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『50ans,j’yvais!(サンコントン ジヴェ!)50歳の私が20代の彼と結婚する方法』

『50ans,j’yvais!(サンコントン ジヴェ!)50歳の私が20代の彼と結婚する方法』

Sky Theater PROJECT

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2017/11/07 (火) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★

笑い笑いの連続であるが、それは卓越したセンスの良さが、観客の笑いのツボを押さえて放さないからだろう。喜劇で重要なシチュエーション…それを誤解、勘違い、思い込みなどを上手く構成し笑気(場面ごとに違う微笑・小笑・爆笑など)の坩堝である。見せ場は、もちろん年に差がある男女が”愛”を武器にして世間体という障害をいかにして乗り越えるかというところ。それは「婚活」だけではなく「就活」など、何らかの活動を絡め、人の機智が感じられる秀作。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、ある地方大学の女子寮ラウンジ。中央に丸テーブル・椅子、上手側には冷蔵庫、食堂に通じる廊下。中央奥に飾タンス、伝言ボード、下手側にも丸テーブルと椅子、二階へ上がる階段がある。壁には「男性は部屋に入れない 泊めない 侵入させない~寮監」と書かれた注意書が貼られている。室内は全体的に明るく物語の雰囲気そのものである。

物語は、佃範子(たきざわちえ象サン)は今年で50歳。ある女子大の教務課に四半世紀以上勤務している。その大半を女子寮の管理人として過ごし、出会いが少なく、今まで独身を通してきた。その彼女にプロポ-ズした男性・土井昴士(森山光治良サン)が現れた。それもかなり年下の28歳である。ある土曜日、昴士が女子寮に来てプロポーズの返事を急かせるのだが…。実は範子は一つウソをついており、その事で悩んでいた。それが原因で右往左往のドタバタが…。

本筋以外に「就活」に関する勘違い、早とちりなど脇筋自体の面白さがあるが、それを本筋に絡めて錯綜した展開にしており観客サービスに怠りがない。
物語全体の構成と展開、そのタイミングが絶妙で笑いが絶えない。また観せるポイントでは寸止めポーズ、その姿にスポットライト、鼓の音など効果的な演出が見事。

範子が「一生独り身も覚悟しないとか」という思いを抱いた瞬間、幸運が廻ってきた。そのチャンスを逃すまいとする姿、50歳女性の可愛らしさ、チャーミングな仕草が愛らしい。

年齢からすると、健康、老後の生活資金など様々な心配が頭をよぎるが、それを保険という商品で端的に表すところが上手い。何かにつけて副業の保険勧誘を行う寮の食事係のおばちゃん40歳・橋口百恵(つめぎさとみサン)が、この芝居のキーウーマンのようにも思える。
夢見心地の50歳女、ときどき現実味を突きつける40歳女、その対比と絶妙な掛け合いが面白さを倍加させる。もちろん、この女性2人以外の登場人物もキャラを立ち上げ、それぞれの役割の面白さを観せてくれた。

次回公演も楽しみにしております。
青の鳥 レテの森

青の鳥 レテの森

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2017/11/01 (水) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

現代的なテーマをサスペンス(ダークファンタジー)風に描き、それを重層的に観せる手腕が素晴らしい。全体的に不気味な雰囲気を漂わせているが、それはテーマ(核心)そのものに言える事。自分にとっては十分観応えのある公演であった。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台は、中央に階段があり上った先に黒い幕。舞台全体が黒色に囲まれ、柵というか乱伐(くい)のようなものがいたる所にある。
物語は、知らぬ間に「レテの森」に連れて来られた人々が、そこに居る怪かしから「レテの川(通称:ゼロ地点)に行くよう命ぜられる。何のために行くのか、そこに何があるのか教えてもらえない。訳も解らず武器を持たされ、森の中を進むことになる。ただ辿り着けるのは1人で、その者が望んだものは何でも手に入るという。

森に居る黒ずくめの怪かしは、この森の中を彷徨う魂…魂魄であることが明かされる。森は此岸と彼岸の境、黄泉の世界といったところ。レテ川はさしずめ”三途の川”といったところであろう。「ゼロ地点」そこは”始まりであり終わり”という台詞が劇中で繰り返される。それは冒頭の独白のような台詞が物語を支配しているかのようだ。宇宙が誕生し人類が生まれる、そこには「生」と「死」の繰り返しを象徴する。しかし、この世には不条理極まりない。森の魂魄は戦争によって命が奪われた者たち。

森につれて来られた人々は、バス・ワゴン車の交通事故で生死を彷徨っている。死の淵にあって、現世ではそれぞれの人生に悩み、苦しみ生きる術(すべ)を見失っている。そんな人々がゼロ地点で見て感じることは…。生きることは「思い」でありそれを受け継ぐことで「重く」くなっていく。それを感じることが生きる勇気になる。主筋に挿話として「オズの魔法使い」「桃太郎伝説」(少し緩すぎた笑い)等を取り込んでいるが、それは寓意を意識させる。
現実と黄泉のような世界をダイナミックに結びつけるのは、アナグラムの機知によるものだろう。

テーマは「生きる」であり、合せ鏡として「反戦」である。敢えて森に連れて来た人々に殺し合いをさせ、憎悪・復讐という負の連鎖を通じて愚かさを悟らせる。一方、悩み苦しみに中に生きる勇気が備わってくる。他人任せのような”祈り”ではなく、自らが考え行動する、その先に”希望”が見えてくると…胸に迫る台詞の数々が、両手の指先から零れ落ちてしまうのが勿体ない。

骨太い脚本、それを重層的に構成して観せる。役者はそれぞれのキャラを立ち上げて物語の世界に引き入れる。もちろん演技同様、ダンスパフォーマンス(アンサンブル)も魅力的であった。「ハグハグ共和国」らしい印象付けと余韻…堪能した。
次回公演を楽しみにしております。
父母姉僕弟君

父母姉僕弟君

キティエンターテインメント

シアターサンモール(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/12 (日)公演終了

満足度★★★★

「私が亡くなったら(妻を)娶ってね。だけど私のことは忘れないでね」という遺言は、優しいようで、実は意地悪もしくは残酷のような気もするが…。生前の君との約束を果たすため旅に出るが、その旅路で出会う人達を通して”想い”が溢れ出る。
(上演時間2時間10分)

ネタバレBOX

舞台セットは、寄木細工のような壁面。板上はいくつかの椅子があるのみ。状況によってそれらを車や遊園地に見立てる。ほとんどは役者の演技力による状況描写である。

物語は、妻を亡くした男 明夫(亀島一徳サン)は、妻・天球(島田桃子サン)との思い出の地を目指して旅をする道中、奇妙なキャラクターたちと出会ったり別れたりを繰り返し、家族をつくっていく。忘れそうになる記憶の中の妻を思い出しながら、約束の場所を目指す…というもの。その観せ方は、家族をエキセントリックに描くことで、身近な存在から距離を置き、非日常的な存在に置き換える。その客観的な見方を通して「家族」という絆(擬態、腕のギミックなどを用い)、その普遍性を浮き上がらせている。

ラスト…壁が閉じられ、明夫が胸の内を激白する。バットで壁の一部を壊し、改めて壁が開かれた先にあるのは大木。その根元には役者が座っている。天球が現れ、これは鳥の家族だという。今まで回想した人物(腕も含め)、動物との”絆”を色々なシーンに組み込み”生”に関連付ける。

さて、”死”の恐怖について、本当は人から忘れ去られることともいう。死者は死んではいない。別のところへ行くだけ。生者は自然や現実とは異なる時空に死者を住まわせ、いつでも対話できると思うことによって死者と魂を通わすことが出来る。しかし、娶った新妻は、夫が何時までも亡妻を想っていたら…それを強要するような遺言は酷のようにも思えてしまう。

物語は、寄木細工を組み立てるように段々と姿・形が明らかになってくる。その収束していく過程が面白い。亡くなった妻との思い出を回想するうち、過去・現在・未来、そして父・母・姉・弟との関係性を縦・横軸として絡ませ、シュールに切り張りしながら新たな家族像を描く手法は見事であった。

次回公演を楽しみにしております。
アレルギー/日曜日よりの使者

アレルギー/日曜日よりの使者

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/04 (土)公演終了

満足度★★★★

「アレルギー/日曜日よりの使者」は、どちらも日常の中にありそうな会話…人の心の機微を「恋」「老い」というテーマで切り取った珠玉作。基本的には会話劇であるが、話の進展に伴って視点を変化させ印象付けをする、そんな巧みな演出である。ちょっとした契機で立ち位置・状況が変わってくる奇妙な面白さがある。
「第2回いしのまき演劇祭」参加作品。
(上演時間1時間20分 途中休憩なしの連続上演)

ネタバレBOX

舞台セットは、中央に大きな台座のようなものがあり、その上に白いテーブルとBox椅子2つ。周りには脚立、雑貨、TVなどがある程度まとまって置かれている。全体的に暗いことから、中央のテーブルと椅子の白さが浮き上がってくる。
2話とも喫茶店での会話劇であるが、その店の存在理由に違う意味合いを持たせている。

第1話(アレルギー)
男(黒澤多生サン)は、エキセントリックな女(山本沙羅サン)に愛の告白をし、彼女から”手をつながない”ことを条件に付き合うことになった。男は嬉しさのあまり彼女の手を握ってしまうが、その結果、彼女がパニックになる。日を改めて、彼女に手をつなぎたくない理由を聞くが判然としない。そのうち、男は自分は多汗性で周りを気にしていることを告白する。いつの間にか逆転しての告白は…。
トラウマとコンプレックスなのか、理由がよくわからない拘りと思い込みが交錯する。

第2話(日曜日よりの使者)
馴染みの喫茶店で老人と同年代のマスター(島田雅之・萩山博史サン)の日常会話。そのうち、老人が小・中学校時代の回想話を始める。さらに今いる所が分からないという健忘・痴呆の様相へ転じ、現実と回想が交錯し混沌としてくるが、その世界は…。
漂流するかのような展開は、そのまま心の彷徨というか旅路を思わせる。”最期”に思い出すのは、珈琲の香りと冷たい海のにおいだという。

人の機微を「愛」と「老い」という側面で切り取り、普遍的な事を不思議感覚のようにして観せる面白さ。2人の脚本家の異なった作品を通して、身近な話題に自分自身を重ねて観ると、微笑と哀愁に包まれるようだ。

演技…第1話は、女のキャラクターのせいであろうか、不思議または奇妙な感じがするが、そこが特徴であろう。第2話は過去と現在を往還させるため、子供服・学生服への着替え、一方、現在は白髪の鬘を被るなど慌しい動きである。それは面白いと思うか、集中力が削がれると思うか、観客によって分かれるのではないか。

さて、「いしのまき演劇祭」を意識しているのか、第2話では”かもめ”を登場させるが、その出現には役者の擬人化(第1話の2人)はもちろん、観客(最前列)も参加し、演劇的に言うところの第四の壁を越えてきたような演出で、個人的には楽しめた。

次回公演を楽しみにしております。
しゃべらない人

しゃべらない人

劇団東京ドラマハウス

明石スタジオ(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★

しゃべらない人はいると思う。何となく苦手な人とは話をしないかもしれない。しかし、本公演のしゃべらない人には違和感がある。この設定だから2人の激白には迫力があり面白いのだが、そもそもの設定に無理があるような気がするし、何とか整合出来るような設定と展開に出来なかっただろうか。
(上演時間1時間50分) 【Bチーム】

ネタバレBOX



セットは、凹字を逆にしたシンプルな作り。窪んだスペースに深夜TV番組「からくりサーチ」に登場するコメンテーターが座る、そのTV画面とこの家の庭の両方をイメージさせる。中央上段には横長のテーブルが置かれ、横一列の食事風景を見せる。映画「家族ゲーム」(森田芳光監督)のように顔を合わせないという不干渉という歪な家族像が見えてくる。夫婦間で直接会話をすることが無くなってから25年が経つ。それには理由があり、それをTV番組の力を借りて明らかにし夫婦間での会話を取り戻すという物語。しかし最大の疑問はしゃべらない相手、その設定に違和感がある。

夫婦が直接会話しなくなった理由は、夫・妻の子供の頃のトラウマが遠因のようだ。その問題は長男(25歳)が生まれたことによって顕在化する。夫は子が生まれたことによって妻が育児に夢中になり、自分が置き去りになった気持ち。母親を亡くした、その喪失感が妻の育児に重なって見える。妻は子供の頃、弟の面倒を見ていたが、その弟が亡くなったことを自分のせいだと思い、悔悟の気持に苦しんでいた。わが子は死なせない、育て上げるという気持が強く、夫を顧みる余裕がなくなった。

この2人の激白が曖昧模糊とした物語を引き締める、最大の見所であろう。同時に大きな疑問が生じる。長男が生まれた後、直接の会話なしに現在・高校生の娘(17歳)が生まれている。そして原因を聞いた長男の気持は如何であろうか。自分の与り知らない理由で、両親が会話をしなくなる。そんな後味の悪い感じがする。公演としては”誰もが抱く苦手意識”を身近な存在で描いており面白いのだが…。

深夜TV番組で原因解明の様子を放映する。その番組構成として各ジャンルのコメンテーターがその知識を交え解説する。第1回目は心理学者、動物学者、お笑い芸人、第2回目はお笑い芸人の代わりに旅行コーディネーターが登場する。それぞれの専門分野のウンチクを面白可笑しく聞かせる。TVという媒体を入れることで客観化し、さらにコメンテーターという第三者をもって距離を置く。この間接伝達こそ、現在の夫婦の会話そのものであろう。本公演の「しゃべらない人」は表層的には夫婦の会話であるが、TV視聴や電子媒体でのゲーム等に夢中になっている現代人に向けられた問(核心)のようにも思える。

次回公演を楽しみにしております。
海岸線にみる光

海岸線にみる光

SKY SOART ψ WINGS

SPACE EDGE(東京都)

2017/11/02 (木) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

生まれ出悩み…人は生まれた時から死に向かって歩み始めるという運命を持っている。いつか死ぬと分かっていても、それが現実に知らされた時、胸に去来する思いとは…。
チラシでは、癌で余命宣告を受けた女性が、「生まれてきた価値を見出す」ため「心を切り取る」映像撮影を依頼する、そんな説明である。
人間が葛藤する出来事を、大自然を後景に従え叙情豊かに描いた作品(作・別役慎司氏のオリジナル創作劇の50作目)。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

基本は素舞台。状況に応じて照明を薄暗くし、岩場をイメージさせる黒椅子、室内にソファー、食事場面のテーブルを運び入れる。これは簡素化することによって、人物にフォーカスした展開を意識しつつ、高知県室戸岬の風景を映像で見せ、人間と自然の対比を際立たせる演出だろうか。

物語は2つの家族のそれぞれの事情を絡め、並行して展開していく。
主筋は癌で余命宣告された女性が、「生きてきた価値」という「心を切り取る」撮影を通して人の”生”を考えるもの。特に娘との関係は、自分の仕事を優先するあまり子供のことは蔑ろにしたという後悔の念。
一方、撮影を依頼された男は離婚経験があり、その元妻が再婚するにあたり子供を引き取ってほしいと、再婚相手とこの地まで来る。久し振りに対面した息子との激情した会話は圧巻。父親として養育費は支払っている…父親としての「義務と責任」という台詞は乾いた響き。愛情という潤いとはかけ離れ、そこに父と子の距離感を感じさせる。
それぞれの都合を押し付ける身勝手さが浮き彫りになるが…。
両方の家族を結ぶような看護師・番条和枝(石井寿美サン)の役割と第三者的な立場の視点に妙味があった。
物語は先に書いたように、人の色々な葛藤が描かれており観応えがあることを前提に、次のことが気になった。

主筋は余命宣告を受けた人の「心を切り取る」ということだったが、映像作家の家族に関する物語の方に重きが置かれたように感じた。当初は人生の最後に思うこと、死との向かい合い、恐怖や後悔する等、心の深淵を切り取るのではなかったか。それが娘との蟠(わだかま)りが氷解することで満足したような。その意味で本公演は当初伝えようとしていたことを「真に描き切った」のだろうか。

公演全体としては、上演前の海鳥の鳴き声、波の音など音響や映像で観せてくれた。また食事シーンなどは、テーブルを横一列にするなど観客に観せるを意識した演出で好い(映画「家族ゲーム」(森田芳光監督)を連想する)。何よりも、先にも記したが、人物へのフォーカスした心象表現、それを具現化しているキャストの演技が素晴らしい。

次回公演を楽しみにしております。
新~とんびと鷹の捕物帖~『酔いどれムスメとお転婆オヤジ』

新~とんびと鷹の捕物帖~『酔いどれムスメとお転婆オヤジ』

劇団岸野組

俳優座劇場(東京都)

2017/10/28 (土) ~ 2017/11/05 (日)公演終了

満足度★★★★

ある現象によってタイトル「新~とんびと鷹の捕物帖~『酔いどれムスメとお転婆オヤジ』」にあるようなことが起きるという面白さ。そうなることによって解る、それぞれの立場と思いが緩い笑いの中にしっかり描かれ、ラストはホロリとさせる典型的な大衆演劇…楽しめた。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、合板・張りぼてのようなもので、呑処・銭湯などを作った簡素なもの。それだけでも十分に状況設定は分かる。「大江戸小町番付」なる帖も面白い。

物語は、酔いどれオヤジとお転婆ムスメの十手持ちの父娘が、江戸を揺るがす小町娘連続拐かし事件に立ち向かう。何故か昔のように勤めに精を出さないオヤジ、娘はそれが不思議であり歯がゆくもある。そんな気持を抱きながら怪事件に挑む2人の身にとんでもない事が…。ある日犯人を追い詰めたが、落雷によって2人の体が入れ替わってしまう。

時代設定は幕末、黒船が来航した頃。その時代背景に江戸小町拐かし事件を結びつける発想の豊かさ。おみつ(福原香織サン)を巡る恋の話など、社会(異国からの武器調達と人身売買)と個人という違う世界観を絡ませる。
面白さは、おみつとオヤジ伝六(岸野幸正サン)の体が入れ替わることによって、父・娘の気持、思い遣りが解ってくる。体が入れ替わったことによる違和感を持ちつつ、同時に相手の気持が解ってくるという心の変化、その具現化した表現が見事であった。

さて、呑み処にいる多喜(宮本レイミサン)は、大奥総取締まりという設定。その人物の台詞「体が元に戻るのは西国・尾道」は、もちろん映画「転校生」(大林宣彦監督)を意識させるもの。

次回公演を楽しみにしております。
 月まんじゅう 罪人お鶴の微笑み

 月まんじゅう 罪人お鶴の微笑み

劇団グスタフ

シアターグスタフ(東京都)

2017/10/26 (木) ~ 2017/10/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

この劇団の公演は2回目。そして今回は劇団初めての本格的時代劇を謳っている。原作は森鴎外「高瀬舟」という短編小説であるが、その世界観(広がりや深み)は読者によって異なると思う。本公演は舞台美術が素晴らしく、視覚という効果を利用し観客を一瞬のうちに物語の中へ誘う。
さて、公演は小説の主人公を男から女に変えているが、もともと普遍的な主題を扱っており、”テーマ小説”と言われるているから違和感はない。それどころか女性だからこそと思える(情念)ような描き方をしており、主題に情緒という面が加わり観応え十分である。
また、性別を変えたことから、女性差別(遊女)という今日的な問題も浮かび上がるようだ。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、牢屋(現在)、大店の呉服問屋・島原遊郭(回想)を場面毎に転換させ、状況を瞬時に解らせる。現在と回想の行き来を通して、主人公姉妹の境遇を心情豊かに説明していく。セットがそれぞれに見事に作られ、それだけで江戸時代・京都の町を思わせる。そして町の賑わいが遠くに聞こえるという細かな演出が巧い。また衣装・小物から鬘姿や同心の2本差しなど時代考証も見られ、本格時代劇を思わせる。

物語は、牢屋で同心・羽田庄兵衛(高槻純サン)に妹殺しの罪人・お鶴(渡邊宰希サン)がなぜ妹を殺すことになったのか、事の顛末を話す。普通の罪人と違い、天命に安んじているような姿に興味を示し身の上話を聞くことになった。その境遇を通してテーマが見えてくる。
主人公の設定は男から女に変えているが、普遍的という観点でみれば、「人間の欲望」と「安楽死」というテーマが横たわっている。

人間の欲、その満足の度合いは人によって違う。欲望は際限なく1つが満たされれば次の望み、次から次へ欲望が生じる。この公演では、”財”を命に直結した”食”で表しているようだ。冒頭、同心が豆腐を買い、その代金を巡り同心の女房と遣り取りするシーン。そして牢屋で甘酒を飲むシーン。ラストの月をまんじゅうに見立てるシーンと要所要所に貧しくても生きるための”食”という欲望が象徴されていたと思う。貧に苦しんできたが、罪人になったことで衣食住の煩わしさから逃れられたことを喜ぶ。甘酒を飲むシーンがリアルで泣ける。
同心の大店からの袖の下、女房が倹約できないことなど自らの家庭生活を振り返り、不平の絶えないことを省みる場面は、下級役人でさえ持つ欲望を浮き彫りにする。

もう一つが「安楽死」…妹・お冬(桔川結有サン)が病気に罹り、姉に苦労させまいと鎌で喉を刺したが死にきれない。苦しんでいる妹の喉から鎌を抜いたことで妹殺しの罪になった。善良な意思でやったことが法律に触れるという矛盾。この安楽死という難問を一庶民の人生に見出している。当時の裁きでは死罪らしいが、遠島送りに止まったところに奉行の裁量とみた、と同心は述懐している。
役人の傾聴(客観)されたリアリズムの描写(ストーリーテラー的な役割か)、姉妹の心情(主観)という対比した観せ方も巧い。

演技…物語は原作(小説)も良いが、この公演は女の情念が見事に表現されていた。姉妹(お鶴・お冬)、同心・羽田庄兵衛他2名がシングルキャスト、それ以外は皆2役を担っているが、セットが別に設えていることもあるが役柄を十分体現しており楽しめた。また三味線など和楽器の音響効果も印象的であった。
”足りるを知る心”を持つお鶴。ラストシーン…高瀬舟に乗り込む役人・罪人。お鶴が浮世で悶え苦しんだ塵を払い、月という”まんじゅう”を美味しそうに食しながら闇に溶け込んでいくシーン、その余韻が何とも清清しく思えた。

次回公演も楽しみにしております。
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7contents

上野ストアハウス(東京都)

2017/10/26 (木) ~ 2017/10/31 (火)公演終了

満足度★★★★★

チラシに書かれている通り”震災”をテーマにした公演。
人は孤立には耐えられないが、孤独には立ち向かえる、とは某冒険家の言葉だったような。この公演は、(楽しい)思い出でに勇気をもらい、大きく一歩踏み出す物語である。
物語は幼い頃の思い出に浸るという楽しい場面から、終盤に向かって今の状況へ収斂していく。予想がつかない景色の反転が巧み。その”怒涛のような波”…それが引けた時の大きな感動に心魂震える。

練り上げた構想(脚本)、それを魅力的に観(魅)せる演出、そして”生きている”人々を生き活きと体現する役者の演技、そして舞台美術・技術が実に好い。途中の緩い笑いも、ラストの感動を引き出す妙味があった。
これから観る方のためにも筋の紹介はごくわずかにとどめたい。
(上演時間2時間10分) 

ネタバレBOX

舞台セットは、2階部を設け左右の階段で昇降する。上・下空間で時と場所の違いを表す。2階には1人の男が精神を病んで入院している、もしくは引篭り状態にあるようだ。一方、1階部は大勢の男女が賑やかに遊び回っている。それも小学校から大人までの各時代(中学、高校等)を順々に経て成長していく様を生き活きと描いている。幼い時に集っていた秘密基地(小林工業(株)第三工場)は、今では廃工場跡である。蔦が絡まり浮き輪などが散乱している。

梗概…無邪気に遊ぶ子供達、それを遠い場所から傍観しているような1人の男。この対比が生ける人とそうでない人を強く印象付けるが、ラストはその思い込みが逆転していることに気づく。その落差の大きさが感動の大きさに比例する。何の変哲もない日常風景が、ある出来事によって一変する。それを無邪気な子供と病んでいる男の様子を以って描き出す、対置というか倒置した構成は見事。幼馴染、苦楽の思い出、無鉄砲な思春期等、時の流れを意識した演出は、市井の人々の暮らしそのもので、観ていて感情移入してしまう。そこに孤独な男の存在がどう絡んでくるのか関心を持たせる。二元的な構成は一瞬にして収束、いや終息という表現が相応しいか?

子供達を演じる役者は実に見事に小学生から大人まで演じ分け、衣装や小物(ランドセル等)も含め違和感がない。東日本大震災により廃工場になり、その荒廃した場所で遊ぶ姿に隠された愛惜が胸を締め付ける。人の思いは生まれ育った場所(郷里)に宿る、そんな郷愁を上手く表現していた。男は立ち直れず、精神的なダメージを夢想へ逃げ込もうとする。しかし荒んだ心に生きている生々しい様子が描かれている。大人になった子供達はいつの間にか喪服姿。自分以外の幼馴染、親しい友達が犠牲になったと…。

立ち直らせるための友情、その魂魄が現世へ。男が一歩踏み出す勇気をもったことを暗示するようなラストシーンは清々しさと力強いを感じさせる。
次回公演も楽しみにしております。
MTF

MTF

トランス☆プロジェクト

吉祥寺シアター(東京都)

2017/10/20 (金) ~ 2017/10/28 (土)公演終了

満足度★★★★

牧歌的な風景を残した地方都市、その地元高校に集う学生たちの青春群像劇。テーマの訴えは弱く表層的とも思えるが、その内容も含め、青春時代の恋愛・希望・懊悩などを高校時代から20歳代後半までの10年余にわたる時間を生き活きと描いている。”とどかない言葉”は、青春時代だけではなくどの年代にも共通したもどかしさがある。その象徴的とも思えるような言葉が随所で聞かれる。

テーマに拘って観るというよりは、この悩みの特別な見方・扱い、その考え方に一石を投じるというところに意味があるように思えた。それは地方という閉鎖的な環境・状況ということではなく、日本の社会全体の風潮のようで、その縮図を描いているようだ。
本公演は、平成29年度(第72回)文化庁芸術祭参加公演。
(上演時間2時間) 2017.11.1追記

ネタバレBOX

セットは2階部を設え、上手・下手側に階段がある。一階部の中央に両開きドアがある。物語は2007年と2017年を描いており、その間の出来事は特に描いていない。

物語は、ある地方都市にある野球強豪校における野球部員と彼らを取り巻く人々(女子マネージャー、チアリーダー部など)の高校生活。甲子園まであと一勝というところで出場を逃した高校球児。そのエース・ミツオ(成瀬正太郎サン)が野球部内の余興で演じた女装姿から、自分が性同一障害(トランスジェンダー)ではないかということに気付く。自分自身の戸惑い、自分に好意(恋心)を持っているチア部のテイ(笠原千尋サン)との関係を微妙な距離感をもって描く。

ミツオの内面的な葛藤は、真に悩んでいるのか、そして自分に正直な気持を受け入れているのか、その過程が弱いのが残念。それは2007年の気付きと2017年の今の生活(BIDの人が経営しているBar)という間隔が、先に記した懊悩する過程を省略したためだと思う。むしろ、青春期の色々な悩み事の一つに性同一障害があると捉えた方が分かり易いように思えた。確かに自分の周りでもその悩みを聞いたこともなければ、もちろんカミングアウトされたこともない。しかし、性同一障害の悩みは第一には当事者の問題。そのことへの偏見的な見方、行為は社会の(風潮)問題。本公演では当事者の内面苦悩ゆえ、その表現を伝えるのは難しかったと思う。逆に偏見的意識、その社会的な視点から描いた方が分かり易く、問題意識の提起になったと思うが…。

主人公を男らしい高校球児から大人になって女装する姿、表層的に悩みを見せようとしているが、むしろ第三者(高校時代の仲間)の好奇な眼差しが不安であり怖いという描き方である。地方で生きづらさを都会という雑踏の中に埋もれることで生きられる。

ミツオはバッテリーを組んでいたフジ(南川太郎サン)が自殺し、その葬式に参列するため故郷に帰る。なぜ自殺することになったのか、その理由も曖昧のまま。都会(人の関わりの希薄)と地方(顔見知りが多く濃密)で生きる術(すべ)の違いを表したかったのか?ラストシーンは余韻ある印象付けしていた。
この難しい生き方(性同一障害および大都会・地方都市の生活)の表現をアニメにしたチラシが象徴しているようだ。

次回公演を楽しみにしております。
子ゾウのポボンとお月さま

子ゾウのポボンとお月さま

劇団印象-indian elephant-

RAFT(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★

「人魚姫」を連想するような話。もっとも結末は違い優しい気持ちにさせられる。
説明文…「偶然出会った、人間の女の子を好きになり、ポボンはお母さんゾウに尋ねます。『ゾウすればボクは人間になれる?』ポボンは人間になるために、一生懸命努力をします。そして、ついに…」というもの。
表層的には、子供も楽しめる見せ方、内容になっているが…。

(上演時間45分)

ネタバレBOX

舞台は素舞台。ゾウのポボンは擬人化ではなく、被り物で子供にも直ぐイメージ出来るようにしている。
さて、「人魚姫」は王子のそばにいたいがために美しい声を失くし、最終的には自らの命をも失うことになる、という叶わぬ恋の物語である。本公演も女の子に恋をして人間になる努力をする。さて、演出として事前に観客何人かにバナナを渡し、ポボンが鼻で回収し食べるという場面がある。ゾウの特徴である鼻を強調させる。

人もそうかもしれないが、恋した弱みであろうか、相手に色々なことを合わせる。ゾウのポボンも人間になったら鼻がなくなり…。子ゾウに人間になる方法を教えた母ゾウは何て思うのだろうか。わが子が別の生き方を選択したことを、喜ぶのであろうか、悲しむのであろうか。

当日パンフに作・演出の鈴木アツト氏が「タイ・チェンマイのエレファントキャンプでゾウが鼻で絵を描いたり、サッカーボールを蹴ってシュートしたりするショーがありました。また観光客がゾウの背中に乗って広い公園内を散歩することも出来た。ゾウは好きでやっているわけではないですが…」と書いている。
穿った見方をすれば、人間(少女)がゾウを人間の世界へ招き入れたようにも思え、そこに優しさと意図しない思惑が透けて見えるようで怖さを覚える。表層ファンタジーの世界に潜ませた寓話のような。
まさしく「人」と「象」という「像」が、不平等(迎合)愛という虚像として立ち上がってくるのだが…。
この公演の音楽は、大きく包み込むような優しさを感じる。終演後、鈴木氏に確認したところスタッフによるオリジナル曲だという。お見事でした。

当日は就学前の子も観に来ており、楽しんでいた様子。ぜひ続けてほしい公演である。
次回公演も楽しみにしております。
絢爛とか爛漫とか

絢爛とか爛漫とか

パショナリーアパショナーリア

シアター風姿花伝(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

平成29年度’(第72回)文化庁芸術祭参加公演…パショナリーアパショナーリアの旗揚げ公演でもある。この「絢爛とか爛漫とか」(2007年)は飯島早苗の作。ちなみに2007年に男女雇用機会均等法の施行規則が改正され、女性だけではなく男女双方に対する差別の禁止が盛り込まれた。
この公演は、物語の文学に情熱を燃やす女性群像を、そのまま演劇の世界に身を置いている女優陣ならびに演出家そのものを描いているようだ。
当日パンフの「ご挨拶」文には、出演女優や演出家(山田佳奈女史)等に対することが紙面の大半を占めている。それだけ互いを意識している証であろう。
(上演時間2時間5分)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側に書院机、蓄音機、鏡台。下手側に桐箪笥、籐椅子、布団。中央に七輪、座布団という和室。奥には障子戸、それを開けると枯れ木の風景。両袖には大きな垂れ幕。

「昭和モダン」と呼ばれた時期の女性4人が集まり、熱心に小説談義をしている。その「書く」ことに対する色々な思いが、各人の視点で語られる。冒頭はジャズに合わせて踊りながらの登場。その滑稽な出だしに身を乗り出し笑う。
梗概…デビュー作以来、一本も書けていない作家・文香(町田マリーサン)の部屋に集まってくる作家仲間のまや子(佐渡寧子サン)、すえ(中込佐知子サン)、薫(野口かおるサン)。才能とは、自分とは何か。葛藤、羨望、嫉妬、友情、そして恋を心地よいテンポで描いている。その思いは情熱的に、また叙情豊か、そして深淵を見る時もある。ラスト、文香がまや子に新作の構想を語る場面は圧巻である。自分の文才に疑問を持ち、足掻く心の中(うち)を書いたような物語(「湧き水を足で掻き回して濁している」との台詞に呼応して)。訥々と語る文香...その内容に心魂揺さぶられる。

公演の4女優に、この4人の作家が投影されているような気がした。物語で描く女性像は性格・振る舞いを誇張して描いているが、それを演じている女優も演劇の世界で切磋琢磨していることがうかがい知ることが出来るようで興味深かった。

この公演の見所、それは4人が典型的な当時の女性像を表していると思われるところ。文香は、文学で身を立てたい。その才能と向き合い苦闘する姿が知的女性のようである。まや子は、先進的であることを望みつつも奔放と古風の両面(客観性)を持つ、評論家志望。すえは、旧家に育ち父母の愛情に疑問を呈しつつ、母への反発が父への思慕へ倒錯するような。猟奇・狂気という作風。薫は、庶民派の代表のようである。自由な発想と創作姿勢が生きた文学になる。実は子供が産めないため離縁された経験もある。当時の「家制度」を考えさせる。

この4女優の演技が実に自然で...芝居の面白さを堪能させてもらった。
そして、この四季を表現する演出が見事。春は桜と花びらが舞い落ち、冬は枯れ木と雪...というように陰影する。公演全体の時の流れに人の心の移ろいを投影し、余韻を残す。もちろん、衣装も季節に合わせて変わる。
気になったのは、文香が新作構想をまや子に聞かせる件、花魁の影絵が映し出されるが、少し安直なような。その演出がなくても十分聞かせるものだと思う。

最後に、観たのは午前11時からの回。この回を含め何回かは「イベント託児・マザーズ」として託児が利用できる。観劇するには嬉しく、女性ならではの細やかな気遣いが感じられる。
次回公演も楽しみにしております。
燃えあがる荒野

燃えあがる荒野

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/24 (火)公演終了

満足度★★★★

船戸与一原作「満州国演義」…揺れ動く時代の奔流の中、無残に、歴史のはざまに棄てられていく若者たちを描く3部作」の第一弾。軍靴の音が高く響くようになった昭和初期、満州の地を舞台に壮大な叙事詩を思わせる。時代背景、その深刻な状況下で、一人ひとりの人間の生き様を丁寧に描いた公演である。

本公演は深いテーマの追求、映画の「フィルムノワール」に対し、演劇で「テアトルノワール」という新しい分野を創り出したいという野心的な作品でもある。
物語は日本国内・満州という地を交錯させるような展開で、登場人物も多く置き去りにされそうになる。そこは当日パンフ(写真掲載するためコート紙を使用。B5版二つ折り)に、物語の展開(登場順)に沿った配役が記されている。前文、演出のことば(森井睦 氏)、そして満州の豆知識が記載されており、オーソドックスな構成だが、公演を興味深く観させるための工夫が施されるなど丁寧な作りである。

(上演時間2時間20分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

セットは満州の壮大さ荒野をイメージさせるものであろうか、段差を設けた草原風景、所々にススキも観える。板中央に切り株3つあるのみのシンプルなもの。

物語は1920年代後半、張作霖爆殺事件あたりを背景に、敷島4兄弟の生き様を中心に展開する。その展開は映画のクロスカッティングのようで、同時代のそれを別の場所を交錯させることによって臨場感・緊張感を生むような構成で、壮大感を表そうとしている。その手法によって観客が物語の繋がりを感じられないことがある。しかし本公演では、人物描写や視覚的表現を駆使してその克服を試みようとしていたが…。確かに人物造形は感じられたが、映画・映像と違って同一セットでは場所の違いを視覚で観せるには限界があり、観る者の想像力に負うところが大きいと思う。

物語は日本国内と満州を交錯し、国内は耽々と不穏な空気が流れ、一方満州における修羅現場と茫洋な雰囲気の対比、そして人物は相貌を変え動き回る。日本海を挟んで昔からの深い関係にあった大陸と日本の近代史が人々にもたらした不幸。その構図を兄弟の生き様として持ち込む。そして社会の底辺にまで浸透して強者・弱者の構図を浮き立たせる。といっても当時の社会のヒエラルキー構図が直接の対峙して映し出される訳ではない。そこには閉塞・緊迫という状況、時代という大きなうねりが立ちはだかっているという表現である。その時代に個々人が翻弄されていく姿がしっかり描かれる。そして最悪な不条理である戦争に向かって突き進んでいく、その抗し難い状況が重層的に立ち上がってきて実に観応えがある。

公演でも日本国内の出来事は、なるべく四隅の小スペースを中心に演じていた。このセットは今後(第2弾、第3弾)へ引継ぎ、日本国内から満州国へ主舞台が移ることを示唆しているのであろうか。なぜなら4兄弟は、それぞれの信念と理想を持ちながら、満州国へと巻き込まれていくのだった…とあるのだ。

次回公演も楽しみに、とても待ち遠しいです。
JOE MEEK

JOE MEEK

ピストンズ

王子小劇場(東京都)

2017/10/18 (水) ~ 2017/10/23 (月)公演終了

満足度★★★★

音楽を宇宙へ飛び立たせることを夢想した男、ジョー・ミークの半生を描いた秀作。ビートルズ以前のイギリス音楽業界を席捲したそうだが、自分は知らなかった。しかし、物語は当時の音楽業界の事情を男の目を通して分かり易く描いており、1950年代後半から1960年代初頭にかけての音楽業界史を観るようだ。
脚本(広瀬正人氏)、演出(小林涼太氏)と演技(特にジョー・ミーク役の島岡亮丞サン)、美術・照明の絶妙なバランスの良さ、そして「目に見えない緊張と迫力」がみなぎっている舞台であった。
(上演時間2時間20分 休憩なし)

ネタバレBOX

セットは、中央に段差のある四角いスペースを設え音楽スタジオをイメージさせる。上演前は椅子が一つ置かれているだけであったが、直ぐに机・電話、音響機器、ラジオが持ち込まれる。四隅にポールが立ち、コードが巻き付いている。下手側には固定梯子、二階部はレコーディングルームのような別室。

音楽業界における典型的な栄枯盛衰物語のようである。物語は時代という生き物をどう乗りこなすか、その先見性の見誤りを諌止するような場面もあるが、その通俗性よりも主人公ジョー・ミークという一音楽家・プロデューサーとしての人間性、その魅力(破滅的な面も含め)に主軸を置いている。

物語は、ロックンロールの神様的な存在バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わったと…そんな呟きから始まる。しかし、ジョー・ミークはロックンロールの復活を夢見、精力的に活動を開始する。そして彼の情熱によって目指す音楽の極みに辿り着いたが、その景色をずっと眺めていることは出来なかった。目的を達成するため、自己本位で自分のことしか考えないなど強引な活動スタイルは、仲間との軋轢を生み次第に歯車が狂いだす。人間の嫌な面…嫉妬・反発・怒り・焦り、そして色恋沙汰(当時としては問題の同性愛)などを描くことによって、彼(心情)の衝動、葛藤が浮き彫りになる。

演技、ジョー・ミークは中央のスタジオに上ったり、走り回ったりいつも忙しく動いている。逆に仲間や周囲の人間は普通(淡々)の動き。その緩急の動きに、彼の生き急ぎ、焦燥・苦悩・悲哀が見えてくる。時々挿入されるダンス、そのアンサンブルも観応えがある。
気になったのは、音楽の世界でありながら生演奏・歌が聴かれなく、その部分はリップシンクで処理している。全ナンバーでなくてもよいが、少しは生で聴いてみたかった。脚本の面白さ、演技の力強さに惹かれるが、一方、見せ場となるであろう音楽シーンが物足りなく思えてしまったのは残念。

次回公演も楽しみにしております。
Re:quest!on

Re:quest!on

妖精大図鑑

シアターシャイン(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★★

少し長い船旅を経験したことがあるが、その期間、船内ではカードゲーム、ダンス、ミニシアターなど色々な催しがあったが、それを思い出すような宇宙(火星)旅行であった。
宇宙船の出発(兄と弟1)と到着(兄と弟4)を除くと、宇宙船内では20ステージ観られるというショートストーリーの綴り。ダンス、歌、コントが中心であるが、どれもエッジが利いており楽しめる。特にダンスパフォーマンス(被り物もあり)は新体操ならぬ”身体創”という造語が相応しいような、シーン毎に物語性を感じられる秀でたもの。
ちなみに、宇宙旅行は90分であり、上演時間そのものである。

ネタバレBOX

セットは、上手・下手側にほぼ対称に段差のあるスペース。横階段を上る正面壁に丸窓。舞台中央には四角いマンホール(縦孔-「安全第一」の標語あり)のようなもの。けっして広いスペースではないが、計算しつくしたムーヴメントで魅了する。ソロまたはアンサンブルという形は変わるが、全ての動きに意味があるように思わせるところが上手い。そしてダイナミックに繊細にという動きが色々な感情を表現しており、キャスト(ダンサー)達はシーンに応じた感性を知覚して踊っているかのようだ。

少し気になったのが、舞台効果としての照明が弱く印象に残らないこと。例えばミラーボールを抱えた演技などは小宇宙空間を思わせるようで素晴らしかったが、それ以外は…。
もう一つは、丸窓内での表情が見切れになっていたのではないかということ。自分はほぼ中央に座っていたから両丸窓内の演技(表情)が観えたが、当日は満席で増席していた。その隅席から対角位置の丸窓内は観えないのではないか。

当日パンフとともに「演目、キャスト名・役名」が書かれた一枚紙が配布されたが、そこには「このあてども無い宇宙を旅する冒険者達へ、ささやかながら手がかりをお送りします」とある。この気配りがあればなおさら窓内を観せてほしいような…。

次回公演を楽しみにしております。
aster

aster

創作集団Alea

劇場HOPE(東京都)

2017/10/12 (木) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

満足度★★★

映画「桐島、部活やめるってよ」を連想するような公演。
本公演は、少しずつ家族の微妙な関係に波紋が広がっていくさまを描いているよう。その生活に潜む歪さ、不穏な空気感を炙り出そうとしているが…。
(上演時間1時間45分)

ネタバレBOX

舞台セットは、和室(縁側)、中央に丸卓袱台、奥に変形の衝立、下手側にレンガ壁と花壇。舞台上部は暗幕と放射状の白地で、何となく鯨幕を思わせる。全体的に歪み、不安定な感じである。先の放射状は当日パンフの中面イメージで、テーマ”絆”を表しているのだろうか。

まず登場人物は、家に居るのは本当の家族か、擬似家族・居候なのか、その関係性が不明確である。その奇妙さは、終盤に明らかになってくるが、それは登場しないダイスケの自殺に起因する。その原因も説明されるが、それまでの伏線も感じられず、設定の説明不足のようだ。また登場しない不在の人物造形不足が、話の面白さを引き出せていないのが残念だ。出来れば、登場人物一人ひとりとダイスケとの関わりを描き、周囲の人によって人物像を立ち上げる必要があったのではないか。
例えば、映画では桐島は最後まで登場しないが、観ている途中からどんな人物か気になってしょうがないという気持にさせる。本公演でも不在の人物をもっと気にさせるように持っていければ、違った印象の物語になったと思う。

気になったのは、千葉修・結衣夫妻の中年の息子・太郎の不自然さ、ダイスケ(この家に居たと思われる)とその弟(別に住んでいる)の関係の希薄なこと、4カ月前からの行方不明(失踪か?)に対する警察への相談事、自殺後の遺体処理、そしてダイスケと結衣の関係、その結果結衣の精神異常をきたしたという自責の念の描きが弱いこと。

物語(脚本)の説明は弱いように思うが、逆に演出効果は良かった。特に波紋・揺れるような流線形の照明、水が滴り落ちるような心細さ、不安にさせる音(ピアノの単音)の響き。照明・音響が全体の雰囲気をザワザワ落ち着かせず、不穏な空気感を助長しており実に巧みだ。
タイトル「Aster」は何気なく舞台の隅に…ラストのスポットライトが余韻を与える。

次回公演を楽しみにしております。
死神と9月のベランダ

死神と9月のベランダ

東京カンカンブラザーズ

ザ・ポケット(東京都)

2017/10/11 (水) ~ 2017/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

映画音楽「唐獅子牡丹」…♪義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界♪と歌われていたが、本公演、自分では理屈と感情を秤にかけたら”感情”の揺さぶりの方が上回った。
演劇らしい現実離れした設定であるが、人が持っている優しさ、厭らしさが端的に伝わる公演である。タイトルから明らかなように死神は登場するが、「死神」と「死に神」という表記では印象が違ってくる。物語は人と死に神の関係の変化、地域という風景の移ろいが感じられるヒューマンドラマである。1997年から2017年という20年間に亘る時間軸の長い物語であるが、時代を区切り(演出の工夫)分かり易く観せている。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

背景は、1997年、2000年、2007年、2017年という区切り。大阪の泉州地方の某町で地元でスーパーを営んでいる家族の居間兼事務所といった場所を出現させている。
セットは、中央にソファー、上手側に机と外へ通じる扉、その奥に二階へ上がる階段。下手側に窓、ソファー、その上部に別空間のベランダを設える。

物語は、関西空港が出来て町の開発が進み、従業員がこのスーパーの合併話を勧めているところから始まる。展開は先に書いた年代を順々に暗転で進め、それに伴って登場人物の演技や衣装も変化してくる。構成は時代ごとのトピックを描くことで全体を繋げていく。

理屈と感情の世界…。
まず理屈…本筋である「死神」の存在、その自体の在り方をどう解釈すればよいのか難しい。この地域の担当する死神は2神(浅村拓海、小田切優奈)、人の目に見えることから一時的に死人の身体を借りる、という憑依しているような描き方。成長することのない死人が死神の”力”によって記憶を無くした時代を生きている。死神が生きている女性と恋をし死の世界へ誘うが…。また長く行方知れずだった鷹山真二が一時的に記憶喪失になっていたが、死神との関係を期待したが何もなし。主筋の「死神」の描き方に広がりがないこと、不十分、説得力がないのが残念。
もっとも、主宰の川口清人氏は、当日パンフに「突っ込みどころが多々あることも十分承知しております。それでも(中略)人の優しさや温かさ、懐かしさなどを感じていただければ幸い」と書いている。その意からすれば理屈より感情を優先させても良いだろう。

次に感情…時代毎の挿話が良かった。例えば、長女の難病治療(骨髄の提供)のために二女を産む親(祖父も含め)のエゴ。その姉妹のそれぞれの立場での苦悩と真心(妹のために死に神(拝む)ような)。児童施設育ちと裕福な家庭の子の優劣・差別意識などのエピソード、さらには施設の子を優先し実子の気持は後回しを思わせるような場面は泣ける。

公演は本筋、脇筋が逆転していること、挿話の面白さがうまく絡んでいないところが残念であった。それでもリンドウ、キンモクセイという花の香りがするような、そんな余韻が素晴らしく、感情が理屈を上回った。

次回公演を楽しみにしております。
暗闇演劇「イヤホン」

暗闇演劇「イヤホン」

大川興業

ザ・スズナリ(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/09 (月)公演終了

満足度★★★★

大川興業の暗闇劇は3回目。以前観たものとは脚本が違うが、視覚ではなく聴覚を刺激するという基本的なスタイルは同じ。なお、先の2公演時はペンライトのみであったが、今回はタイトルにある「イヤホン」も借り受けることになる。これによって舞台(空間)上だけではなく、別の空間との交信が一層立体感ある公演になっていたと思う。
また、この状況になった経緯が分かり難いが、以降の展開は実に面白く楽しめた。
(上演時間2時間)2017.10.11追記

ネタバレBOX

「庶民テロ」、または「デモクラシー・テロ」集団によって監禁、人質にされた人々の心理と行動・行為を暗闇の中で描いたもの。閉じ込められた場所が暗闇という設定であろうが、ラストの数分間のみ明転し場所(室内)の様子が分かるというもの。大半の時間は暗闇の中で当事者の聞こえる声、イヤホンから聞こえる囁き声のみ。

演劇で第四の壁というのがあったと思うが、もともとこの公演では観えないから壁を意識(認識)することはない。むしろ、イヤホンを通じて舞台上のキャスト以外が、観客の聴覚を刺戟する。何となく第四の壁破りのような感じさえする。

芝居は、脚本・演出・演技を始め美術・技術など、人の視覚・聴覚などで楽しむものだが、聴覚だけが鋭くなり、情景・状況は観客のイメージに委ねられる。観客の数だけシーンが想像され、心象形成が異なる。観えることで流れてしまう意識が、観えないことで集中する。この集中させる”力”は、脚本の面白さがないと惹きつけられない。

公演は、今の日本が抱えている社会問題、それも喫緊の課題を提示(犯人の要求)している。人質、その家族に関係ない、そして対応が難しい事柄をどう解決して行くのか?大風呂敷的な要求は、実は一つひとつ丁寧に解きほぐし対応すれば解決の道が見えてくるというもの。それを置き去りにしている現代社会への痛烈な批判として描いているようだ。

その(監禁・人質)状況下にあって、他人を思いやる気持ち。気持に余裕がない情況下でこそ、人の真価が問われる。その意味で、登場人物の一人ひとりの性格や背景を丁寧に説明し、緊迫した状況の中で優しくなって行く過程にホッとする。その感情の揺れ動き、変化が聴覚を通じて伝わる。

最後に、公演内容に直接関係ないが、客席前後の間隔が狭いにもかかわず、後席の人が足を組みかえる都度、自分の背中に足が当たる(怒。暗闇で他観客も聴覚敏感で注意するのが憚れる状況だった)。またイヤホンを落とす人もいて、集中できない時があり残念であった。

次回公演も楽しみにしております。
きんかく九相

きんかく九相

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2017/10/07 (土) ~ 2017/10/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三島由紀夫の小説「金閣寺」と「九相」を題材に描いた公演は、美しい心象劇として印象に残る。小説は、1950年7月に実際に起きた「金閣寺放火事件」を基にしているのは周知のこと。
公演は小説同様、主人公である学僧(川口)が金閣寺の美に憑りつかれ、放火するまでの経緯を一人称の告白という形で展開して行く。
主人公の視点から観た美、死生観のようなものが静かに、時に荒々しく描いている。一方、戦時中の世相や無常さを京都の島原遊郭の芸妓達の視線を通して描かれる。学僧の内面、芸妓の外面という対照的な観せ方は、観念的に陥りそうな物語を公演として観(魅)せているところが好い。
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

舞台セットは、上手側・下手側に障子戸・畳敷き、それを奥に三重張りしている。中央は通路であるが、障子戸の開け閉めで情景・状況が変化して行く。上演前は上部から赤い布が吊るされている。物語が始まると、女優陣の和装(朱色の薄い道行のようなものを羽織り)と赤い布を用い乱舞する様は、業火のように思える。

ずいぶん前に読んだ「金閣寺」は、吃音者の宿命、その学僧の前にある金閣寺に対し、色々な感情が入りじ 混じった名状しがたい心理や観念が書かれていたと思う。公演でも学僧(川口)が金閣寺に”思い”を廻らせていることは解る。そして戦中戦後という時代背景を取り込むことで、解り易くしている。金閣寺は美しくない、空っぽの存在である。日本の敗戦による無秩序、混乱は美しくもなく空虚の世界に投影している。自らの吃音という悩み、卑下した様子・姿は、小説とは違い生身の役者を通して立ち上がってくるようで面白い。また坊主(ごとうたくやサン)の飄々とした態度、そのやり取りも軽妙洒脱で肩の力がほどよく抜けて好かった。
女優陣がいる遊郭置屋での生活.…恋しい人(軍人の死)、敗戦による駐留軍人との恋など愛憎劇、それでも強かに生き抜く女の強さを垣間見せる。着物姿、日本髪結い、小物・簪など観せる魅力も十分楽しませてくれる。

さて、「九相」についての描きはどこか?登場人物の死生観そのもの、置屋での今まで(死んだような生き方)、これからの生き様が”(錯乱)死に様”となっていくことの暗示であろうか。公演全体が少し観念的(例えば「南泉斬猫(なんせんざんびょう)の話」でもあり、例えの話と同じように難しい解釈が含まれているようだ。もっとも、当日パンフの挨拶文にも「理解よりも『何かを感じる』ことをお楽しみいただき…」と書かれていた。

演技等は、女優陣は和装でその姿態は妖艶、艶かしい。男優はみな頭髪を短く刈り込んで時代や設定人物に近いようにしている。また和尚、学生服など外見でも違和感なく物語りに入り込める。

ラスト…終結部分について、実際の事件と小説では異なるが、公演では事件(小刀で切腹した-未遂に終わる)に合わせていた。また、女優陣が冒頭同様、赤い布等を羽織り乱舞しながら障子を破いていく、同時に天井からは大量の細い金色紙が舞い落ち炎、金箔を思わせる。学僧の切腹シーン、女優陣の業火シーン、その視覚的効果は、緊迫感があり情緒的でもある見事な演出であった。

次回公演を楽しみにしております。
朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

朗読劇『季節が僕たちを連れ去ったあとに』

トライストーン・エンタテイメント

あうるすぽっと(東京都)

2017/10/06 (金) ~ 2017/10/12 (木)公演終了

満足度★★★★★

朗読劇…寺山修司と山田太一が過ごした学生時代から寺山が亡くなるまでの交わされた書簡と友情。その物語は心魂揺さぶられるほど感動した。正直、2人の関係は羨ましくも嫉妬してしまう、そんな思いを抱いてしまう。
寺山修司の死ぬことから逃れるために仕事する、仕事をすることで本音を隠すような。しかし、山田太一の前では素直になる、そんな姿(関係)が瑞々しくそして濃密に描かれる。今の時代、インターネットの普及でメール等で”待つ”ことは、2人の時代とは随分と違う感覚であろう。その意味で、これだけの書簡のやり取りは、2人の特別な(友情)関係をうかがい知ることができる。
個人的な書簡は、時とともに埋もれ逸失しまうモノ。2人の芸術家の魂の軌跡、消え入るような手紙(モノ)が時を超え、鮮烈な光をもってよみがえる奇跡。その構成・演出を手がけた広田淳一氏の手腕は見事であった。
今まで聞いた朗読劇(登場するのは2人だけではない)の中では最高に素晴らしかった!
(土屋シオン&長田成哉)
(朗読時間1時間45分)

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