り組みを行っている。スポーツにおける精神力強化に役立つという。スポーツにおけるメンタル面強化、体力+精神を重視した教育論へ発展させている。
また生徒の監視・管理という面でも40年前の「風紀委員会」を「管理部」という部活に改組している。その体制、生徒による生徒の管理は本当に必要なのか。その例としてスタンフォード大学の監獄実験を挙げていた。その活動の是非は観客に委ねられたかもしれない。
演出…見せ方は、衣装が囚人服に見立てた横縞Tシャツ。スポーツの場面ではバスケットのエアゴールでネットを揺らすなど臨場感を表す。
演技…役者はそれぞれのキャラクターを立ち上げ、演技のバランスも良い。それは役者が時代の空気を身にまとい役者一人ひとりが役を突き抜け登場人物の人生を生きているからだろう。
特に、新藤雷蔵役(鈴木清信サン)は昭和52(1977)年当時いたような風貌・雰囲気の教師でリアリティがあった。
最後に、なぜ窓ガラスが割れ第7房へタイムスリップしたのか?そして現代へ戻ってくるその往還する契機は何だったのかが気になる。
次回公演を楽しみにしております。
夕凪の街 桜の国
“STRAYDOG”
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2017/08/30 (水) ~ 2017/09/03 (日)公演終了
満足度★★★★
この公演は、2016年の映画界の話題作「この世界の片隅に」の作者 こうの史代 女史の漫画「夕凪の街/桜の国」が原作。他の劇団公演を観たことがあるが、その時は特定した情景・情況を出現させるセットであった。時は流れて、”戦後”と呼ばれるようになっても、原爆投下された地続きは過去と現在を切り離すことはできず、今なお苦痛と苦悩と悲しみの中にいる。セットは、簡易で場面に応じて変更するが、観ている観客に固定した情景・情況を示すのではなく、あくまで観客の心情に訴え心魂を揺さぶるもの。
原作は、夕凪の街、桜の国(一)、(二)の3部構成。この公演は「桜の国(二)」から「夕凪の街」へ回想し「桜の国(一)」を挿入するような構成である。
一度は観たいと思っていた "STRAYDOG"Produce、森岡利行氏の脚本・演出公演は十分堪能できた。
(上演時間2時間) 2017.9.27追記
ネタバレBOX
肉親の墓参りのため広島へ...”心の旅路”を思わせる展開であるが、感傷に浸らせるばかりでなく、明日・未来に向かって力強く生きようとする人間讃歌として描く。
セットは、正面の手摺または橋げたを思わせるようなもの。上手側に長屋家屋、下手側にお好み焼き屋を出現させるが、あくまでイメージ。また旅路を思わせるため、役者が客席内の通路・階段を歩き移動している様を見せる。
戦後の混乱期、落ち着き出した昭和20年代末から昭和30年代にかけての広島市内、そして現在の様子を父・娘の会話を通じて紡ぐ。会話の端々に過去(戦後間もない頃)を挿入し、過去から現在へ時は流れて”命”も脈々と受け継がれる。その生命に原爆の恐怖が刻まれ、今も闘い続けなければならない慟哭が涙を誘う。
梗概…昭和30年夏、平野皆実は建設会社の事務所で働き、原爆スラムの家で母親のフジミと暮らし、疎開先の養子となり茨城県で暮らす弟・旭に会いに行くことを望んでいる。現在は平凡な社会人として過ごしているが、いまだに広島での被爆体験を自分の中で消化し切れない皆実。ある日皆実は、同僚の打越豊からプロポーズを受けるが、原爆の日の光景が蘇り、助けを求める大勢の人々を見捨てて逃げようとする罪悪感が付きまとう。
皆実は、自分の被爆体験を打越に打ち明ける。打越は皆実の気持を察し皆実は安堵するが、その日を境に皆実は体調を崩す。やがて自分の状態も周囲の状況も分からない。皆実は死の床で、あの日、自分たちの死を望んで広島に原子爆弾を落とした人は、また一人殺せたことを喜んでいるか自問し、自分は生き延びた側だと思ったが、そうではなかったと独白する。この夕凪の街を中心に、成長し娘がいる旭が広島の知り合いを尋ね、また墓参りをする。父の様子がおかしいと娘が尾行するが…。
ここでは、政治的視点ではなく市民の視点、普通の人の情感を坦々と描く。だからこそ遠い出来事ではなく、身近に寄り添っているからこそ感動を誘う。
先日(2017年9月24日)、広島市の原爆資料館の類計入館者数が7千万人に到達した新聞記事を読んだ。オバマ前米大統領が訪問し外国人らの入館者も増加したと...決して忘れてはならない原爆・戦争をである。
次回公演を楽しみにしております。
ニコニコさんが泣いた日
演劇企画ハッピー圏外
コフレリオ 新宿シアター(東京都)
2017/09/20 (水) ~ 2017/09/25 (月)公演終了
満足度★★★★★
戦場も戦闘シーンもない反戦物語。切ないほどに戦争の不条理が観えてくる秀作。この劇団が幾度となく再演をしており、その理由(わけ)が解るような気がする。
第29回池袋演劇祭参加作品であるが、会場は新宿区にあり自分は初めて行った。繁華街を少し外れるが、戦時中とは隔世の感があると思われる場所で芝居が観られること、その平和のありがたさをしみじみ思う。
物語は、戦時中の猛獣処分という史実をモチーフに、叙情豊かに描いており観応え十分である。
(上演時間1時間45分) 2017.9.27追記
ネタバレBOX
舞台背景は、戦時中の上野動物園。そのセットは中央に客席側に斜めに傾いたサークル。周りに部分的に柵イメージ。上手側に台部分が色鮮やかな別スペース。天井には運動会で見られるような三角旗が飾られている。猛獣処分は動物園の動物だけではなく、サーカス団の動物も対象であったことを舞台セットで暗示する。
地球上には多くの動植物が生息しているが、その生の与奪に人間の行為が大きく影響している。公演では、ゾウ・ライオン・ワニという動物(擬人化)を登場させ、野生から飼育になり生きる本能(捕獲)を奪う。集客目的、餌をもらうために必死に芸(野球)を行う動物たち。その悲哀に満ちた姿が感動を誘う。
一方、動物園の職員も殺処分を何とか回避または他の動物園に引き取ってもらえるよう運動を始める。その運動には当時の状況下において非合法とされた活動を始める者も現れた。特高警察の取締りの苛烈さ、収監し暴行等するシーンは動物の無邪気な様子、職員の真摯な姿と対比させ戦時下の状況を浮き彫りにする。
反戦を声高に叫ばないだけに、よけい戦争の非情さが見えてくる。その結果、ライオン、ワニの毒殺、ゾウの餓死(敏感で毒薬を嗅ぎ分け、注射は皮膚が厚く無理)という手段で処分する。動物たちは、職員の苦悩を知っているようで処分を受け入れる。そのシーンは静謐なまでに美しく感動的である。
演技…他の動物園に引き取ってもらえるよう奔走する。その走る姿が緊迫感を生み、テンポよく展開する。公演は動物園に通っていた美大生の観察日記のようにも思える。失明し心で見たラスト…死んだ動物と職員全員が再登場し、楽しかった日々を思わせるシーンは、この世のデストピア、あの世のユートピアを思わせホッとさせる。それを音楽…デストピアは低重音で響かせ、ユートピアは軽音楽に変化させ、見事に昇華させた!
次回公演を楽しみにしております。
LOVEマシーン2017
宇宙論☆講座
ラ・グロット(東京都)
2017/09/22 (金) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★
第29回池袋演劇祭参加作品。未見の劇団、初めて行く会場、21時開演という初づくしの公演。ちなみに上演時間2時間弱ということで、帰途が少し心配になったが、それでも終演後に主宰と出演者に挨拶してダッシュした。
公演は、携帯電話の電源ONのまま、飲食自由、上演中の写真撮影OKという、これまた何でも自由という稀な前説。そして、上演中はキスシーンがあるが、大劇場のようにオペラグラス越しに観るのではなく、至近距離(1~2m)の生で観てほしいと要望あり。劇団名…宇宙論☆講座に相応しい様な、しかし登場人物の経験・回想劇を音楽によって彩りするような独特な世界観は面白かったが…。
(上演時間2時間弱)2017.9.28追記
ネタバレBOX
会場は地下にあり、横幅ある階段スペース以外の所が1階部。そこに音楽機材等を置き、それ以外の狭隘スペースで演技を行う。また1階から地下へ流しソーメンの半筒がある。会場全体が神秘的で少し怪しげな雰囲気である。
登場人物は5人であるが、何故か受付担当も加わる。人物は家政婦/松居一代、殺し屋/松居二代、富豪/船越英三郎、異人/船越英四郎、病気/船越英五郎で、今芸能界で話題になっている夫婦の名前をもじっている。当日パンフに、主宰の五十部裕明氏が「今回は恋愛劇です。あんまりふざけません。下ネタもありません」と書いているが、間近で見るキスシーンは濃厚で相当刺激的である。キスシーンを演じているのが、松居二代役(新名亜子サン)と船越英四郎(守田達也サン)であるが、それぞれの所属団体が「秘密のユニット」と「びしょ濡れテント」であり、それを掛け合わせたらエロっぽい。ちなみに、この公演を観るキッカケになったのは、某所で新名さんから声を掛けられ、その色香に惑わされて? ということだった。
主宰の五十部 氏は、作曲・演出・台本・音響・照明・制作をマルチに行っているが、思った以上(失礼)に面白かった。
物語は2部構成のようで、始めに家政婦(一代)と富豪(英三郎)の結婚話で恋愛の概観を見せ、後半で登場人物の恋愛(キス経験を中心)の回想シーンへ。その独白を1階部の楽器が置いてある狭隘部分で手摺に掴り話し出す。客席からの角度がけっこうあり、見上げる首が疲れてくるし、薄暗いから観にくい(丸椅子に座布団、背凭れも小さい)。
物語の中心(キスシーン)を思わせる動作、例えばフルートを吹く唇の動きなどが連想させる。また生演奏・(生)歌を多く取り込んでいるが、同じように照明効果にも目を見張るものがあり、演出としては上手い。この独特の雰囲気は病み付きになるかも…。
最後に会場の構造的なことであるが、”観る”ことが苦にならなければ…。
次回公演を楽しみにしております。
クロス ~橘耕斎ヘダ日記~
Re:Duh!
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2017/09/21 (木) ~ 2017/09/25 (月)公演終了
満足度★★★★
「戸田日記」を回想するという劇中劇として描く。公演は世界観を広げすぎず、幕末という時代、鎖国さらに村という閉鎖性のなかで、異国(ロシア)人が漂流してきたことで戸田村の日常の暮らしに変化、刺激という状況が生まれたことに集中させる。時代閉塞の現状に当時の人々の考えや思いを巡らす描き方。
素舞台であるだけに、その情景を観客一人ひとりが想像し世界観を作り上げる。一方、人の心情は登場する人物によって夢と今後の生き様が語られる。
脚本・演出の大倉良介氏は当日パンフでタイトル「クロス」について、公演に関わった人々への御礼のような言葉として書いているが、自分は「時代と人の関わり」を掛け合わせているような感じを受けた。
いずれにしても幕末の史実を基にした歴史考察作品は観応えがあった。
(上演事件1時間50分)2017.9.28追記
ネタバレBOX
舞台はほぼ素舞台。中央に段差があり、引戸の開け方で板戸と障子になる。その違いが場所の違いを表す。上手側に別スペースを設け、書斎風または牢屋を思わせる。
素舞台であるだけに、登場人物が情景・状況を表現しなければならない。そのテンポが一定のようでメリハリが少ないように思う。また場面を動かすために暗転または薄暗くが多用されていたのが残念。
梗概…時は幕末、ロシア軍艦ディアナ号が大地震・津波で駿河湾に沈没する。それを助けたヘダ村の人々とロシア人の交流。また造船を通じて日本がその技術を学んでいくこと。さらには当時の鎖国政策で外国との接点が制約されていたことなど、歴史的事件をベースに、そこで活躍した橘耕斎という人物に焦点を当て、人としての夢や希望を語らせる。そんな歴史考察作品は観応えがあった。言葉は通じなくても心は通う、その瞬間に人の思いを感じる…今の世でもそうありたいと願うもの。
夢や希望は、大きく観れば”時代閉塞感の打破”ということであろうか。世界を変えるには世界を知ること。その言葉に従い、外国(ロシア)への密航を企てる。一方、もう一人の重要人物・沢辺琢磨は目で見たことしか信じない。目に見えない”神”は信じるに足りない。見えるものだけを信じていると目先に囚われ多くの人の事が分からない。心眼が大切と説いている様な…。後々の日本人初のロシア正教会司祭となる。
時代と個人(市井の人々)を対置させながら重層的に描いているが、その物語は時の経過を坦々と描いているようだ。
この地には、日本史の教科書または参考書にある江川英瀧という代官が有名であり、その人物との関わり、またロシア語はオランダ語を通じて日本語へという重訳の苦労、造船技術の違い(竜骨・肋木の構造)など、メリハリを利かせる場面があると思う。
確かに、いくつかのシーンの台詞にもあったが、その苦難が見えてこない。
歴史考察であれば、鳥の目のように俯瞰する時代と、虫の目ように地を這うように観察する時間が融合されたダイナミックなものが…。
次回公演を楽しみにしております。
アンサンブル
劇団ヨロタミ
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2017/09/20 (水) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
個人的には今まで観た公演の中で一番好み。劇団公演で最少人数での上演とのことだが、その少なさが逆に登場する人物の背景を丁寧に描き、少し痛みを持つ人々が寄り添いながら生きている。そして時の流れとともに癒し癒され成長し自立していく姿が感動的に描かれる。
また、いつものように舞台セットを作り込んでおり、視覚で楽しませてくれる。公演は平成時代であるが、その雰囲気は昭和時代を彷彿させる”しぇあ~はうす”である。そのイメージは長屋・アパートを思わせるもので、人情豊かな古きよき時代を出現させる。
(上演時間1時間53分) 2017.9.27追記
ネタバレBOX
舞台セットが素晴らしい(毎公演であるが)。むき出しになっている柱が2本。その中心にこの”しぇあ~はうす-いなば荘”と書かれたガラス戸玄関があり、その向こう側にブロック塀が見える。室内は上手側に1部屋、食堂、風呂場。下手側に2部屋と奥に階段が見える。中央に横長ソファーとテーブル。その他見えないような所に冷蔵庫、食器棚が置かれ、小物も生活観を漂わす。
現在ハウスに住んでいるのは4人(三浦・長谷部・笠原・岩本)。そこに東日本大震災で被災した男・松川(坂本直季サン)、刑務所から出所した男・白倉(大矢三四郎サン)が次々入居してくる。
先の4人…三浦(金藤洋司サン)は小劇場の役者でメインの役柄がない、長谷部(中澤隆範サン)は借金苦の自殺未遂者そしてアイドルオタク、笠原(川嶋健太サン)は苛め・対人恐怖症から新興宗教へ、岩本(勝又保幸サン)はサラリーマン時代にモーレツ社員として家族を省みず、そのあげくリストラ・失踪、という各々の背景が丁寧に説明されていく。
この公演は、前作「代役!」のパロディ、受刑者の苦悩「硝子の途」など、直近過去作品を連想させ興味深く、そして楽しんで観た。先のメイン役柄以外に色々な役柄を担い、その早変わりも見所の一つ。またアイドル公演を思わせるようなシーンも人形を操り楽しませてくれる。セットとともに視覚的な面白さで笑える。
一方、入居者一人ひとりが抱えた人生、その過去が披瀝される都度泣けてくるような心情描写も素晴らしい。その落差ある笑い泣きの対比が実に印象的で上手い。大衆人情劇であるが、あえて主人公を挙げるとすれば、このシェアハウスという場所であろう。この古い建物は、そこに集まってくる人々の温かい善意が凝縮されたような癒し空間である。しかし、老朽化が進み建て替えが必要になってくるという物理的なこと。入居者側も事情や情況が少しずつ変化し、成長・自立の時を迎えている。退去に向けて自然な時の流れは、観ていて納得感と今後の一人ひとりの人生に安心感が持てる。
住人たち以外に、このハウスの大家ならぬ中家(ちゅうや)・稲葉美雪(南井貴子サン)と大家(義父)と夫の2役(中島佳継サン)夫婦の暗い過去が説明される。住人たちだけではなく、登場人物全員が何らかの痛み悲しみを抱えて生きているという重層さ。
演出…アイドルライブを劇中に挿入することで、ミュージカルとは違う音楽劇?を見せ聞かせる。演技は申し分なくバランスも見事である。久し振りの白倉くるみ役の水谷千尋さんのジャージ姿のヤンキー娘とミニメイド服のようなアイドルの一人2役も楽しめた。
次回公演も楽しみにしております。
【第29回池袋演劇祭「大賞」受賞作品】成り果て
ラビット番長
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2017/09/14 (木) ~ 2017/09/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
第29回池袋演劇祭参加作品…2016GREEN FEST賞受賞の再演。前作に比べ演出がシャープになったようで、色々な世界が重層的に観える秀作。会場は同じグリーンシアターでもBASEからBOXInBOXに変わり少し舞台が広くなった分、ワイドへの展開(舞台美術)が観易いのが良かった。
四角い盤面で繰り広げられる勝負…本公演は四角ならぬ視覚も楽しめ、アッという間の2時間であった。将棋という勝負事を芝居として観れば死角なしで、どんどん感情移入していく。自分としては、清々しく”参りました”と言える素晴らしい公演であった。将棋の世界を借りて描く人生譚。
(上演時間2時間) 2017.9.27追記
ネタバレBOX
セットは、中央は左右に開き、上手側は森棋士(井保三兎サン)の将棋道場。初演時に比べシンプルで門下生の木札のみ。それも初段以上は朱書になっている。もちろん将棋における成金をイメージさせる。下手側は森道場の別屋、またはアルバイト先を思わせる。両開閉扉の上部に将棋対局室(将棋盤が中央)。その上下の雰囲気は静寂と熱気というほどの違いがあり、その対比が面白い。
物語は、将棋の世界を中心に、そこに集うまたは夢見た人の群像劇。話は色々な方向に広がるが、いずれも勝負師としての生き様を観(魅)せつける。人間対コンピューター(人口知能=AI)、女流棋士対プロ棋士(奨励会四段以上)、将棋界への未練(セカンドキャリア問題)など様々なシチュエーションを織り込む。しかし、いずれにしても人生・勝負師として真摯に取り組む姿を描く。
梗概は、森棋士の将棋道場に通う天野高志・桂子の兄妹(大川内延公・雪島さら紗サン)。その2人は貧しい母子家庭で育ち、幼い時からこの道場で面倒を見て貰っている。兄は優しい妹思いで、勝負にわざと負けてくれる。妹は女流棋士からプロ棋士を目指す。兄は勝負には優しすぎる性格で昇段できず将棋の世界から離れる。
他方、プロ棋士にはなれず、アルバイトで生計を立てている男が、将棋ゲーム(プログラム)を開発しネット上で話題になる。かくしてプロ棋士対将棋ソフトの勝負が実現する。その勝負の行方は…。
上演前の大盤解説同様、劇中にも中継シーンとして将棋解説をする。だから将棋ファンも楽しめるし、将棋を知らなくても物語としての将棋世界を楽しめる。
さて、兄妹の父親も過去に森道場(初段で朱書の木札が掛けられている)に通っていたことが明かされ、登場しないこの父と子たちの姿なき邂逅も印象深い。そしてコンピューター制御の問題も示すが、それよりも人と人の勝負は、将棋の駒のように心と心が響き合うところに醍醐味があると…。
役者はそれぞれの人物像をしっかり立ち上げ、全体バランスも良い。初演時に比べ洗練?された演出(逆にラビット番長らしいほのぼの感は影をひそめる)が登場人物を生き活きとさせており、笑い泣きという印象付けも上手い。
次回公演を楽しみにしております。
ハッピータイム
バズサテライト!!
高田馬場ラビネスト(東京都)
2017/09/20 (水) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★
シンデレラが王子と結婚した後、継母とその連れ子(姉2人)の物語。後日談としては、シンデレラが苛められていた仕返しをする、ということは知られている。しかし本公演では、継母と姉2人がどう幸せを掴むかに焦点を当てて描く。公演、自分では絵本の挿絵に描かれる、老女ならぬ”美魔女”(その定義はよく知らない)という言葉がフィットしているような気がする。
当日パンフによれば、両チーム延べ18名中のうち9人が初舞台だという。物語は不条理も垣間見え、また”悪意に対するしっぺ返し、報い”という寓意も織り込んでくる。脚本としての物語性は伝わるが、それを体現する演技力が弱い。経験不足や演技力のアンバランスが物語の魅力を十分引き出せていないのが残念だ。新人公演という寛容な気持を持ちつつ、一方観客に対する「時間」と「料金」の対価としての公演としてはどうか。
今後の公演に期待を込めての☆の数
(上演時間1時間30分)【ガラスの靴チーム】
ネタバレBOX
舞台は素舞台に近い。BOX椅子が数個並んでいるだけ。場面に応じて移動させ、状況を表出する。セットという視覚の援助がないことから演技力が試されるが、その表現には経験不足の感が否めない。
醜顔の王子は、結婚相手を選ぶため舞踏会を催した。そこで見初めたのがシンデレラである。もちろん義理姉たちも参加したが、あまり気乗りではなかったのが本音であろう。そもそも長女には付き合っている人がいる。王は結婚出来た事、祝宴での料理が評判だったこともあり、シェフ(実は長女の彼氏)に何でも望みは叶えると…。
彼女の義父(シンデレラの実父)は、女を騙してばかりで、今獄中にいる。その男を審判無く極刑にしてほしい。まさか実行するとは…悔悟と慄き。王にしても彼にしても(義)父親殺しにほかならない。ちょっとした悪意の感情が取り返しが出来ず自分を責め、他人を苦しめる結果になる。情況の因果応報的な展開が観える。さらに王と彼の関係が…。ラストシーンでは、それまでの展開を覆すような。公演全体は、はっきりと姿を見せない(憑依した)魔女(経済・金融用語にある”見えざる手”」に支配されているようだ。
彼の王に対する恨み辛みから発した言葉、貧民と王族の暮らしには不平等がある。しかし彼女の母からは、人は生まれながらにして不平等である。平等なのは①生まれ死ぬこと、②1日が24時間であることの2つのみと諭される?不条理を受容するかのような発言は印象的であった。また貧富の差に対する意識の底には、見栄がある。これに対しても見栄を張らずに意地を張れと激励する。寓意あるコメディ…その面白さが伝わればと思うと勿体無い公演。
次回公演を期待しております。
しろつめくさ の、はなかんむり
teamキーチェーン
シアター711(東京都)
2017/09/14 (木) ~ 2017/09/18 (月)公演終了
満足度★★★★
終演(千穐楽)後、作・演出のAzuki女史から、この作品には粗筋がないと…。そして当日パンフにも「フライヤー、題名、「ありがとう ごめんなさい」の二言のみに作品の思いを込めました」とある。自分の感覚からすると「ごめんなさい ありがとう」と言った印象である。言葉とは不思議なもので、その並びによってイメージが違うように、物語の展開も同じではないだろうか。
「損得勘定」という言葉を聞くが、「損」は「得」よりも気持が後に引く。「得」はいつの間にかそれが当たり前になっている。公演も「笑い泣き」といったように、先に笑わせ弛緩させておき、泣きでギュと心を締め付ける感情で印象強くなる。主人公の生き様を考えると、「ごめんなさい ありがとう」という順がシックリとくる。そんな心魂が揺さぶられる物語であるが、自分は2020年の現実的なことを想起した。
野草に目を留める静かな行為に、様々な命が形作られる。この世のかけがえのなさ、又は無常を思わせるような珠玉作。
(上演時間1時30分) 2017.9.23追記
ネタバレBOX
セットは、上手・下手側にベンチのようなもの。やや下手側奥に野草が生えている。不思議な壁面に蔦が巻き付いており、全体としては公演イメージ。ここで暮らしているホームレス達の坦々とした生活が物語の中心、そして主人公ヒカル(マナベペンギンさん)の熱誠が感動を誘う。
2020年の東京オリンピックを前にホームレス対策を講じたものを想起したが、Azuki女史に確認したところ違うという。パンフには「其々のスタイルで観て、其々の視点で見えるモノが生まれ、伝えたい言葉が産れて欲しい」と書かれている。作品の底流にあるのは理由(わけ)ありの人々の視点から見た、人の温かさ優しさをしっかり見つめたもの。その受け止め、感情は観客によって様々であろう。
公演では、普通の人々がどちらかと言えば悪者のようになっていく奇妙な描き。常識と思われるような気持が、ホームレスへの優越、憐み、偽善のように映るから嫌悪感、悪意ある者になってくる。”小さな幸せの積み重ね”…大きな政策(行政)的観点で捉えると、人間にフォーカスした物語の繊細さが見えてこないようだ。
公演全体は、詩的な雰囲気を漂わせ、感情的な表現を前面に押し出してくる。例えばヒカルは発達(知的)障害があり、話が出来ない。その彼が”しろつめくさ”を無言で差し出す姿。純粋な仕草は、ヒカルの人生の厳しい現実から引き離す役割を果たし、隠喩的で夢のような世界観を見せる。ラストシーン、見るのが辛い場面を浄化するようだ。ヒカルは台詞がない、その沈黙が逆に純粋、真摯さを浮き立たせる。
公式パンフは三つ折り…Azuki女史によれば過去・現在・未来を表しているという。ヒカルのこれからに光が、そんなことを願いたい。
次回公演を楽しみにしております。
ノー・サイド NO SIDE
トツゲキ倶楽部
小劇場 楽園(東京都)
2017/09/12 (火) ~ 2017/09/18 (月)公演終了
満足度★★★★
公演は3話オムニバス形式で、ラストには緩く繋がってくるという手馴れた手法。チラシにある東京タワーでの出来事(話)が起点(契機)になっているが、それは1話目の台詞を聞き流すと意味が分からなくなる。饅頭のように真ん中(餡=2話目)が結構重みがある内容だったと思う。
基本的な舞台セットは同じで、出入り口の対角線上にBOX椅子が数個並び、壁に幾つかの竹簾のようなもの。オムニバスで異なるセット(小物)は、掛けられている掛色紙、顔写真、レイという違いだけである。
(上演時間1時間50分) 2017.9.23追記
ネタバレBOX
第1話は大学の研究室。タイムマシンを開発した教授とその教え子の会話から、教え子が過去に行きたいと。しかし時空間移動は映画「バック・トゥー・ザ・フィーチャー」のように単純ではなく、物理学上の制約が数多くあることを興味深く説明していく。東京タワー展望台のアベック…高校時代の早熟なプロポーズ。「『自我を捨てる 雪だるまになる』と書かれた色紙」が掛けられている。
第2話は入国管理室。入国審査で不適格になった男2人を女性入国管理官が調査・審査する。最近のアメリカは観光と称して不法滞在者が増加している。移住する人々が増加したことによる入国審査が厳しくなる。どうしても入国したい男たち。自己主張が出来ない男たちの右往左往する様が、優柔不断と思われがちな日本人らしい姿を表しているよう。「トランプ大統領の写真」が掛けられている。最近は優柔不断ではすまされない”有事不断(普段)”の状況のような…。
第3話は、ハワイの結婚式場。挙式にサプライズを計画している新郎。一方、新婦には妄想癖があるのか、マリッジブルーなのか、心配事が尽きない。新郎はマイペースで、その言動の端々に新婦の心は翻弄される。新婦には幼い時に行方不明(失踪?)した父が…。「レイ」の一部が飾られている。
3つの話が緩く繋がって、それぞれの話の中でいろいろな問題が起きていたがどうにか乗り越え、また解決してきたように描く。タイトにあるラグビー用語の「ノーサイド」に結びつけるが、一方、曖昧な態度は「ノーコメント」を思わせる。
さて、トランプ大統領にみる移民政策(第2話 入国管理のシーン)など、世界が直面する様々な問題を照らし出した上で、人と人の繋がりや理解に未来への希望を見出す。自分と違う考えの世界の人に対しても寛容にならなければ.…コメディタッチながらしっかり主張するところは、トツゲキ倶楽部らしい公演であった。
キャストの演技は飄々としているようだが、その浮遊感と内容の重厚さが絶妙なバランスを成しており、観応え十分であった。
次回公演を楽しみにしております。
すずめのなみだだん!
やみ・あがりシアター
Route Theater/ルートシアター(東京都)
2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了
満足度★★★★
信仰と教育という、どちらも精神的なことに左右される。その目に見えない内容を、物語化して概観を伝えられるところに脚本・演出(笠浦静花 女史)の力を感じる。
自分は、この公演からアニメ映画「魔女の宅急便」を思い出してしまう。「郷に入っては郷に従え」という言葉があるが、今いる信仰の環境・世界から別の世界を覗いたとき、そこに見える社会・世界はどのように映るのか。そこでの生活を通して自分自身がどう変わるのか、変わらないのか。そんな問いかけをしている一種の寓話のようだ。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
冒頭は、キャスト全員が地を踏み鳴らすような仕草・動作をするため、一定のスペースを確保した素舞台。暗転後、場面は教室内もしくは靴屋をイメージさせる。正面に黒板、客席寄りに授業スタイルに机と椅子が並べられる。
”だだん”に聞くという台詞に連動する動作が、裸足で地面を踏み鳴らすこと。誰かに聞くのではなく、自分で考える又は地(球)と対話することを示すのか。この一連の動きに信仰性が見える。一方、主人公すーちやん(鈴木茉唯サン)が通い出した夜間学校は教師の授業を中心に生徒同士が教え合う姿もある。まさしく”教育”現場である。
主人公以外の脇役(生徒達)は、物語の奥行きを持たせるためだけに登場し、最悪「目の保養」でしかない場合がある。公演でも女性キャスト達が水着姿になったが、そこには意味があったようだ。
”縦の信仰、横の教育”というようにカテゴライズして捉えると、心の自由度というか思考・視野が狭くなると思う。例えば、地球の形。信じていることが事実と異なることを教わる等。信じていたことへの疑問、それによった直接地に足を付けられない(敷物の上の生活が始まる)。
物語は、主人公す-ちゃんとその連れ すずき(加藤睦望サン)が中心であるが、その周囲にいる人々の生活も面白可笑しく描く。先に記した信仰と教育は、精神的なことかもしれないが、一方”性(誤妊娠)”を通して生身の人間も描く。この劇団の「マルカジット マーカサイト」という公演でも宇宙船という特定空間の中での性欲を描いており、精神・肉体のどちらも大切だと…。
「魔女の宅急便」は、主人公の少女キキが、見知らぬ街で偏見・好奇を乗り越え成長する姿を描いているが、いつの間にか人の優しさ=人間らしさに魔法の力が弱まる。相棒の黒猫ジジとの会話も出来なくなる。
公演でもすーちゃんがいる今の世界に慣れ、相棒の すずきが飛べると思って落下する等は、郷に入ったからではないだろうか。ラスト、すーちゃんは自分の意思で靴を履くが、その先の生き方は観客に委ねられたようだ。
次回公演を楽しみにしております。
笑顔。(すまいる)
劇団光希
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了
満足度★★★★★
「子供叱るな いつか来た道、年寄り笑うな いつか行く道」といった言葉があったと思うが、今の社会で大きな問題となっている事柄を家族の観点から捉えた秀作。一般的に高齢者が発症すると思われているが、公演では若くして発症したという設定で、観客に問題の広がりと深刻さを示す。現在は”痴呆”から”認知症”という病気であることが知られ、その行動・行為の特徴をうまく物語の中に溶け込ませている。だからこそ、観客の中には介護経験の過去記憶または現在進行における共感を呼び感動に浸ることができる。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
セットはしっかり作り込んでおり、場内に入ったとたん、そこはうどん処「たまや」の店内、という世界観が広がる。中央奥に厨房、上手側に上がり座敷、正面にテーブル席、カウンター席。下手側に出入り口、暖簾、そして外には簾が見える。他にも細々とした調度品が置かれ臨場感たっぷりである。
また、夏から冬への季節の移ろいを感じさせる衣装替は、時の流れを感じさせる見事な演出であった。
冒頭、映像で楽しい雰囲気を見せ、芝居へ引き込むという手馴れた演出。登山(弥勒山?)客がこの店の評判を聞き来店していることによって、店が繁盛していることが分かる。当日パンフでは、この店は東京から1時間ちょっとと書かれていたが…。その距離で”うどんで有名な街”は埼玉県加須市を思う。一方、弥勒(迦葉山)というと群馬県、そして水沢うどんを思い出す。細かいことであるが、この土地(地理)が気になったのは、後々、介護問題(経済面)で直面した時のことを考えると…。
店主で主人公の吉村アキ(音無ミ弥サン)は一人で子供4人を育ててきたが、長男を10年ほど前に交通事故で亡くす。今は二男と二女と一緒に店を切り盛りしているが、そんな中、若年性認知症になっていることが分かる。認知症の特徴である、人物・摂食・道順さらに公演では致命的な味覚の忘れが顕著になってくる。本人の健気さや不安が交錯する様子。一方それを見守る家族の心配や憂鬱も見えてくる。
公演は、認知症になった本人の視点から描いている。その気持を推し量るには、当事者のようにならないと難しい。一方、介護する家族の視点にすると、生活面はもちろん経済面にも負担が大きくなることが解る。人間ドラマか社会ドラマか、その視点の捉え方で観客(自分)の受容も違うように思う。いずれにしても、物語性は豊かで思わず感情移入する。そして認知症は家族だけではなく、ケアマネージャー等専門家や地域での支えも大切。公演では専門医の登場、近所の人達の温かい見守りとして描いている。そこにしっかり泣き笑いが織り込まれ感情が揺さぶられる。
自分でも肉親の介護を経験していることから、物語の内容は十分理解できるつもり。もっとも子供の視点であるが…。
豊かな情感をたたえていながらも、ノスタルジーや感傷に浸ることなく、力強く前向きな、そんな人間讃歌を思わせる。
卑小…先に記した土地のこと。東京への転勤(栄転?)の話があったが、介護のため転勤を諦めたようだ。1時間ちょっとの通勤時間であれば、今後の金銭面を考えれば通勤範囲のような気もする(公演では別の形で療養費が見込める)。
次回公演を楽しみにしております。
ボクとママと発達障がい
NOS(Natural one style)
劇場MOMO(東京都)
2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
行政の啓蒙劇のような感じもするが、発達障がい(公演では「自閉症」)の子を育てている家族、また関わっている人々の大変さがしっかり伝わる感動作。
基本的な構造は、会話劇。台詞は役者同士に向けられるのではなく、どちらかと言えば観客に向かって問いかけ、投げ掛けに近いように感じた。
公演は,発達障がいの子がいる家族(特に母親)のブログの内容を基に制作していることもあり、その内容はリアルで世間ではあまり知られていないことが多いと思う。
(上演時間1時間10分)【Bチーム】
ネタバレBOX
舞台正面に色々な絵が貼り合わされて、一枚の大きな絵を構成しているように見える。絵は肖像画、人物画が多く人との関わりの大切さを訴えているかのようだ。客席に向かって尖頭するように並んだカラーBOXソファー。そこにキャストが背中合わせに座る。客席寄りのテーブルにはパソコンが1台置かれている。天井には2本の傘が広げたまま、それぞれ正・逆に吊るされている。カラーBOXは、座っている人物がいる場所、立場等を表わしている。それを移動させることによって、状況表現する空間を演出する。全体的に幾何学的な構成に感じるが、BOXの移動によって状況の空間が見えてくるという巧みなもの。
発達障がい(自閉症)は、その特徴が捉え難く、対応が遅れがちになるという。この病は先天的(遺伝的)ということで、何で自分の子が…そんな気持ちになり、自己責任(または配偶者に責任を押し付ける)に苛まれるところが辛い。また病は潜在的な人数も含め相当数いるらしいが、対処の仕方が知られていないことから、家族等にとっては悲劇的である。障がいは”個性”として受け入れることが大切だという。
公演の狙い(「自閉症」の対処は個人で抱え込まないこと)はここにあり、その周知と啓蒙の色彩が強いのはこのためであろう。もちろん、物語はリアルな状況を次々に突き付けてくるから観応え十分であり、ラストは感動を誘う。リアルな状況は、家族という私的(人間的)な面と、公的(制度上)な面、という両面からアプローチしている。例えば、母親はキャリアウーマン(パソコンが象徴)として仕事、家庭を両立させていたが、子の施設・病院への付き添いで思うように働けなくなる。先天的な病のため夫婦間でその原因責を言い争う等。一方、公的な面では子が腹痛になり救急隊を呼んでも、内科・外科病院は自閉症(精神科が併設が必要らしい)ということでなかなか受入れてくれない。現場の救急隊員の焦りと苛立ち。
場面転換の際、滴が落ちる又は雨音のような音が…とても不思議な気持にさせられる。演出は公演核の部分を伝える、そのことに集中させるためシンプルである。
演技はゲネプロということもあったのか、少し硬い気もしたが、伝える内容の重さの方が上回りしっかり考えさせられた。
次回(本公演)も楽しみにしております。
SHERLOCKIAN Aの項目
Project S.H
ワーサルシアター(東京都)
2017/09/13 (水) ~ 2017/09/18 (月)公演終了
満足度★★★★
会場に入ると、そこはシャーロック・ホームズの部屋が出現したかのようだ。また登場人物の衣装も当時の雰囲気を思わせるもので、まず視覚的に楽しめる。もちろん、彼は世界的に有名な名探偵であり、次々に事件解決の依頼がくるが…。本公演でも某機関から事件解決にむけての協力要請があり、現地に行くことなった。このメインとなる事件の解決のプロセスをテンポよく観せているが、その謎解きは物語性に重きをおいたように思う。観客に事件に関する材料をすべて提示し推理させるというよりも、仔細は省略し物語の世界を楽しんでもらうことを優先したようだ。そしてメインとなる事件の解決で幕引きかと思われたが、本当の主題は別に…実に巧みだ。
脚本(ひろ氏)は面白く、それをビジュアル的に印象深く観せる演出(浮谷泰史氏)、また主役のシャーロック・ホームズ(下田修平サン)が実に魅力的だ。
1887年、シャーロック・ホームズが初めて登場してから今年で130年。その130周年お祭り企画第一弾、観応えがあった。
(上演時間2時間) 2017.9.23追記
ネタバレBOX
セットは、上手側に大きな机・椅子、書棚、下手側にソファー。窓から日が差しており柔らかい雰囲気である。ロンドン警察からの依頼がメインの事件であるが、資産家の主人が失踪した。その行方は…。この家に残された妻、執事、新しく雇われたメイドがいるが、過去に起きた別事件からこの家の秘密と失踪の理由が明らかになる。この事件は、シャーロック・ホームズの推理によって解決する。
物語は、これで終わりにならない。先の事件解決にあたって多くの人物が登場するが、事件に関係ない人々もいる。当日パンフにはホームズとの関係、いわゆる相関図が書かれている。先の事件は劇中劇のようで、本来の梗概は、ホームズと登場人物たちの関係が次々明らかにされる。その意味でホームズの人物評伝と言える。ホームズには失敗、ましてや解決できない事件はないと思われているが、やはり人間である。その人柄なりは、興味を持った事件だけを扱い、それ以外の資料はゴミのように放置している。その勝手気ままな様子や女性に対する思わせ振りな態度が誤解を招く。完全な人などいない、その人間味溢れるホームズが魅力的に描かれており、観応え十分であった。
演技は初日ということもあり、全体的に硬い感じもしたが、セットや衣装、また照明等の視覚が補っていたのが好い。
最後に、ホームズの兄から来た手紙は何だったのか気になるが…。
次回公演を楽しみにしております。
君の名前を藍色の空に呟いた。【ご来場ありがとうございました!】
劇団えのぐ
南大塚ホール(東京都)
2017/09/09 (土) ~ 2017/09/10 (日)公演終了
満足度★★★★
大きな事件が起きるわけではない。誰もが過ごしたであろう日常(夏・夏~)が淡々と描かれる。その等身大の青春が観ている者の気持にフィットする。人の気持、特に好きになることとは…少しネタばれになるが、好きになることに理由が必要なの、とは劇中の台詞である。この劇団(作・演出は佐伯さやか女史)らしい、ちょっぴり切なく、しかし底流には人間讃歌が見える珠玉作。
(上演時間1時間40分) 2017.9.16追記
ネタバレBOX
会場に入ると、そこは「ふじい食堂」の店内と店前の敷地、道といったところ。上手側に厨房、下手側が店出入り口。店内の正面壁にはメニューの貼紙、テーブル席、扇風機。屋外には祭り提灯、ビールケース、虫取り網、朝顔など、夏を思わせる小道具が置かれている。
物語は、主人公とその友人達の中学3年から26歳位までを中心とした約10年間に亘る青春物語。男女各3人の中学生、主人公の妹とその友人達(男女各2人)が織り成す甘酸っぱくも切ない恋愛話。近く(隣り)にいるのが当たり前と思っていた人がどこかへ行ってしまう。離れて初めて知るその人への思い。ドラマチックな熱愛と違い、もどかしい気持の表現が上手い。
話は”何か大きな事件”を見せ場とする訳ではなく、その辺に居そうな若者、その等身大の人物が過去の自分の気持と共鳴するようで、素直(うまく)相手に気持を伝えられない不器用さが愛しくなる。事が起きたのは、守ってあげたい人が、その夫に家庭内DVを受けていること。助けを求める彼女の元へ、同じ時、自分の恋人との待ち合わせをしていたが…。恋人よりも助けを求めた彼女を優先したことで恋人との関係がギクシャクし出す。特別なシチュエーションではなく、同じような出来事がありそうだ。その日常性の中に、人の感情の機微をサラッと描く上手さ。
登場人物の性格や関係性は、妹の夏休みの宿題作文を引用して、効率よく紹介していく。早い段階での紹介であり、物語の状況認識に大いに役立つ。学生時代からの友情は社会人になっても続いているが、それは”地方”という土地柄のせいであろうか。その地方の風物詩、花火を表す照明と音響が物悲しく思えてしまう。大輪の花火のような派手さはないが、いつまでも余韻に浸れる線香花火のような…。本公演のイメージは、そんな印象に残る作品であった。
君の名前を”愛”色の空に呟くことになるのだろうか。ラストシーンは随分前に思い描いていたと…。
次回公演を楽しみにしております。
箱庭のトリレンマ
9-States
小劇場B1(東京都)
2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了
満足度★★★★
タイトルのトリレンマは二者択一ならぬ三者択一という意味。登場人物3人の視点から同一場所・同一時間帯を眺めた物語。何度も繰り返されるシーンは、説明にある通り、友人を助けようとする行動とその時々に微妙に変化する状況に対応している様を表現している。誰の視点で、時間のどの瞬間へ戻っているのか見極めるのが難しい。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台は、某公園(箱庭のイメージか?)。そこに集まるボランティア集団の人間関係をシュールに描く。中央に段差を設けたサークル(円形ベンチのイメージ)。公衆トイレ、ゴミ箱、自動販売機、ベンチ。周りはレンガ壁で、蔦が巻き付いている。両サイドにモニターがあり、日にちが表示される。これによって現在を知ることが出来るが、物語の展開の中で知る(判断)には難しい。
小学生時代からの友人であるが、性格は異なり互いの欠点を言い合っている。現在でもボランティア活動を通して関係は続いている。しかし殺意を消し去ることが出来ず、夢か現か幻か…その立ち位置が判然としない。さらに殺害を止めようとしている別の友人の行動は、殺害を阻止したのか実行されたのか、その識別も難しい。3者三様の思いと行動が交錯し、同じような場面の繰り返しが冗長に感じることもある。
ジレンマ(両刀論法)がその選言的前提において二つの選言肢を有しているのに対し、三つの選言肢をもつ。三人がある選択を迫られて窮地に追い込まれていることは十分分かる。人間関係…議員の息子、ボランティア組織の副会長だが、実質的なリーダー。一方肩書きだけの会長で、特に取り柄のなさそうな人物。この両者が相手の性格を罵りながら行動を共にしているという不思議さ、人間関係の妙を思わせる。
また、人間の本音…厭らしさ、偽善(ボランティア)、エゴ、自己肯定または否定などがむき出しになっている。
人の類型を表現しつつ、もしあの時…という仮定の話は、その時点で状況が変化することによってその後の状況も変化する。その違いが劇的であればあるほど面白いと思う。しかし、行動(行為)と結果の因果関係が少しずつ違ってくるが、それは表層の見た目だけ。状況の変化は、逆にその人間の本質(性格)へ迫る(問う)ものが見られれば…その点が少し残念に思った。
次回公演を楽しみにしております。
「売春捜査官〜ギャランドゥ」「熱海殺人事件」
株式会社STAGE COMPANY
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/09/05 (火) ~ 2017/09/10 (日)公演終了
満足度★★★★
初日「売春捜査官」を観劇、最前列椅子前に急遽ベンチシートを増設する盛況ぶり。
いわずと知れた つかこうへい の熱海殺人事件の別バージョン。初演以降、基本的な展開構造は変わらず、今なお進化を続けている作品。
つかこうへい の名前の由来と言われている、い”つかこうへい”にという思いが十分伝わる公演であった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットはほとんどどの公演も同じで、真ん中に古ぼけた大きな机。その上に黒電話、捜査資料が置かれている。
物語の底流にあるのは、色々な差別に対する鋭い批判。女性軽視、ホモというマイノリティ、在日朝鮮人という人種差別などである。同じ人間でありながら差別、被差別という用語が生まれる。敢えて痛みを穿り出して、差別を浮き彫りにする手法は脚本の力。それを体現するには役者の力量が試される。公演は冒頭の大音量音楽…チャイコフスキー「白鳥の湖」に負けず劣らずの大声量で始まる。終始テンションは高く、その伝えんとする思いは十分解る。
また人間的な差別と同様、地域における格差も見え隠れする。長崎県の五島列島での貧しい生活。集団就職しなければならない境遇など地域社会に対しても問題の提起をする。人間の本質(深淵)、社会という環境・状況という世界観の深みと広がり、そのテーマの捉えは今なお色褪せることなく、逆に鮮度が増すようでもある。
この公演は、今まで観た「売春捜査官」に比べると、一層差別化を際立たせたように思う。例えば万平を禿げ・ホモというセット台詞で罵倒する。身体的なこと、弱・少数者などを差別することによって、痛みが浮き彫りになる。それを先鋭化すればするほど人間愛を思わずにはいられない。
桜田聖子さんの木村部長刑事は、序盤こそ声が擦れて、という訳ではないが力強さが感じられなかった。しかし、除々に男たちを圧倒する部長刑事の姿になる、その生き活きとした変貌ぶりも楽しめた。
また犯人、大山金太郎が13階段を上るのではなく、登場は客席後方からスポットライトを浴びながら階段を下りてくる。つか作品は人物造形がはっきりしているが、更に登場の仕方、ダンスなどの演出で公演全体をデフォルメして印象付ける。そして常に高いテンションが求められる作品であるが、終始熱量・集中力が感じられる仕上がりで、観応え十分であった。
次回公演も楽しみにしております。
イジメがあったという事実は確認できませんでした
teamDugØut
明石スタジオ(東京都)
2017/08/31 (木) ~ 2017/09/04 (月)公演終了
満足度★★★★
初日観劇…面白い公演という事実は確認いたしました。タイトル通り「苛め」を取り扱った内容であるが、その原因・理由となったことの問題の深刻さに胸が痛む。
”神は細部に宿る”という言葉を聞くが、この公演舞台セットもしっかり作り込んでおり、視覚から物語に引き込んでいく。そして物語が進行する中で、情景が鮮明になり、また観客に心象形成させる空間になり、いつしか装置と内容が溶けて現実と想像が混然一体となる。
冒頭、6年に一度しか咲かない蘭(ラン)の花を持ち出し、その隠された花言葉のようなものが、この公演の根底にあるテーマのようだ。苛めを扱うことから、公演では実際頭を叩かれるシーンがあったが、自分は別の意味で頭を叩かれるような衝撃を受けた。
なお、気になることが…。
(上演時間1時間40分) 2017.9.2追記
ネタバレBOX
この劇場は客席に段差があまりないため、演技でしゃがむシーンがあると後列からは観難くなると思う。今回も前3列はベンチシート、後3列が椅子席だった。自分は椅子席の最前列に座ったから観えたが…。舞台(板)にしゃがむ又は下手側のパソコンルームのシーンは観難かったのではないか。演出で工夫の余地があるのではないか。神も細部を見たいと思うのだが…。
また、初日で緊張していたかもしれないが、台詞を噛むことが多かったのが少し残念。
セットは、サクラ小学校の職員室。上手側に教師の机、ホワイトボードのスケジュール表、下手側には教頭の机。下手の客席寄にパソコンルームをイメージさせる空間。職員室と分からせるため壁で仕切られているが、そこには窓があり、その奥にもリアル感を持たせていた。
梗概…生徒の一人が歩道橋から落ちた。自殺は事故か判然としないが、重体とのこと。この生徒は苛めにあっていたという噂もあり、それを苦にした行為ではという憶測が教員、職員室にいたPTA役員の母親の間で取りざたされる。生徒は父親の職業の関係などで転校を繰り返し友達が出来ない。この小学校では親友が出来て、とても喜んでいた。しかし、転校の理由は福島県双葉町の出身ということ。東日本大震災により放射能の影響を気にする子供の親達。友達が出来ても親の拒否反応が子に伝わる。転校生の嘘と素性を自分の子へ話した。その結果、嘘を言われたことが悔しくて苛めが行うようになる。親は苛められていた子が日記を書いており、それを回収したく学校に来ていた。これを本筋に、脇筋として別のPTA母がわが子が私立中学受験に有利になるよう画策(モンスターペアレンツ風)、ノートを回収しようとした両親は夫の出世のため押し売りボランティア。さらに苛めを受けていた子が脅されネット詐欺を働き、刑事が学校へ乗り込んでくる。
それに対する教師の対応は、自身の保身のため「いじめがあったという事実が確認できなかったことにする」というもの。苛め=学校(教師)の落ち度は、インターネットでのバッシングに晒され、地位、職を失いかねない。現実の社会でありそうな対応。職員室での苛めがあったか否かの確認は、一喜一憂、漂流するかのような議論。苛めがあったことを示唆するような出来事を見逃し、対応も自分の都合・勝手なことばかり。
蘭の花が咲くと不吉なことが起きる、その言葉の重み。今日にも咲きそうな…そして6年前に咲いたのが、2011.3.11という。東日本大震災から6年が経つが、その復興は進んでいるのか。既に過去のことのように忘れてしまっている自分に衝撃を受けた。単なる「苛め」ではなく、社会的な出来事を契機にした、世間の偏見へ鋭く迫る内容。
この公演は、主人公(宮内千奈サン)の非常勤教師(正教員でない)と苛めを受けていた生徒の1人2役の熱演が良かった。当日パンフでは初めての主演と書かれており、その重責を果たしたと思う。他の役者も教師、PTAの立場など、しっかりキャラクターと役割を体現していた。すべての役がはまり役のようでバランスも良い。
次回公演も楽しみにしております。
あの樹の下で
劇団グスタフ
シアターグスタフ(東京都)
2017/08/24 (木) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
初めての劇団(もちろん劇場も)の公演、ホームページで所在地を確認したところ、最寄(喜多見)駅からの道順が少し複雑のようであった。しかし要所でスタッフが案内をしており、丁寧な対応に好印象を持った。
公演は、チラシの説明にあるように現代の大学生(2年生)が沖縄へ行くが、何かのキッカケで太平洋戦争中の沖縄にタイムスリップするというもの。このシチュエーションは多く上演されており、新鮮味はあまりないが、その事実の前では脚本・演出・演技等が変わっても、戦争という不条理のテーマは色褪せないし陳腐化もしない。
この劇団の特長は、舞台構造を活かし、事実の具現・役者による体現という視覚化が上手い。さらに戦時中という臨場感・緊迫感が分かる音響・照明という舞台技術が印象・余韻を残す効果を出していた。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
この劇場は奥行きがあるよう。冒頭、紗幕に遮られているが、樹のようなものと女性2人のシルエット。幕返しをすると連立した衝立が見える。それを背景に大学キャンパスの休憩場所(椅子が置かれているだけ)を見せる。暗転後、衝立がなくなると”ガマ(’洞窟)”の断面を思わせる観方。全体を岩、土をイメージさせるため凹凸感を出している。壕の痕は、2階部を設え、1階部はより戦時中をイメージさせる作り。一瞬にして観客を1945年春・初夏へ連れて行く。その1階部は、上手側に二段ベット、下手側は術台。外部への出入り口は上手側の階段を上る。見事な造作である。
梗概…キャンパスライフを謳歌する女子大生(4人)。アルバイト兼夏の思い出作りとして沖縄に来た。探検と称して洞窟に入ったが、何かのはずみで太平洋戦争中の沖縄へタイムスリップする。そこは沖縄師範学校女子部(沖縄県立第一高等女学校も)-通称「ひめゆり学徒隊」として従軍命令が出された。戦場に送り出された女子部は日本の勝利を信じ、野戦病院で献身的な看護活動をしていたが…やがて沖縄は「鉄の暴風」が吹き荒れ苛烈な戦場へ。そこで見聞き体験したことは凄惨を極めることばかり。平和が当たり前の現代と、戦時が日常の当時のギャップを女子大生の視点で描く。
国家(大儀)の前に個人(尊厳)の存在は否定される。麻痺した思考、それは戦後を知っている女子大生達でも当時の人々を説得出来ない。軍国主義、戦争という異常事態が、兵士だけではなく沖縄国民を巻き込んでいく恐ろしさ。
負傷兵の治療は麻酔もなく腕を切断、青酸カリで服毒自殺、手榴弾による自爆死、泣く赤ん坊の薬殺、軍優先による民間人見殺し、投降しようとする民間人をスパイ容疑として殺すとう錯乱した行為。これらの事実(シーン)を積み重ねることで不条理を鮮明にしていく。事実はセットや小道具、衣装・メイクで具現、視覚化することによって観客の想像に委ねない。しっかり観せることで悲惨な出来事を手放さず、曖昧にしない。
一方、音響・照明という技術は観客の心を揺らし響かせる。この”具象”の見せ方が実に上手い。そして劇中歌、相思樹(別れ)の歌は、女優陣の安定した歌唱がとても印象的で落涙する。
ラスト、現代に戻った女子大生の胸に去来するものは…、それは観客の思いも同じではないだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
金色夜叉『ゴールデンデビルVSフランケンシュタイン』
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2017/08/18 (金) ~ 2017/08/27 (日)公演終了
満足度★★★★★
金色夜叉(「尾崎紅葉」作)とフランケンシュタインを登場させる物語は、面白可笑しく繋がるが、それ以上に明治という時代背景を意識した戦争批判物語はとても観応えがあった。
(上演時間2時間30分 途中休憩10分)
ネタバレBOX
舞台セットは、この劇団の定型化…左右対称の壁に窓ガラス。中央の入り口というシンプルな造作。それゆえダンス等のパフォーマンスを行うスペースが広く確保できる。また上手側には螺旋階段等があり、この階段場所や客席通路、舞台と客席最前列の間のスペースを利用し、ダイナミックに観(魅)せる。
物語のベースは「金色夜叉」であり、時代設定も小説が書かれた明治30年頃。日清戦争に勝利するが、多くの死傷者を出すことになった。その屍=”腐乱と死体”を声(台詞)にすると”フランケンシュタイン”に聞こえてくる。戦争には多くの人間が必要になり、人造人間フランケンシュタインが必要になり実験を行うが…。国は人口増(出産)に方向転換し、戦死者は人柱そして神として靖国神社へ。人造人間を作るのが大門博士もしくはデーモン博士は漫画でも人造人間と関わっていたような。その人物像は、大悪人(物欲、色欲など)から大黒天(戦闘)に繋げるところなど、シャレと比喩を織り込む発想に驚かされる。
さて、金色夜叉は金権、拝金主義への風刺であるが、本公演はそこに戦争批判が絡んでくる。もちろん、この劇団ならではのお色気、ダンス・アクション、歌という視聴覚を刺激してくる演出は楽しめる。
梗概…間寛一は鴨沢宮が金(ダイヤモンド)に目がくらみ、裏切り行為から高利貸しになり、というのが小説(未完成)。公演では、「愛」と「復讐」の狭間に揺れ、亡くなり人造人間として蘇る。そして赤樫満枝、通称アイスクリーム(氷菓子=高利貸し)の手伝いをするようになり、アイスクリームは寛一に恋をする。寛一のもとへ宮が訪れ、裏切り行為を詫びるが、寛一の主体性のない態度にも非があると責める。同居・許婚という状況に甘んじていたのではないか。アイスクリームと宮による寛一を巡る刃傷の愁嘆場。その結果、2人の女性は亡くなり、再び2人の女性を人造人間へ。
ラスト、寛一を中心に纏わり交じわる2人の死体が、妖艶な肢体・姿態の絵画のように描かれる。中心にいる寛一が主体性を持ったのか、それこそ「婦乱間主体淫(ファランケンシュタイン)」のようだ。金権腐敗、戦争批判という社会の視点と男の懊悩、女の情念という個人の視点。鳥のように高みから俯瞰し、虫のように地を這い観察するような面白さ。その観せ方は、強欲の黄(光)色、色欲を妖艶な姿という具体的なもの。観客の多くが、物語に潜む指摘と表層に観える面白可笑しさという両面を感じることが出来るであろう秀作。
次回公演を楽しみにしております。